はてなキーワード: 体重とは
10キロ痩せた。すごいと自分でも思った。誰かに聞いて欲しかったので書く。
事の始まりは二年ほど遡る。健康診断でE判定を喰らったのだ。肝機能が問題だった。
わたしは二年前まで定職についていなかった。若さが健康の証だと思って健康診断も受けていなかった。大学時代の健康診断も一度行ったが二度目の記憶がない。定職について久しぶりの健康診断で、初めてE判定を喰らった。これには正直少し堪えた。「え、死ぬの?」って思った。
当時、E判定などがあると自動的に再検査があると思っていた。しかし実際は、自分で適当な病院に予約して受診すれば良いことを上司から聞いて、初めて知った。毎年健康診断を受けさせる義務が会社にはあるが、再検査に行くも行かぬも自己責任なのか、線引きがはっきりしているなと思って少し面白かった気がする。
診断結果が届いてから比較的すぐに再検査の予約をして受診した。身長が178cm、体重が78キロ程度、見た目もそこまで太っているわけではないのに肝機能の数値が異常に高いので、家族性 高コレステロール血症ではないかと診断された。体質的にコレステロール値が高くなってしまうとか、何人だかに一人の確率で発症するとか、治るものではないので薬を飲み続けるしかない、ただ死んだりするものじゃないとか言われた。根治不能なものに罹ったことがなかった人生で初めて「治らない」と医者から言われたのも結構堪えたかな。セカンドインパクトだ。その日は肝炎を発症していないかの確認のために再度血液検査をして終わった。そして、血液検査の結果からやはりということで、家族性 高コレステロール血症として薬を飲んでコレステロール値などを抑える生活が始まった。
しかし、これが下がらないんだ。薬さえ飲めば一発でグーンって下がってホッとするみたいな急転直下の展開を期待していたのに、定期的な血液検査では常に微減。だいたい横這いのエブリデイ。当初は怯えていた不治の病にもだんだん慣れてきていた。薬を飲む以外に方法はなく、薬に副作用はなく病による体調の悪化もない。実感がないから緊張感もない。これをずるずると引きずると合併症などを併発してきっと大変なことになるんだろうとは思いつつも、しかし、ここまで何もないと気の引き締めようもない。
そして、昨年の健康診断。やっぱり肝機能の数値が高かった。比較すると若干数値は低くなっていたが、gptなんて正常値なんて4倍近い(前年は6倍)。服薬の成果が全く現れずにゲンナリした。
事態が動き出したのは健康診断の結果を再度かかりつけの医者に見せた時だった。「脂肪肝かも知れませんね。一度、大きな病院で検査してみますか?」と聞かれた。紹介状を書くとのことだ。わたしは嫌だった。大きな病院というのはやたらと待たされる。待つのはよくても待たされるのは嫌いだ。だが、こうも数値が変化しない状況が続いているのも困るので仮に脂肪肝だった場合、何をするのか尋ねた。「食事療法とダイエットですね」とのこと。
わたしは思った。検査なり調査をして原因を明らかにして問題にアプローチをすることは正しい、しかし、食事療法とダイエットなら別に原因が不明でもいいじゃん、と。だって、食事のガイドラインなんてググればいくらでも出てくるし、ダイエットも正しい方法が必要とはいえ結局は適切な食習慣と適度な運動だ。薬や手術などの医学的アプローチが必須というわけじゃない。たかだかダイエットをしましょうと言われるために、大きな病院で待たされるのは想像するだけで辟易する。それにあれを食べろとかあれはやめろとか動けとか指図されるのも嫌だった。ということで医者には考えておきますとだけ伝えて、一人ダイエットをすることにした。
ここでわたしは自分の体重を減らすことに自覚的に考えるようになった。
