はてなキーワード: 既製品とは
夫は、私が作ったおかずと惣菜の揚げ物を詰めただけのお弁当に対して、「自分で作っている」と表現する。(育児に追われる私に気遣ってのことらしい)
私自身、娘のお弁当はだいぶ手抜きだ。娘の好物が偏っていることもあって、既製品にも大いに頼っている。
でも、一品、二品は火を使って、自分で味付けをしたおかずを入れている。
自己満足的なこだわりかもしれないけれど、「手作り弁当」を名乗るには、それなりの条件があるように思うからだ。
果たして、今日持参した夫のお弁当は「夫が作った手作り弁当」なのだろうか??
冷凍食品を詰めるだけのお弁当も「手作り弁当」の範疇に入るのであれば、「妻が作ったおかずを詰めただけのお弁当」も「自分の手作り弁当」なのだろうか??
だが、イアリーチケットに対する不信感のせいで、存分には楽しめなかった気がする。
それでも気を取り直して楽しもうと、俺たちは頑張った。
そもそも、楽しませるために作られた遊園地で、楽しむ側が必要以上に頑張る時点で無理があるとは思ったけど、そこは譲歩しよう。
しかし、そんな俺たちの譲歩も虚しく、イアリーランドはことあるごとに“残念感”を出してくる。
「ん……この『ウェンズデイ君のカルボナーラ』……どこにウェンズデイくん要素が?」
「そのミートソースの模様じゃないか? ウェンズデイ君って、ほっぺたにグルグルあるだろ」
「えぇ……それだけ? 他にもっと……なんか、こう……あるんじゃない?」
そう言いながらドッペルは、フォークでパスタを掻き分け、その“なんか”を探している。
しばらくすると、ドッペルは無言でカルボナーラを食べ始めた。
答えは聞くまでもなさそうだ。
たまたまハズレメニューを引いただけかと思ったが、俺たちの頼んだものは悉くそんな感じだった。
キャラクターをイメージをしたとされるメニューは、どれもこじつけ気味な関連性しかない。
「ラテアートで、イアリー君のアホ毛が描かれていたんだけど、運んでるときに崩れちゃったっぽい」
「この『ニッキ・ゲーム』ってジュース。ニッキが入っているのは分かるけど、ゲーム要素は取ってつけたみたいな感じだなあ。クッキーに『ゲーム』って書いてるだけだ」
かたどったクッキーをジュースに浮かべただけだとか、プリントしたチョコをケーキに乗せただけだとか、すごく投げやりなクオリティのものが多かった。
にも関わらず、妙に値段が高いのも気になる。
こういうところのモノが高いのは分かってはいたんだけど、さっきのチケット関連の出来事も踏まえると、どうもボッタクリの印象が拭えない。
「私、同じジュース頼んだけど、こっちにはその取ってつけたゲーム要素すら入ってないわよ」
「いや、さすがに全く入ってないってことはないだろ。カップの底に沈んでるんじゃないか?」
「沈んでないわよ。ほら」
しかも、作りが安定していない。
「取り替えてもらいなよ」
「私、ムカついてるけど、やめとく。文句を言って得られるものが、クッキーひとつだなんて割に合わないもの」
普段なら、こういうことは抗議するタオナケが、ずいぶんと大人しい。
「通販とかでさ、『○○日までなら返品可能』ってのあるだろ? あれで実際に返品する人って、かなり少ないらしいぜ」
「それだけ、その商品に満足しているってことじゃないの?」
「その理由も半分くらいはあるだろうが、もう半分は『返品するためのコストが割に合わない』からだと思うんだよな」
「返品したのに割に合わないって、どういうことなの?」
「例えば、返品時の送料とかは消費者が負担しなきゃダメ、とかいう契約を設けてんだよ」
「うわ、セコい」
「それがなくても、わざわざ返品のためにダンボールに入れて、宛て先を調べて書いて、宅配業者に頼んで……面倒くさいだろ?」
