はてなキーワード: スケープゴートとは
デカ女という自虐は他の高身長女性を悪く言うことに繋がってしまうからしない。
私は小さい頃から背が高かった。
幸い小学校までは同級生で馬鹿にしてくる人はいなかった。同級生に限った話で、保護者や先生たちからは背が高いだけで他より大人扱いされて手を抜かれたりしてた気がするし、幼稚園年少の演芸会のときに保護者の女たちから
「一人だけ年長さん混じってるんだけどwww」
同い年の女が変わっていったのは中学からだった。聞いてもないのに低身長アピール
「おっきくなりた〜い!」
「ちっちゃい言うな〜!」
とギャーギャー騒ぎ、周りがそれを真に受けて
「女は小さい方が良くね?」
などというと小さい女たちはニチャニチャ喜んだ顔で「そっかな〜?」と言うのだ。それが姫気質の小さい女たちの承認欲求を満たす定番の流れである。
それを何度も目の前でやられた私はだんだん、
自分は間違った普通じゃない気持ち悪い存在なんじゃないかと思うようになった。
それだけならまだいいのだ。まだ。いい。
でも、ほかにも沢山ひどいことを言われた。身長170超えてるなんて男じゃんとか、可愛くないとか、うわって思うとか。私デカ女じゃなくてよかった。とか。電車の中にいる高身長女性を盗撮してライングループに晒してる人も居た。
やってるのは全部女。
最近はニュースで男のセクハラばっか取り上げられるけど、女たちのクソ無神経で最悪なセクハラはいつ取り上げられるんだろう。
唯一女の中でいじめてもいい存在として高身長女性は扱われている。
男性たちのほうがよっぽど気を遣ってくれて優しいよ。中にはクソ男もいるけどさ。
子供をもし産んで背が高い女の子に生まれたらどうしようって思う。私がいくら愛してもこの汚い日本に蔓延る誰かを馬鹿にしないと気がすまない心の汚い女たちにボロボロにされてしまうんじゃないだろうか。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.dailyshincho.jp/article/2021/08050557/?all=1
掲載は先週だが、「次週表記の号を前週に売る」という慣行のせいで5000人超になった日と号の日付が重なるという奇跡を残した。
木村盛世なんか使ってるのがおかしい。新潮は文春と同じ調査報道&スキャンダル路線を模索しているようだが実力が天地ほど開いてしまってもう無理というのが窺われる記事。品川から京浜急行快速特急に追いつけと京浜東北線に乗ったが蒲田止まりだったような侘び寂びを感じさせる。
島田裕巳はオウムシンパの宗教学者だった。地下鉄サリン事件の前からオウム真理教に惹き起こる疑惑に対し、教団施設を取材しては「オウムとは無関係」という結論を書いていた。
1995年3月20日の地下鉄サリン事件に関して東京新聞に問われ「私が中まで見たところ、サティアンは宗教施設であって毒ガス工場などではない」とコメント。3月22日の同紙に掲載されたが、同日に警察は大々的に第7サティアンを捜索、それがTVや新聞で通常番組を差し替えて報道されている日に島田の「サティアンは宗教施設で毒ガス工場ならず」のコメントが掲載される珍事となった。
これを受けて島田は翌月の宝島30に『「罪深き」私にとってのオウム』を寄稿する事になった。
島田の舌禍はこれに留まらず、TVなどで名指しで散々批判罵倒を受けた。当時、オウムを近代への疑義と評価するのが知的とのスノビッシュな風潮があり、それに乗っかっていた文化人たちが批判逸らしの為に島田をスケープゴートにした為に更にバッシングは苛烈さを増し、島田が勤務していた日本女子大にもクレームや脅迫が殺到して島田は解雇された。
オウムは島田の擁護を最初から利用しており、教団へのバッシング逸らしの為に島田の居宅のあるマンションの玄関を爆破した。教団側の島田を狙う犯行があると見せかける為であった。
中川八洋はアフガン侵攻等を受けて80年代にソ連が攻めてくるから軍備を急げとの主張を論壇誌で繰り広げていた。
ところがゴルバチョフが書記長に就任してペレストロイカとデタントを進めると当然に西側諸国の態度は融和になり、同時に西側でのゴ書記長の人気は絶大なものになっていった。
