はてなキーワード: スケープゴートとは
tokatongtong でも分析的には正しくない?で、低所得層の不満をスケープゴートへそらしながら支持広げてく政治手法は確かにナチス的でもあるし。東京だと板橋・北・足立・葛飾・江戸川・荒川・墨田・台東・江東あたりで支持得そう
s_rsak これは実感だわ。この前、役人叩きをしていた橋下徹の支持者とレスバしたからw
blockchain-bitcoin これ表現の自由の危機だろ(笑) 維新の振る舞いは呉座オープンレターの件と全く同じなんだけど、大騒ぎしてた表現の自由戦士がダンマリなのは笑える。そもそも「低所得者」自体は侮蔑的な意味をもたないよね。 維新
coper 「低所得者層の人達が共鳴し、(維新の)支持を広げたとの分析が有力」を見て、菅が「維新の支持者は低所得者」と言ったと曲解し、ウホウホ盛り上がっているブコメが散見される。 菅直人twitter維新ブコメ
usi4444 脚だけ触ってゾウについて全て知ったような不用意な発言だが、ブコメのアンチの皆さんは「ゾウの脚は細い」と言いたげだな。維新人気にはそういう一面もあるということまで否定するのかね。 維新の会立憲民主党菅直人大阪政治社会
uehaj 得票率と所得に相関があるということならそうなる。低所得を侮蔑だと捉えるのは、自分が低所得者を劣った人間だと思っているからだ。語るに落ちる。低所得の何が悪い/ちなみに管さんの資産は首相経験者で最低
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/NaotoKan/status/1486512156044521476
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@NaotoKan
私が維新が大阪で絶大な政治勢力を築いた原因を問うたところ、多くの方からメールがありました。ありがとう。維新に共鳴したのは低所得者ではなくむしろ「勝ち組」という説、在版メデイアのよいしょ報道説など興味深い意見が満載。全国が維新にムードで席巻されないようににしっかり研究するつもり。
【スペック】
・30前半
・180cm/68kgの標準体型
・ブサメン
・髪質が剛毛で縮れ毛でマジモンのチン毛を頭から生やしてる
【本篇】
学生時代のあだ名は「大仏」「スチールウール」「チン毛」「堅焼そば」「アフロ」「キモヲタ」と散々だった。すべて髪型に由来するあだ名だ。
一度坊主にしたらあだ名が「旧日本兵」になって野球部に円陣組まされた上に坊主でも天パだとわかる縮れ具合で「ボパ(坊主で天パ)」とか呼ばれ、坊主で行くアプローチはあきらめた。
小学生のころは明るい生徒だったが、中学生になり髪質が驚異的な縮れ具合を発揮すると、思春期の容姿に過敏な同級生たちは真っ先に俺をスケープゴートにした。
俺は神様がチャンスをくれてもう中学生にもう一度戻れたら俺の事を馬鹿にした同級生たちを二度と笑えないぐらいに半殺しにする自信がある。それぐらい散々な扱いを受けた。
今は恨んでないが、あの当時に戻れたら許せる自信が、正直ない。
上記のようなスペックの俺だが、オシャレなパーマをかけてると思われることが多い。
「やっぱり天パは髪質を活かした髪型にするのが一番良いんだよ」としたり顔で思ったお前、ぶっ殺すぞ。
俺が何をしているかというと、まず全体に縮毛矯正をかけている。
全体に縮毛矯正をかけてからヘアアイロンで癖をつけてパーマをかけてる風にしているのだ。
ヘアアイロンで熱加工するのは天パのままでも出来るじゃん。と思ったお前、直毛だな?俺にはわかる。
俺はアドスト、ヘアビューロン、といった高級アイロンを使ってきた(後者は詐欺みたいなゴミ商品だったので口コミ鵜呑みにして間違っても買わないように)が、やはりヘアアイロンで作ったストレートは湿度に弱い。
天パに一度アイロンかけてまっすぐにしてから癖付けをする手もあり、施術直後はうまく行くが、湿度等でアイロンが取れてくると髪質が明後日の方向にうねりだし結果見るも無残な髪型になる。
しかし、縮毛矯正をかけた上からヘアアイロンで癖をつけると、湿度でアイロンがとれてもゆるく癖が残り自然な形になる。
縮毛矯正がまっすぐになりすぎると悩んでいる天パ男子たちにはこのアプローチをおすすめした。
「自分の髪質を活かした髪型」という言葉は呪いだと思う。中には活かせる髪質の人間もいるが(毛束感のある天パ)すべての人間はそうじゃない。俺もそうだ。
