はてなキーワード: 管楽器とは
その①
https://anond.hatelabo.jp/20191120183622
その②
https://anond.hatelabo.jp/20191120185300
その③
https://anond.hatelabo.jp/20191120185607
・続いて、「グラビアが表紙の雑誌も撤去すべきだ」と言っている
→これはまさに表現規制であり、終わりがない。一歩も譲るべきではない
#家事をするのは女性、というジェンダーロールの押し付けであるとされ炎上
#体形を強調し乳首が浮き出ている、上気し男性に媚びた表情であり不適切とされ炎上
・のうりん
#企画内容と無関係な胸の露出、煽情的な顔つきが不適切とされ炎上
#男性の教授役に対して生徒役の女性、という配役設定がマンスプレイニングであるとされ炎上
#女性の身体を明らかに強調した絵を、無関係な献血のポスターに使用し公共の場に掲出することは環境型セクハラであるとされ炎上
・太田弁護士は女性のジェンダーロールについて批判をする一方、「容貌に劣る男性がマッチョにあこがれてサーフィンを始める」動画については絶賛している。これはまさにルッキズムであり筋が通らない
・「強力効果論(暴力的なメディアや、性的なメディアが、受け手を暴力的にしたり性的にしたりするという説)」は研究により否定されている
・モノ化とは→単なる道具として扱うこと
・容姿で評価されることは悪か?異性のパーツを好きになることは悪か?
・また、自分(石川)ではない人のツイートや炎上を紹介していたが、自身の発言でないものを指摘されても答えようがなく、別の事例について話したい
●表現について
・エロがいけない、萌えがいけないと言っているのではなく、「女性らしさ」「男性らしさ」ジェンダーロールを固定化した表現が問題と考える
・黒人の表現として黒塗りをすることは、事実アフリカ系の人種が色黒だとしても、社会的に認められていない
→規制ではなく、当事者の気持ちを慮った自主的な配慮として行われている
・TSUNAMIの自主規制も同様。あくまで被害者への配慮として行われており、表現を規制するものではない
・乳袋と言われる、胸を異様に強調した服
→実際には存在しない服であり、女性の性的魅力を強調しすぎている
・「女性の身体を持っている」ことを理由に被害を受けた人への配慮が不足している
・エロだからダメ、ではなく、女性性の強要が存在する以上、配慮が必要
・「ちょうどいいブス」
→表現者本人は女性だが、他者にこうすべきと役割を押し付けるのでダメ
●女性のモノ化とは?
●「お気持ち」について
お気持ちがあることは人間である以上当然であり、ないがしろにされてはならないものだ
・宇崎ちゃんのどこがモノ化?
・胸があることに対して受けた被害があるのに、それを他人が表現することがおかしい
・グラビアについては本人の意思だったりそうでなかったりするので難しいが、意思と主体性があればOKと考える
・キズナアイはイラストレーターも女性、声優も女性。では誰に許可を取れば使ってよいのか
・女性性の主体があるところ、すなわち全ての女性に配慮するべき
・イラストに関しては女性の主体がいないので認められる余地がないと言っているように聞こえる
つまり萌え絵、女体を表現に使うことが理論上不可能ということではないか?
事故に遭った人が傷つくから気持ちに配慮すべきであり、車のCMを規制するべきとなるが、
そのようにお考えか?
・クルマの広告はクルマそのものを売るためのものであり、献血と無関係な女性性を強調している本件とは異なる
・胸が大きいことがセクハラとしている人もいるが、逆に誇りに思っている人もいる、その女性をひとくくりに代表して「これは差別である」とすることは、個人の「お気持ち」の押し付けではないか?
・性的価値(女性の裸は価値があり、男性の裸は価値が低い)は商品になるが、それをすべて否定するか?
・よしもとの「不細工芸人コンテスト」は批判を受けていったん中止になったが、男性に限定して復活した。これをどう思うか?
