はてなキーワード: 収束とは
エリザベートーッス
本日は国際学生の日、世界早産児デー、肺がん撲滅デー、日本では将棋の日となっております。
現場ではどんな内容の粒子が飛んでるかわかりませんからね、マスクは大事です。
しかし最近ではもうコロナも収束したからマスクを付けなくてもいいよ、という宣言をされたみたいですね。まぁ現場で付けるマスクと内容は違いますが。
その宣言した日から冬が始まりかけてたのはちょっと面白いですね。
冬が一番マスクを使用する季節なんですけどね。風邪も引きやすくなりますし。
とはいえ色々しんどいなら無理して付けなくて良いかも?とは思います。その分、人と適切な距離をとるのは大事だと思います。
とはいえ私見です。現場的には危険を防げるかもなら付けて防いどいてね、ぐらいのもんです。
ということで本日は【マスクの着用よいか】でいきたいと思います。
ギャンブルの恐ろしさって脳汁だなんだじゃなくて時間の概念だと思うけどな。
6ツモったら閉店まで打ち続けなきゃいけないし
ギャンブルって当然成績にブレが生じるわけで
期待値1000円のハイエナをしても毎回1000円懐に入るわけじゃなく
3万負けて3万1000円勝ってを繰り返して最終的に積んだ期待値と同じ額に収束するので
膨大な回数を延々回す必要がある
キングオブギャンブル(と俺が勝手に思っている)のラスベガスのポーカーのプロなんかは
そうじゃないと安定した成績を出せないし、期待値があるなら1ハンドでも多くこなした方が当然稼げるからだ
結局、ギャンブルなんて時間を切り売りしている時間労働のバイトとやってる事が変わらない
俺はギャンブルを止めた
意味が無い
に名前つけて欲しい
例
極黒のブリュンヒルデ(噂だけ聞いて第二部読んでない、第一部まで読んで強い意志で止めた)
あとなんかあったっけ
___
以下蛇足
岡本倫はこの「ここで終わっときゃ名作だったのに」を打ち破りたいって極黒で言ってたよね
アレ印象に残ってるわ
そういう作品もあるけどね、極黒は出し切っちゃったしなあ
・後半もそれなりだけど、前半が良すぎて賛否両論な作品(これは多い)
・終わる終わる詐欺みたいなやつ(話が収束しそうになると人が増えるやつ)
・展開に無理があるわけではないが、作者が衰えたやつ
・終わる気がないやつ(コナン)
逆に「ここで終わるとかお前偉いな」みたいな作品もあるよね
あと「長すぎてダレたけどアニメ化すると後半もちゃんと面白いやつ」もある
そうだ、シリーズ通してで言えば攻殻機動隊があるな、一応別作品みたいな感じだから個人的にはセーフなんだけど
読まずに言うやつはクソというのは同意だけど
「あまりにも世間の評判が悪かったから読みたかったけど我慢して読んでない」っていうかなりレアなタイプのやつなんだよね
そのうち読むかもしれないけど、心安定してるときじゃないと辛くなりそう
___
ブコメみて、極黒は賛否両論系じゃないかと思ったので読もうと思う
エルフェンも後半要らないって言う人いるじゃん?俺は好きだよ
今の状態を完結に表現すると、ストレスフルで何一つ楽しみがなく(最近一つだけ出来た)、睡眠時間も十分取れない身体的精神的にかなり悪い状況。ストレスフルなのは先輩と同期のせいで、何一つ楽しみがないのは時間的精神的に追い詰められており娯楽を楽しむ余裕がない。じゃあ過去に戻ってこの状態を回避できたかと言われると多分僕にはできない。今とほとんど変わらない状況に収束すると思う。
弊研究室はM2一人、M1二人、B4二人の比較的小規模な研究室なのに、様々なところから来る測定の依頼や共同研究を行っているせいで常に忙しい。そもそもの人数が少ないので学生の負担が大きく、一人欠けるだけでかなり厳しい。じゃあ学生同士で協力しあって頑張ろうね!と普通だったらなるはずだし、自分もそう思うが、残念ながらそうはなっていない。M2の先輩はほとんど大学に来ないし、同期のM1は指導教官の先生が言わないと実験を行わない。幸いにもB4の二人は非常に真面目で優秀であるが、ただでさえ一人の負担が大きいのに、5人分の負担を3人で回していることになる。これは誰が悪いんだろう。誰しもバイアスがあり客観的に見るなど不可能だが、無理やり第三者目線から見るとB4の二人以外、つまり先生、先輩、同期そして僕は少なからず今の最悪な現状に負の方向で貢献していると思う。先生は単純に仕事を抱えすぎで、一学生が何を生意気なと思われるかもしれないがもっと仕事を取捨選択すべきだと思う。先輩と同期は一言では書き表せない。僕は周りに仕事を振るのが絶望的に下手なのが良くない。みんな悪くてみんな良い。以下先輩と同期の悪口が延々と続くので注意。