満足に足らないし、後悔もしている。
けど、それを取り戻すために、労力をかける価値を感じないんだ。
『覆水盆に返らず』という諺があるが、仮に返せたとしても「別にそこまでしたくはない」という気持ちが勝るのだろう。
俺たちはレストランを出た後、真っ先に自販機で飲み物を買おうと思った。
お粗末な紛い物で満たされた口の中を、親しんだ既製品の味でリセットしたかったからだ。
こういうところの自販機って割高に設定しているもんなのに。
これだと、レストランで飲み物を頼んだ俺たちがバカにされている気分だ。
どうもイアリーランドは、価格設定が無頓着なきらいがあるらしい。
“したくなかった”のだと思う。
「そうだな、じゃあ帰ろう」と言って帰られる状況ではなかったからだ。
http://gahalog.2chblog.jp/archives/52431457.html
748: 風吹けば名無し 2018/02/10(土) 09:50:04.91 ID:j11FyUnsa
ボブスレーの知識ゼロなのに外国産のソリを分解して「こんなもんか」とコメントするなどまるでこの程度なら簡単に作れると言わんばかりにソリ作りを開始し
最終目標を「ボーイング、エアバスといった外国企業から仕事を受注すること」とボブスレーを踏み台に仕事をとることに設定していて
「下町ボブスレー」といって下町の人たちが細々と頑張ってるようなネーミングだけど実際は大企業を含む20社以上のスポンサーが集った一大プロジェクトで
プロジェクトのGMが「夢を実現するためだから」と言って短い納期で下町の人間を無賃で働かせて
それなのにメディアはオリンピックという舞台を利用して「日本の下町の技術が世界へはばたく」という感動のストーリーを作り上げようとして
自分たちも大企業から支援受けまくってソリ開発してるくせに他国の大企業がソリを作ってることを馬鹿にして
「下町の高い技術力」をウリにしてるくせに自国の代表につかってもらえず資金に乏しいジャマイカボブスレーチームに「技術」ではなく「無償提供」をエサにソリを使わせて
ジャマイカをサポートといいつつジャマイカチームのことを結果を出したら自国のソリを使わない日本の代表チームをメディアを煽って叩くための踏み台程度に考えていて
ストの影響で届かなかった日本製のソリに代わってドイツのクラブから借りたラトビア製の既製品の300万のソリに使用感で負けたことがきっかけでオリンピック本番でソリを使ってもらえず
しかもそのジャマイカがソリを使わなかった理由が下町側の発表で言っているストの影響ではなく日本製のソリが国際競争仕様になってなかったからドイツ製を借りたという海外の報道もあって
大会直前の大事な時期に2億を超える損害賠償請求をチラつかせてジャマイカの選手と国民を動揺させて使いにくい日本製のソリをオリンピックの舞台で使わせようとしたってだけじゃん
どこの誰が書いたのか知らないけれど、およそこういう話だと思う。
バカにして構わない相手を使って儲けたかっただけなのがよく分かる。
はれのひの社長が「自分だけ幸せならいいんです」と朝礼で話していた話。
良く似ている。
日本人は身内は大事にするけれど他人を大切にしない人たちだなぁって感じる。
独居する人間が多くなって孤独な人間が多くなる方向に進んでいるけれどこれでいいのか?
誰でもいつ負けるかなんて分からないのに。
外国人を受け入れられない社会だし、欧米白人様から観光客としての金が欲しいだけだし、他人はいらない認めたくない国でいいのか?
「昔アジアにあったそういう国がその後地図から消えて行きました」という反面教師的なオチで世界に教訓残すくらいしかできないんじゃないの?
