はてなキーワード: 休みとは
Homme mort ne fait guerre.
ある日からぬいぐるみを飼い始めた。クマのぬいぐるみで名前を「サモエド」にして、なんだか見た目がさびしいので右腕にピンクのリボンを付けた
朝には「おはよう」
夜には「おやすみ」
夕飯の時はテーブルに置いてなるべく残さず食べて「おいしいね」って言ったり
そんな生活をしていた
だが、それからしばらく経ったある夜、僕は仕事で怒られすぎて歯磨きもせずにサモエドを抱きしめたままいつの間にか寝てしまった。
気づけば、朝の9時である
公園はもう陽の居場所となっており、申し訳なさそうにベンチに座ってサモエドと食べた。
サモエドにとって初めての外の光り、眩しい光
「昨日の夜はありがとう」
そう言って私はそっとサモエドの頭を撫でた
私の実家は細い。
父は戦争で父(私の爺さん)を亡くし、中卒で新聞配達をしながら育ったらしい。
母も戦争で父(私の爺さん)がPTSDになり早世。同じく高卒で働いて育った。
親もそんな家庭環境で育ったため、叔父叔母も貧乏であり、学も無ければ、家に本も無く、父は飲みにケーションの営業マン、母はスーパーのパート職員をしていた。
職業からお察しの通り当然収入も少ない。にも関わらず子供を6人も産んだ。そうなると支出も増える。
クラスでみんながポケモンの話をしていてもゲームを買ってもらえない、ドラクエの話も分からない、スマブラも練習できないので弱い。そして小遣いも一切ない。
私の世代で子供の頃にゲームの話ができないというのは、友達との交流でかなり困難を極めた。
習い事も2つだけ。
地域の爺さんが趣味で教えている「そろばん」と、地域の爺さんが趣味で見守っていた「サッカー」だけだった。
サッカーは習い事ではないか。ちなみにどちらもタダだったようだ。
幸い、勉強はできる方だった。
塾や家で勉強せずとも、学校の授業だけでクラスで5位くらいには入っていた。
どうやら母方の爺さんは名家の医者だったらしく遺伝的には良いものを貰っていたようだ。
まぁ爺さんはPTSDになって一族の恥さらし扱いとなり、その名家との関係は切れてしまっていたが。
そんな私は、高校生頃まで、学校は正しい、政府は正しい、テレビは正しい、新聞は正しい、創価学会最高、共産党は悪だと、周りの大人に言われるがままに信じて育った。
外界から隔絶された田舎で、外界から情報を得る本を読む習慣も無かった私は、ずいぶんと思想面が偏ってしまっていた。
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学校では、放課後や休み時間にパソコンを貸してもらえるようになった。
最初はパソコンでゲームができるということに感動した。ソリティアの達人であった。
そして、パソコンにのめりこみ、出会ったのが「2ちゃんねる」である。
「創価学会をバカにしないでください。池田先生はとても良いことを言っています」
叩かれた。
「高校を卒業したら働こうと思っています。何の仕事が良いですか?」
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2ちゃんねるの影響で、別の面で思想が偏った私は、奨学金をギリギリまで借り、地方国立大学の工学部に進学した。
大学を卒業したとき、高校・大学合わせて奨学金の借金額は600万円まで膨らんでいた。
国立大学の工学部卒だったので、とある大企業にも就職でき、奨学金は5年ほどで全額返済できたのだ。
子供に小遣いも与えられるようになった。
私はこの現状をとても幸せに感じている。
地頭が良かっただけだろうと言う人もいると思う。確かにその面はある。
しかし、私と同じような成績だった兄弟姉妹は、それほど裕福な暮らしはできていない。
実家の太さが大事だと人は言う。地頭の良さが大事だと人は言う。
一番大事なことは、適切な進路に向かえるよう手助けする「情報」ではないかと。
あの頃、インターネットに出会わなかったらどうなっていただろうか。
2ちゃんねるで学歴厨にバカにされなかったらどうなっていただろうか。
情報が少ない地方であっても、貧富に関係なく、平等であり、忌憚のない意見が貰える、
インターネットは偉大だ。
母方の爺さんは病んではいたそうですが、戦後も生きていたので母は戦後世代です。
母の何歳頃に亡くなったのかは知らないのですが、思春期だったと聞いているので中学か高校頃までは生きていたのだと思います。
両親が学会員だったってこと?