弊研究室に一人しかいないM2の先輩は二ヶ月くらい音信不通になって最近復帰したせいでそればかり目立っているが、そもそもほとんど実験しない人だった。じゃあ何をやっているかというと、学生の居室で延々とtwitterか違法サイトで漫画を読んでいる。本当に救いようのない人間で、こんな人間に修士号を本当に与えてしまうのかと大学制度に絶望している。M1の頃はよく覚えていないが、M2になってからは本当に数えるほどしかそもそも大学に来てないと思う。1~5月は就活云々で来てなかったし、内定が出てからも全然実験している様子はなかった。週二くらいで大学に来て↑をやって帰るだけのゴミカス大学院生。けど本人はおそらく自分が研究活動を行っている自覚はあったのだと思う。音信不通になった理由は研究室の雑用や研究活動が嫌になってしまったのが理由と先生に聞かされたときは本当に理解が追いつかなかった。雑用というのはおそらく研究に使う測定装置の作製工程のことを言っているのだと認識しているが、それにしてもおかしい。なぜなら装置の在庫管理は全て僕が行っているし、作業工程をみんなに均等になるように分配していたのも僕だし、なんなら自分には少し多く仕事を振っていた(緊急時の対応などで)。先輩がやっていたことはバイトでいうと皆同じだけのシフトをこなすだけの、週3~4時間ぽっちの作業で、それが辛くて大学に来たくないなら大学を辞めるか研究室を変えればいいと思う。研究が嫌になったというのも理解ができず、義務教育じゃないんだから大学院中退して就職すればいいのにと思ってしまう。研究はしたくありません、けど修士号は欲しいですというのは通らないということが24歳にもなってわからないのかな。最近音信不通の状態から復帰して実験室でなにか作業をしている様子だけど、相変わらず謎にPCに向かい合っている時間は長い。実験していないからデータはなく、シミュレーションなども行っていないので何をそんなにPCでやっているんだろう。更にムカつくのが、上記にある測定装置の作製はしたくないのに、測定装置は平気で使っていく。どういうメンタルしていたらためらいなく使うことができるのだろうか。無銭飲食とやっていることは変わらず、こういう人間が部下の手柄を自分のものにする上司にゆくゆくはなるのだと思うと本当にイライラする。大学院は博士を増やす前に修士をもう少しまともに審査してほしい。先輩のような人間が自分と同じ学位を持って社会にでることが何より嫌だし、修士の価値を落としていることを自覚しながら先輩には生活を送って欲しい。僕も研究結果的に特段優秀な学生というわけではないので、修論審査に落とされるのは構わないが先輩のような人間に修士号を与えないような仕組みづくりをして欲しいと切に願う。とりあえず最近のイライラの原因の9割は先輩の存在。ほかはおまけ。
次に同期。こいつはやれといえばやるが、逆に言わないと何もやらない。修士の学生って自走することを求められるはずなんだけど、それすらも僕の認識が誤っているのかな。自分の研究も考察するところは全て先生か他の人任せで、すべて用意された環境でちょっとだけ実験をしてそれで卒業するつもりらしい。先輩もそうだが、このような人種は他人が自分のために何をやってくれているのかに興味が無いのだと思う。もしほんの少しでもその意識があればやれることをやっているか、本当に性根が腐っていて何も感じていないかのどちらかだと思う。そいつが5月に実験したデータがまだ解析されておらず、急にそのデータが必要になったので何故か僕が睡眠時間を削って死ぬ気で解析をしている。なんで???。当然本人にやらせようと思ったが、本人はそもそも解析について理解していないだろうし、過去の先輩が作ったプログラムをアレンジする能力もないので言うだけ無駄と判断した。これで同期が困るだけなら僕は絶対に協力しなかったが、先生及び親しい関係者の方に迷惑がかかるのでそれは避けたかった。先生も当然解析が終わっていると思っていただろうし、僕もそう思っていた。この半年何やってたんだお前は。これで常人のフリして就活してるから本当に終わっている。やっぱり短い時間でその人が優秀かどうかなんて特に新卒採用だと見分けるの不可能。先輩ですらいわゆる人気企業に内定をもらっているわけで、もう本当にやるせない。
自分が修士に夢を見すぎていると言われればそれまでだが、それにしても限度というものがあるはずで、僕が常識知らずなだけで大学院生の平均はこのレベルなのか?
