はてなキーワード: 感情移入とは
それはお前がボキャ貧のあまり「感情移入」という言葉を極めて狭い範囲でしか用いていないからこそ起きる錯誤だよ。
ネトラレのエロさっていうのは「守るべきものを持ちながら快楽に負けて堕ちる女のエロさ」なんだよ。
そんな女を中心に据えて飾り立てその淫らな本性を引き出していくところにネトラレの良さがあるわけ(マゾは除く)。
「女を中心に読んでるんだったら女に感情移入してるってことじゃん」とボキャ貧のおまえは言うかもしれないが、このとき読者は女の視点では読んでいない。
男の無様さに同情し竿の容赦なさに戦慄しそして女の淫猥さに興奮する…
欲望に浸り切るときの快楽に想いを馳せる、という広い意味での「感情移入」ではあるけれど、そこに没入や一体化は存在しない。
もちろん、男の方に自分を重ね合わせたり、竿になりきったりするわけでもない(マゾは除く)。
よってホモではない。
OPが全くあってなくてオサレオナニーっぽいとか、一期とのキャラデザとの違いや、モブキャラクターが真っ黒で怖いとか、キャラクターの性格がおかしくなってるとか些細な事はどうでもいい。
冬木関連のエピソードは必要だったのか?この掘り下げ不足のキャラクターに感情移入できる人はいるのか?そもそもこいつの父親はなんで全く出てこないんだ?なんでこんなにヘコヘコしてるんだ?唐突に転校していつの間にか消えていった。本当の本当に不必要な存在だった。持て余してフェードアウトって最悪だろ。
男性キャラでも保坂や藤岡は嫌悪感を感じないどころか面白いけど、冬木は本当に異質な存在だった。
センスの無い人間達が原作を預かってる身でぶち壊したアニオリの悪例として今後も語り継いていくべき。
あと長女の留学関連もアニオリですか?一期は最初から最後まで安定して見れたのに二期は凡百のクソつまらんシリアス展開からお決まりのお涙頂戴に入って呆れた。頭花田十輝かよ。イイハナシダナー(棒)
デスノート、バクマンの原作者と作画による最新作プラチナエンド1〜6巻まで読んだ。
とくに主人公ミライがずっと偽善なのか何なのか分からないことを繰り返し呟いててイラつく。
戦いに向いてないなら裏方に回って頭脳戦重視にすれば良かった。
個人的好みだけどあのスーツで戦闘している画がSF的で好きになれない。
この作品はSFじゃないのに世紀末的空気を感じてしまって作品本来の雰囲気から離れてる。
家族のためだとか愛がどうのとかどこかで見たような台詞をふわっと並べてるだけに見える。
散々聞き飽きたような陳腐な理由を並び立てられるとがっかりする。感情移入なんて出来ない。
天使のナッセもピュアという設定だけど悪いところ・欠点が見えなすぎて気持ち悪い。
他のキャラもだけど悪いところや素が見えないのでみんな作られたキャラクター感ある。
ハジメやカナデも敵キャラなのに魅力があまりなくて小物臭が強い。
咲の告白は悪い面に見えない。
悪い面を後悔してるいい子ちゃんのお人形。
死ぬほど後悔してます許して!→怒ってないよ!って道徳の教科書みたい。
キャラクターの欠点というのはそのまま魅力にもなるしフックにもなる。
プラチナエンドはそれが欠けすぎ。
多少フックのあるキャラもいるけど愛だとか綺麗すぎるものでそれを覆ってしまってやっぱり魅力に欠ける。
魂と人間味を感じない。
お綺麗で完全な球体のような印象の作品。
7巻はもう読まないかもしれない。
絵はすごく綺麗だった。
アメリカでゾンビ菌のキノコ?みたいなやつで大量感染が発生した
全人類もかなり市にまくった
免疫がある女の子をしかるべき研究機関につれてくことになって旅が始まる
研究機関では免疫を取り出すには女の子を殺す必要があるということになり、
女の子はもともと覚悟はしてたから素直に麻酔かけられて殺される覚悟で手術台に寝てる
でもおっさんは世界よりも女の子を選んで、無理やり女の子を助け出した
目覚めた女の子に対しておっさんは、実は免疫ある子がたくさんいた・免疫の研究はとりやめになったと言うが、
女の子はそれが嘘だとわかっている
でも助けられたおっさんの気持ちもわかってるつもりだったから、再度、問いただした
それは本当だと誓えるか?