ちなみに、自治会のリーダー格は別の宗教で、子供会と称してタダで旅行に連れて行ってくれました。天理教の総本山まで。
タダより高い物はない。
30代前半女デブ
前は平日休み一人暮らし、地元を離れ友達も居なかったのでそこで鍛えられた節はある。
カラオケ、焼肉食べ放題、旅行とかいろいろ一人で何でも行った、美味しかったし楽しかった
逆に友達と遊ぶ時の方がいろいろ決めなきゃいけないし時間だったり服装がおかしくないかなと気を使いすぎてしまってめんどくさい
自分の食べたい量が食べられない、自分の見たい店にふらっと入っていけない、楽しいけど半分交友関係の維持が目的になっている感はある
この前ついには一人で串カツの食べ放題もいけるなと発見してしまった
一緒に行く予定の人間が遅れたことにより、先に一人で入ったが、思ったより目線は気にならなかった
相談風自慢になるのかもしれない
・客が普通に食ってんのに夫婦同士(店長と店員)がくだらない喧嘩始める(しかも個人店ではなくフランチャイズのチェーン)
・小学校で女子生徒に冗談めかして抱きつく男性教師、男子生徒の局部を(なぜか手の甲で)触る女子教師
・淫行で逮捕されて懲戒免職食らった教師がほとぼり冷めたあとによその学校へ再就職してその後教頭に昇進(しかも公立学校での話)
・高校の運動部で血出るまで、怪我するまで部員を殴る蹴るする指導者が当たり前にいた
・(やった側、やられた側を合わせると)カツアゲ経験率の驚異的な高さ
・課のみんなで風俗旅行(気合入ってるとタイに遠征して幼女買いに行く)
・薄給でいいからとにかく休みが多くて残業少ない仕事に就きたいという価値観がキチガイ扱い
・飲食店のレベルが今じゃ考えられないほど軒並み低く、完食不能なレベルにマズイ飲食店すらそこかしこにあったので外食がギャンブル
・深夜番組でオッパイ平気で出るし発売予定のAVの紹介なんかもしてた(ドラマGTOなんかでは作中でAV流れるシーンもあった)
・精神病院や障害者施設で生きるか死ぬかの虐待が平気で繰り返されてた(そういう闇を題材にした『聖者の行進』というドラマがあり、虐待描写が酷すぎて抗議が殺到したらしいが、現実の事件はこれより全然酷かったという)。
また、精神疾患起因の妄想ではなく、健康にも関わらず陰謀によって精神病院に強制連行され薬漬け&軟禁で人生終了させられた人がマジでたくさんいた。
・反社と強い関わりがある、のではなく反社そのもののベンチャー企業でも上場できた
・過激派の内ゲバでまだ死人が出てたし、革マル系サークルに住み着いた部外者の排除に踏み切った大学学部長が自宅から出た瞬間に角材で滅多打ちにされる事件なんかも
・一般人が被害者の凶悪殺人事件が起きたら芸能レポーターや取材陣が平気で葬式に押しかけてその時撮った映像を夕方のニュースで10分くらい流す
・都心まで20分かつ駅近の下町や湾岸エリアの宅地と、都心まで80分かつ駅徒歩20分の新興住宅地の坪単価が同じだったりした
被告人は、金曜日の午前中、増田において「今日耐えたら明日休みだ!!!!!」と発言した。
被告人の発言は、土曜出勤者に対する配慮に欠けるものであり、公共の場における倫理観を損ねるものであった。
しかし、被告人の発言は、一時的な感情によるものであり、悪意を持って行われたものではないと認められた。
さらに、被告人の発言は、社会全体に大きな影響を与えたとは認められなかった。
裁判所は、被告人の発言が土曜出勤者に対する配慮に欠けるものであったことは認めつつも、懲役7年や無期懲役という量刑は重すぎると判断した。
本当は週3の時短で働くつもりだったのに仕事が毎日割り振られてるから週5フルタイムで働いてる。休めない。土日休みじゃないから遊んだりできない。趣味も捨てた。唯一の休みは副業で終わる。体が弱いのに毎日働いてるから具合が悪くなって早退するから時給の私はお金がない。
借金して生きてる。満額借りてもういっぱいいっぱい。一回自己破産してるから二回目はない。
今度他店の応援に行かされることになった。時給1000円のパートなのに。
家では家族からモラハラ受けて、会社ではお局からチクチク言われて、副業でも取引先からチクチク言われる。つかれた。
せめて時給1500円なら耐えられるんだけど。つかれたな。やすみたい。
転職は初めてじゃないのに今は何すればいいのかわかんないや。
芯のある歌声が魅力的なVTuberの小春さんが、2024/1/30に何の脈絡もなく次の呟きを放って、周りがざわついた。
Dr.林の精神科Q&Aを穴の開くほど読んでる自分にとっては、真っ先に「統合失調症の幻覚・妄想っぽい表現だ」と感じた。
もちろん嫌がらせが大なり小なり事実の可能性もあるし、この一文しか材料が無いので、素人が判断できる筈もない。