マジメな話、これに対してはちゃんと「NO!ふざけるな日本史根!」をぶつけていくべきだと思います。
今回の法改正によって下手をすれば無理な車道の走行によって路肩の段差でコケて死ぬパターンの自転車死亡事故の件数が増加します。
もしもそうなったとき、この法改正を肯定する論法はどうあっても「そもそも車道を走るのに値しない自転車にに乗っていたのが悪い」へと収束するでしょう。
なにせ氷河期世代論がそれに類似した自己責任論を突き進み、その再生が日本で何度も繰り返されているのですから、国家の風土的にそうなのです。
つまりそれは、「半端に遅いママチャリとか未だに使ってるやつが反社なだけじゃん」という結論になります。
自分が自転車を使わず、家族に自転車を使う子供などもおらず、自転車業界と何の関係もない人はこれに何の問題もないと思うかも知れないですし、むしろ称賛の声を上げる人も多いでしょう。
ですが、この未知を突き進めば確実に「自己責任論」はより強く日本に浸透していきます。
浸透した自己責任論の行き着く先は「能力がないくせに社会の中で生存権を主張しようとする奴が反社なだけじゃん」です。
これは氷河期の頃に日本中を襲った「社会に必要とされるレベルに能力がないなら、頼むから自殺してくれ。ナマポの申請なんてして生き伸びられてもお荷物だから死んでくれ」の再来を意味します。
そんな社会を目指したいですか?
海外の作品をろくに見もせずに露骨に見下し、都合の悪い情報から目を瞑って被害者を気取ってクールジャパンの妄想で自慰行為にふけるのはライオン・キングやアトランティスの頃からずっとそうだよ
里中:私は「大変、似通ってはいるが、これは偶然の一致かもしれません」とまで言いました。後から「ジャングル大帝」を読んで、「ライオンキング」の真似だと思った子供が、アメリカにいたのです。これだけは避けなければいけないと思いました。
「手塚治虫なんて知らない。「ジャングル大帝」なんて見たことない」ということを、撤回していただきたい。当然、アニメに携わる人だったら、全米で放映された作品は知っているはずで、敬意を表するくらい言ってほしいということだったのです。
だから、「こういう文面でディズニープロにもの申したいのですが、手塚プロの方はどうですか」と、松谷さんにお伺いしました。「手塚プロとしては、そういうことはできない」というご返事でした。
ただ、このまま放っておくと、ファンから、「手塚プロは何をやっている、抗議しないのか」という声がすごく出てきているので、個人として行動したのです。
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2001/00082/contents/00003.htm
ってな感じで手塚治虫なんて知らないととぼけているディズニーを許すなって言説が長年続いているわけなんですが、実はディズニー側がキチンと回答してるって事実はあまり知られてないんだよな