って
でも女の子は、おっさんの気持ちもわかるから一概に非難したりもできないし、非難したとしてももう何もかもが遅すぎるので何も言わない
ただ落胆した表情を見せるだけ
ここにおっさんと女の子の旅と、おっさんと女の子の絆という信頼の物語は終わった
敵が固すぎる
市にまくる
ちょっとのムービーを見るために何度も死にながらそこまで進む、という感じ
難易度簡単にしても鉄砲うちまくったりできないし、敵は弱くならないからしんどい
適当に都合よく進みすぎる
れんがとビンが落ちていすぎ
一番かわいくて印象に残ってるモーションは、手を上げたよりも少し高い高さのシャッターを閉めるためにぴょんってジャンプして着地の勢いでシャッターをしめるところ
いろいろ会話シーンがあったらしいけどそれがどこで発生するかがかなりわかりづらかったから、ゲームに必死になってる自分はあんまり見つけられなかった
もともと娘いたのに娘と重ねてもっと優しくしそうなもんだけどな・・・
エリーとの二人旅っつってもエリーに銃弾あたったりとかゾンビにかまれたりとかほとんどきにしなくていいからシングルプレイとほとんどかわらなかった
ICOとかワンダ、トリコをやったあとだと、これを二人の旅というにはちょっと足りないと思った
ロリコンホイホイゲーだった
とゆーか娘との二人旅だと思ってたし・・・
追加ストーリーはまさかのエリーがキマシタワーだったからサプライズだった
昔から、ラノベ原作と学園モノのアニメを自然に避けているということに気づいたのでその理由について考えてみた。
ラノベ原作アニメって、アニメの視聴者が感情移入すべき(?)男キャラがいるじゃん? そして、大抵ヒロインが主人公とツンデレとかその他で懇ろになるじゃん?
学園モノも共学なら必然的に男女がいてやっぱり、恋心抱いたりすんじゃん?
こんなことをふまえると、僕が苦手なのは「女が男に好意を抱く」っていうシーンそのものなんだろう。そんなシーンが出てくると耐えられない。ドラマとかマンガとか見てても同じで視聴を即中止するレベルだったから、自分の好みの再認識なんだなあ。
アニメを見てて、おもしろいストーリーだなあと思ってもそこに色恋沙汰が絡むと一気に冷めてそれ以降は視聴をやめてしまう。
だから、基本的に女キャラだけの関係を描く箱庭萌4コマ系は大好きだし、女子校が舞台で女キャラだけで成立する学園モノは好きだ。百合系もちろん好きだけど、それだけじゃものたりないよね。男が登場しても、それっぽい感情を抱かなければセーフだと思う。
こうやって考えると僕は小麦・そばアレルギー並に許容範囲が狭く損をしているのかもしれない。でも、自分の好みが合ってよかった。これからも、おんにゃのこがかわいくて男女の関係に発展しないアニメを楽しんでいこう。
もともとドラマはあまりみない方だったけど、映画はよくみる方だった。
もともと腐女子で、その後レズとバイの間くらいの女体好きになってきた。なのでLGBT関係の映画とかもわりと見ていた。
その後彼氏ができた。なんと「女体好き?そっかー。女の子かわいいもんね。しょうがないね。てかなんなら彼女もつくっていーよ!」な人なので、今でも円満に交際している。女の子からは非モテ故まだ彼女はいないけど、でも好きな女の子のタイプについては彼とよく話しが盛り上がる。
で、わたしと彼のコミュニケーションは基本的に「遠慮はいらねえ!直球勝負だ!全力を尽くすぞ!」って感じなんだけども(喧嘩しているわけじゃない)。
でも、これが習慣化してからしばらくして、ちょうどAmazon Primeに入ったこともあって、元々好きだった映画趣味にまた手を出し始めた。見たいと思ってた映画をやっと見るようになった。
そしたら、恋愛をベースにした話が、びっっくりするほど面白くない。
葛藤にしてもすれ違いにしても、
「いや、言えよ!」
「伝えりゃいいだろ!」
「そこで黙るからだめなんだろ!」
「コミュニケーションする気あるんか?!」
「全力を尽くせ!まだ手段は残ってる!」
感情移入が難しくなったのかもしれない。
同性愛だろうと異性愛だろうと、結局はコミュニケーション不足でしかないやり取りによって消耗していくカップルの様子を描かれても、なんにも、感動がない。ストレスが溜まるだけ。
「本人たちは手段も選ばずに全力を尽くしていたけれど、不可抗力(政治とか宗教)によりその関係が崩される(殺害とか)」