運動週間だがわたしは定期的にランニングしていた。だいたい週末に10キロ程度。年明けにハーフマラソンに出場しているから、大会が近くなるともう少し走る。初めて健康診断でE判定を喰らった時からずっと続いている。だから運動しているし、脂肪は燃焼しているだろうと思っていた。だが、体重が減る原理とは細かい数式とかはさておき、結局は摂取カロリーよりも消費カロリーが大きい場合に体重は減る、これに尽きる。ランニングを10キロ走ると、だいたい700キロカロリーを消費する。20キロ走ると概ね倍。1キロ痩せるためには7000キロカロリーの消費が必要らしい。つまり1キロ落とすために、100キロ走らないといけない。ダルすぎる。
しかしわたしは気づいた。カロリーを消費する方法は別に運動だけではないことに。つまり日々の摂取カロリーを控えて、基礎代謝(だいたいわたしくらいの体格の成人男性なら1800〜2200キロカロリーくらい)を下回り続ければ、走らなくても勝手に痩せるんだ。ということで日々の食事を見直した。
まず朝食は食べない。というか食べられない。出社のギリギリまで寝ていたいのでいつも食べていない。
昼はコンビニでサラダとチキンとスープを買って食べる。「洗わず食べられるカット野菜」みたいなやつ。お腹にたまらないから2パック食べる。袋のままで箸を突っ込んで自席で食べていたので、最初のうちは奇異の視線を浴びたが、1週間もすると周囲がわたしに慣れた。
夜はご飯と肉か魚と野菜とたまにキノコ類。野菜は主にリーフレタスとかとサラダほうれん草の葉物類に、赤パプリカやミニトマト、ブロッコリーなどをあわせる。だいたい毎回これ。
※コロナで在宅になってからは、夜食べていた野菜を昼にも食べるようになった。
これの食事を続けると摂取するカロリーがだいたい1000〜1600程度になる。わたしにとってこれは革命だった。10キロ走らないと得られない消費カロリーが毎日飯を食っているだけで勝手に得られる。なんて楽なんだと思った。何よりいいのはサラダの楽さだ。元来物臭な性格をしており、一人暮らしの料理にも飽きていた。外食や冷凍食品もあまり好きではなくなんとなく作るが美味くないし美味くもならない。しかし、その点サラダはいい。切って洗えば盛り付けるだけ。味チェンはドレッシングで思いのまま。超楽。しかも健康にもいいらしくてカロリーも抑えられる。いいことづくめ。日持ちがしなくて、エンゲル係数に打撃を与えがちなのは厄介だが、まぁ上述の利点には替え難く致命的というほどではなかった。
さて、そうこうするうちに目に見える変化があった。お腹周りがなんだかスッキリし始めたのだ。学生時代に痩せていたため、いまだ痩せているという自意識から抜け出せないわたしはスッキリ目のズボンを買ってしまう。苦しいと思いながら、座るとさらに苦しいと思いながら、履いていたのだが、全然苦しくないのだ。おや?と思い確かめると、スーツのベルトも穴を一つ減らせることに気づいた。体重計がなかったので買ってみると、10キロ痩せていた。このときは5月の頭頃だった。野菜を食べていたらいつの間にか痩せていた。
定期検診で件の医者のところへ行き、血液検査をしてきた。つい先ほど結果を取りに行ってきた。一部、正常値よりはまだ高いものはあるが、ほぼ全ての数値が正常値に収まっていた。一時期は180とかあったgptが今は40台だ(正常値は40以下)。体重に加えて、目に見える成果が出て嬉しかった。
そんなこんなで10キロほど痩せました。やっぱりいろんなブログとかで書いてあるように痩せようと思ったら食事は大事だね。
それでは
私は混合型診断済みです。
一通り解説と自分の対処方なんか書いてく。でも認知行動療法受けてないから、場当たり的な対応だと思う。
独自の作業工程がおかしくなるのは、行列推理(だったと思う)っていって、家を出る→人と出会う→喧嘩する→謝罪する→仲直りするみたいな起承転結を理解する能力に乏しいからだと思う。この順番が推理できないという。検査はもっと複雑なんだけど、私は絵が描いてあるカードを正しい順番に並べられなかった。