矯正ヘビーユーザーになると「縮毛矯正をすると遺伝子に逆らってるような抵抗感」が出てくる人間がいる。俺もそうだった。
しかし、俺たちに天パにとって縮毛矯正というのは「半永久的な寝ぐせ直し」のようなものだ。
俺は悪い頭で必死に勉強して地方公務員になったが、上司に「寝ぐせぐらい治してこい」と言われたのを機に心がへし折れたことがあった。最終的に俺は公務員を辞めた。この感覚は俺たちのような重度の天パにしかわからない感覚だと思う。俺たちは素の髪型でいると社会に拒絶されるのだ。
人間は中身が大事というが、見た目がまもとじゃないと中身を見てもらえる土俵にも立てない。
俺と同レベルの天パたちよ、生きてると大変なことばかりだけれど、お互いなんとかやっていきましょう。
【辞めると決心するまで】
先週、会社を行くのを辞めた。
厳密には来月が来職日なので、今は有給休暇消化期間だ。
辞めた理由は募集職種(社内SE)と実際の仕事内容が違っていたからだ。
これについては入社後に管理部3名(40代~50代)が1度に退職し、さらにもう一人(30代)も「私の仕事の負荷を減らさないと辞めてやる」という脅しをかけ、それを真に受けた会社側がビビッてそいつの負荷を減らしたため、なぜか入社したばかりの自分が管理部を兼任することになったという経緯がある。
しかし、兼任といっても割合は半々ではなく、管理部が9割以上、というか座席も管理部に移動したので、ほぼ全部管理部といっても過言ではないぐらいになった。
管理部で人事戦略とか高度なことであればいいのだが、段ボール運びとか誰にでもできる簡単な軽作業が多くなってきたため、これは今までの経歴と違いすぎるので転職を考えた。
配偶者に相談し、「専門が違うなら辞めてもいいが、次の仕事が決まってから」との結論になった。
【決心してから】
平日は仕事があるが、幸い有給休暇があったのでそれを利用したり、平日の夜や土日に面接をしてくれる会社もあった。
結果として内定が1社出た時点で直属の上司に退職届を提出(ただし就職活動自体は継続し、複数内定が出てから選択した)。
翌営業日には社長の手に渡ったと社長から直接口頭で言われたため、退職ができることがわかりホッとした。
実は就業規則では「退職の1か月前に退職届を提出すること」と記載があったのだが、提出日から退職日までは1か月に数日満たない。
実際には先述の有給休暇消化期間があるので退職届提出日から最終出勤日までは2週間ほどだ。
なのでこれを理由に何か言われる可能性があったこと、さらに新卒で入った会社で常軌を逸した引き留めがあったので今回も引き留められたらどうしようという不安があったのだが、杞憂に終わった。
仕事の専門性が活かせないのが転職の一番大きな理由ではあるが、実は社長のパワハラで何人もの人間が病院(精神科や心療内科など)送りやどうしようもなくなって退職などしている会社なので、その意味でも引き留めがなかったのは幸いであった。
正直言うと冒頭で述べた3名の退職者も社長のパワハラ被害で退職に追い込まれたり、精神科送りになっており、スケープゴートがいなくなったことで自分が新たな標的になっていたというのもある。
当然自分も精神的なダメージが大きく、このままだとやばいと思い、まだまともに動けるうちに転職活動をしよう、逃げられるうちに逃げようというのもあった。
具体的には、何の仕事もないのに自分だけ無駄に夜まで残らされる、誰がやってもいいはずの雑用を自分にだけ押し付けられるなどであった。
【最終出勤日まで】
自分が退職届を出したことは役員には伝わっていたが、社員では知っている者はいないようだった。
結局、最終出勤日の1週間前に、同じ部署のメンバー(自分にとっては部下に当たる)に伝えた。
良くも悪くもメンバーに動揺はなかった。
引継ぎも後片付けもさしたる困難はなく、むしろ最終出勤日の数日前からやることがなくてどうやって時間をつぶそうか困ったほどだ。
これまでの退職者がお菓子を配ったり休憩室に置いたりしているのを思い出し、自分もそれに倣う。
ツイフェミたちは主張の矛盾をさんざん指摘されて気付いているはずなんだけど無視する。
人を傷つけるようなことをツイートしても謝ろうとしない。
反差別が出発点のはずなのに。一体どうしたいのか教えてほしい。
修正してみた
今度は設定が気に食わないから公共の場ではダメとかふざけてるの?