・被害を受けたことに言及し活動することと、お気持ちを押し付けることは別の話である
・黒人差別と同様、被害にあっていない人がいるから規制すべきではない、とはいえない
黒人も、黒人であることを喜び、誇りを持っている人もいる。だからといって別の人に存在する黒人差別を許容するべきではない
・女性性によってプラスもマイナスもあるはず、性差があることは明らか。事実石川さんも女性だからグラビアの仕事ができた。
その利益を享受しておきながら、不利益は許容できない、というのでは筋が通らないのではないか
・プラスがあるからマイナスには目をつぶれという理論には賛同できない
被害・加害があるなら是正されるべきであり、声を上げるべきである
運指っていうものがあって、それ通りに弾いたりしなければいけないんだけどそれが苦手で、
自分のやりやすいようにやったり、上手く指運び(メロディを引くこと)が出来ないと、先生に怒られて手をたたかれてた。
それが怖くて、いく度失望されたり練習ちゃんとしてる?って言われたりすることと、
ああこの先生は自分のことが嫌いなんだなあって雰囲気がとにかく嫌でエレクトーンとか集団レッスンやってるときに楽しかったピアノが嫌いになりかけた。
結局基礎の部分でやめちゃったから、エリーゼのためにとか他のピアノは今趣味で独学でたまに弾いたりするくらい
楽器自体は音楽が好きだから、色々やったりした。弦楽器や管楽器、でもどれもずーっと続けてるわけじゃなくて
弾けない人からすると凄いって思ってくれるのかもしれないけれど
私は何かに挑戦してずっと続けてる人が凄いなあって思う。
自分は何事も中途半端で、何かグレることもなくそれとなく批判されないように生きてきて、
批判されるような状況になったら逃げるを繰り返してきたからさ。とにかく、周りと比べて自分は劣ってるなあと思うんだ
長々と書いてごめん
教科書として手頃とはずいぶん失礼な話だな。
実際に取り組んでいて、過去の遺物として仕舞われるどころか、今でも歴史的価値に恥じない凄さがあるから人気を保ってるのだと思うけど。
てか、そんな見解が許されるのなら、近現代の楽曲はそれこそラーメンで言ったら二郎みたいなもんじゃん。
そんで下に書いたように、見方によっちゃゲテモノ嗜好な代物を無闇矢鱈に押し付けてくる手合が本当に多い。
音大受験ではほとんどの管楽器が古典派の楽曲を吹かされる(例えばトランペットはハイドン、オーボエやファゴットはモーツァルトとか)ことからして、プロが古典の曲をまともに吹けないのはダメだろう。
一方でアマは遊びでやってるんだから好きなのやれっていうのは正論だが、現実に大抵のアマオケでは管楽器の近現代嗜好ばっかり優先されるじゃん。
そうしたくなかったら、管楽器の人数を極端に絞って、かつトロンボーンとチューバは必要に応じてトラ呼ぶような「室内管弦楽団」にでもしないと無理なわけ。
ハッキリ言ってウザい。
全員が全員、近現代やドビュッシーシベリウスをやりたいわけじゃないのに、どういうわけかそういうのばっかり取り上げられる。
でもオケの中核である弦の人間で、近現代ばっかりやりたい奴なんて変わり者扱いだから。
そういう「弦の縄張り」であるはずのオケを、好き勝手に蹂躙するのが管楽器という認識なんだよね。
せめて「(美味しいところがたくさんある)オケの曲を吹きたい」じゃなく「(豊かな響きを作る)弦と一緒に吹きたい」くらいの意識で来てくれれば、少しは違うんだろうけど。
面白そうなので私も書いてみようか。東日本の公立学校卒→東大理Ⅰのケース。
・家庭環境