とか、そこまで行き着いたら、まだ楽しめるんだけれども。なんだろう、そこまで行ったら「目標達成のためのスパイアクション」みたいなのと同類として楽しめるんだと思う。
レズ映画は、女体の美しさが楽しめるうちはいくらかメリットがあるのでいい。だけどしょーもないところで踏ん切りがつかず最善策を選べずにいると、そのうだうだを見るのがしんどくなる。
人生経験によって楽しめるものが増えるってのは聞いたことあったけど、楽しめなくなるものも結構あるもんだね.....。
なんだか残念な気分だ。
恋愛できないーとか、彼女ができなーいという話ではなく、実は最近物語に「恋愛」が絡む度に不思議な気持ちを抱くようになったのだ。
私は高校1年生で、本、アニメ、ドラマと幅広いジャンルの作品を見ている方だと思う。TV番組に関しても、ドラマに限らず、密着もののバラエティーからドキュメンタリーまで色々見ている。
それらのほとんどに「恋愛」が絡み出すと、急に心が、もやもやとした、自分でもなんとも形容し難い気持ちで埋まっていく。
それが顕著に現れた作品の1つに、「冴えない彼女の育てかた」がある。
見ているうちに、もやもやとしたものが胸に溜まっていって、それはそのあと一日程全く抜けない。
今話題のドラマ、コードブルーも、藍沢と白石の間で恋愛が発生するのでは、というファンの予想を見た。コードブルーを見てもその気持ちに包まれるのだろうか。
別に、私は最近感情を学習したアンドロイドなわけではないので、これがいわゆる「キュンキュン」などに代表される恋愛の時の感情群とは違うものだなぁ程度は考えられた。しかし、それ以上は、自分の感情のはずなのに何もわからなかった。
また、今までは、恋愛映画や小説を見たり読んだりした時、感情移入することも多々あった。
しかしここ数ヶ月はそのような感情は起こらなくなってしまった。
別にここ数ヶ月に恋愛絡みの出来事が特に起きたわけでもなく、ある日突然、なぜかこんな気持ちに囚われてしまった。
「思春期特有の〜」ってやつかなーとも思ったりしましたが、周りでそんなことを言う人は一人もいなかった。
恋愛を絡めて物語を描く手法を使う人は多く、世の中は恋愛話に溢れかえっている。
この2つのバンド、アイドルバンドかと思いきや、ライブパフォーマンスも凄い巧い、人気があるの納得!と、僕やりナイトに行って感じた。
普段聞かないタイプの音楽にも関わらず実際めっちゃ楽しかった。
ただ、このドラマに本当に合ってるのか、というと、?んー?って思う。
受注者側(バンド)としてはコンセプト通りにバッチリ作ってるんだろう。
メインターゲット層は高校生ではなくもっと上の層が正解だったんじゃないのか。
「やらかし真っ最中」または「これからやらかす」層ではなく人を傷つけて自分も苦しんだ経験をした人たち…、30代以降の大人をターゲットにするべきだったんじゃないのかなと。簡単に言うと、カルテットを見ていた層で良かったんじゃないのかなと。
あとこのヤンキー校の感じ、今もあるの?
荒れたヤンキー校設定の漫画はおそらく80年代ごろに発生して色んな作品が作られて、90年代以降も松本大洋「青い春」、ドラマにもなった「ごくせん」とかあったけども、今、ヤンキーの存在ってリアルな存在なんだろうか、教えて高校生。
まぁ、今30代〜50代は自分の周りにリアルにヤンキーがいたはず(地域性もあると思うけど)なので、やはりターゲティングを大人にするべきだったんじゃないかと(しつこい)。
まぁ、走り出した後のプロモーションを見て勝手にやんややんや言うのってダサいしほんとに勝手なんだけど。
ドラマOP曲ED曲は、じゃあ何が正解だったのか私なりに考えてみた。
30〜50代がぐっときて、もっと苦悩を感じる音楽。泥臭くて汗臭くて、なんなら血の匂いもするような音楽。
OP曲をINU「メシ喰うな」(俺の存在を頭から否定してくれ♪)、ED曲をザ・スターリン「メシ喰わせろ」(俺の存在を頭から輝かさせてくれ♪)か「ロマンチスト」(何でも良いのさ壊してしまえばお前はいつでもアナーキスト壊れていくのはテメエばかり♪)なんてどうだろう。
年齢層少し下げて、大森靖子の「私は悪くない」(私は絶対悪くない生きていて本当にごめんなさい♪)、アーバンギャルド「ノンフィクションソング」(生きろこれは命令形だ死ぬなこれは命令形だ消せないノンフィクション♪)なんてのも良いのではとひとしきり妄想…してみたけど、
うん、違うね。
違うわ。
違うよねー!