なんで今回は細かい設定を掘り返して燃やしてんだよ!
完 全にモラルに反しているじゃねーか!
最近暴言し過ぎて風向き悪いからオタクコンテンツをスケープゴートにして誤魔化して
ん-、ぱっとしないね
結論から言えば、これは、早期に元婚約者A氏を囲い込んだ「週刊現代」と担当記者Nが火をくべ、油を注ぎ、丹念に炎上させたメディア騒動だった。
この担当記者NはA氏の交渉代理人を勤めていたが(非弁行為が指摘されている)、代理人としての誠実義務を果たしていなかった。彼は事態の早期決着を妨げ、むしろ悪化・泥沼化するように情報をコントロールしながら、ワイドショーやライバル誌(週刊文春での元婚約者側の録音テープリークもこの担当記者Nが関わったと言われている)も含めた各メディアにネタを供給し続けていた。そうした「ネタ」の中にはA氏自身が言っていないことも含まれていたし、小室氏代理人(小芝弁護士)との交渉では独断で「解決したかったら400万円をポンと払えばいい」とも言った。これはA氏本人の発言ではないし、記者Nも後には「覚えていない」「酔ってて思い出せない」と言を左右にしている。
この前提を踏まえて、4月発表のいわゆる「小室文書」 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210408/k10012963531000.html を読み直すと、あの文書の本当の意味と目的がよくわかる。本件に介在している代理人・担当記者のN自身が、交渉内容を歪め、混乱させ、事態の解決を遠ざけていることが容易に読み取れる文書構成によって、担当記者Nと彼に連動する他のメディア関係者が今後そうしたムーブに連座しにくくなるよう牽制したのだ。ついでに言えば、今回の結婚会見で日本雑誌協会の質問に対して眞子氏が非常に厳しい態度を見せた https://www.daily.co.jp/gossip/2021/10/26/0014793868.shtml のも、存在しない問題をあったことにし、ステークホルダーの間で行き違いを作り出し、人々の間にこの結婚への非難と呪詛の声を呼び起こし、本件を炎上させた主犯としての週刊誌メディアへの怒りがあってのことだろう。事実かどうかはともかく、2人は明らかに、記者Nを中心とした週刊誌メディアこそが本件がトラブル化した主因だと考え、批判の焦点としている。
こうした牽制の効果がどれほどあったかはわからないが、少なくとも10月に入って、「週刊現代」はA氏側の瑕疵についても指摘するような論調に転じている。具体的には、皇室ジャーナリストの山下晋司氏にA氏をインタビューさせ、この山下氏に「Aさんにも責任の一端がある」と問う記事を掲載した。 https://news.yahoo.co.jp/articles/592a6ed4dd1e555738b3f24cc50a98034c2d5710 いきなりの掌返しだ。つまり彼らも、この宴のあとに何が始まるかを理解し、そのときのために予防線を張り始めたのだ。
実のところ、眞子・小室圭の結婚騒動はもう賞味期限が切れてしまった。ハイライトとなるべき結婚の瞬間は、とてつもなく地味な(メディアにとって旨味のない)形で終わった。壮麗な婚儀もなく、逆に悲劇的な破談もなく、ただ役所に届を出しただけで完了し、それによって2人は、もう無際限にプライバシーを報じることができない「私人」になった。メディアはもう、彼ら2人をターゲットとした記事・番組は作れない。でも、これまでメディアがさんざん掻き立ててきた、この結婚についての醒めやらぬ熱量・渦巻く情念は、まだまだ行き場を求めている。人々には贄が必要なのだ。