電車は通っている、程度の田舎町。父は高校教諭、母は学校の事務員、同居する伯母は小学校教師。そういう家庭だから学業に対する意識は高かった。
田舎町なので私立小中学校などというものはなく、受験は高校から。
小学校入学前からそれなりに頭は良かった記憶がある。特に算数が得意で、数の理解も早かった。
両親が共働きなので、朝保育所に預けられて、放課後は母の知人が預かってくれていた。この養母のような方には今でも感謝している。
・小学校
選択肢も何もなく近所の市立小学校へ入学。国語算数理科社会はまあオール5。伯母の影響で音楽の成績も良好。体育は3。典型的な頭でっかちで、いじめられっ子になるという定番コース。大人になってから「ごく軽度のADHDだったのでは?」と言われたことがある。
うちの小学校には、4年生になったら全員部活に入ること、という不文律があった。男子はソフトボールかサッカー、女子はミニバスケットボールか合唱、しか選択肢がない。4・5年生の間はなんとか回避していたが、6年生では避けきれずサッカー部に入部。運動が得意じゃなくコミュ障な上に「6年生なのに新入部員」で、部のしきたりも知らずあからさまに浮いていた。今から思えば入るもんじゃなかった、のだが、そういう「自分には向かない世界」を早く知ることができたとも言える。
自宅近くにそろばん塾があったので、小1の時に親の勧めで入塾。かなりさくさくと習熟して、市内の競技会(というものが当時あった)では上位の常連だった。但し、それなりに上達してくると飽きる悪癖があり、塾も徐々にさぼりがちに。小6で辞めた。お山の大将になるのはそれなりに簡単でも、世の中にはもっと上の人がいる、ということを子供心に知らされる。
運動が苦手なことを懸念した父により、同僚が運営に携わっている剣道の同好会へ入門させられる。中3までの間、道場には週2回真面目に通ったが、練習は不真面目で大して上達もせず。
・中学校
選択肢も(ry)市立中学校へ。成績は相変わらず。部活動のバリエーションは増えたが結局のところほぼ全部運動部で、剣道部に入って万年補欠。帰りに学校近くの駄菓子屋でゲームやって帰ってくる生活。
英語塾に行った他には学習塾の類は行かず、自宅での勉強のみ。この頃までは「学校で課された科目」だけ順調にこなしていたと思う。
高校はいわゆる進学校しか考えてなかった。地方の常で、歴史ある県立高校が偏差値的な意味でトップ、私立はすべり止め扱い。模試では毎回トップ争い。
受験はすべり止め無しで本番一発。直前に風邪を引いて親は心配していたが、合格圏内には入った。
・高校
進学校なので、近隣中学校の成績上位クラスが集まってくるため、何でもありな小中学校とはかなり雰囲気が変わる。校風はリベラルで、校長先生もその校風に沿ったユニークな方だった。
部活動は管弦楽部に入部。やっと運動部の呪縛から解き放たれる。管楽器は中学校のブラスバンド経験者が占めているため、素人は必然的に弦楽器担当。ヴァイオリンを弾くことになった。相変わらず不真面目に練習して、東大でもオケに4年間在籍したがその後はぱったり。
2年生で文系・理系のコース分け。私は理系クラスへ。成績は高校でも順調だったが、伸び悩みも出始める。そんな頃に、部活の1学年上の先輩からの勧めでZ会に入会。当時の地方在住高校生で、難関大志望の人は大半が入会していたと思う。教科書レベルを超えた難問・良問で鍛えられた。おかげで授業中は講義はスルー、ひたすら問題集を解くことに集中。部活後に家へ帰って夕飯を食べたら深夜までZ会に取り組む生活が続いた。
