はてなキーワード: 感情移入とは
バリバリ働く編集ウーマンがメイン主人公で、それを取り巻いたり取り巻かなかったりするいろんな働く人を描いたオムニバス形式の漫画
面白かった
監督不行届で安野モヨコっておもしれえなって思って、はじめて本来の作品を読んでみたって感じ
なんかあれだな、東京トイボックスシリーズ読んだときの感覚と似てる
うずうずしてくるっていうかもやもやしてくるっていうか、自分にゆさぶりをかけてくる本
1巻あたりの濃さもすごい
たった4巻なのにアニメ、ドラマとかいろいろ展開した理由もわかるわ
面白いもん
惜しむらくは続きがでなさそうってことか・・・
でもオムニバス形式だし一応4巻ですっきりしてはいるからここで完結でも違和感ない感じではある
あっちは具体的な仕事について掘り下げてて特殊な世界の話って感じがして作中と自分との間に壁があったけど、こっちは働き方ってのをテーマに据えてるから、
作画が完璧で、非常に可愛かった。ズラ丸最高。また、作画について言えば、全体的に幼くなってた印象で、例えば果南とか最初もっとキツかった感じがしたけど、目元とか丸くなって可愛らしさがアップしたと思う。
シナリオが粗い。1期最終回から1年間という期間は短かったため、手始めのシナリオは急ごしらえになってしまったのだとしたら、これはマネジメントの責任だが、1期最終回の評判の悪さを知っててなおこれだとしたら絶望的。
ネットのまとめサイトではまた廃校ネタ持ち出すの、といった感想があったが全くその通りで、一つのアニメの第1話の展開としてあまりにも盛り上がりに欠けるのではないか。そして、輝きたい!とか超抽象的なワードの連呼、これはaqoursのテーマになってるのかもしれないけど、どこらへんを指して、または具体的に何をすることが輝く、ということなのか観ていて分からない。だから全体的にふわっとした印象になる。μ'sなら廃校阻止、次にラブライブ制覇という明確な目標があったけど、aqoursの目標ってなによっていうのが分からない。これからどういう流れで話が広がっていくのか掴めない、だから観ていて不安になる。キャッチーな楽曲を出すでもなく、新たな展開を見せるだけでもなく、1話からこれか〜って感じがしたのは私だけではないんじゃないか。
aqoursのいいところは都会と地方の比較という点において、地方の緩やかで落ち着いた雰囲気であると思う。μ'sもお嬢様学校という特殊な環境ではあるが、秋葉とか都会の真ん中にあるので多少雑然とした感じがあるし、中央ゆえ、A-RISEとかライバル校に常に脅かされているような描写から緊張感も多少あった。
沼津は田舎でありかつ景観もいい、ライバルも今のところ2人組の戦闘力が高いのか低いのかよくわからないユニット位しか意識しないから(忘れているだけかもしれないが)、安定的な環境の中、学園の廃校とか問題はあるけど、こまけぇこたぁいいんだよ的な感じで、キャラクターの成長を安心して見ていられる。それはそれで萌えキャラアニメ(死語?)としては良いことだと思う。もはやズラ丸が可愛いアニメとして見続けるだろう。
先程触れた緊張感だが、μ'sとの違いについては、アニメ化されるまでの期間も考えておきたい。つまり、私はこのあたり不勉強だけど、アプリ先行で、アニメ化するまで色々な試行錯誤があったとのことで、PVとか見ているとアニメとは明らかにキャラクターとか世界観の設定が違っていたり、3Dモデルのカクカク具合が見ていて不安になる辺りなど、アニメから入った組としては、まだ未完成である印象が強い。アニメでも最初の頃は3Dモデルはもうちょっとなんとかならないか、と思ったことは少なくはない。
何が言いたいかというと、μ'sには、廃校阻止という明確なミッションがあり、かつ中央にあるがゆえの競争的環境にあり、更にコンテンツ的にも発展途中であった、キャラクターのアイデンティティー含め不安定な要素があったため、常に緊張感を見るものに与えた。そして、3年生の卒業というテーマは、ラブライブの総括的な位置づけにもなったため、アニメ以前のPVとかの歴史をある程度知っている人間にとっては、それなりのカタルシスだったのではないだろうか。