おそらく今後は、事態悪化の主犯である「週刊現代」と記者Nが、本件で実際に何をやり、どう立ち回ってきたのかが徐々に究明されていくだろう。そして「週刊現代」と記者N、そして彼らに連座するメディア関係者は、そのときのために、今度はA氏をスケープゴートにするはずだ。そのとき増田の皆さんには、ゆめゆめA氏叩きに同調しないようにしていただきたい。それでは、これまで小室・眞子氏に起きた仕打ちと同じことを、A氏に対して繰り返すことになる。A氏はグズグズした未練がましい男性かもしれないが、本当に悪い奴らは他にいる。それは自己利益のために代理人としての誠実義務を放棄し、交渉のテーブルについた両サイドを裏切り続けた人物と、そのバックにいるメディアなのだ。
中学時代にブサイクで頭悪いだけで周りからの歯止めの効かない心無いイジリや暴力で居心地が酷く悪くなって、白髪が増えだして学校バックレて不登校になって親から顰蹙買ったけどその後に「あの時学校行っておけば良かった」って思ったことは1度もないし、
高校の時はバイト先のおっさんに目つけられやすくて(なぜかどこ行ってもおばさん達には良くして貰えた)、面倒くさくなるとすぐ辞めたりバックれたりしてたけど、「あの時頑張ってバイト続けてれば」と思ったことは1度もないし、
その後市職員として公務員になったけど人間関係の濃さ故に俺みたいな頭と顔と要領が悪いゴミは真っ先に同期内でスケープゴートされて、仕事も覚えられないし同じ部署に入った同期と比較されてゴミのような扱いを受けて精神科で薬の世話にまでなった挙句バックレたけど、仕事離れた途端薬必要なくなったし「公務員だししがみついてれば良かった」って思ったことも1度もないんだよな……。
何故か逃げ続けた先に破滅が待ってるとか思う人というか、そう願いたい人が多いみたいんだけど、俺は今何してるかって言うと年収400万の薄給で月の半分が休みのブルーカラーの仕事しててのんびり暮らしてて、心穏やかに暮らせてるので、逃げた先で何とかなってしまった。
「あの時逃げなければ」って思ったことある人はどんな時にそれを思ったの?俺は逃げる時は精神的に限界を迎えてた時だったし、メンタル弱いから逃走までのストレスの閾値がすごい低いんだけど、逃げて後悔したことが思い返すと1度たりとも無いことに気づいた。
たぶんその辺でホームレスになって野垂れ死んでも逃げた事への後悔なんて湧かないだろうし「おちるところまでおちた」「なるようになった」位にしか思わんと思うんだよね。
【※追記】
ふと見たらホッテントリしててワロタ。反応読んでたら何故か俺の事を肯定するブコメが多かったんで、気持ちは嬉しいけど俺自身周りに迷惑を撒き散らすタイプの社会のゴミの自覚があるし「それはちょっと違うんじゃねえかな」って思ったので、上に書いてない数多くのバックレエピソード書いていきたいとおもう。
高校生の頃に年末年始のアルバイトで年賀状の仕分けスタッフをやった。コミュ障で注意力散漫だった俺にも一点集中のこの仕事ならなんとかなると思った。指定された住所順に年賀状を並び替えるだけという小学生でもできる仕事だが、立ち仕事かつタッパのある俺は1時間ほどで背中に痛みを感じ注意力が散漫になった。ハガキを1枚落としてしまい、うっかり踏んでしまった。足跡がクッキリついたので、正直に報告したら凄い剣幕で社員に怒鳴られた。速攻で心がポッキリと折れた。「すみませんでした!以降気をつけます!!」と大きな声でハッキリ聞こえるように謝って深深と頭を下げた。怒られ慣れしてる人間ならわかるが、人目をはばからず人前で容赦なく怒鳴ってくるタイプには大きな声で謝罪するのが1番長引かない。俺が謝罪をするのは自分が悪いと思ったから謝るわけじゃない。メンタルが弱すぎてこれ以上怒られたくないからだ。もう頭が真っ白になっていた。バイト先の郵便局には社員証が必要な改札があって、そこを通らないと出入りできなかった。怒られたあとの休み時間にロッカーに社員証をいれ、そのまま1Fの男子トイレの窓から外に抜け出して帰った。2時間ほど後に郵便局から留守電が入ってたが着信拒否して家帰って足をふるわせてガタガタ震えながら寝た。1月末に3日分の給与が振り込まれていた。