手塚眞:これは実はテレビで放送されていた『ジャングル大帝』のイメージです。本当の原作、手塚治虫の漫画には似たような場面はほとんどありません。嘘だと想うならぜひ漫画を読み返してみてください。つまり真似だと言われている部分は、テレビ番組の一部なのです。
その演出は手塚治虫本人ではなく、山本暎一さんという当時の虫プロの監督のものです。ですから本来は山本監督が訴えるべきなのです。しかし山本さんご本人は「いいよ、気にしないよ」とおっしゃっていたので、それ以上の話の発展はありません。
この騒動はどのように収束したかと言えば、里中満智子さんが日本の漫画家の代表として、ディズニー・プロに手紙を出しました。「真似をしたのですか?」と彼女は問いただしました。ディズニー側からはていねいな返事が届き、
そこには自分たちは決して真似をしたつもりではないが、手塚治虫さんの業績についてはよく知っているし敬意を表している、といったことが書かれてありました。それを公的な場所でも言ってほしかった。
そもそもこのネタを振りかざすのはエセ著作権でだってことをもっと自覚するべきなんだよな
ディズニー社は、確かに権利侵害に対して毅然とした対応を取る傾向がある。しかし、それは相手が確実に権利侵害をしていた場合の話である。小さな罪でも「黒」は見逃さないという意味での厳しさだ。
(中略)一方、作品の設定が少々似ているだけというような合法行為に対して、エセ著作権を振りかざすことはほとんどしていないのではないか(少なくとも表立っては聞かれない)。
(中略)正確な知識を身に付けることなく、「著作権は大事」「特にディズニーは厳しい」という思い込みだけを強め、その結果、合法な表現行為まで過剰に自粛してしまっているのだ。
もちろん、自己判断で自粛するのは勝手だ。だが同じレベルの自制を『ライオン・キング』に求めるというなら逆恨みも甚だしい。「こちらはここまで自粛しているんだから、自粛をさせたお前も自重しろ」と言っているのと同じである。
ディズニー社からしたら、お前が勝手にした自粛に、何故付き合わなきゃならんのだ、といったところだろう。
──有利昴著 エセ著作権事件簿: 著作権ヤクザ・パクられ妄想・著作権厨・トレパク冤罪 (過剰権利主張ケーススタディーズ) p68~69より引用
「身長210cmのスケート選手とかいてもいいじゃん!大きくてダイナミックじゃん!」とか軽々しく考えているのかな?
ある競技をやる集団の体格が似たような姿へと収束していくっての当たり前のことなんだけど、そんなことも理解できてないの?
そもそも個性的なキャラクターが出てくるってのを求めるならモンスターがメインの作品はどうなんだ?
今でも全然多種多様だと思うけど、人間の姿をしていないのでアウトってこと?
はぁ~~~~~?????
棲み分けが進んだっていうだけのことに対して「昔はよかったよ。底辺もエリートも同じ中学校に通っててさ」みたいな事いってるわけ?
ほんま話にならんですよ
スラドは削除できなかったんじゃなかったっけ?