そして、aqoursにはそれがない。環境の緊張感もなければ歴史もなく、単なる二番煎じ。非常に不利だし、ズラ丸が可愛そうである。
この二番煎じという点は、想像するに、μ'sの成功体験を前提とした企画段階において、保守的な意見が勝ったのではないか。そうでなければこんなシナリオは書きようがない。
これはもしかしたら海外展開の観点から、そうせざるを得なかったのかもしれない、知らんけど。
もしμ'sと差別化しよう、という観点があったとすれば、例えば町おこし、とか、もしくはラブライブ出場ではなくもっとヒューマンドラマ的な展開に焦点を当てるとか、こういったテーマは過去にやってるだろうから、なんかのドラマをパクるとかやりようがあるだろう。その場合楽曲もμ'sより少なくなるかもしれないが、明らかにμ'sより楽曲の質が変わっているので、それはそれでありなのでは無いだろうか。とにかく下手したら劣化μ’sの烙印を押されかねないこの展開をなんとかして避けてほしいのである。まあ言ってももう遅いだろうけど。
楽曲について触れたのでそれについても言わせていただくと、今回をきっかけに、改めて昔のPVやら曲やらを見た次第である。すると明らかにμ'sとaqoursの曲の質が違う。まあこんなことは私のようなニワカ者ではなく、ファンの方々で話し尽くされているだろうから細かくは語らないけれども、一言で言うとパンチが足りない。
これはμ'sの初期設定が割と普通の高校生っぽい感じで描かれており、青春というテーマを直接的に感じさせるためかもしれない。つまり、言い表すのが難しいけれど、青春といった普遍的かつ情緒的なテーマで訴えかけてくるため、私は女子高生ではないけれど、ちょっと感情移入するのだ。古今東西やられてきたこのテーマだが、短い青春、一瞬で過ぎてしまう今を精一杯楽しみたいという、切なさである。そこでキャラクター性がそこまで確立していないPV、そして畑亜貴のキャッチーな曲は、感情にバッチリ訴えかけてくるのだ。
一方aqoursについては、まあアニメが始まるまでの期間はあるにしても、μ'sの前提知識がある状態で見ており、展開が読める。そして、まあ正直に言うと曲もちょっとトーンダウンしている。恋アクとかはμ'sに負けず劣らずだと思うけど…
だから、印象がμ'sに比べてどうしても薄くなってしまう。非常に不利だし、ズラ丸が可愛そうである。
述べたことは、そんなこと続編であれば普遍的に言えることと、と言われるだろう。aqoursが劣化μ'sとしての誹りを免れないだろうと諦めてはいる。
それでも頑張って欲しいのはひとえにズラ丸が可愛いからである。ズラ丸だけではない、ダイヤ、ルビィ、果南など、お嫁さんにしたいキャラは実はμ'sよりaquasのが多い。地方という部分も好きだ。だから、いいかげんμ's、μ's言うのはやめて、aquasらしい活躍をしてほしいのです。μ'sのプロットを改悪して乗り切ることはしないでほしいのです。
精神と時の部屋やカンヅメカンみたいな効果を持った不思議な機械の力で私の精神とゲーム機だけを加速させて5時間の間に50時間分のゲーム体験をしたい。
今だとたとえばDQ11とかP4とか一度やってみたいんだけど、そのために50時間も使う気はないんだ。
とはいえやりたい気持ちは確かに存在するのでこの方法によって解決したい。
『三日間有給を使って徹夜でやりこめばいい』と思う人もいるだろうけどそうじゃないんだ。
1万円するステーキが食いたいんだけど千円しか金は出したくないってのと何も変わらないもんな。
ああそうですよ私が間違ってる。
なんだろうなあ。
かっこいいオッサンや可愛い女の子と一緒に冒険したり、こつこつLV upを繰り返したい気持ちはあるのさ。