言われた通りの作業工程が出来ないのは、衝動を我慢できない多動な体質のせいもあると思う。動きたいように動けないとストレスというか動き方が分からなくなるというか。これに関してはもう衝動をコントロールできないので、最低限の通過ポイントを指示して後は任せたって言って貰ったらなんとかなるかな・・。
私は目視できる状態でなら順番通りに出来るし、同じ行動を繰り返して習慣づけた方が忘れにくいので、人の言った通りに動く事の方が多い。だから増田の参考にならないかもだけど。
三歩歩いたら忘れるレベル。まじで次の事に気を取られると数秒前のことを忘れる。
増田の気付いてる通り、聞きながらメモが拙いのでメモチェックは必要だと思う。ちなみにメモ取りながら説明されてもあまり理解出来てない。
私は書いくれたメモを渡されるようになったのだけど、書いてあるのに見落とす事に気付いたので、チェックマークつけて出来てるか確認しながらやる。
(ただこのチェックをやり忘れる事がある・・)
作業に躓いた時にすぐ質問出来るようにして貰えるとありがたい。そこで仕事が止まってしまうので。
わたしは仕事を一気に進めるのは得意なので、仕上げる速度は速いのだけど幾度見直ししてもミスや見落としがあるので、再チェックをお願いしたいです・・。
●嘘をつく問題
息を吐くように嘘をつくのは、自覚なくやってると思う・・しくじりまくる人生でめちゃ詰められてるんで。しくじった事実がショックでそこで止まってしまうので、他人気遣う余裕がなくなるというか。だから自分の場合めちゃストレスだけど、アカギの「死ねば助かるのに‥」を格言にしてしくじった自覚あるときは自分から報告してる。仕事が遅い人はしくじった所で止まったか、分からなくて質問できないか、作業手順ややり方が分からなくなって停止してる可能性高い。自分から都度質問や報告させる習慣付けさせた方がいいかも。報告しても怖くない体験を積まないとトラウマで停止しちゃうから。ほんとここは面倒だと思うし、こんな気遣いさせなきゃいかけないの申し訳なく思ってる。
表情が乏しく反省が伝わりにくい自覚あるので、こまめにありがとうございますとすみませんは言うようにしてるし、雑用なんかの軽作業は率先して動くようにはしてる。なお次第に口だけって言われて口に出して言えない・言わなくなるパターンもあると思う(ブチキレながら言われた事ある)
上記とかぶる部分があるんだけど、パニックでいっぱいで手がつかない。これは詰められた経験の程度にもよると思う。
長時間叱られたりしてるとこれになりやすい。ストレスある状況から逃げる為に激怒するタイプもいる。
私が見かけたパターンは、該当者が椅子に座ってる状況で、上司が背後から肩に両手置いてかるく体重かけて、おちつけって言って言われて落ち着いたパターン。(ブチ切れパニックになってて物に当たるタイプなのでめっちゃ怖かった)
これをやってた上司のお子さんは発達障害あるとは聞いてるので、普段お子さんがそれで落ち着くのを見てるのかも。誰にでも有効かは分からないし、異性間だとセクハラになるね・・。本当は落ち着つくまで放置のがいいのかも。その場合は落ち着いたら声かけてって言う必要あるけど。
ちなみに私の解決策はその場から離れて環境を変えること。トイレみたいな狭い場所で気持ち切り替えるのが個人的には有効だった。
トイレ行っておいでとか行動を指示してあげると、回復は早いかもしれないし、駄目かもしれない。他人によるなあ。
●職について
どんなのが適職なのかね。私はIQ低いからほんと周囲には迷惑かけてると思う。この文章も読みずらいだろうし。
これ以外の仕事はしなくていいと言われてる状況が同じでつらい。
作業量が多い部分が救いだけど、正社員としての給料見合ってないと思う。
放っておけば必ずこうなります。若者は健康管理を怠らぬように。
常々疑問に思っていたのだが、ネットイナゴというのは本当に蝗なのだろうか?