科目としては数学と化学は得意で、トータルでは学年トップクラスだったが、物理が苦手で平均点+α程度。これはまずい、と対策…した筈なんだが具体的な中身を思い出せない。結局教科書に沿って、一番最初の力学から復習したんだっけかな? 3年生になる頃までには苦手意識も解消。
中学生の頃からパソコンで遊んでいたので、大学は最初は東工大第5類を考えていたが、周囲からの「行けるなら上行っとけ」というプッシュで東大理Ⅰを目指すことにした。Z会にも東大コースがあるのでそちらを開始。模試は毎回A判定なので、これならいけるかなと。
センター試験の自己採点は720点ぐらいで、足切りはクリアできただろうと。当時の東大入試は、1次と2次の成績が1:4の比で加算されるので、ぶっちゃけ1次は足切りさえクリアできればオーケー、レベル。(理Ⅲは知らん)
2次試験は、前期は東大理Ⅰ、後期は東大理Ⅰの出題形式がちょっと特殊なので、トラディショナルな形式の京大工学部を受験することにした。大学受験も私立すべり止め無しの舐めプ。
初日に、得意な筈の数学で大問6問中1.5問しか解けず「これはやべぇ」と焦る。理Ⅰの合格ラインは2.5〜3問。残りの化学・物理・英語で取り返すしかないので、宿に戻って総復習。幸い2日目は好調で普段よりよく出来た感触。かつて苦手だった物理もきっちり得点源にした。
結果、現役で一発合格。
・その後
地方のお山の大将は、東大生の一部であるスーパーマンを見て我が身の程を知るわけで。いろいろあってどうにか卒業、就職してエンジニアやってます。
私個人が怖くなかったし、実際に語ってみてもやはり怖くはないから
これは不思議な話なんだ
中学生の頃、学校から家に帰って玄関を開けると、管楽器の音がした
それは、私が玄関に入った途端、まるで、楽器を吹いていることを知られたくないような様子で消えた
私には、2つ上の兄がいたが、兄は当時から友人にギターだのアンプだの借りては母に注意されていた
だから私は、また兄が友人から楽器を借りて、それを知られたくなくて急いで吹くのをやめたのだと思った
案の定、兄の部屋へ逃げるように身を滑り込ませる人影を見た
私は、隠したいなら好きにさせようと、深追いはしないでその時は見て見ぬふりをした
母にはその日の夜に、兄がまた友人から楽器を借りたようだが、私達には知られたくないようだからそっとしておいてあげてくれと言った
よく考えたら、玄関を開けてから聞いたその音を、玄関の外では私は聞いていなかった
話は少し遡るが
小さい頃、うちは両親が離婚して、私は母に引き取られた
何年も会っていなかったが、私が中学生の時、父方の祖母から父が死んだと連絡があって葬式に呼ばれていた
遺品整理の際、父が使っていたホルンを、私が譲り受ける約束になっていた
私一人では取りに行けず、しばらく祖父母に預かってもらっていたのだが
そんなの、
で解決するじゃん。
そしたら、日曜だってのに皆で集まって、朝っぱらから日が暮れるまでコンクールに向けて延々練習して擦り切れる…なんてバカげたことは起こらなくなるよ。
最初からプロに習い、レッスンで言われたことを信じて励めば、コンクール至上主義なんてアホな価値観に染まりようがないから。
てか、そんな朝から晩まで合わせる練習したからって、合奏が上手くなるなんて思ってもらっちゃ困る。そんなに音楽は甘くない。
もちろん努力は嘘をつかないが、努力した時間が多ければいいってもんじゃない。
あと、大してレベルの違わない先輩にいじくり回され、潰されるなんてリスクも回避できる。
そんで、見込みのある子はレッスンの先生が音大受験を勧めればいい。まあレアケースだろうけど。