どこかで見たような話を稚拙なテキストでなぞるだけのシナリオなのに、BGMや演出による効果と自分がコントローラーを握り続けた事による感情移入のせいで大げさに感動しちまいたさ。
溜め込んだ回復アイテムをふんだんに使ってラスボスをボコボコにしたいさ。
でもそれに時間を使うのは勿体無いぞともう一人の自分が叫び続けてるんだ。
そんななかでダラダラゲームなんてやっても、時間の価値を知らなかった中学生の頃みたいには楽しめない。
ああそうだ。
結局はあの頃みたいに、人生をジャブジャブ使っている事に無関心なままで呑気に涎垂らしてコントローラーポチポチ押してたいのさ。
今はもう駄目だ。
たとえばゲームオーバーになった時の感覚が昔と今じゃぜんぜん違うんだ。
子供の頃はゲームオーバーになると、画面の中で自分が敗北したことにショックを受けていたもんさ。
でも今は違う。
ゲームオーバーになって最初に感じるのは、あちゃあクリアにかかる時間が増えちまったぞ、さ。
過程を楽しむ余裕が無くなってる。
テキストは最高速にしてスキップスレスレのスピードで読み進めてる。
WIKIを見てないときでも、ロールプレイガン無視の最強装備の事しか考えない。
ルート分岐の気配を感じたら一周目からWIKIをなぞるだけの作業の始まりさ。
ネタバレを見ることよりも、分岐失敗で周回回数が余計に増えることの方が怖いんだ。
なんだこれ。
もうゲームなんてやめちまえ。
年に数本遊ぶかどうか。
でもまた味わいたいんだ。
あの頃のゲームへの没入感を。
僕も怠惰なので出来る限り手作業は避けたいタチで「効率化を認めないアホ会社死ね!」と感情移入してたんだけど
ただこの効率化を上手にプレゼンする力も重要だなあ、とも思えるようになった。
その、話し合いが終わってから冷静な文章で実話を書いてるから理路整然とした人が迫害される儚さを感じてしまうけど、
実際その場でちゃんと効率化を説明できていたのか、上司や同僚のスキルとアンマッチしていなかったか?
そういう所が気になりだした感じかなあ
ごめんね。
だから、あなたの知ってる世界には、頭も良く、容姿も優れていて、政治や経済をどうしたらよくできるか日夜奮闘している人はいないのかもしれないし、
私はあなたを見ても、「頭の悪い大学にいる『頭の良い人』を頭の良い人だと思うなんて、頭が悪い人だなー」って、一面的な感想を抱いてしまうんです。
私は貴方と違って、卑屈になる程容姿が悪くないし、偏差値の高い大学に行ったし、恋人もいるけど、経済と政治について悩んだり考えたりしているから。
でも確かに、毎日に不満がある人ほど、自分ではどうしようもなくて人のせいにできる、政治とか経済とか社会問題に感情移入しやすいというのはあると思う。
話はおもしろいよ。「お金取る」という視点でも、十分及第レベルだと思う。細かい設定の詰めが甘いとかいろいろあるけど、たとえばハンター×ハンターだって連載当初はもっと設定甘かったと思うし、それは別に傷ではない。
むしろ問題は絵と見せ方のほうだと思った。絵に関しては「読んでと頼まれれば一応最後までは読めるレベル」という感じで、うまい下手というよりは「こだわり」と「見せ方」がハッキリしてないところが読みにくい原因だと思う。漫画は記号だから省略は当然ある。でも、それは「ある意思の下に行われる省略」であるべきで、「ここはこのくらい書いておけばまあいいだろう」というような省略ではない。たとえば森薫の「乙嫁語り」なんて、一般の漫画の常識からすれば不要な馬鹿みたいな刺繍の一つ一つまでの手書きが行われているけど、「これは省略すべからず」という書き手の強い意思により成立している漫画表現だとわかるので(好き嫌いは別として)安心感がある。逆に人物の顔とかは「表情がくっきり魅力的に見えればよし」で大胆に省略されている。けど、それはそれで筆者の意図が十分感じられるから破綻しない。