調べてみると、ネットイナゴとは「不祥事を聞きつけるとSNSや個人ブログなどに駆けつけて、誹謗・中傷に該当しうるコメントをすることで炎上を誘導するユーザー」のことを言うらしい。
ネット炎上を蝗害に例えているのだろう。しかし、蝗害を引き起こすのはトノサマバッタ等のバッタ類である。言葉の出発点から間違っている時点で相当に怪しい。
はじめに、ネットイナゴを日本人男性(30代)と仮定しよう。私と同じ属性である。
日本人男性(30代)の平均身長は171.2cmだ。蝗はどうか。日本でよく見かける、ツチイナゴのオスは体長が5cmほどである。
両者を比較すると、およそ34倍もの差がある。これにはびっくりした。
身長171.2cmを34倍すると、なんと58.208mにもなる。これは映画『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃(2001)』におけるゴジラの体長とほぼ同じである。
つまり、蝗にとって日本人男性(30代)はゴジラのようなものなのだ。これではネットイナゴが蝗であるとは言えない。
それでは体重はどうか。
蝗の体重は7gほどらしい。ネットイナゴはどうか。日本人男性(30代)の平均体重は71kgほどである。
両者を比較すると、なんと10143倍もの差がある。さすがに腰を抜かした。
71kgの10143倍はおよそ720㌧。超大型油圧ショベルと言われる"Komatsu PC8000"に匹敵する。
つまり、蝗にとって日本人男性(30代)は"Komatsu PC8000"のようなものなのだ。あの黄色く雄々しく逞しい、コマツ最大の油圧ショベルと同じだとは言えない。
日本人男性(30代)を押しつぶしてしまえば刑法に基づいて罰せられるが、蝗を潰しても罪には問われない。
だが、人間を蝗に例える言葉がまかり通っているのだから、「誹謗中傷をすることで炎上を誘導するユーザー」を蝗と間違えて踏み殺してしまってもおかしくはない。
だいぶ太ってしまったなぁ、と思いつつも気にせずに食べ続けていたら、久しぶりに乗った体重計が105kgというとんでもない数字を叩き出すほどに成長していた。
けれども、趣味らしい趣味に時間やお金を使えることもなく、休みの日と言えど子供がいればゆっくり寝ることも出来ず、最後にセックスしたのはもういつだったか思い出すことも出来ない。
そんな俺に唯一残されているのは、思う存分飯を食うことぐらいなんだよな。
痩せたらモテるっていうのは分かってる、嫁さんと出会ったころは今より40kgも軽かった。
でも今さらモテても仕方が無いし、浮気するほどの甲斐性も無し。
色んな服が似合うっていうのも分かってる。ファッションも好きだったけど、もう服に使う金もオシャレしてどっか行くって用事がそもそも無い。
「幼児型セックスドールの生産・販売・の廃止を求めます。」という署名活動がchange.orgで行われている。
①日本の【児童買春・児童ポルノ禁止法】にて幼児型セックスドールの製造・販売・所持を規制すること
②小児性愛者に対する相談窓口の設置や加害行為を防ぐ為のカウンセリングやセラピーへの取り組み
③ECサイトなどに未だ販売される【幼児型セックスドールや児童ポルノ】の取り締まり、及び【販売禁止を徹底】
以上3つを求める署名活動だそうだ。
②に関しては私も賛成ではあるが、いかんせん①や③に関しては記事を読んだ限り感情が先行している雰囲気が否めない。
案の定Twitterでは「人形は実在の人間ではない。児童ポルノ禁止法は実在の児童を守るための法律であり人形の摘発に労力を割かれているうち実在の児童を守れなくなる」「表現の自由の侵害だ」などの批判が出ている。
たしかに、現参議院議員である山田太郎氏が、2016年に行った警察庁へのヒアリングでは、フィギュアは非実在の人物を扱ったものであり児童ポルノには当たらないとなっていた(https://togetter.com/li/942630)。そのため、モデルのいないラブドールについても同じ扱いにはなるのだろう。