そもそもレッスンで何を習い、何を目指すかだけど、基本的にはクラシックの協奏曲かジャズのいずれか、もしくは両方でソロを吹けるレベルを目指すべき。
そうした個人競技ベースの技量がないのに、合奏のイロハなんて教えても時間の無駄。
だって、音に芯のないフルート、ピッチの狂ったオーボエ、濁った音のクラリネット、音に品がないサックス、いつも苦しそうな音のファゴット、高音が出ないトランペット、毎度のように音を外すホルン、間抜けで汚い音のトロンボーン、存在感ゼロのユーフォニアム、やけに音が細いチューバとか、そんな下手くそが集まっても、足の引っ張り合いにしかならないし。
楽器を買うべきなのは、楽器の手入れだって演奏の一部だし、ピアノみたいな例外を除いて、どこに行っても自分の楽器で演奏するのが基本という観点による。
ちなみに安物(ただしゴミでないことが条件)でいいのは、そもそも管楽器は消耗品=買い替え前提なので、最初の楽器が壊れるレベルで使い込むくらいじゃないと、どのみち上達しないから。
連想すること自体は妥当だろう。実際に戦争の道具だったんだから。
例2:夫婦で赤ちゃんを連れて歩いていると、『この2人は性行為をしたんだな』と連想させる。
養子、片方の連れ子、実は預かっているだけなどの可能性はあるがいずれも確率としては低く、95%以上の確率で『夫婦が性行為をした結果生まれた赤ちゃん』である可能性は高い。なので連想すること自体は妥当だと考える。
例3:『叩くと冷たくなる保冷剤』に女の子を描くことは女性への暴力を連想させる。
個人的な意見として言うなら、連想すること自体はさほど突飛な想像ではないと思う。
私は実は原作を読んではいないのだが、『モデルにしてはいない』と作者は言っているしその言葉は信じるとしても、若干似ている(正確には、誘拐事件後の反応に似ている)部分があるのは確かだと聞く。
つまり、『○○を連想するから止めるべき』という批判は際限がないとは思うが、一方でそのような批判に対し『連想することそのものがおかしい』というのも妥当ではないと私は考えるのだ。
でも、『管楽器を女の子が咥えている姿は口腔性交を連想させ、管楽器は男根を連想させる』は単に言い出した人の想像力が豊かすぎるだけだと思います。
必ず釣れるレス
http://blog.livedoor.jp/goldennews/archives/51174245.html
の手法を鉄ちゃん向けに応用した元増田の勝利かな、とか俺は感じた。(笑)
同じ話を見た憶えがあったので飛びついたが、合ってて安心、ってかね。ただ、釣りじゃなくて素朴な疑問だとしても面白いは面白いよね。
で、そうなると逆に、今度は設計側を釣るレスみたいになるのかしれんが、他に方法ないのかなって気はする。
例えば、
・丸底フラスコみたいにトンネルの出入り口を膨らませて、押された空気が山肌や線路下、車両後方なんかに違う経路で抜けていく仕組みはできないものか?
・逆に出口手前でくびれを作るのはどうか?
・首都高の中央環状みたいに強力なファンを設置して気圧操作はでいないものか? (いやアレは換気の為らしいけどさ)
・ノイズキャンセラーのように逆位相の波を作ってぶつける方法は?
そしてそれらの組み合わせは――、
とかまぁ、出入口の改修ったって金掛かるし、先頭車両の形状で変化させられるなら車両の種類によって対気圧構造の形状も逆位相も変わるんじゃねーのか? いや低圧ならそれに応じて空気の抜け方を変化させりゃいいし、位相波デジタル生成なら車種によって作り分けりゃいいだけか? 結局風洞作ってやってみねーと分かんねぇのかな?