廃れたけど
やっぱり似たようなこと考えてる人がいるんだな
ちょっと巡回してみた感想は、「2ちゃんねるの雰囲気をオマージュにした過渡期のフォーラム掲示板」というイメージ
以下、FAQより
タレコむ記事の内容が既存の特定の記事とものすごく似通っている場合(たとえば、スラドで言及されたときから状況が変わったなど)は、単にそのことをほのめかすだけでなく、その言及している記事へのリンクについても書き込んでおいてください。
修正するときのルールをユーザー側が覚えておく必要がある点も、やっぱり過渡期という感じがする
スレをsageてる時に新参者がsageないでレスすると住民に怒られる、みたいに議論の本筋と関係ないところでユーザー同士が衝突するのは避けたい
元記事での俺の書き方も悪かったんだけど、まず、ここでの「議論」は何も政治に関するものだけに限らない
というのと、俺が欲しいのはそもそも議論すること自体が目的のプラットフォームなので、「ただ議論することだけが目的化する」のは俺的には全く問題がない
何かしらの結論を出すこと?(違ったら教えて)
でもそれが目的になるのはたぶん、議論の参加者たち、あるいは議論のテーマの当事者たちにごく限られた時間しか与えられていないからだ
元記事で要件を出したプラットフォームを前提にして言うと、俺にとって議論の目的とは「考え続けること」だと思う
「党派性に依存する連中」も、それを誰かが敵とみなすのなら、今急いで結論を出そうと煽るのではなく、相手の主張をじっくり読んで向き合えばいい
忙しいとか文章が上手く書けないとか、何らかの理由で自分ではその連中の考えを改めさせられないと感じたのなら、極論、変に突っかかるよりは他の誰かや後世に託して、本人は無視を決め込めばいい
そういう意味で、
と書いたし、そういうプラットフォームが欲しい
前段については、俺が元記事で挙げたようなサービスでは満足な議論ができないというコンセンサスが必要かも
「Twitterなんかで発言しても動画や画像投稿してもお互い時間の無駄ですよ、議論がしたいならこっちで、ほぼ確実に残るテキスト(と情報源)のみでどうぞ」みたいな空気を作りたい
あと俺としては、「以前の発言は間違ってました、ごめんなさい」が簡単にできるという(ただしその間違っていた発言と修正の履歴は残る)点をウリにしたい
当たり前だけど人間はしばしば間違う
現代のメディアや議論の場は、間違いを指摘されて、それが間違いであると本人が感じたら素直に謝れるような仕組みになっていない
俺も文字での議論もさることながら対面での議論では殊更よく間違うので、日本の国会中継なんか共感性羞恥で見ていられない
でもそれをできるように、そして記録として誰でも見られるように残しておきたい
議論がいつまでも収束しないのは、上述した通り、別にそれでも良いんじゃないのと思う
重要なのは議論をした彼らや、それを目の当たりにした人達がその流れを見てどう考えるか、考え続けるかだと思う
1行目については、そうかもしれない
「議論なんかじゃ何も解決しない」と思っている人ほど、見て考えて、ときに参加して欲しいとは思う
2行目については、そういう人達は(「共感を得られるかどうか」が本人の直接的な生死に関わる問題になる場合を除いて)議論の場からは淘汰されて欲しい
3行目については、自分の書き込みとAIの回答が全て公開されるとかであれば、上手く作れば良いサービスになると思う
頑張って
人間に反論されると間違いを認められないのが人間なので、AI が議論の論理判断(善悪判断はしない)をしてそれを表示するサポート機能が必要。
なるほど
矛盾を投稿できないようにするんではなく、下書きの際にそれ矛盾じゃない?とサジェストする機能はありかもしれない
俺がやるとしたら将来実装になるかな
当増田の引用しなかった部分は既に要件として元記事に書いているので割愛
しっきーて人が作ったのか
https://blog.skky.jp/archive/category/Webgeki
見てる感じ、議論というより論戦かな
時間制限を設けてるあたり論破前提の人がレート上げそうで、ちょっと俺とは思想が違うな
でも、
今のネットって、内容パクってもPV集まればいいとドヤ顔するメディア関係の人がいるくらい、PVとフォロワー数が正義の世界で、「対話する」とか「検証」みたいなものってあんまり成り立たないんですよね。
で、ネット上で人気や数値を集めようとする類いの行為って、(よっぽど上手くやらない限りは、)バカのままでいるかメンヘラになるかしかない種類のものじゃないですか。
もちろん、それが好きな人のほうが数はずっと多いのだけど、そうじゃない場所があったっていいじゃないか、ってことです。「言いっ放し」にならない空気が働く場所をウェブ上にちょっとでも担保できればな、というのがウェブゲキの目標です。
過ちを認めさせたいというのが謎
ただ、発言者本人が過ちを素直に認められないと、そこで議論が止まってしまうか、「なんで過ちを認めないの?」という方向に捻じ曲がってしまう
簡単に修正できる and 修正を要求できるプラットフォームを作ることで議論を促すことができるのでは、と思ってるけど、厳しいか?