ただ、「嘘や暴言」が本当にあった前提でリプを送ってる人も居るけど、もし統合失調症だったら妄想を強化するだけなので、肯定も否定もせず、さり気なく周囲への相談に誘導して受診につなげるのが無難。(難しいけど、その方向でリプしてる人も居た)
そして今回は3日後に、小春さんの所属事務所から「精神的・身体的療養のため暫くお休み」との声明が出た。https://twitter.com/YEM_info/status/1753378318651695597
明言されてないからどこまでも想像だけど、やっぱり小春さんは統合失調症に罹ってしまって、事務所が適切に動いてくれた例な気がする。
だとしたら100人に1人が掛かる病気だし、ゆっくり休んで適切な薬を飲んで、無理なく戻ってきてほしい。
父親を亡くした。
随分昔に両親は離婚していて、下の兄弟は音信不通になって久しい。連絡先も知らないし、今どこに居るのかも知らない。
もうここ十数年は私と父の二人暮らしだった。
私もいい歳だし、父親ももういい歳だし、いずれこうなる日がくるとは思って居たけれど、あまりにも突然で一切気持ちの整理が付かない。
警察署で検案書をもらって、こんな紙切れ一枚で終わりなのか、とお腹の奥がずーんと重くなったのを鮮明に記憶している。
離婚した母方の祖母が近くに住んでいたから、わんわん泣きながら電話をしたら寒い中すぐに駆けつけてくれた。
職場は私が高齢の父と二人で暮らして居る事を承知していたし、急な休みにフォローをする体制は整っているから規定の休み以上でも気にすることはないと声をかけてくれた。
友人たちにも報告したら優しい言葉をかけてくれたし、いつでも飛んでいく、電話で話を聞くこともできると何通もLINEが来た。
苦労した人生だけど、私を助けようとしてくれる人間が周りにはたくさん居る事を改めて実感することができて、ありがたさから涙が出た。
前職で何週間も一人でホテル暮らしなんてこともやっていたはずなのに、こんなに家に一人で居るのがしんどいとは思いもしなかった。
情けない事に不意に涙が止まらない瞬間がある。これから事務的な処理がたくさん残って居るはずだからきっとそういうことをこなしている間に気持ちが落ち着いて行くのだろうと思う。
ただ、高齢の父を支えて生きていかなければという気持ちに寄りかかっていた自分の人生が急に解放されてしまった事で、どこへ気持ちを持って行けば良いのか分からなくなっている。
しっかりものだね、なんて言われて生きてきた自分が知り合いばかりのSNSに弱音を吐くのもなんだか気持ちが悪くて、結局こういう場所に吐くほか思いつきもしなかった。
自分は間違いなく幸せ者だという気持ちがあるからこそ、父に対して私は子供であれたのだろうか、とそんな事ばかり考えている間に寝落ちるような日々が続いている。
いつまでも引きずり続けて生きていく事になるとおもうけれど、それでもきちんと自分の人生を歩める瞬間訪れてくれる様に生きていく他ないのかな、と思う。
上司「わかりました、体に気をつけてください」
上司「は?アレとコレとソレどうするの?部長報告する件も事前に見せて欲しいんだけど、(以下略」
同期なのにどうしてこんなに差がついてしまったのだろう
両親とも医者で親が仕事終わるまで時間を潰すために毎日何かしら入っていた
自営なのもあって送迎はしてくれた、祖父母の手も借りていた
もっと色々あったが忘れた
これは半分やらされていたが、そこそこ有名な私立に行くことができた
のどっちか
普段両親が休みがほぼないので、毎年夏だけリゾート地に行っていた。
得したことはここまでで、損したこと、偏見あるなーって思うこと
両親とも医者で親が仕事終わるまで時間を潰すために毎日何かしら入っていた
自営なのもあって送迎はしてくれた、祖父母の手も借りていた
もっと色々あったが忘れた
これは半分やらされていたが、そこそこ有名な私立に行くことができた
のどっちか
普段両親が休みがほぼないので、毎年夏だけリゾート地に行っていた。
得したことはここまでで、損したこと、偏見あるなーって思うこと
親には国公立大の学費を払ってもらい、月数万円の仕送りを貰っていたが別に太い実家ではない(と思っている)
就活は氷河期とリーマンショックの間の世代で大学を出て就職は普通にできたから運は良かった方だ
学生の頃にバイト代を貯めて韓国とタイに行き、日本と違う空気や文化やメシに触れるのが楽しかった
地方の安月給の会社に就職してからも通勤途中でよく読んでたのは海外旅行のweb記事で、それによく出てきたのが会社辞めて世界一周してる人たちのブログとかだった
なんだかんだ5年で会社辞めることになって、退職届出した時に貯金が250万ほどできており、ふと世界一周できるな?したろ!