当時、派遣会社が未経験者を3ヶ月で立派なIT人材(笑)へと育成して民間企業への就職を斡旋するという人売プロジェクトを行っていた。3ヶ月の研修期間中に時給が発生するのは魅力的だった。市役所をバックレたばかりの俺は、当時時間と若さだけはあったのでダメ元で申し込んで面接へ行った。事務の姉ちゃんみたいな女が面接官で「ITエンジニアとして働くために今やっている勉強内容を教えてください」と言われたが俺は何一つやってなかった。プログラミング経験も一切なくjavaってなんだ?とかそんなレベルだった。バックレてから今に至るまで検索エンジンに「麻美ゆま」とか「蒼井そら」とか書いてシコって寝てただけだったので「windowsのパソコンしか持ってないので今は仮想環境にlinuxを入れてLPICの勉強をしてます。」と答えた。後日「採用が決まりました」という連絡と「3ヶ月の間に絶対に辞めないこと」という口頭での誓約が電話越しに交わされた。研修が始まると、研修生は30人ほどいて、5倍の倍率を突破した先鋭達だとお偉いさんに言われた。ウケる。2日目あたりで経緯は忘れたが講師の女のうち2人がヒステリックな怒り方をし始めた。学校嫌いだった俺は小学校の頃のヒス女の担任を思い出して、その時点でもう完全に心が折れてしまった。ひょっとしたら過酷なIT業界で耐えうる人材を育てる為の研修のいっかんだったのかもしれないが、俺には耐えられなかった。(プログラミング自体は楽しかったので、後にVBAを学ぶいい契機になり、VBAの知識は今の職場で重宝されているのできっかけとしては感謝してる)頭が真っ白になって動悸が止まらなくなってしまった。酷く不安を感じて目眩がした。帰り際「明日もよろしくお願いします!」と会釈して満面の笑顔で元気よく挨拶し、連絡先を着信拒否にして帰路に着いた。一ヶ月後、2日分の給料を確認した。
【日雇い編】
研修を飛んでから暇だったのでグッド⚫ィルだかで日雇いの仕事をした。たしか印刷会社の工場でひたすら梱包する仕事だったと思う。
仕事開始から1時間経っても休憩時間が無かったので「何時から休憩なんですか?」と聞いた。「12時の昼休みまで続くのでそれまで頑張って下さい。」と言われた。頭が真っ白になった。「すみません、お腹痛いのでトイレ行ってきてもいいですか」と断りを入れてトイレに行き、トイレの窓から外へ抜け出し連絡先を着信拒否にして帰路に着いた。一ヶ月たっても1時間分の給料が支払われなかったのでさすがに諦めた。
【期間工編】
俺は頭がとりわけ悪くて、メモリが小さすぎて人の話を頭に留めておくことが出来ない。電話の取次すら相手の名前を間違えるし、話を聞きながらメモも取れない。なので人と接しない仕事をすることにした。某自動車工場で寮費無料の期間工に応募した。もうこの頃にはバカ正直に職歴を書くと赤羽駅東口に飛び散ったゲロぐらい酷い履歴書になってしまったので、暇つぶしで取った電気工事士の資格を利用し「工場で保全の仕事をしていました」と職歴を詐称した。日雇いで1時間働いた工場の名前を履歴書に書いた。勤続3年の元工員として面接を受けたら採用されたが待遇は未経験者と変わらなかったので罪悪感はなかった。
研修初日は研修生同士で寮が相部屋だった。社員から部屋の中は禁煙だからタバコは吸うなと言われた。流石に禁煙の社員寮の中でタバコ吸うカスなんているわけねえだろ。俺の相方は以前も期間工で任期満了までやったベテランらしい。俺よりも一回り年上だった。コミュ障だが初対面の相手に対してはコミュニケーション能力がバグるコミュ障あるある現象が炸裂して普通に打ち解けて雑談していた。相方の実家は花屋で、閑散期になると出稼ぎにきている。そんな話をしながら相方がタバコに火をつけ、深く吸い込んだ紫煙を天井に向けて吐いた。唖然とした俺に相方は「あ、こういう事に慣れないと、ここじゃやって行けないよ?」と先輩面で言い放った。心にヒビが入った。研修中に工場見学に行ったら、工場内の機械のあまりにも大きな音と地響きに心が完全にポッキリと折れた。俺は大きな音がとても苦手で、聞いただけで頭の中が真っ白になり酷く不安を覚える。寝てる間もずっと工場の音が頭の中でする。研修を終えて、ようやく個室が与えられた。汚い畳の個室の寮で荷物も広げずに、寮の鍵と社員証を封筒にいれて部屋に置き、すでに纏まっている荷物を抱え夜明け前に始発の電車が来る駅へ向かい連絡先を着信拒否した。一ヶ月後、研修中の1週間分の給料と合格祝い金(採用時必ず貰えるとかいうやつ)が振り込まれたのを確認した。