それに比べれば、この漫画は「省略に意図が感じられにくい」んだよね。たとえば、第一話の最初、主人公の一人の登場コマだけど、WARNING(のAが抜けてるのはまあいいとして)の看板が「闇の中で光ってる」なら、周囲もぼんやりと光り周りは暗く沈むはず、主人公の魔方陣みたいのも、一応光ってる描写っぽいけど主人公の体や顔がその光に照らされているように見えるはずだけど、そういう描写はなし。これは、「実際にそう見える」ことを表現したいのか単に省略してしまったのか、読み手にわかりづらい。背景の書き込みを見ればある程度リアルを志向しているように見えるコマなのに、そういう陰影の描写が省略されているので、どのレベルで絵をみたらいいかわからない。うまい下手ではなく「下手に見える」書き方をしていると思う。
同じことは第一話2ページめのおどろおどろしい「らしい」ドラゴンみたいな敵の絵にもいえる。最初見たとき、「最初に登場する敵の絵が白抜きとか手抜きもはなはだしい。全然怖く見えないから、しっかり書き込み、むしろ周囲のほうを明るくして敵のインパクトを出すべき」とか思った。後の方を読んで「ああ、一応白くやや透明?に光っている?描写のつもりなのか」とわかったけど、それならそれで(線をくっきり書くのはおかしいし)もっと描きようがあるはず。あんなクッキリした線で体の中は白い、だと、書き込み忘れの白抜きにしか見えない。そもそも、うすら透明な敵がいかに大きくても、それでは絵的な恐怖感を出すのは難しい。破壊される町の建物、吹き上がる黒煙、闇から突然現れる敵、あるいは高見から見下ろす恐怖に満ちた人の顔、みたいなやり方で描写すべきではなかったか。
繰り返すけど、これは絵的な「上手下手」というよりは「見せ方」の問題。どこまで書き込めという話ではないんだけど、あの見せ方では省略や演出に意図が感じられない。
実は似たようなことはプロットにおいてもいえることではある。白っぽい(無邪気、明るい、金髪)主人公と黒っぽい(有能、孤独、黒髪)主人公、その対比のさせ方は定番でまあいいんだけど、筆者が描きたいのはそもそもどちらなのか? どちらに寄せて物語を書きたいのかわからない。 たぶん後者だろうと想像するんだけど(善人というのは物語上あまりおもしろい存在ではないので)、筆者がこの二人から少し離れたところにいて眺めているような描写がおおいせいで、筆者=豚の人? と思ってしまう。そのせいで、読者まで豚の人に感情移入して読まなきゃいけないのかと思わされてしまう。中間管理職の悲哀とか美少女に翻弄される豚の喜びとかを描きたいなら別にそれはそれでいいんだけど、一応「美少女の活躍」をメインに描く構想なら、もっと美少女に寄った描写が行われるべき。誰かが描いてたけど、攻殻機動隊など参考にするのがよいと思う。現状、一番気持ちが伝わってくるのは豚の人だ。そういう演出、斬新といえば斬新だけど、読みたいかといわれるとちょっと困る。おそらく筆者の意図とは違うのではないかと思うので、これも修正が必要。
もし、ここから成長があるなら読みたい気持ちも少しある。が、誰かが書いているように、増田の才能はラノベとかそっちのほうにあるんじゃないかなあ。無理にコマ割とかポーズとか演出の勉強に時間を割くより、作劇の勉強をしてラノベ作家とか脚本家、企画屋みたいな方向を目指すのが適していると思う。まあ、そっちの方向で飯を食うなら、こういう話を10本/年ほど量産するパワーが求められると思うけど。
≫話をもっとゆっくり進めていい。このペースでトントン進められると登場人物に感情移入するのが難しい
キャラ立てもっと大事にすべきでしたね。懸念事項ではありましたが、他者からはっきり言われると目標が明確になります
各イベントも登場人物の人間性が浮き出るシーンを中心に描写していこうと思います。
≫ストーリーの中に早く描きたくて仕方がないシーンがある
これです。気ばかり焦ってしまって、やはりキャラに感情移入してもらえるの大事ですね。
漫画として安定出力できる画風探っていきたいです!