↑の元増田です。
ブコメを読んでいて色々思うことがあったので、補足説明を兼ねて追加エントリ。
その前に、まず明るめの話から。
自分が長く世話になったオケの打楽器は、今思えば神セクションだった。
「一発が拓く、まさしく一音入魂の素晴らしい瞬間」と「一発を外したときの怖さ」の両方を熟知していて、ストイックな音の追求に余念のない、セミプロ級の職人集団だった。
実際、彼らの奏でるティンパニはきちんと「旋律楽器」をやっていた。
勿論弦からも管からも信頼は厚かったし、思えば彼らの一発に何度も救われていたのだと、今頃になって思い至った。
態度も大人で、合奏中にチューナーで音取りし、それを根拠にアンサンブルでピッチを指摘されても「私の音は合ってます」と強弁して憚らない管楽器のことも悪く言わなかったし。
気づくのおせーのとプロの管楽器奏者も大概吹奏楽上がりだから主語がでけーのとで御愁傷様としか。なお吹奏楽やってる人ですらちゃんとやってればこの問題意識は持ってる。
であれば、極めつけのプロ管楽器奏者が吹奏楽をやったらどうなるん?ということで見つけたのがこの演奏。
「リード()」と思って軽い気持ちで聴き始めたけど、あっという間に引き込まれて最後まで一気に聴いてしまった。
こんなに味のある吹奏楽曲の演奏は初めてというか、ここまで繊細に表現できるなら、何も言うことない最高の演奏だと思う。
というか、この演奏を聴いて「楽器の鳴り」だの「縦の線」だの、ましてや「コンクール」とかつまんねー事言い出す奴とは、多分楽しく合奏できないと思う(笑)
アルメニアとトルコは隣国だけど、その上でトルコ軍楽隊してないのが良い。
勿論、N響管打コンバス+須川展也+外囿祥一郎というドリームチームなのはさておき。
そうなると、やはり問題は学校の吹奏楽文化か…ちなみに当該曲のWikipediaの解説は、件のサイトが以前から玉石混交であることを前提としても頭が悪すぎ(というかボキャブラリに乏しい水槽厨が書いた感が半端ない、「かわいらしく演奏」「元気よく入る」「ドスを入れるように吹き」とか失笑ものだし、まさかと思うけど顧問の指摘の受け売り?)なので、吹奏楽の格が落ちると感じた人は修正すべきだと思う。
さて、前置きが長くなったけど、ここからが本題。
運営が人づてに、毎回色んな指揮者を呼ぶんだけど、理由が「変な人に居座られたら面倒だから」。
そして運営だが、実はこのオケ、運営もほぼ全員管の人間なのだ。
だから、呼ばれる指揮者だって当然管楽器奏者目線での人選の結果となる(選曲も然り)。
これは別に弦の人間が他力本願だからではなく、運営が弦の人間を入れたがらないというのが実情だったり。
曰く
「弦は本番全乗りで運営の仕事なんてまともに出来ないだろうから」
「管は必ず降り番があるし、学校の部活でなにがしかの係を経験していて慣れてるから」
ということらしい。
次にコンマスの件。
自分がそのオケに入る前だから、もうかなり昔の話になるが、当時のコンマスが指揮者と対立してしまったことがあったそうな。
そして、あろうことか管楽器とコントラバスの人間が指揮者の肩を持ち、コンマスを追い出してしまうという結果になった。
それ以後の歴代コンマスは、弦セクションやヴァイオリンパートの指導だけを黙々とこなす人ばかりが就くようになってしまったと。
ちなみにコントラバスってメンタル的な観点で、彼らは管楽器奏者だよねというのが個人的な持論。
そもそも、他の弦パートの人に「お前そこ弾くな」とか言い放つような奴は仲間じゃねーから。
てか吹奏楽部って「そこ吹くな」は勿論、指揮者からバカとか死ねとか普通に言われるんでしょ?
なんかもう、同じ音楽人なのに生きてる世界が違いすぎて引くわー。
結局、仕事でも趣味でも、起きる問題は詰まるところ人の問題なのだと心底痛感する。
そんでもって10年以上もいて、その問題を解決どころか、多少なりともマシな状態にすら持っていけなかった自分は、社会性という視点で言ったら間違いなく無能だろう。
一連のエントリは、そんな自分のことを棚に上げて書いたものであることを白状しておく。
だから罪滅ぼしというわけではないが、今後関わるオケでは、もっと人間重視で活動できればと思っている。
まあ、トラで行ってるオケはどこも弦と管の仲が良いし、そしてその親密さから来る協調感というのだろうか、温かみのあるサウンドに結構感動しながら弾いていたり(今までが異常に冷たかったんだろうけど)。