行きたい所は3つだけ決めていたが、ルートは未定で、基本的に現地で次の目的地への交通手段を手配する感じだ
最初の目的地はネパールで、上海から昆明まで40時間超の長距離列車で移動し、そこから飛行機でカトマンズに入る
漫画版神々の山嶺を読んでエベレストを見たかったので、ベースキャンプへのトレッキングをした
4500mを超えたあたりからクソしんどかったが生のヒマラヤは鮮烈だった
そっからインドに行き、一ヶ月ほど時々腹を壊しながらカレーを食べつつインド人に騙されたり頻繁にボラれたりし、スリランカからシンガポールへ飛び、シンガポールから第二の目的地タイのバンコクへ陸路で移動する
その後ビザが必要なミャンマー以外のインドシナ半島各国を麺や焼き飯を食いながら一周し、次は西へ行きたいと氷入りのビールを飲みながら思っていたところ、マレーシア航空のドバイ行き格安チケットを見つけたので予約し、ドバイではオイルマネーの力に驚嘆し、世界一高いビルのブルジュハリファは入場料が高かったので外から見た
飛行機で紅海対岸の禁酒国家イランへ、イランは旅人には親切にしろと刷り込まれているムスリムの国なのでいい所だが、テヘランのバスで男にケツを撫でられる
後で知ったがゲイがバレると当地では死刑になるので外人をターゲットにするそうだ
イランは当時も経済制裁の影響でatmでのキャッシングが使えず、米ドルを街中で両替するのが面倒なことと、酒が無いので1週間くらいで出国することにし、バスを乗り継ぎアルメニアに抜けて飲んだワインはクソうまかった
当時まだグルジアだったジョージアはワインもうまいが料理がとてもうまい、元栃ノ心さんがワインの輸入するそうでがんばってほしい
シュクメルリが話題になったがヒンカリ、ハチャプリ、ほか名前もわからん料理などどれもうまかった
黒海沿いに移動して、パンがクソうまいトルコでカッパドキアとイスタンブールを回り、ボスポラス海峡を渡ってようやくヨーロッパへ入り、ブルガリアでヨーグルトを食べて元琴欧州鳴戸親方の生地ヴェリコタルノボを歩いた
ヨーロッパはさすがに文明的で、旅するのに快適であまり苦労した覚えがない
バルカン半島経由で北上し、ポーランドから船でスウェーデンに渡り、ノルウェーでサーモンを食うため北極圏の町トロムソに行き、魚屋で買ったサーモンとオスロで買っておいたスシライス(カリフォルニア米)を炊いて寿司を作って、ホステルで一緒になったドイツ人カップルに振る舞いながら500mlで1本700円くらいするシロクマのラベルの缶ビールを飲んでいたところ、オーロラが出たので見られたのは幸運だった
ノルウェーは物価が高すぎたためオスロ空港で出国前に2晩ほどベンチで寝てたら警備員に注意される
インドで知り合ったスコットランド人学生を訪ねてライアンエアーでオスロからエジンバラへ、夜ギグに行こうと言われて半地下のクラブへ連れて行かれる
さっきまで壇上でサックスを吹いてたシュッとした青年が普通にアンフェタミンを勧めてきてびびったが、すでにエールで酔っ払っていたので楽しかった事しか覚えていない
そこからメシと酒がクソうまいバルセロナへ飛び、夜な夜なバルでセルベーサを飲み、昼はパエリアを食ったりおやつにバレンシアオレンジをかじり、マドリードの安宿の屋上テラスの藤の椅子に座ってチーズとハモンで赤ワインをやりながらどこに行くか迷っていたところ、サウジアラビア経由エチオピア行きのチケットがあったのでアフリカに入り、大地溝帯に沿って南下し、ケープタウンまで陸路で移動することにした