【医療事務編】
何故かおばさんウケが異様にいい俺は、隣町の薬局の医療事務の採用試験に行っていた。とりあえずどんなもんなのかやってみようと思った。面接官がおばちゃんで面接と言うより面談形式で話が進み、いつから働けるか聞かれた。採用が決まった。しかし面接官のおばちゃんは会社のおえらいさんで、職場には居なかった。気難しそうなしかめっ面の薬剤師と、若い女ばっかりだった。俺は詰んだことを早々に確信した。慣れないながらも仕事に食らいついてはいたが、2週間も経つと休み時間俺の頭の悪さを揶揄する陰口が嘲笑の声と共に聞こえた。「顔が生理的に無理」と聞こえて酷く苦しい気持ちになった。学生時代から何度も言われてたから、知ってる知ってる、と内心おどけてみせたが頭が真っ白になった。1ヶ月も経たないうちに俺は限界を迎えていた。とある日、先輩に「飲み会の幹事やってくれ、フォローはする」と言われた。俺は飲み会や人の集まりが死ぬほど苦手だ。つうか俺一応新入社員だろ。ましてや幹事だなんてとてもじゃないが耐えられなかった。心が砕け散っていたので、その翌日の朝に架空の親戚を急死させ仕事を休み連絡先を着信拒否にした。
3ヶ月たったあたりで解雇通知と離職票が届いた。初任給だけは貰えた。
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他にも色々あるけど、俺は我慢強くもなければすぐにバックれる社会不適合者のクズだってのがよく分かってくれたと思う。だから「生存者バイアス」ってのは少し違う気がする。何故ならこんな感じで逃げ回ってる間も「もっと頑張ればよかった」と思ったことは1度もないし、向いてないものに対する克己心もすぐ砕けるし、なんなら「もっと早くやめてれば良かった」とさえ思うことの方が多かった。俺の行為を「逃げじゃない」という人もいるけれど、俺が嫌なものを避け、ハードルを潜りながら生きてきたのはたしかだと俺は思う。これが逃げじゃないなら、その人の中ではそうなんだろう。俺は「逃げ」だの「甘え」だの言われても「そうだね」としか思えないし言い返そうとも思わない。ただ、誰になんと言われようが当時の俺は本当にいっぱいいっぱいだった。逃げる以外の選択肢が取れなかった。そして俺のスタンスは「逃げても後悔したこと1度もなかったけど逃げを推奨してるわけではない」克己心のある人は立ち向かうなり問題解決するなりすればいいと思うし、メンタルが弱く頭の悪い俺にはその余力が無かった。ただ、苦しみ続けるか死ぬかの狭間で苦しんでるなら逃げちゃってもいいんじゃないかと思う。俺はなんとかなったし、少なくとも一時的な苦しみからは逃れられる。養老孟司がなんかの本で花鳥風月を楽しむ心をもっと持った方がいい。と言っていた。逃げ回ってた時期によく20kmぐらい歩いて散歩して四季の移り変わりを楽しんでいたが、自然に目を向けるのはとても心が安らぐ。桜や紫陽花の花の美しさも、金木犀の香りも、冬の土の匂いも、逃げずに働き続けてたら俺はきっと荒んだ気持ちで気づかなかったと思う。お日様の光をたっぷり浴びて散歩できて、四畳半の清潔な部屋とシャワーがあって、最低限の食事がとれて、たっぷり睡眠が取れれば俺はそこそこ幸せに暮らせることに気づけた。小学生の頃、いつも不安で毎日が怖かった。もしもタイムスリップできたら、布団の中で毎日泣いていた幼かった俺を慰めてやることぐらいは出来ると思う。今は最低限の収入がありながらも生活費が家賃込で10万程なので、貯金がアホみたいに溜まる。20代の頃橘玲の本を読んだインデックス株に手を出したらまあまあ増えたりして、今の生活水準なら20年ぐらい働かなくても暮らしていける蓄えも出来た。