はてなキーワード: アルファブロガーとは
長年アルファブロガーやってる奴が胡散臭い。そう感じ始めたのは2013年はじめくらいからだ。
偏見まじりで意見を述べさせてもらう。少し長い。3人のブロガーについて書く。
もう自分の『経験値』からのネタは出尽くしちゃったんだろうな。都知事選ネタとか書いてさ。昔のようなキレや鋭さがなく、我々に刺さらない。2008年くらいのちきりんはどこへいったんだ。長時間ブログネタを自分のアタマで考えてないで、考えるのやめて一ヶ月くらいブログ休んで旅行でもいってくればいい。休ませてあげたい。
やまもといちろう氏。『切込隊長』は鋭くて好きだった。ただ、最近の評価はよく燃えそうな物を見つけて放火しまくるただの下品なおっさんだよ。特に人に対して放火しまくる。炎上させないとブログのPV上がらないから生きていけないんじゃないかと疑ってるよ。気になるのはイレギュラーアンドパートナーズの開発実績さ、塊魂2だけなのか。契約上公開できない実績のほかに普通あるだろ。1個しか公開してないんじゃ、どっかの高校生起業家のページと一緒だぞ。信用力上げるために、ページ追加更新したほうが顧客は安心するぞ。
ブロガーではなく投資家と名乗っていたけど、それよりも会社を第一に考えて経営者って名乗れよ。投資家で食えていってたら、わざわざブログでプロジェクトガープロジェクトガー忙しいーとか書かなくていいだろ。増田も貧乏だけどさ、貧乏でどうしようもない貧乏人は投資のことなんて考えずに地味に働けばいいじゃん。虚言癖は夢師匠で特徴をよく学んだから、経歴や稼いだ額が嘘だってすぐわかったよ。ドットコムバブル崩壊も乗り越えて今も現役の人たち、この人の行動をよく今までネットにばらまかずにいてくれたよな。本当に紳士だよな。
イケダハヤト氏は、知らなかったが妻と1歳の子供がいるらしい。心底驚いた。月収20万で年収240万じゃ、子育てできねえ。塾講バイトやってる大学生のほうが年収高え。
親の補助なしで年収240万から税金差し引かれた金額で子供20年育てられるか?親の補助と、妻がフルタイムで働いて、妻の年収200万。世代年収440万くらいにしないと厳しい。いや妻が働いてたら見過ごしてくれ。そうじゃなかったら、もしかしてもう生活保護給付されてるんじゃないかってくらいの現実だ。いくら欲が無くても、妻はともかくだ、子供がかわいそうだろ。勤めたくないんなら、せめてコーディングやデザインできるようにして、『プロ』ブロガーなんてさっさとやめて、本業+副業(ブロガー)にしないと沈むぞ。贅沢をできなかった子供は、現代は違う意味で性格歪むからな。
彼は立派だと思うよ。確かに文章力がないまま物書きになってしまった感じがするけどさ、それで時に自分の名前を炎上させてでも生計立ててるなら、すげえよ。ただよ、彼もすげえ悩んでるんだと思うんだよ。このままでいいのかって。ネット以外の胡散臭くない人間が、誰か彼を救ってやれよ。スキル身につけないとやばいよ。
偏見まじりの意見は以上だ。自分を棚に上げてではなく、増田も今までサボってきた分ツケがきてる。人のこと言えた義理じゃないけど、言いたかった。
http://masudamaster.hatenablog.jp/entry/2014/01/09/215828
より転載
http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20140105/1388933903
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20140109/p1
お笑いである。次は「アフィリエイトは悪くない」運動でも始めるのだろうか?
金銭欲そのものを叩いてる人は残念?
が
「業者」と「ワナビー」
というゴキブリをネットに繁殖させた歴史をまるで知らないのだろうか?