ちょっと前に仕事の都合で遠隔地に異動となり、練習に行くにも移動時間がえらいことになったので、今は別の団体を探しつつ、たまに他団体の助っ人に行く程度。
10年以上の活動を通し、当然そのオケの美点も欠点も見えてきたわけだが、欠点と言っても、当時は特に移籍する(というか逃げ出す)ほどの強い理由にはならなかったため、なんとなくそこで弾き続けてきた。
しかし、そこをやめてから他団体の演奏を聴いたり、スポット参戦で合奏する機会が増えた結果、昔は違和感程度に感じていたオケの欠点について、だんだん怒りがこみ上げてきた。
良い思い出もある反面、その部分については「よくもやってくれたな」という気持ちが収まらない。
そしてその欠点は、恐らく日本中のアマチュア団体で散見されることだと思ったので、苦言として書き置くことにした。
問題となったのはただ一つ、吹奏楽癖の抜けない管楽器に尽きる。
とにかく木管も金管も、管弦楽という音楽がどういうものなのか、真面目に考えたことある?とツッコみたくなる吹き方なのだ。
そりゃ中学高校、人によっては小学校高学年から毎日のように練習してきたんだろうから、その貯金で演奏技術は色々と身に付いていると思う。少なくとも大学で始めた弦の人よりは。
でもねえ、だから何?って感じなんだよ。
それだけの積み重ねがあって、そんな無神経で無節操な音しか出さないんなら帰ってくれよ。
反感を買うのを承知で言うと、オケは弦の縄張りなんだよ、人数だけじゃなく音楽的にも。少なくとも現在頻繁に演奏される曲は全部そうだと思っていい。
つまり、弦が主体で音を出している(だから弦の音符の数は管楽器より遥かに多い)所に、管楽器が彩りを添えるようになっているのは、ハイドンから現在に至るまで不変なの。
例えるなら「ケーキの主体はあくまでスポンジであって、そこにクリームやフルーツがあるの!」って話。
それが何だ、「こっからソロ、私が主役としてガチで吹く」ということしか頭にない木管・ホルン、「ずーっと休符…はいここ4分音符あるから吹く、せーの!」という音しか出さない金管。
どっちも、「自分が登場するまで、弦を主体とした皆が、どんな物語を紡いできたか」を全然意識してねーじゃん。
ハナから「そんなのかんけーねー」という音で吹いて、それがどれだけ場違いかも分からない、それが気にならないことが信じられない。
オーケストラ舐めてる?
なんかもう「このケーキのクリームやフルーツはこうあるべきだから、その通りになるように全力を尽くす、ケーキはまあよろしく焼いといて」みたいな事をしている。
その結果、ケーキとクリームの味がケンカしようが、上に乗っけたフルーツの重みでケーキがクリームもろとも圧壊しようが気にしないとか、本当にそんな仕上がりになっているのだ。
これが
「そんな音でお膳立てされて、どんな音で入ればいいんだよ。もっとちゃんとやってくれないとこっちも困るんだけど」
という文句だったら全然いい。それは責められて当然であって、頑張らないといけない所だから。
「そんな不味いケーキじゃ、どんなクリームやフルーツを合わせたって美味しくならないから」みたいな話だし、それは「このケーキはこういう味と食感で攻めてきたか、そしたらクリームの味付けは…フルーツの切り方は…」という意識と気遣いがあってのことでしょ。
勿論、上の文句に当てはまらない、本当に上手な人もたまにいる。
でもそういう人は、漏れなくプロのレッスンを受けて研鑽を惜しまない人で、吹奏楽上がりというだけの人は大概ダメ。
信じられるか?社会人になってからレッスンでオーボエを始めた人が、技術面はともかく、音楽面では中学からの吹奏組よりセンス良い音してるんだぜ?
吹奏組は全員「ヘビが出てきそうな音」がチューニングにおけるデフォルトである。お前そのヌメヌメした音でソロ吹くのかよ?そうじゃないならソロの音でA出さなかったら意味なくね?そもそも合ってるように聞こえねーし。
一方、個人レッスンやってる人は本当に合わせやすい音を出してくる。聞けば「やっぱりぶら下がった音とかじゃなく…」と言っていて、全くその通りという感じだ。というか、綺麗な音で吹いてくれたら弦の人間は何も文句言わない。この感覚も、吹奏上がりには理解されないんだよなあ…当たり前だと思うんだけど。