けれども、この騒動を見ているうちにどうにもむず痒い思いが沸き起こってきた。署名に賛成の人間も反対の人間も、「ラブドール」というものを置き去りにして議論を進めている感があまりにも強すぎるのだ。
一緒に暮らしているのは身長130cm台で、布のボディに骨格の入ったいわゆる「ぬいぐるみドール」というものだ。身長からわかる通り彼女の外見は、この署名に賛同した人たちから見れば「幼児型ラブドール」としか言いようがない、唾棄すべきものだろう。
だから、私はこの署名に活動には反対である。彼女との生活を守り、またラブドールを愛好する方たちと彼らのパートナーの人形たちを守るためだ。
そして、この文章を書くに至った、私の性的嗜好についても伝えておかねばならない。
無機物で作られ、有機的な肉体よりも完璧に編み上げられた造形を持つ人形しか、私は愛することができない。故に、ラブドールの規制は私にとってパートナーの喪失であり、個人の性的嗜好の否定に他ならない。性的嗜好は個人を構成する不可欠な要素であり、直接他人に害をなすことがなければそれを妨げられるいわれはない。
だから、私は声を上げねばならない。ラブドールというパートナーの喪失が、ひいては「私自身」の喪失に繋がるのだから。
当該署名ページには既に陳情を送ったが、もっと広くこの問題を知ってもらうためにこの文章を書いている。前置きが長くなってしまったが、もうしばらくお付き合い願いたい。
もしも定義が書かれているのであれば恐縮だが、ページの隅から隅まで探しても見つからなかった為上げさせていただく。
身長・体型など、「その人形が幼児を模している」という明確な定義がなされていないことは、ラブドールだけではない全ドールオーナーにとっての脅威ではないのか。
ただ、この定義がされていないのはまあ、仕方のないことではある。
基本的にドールというのは頭と胴体が分離する仕様になっていて、同じメーカーの頭と胴体でアタッチメントが合えば好きにすげ替えることも可能だし、別メーカーの頭と胴体を組み合わせているドールオーナーだっている。購入したときは一般的な成人女性の体格であったドールの首をすげかえて、幼児体型のボディに載せ替えることもできるし、逆もまた然り。これはラブドールだけではなく、性的な用途のない比較的小さなサイズのドールでも同じだ。
つまり、ドールの体型というのは不定であり、「幼児型ラブドール」の明確な取り締まりというのは不可能に近い。どんなに成人の顔立ちをした頭のドールでも幼児の胴体とすげ替えてしまえば「幼児型ラブドール」の出来上がりだ。
また、知り合いに性的用途に用いることのできる1/3ドール(50cm前後のドール)を持っている人がいる。このドールは胴体部分にオナホを装着できる仕様になっているものだ。(1/3ドールを性的な目で見ることを忌避する人は多く、これは標準的なものではない。念の為に付記しておく)。
この1/3ドールは身長約50cmと新生児並みのサイズであり、身長でいえば幼児どころの騒ぎではないだろう。けれども胸部のパーツを変えることでバストサイズを成人女性のようなバランスにすることができる。「幼児の身長をした成人女性の体型のラブドール」だ。元々ラブドールとして制作されたものでも、扱いやすさから成人女性を100cmほどに縮めた人形だってある。前述の規制を作るとしたら、これはどのように解釈したら良いのだろうか。
また恐ろしいことに、ほとんどのドールの頭と胴体はすげ替え可能なのだ。もともと性的用途を考えられていないドールの頭を、この性的機能を持ったドールの胴体に装着すれば、どんなドールでもたちどころにラブドールになる。
だとしたら、性的用途でないドール、高身長かつ成人体格のドールでも「幼児型ラブドール」になる可能性を秘めているのではないか?