それじゃ寂しいでしょ。
いやそれがどう見ても既製品って感じのを持ってる子が少ないんだよね。パッと見手作りっぽい感じだけど、よく見たら西松屋やバースデイに同じの売ってたな、みたいな。
何人かに聞いた話では、どうしても手作りじゃないといけないのか園に問い合わせたり先輩ママさんに聞いてみたりなどはしてなくて、でも作れないからしょうがない手作りっぽく見えるのを買って、入園後に先生から何か言われたらその時はなんとかしようと思ったけど、実際入園したら何も言われないのでまあいいか、って感じらしい。
保育園の方がよほど面倒だという話は聞く。袋ものの製作や雑巾縫いなどが無いからと油断してたら、紙おむつ一枚一枚に黒のマジックペンで名前書かなきゃいけない(スタンプ禁止)とか、毎日持ち帰る着替えとタオルの量半端ないとか。
うちの近所にある私立の保育園では、洋服につける名前をサインペンではなく刺繍で入れるのを推奨してるそうだ。でもこれは入園説明会の時は絶対刺繍じゃないとダメみたいに言われるんだけど、入園後に先生にそれとなく聞いてみたら「強制はしないですよ、皆さんお忙しいでしょうから」なんて言われてガックリした、と言っていた人がいた。
まさしくそういうトラブルを避けたいがためにかぶりやすい既製品は不可、としている園はあるらしい。
次女が入園予定の園(長女が通っている)は、袋ものなどの寸法を細かく指定して来るものの、手作りをするように強要してくる事はない。子供達の持ち物が手作りか既製品かなんて一々チェックしていない。たぶん9割くらいの子供達の持ち物は既製品だと思う。手作りを持たせるのはよほど手芸好きの親だけだ。
という事を私は長女が入園するまで知らなかったので、くそ真面目にミシンを入手するところから始めて必要品を無駄に手作りしてしまった。それまでずっと、手芸なんか高校の家庭科以来していなかったのに。でもそれが切っ掛けで手芸が好きになったからまあいいのかな。
時々、園道具手作りで他人にマウントをする人がいる。私はそういうの苦手だしマウント取る人だと思われるのも嫌なので、自分も手作りで園道具を用意する人間だという事は黙っている。
けれどもよく見ている人っているもので、うちの長女の持ち物を指差してこれって手作りですよね?って言って来る人がいる。
大概お世辞言われるくらいだけれども、時々、どうしてこんな無駄な事をするのか?と面と向かって言って来る人がいる。
こんなもん作るよりも買った方が安いし時間も無駄にならないとかなんとか。何処其処には良いグッズが売られてるからそこで買ったら?とかなんとか。
そうですか。
と流したらキレられた。
「だーかーらー、こんな無駄な事に金と時間をかけるよりももっと良い方法があるじゃないですか?私はそうしてるんですよ!」
そうですか。したいんならすれば良いじゃん?私には関係無いけど。……などとめっちゃ思ったけどさすがにそれは言ったらヤバイだろうと思ったので言わなかった。何も言わなかった。
よく分かんないけど、無駄な努力しないでスタイリッシュに生きてる自分を称賛されたかったのかもわからんけど、私には関係無いしそんな事で一々絡んで来られるのくそ迷惑だからほっといて欲しい。
私としても用品を手作りする事にはあまりメリットは無いと思う。強いて言うなら、全部同じ柄の布で作ると、自分の名前が読めない年少さんには柄で自分の物だって分かるので良い。でもまぁそれなら一式セットになってる製品を購入すれば良いだけのことではある。
まだ長女が一歳半の頃だった。子育て支援センターで、3歳くらいの、見知らぬ女の子から話かけられた。
「これ、うちのユウくんもおんなじのもってるよー?」
女の子はうちの長女の持っていたおむつポーチを指してそう言った。おむつポーチは、ベネッセのアンケートに答えるともれなく貰える景品だった。ポーチの側面には長女の名前がちゃんと書いてあった。
「そうなんだ?」
私が言うと、女の子は
「うん、これユウくんのとおんなじー。きょうはユウくんこれもってきてないのに、なんでこのこがもっているんだろう」
と言って、どこかへ言ってしまった。
しばらくして、私がほんの一瞬長女から目を離した時、二人の幼児の金切り声がし、驚いて振り返ると長女が先程の女の子と取っ組み合いをしていた。長女はすぐに突き飛ばされて転び、わんわん泣き出した。女の子は長女の手からおむつポーチをむしり取り抱えて逃げて行った。が、すぐに女の子はお母さんに取り押さえられた。