ダイナミズム。雰囲気では分かるけどうーーーーん分かるけど言語化できない。精進します。
≫増田のような奴には売れてほしいと思う
まじで
設定やネタ、アイデアを沢山溜め込んでるのはわかるけど、話をもっとゆっくり進めていい。このペースでトントン進められると登場人物に感情移入するのが難しい。
おそらくストーリーの中に早く描きたくて仕方がないシーンがあるのだとは思うが、細かい部分の説明なんかもあとがきの文章ではなく漫画でじっくり表現してくれ。
画力のバラつき、というよりはコマによって手を抜いている感じがあるなあ。絵はとても上手いと思う、それ故かえってそのバラつきが目立つように思う。
話はこれから面白くなるのだろうから何も言えないが、前述したように描き急ぐと漫画特有のダイナミズムもクソもない設定を読むだけの作品になりそうなので気をつけられたし。
友達が魔道士モノのWEB漫画から商業デビューして、売れずに今は会社員やってる。
身近にそういう人間がいたからこそ増田のような奴には売れてほしいと思う。
続き楽しみにしてる。がんばって。
リアルタイムで見て笑ってたけどね、 保毛尾田保毛男。
同性愛者ってのは、「美輪明宏とかカルーセル麻紀」みたいな人か、「おすぎとピーコ」みたいな人か、「保毛尾田保毛男」みたいな人くらいしか身近に知ってるロールモデルがなかったから、自分が広い意味でその仲間だとは思わんかったわ。
男の子に凄く興味があるってわけじゃないけれど、あんまりスカートめくりとか、女の子にちょっかいだしたりすることには興味がない子供だったかな。
で、思春期で体が成熟し始めると、エッチなことに興味はあって、一人エッチも覚えたけど、その欲望を同性に向けるって方向にはなかなかいかなかった。
多分、「男を好きになるということは、ロールモデルの人たちみたくなるってことだ」という意識がどこかにあって、それに違和感があったからじゃないかと思う。
で、いつごろから自覚ができてきたかというと、一つにはいろいろAV見てるうちに、男優がちょっとイケてる男で、しかもお姉さんに襲われるような感じの作品だと、妙に興奮して、しかもどちらかというと「女優を見たい」というより、男優のほうに感情移入してる自分に気づいたことと、(もし、ここで止まっていたら、単なるM男で止まっていたかもれんな)、もう一つは、当時、新興だったゲイ雑誌をたまたま見かけて、積極的に多様で新しいゲイの在り方をしったから、というのが大きい。
それ以前のゲイ雑誌って「薔薇族」なわけで、それはそれでちょっと自分の感覚とは違った。
なお、この「新興だったゲイ雑誌」で編集者をしていたのが、今をときめくマツコ・デラックスだったりするのだけれど。
で、その雑誌で何を学んだかというと、普通に「ノンケのおしゃれな男」や「イケてるサラリーマン」みたいな同性愛者も世の中には存在するし、一口に同性愛者といっても色々なあり方があるっていうことが一番大きいかな。
女装したり、女っぽい仕草でお姉言葉をつかうのだけがゲイじゃない。
保毛尾田保毛男が四半世紀前のテレビにおける同性愛者のステレオタイプとすれば、女装やオネエばっかりだして笑いとるのも充分ステレオタイプだ。
まあ、それでも、四半世紀前に比べれば、ずいぶん世の中の認識は良い方向に変わったもんだ、と思うけど。
もし、今のとんねるずが「あの伝説の保毛尾田保毛男を今夜ふたたび!」とかやったら、さすがに怒るが、かつてのギャグとしてVTR流しただけだしな。
なんというか、あまり向きになって抗議するのって、江戸時代の文書から差別用語を削除しろっていってるような感じがしなくもない。
あ、そうか。「このキャラクターには差別的な側面が含まれますが、30周年記念番組という趣旨にかんがみ、当時のまま放映します」とかテロップいれときゃよかったんかな?