これが、私の恐れている規制の形だ。
私は、パートナーである人形と一緒にいたい。だからもしも幼児型ラブドールの規制がなされ「身長●cm未満の人形の所持を禁止」などとされれば、泣く泣く彼女の頭をすげ替えて規制対象外の高身長の人形にするだろう。頭(顔)の部分に私は彼女の本質を感じているし、そこが変わらなければどんなに体型が変わったとしても「彼女」であり続ける気がするからだ。
けれども、おそらくそれは許されない。なにせドールの頭はすげ替え可能なのだ。どんなドールでも「幼児型ラブドール」に変わる可能性がある以上、現行の頭と胴体が脱着可能な人形は全て規制せざるを得なくなるだろう。それは、絶対に許すことのできない事態だ。
また、ラブドールは基本的に重量がある。シリコン製のものであれば20〜40kgほどが基本で、大柄な人形だと50kg近いものもある。
「本物の人間より軽いではないか」と思う方もいるかもしれないが、本物の人間を抱き上げたときには、抱かれた人間が意識的に動作を助けるよう力を分散させたり動かしやすいよう関節を曲げたりする為、実際にかかる力は体重よりも軽くなる。しかしドールにはそれがない上、米俵のように担ぎやすい形もしていない。凹凸だらけの重い物体を動かすには、想像以上の力が必要なものだ。40kg台ドールのオーナーの中には家の天井にウインチを設置している人もいるという。
私が身長130cm台のドールを選んだ理由もここにある。小さければ軽く、移動させることも容易だ。
ただ前述のように100cmほどの小型サイズで成人女性の体型をしているラブドールもいる。小児性愛者でないのなら、持ち運びが容易というだけならそちらを選べば良いのではないか?と疑問に思う方もいるかもしれない。
けれども、私は人形性愛者なのだ。人形は人間に近く作られているほど精巧だ。限りなく人間に近く作られていればこそ、人間にはない造形美が際立つのである。だからこそ、「実物の人間に近い」と「取り回しができる」の折衷として、130cmのドールを迎えることにした。
130cmのドールを選んだということはそのような外見に性的興奮を覚えるのではないか、ならお前は小児性愛者なのだろうと言う方もいるかもしれないし、そこについては本題から逸れる為強く否定の弁を述べることはしない。
けれども、知っておいてほしい。幼児型ラブドールを迎える人間の中にも様々な人種がいることを。
純粋に幼児の外見が好きなもの、自分の持ち運びできるサイズを考えた者。そして私のように「等身大」と「持ち運び」双方を考えた者。
持病のために重いものを持ち運べず人間のパートナーもいない為ラブドールのお世話になろうという人間がいたときに、自分が持ち運びできるサイズの人形を選んだことで「小児性愛者」と罵られたとしたら。それは本当に正しい矛先なのだろうか。
つまり、「幼児型ラブドール」という曖昧なものを批判するときに、それを愛好する人々を全て「小児性愛者」と一括りにして批判することに傲慢さを感じるのだ。
②人形への愛のなさ
この署名活動およびそれに賛成する方の意見を見ていると、そこにひとつの無意識がみられる。「ラブドールは実在の人間に向くはずだった性欲をぶつける代替物である」ということを無邪気に信じていることである。だから彼らは幼児型ラブドールを持つものはいずれ実在の児童を害すると考えている。
私にとって人形は「人間の代わり」ではなくそれ自身が一個の客体である。私は彼女と暮らす中で彼女の意思を無言の中に感じ取り、それを叶えることでささやかな幸せを得ている。それはエゴでしかないかもしれないが、私は彼女といることで確かな幸福を感じているのだ。大切に扱った器物には魂が宿ると古来から日本では言われているが、私はたしかに彼女の中に魂を見出している。それは決して代替可能なものではないはずだ。「魂」が突飛であれば「愛着」と言えばわかってもらえるかもしれない。