女の子のお母さんは泣きそうな顔で謝り、おむつポーチを返してくれた。
「だから、ユウくんのは今日は持ってきていないって、さっきお母さん言ったでしょ!ほら、ここにおともだちの名前が書いてあるよ、ユウくんのと違うよ!」
「だってぇ、それユウくんのだよ!ユウくんのとおんなじ!このこがユウくんのとったからとりかえしたのに、なんでおこるの!?これユウくんのなのに、ぜったいユウくんのなのにー!」
女の子はしゃくり上げながら言った。また長女のおむつポーチの名前を見せて、中身も違うのを確認してもらったけれども、それでも女の子は納得しなかった。
女の子のお母さんには何度も何度も謝られた。
確かに、言われる通りピカソ、ビートルズも過去のオリジナルの上塗りだと思う。
ただ、悲しいがなそれらは時代が進むにつれてオリジナルからコピーへと進化し続けるしかない。
近現代の技術発達に伴いもうオリジナルがどうとか盗作がどうとかいう時代ではない。
過去にトリスタン・ツァラが唱えたダダイズムから生まれた、デュシャンのレディメイドにしても既製品という概念をオリジナルと捉え、それを開き直って芸術としか呼んだ。創造は概念として独り歩きし始めたのだろう。ましてや写真や映画は複製芸術という言葉通りオリジナルの芸術作品なんてものは、今の現代はほぼ存在しない。ご存知の通りそれらを皮肉ってアプロプリエーションという表現もある。
オリジナルが正しいという概念を捨て、オリジナルに過去の作者の人生観や経験、普遍的観察を植え付けて概念を形や文章にして創り上げていくことが現代の創造であると個人的には考える。
この前彼氏が家に来た時に一緒に夕飯を作ったんだけど、おまけとしてスーパーでみつけた既製品の茶わん蒸しを出した。カップに入っていて、湯煎で温めて食べるやつ。
31歳の彼氏は自分で温めて自分でスプーンを出して食べていた。(かわいい。)
「茶わん蒸しおいしい?」と聞くと「おいしい」というので(かわいい)、「私が作ったやつよりおいしい?」と聞いたら、「・・・そんなことないよ」とちょっと微妙な反応だったので、たぶん私が作った茶わん蒸しより既製品のほうがおいしかったんだと思う。
「既製品のほうがおいしかったんだね(笑)。反応で分かるよ。」と言ったらちょっと焦って「いや、同じくらい!」と言った。全然フォローになってない、かわいい。
それを聞いた私の反応を見て、たぶんまずいことを言ったらしいと気付いた彼氏は困ってしまって何を言ったらいいか分からなくなって無言で愛想笑いを始めた。漫画でよくある「アセアセ」って汗が出てるシーンあるけどあんな感じ。眉毛を少しハの字にした「アセアセ」って感じの表情で無言で愛想笑いしてこっちを見てた。かわいかった。
これはただ、この哀しみを、この虚しさを、どうにも消化できないから吐き出すだけだ。完全にチラシの裏だし、なんの建設性もない。
勝手に辞めればいいと自分でも思うし、なにより、そんな断筆宣言なぞ古今東西あらゆる作家がやっては反故にしてきたものだ。なんの意味もないと言われればその通りで、反論の余地もない。
だが、それでも、もう疲れてしまったのだ。
辞めようと思った理由は、すこぶるありがちで申し訳ないのだが、サークルメンバーとのモチベーションの差だ。
これを説明するためには、少々自分語りをしなければならない。突然の自分語り! なんともかまってちゃんの香りがしてくる展開である。まぁ概ね犯人の自供シーンと大差ないので、ぜひ船越英一郎氏の気持ちになって聞いていただきたい。
私はもともと、一次創作の小説をやっていた。書き始めてから、かれこれ十五年は経っていると思う。コミケの創作島に出すようになったのは、十年ほど前だろうか。
ここで初めて手に取ってもらって、対価と引き換えに本を渡した時の感動が、などと書けたら美しいことこの上ないのだが、残念なことに、私は自分の本が人の手に渡る瞬間を見たことは数えるほどしかない。なぜなら、どういうわけか知らないが、私がいるとみんな手に取ってくれないのだ。いないときに限って出るし、いないときに限って売り子に「〇〇さんですか?」などと声をかける。みんな、もっと本人がいるときに話しかけてくれていいのよ?