これに対して中川は「ゴルバチョフの政策が反動化している」「ゴルバチョフ路線が侵略主義に転じている」と論壇で主張し続けた。
だが実際にはそんな局面は無く、バルト三国の独立を認め、東欧の衛星諸国にも改革と自由化を迫るなどしており、ベルリンの壁崩壊など劇的な自由化の流れが起きていた。
要するに「ソ連」という敵が無くなると反共アイデンティティの拠り所がなくなってしまうので固執していたのである。
西側の心配というのは寧ろ一貫してゴ書記長の失脚により東側の自由化とデタントの流れが巻き戻る事であった。それほど急激な変化が東側で起きており、後発の政変になるほど革命や崩壊と呼ぶべき状況が発生していた。
その心配の通りにソ連共産党守旧派はクーデターを敢行、それは鎮圧されてソ連邦は廃止されるという劇的結果になった。
ところが中川は相変わらず論壇誌にゴルバチョフ脅威論を書いていた為にクーデター、ソ連崩壊と同時か直後に「ゴルバチョフソ連が攻めてくる」論が発表されるという珍事に至った。
これによって中川は反共論者として干されてしまい(市場の前提が無くなったのだからそりゃそうだ)、主に徳間書店から黒表紙の陰謀論本を出すようになった。当時は陰謀論とオカルト本が流行っていたのだ。
ところがオウム事件が発生するとオカルトと陰謀論が氾濫しているのが原因だというもっともな反省が起こってその市場も無くなってしまった。
東京オリンピック2020は、もはや盛大な失敗プロジェクトとその原因である無責任な機能不全の組織の象徴としてはインパール作戦に勝るとも劣らないものになっているが、小さいレベルでは、ここ80年(あるいはもっと前からかもしれない)のあいだ我が国につねに遍在していたのではないかと思う。
みなさんの身近なところにも、どうしようもなく硬直した組織、責任者の不在(そもそも責任概念の不在)、方向転換できないプロジェクト、現場へのしわ寄せ、その結果としての悲惨なプロダクト、不合理でブルシットな手続きや書式、そういうのがたくさんあるんじゃないでしょうか。
こういうのは「構造」の問題なので単純に特定の個人に責任を押し付けて「はい解決」というわけにいかないのはそうなのだが、とはいえ、そろそろ具体的に個々の人間にきちんと帰責していったほうがいいと思う。「誰のせいにもしない(みんなのせいにする)」のも「誰かのせいだということにする」のも、問題解決にとって無益という点では同じだ。
きちんと誰かに帰責するというのは、スケープゴートを作るということではない。最終的な意思決定者の問題ならその人に。意思決定の構造の問題なら、その構造を変えられる人に。マネジメントの問題なら、マネジメントのあり方を変えられる人に。当の問題にいろんなレベルで対処しえた人々をちゃんと特定し、その人々のふるまいのそれぞれがこの問題の(少なくとも部分的な)原因だということを明確化するということだ。
構造的な問題が帰責されるべき人たちはたいてい善良で無自覚だろうが(例外的に悪い人もいるかもしれない)、だからと言って無罪になるわけではない。複数人で責任が分担されているのであれば、その分担の度合いに応じて帰責されるべきだろう。「会議」で決まったことだから、「上司」に言われたことだから、と言えば責任がなくなるわけではない。会議で提案する権限や上司に進言する権限が多少でもあるのであれば、そのぶんだけ責任がある。
加えて、問題に気づいたときにそれを誰かに帰責する(つまりちゃんと誰かのせいにする)というのもまた、自分が関わっている組織やプロジェクトに対して個々人が持つべき責任だ。「社会を変えるためには投票に行こう」というのはその通りだが、「社会は投票を通じてしか変えられない」という考えは明らかに間違っている。身近な組織をよりよくするために「ちゃんと誰かのせいにする」ということは、投票以上に社会を変える実効的な行動のはずだ。
そういうわけで、以下の意識は社会に関わる全員が持つべきと思う。
これは上流下流を問わず、おそらくあらゆる組織のあらゆるセクションに言える。
今回の東京五輪の惨状に対して個人ができることはもはや何もないかもしれないが、身近にある小さい「東京五輪」を自分でできる範囲でよりよくするという意識が共有されれば、日本の社会は多少ましになるんじゃないでしょうか。