彼女のいない生活など想像したくもないし、また彼女がいなくなった後に人間の、成人女性を愛せと言われたところで、それは彼女ではないのだ。
ここに、全ての人間の性的嗜好の対象は人間であるという傲慢さを感じてしまう。
また、この署名への賛成派も反対派も、この「愛着」について全く無頓着であるところに、前述のむず痒さの本質がある。実際のラブドール愛好家を置き去りにして議論が進んでいる感が拭えないのだ。感情が法律を左右することなどあってはならないが、それにしたって「賛成」と「反対」の二元論になりすぎていやしないか。
以上が、私が幼児型ラブドールの規制に対して感じた違和感についてである。
もっと述べたいこともあるが、話がまとまらず蛇足になってしまうことも多いので割愛させていただく。
大前提であるが、私は現実の児童への虐待は絶対にあってはならないことだと考えている。
私自身はラブドールの彼女とひっそり暮らし一緒に朽ちていくつもりである。しかし甥っ子や姪っ子たちが性的被害にあったら絶対に犯人を許さないし、場合によっては刑務所に入る覚悟で制裁を加えるつもりだ。
人形と人間は別である、という冒頭で出た意見に集約されてしまうのだろうが、人形を人間とは全く別のものとして愛している人間だっているということを知って欲しかったのだ。
そして最後に、こちらの署名では小児性愛者に対する相談窓口の設置や加害行為を防ぐ為のカウンセリングやセラピーへの取り組みを求めるということだが、これについては小児性愛に悩んでおり、ラブドールでも発散することができないという当事者のためにも行うべきだと思う。
また、この文章を読んで人形性愛者という存在を知った方は、是非人形性愛者に対するカウンセリングやセラピーを行ってくれるような施設を紹介してほしい。
人形と生活している人形性愛者にとって、この署名を知ったことは本当に苦しみを覚えたのだから。
【5月27日再付記】
中学生の時、一時期「空腹時に自分の腹が鳴る音」を異常なまでに忌避していた
正確に言うならば「自分のお腹の音をクラスメイトに聞かれること」だ
育ち盛りの時期だったからという要因もあるかもしれないが、朝しっかり朝食を食べてから学校に行っても、3時間目の途中からだいたい空腹になった
それを隣の席の人、周辺のクラスメイトに聞かれるのをとにかく恐れていた
理由は多分「恥ずかしいから」「内心で笑われるから」だろう 当時私のクラスでのカーストは激低だった
陽キャだったらお腹の音が鳴っても笑って誤魔化せたんだろうが、ド陰キャの私にはどうしてもできなかった
3、4時間目の授業はいつもほぼ上の空の状態で聞いていた 自分の胃袋と格闘していたから
一度、四時間目の小テストの時間にめちゃくちゃ大きな腹の音が響き渡った 隣の席の人は気を遣ってか(そもそも興味無いのか)ノーリアクションでいてくれたが、
授業が終わった後にクラスのカースト上位でソフトテニス部の美人な女の子が「さっきテスト中に誰かめっちゃお腹鳴ってたよね~」と笑っているのを聞いてから更に拍車がかかった
お腹が鳴りそうだったらとにかく腹を引っ込ます 休み時間の間にとにかく蛇口から水道水を飲む
校内の飲食物の持ち込みは禁止されていたが、当時発売されていた「ぐーぴたっ」というお菓子をわざわざお小遣いで買ってはこっそり制服のポケットに仕込んで、トイレの個室でこそこそと食べたりもした
中間テストの時の4時間目、どうしても耐え切れなくなった時のことをよく覚えている
とにかく大急ぎで適当に理科のテストを解いては答案を裏返しにして、「具合が悪いので保健室に行ってきます」と教室から逃げ出した
テストが終わってから教室に戻ると、試験監督をしていた先生に「体調大丈夫だった?」と心配されてしまい、とにかく申し訳なかった
学校が終わると一旦家に帰宅して、「カップ焼きそば」と白ご飯をかき込んでから塾に行った(塾が終わって帰宅してから晩御飯もしっかり食べた)