そんなこんなでのらりくらりと本を出し続けること約十年。ひょんな事から商業で本を出してみたり、ずっと書いていた物語が一区切りしたりで、コミケから足が遠のいていた私だったが、仲間内数名の酒の席で、とある二次創作で大盛り上がりをした。コミケで本を出そうという話になった。
ディレクションが一人、ライターが私含めて三人というメンバーだったが、私を除く二人は早々に脱落した。まぁそれは別に構わない。色々な理由があって書けないと判断するのは、それはそれで正しいことだ。
仕方ないねと思いながら書き上げてみれば、ディレクションしていた人物は、特に上がってきた話に対してのコメントはなかった。さらにいうのなら、その人物は何一つ、そう何ひとつ、サークルに益をもたらすような行動をしなかった。
今思えばディレクションとはなんだったのだろうか。商業で物作りをしているとかの人物は言っていたが、妄想のタネを配り歩くことを物作りであるというのかもしれない。それならそれで私の考えるものとは全く違う。
話を戻そう。その人物は、本のレイアウトまではかろうじてやっていた。だが、告知のための行動であるとかは一切せず、表紙に絵をつけようという話さえ黙殺し、空の写真を貼ってキレーとか言っていた。その空の写真と作中の物語には何か関係があるのだろうか。未だにわからない。
なんでそんなに消極的な行動しかしないのか、ちゃんと物を出す気はないのか、と問うたところ、かの人物は、趣味だからそこまでやる気はない、と宣った。
曰く。自分は物作りを仕事にしており、趣味である以上、仕事ほどの労力をかけたくはなく、趣味の範疇で物事を行いたい、だという。
まぁそれは否定はしない。各々のスタンスは違うだろう。ただそれでも、あの日、酔っ払いながら語った物語は、間違いなく面白かった。それを、必ず劣化するとはいえ、この世に存在するものとして送り出すことに、なぜ少しの手間さえ惜しむのか。だいたい、忙しいと言っているがドラクエXIやってんじゃねーかというツッコミは心の中でだけした。
そして迎えたコミケの日。私の前には、私が書いた物語があった。だがそれは、中身はともかくとして、外身はどう見ても他のものに負けている。もちろんそれが、物語を色褪せさせるものでないことは理解している。だが、そういうパッケージとは、タイトルのフォントひとつ、本文のインデントの1mmにまで拘ったパッケージとは、物語として完結してしまったモノに、我々が贈ることのできる最期の手向けなのだ。
会場には様々な本があり、彩りは様々だ。そのいずれもが、様々な制約の中、描き手が精一杯作り上げたものだろう。
翻って、自分の本はどうだろう。本文には妥協はない。少なくとも、自分が面白いと思うものを詰め込んだ。だが、例えるならばその本が纏うドレスは、妥協に妥協を重ねた、見すぼらしい、安っぽい既製品のようだった。
近くに、同じような内容の本があった。まぁネタ被りなどよくあることだ。内容は知らないが、そのパッケージは、とても良くできていた。これが愛だろうか、と思ってしまった。
そちらのサークルは、軽く数百部。翻って我々は三部。ディレクターは、あっちは印刷に百万ぐらい使ってるんだから仕方ないみたいなことを言っていたが、それがどうしたというのだろうか。
ああ、もういいかな、と。
そのあとは、逃げるように家に帰った。まさか自分の行動を逃げるように、だなんて表現する日が来るとは思いもよらなかったが、事実は小説より奇なりだ。
一眠りすればこの空虚な気持ちも回復するかと思ったが、どうにも戻らないところを見ると、本当に私は心の底から、創作にまつわる全てに失望しているらしい。
もっとも、自分が書かなくとも世の中にはごまんと物語が溢れているし、たかだか商業で本を何冊か書いたぐらいの弱小ライターだ。一人消えたところでなんの影響もない。というより、99%の人間は大なり小なりこういうエピソードで心折られて筆も折るのだろう。
別に彼らと自分が違っている、だなんて思ったことはない。だが、こういう風に筆を折るなんて、少しばかり、いや、だいぶ哀しい。