アフリカはどこの国も同じで当然黒人ばっかりでメシがまずく、衛生状態も治安も悪く交通機関もクソだが、ヤリまくって産みまくって死にまくるという原始の人間の生活を見られたほか、やたらと多い子供は汚いがかわいかった
あとサバンナは最高にきれいで、朝焼けの露に濡れた草原が輝く景色は忘れがたく、ライオンやキリンやゾウは動物園で見るのと全く違う美しさだった
ナミビア、ボツワナ、南アフリカはサブサハラの中でも経済が強いのでそれなりに文明的な旅ができたが、ナミビアの乗合バンのエンストはしょっちゅうで、止まったバンを乗客みんなで押しがけした
乗客同士で一体感が生まれて面白い体験だったが、ライオンのいるサバンナで夜中2時に止まった時はヒヤヒヤした
ケープタウンで久しぶりにうまいワインを飲みながら南米行きのチケットを探して、カタール経由ブエノスアイレス行きを見つけ、カタール航空の機内食のハーゲンダッツが久しぶりのまともなアイスクリームだったので感動して3個も食べた
アルゼンチンは肉とワインがメチャ旨く安いので、毎日安ワインを1本ずつ開けた
チリのワインも当然うまく、フロンテラというのが安くてお気に入りだった
このワインは日本でも飲めるが、やはり現地と味が違うような気がする
アルゼンチンやチリはバス網が発達していて、車内は三列シートが基本でゆったりでき、パーサーがいて食事やワインのサービスもあり快適だったが、普通に丸2日バス移動とかがあり広すぎである
南部パタゴニアの名峰フィッツロイやチリのパイネでトレッキングをして、道中一緒になった日本人女性に恋をするが思いは伝えられずそのまま別れた
この人とは帰国後たまに会ってメシを食う仲だが、一度冗談ぽく結婚しないかと言ったら、お前のような貧乏人とは結婚する訳ないと言われた
チリを北上してアタカマ砂漠の星空を見て、それから三番目の目的地ウユニ塩湖へ向かう
昔ポカリスエットのCMでビートたけしが立ってた鏡張りの景色で有名な所で、ちょうど日本の大学の春休みシーズンだったため、ウユニの街は日本人学生だらけでちょっと辟易したが、さすがに見渡す限り鏡張りの光景や遠近感の無くなるほど遠くまで広がる塩の平原はめちゃくちゃにきれいだった
そのあとペルーへ移動しマチュピチュに行ったが、すでに遺跡を腐るほど見ていたのでやや感動が薄かった
ペルーあたりからラムが安いので、全世界同じ安心安全のコカコーラを買って毎晩ラムコークを飲んでいた
バスを乗り継ぎエクアドルのグアヤキルに行き、ガラパゴス行きの飛行機を待つ
グアヤキルで数日滞在した安宿から15分くらい歩くと、カラフルな家がびっしり建つ丘があったので、ぶらぶらしていたらおばちゃんに呼び止められる
スペイン語はほぼわからないが、この先に行くと死ぬ的な事を言っているようで、あとで調べたらその先には有名なスラムがあった
別に一人で帰れるがおばちゃんの息子らしき人にホテルまで送ってもらう
グアヤキルは新婚旅行で訪れた日本人夫婦が強盗に遭い、旦那さんが殺された事件があった所である
ただしガラパゴス諸島は観光地のため、先進国並みに治安は良く、物価も同じくらい高い
アシカやウミイグアナがうじゃうじゃおり、進化論で有名な鳥のフィンチも数種類見てリクガメも写真に撮れたのでとても満足した
南米本土に戻って北上を続け、コロンビアのボゴタでオーパーツの黄金ジェットを見たが絶対あれは魚だと思う
このあたりで日本を出て1年少々経過しており、だんだん旅に飽きて働きたくなってきたので日本へ帰るチケットを探しはじめ、フロリダを経由してニューヨークから日本へ帰還した
成田の「おかえりなさい」のサインを見て泣きそうになり、缶コーヒーとコンビニのざるそばがうますぎて泣いた
使った金は約200万円、1年1ヶ月の旅だった