まあ、積極的に差別と偏見を打破するために活動している人たちには敬意を表するけれど、なんだかうっとおしいなあ、とか思ってしまったのは確か。
なんか「巨人の星」に「父ちゃんは、日本一の日雇い人夫です!」ってセリフがあるからテレビでそのまま再放送できない、と聞いた時の一抹のうっとおしさと、どこかで通じ合っているのかもしれない。
あ、あと、このネタで「差別糾弾」に熱くなるような女性の中に、結局、ゲイをなんというか興味本位で見ている人がいるってのは、書いておきたい。
いるんですよ。ゲイに理解があるテイで近づいてきて、妙に男どうしセックスのこととか具体的に聞いてきたりして興奮したりする女。
ほっといてくれ、といいたい。
俺は違うと思うんだよね。
リョナってサイコパスみたいに他人が苦しむのをケラケラ楽しむような胸糞悪いものとは少し違うと思う。
一般的にはSな嗜好だと思われているみたいだけど、本質的にはMというか。
例えば息止めたりして死にかけた事あるなら、なんか脈が早くなって興奮してくる感覚あるよね?
キャラがもがき苦しんだり、絶望に打ちひしがれてぐったりしたり、そういうのに感情移入して、
その証拠に、リョナ作品はただのグロ絵じゃなくて、そこに至るまでの過程や物語が重視されるものが結構ある。
ああ、こんなに頑張ってきたのに、守ってきたのに、あっさりやられちゃった、絶望、可哀想、という共感性が大事。
破滅や死への憧れみたいなものが興奮を引き寄せるんだと思うね。
マンガ読んでた。TSU○AYAに行ってランキングで上位やロングセラー。
アラフォーなんだけど、学生時代から精神年齢が20年ぐらい変わらないわー。普通に高校生が主人公の話に感情移入しちゃったー。
突然だがお姉さん属性がついたキャラクターによる女性同士のセクハラが結構好きだ
お姉さんキャラによるセクハラ行為は普通の漫画だと展開上ありえないため
エロ系だと普通の陵辱系のほうが好きだからお姉さんキャラで抜くことはない。
しかし、これがレズものだとお姉さんキャラによる陵辱プレイが見られるのでダブル効果で物凄い興奮するのだ。
これが疑問であった、なぜ自分はこの展開で興奮しているのか
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男性と同じ欲望に忠実であることで、男性は親近感を得て、感情移入がしやすくなる。
(どこかでネット記事を呼んだが忘れた、女性はあまり逝くことはないが、男性は逝くので、男性はその違いを埋めたがるという話だった気がする)
さらに大体のお姉さんキャラはセクハラしてる時の興奮ぶりがすごいのだ。
大体の絵師は男だからか、男性側の感情を細かく描くことはないが、女性であれば存分に描くことが出来るのだろう。
ここで性という欲望に忠実であろう、ビッチキャラについても考えてみる。
ビッチキャラも同じく、性の欲望に忠実であるという点は共通している。
しかしそこには、自分の欲望の発散であれば誰でも良いと言う考えがある。
他のキャラクターでは駄目であり、この人でないと駄目という条件付きの性の欲望の発散なのだ。
つまり、その一途であることを全面的に押し出しながらも性に積極的であることができるのはお姉さんキャラでしかありえず
もちろんここで一途で性に積極的であることができるのは、その属性をつければ何にでも適用できるといえる。
しかし違う点といえばお姉さんキャラには元から、詳しい説明もいらず女性に対してセクハラを加えることが可能だ。
その理由はお姉さんキャラは長女であることが多いため通常は禁欲的であることや、庇護欲が強く、それは独占欲にもつながっている。
お嬢様学校に通っていることや、通常時はまじめであることなどが禁欲的であることのシンボルは満たす、庇護欲は何だろか?風紀委員、お節介焼きか
黒子のこれら設定は、明らかにお姉さんキャラを意識して作られている。ああ黒子のキャラを考えると頭が痛い・・・
雑多な根拠が弱すぎるお姉さん論でしたが、文章になったので公開。
※これは半端な二次元の記号についての話なので、実際三次元のお姉様方が禁欲的であり、庇護欲があると言ってるわけではないので注意されたし
○朝食:なし
○夕食:しゃぶしゃぶ(牛やぞ、豚やないぞ、牛やぞ)
○間食:栗きんとん
○調子
はややー。
仕事はちょっと色々あったものの、結果としてはそつなくこなせた。
来週からちょっと新しいことが始まるので、気合い入れてがんばるぞいや!