他人がアイドルやタレントになる手助けを何で我々がしなければならないのだ。
他人の金儲けを何で我々が手伝わなければならないのだ。我々はお前らの戯言や
自己実現よりも、人々の好きなもの、人々の日常でのささいな幸せ、彼らの黒歴史や
日々の苦しみ、葛藤、悩み、その人が現実では言えないこと、そういうものを
読みたいのだ。それをアフィリエイトと承認欲求なんかで見えなくされてたまるか。
であって、「俺の方が上手くやれる」「褒められてるあいつが妬ましい」
なんて動機は一切無い。それがあるのは健常者(ワナビー)の方だろ。
ツイッター登場以降に急激に増えやがったよな。
「中二病」「ドヤ顔」とかも健常者が意味をねじ曲げたり作り上げたりした
言葉だろ。妖怪は中二病もドヤ顔も大好きだよ。それを表現したり摂取したりして
俺たちはネットで生きてたんだ。それがネットでどんどんできなくなっていった
のは、スカした健常者のせいだろ。
健常者は自縄自縛になってるんだよ。自分たちでワナビーをいっぱい作り出して
おいて、ていうかお前がワナビーなのに
「人を妬むのは止めよう」「承認欲求は悪くない」
じゃねーよ。マッチポンプだろ。お前らはネットで妬み嫉みしかできないんだよ。
インターネットで「何者か」になりたいのか?ネットでそんなもんになってどうすん
だよ。その限界はニコニコ動画のタレントが見せてくれてるだろ。
「何者か」になりたい野心を持った健常者が大量にやって来たからインターネットに
わけのわからん競争原理が生まれたんだよ。そんでカーストも生まれた。属人性や
パーソナリティが重要視されるようになった。サードブロガーとかもそれの被害者
だろ。
「ぼくはアルファブロガーに勝てない」じゃねーよ。誰がそんなこと決めたんだよ。
勝てるかもしれないじゃん。自分を値踏みするな。好きなことを書けよ。
「さとりブロガー」じゃねーよ。そんなこと言ってる時点で悟れてねーだろ。
これはさ、健常者たち自身の生み出した毒で健常者たちが苦しんでるだけなんだよ。
表現欲求は無いのに承認欲求だけはあるんだろ?だから毒がどんどん染み出して
いく。そういう毒でネットが汚れるんだよ。一般化する前の2ちゃんねらーの観察眼
とはまた一味違う、いやらしい、人間の観察の仕方。小野ほりでいとかが生まれたの
もそういう背景からだよ。他人の自意識を邪推したりカーストを作ったりしてる。
そんなことをして何が面白いんだよ。そんなことをするから、誰も自分の本心を
語らなくなったんじゃねーか。今や本心(?)を語るのは炎上上等の芸人と
デリカシーの無いタイプの女だけになっちまった。しかも彼女たちはオブラートに包
夫に話すと「愚痴」が「悪口」になっている
これが良い例だよ。こんな意識でブログ書いてるんだよ。読む人の心にナイフ
グサグサ刺してるんだよ。
「承認欲求(笑)」「歌い手(笑)」「創作(笑)」「黒歴史(笑)」みたいな茶々入れが、クリエイターにどれくらい悪影響なのかそのうち語りたい。”そんなの気にすんなよ”ってアドバイスじゃ片付けられない何かがあると思う。中学の英語の授業で、発音が正しいと茶化されるみたいなのに似てる。
@私がui_nyanだ
全部お前らがやって来たことなの。ワナビーを増やしておいて(競争原理を取り入れて
おいて、)「茶々入れが増えた」じゃねーよ。ワナビーが増えたからカーストが生まれ
俺たち妖怪は他人の英語の発音が巻き舌でも馬鹿にしなかった。議論を「くさい」
とか言って忌避しなかった。俺たちは本気とネタを見極めた。俺たちに上昇志向なん
かなかった。俺たちは何者にもなろうとしてなかった。
でも俺たちもゼロ年代の終わりと共に絶滅したんだ。今や俺や嫌儲が最後の砦だよ。
でも俺たちもいずれ滅び行く。そうすりゃカースト作りと自意識邪推の上手い
健常者が今よりもっと幅を利かす。でもさ、そういう世界で一体誰が何かを本気で
語ろうと思うんだよ?インターネットからどんどん(ポジティブな)熱が消えて行って
るのはどんな鈍感な奴だって気づいてるはずだ。当たり前だ。金銭欲や承認欲求は
人を自由にさせない。タレント志望や金の亡者が世界を面白くできるか?