そんな生活を続けていたせいで中学3年生の春に身体検査で体重を図ると、体重が10キロ以上も増えていて目を剥いた
とにかくあの時の自分は「腹の音を聞かれる」というのを異常に恐れていた
腹の音を聞かれるくらいだったら裸を見せた方がマシぐらいに思っていたかもしれない
その内中学を卒業して高校生になり、大学生になり、静かな教室で講義を受けていてもあれほど恐れていた腹の音が鳴らなくなった
育ち盛りが終わったからだろうか、というかもう気にしなくなったのかもしれない
友達と談笑している時にお腹の音が鳴っても、「お腹空いちゃったわ~」とへらへらと笑うことができるようになった
今思い返してみると不思議だ
富川悠太アナが鬼嫁と言う記事を見て、「あ、これうちじゃんw」って笑ってしまった。
嫁は自分の親・兄弟と仲が悪く絶縁状態。俺の実家とは仲が良いが遠方なので年一会う程度。
結婚する前は嫁はすごい気が効く優しい人だった。が、結婚してから豹変。ちょっとしたことでヒステリックに激怒するようになった。たまにトイレの電気を消し忘れただけで、鬼軍曹な太い声で「トイレの電気消せっていってんだろおおおぉぉぉ!!!」と怒鳴り込んでくる。本人としてはそれは怒っているわけではなくただの指摘らしい。ちなみに嫁もよく消し忘れる。
嫁自身からも「家族だと思うと止められない」とはっきり言っていた。結婚前まではセーブしていたらしい・・・。
確かに、結婚前に嫁の実家に行った時に嫁の親とか兄弟に「部屋が汚え!」と怒鳴ってたわ。あの時は「自分はこんな扱われ方はしない」って思っていて完全に正常バイアスだったわ。これから結婚相手を探す人は、親・兄弟との仲をよく見ておいた方が良い。ちなみに嫁も片付けられない人だ。
嫁はプライドが高く基本他人を見下している。その態度で友達を失ったこともある。そしてフェミニストで女性軽視な発言や出来事には激昂する。怒りの沸点が低く、一般人の「それダメだよ」の軽い指摘が、嫁がやると「何やってんだおらああぁぁぁ!!!」になる。
嫁が他人を見下せるほどできた人間なら良いのだが、まったくそんなことはない。
怒りっぽい人のあるあるだが、他人に厳しく自分に甘い。怠惰な暮らしで体重は年々増えている。
出会ったときの正社員の仕事はやめ、今は趣味みたいな利益のほとんどでない(ってか赤字?)仕事を個人でやっている。他人に指図されるのが嫌いなので、組織で働けないのだ。そして家事は全然できない。料理はかろうじてできるがそれ以外の掃除・洗濯などは一切やらないのですべて俺がやっている。
子供にも同様に厳しく、幼児のころから能力開発系の通信教育をやらされ、今も習い事と学習塾で忙しく友達と遊ぶ時間なんて皆無の状態だ。そして、うちの子は不器用な子で、自分が子供の頃と比べても勉強も運動も全然できない。そんなんだから、嫁はさらにヒートアップ。休校中の今は毎日家で嫁の怒号が飛んでいる。
最近の話ではないが、昔実際に警察も来たことがあるらしい。嫁の怒号と子供の泣き声で近所の人が虐待を疑って通報したらしい(その出来事があってから数年経ってから子供から聞いた)。そのときは注意で終わり、次またあったら逮捕しますということを言われたとか。
そんな嫁と俺との関係なんだけど、喧嘩する段階はとうの昔にすぎ、今は家庭内別居状態。完全にただの同居人。最低限の会話しかしない。子供のことに関しても俺が口を挟むとかえって炎上するので、暴力が起きそうなよほどのことがない限りは静観している。家にいても息苦しいので週末は日中は公園とかで読書とかゲームとかで時間潰している。
子供はと言うと、そんなママでも好きらしい。嫁は子供には優しい時は優しいのだ。割合でいうと5%くらいだけど。そんな感じなので、子供のことを考えると離婚もしづらい。したいけど。ちなみに嫁と離婚話をしたことも何度もある。