○トガビトノセンリツ
一周目をクリア。
神ゲーだった。
ちょっとでもネタを割りたくないので、あまり詳細は書かないし、
なんなら、後半にこういう感じの展開が待っていることすら、なるべくなら知って欲しくないから、
興味ある人は公式サイトの情報を軽く見るだけで、すぐ買って欲しい。
とは言え、さすがにこれだけじゃ感想にならないので、最後まで読んでの僕の感情(悲しいのか怒るのかか、とかそういうレベルね)について書きます。
とにかくもうあのラスト数分の盛り上がりは、自分が今まで触れてきた創作物の中で感じたことがない強度の
「滾り!」を感じさせられた。
お話の筋を書いてしまうと、多分「別に普通のよくある燃え展開じゃない?」って思われそうだし、
自分もこの展開のネタバレを聞いてたら「ふーん、あるある」と聞き流してたと思うけど、
スマホを持つ手が汗だくになるほど、一気に体が熱を持って
「うおおおおおおお!!!!!!!!! 滾る! 滾る! 滾る! たぎるううううううう!!!!!」って感じ。
じゃあこれなんでここまで滾ったかって、多分すごく感情移入させられて、そこから一気に! という話だったからだと思う。
極端な話、燃えの絶対値としてみれば、多分よくある数値なんだろうけど、
もうそう、一気なんだよね。
水を火で沸かすとかそんなレベルじゃなくて、
例えるなら
「あいす饅頭を超ウルトラ業務用電子レンジにより5秒で熱々のお汁粉に調理した」
みたいな?
自分で言って、かなりこのたとえ気に入ったけども、
あいす饅頭としての温度の低さとか、おしることしのて温度の熱さは、優れた作品の中では普通レベルかもしれないけど、
この一気に瞬間的に熱々にする、この仕組みこそが、とにかく素晴らしかったです。
まだこの後、二周目とおまけシナリオがあるので、一気に楽しもうと思います。
いやもう、すごい、とにかく素晴らしかった。
店主が悩みに回答してくれるということで有名な店だった
30年後、ある3人組が犯罪をした後に元ナミヤ雑貨店だったボロ家に逃げ込む
それに回答していくうちに、自分たちとナミヤ雑貨店との奇妙な縁に気づいていく
面白かった
ありがちな話、展開といってしまえばそうだけど、じっくり描写されていて感情移入できるようになっていたから、2時間ちょいの時間もそこまで長く感じなかった
見る前、東野圭吾の内容なら2時間にするほど内容ないだろとか思ってすんませんでしたァァァァァァ!!
演技力ない人間がほぼいなくて、実力派ばっかだったから安心して見れた
BGMも主張しすぎずうまく演出として聞こえて、すごく心地よかった
主演やまだりょうすけってことだけど、にしだとしゆきのほうがでてる時間ながかったから主演って感じした
あえて苦言を呈するなら、
・セリフがところどころ聞きとりづらいところがあった
・盛り上がりが中盤にきて、最後はなんかサラッと終わってしまった
って感じ
歌がひとつキーになってるのはいいんだけど、最初のオリジナルを作ったとされる林遣都のギターと歌がめっちゃ下手・・・
練習はしたんだとは思うけど、とてもギター一本のミュージシャンとは思えない下手さだった
歌もめちゃくちゃ下手で、しかもボリュームがかなりでかくてめちゃくちゃひどかった
そのひどい歌の後に 子供の鈴木梨央がハミングするんだけどそっちのほうがうまかった・・・
過去が結局今につながるってのは面白いなとも思ったけど、野暮なこと突っ込むなら、結局にわとりと卵どっちが先なの?ってのがちょっと気になったかなあ
やまだりょうすけが手紙をかくことになったのはナミヤに逃げ込んだからだけど、そこに逃げ込むはめになった犯罪の原因となった人間の過去の行動は、逃げ込んだあとの山田りょうすけによって決まったってことになってるし