あと、評価経済って言葉自体知らなかったけど、↓で書かれてるようなこと?
https://canary.lounge.dmm.com/17241/
であれば、俺は
と思っているので、この人とは思想が全く違う
ただ、元記事の要件で作られたプラットフォームが、発言者に間接的な経済的利益をもたらすことは無いとは言えない
増田みたいに匿名で長文OKってプラットフォームなかなか無いので、これにアカウント名が表示されるだけでも大分違うんじゃないかな?とは思うんだよな。
俺個人のWeb関連の技術力を鑑みると確かにそういったものを作るのが現実的で、実際だいぶ前に考えたことがある
その時はユーザー認証を実装するのが面倒でやめたんだけど、今は各PaaSで色々あるしね
誰か詳しい人がコメントしてくれて知見を与えてくれるし、
こういう前向きなコメントは見てるこっちまでなんか嬉しくなる
こんな人が増えるとすごく良い
sds-page ブロックチェーン使って発言をNFT化すれば履歴も残って改竄が難しくなる。発言にもガス代が必要で熟考の余地が生まれる
これに近いことは俺も考えてた
上述したように、後世に議論の跡を残すことも重要なことだと思う
ただ、おそらくNFT単体では本人証明ができないので、要件として足りない
NFTと運営側が持ってるユーザー情報のセキュアな紐付けがかなり実装めんどくさそう(個人の感想です)
「発言にガス代が必要」というのは、発言者にガス代を負担させるということ?
そうでないのであれば教えてほしい
ちなみに知ってるかもしれないけど、イーサリアムの考案者Vitalik Buterinは、ごく平たく言えば本人証明のための「譲渡のできない」トークン、SBT(SoulBound Tokens)というものを提唱している
以下その論文
Decentralized Society: Finding Web3’s Soul
1ページ目の概要読むだけで彼の言いたいことは大体掴めると思う
これかな↓
(Knockout.js使ってるのか、珍しいな。どうでも良いことだけど)
これはこれで行政の在り方としてはかなり良い感じだけど、
といった点で個人的には惜しい
元記事には書いてなかったことを補足すると、「good」「bad」ボタンは「ボタンを押した人が『なぜ』その発言をgood or badと思ったか」という情報が抜け落ちて、その投票結果を見た人にとって議論のノイズになりうると考えている
ペイントで描いたのから毛が生えた程度のやっぱり濃淡に乏しいビビッドな感じの絵を描く、場合によっては深淵と冠され得る絵師の絵でも個人的にはそれが良い感じに味として作用して興奮するってことはまあある。
大ざっぱにいえば目は大きく目に対する光の反射もデフォルメされて描かれているという点で萌え絵の系譜で、最初は自分なりに模範の萌え絵を意識して描いてたのだろうが、途中で(段階としては結構早い段階で)挫折して成長が止まったような絵というものだ。
しかしたとえ同じ絵柄が模範であってもその模範の結果が人による異なるわけだから、つまり枝分かれするように、おそらく意図せず自分なりの絵柄になっていくんだろう。
これは模倣の完成度の低さに由来するものだから、むしろ完全な模倣ができるなら、ある意味で才能のない絵師から独特の絵柄というのは生まれ得ない。
正統な意味で才能が有って完成形に到達できさらに守破離できるようなセンスの持主のみが新たな絵柄を創造できるのだろう。
模倣してから完璧に描けるようになるまでの過程の終点は1点に収束しているはずだから、諦めず成長を続けた場合は目標とする絵柄と同化することになる。悪く言えばここで個性が失われる。
その途上の多数に枝分かれしてるような分岐のふくらみの一つにあって、それ以上模倣の完成度を高めることを諦めることは、ある意味で肯定的に受け止めることができる。
そこで成長を諦めたからこそそういう個性的な絵柄で自分の絵柄が固まったというだから。
当然お世辞にも商業エロ漫画に掲載されるような気配は微塵もしない絵なのだが、純粋に個人的な性欲のためという視点において不思議な魅力というものはあったりする。