もう、私は彼らと創作の話をすることはないだろう。スタンスの違い、などでは許容できないほどに、私の物語は蔑ろにされた。それを笑って見過ごせるほど、私は大人ではない。
吐き出してみればすっきりするかと思ったが、存外そうでもないものだ。それどころか、自分の未練を知覚するまである。
だが、今はとにかく、創作というものに喪失感しか覚えていない。だから辞めようと思う。
今までありがとう。
ここまで長い(原稿用紙6枚もあるらしい) チラ裏を、全て読んでくれていたとしたら、ただただ感謝する。
あと、コミケで出展するたびにブースに足を運んでくれた人。本屋で私の小説を買ってくれた人。今まで本当にありがとうございました。
はてななんでこれ消したんや!!! 誰直也さんとも言ってないやんけ
1番(右) | 五反田のデリヘル嬢に本番強要した挙句不倫関係に突入する。 |
2番(二) | 自分が技術顧問を務める会社の悪口を言う。 |
3番(一) | 年収2500万円、はてなの株で少なくとも1億円以上の資産があるにも関わらず、ブラックリスト入りしている嫁が浪費家のせいで金がない。そのせいで慰謝料が払えず離婚ができない。 |
4番(指) | 不倫相手に無修正ハメ撮り動画をネットに公開される。 |
5番(左) | あんなブログを公開されたにも関わらず、その5日後には不倫相手に会ってセックスする。 |
6番(中) | 不倫相手のLINEだけ通知オフ(仲がこじれる前)。 |
7番(三) | 手作りチョコをもらっておきながら「既製品の方が美味しい」。 |
8番(捕) | 不倫相手を雨の中40分間も放置した挙句に逆ギレ。メニューを放り投げて「腹減ってんだろ、好きに頼めよ。俺は食欲ない」。 |
9番(遊) | エレベーターでキスしたり不倫相手のパンツに手を入れたりする。雑居ビルの階段の途中で手マンする。ビルの階段の陰になったところでフェラさせる。 |
投手 | 無免許運転で箱根の温泉までドライブしてセックスする。 |
投手2 | 不倫相手に「妊娠したら責任取る」と言って中出しておきながら妊娠したら中絶させる。しかも中絶費用を払わないどころか謝罪もしない。さらに「4月になったらもう一度子供を作ろう」と言って、後に反故にする。 |
中継ぎ | 秒速アウトプット(早漏)過ぎて外出しできてない。不倫相手曰く「みこすり半という表現がまさに正しい」。それを棚に上げて「俺外に出したと思う」と無茶な言い逃れをする。 |
抑え | 助けを求めて叫ぶ不倫相手をアスファルトの上を引きずって交番に放り込む。 |
代打 | 不倫相手を雨の中40分間も放置した挙句に逆ギレ。メニューを放り投げて「腹減ってんだろ、好きに頼めよ。俺は食欲ない」。 |
代走 | 「別れる時は1,000万払う」と言っておきながら当然のごとく反故にする。 |
監督 | 「おまんこに、じゅぽじゅぽちんちん、こすりたい」(俳句) |
https://anond.hatelabo.jp/20170801235400
自分の場合は初Windousが初自作という無謀ぶりだった。
20年程前。懐かしいなあ。
あの頃はちょうどフロッピー→CDでないとインストールできなかったのがOEM版windows98だとCDから直接CDでインストール出来るようになってみんな「便利になったなぁ!」って感動してた頃。
ただ自分の数年前の人はフロッピー20枚だか30枚だかを延々入れてWin95インストールしてたらしいから、それに比べると十分ヌルいんだけど。
ま、昔話はそれくらいにして、自分の場合はその後10年以上仕事でも私用でも自作を使い続けてきたんだけど、段々自作のコストメリットや手間が割に合わなく感じるようになってきたので、
仕事用はDell・エプソンダイレクト・HP等の既製品、私用はノートPC+モニタに切り替えようとした。
…が、全く性に合わず数年で自作に戻した。
PCを新規導入する時の面倒さって
1.ハードを組み上げる
2.Windowをインストールする
3.自分の環境になるようソフトをインストールする
なんだけど、よくよく考えてみると1と2は大した事なくて(特に2は無茶苦茶簡単に素早くできるようになった)、ほとんどの手間は3である事に気付いてしまったのだった。