「承認欲求を叩くのはけしからん」とか言ってるお前の存在が、いちばん人の言論を
スポイルしてんだよ。
というかさ、そもそも承認欲求なんて私的領域で満たすものだろ。ピングドラムも
そういう話だ。家族や親友関係の中で傷ついたり喪失したり葛藤したり、そういう
それを公的領域(社会)で誰かに認められて云々というワナビーの話にすり替える
ありむーが「ニコニコ動画ごときで満たされるカジュアルな承認欲求など要らぬ」
と言ったのは至極正しい。ニコニコ動画を馬鹿にしてるわけじゃない。MMD杯には
いつも感動してるし、今でも探せば、お金や承認欲求なんかに関係なく、
ただ「自分のやりたいこと」を本気でやってる人は山ほどいる。そういう作品を
見たり作ったりする営みは、作り手も視聴者もすごく満たされると思う。でも
それは「承認欲求」が満たされてるんじゃなくて、もっと別な何かである気がするん
だ。
つまり、創作や表現で「承認欲求」を満たすことが目的の人って決定的に何かが間
違ってるんじゃない?という疑問が拭えない。
そんな疑問だらけの欲求、いや欲望と言おう。その欲望でネットをこれ以上汚すのは
私がサードブロガーという言葉を始めて目にしたのはこの記事を読んだときである。
はてな村では「誰が言ったか」より「何を言ったか」とか言うけど嘘だよね。またはサードブロガーアワードでも、γブロガーアワードでも、+αブロガーアワードでも同時並行で勝手にやったらええねん
この記事について私はこのような感想を残している。
順位を気にしてるからこそ「順位なんか気にせず行こう!」って言ってるみたいで、なんか根本的な解決になってない気がする。宇野常寛っぽい。 2013/10/19
http://b.hatena.ne.jp/masudamaster/20131019#bookmark-165863730
「電車に新しい席を作ろう」という話を書いたつもりです
と言っているが、新しい席も何も、インターネットという場には無数に席がある。それこそ無限にだ。
勝手に座ればいいのに、アルファブロガーがうんぬんアワードがうんぬんと言い続けるその姿勢
カースト論そのものがそもそも馬鹿馬鹿しいし、ましてやブログにはそういった類の優劣は無いはずだ。
私のような疑問・違和感を他の人も表明している。
・サードとかフォースとか言ってる人たち
ゴメンやっぱりよくわからない。
この人ら、何が言いたいの?
「僕はアルファーになれない。アルファーになれない僕らは何者にもなれないのと同じ。でも何者にもなれないのはツライから自らが何者かであると自称する。よかったら認めてくれ」って話なの?そうとしか聞こえないわけだが。
それが書き手個々人の自尊心とかやる気にとって意味があるのは何となく分かる。だが、読み手にとってそれ何の意味があるの?個々人が胸の内で持っていればいいことじゃないの?その概念を広めて最終的にどうしたいの?
(略)
そのサードブロガーとやらは、アルファとは何が違うの?アルファと違って何が読み手にとって素晴らしいことなの?別にブロガーにプロアマの違いがあるわけでもないし、「アルファブロガー」の劣化版としか思えないわけで。 サードブロガーとして認められたら何か満たされるの?すでにサードブロガーとして認められた人たちは、何か心が満たされましたか? 何か生活変わりましたか?
自分なりの目標立てて満足したいだけなら、そんな名前いらなくない?
そもそもなんでアルファにこだわる必要があるの?アルファとかにこだわってるの君等だけじゃないの?自分に自信はあるけどアルファは無理、だからセカンド、サード、フォース、フィフス。そんな志半ばで折れてくたびれた人みたいな話に読み手が付き合う必要あるの?
毎日のように「本物のブロガーとは」みたいなこと言ってる人は、本当はアルファになりたいんじゃないの?
「僕らはアルファになれないブロガーです!」と自称する意味がわからないし、それを公表して一体どうしたいのか、とは
誰もが持つ疑問である。ほとんどのブロガーはアルファではない。しかしブロガーはそんなこと気にしないし、ましてや
いちいちそのような自虐めいたことを記事にはしない。
「僕らは競争から降りたんですよ」と言っているわりにはアルファブロガーに対する意識がとても高く、これにも矛盾を感じた。
この時点で、私のサードブロガーに対する印象は最悪である。自分の立ち位置を意識して書かれたブログなどに価値は感じないからである。
このような記事が投稿されたが、私はこれがまったくわからないのである。
何が言いたいのかわからないのである。村上春樹がここで出てくる。
「○○かもしれないし、○○かもしれない」
「完璧な○○など存在しない。完璧な○○が存在しないようにね」
一事が万事この調子で、とても難解な文章になっているし、私や他のはてなユーザーへの回答・反論にはなっていないと言って良い。
なっていないから「サードブロガー」の意味は二転三転したのである。
それはこの池田批判にも繋がる
サードブロガー問題について理解したいと思っている読者に対して何かを説明しようという意図は全く感じられない。説明する前にさらに自分の課題意識を語って問題をさらにややこしくしている。読んでる人完全においてけぼりである。