ほんとにおおざっぱにいえば確かに萌え絵なんだけど、それぞれこの絵師の描いたものだと判定できる程度には絵柄全体に示差性が認められるんだな。たとえ下書きのレベルでは全く判別がつかないことはありえても、塗りとかその他さまざまな要素によって生み出されてる総合的な違いなんだよなあ
30代首都圏在住男性。近くに横須賀基地があって米軍が身近にある。この問題に関する自分の認識をまとめてみる。
•年配の人は戦中•戦後大変な苦労をした
•ウクライナの例のように、ある日突然戦争を仕掛けられる可能性はある
•万一の備えで軍事力は必要。コロナでも感染予防できれば良いけど感染したときの治療の備えが必要なのと同じ
•日本の現行の軍事力では中国•ロシア•北朝鮮への備えには不十分
•それを考えた時に世界最強国のアメリカと同盟関係にあることは有利
•なので今の状況だと基地を無くすのはリスク。コロナが収束してないのに治療施設を閉鎖するようなもの
•現状出来ることは市街地から離れたところに基地移設、地元に丁寧な説明をしつつ補償をするしか無い
•ソ連崩壊のようなことが起き、軍備を削れる状況になれば基地の縮小、廃止をできる準備は必要
•いつのまにかマスコミのコメンテーター枠で活躍するようになった←理由がわからない
•地頭いい人的な扱いで若者に人気←理由がマジでわからない。詭弁多い、専門知識がか無い分野でも知ったかする等で信用できないイメージ。
•そもそもいつから2ちゃんねるを知らない若者の間で知名度上がったの?
•必要以上に過激化している印象。首都圏在住者としては成田空港反対闘争している過激派をイメージしてしまう。
•沖縄のマスコミの反応が本土の朝日新聞のように見えて嫌悪感を覚える。プライドが高く、大義のために平気で嘘をついたりするところとか。
•横須賀基地の反米デモをよく見るけど、うるさかったり交通渋滞の原因になったりするので迷惑としか思わない。デモののぼりを見る感じだと、北海道や広島といった遠くから乗り込んでくる人も多く、地元の人が声を上げているというよりは活動家のイベントという認識。自分は米軍より中国ロシアがヤバいと思ってるので主張にも同意できない。
そんなわけで、自分はひろゆき側にも基地反対派にも肩入れしたくなくて冷めてみてるのだけど、目立たないだけで割とこういう立場の人多いんじゃ無いかな?
【オフサイド】
フットボールがアソシエーション(サッカー)とラグビーの2つに収束していく前からある概念。
オフサイドにいる選手はプレイしてはいけない。⇔プレイするためにはオンサイドにいる必要がある。
単にオフサイドにいる分には構わないが、何かしらプレイと関係があると判断されれば反則になる。
昔のフットボールはボール保持者が常に前線で、ボールより前でパスを待つのはつまらないという思想だった。前にいくにはドリブル。手で持ったら後ろの選手にパス。タックルも前方から。
サッカーが確立するにしたがって、前方へのパスを解法したいが、ガン待ちは引き続き禁じたいということになった。
そのため、古くはボールの位置だったオフサイドライン(オフサイドの境界線)が緩和されて、「ボール」・「ハーフウェーライン」・「ゴールラインから2人目の守備側選手(通常GK+1人)」の3つうち、一番相手ゴール側のものをオフサイドラインとするようにかわっていった。
競技規則の書き方に沿って書くと、"相手競技者のハーフ内"で"ボールおよび後方から2人目の相手競技者より相手競技者のゴールラインに近い"とオフサイドにいることになる。
ラグビーでは無秩序にならないようにより厳しくプレーを制限するよう進化した。シチュエーションによってボールより後ろに色々なオフサイドラインができる。
密集から剥がれた選手が止まっていたりぐるっと後ろに回ったりするのはオフサイドの位置でプレーに関与しないため。
スクラムから離れたところで横に並んでるのは、そこにスクラムに関与しない選手のオフサイドラインがあるから。
オフサイドルールはサッカーの中ではややこいけど、サッカーは野球やラグビーやアメフトの細かいルールに比べたらシチュエーションによる違いとかそんなにないので難しくないと思う。