で、既成PCを買う事で省ける手間って1から2までなんだよね。だったら自作でいいやん…って感じで。
結局ゴチャゴチャソフトが入っているPCを使うのが嫌なので、素のWindowsが使える自作に戻っていった。
逆に言うと、現代における自作の一番のメリットと言うか魅力って「素のWindowsが使える」と言う一点にあると思う。
アンドロイドにおけるNexusみたいなもん。
一方自作PCを選ばない理由は多い。
自作しているとデカいケースに魅力を感じるようになるが、普段使うには邪魔に感じる事が多くなってきた。
昔に比べるとほとんど何でもUSBでつながるし、光学ドライブを使う機会は減ったし、拡張性はあまり要らなくなってきた。つまりデカくなくても良い。
CPUを変えたくなる頃には、他のパーツ(と言うかCPUとマザーとメモリの3点セットだけど)も変わっているため、新しいCPUに変えたいと思ったらマザーから変えてやらないといけない→結局一からやり直し
Dellはデスクトップ2台とノート1台を同時に買ったのだが、デスクトップは2年で3回くらい故障して(確かマザボ周りの故障だった)最後は電源がイカれて使える部品だけ自作PCに移植して退役してもらった。
Dellは一見BTO風なんだが独自規格が多くてパーツが使い回ししにくい。あと電源がダメで二度と買いたくない。
ちなみにもう一台のノートはデスクトップと違い優等生で、故障もなく元気に働いていたのだが3年経って保証が切れてすぐに(ホントにすぐに)画面がダメになったんで買い換えた。
絵に描いたような優等生だ。
エプソンはそれに比べるとずいぶんマトモだとは思うが、他の人も書いているようにBTOのPCはパーツを少し良いものに変えようと思うと、凄く高くなる。
メモリを通販で買う、HDDモデルを買ってSSDに換装するなどすればコスパは上がるが「それやったらBTO買う意味あんま無いやん?!」て気になるので、ここ数年はあまり買ってない。
あと、エプソンでは省スペースPC(一時はネットトップとか言ってたんだっけ?)も数台買ったが、こちらは寿命が同社の他のPCより短かかった。
で、今はと言うと、仕事用にインテルのNUCを買ってみたところ気に入ったので、仕事用に既に5,6台買って使っている。
今年からは私用にも使っている。
自作感はかなり薄いがこれだって一応自作…かな?
ただし、コスパあんまり考えずに買ってるので普段は気にしてないが、冷静に考えてみると凄く割高かも…って気はしてる。後悔はしていない。
費用の事を全く無視して「とにかく自作やってみたい!」と言うのなら入門用には最適と言う気もするが、凄く的外れな事を言っているような気もする。
あと、こちらも省スペースPCであるので、寿命が短いのかもしれんなぁ…とは思っている(まだそれほど長期間使っていない)
とりとめもない上に、最初の数年は3Dゲームをしていたが、それ以降全くそっち方面への興味が無くなってしまった人間の話なので、元増田にはあんまり参考にならなさそうな話で申し訳ない。
別にせんとくんが登場したからというわけではなく、奈良のキャラは昔からだいたい鹿でだいたい鹿せんべいが好き。もちろん、雪丸(王寺町)、たけまるくん(生駒市)、蓮花ちゃん(葛城市)、よどりちゃん(大淀町)といった鹿キャラじゃないのもいるけれど、例えば大仏のキャラがやまとくん(わかくさ国体)、にこにこだいちゃん(奈良特産品)、みらいくん(JAならけん)くらいなのに対し、鹿は着ぐるみだけで40体ほど。
スライサーしてあくぬいて水きってオーブントースターでやってみた
出来はノンオイルでパリパリにできた
コツは途中で適宜裏返すこととアルミホイルを敷くことかな
でも正直、チップスというよりおかき、せんべいって感じの出来で、チップス求めて食べるとかなり物足りないバカ舌な私・・・
あとやっぱり焼くのがめんどくさい(途中で裏返したりとか)し時間かかる
スライサーしたじゃがいもを放射状に立てる器具(排水口裏返したみたいなやつ)でオーブンで焼いたらもうちょい手間は違うかな?