原作でも登場してて意味のあるキャラだったのかもだけど、正直映画ではほとんど掘り下げされずに口頭でさらっと過去について一言二言あったくらいで終わったから、
かなり意味ありげに出てきた割にはほとんど意味なくて肩すかしだった
西田敏行がすげーおじいちゃんになってて、もうつりばかのじいさんの方やるレベルだよなあ・・・下手したらもっと上か?とか思ってしまった
ラストのスタッフロールの山下達郎の歌はやっぱり歌手うまいなって思った
でもなんかすごく歌いづらそう・弾きづらそうな歌だなとも思った
邦画のよさに久しぶりにふれた気がした
安っぽいCGとかアクションとかで無理しなくても、日本は日本人にしか作れない、日本人にしかウケないこういう映画つくればいいんだよと思えた
俺は原作未読だったけど一緒に行った既読の人間いわく、原作は原作でよかったし、映画は映画でよかった、とのこと
作中のセリフでもあったけど、一人の人間の人生を左右するような手紙を題材にするっていうのは、やっぱり作家ってすげえなあと思った
乃木坂ファンがめっちゃ多くて、乃木坂がなんか演技するたび笑ったりしてて気になった
テレビとかで若い女性のファンがいることは知ってたけど、リアルに秋元ファミリーの若い女性っているんだってのを知って衝撃だった
席でパンフと自分の地鶏と、自分と推しメンの生写真の2ショットとってて、すげえ・・・って思った
開場前に並んでたとき、後ろにきた大学生男二人組の片方が「一人だったらぜったいこなかった」「いや俺が乃木坂ファンってこと知ってるだろ!誘ったらぜったいいくからほんとさそってくれてよかた」みたいに言ってた
なぎなたとの出会い→入部→学校でのしごきちょこっと→合宿で坊主のしごき→公式戦で負ける→季節は過ぎて・・・→いちどうねねの学校と練習試合で因縁の対決
って感じだった
やっぱり駆け足で感情移入する前に展開ありきですすんでっちゃったから、最後の感動もおいてけぼり感がすごい
圧倒的にキャラの掘り下げが足りない
試合メインでやってもあさひなぐのよさは半分も伝わらないのに・・・
連ドラでやったほうがよかったと思う
演技が下手ってのはそんなに感じなかったけど、顧問の中村倫也がうざくて悪目立ちしすぎてる感はあった
ところどころくすっとくる面白さはあった
掘り下げできないのにキャラ数だけ原作準拠にしてもただのにぎやかしで無意味だった
まつむらさゆりとかちょっとしか出番ないけどかなり目立ってたのにほとんど掘り下げなくて出した意味ない
一度だけ面をすり抜けた表情を映したけど全編あれでもよかったと思う
新部長が高校のときの彼女(を少しかわいくした感じ)に似ててどきっとした
最後の練習試合のときの観客席に前の会社の友達がいた気がするから数年ぶりだけど連絡して聞いてみようと思う
しらいしまいの弟役の男がなんかめっちゃフケてみえてイケメンじゃなくてださかった・・・
というかいなくてよかった
「感情移入」といっても
NTRに限らず男性向けエロ話に対する割と普遍的な読み方だと思うのだけど、
これは別に女性の立場になることを望んでいるということではない。
強制労働施設からいち早く出ないと命も縮めると悟ったカイジは、
受け取る金を貯金していくことを決意するが、
班長の甘言もあり結局ビールや焼き鳥に散財してしまうというエピソード。
脱出のために貯金するという強い決意が揺らいでいけばいくほど、
決意を反故にして食べた焼き鳥とビールのうまさもまた想像される。
これってエロマンガとかで女性が堕ちる話と類似の構造なのだけど、
カイジの心情や食事のうまさを強く想像しながら読んだとしても、
それと同じように、
女性側の心情を強く想像するという意味で「感情移入した」読み方をしても、
それは自分がその視点に立ちたいとかその役割をしたいということではない。
でブラックボックスで多様に見えるからこそ、強い性的な興奮や快感を女性側にたくして