9時台のドラマですもんね。
ED曲はドラマをそのまま歌詞にしたど直球、曲調もヒリヒリしていて心地いい。キャストとのコラボMVも緊張感のある仕上がりでやたらかっこいい。窪田正孝の歌の巧さ、今野浩喜の声の良さにもグッときた。
疾走感ある爽やかなOP曲も、人の心の黒い部分に触れるドラマゆえに、逆に視聴者の気持ちを軽くする役割を担ってくれているように思う。
9時というメリットとデメリットの中でいろいろ葛藤した結果の最適解。
シナリオ、エロや暴力の表現、キャストの演技も9時というメリットとデメリットの中でめちゃくちゃ闘っていると思う。
窪田正孝の映画、東京喰種見てきた。この映画も主人公が自分の背負った罪に苦しむという共通点があるんだけど、(僕やり単体で見ると分からなかったが)明らかに演技の「トーン」を変えてる。狙って変えている印象で、狙って変える事ができる窪田の実力ハンパないっすね。
川栄とのエロシーンも制約があっただろうに、窪田と川栄の表現力で相当エロかった。男性の言う着衣の方が寧ろエロいというのが良く分かった。
各所ですでに言われているがキャスティングが良い。
特に、メインキャスト4人が完璧だと思う。暴力とか人の狡さとか胸糞な内容をこの4人が苦い薬の糖衣のように「魅せる」ものにしてくれている。個体でいうと、マルがダントツ。どクズ胸糞キャラなのに葉山の可愛らしさが「憎みきれないろくでなし」と視聴者に思わせて、感情移入すらすることも。川栄もバッチリハマってる。そして、パイセン。ドラマ全体を糖衣で包む。これは今野にしか演じられない、というか今野ありきでこのドラマが立案されたんじゃないのかと思うレベル。
視聴率はイマイチのようだが、単純に「親と見れねー!」「子供と見れねー!」って人が多いのだと思う。録画視聴率は高いのでは。
もうすでに折り返し地点だが、今シーズンのドラマの中で、抜群に面白いし深い。
30代前半、妻と2児を持つサラリーマンです。このブログもあのブログもそのブコメも結局のところこのCMはダメだという烙印を押してるんだけど、自分には普通に刺さったしあまりに温度差を感じたので少し書きます。
http://b.hatena.ne.jp/entry/pokonan.hatenablog.com/entry/2017/08/15/194731
http://b.hatena.ne.jp/entry/zuisho.hatenadiary.jp/entry/2017/08/16/015649
自分の父親と、そうなれていない自分を比較して、葛藤というか悶々として、小さな一念発起(家より後輩を優先する)が見事に裏目に出て、あーあって色々嫌になって風呂入ってさっぱりしてまあいっかってなって、妻にごめんねして息子とも仲直りする。翌朝少しすっきりして(たぶん葛藤に対して大した結論は出てないけど風呂入ってさっぱりしてまあいっかって一時的になってる)また日常。
いいじゃん。こんなこともあるよね。自分にも身に覚えがあるような気がするし、感情移入して見れたのが大きいことは認める。
id:wacok いや、そもそも映像の作法がおかしいのでテーマが読み取れない作りになってるのがまずい。笑いながら怒っている人を見ているような居心地の悪さがある。読み取れる人はかなり主観で補正を入れてるはず
>「読み取れる人はかなり主観で補正を入れてるはず」という点は上に書いたように同意。でもそういう主観で補正を入れられる人って一定数いるんじゃないかと思うし、製作者サイドもそう思ったんじゃないかな。
id:iiiloveuuu07 しかも朝の場面で妻がスーツ着てるから共働きの設定なんだと思うんだけど、なんであの夫はゴミ出しするのとか子どもの誕生日ケーキ買ってきてって言われたくらいであんなに恨みがましい目をしてるの…??
>「・・・って言われたくらいであんなに恨みがましい目をしてるの…??」恨みがましいんじゃなくて冒頭の葛藤とか悶々としている様子を表しているだけだと思う。ゴミ出しとか誕生日ケーキとかはそのことと何の因果関係もない。
id:ryun_ryun 「結局何も洗い流せていない」これに尽きるから大失敗でいいと思う。
>(多少は)洗い流せたから(多少は)晴れやかな顔になってるよね。
id:akirafukuoka 企業の主張は自由でも、旧来の家父長制的価値観を肯定する、しかも石鹸のメーカーがというのはかなり信じがたい。どうせこのお父さん自分で石鹸買わないでしょ?その人におもねって意味あります???