あっでも今調べたらチップすの厚さが2mmもいるらしい・・・それじゃスライサーだとだめだわ・・・
オリーブオイルを後からふりかけてみたら、といわれてやってみたけど、やっぱり冷えた油をまぶす程度じゃべとべとするだけで全然おいしくならなかった
健康的な油(?)使って一気に揚げたほうがいろいろとラクだしおいしいねやっぱり
フライパンに浅く油しいて揚げるのが一番だな
うーんなんとかあと1回くらいやりたいな・・・
スルーした方が良いかなと思ったんだけどすごく怒ってるみたいだからもし知らなかったら気の毒と思って追記するね
幅広甲高増田は、履き口(スロート)部分の革が柔らかい/履き口自体広く作られているものを選んでみてね
試着した時に小指と薬指の指の又部分が履き口から出ちゃうくらい先っちょ部分が少ないもの(=覆わないので甲に当たらない、横にも圧迫しづらい)もあるよ。安物で申し訳ないけど最近そういうパンプスと出会ったメーカーはルタロン。ランダもすごく幅広のラインやかなりのサイズ展開ある
あと、冬は微妙かもしれないけど甲高幅広の人にはサイドオープンタイプのパンプスもおすすめ革が伸びやすいし横向きの力が全然かからない。ついでに蒸れない
もちろん冠婚葬祭にしか履かないのであれば一足オーダーしておくのがいいと思う、なぜなら既製品の靴は日常的に履かないと足になじまないから
すてきな一足に出会えるといいですね
幅広甲高の足ナメんな
まず普通の既製品の靴はパンプスな時点で大多数が物理的に入らねえ
足先が靴の中に納まらねえんだよ
コンフォートシューズのメーカーで探しまくってやっと脱げない長さだけどまともに足先が入る靴が見つかる状態
それでもただでさえぎゅうぎゅうに詰め込んでるわけだから、ヒールが高くて足先に体重かかると痛くて歩けん
選ぶ楽しさ?そんなもんねえよ無難な形で履けさえすれば何でもいい状態だよそれでもなかなか見つからない
オーダーすりゃいいんだろうが高いしさ
キビラとかどうなんかな、でも安いけど見た目からして質悪いよなああれ
あの値段で質が良いもの出せる訳ないんだけど
まあ今後ビジネスシューズ履かなければならない仕事に就く予定なんかないから別にいいんだけど(つーか無理、万が一それを強いられたらオーダーするしかないわ)
冠婚葬祭が面倒過ぎる
それも滅多にないけどさ
茹でた羊の内臓(心臓、肝臓、肺)のミンチ、オート麦、たまねぎ、ハーブを刻み、牛脂とともに羊の胃袋に詰めて茹るか蒸した
プディング(詰め物料理)の一種である。さまざまなバリエーションが存在し、内臓は主として肝臓が使われるが、心臓や腎臓を
使う場合も多い。近年では胡椒などの香辛料を使うことが一般的となっている。
こってりしており、スコッチ・ウイスキーとともに供せられる。ウイスキーを振りかけて食べることも多い。
スコットランドでは一般的な食べ物で、既製品を肉屋で購入できる。
近年では動物の胃袋の代わりにビニールで包んだ商品や、缶詰などもあり、ベジタリアン用の野菜で作られたハギスも存在する。
但しハギスに限らず、動物の臓物料理は古今東西を問わず各民族において一般的であり、好悪は調理法・味付け(スパイスワーク)に