今はちゃんと再就職していい年になってしまい、結婚して子供ができたりして、出張以外でなかなか海外に行くことはないが、たまにあの頃は楽しかったなあと思い出す
昨日今日休みなんだけど、することあるのに全国の震度観察に勤しんじゃう
大地震に身構えて何も出来ないんじゃ困る
でももう有感地震が6時間近く止まってて、大きめのやつが来そうで気になる
おちおちお風呂にも入れない
小さい地震早く来い
海外旅行に行ったことない人は「海外旅行=凄くお金がかかる」って思い込んでるフシがあるかも
新卒の頃に会社にリフレッシュ休暇制度があって平日に5日間連続休みが取れるからタイに行って来たんだけど、高卒の上司から「海外行ったんだって? 旅行で貯金全部使い切ったんじゃないの?笑」とかって言われたよ
旅費トータルで10万円もかかってなかった(まだサーチャージが無かった頃の話)し、一体海外旅行っていくら掛かるって思ってるんだろう・・・、「こいつなんもわかってないな・・・」という哀れみの目で見てしまいました
なんかで今週3連休って今日しってまじかよって思ってカレンダーみたらまじだった
月曜ってやっぱいやだからなー
そのおかげできょう(もう日付かわったからきのうか)はおしごとがんばれた
きょうもがんばるぞー
そのまえに寝なきゃ
うんちやにねこ食べる
就活、修論、新しく始めたこと、色んなやらなきゃいけないことが重なって少しお疲れ気味なところに、自分のミスが原因で片付けなくてはいけない問題が発生して心が大荒れ。
久しぶりにこんなに落ち込んでるなってくらい落ち込んでいる。
一つ一つは大したことないのに、全部が重なるともうわけがわかんなくなって、とにかくもう逃げたいやめたい消えたいみたいな。
疲れたら休もう!とか簡単にいうけど、休んだらもっと置いていかれて状況が酷くなることは目に見えてる。やらなきゃいけないこともいっぱいある。本当にしんどくて何もできないけど、できませんはきっとただの怠惰にしか見えなくて。
そして自分のせいで生まれた問題に完全に心が折れてもう自己嫌悪で消えたくて。
何が辛いのかもわかんないけどとにかく全部しんどい、やめたい。もう逃げたい。
耐えて、目の前のこと終わらせていけばいつか状況が好転することは知ってて、わかってて、でも今はそれよりも辛くて耐えられない。
いまもこんなこと書いている暇あるなら資料作ればいいのに。と思ってまた自己嫌悪。
全部うまく行かないし、今日もやることやったのにまだ全部終わってないからって自分に満足できない。
辛い。全部辛い。何もできないわけじゃないのに一つできないと全部できないように見える。
あーー。耐えられないな。本当に。もうキャパ超えてるよ、何も頑張れないよ。辛いよ。
数年に一回メンタルが大荒れする時期が来るけど、今がそれなんだろうな。天気も悪いし。生理前後だし。
全部全部重なって無理なんだよね、わかるよ。
辛くて仕方ないから友達に電話して話聞いてもらって、家族に話聞いてもらって、散歩して、自分が落ち込みすぎないように対処して
それだけでも偉いのに、一人になるとまた落ち込んで。こうやって泣きながら打ち込んで。鬱。特大の大鬱。
とにかく過ぎるの待つしかない。ちょっとでもいいからやることやって、これ以上自分のこと嫌いにならないように。
大丈夫大丈夫よくやってる、もう少しだけ雨がやむまで待ってみよ。
本当に本当に無理だと思ったら実家に帰ろ。帰る家はある、家族も友達もいる。まだ何も失ってない。
怒られるかもしれないけど、呆れられるかもしれないけど、真面目に全部やろうとしてる貴方は偉い。
もうちょっとだけ、あと少しだけ、ああ頑張れ、頑張れ。