>「家父長制的価値観を肯定」別に肯定してないでしょ。その価値観と現代の家庭を大事にする父親という価値観の間で揺れ動いていることを表現しているだけ。
「どうせこのお父さん自分で石鹸買わないでしょ?」妻と買い物行ったりネット通販するときに「石鹸切れたけど次何にする?」って聞かれるんだよ妻に。その時にこのCMを見てたら心のどこかに引っかかってて「牛乳石鹸」て言うよ。俺にはそういう形で刺さったよ。
うじうじした男のうじうじした物語だってのはそうなんだろうけど、そういううじうじって結構あるんじゃないの?推奨されるもんじゃないけど。
https://togetter.com/li/1140405
https://togetter.com/li/1140478
ポスターは「今日も若手社員を泣かせてしまって。自責の念でいっぱいです。さ、洗い流そ。」というコピーに目だけ笑って無い不気味な満面の笑みを浮かべるキャリアウーマンの写真がついている。
サイコパス風で恐い。
笑顔で毎日若手社員を泣かせる女に感情移入する人より、泣かせられる若手社員に感情移入する人の方が多いだろうに何を狙ったのだろう。
驚く事に男性はこの父親に共感を示す人も多いみたいだが、石鹸のメインターゲットは主婦だ。
ウキウキと用意した息子の誕生日パーティーの飾り付けやご馳走を前に
「パパまだ帰ってこないの?プレゼントは?ケーキは?お腹すいた」
と半泣きの息子を宥めながら、夫に電話をしても繋がらず夫が飲んでる間ずっと待たされた挙げ句に、文句も無視され理由の説明もなく風呂に逃げられた妻に感情移入する。
ケーキの保冷剤も2時間くらいしか持たないから、酒場に持ち込まれ長時間常温で放置された誕生日ケーキはクリームが溶けて形が崩れ無残な姿に成り果てているだろう。
息子の誕生日を意味もなくボロボロにして、パーティーの開始時間を夜遅くまで伸ばして「さ、洗い流そ。ごめんねー」じゃねぇよ。
両方広告のメインキャラにも企業にも商品にも悪印象を植え付けられる絶妙に不気味なCMに仕上がっている。
牛乳石鹸と言えば歴史のあるメイン商品だろうに何で自らイメージをぶち壊すような広告をうってくるのか。
何を洗い流したいのだろう。
また留意すべきことは社会構築主義者の主張に反して、調査が示唆するのは全国レベルのジェンダー平等が男性と女性の性格特性の心理学的相違を引き起こすということだ。なぜなら、社会がより繁栄し、より平等になるに従って、男女の生得傾向の違いがより現れてくる余地を得るからであり、性格特性の男女の違いにおいて存在するギャップがより広く現れてくるからだ。私たちはジェンダーギャップが性差別により生じると仮定することを止める必要がある。
私たちはいつもなぜ女性が指導的地位にいないのかと問うが、なぜそんなにも多くの男性がその地位にあるのかとは問わない。これらの地位はしばしばストレスの多い長時間労働を必要とするし、バランスのある充実した人生を求めるのであれば大した価値はない。
地位というものは男性が値踏みされる際の一番の判断基準であり[4]、多くの男性を地位のために犠牲が多く、満足の少ないこの種の職業に駆り立てる。注意すべきことに、技術職と管理職において身入りが良いがストレスの多い職に男性を導くのと全く同じ衝動が、男性を炭坑採掘やゴミ拾いや消防士のような人気のない危険な職業に導く。また、職業関係死のうち93%をも引き起こす。
以下でここまでに概略した男女の特性の分布差についていくつかのことを述べるとともに、逆差別に頼ることなく技術職における女性登用を増進するためにこれらを解決する方策を提案する。グーグルはすでにこの分野において進歩しているが、これらの提案を列挙しておくことは有益だろうと思う。
哲学的には、男性と女性の平等な分け前を訴えるためだけに技術職に勝手な社会工学を行うべきではない。これらの変革のそれぞれについて、それがなぜグーグルの役に立つかという原理原則に基づいた理由が必要だ。つまり私たちはグーグルを最適化すべきなのだーグーグルの多様性ががその理由の一部となるような。たとえば、今現在、より長時間働き、よりストレスを受け入れようとする人は必然的に出世するが、これをあまりに多く変えようとすれば、悲惨な結果となる可能性がある。また費用と便益を考慮すれば、グーグルの資金調達は有限であるため、その配分は一般に認められているよりも、よりゼロサム的であることを心にとどめておくべきだ。
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