そうこうしていると、次はトマト祭り(?)なるものが開催され、よくわからないが、この事件には私よりも私以外のユーザーが不満を漏らしていた記憶がある。
たぶん、トマトをお題にブログを書いてブックマークし合う、といったような話であろう。
身内ブクマ問題である。この部分にはあまりコミットしていないので私にはわからない。
そうすると今度は、やけに声の大きいとても目立つブロガーたちが集団で現れた。体調わる子を筆頭としたはてな女子、大彗星ショッカー、まつたけ、etc・・・。
彼らははてなで大騒ぎをした。とんでもないタイトルととんでもない極論をまぶした記事をはてなに大量に投げ込んだ。
はてな移住前のファンを引き連れてやって来た(ホットエントリが確保されていた)。
お金をください、ファンになってください、と叫んだ。自殺宣言をした。馴れ合った。アイコンを女体に変えた。
私は彼らのことをさっぱり理解できず、嫌悪感を持ちながらも考察した。彼らがブログを書く動機や目的は何か。
そして彼らをどうカテゴライズすればいいのか。
そのとき、私やはてなユーザーは、池田氏が提唱した「サードブロガー」という言葉を持っていた。
これを使わない手はなかった。
池田氏の提唱する「サードブロガー」に対する嫌悪感と、新参DQNブロガーに対する嫌悪感が合体した瞬間である。
「まとめて呼んでしまえ」
ここで池田氏は「提唱者が違う」とおっしゃられるかもしれないが、私はこの記事を提示したい。
サードって言葉使うと俺はサードではないとか、まつたけは一緒にするなとか、原義がー事実誤認がーってうるさいんだよ、あいつら。
そんな細かいこと知らないし、ソース当たるために読み返さねーよ…
そこまでしたくなるほど魅力的な人物や文章がない。
かなり口は悪いが、それなりのことは言っていると思う。
つまり我々は、友達でもない人のブログをいちいち過去に溯ってまで読まないということだ。
自分のブログを過去に溯ってまで読まれるということはとても光栄なことであり、それは自分に興味を持ってくれたということでとても嬉しい。
ただ、それはとても稀なことであり、だから私の過去もあなたの過去もほとんど参照されない(それは救いでもある。東浩紀レベルになってようやく参照されまくる)。
池田氏以外の最近のブロガーにも言えることだが、「私はこのときこう言ってるんですけど!」「過去記事見てください!」
というのは文章のコミュニケーションではたぶん有り得ないことだ。文脈の時制を統一するのが文章のやり取りであり、もちろん
日本のインターネットに居るほとんどの人ができているのに、サードブロガーになると途端にこれがダメになる。
「私の過去ぐらい知ってるでしょ?(みなまで言わないわよ)」ときたもんだ。そんなもん知らないのである。
そういう姿勢が、サードブロガーの文章の読みにくさの大きな要因となっている。
話は逸れたが、つまり私や他の多数のユーザーにとって、「サードブロガー」の提唱者・代表者は間違いなく池田氏だということだ。
さて以上が「私がサードブロガーという言葉を使うまで」の私的(主観)歴史である。
サードブロガーという概念・言葉が二転三転した経緯を私はこう捉えている。
他の人はどう考えているのか。最後に私の目に止まったものを紹介して今回の記事を終わる。
kanose 「サードブロガー」が今までのブログとどう違うか明確に説明されず、他人が理解できない時点で、定義がどんどん出てきたのは当然だったんじゃないかな 2013/12/23
そんな絶望した世界にサードブロガーという言葉が定義されました。
だって、そんな名前つけなくてもWebには、小さな世界や日常をを映し出す人達なんていくらでもいた。
トマトブロガーになりませんかって茶化す記事があったときに一緒になって笑っていた。
別の人間も、フォースブロガーでもプラスアルファブロガーでもええやんと言い出した。
いっぽうで、はてなブログの馬鹿騒ぎに苦々しい思いをしている人たちは、
だから、彼らが大して大事にせずにほったらかしにしてた言葉を使うことにした。
この動きがあった時も、大して反論のようなものは見られなかった。
この時点で、もはやサードブロガーは提唱者のものではなくなってしまった。
乗っ取りが完了してしまっている。
(略)
起源などどうでもいいとはいわない。言葉を提唱したこと自体に意味が全くないとは言わない。
だが、サードブロガーという言葉をどのように使うか決められるほど
トマトバイトテロが洗濯機に入って浮かれているときに笑って見ていた。
ところが、「サードブロガー」周辺のやりとりをみるに、このあたりがよくわからない。PVや影響力だけがすべてではない、と主張しているようにみえるけれど、実際、サードブロガーに該当しそうなブロガーがPVや影響力を軽視しているようには見えなかった。既存のはてなダイアリー・はてなグループのブログ群のほうが、よほどPVや影響力を意識せず動いているようにみえたからだ。そして、彼らはお隣さん同士で「拍手」をつけあい、「あしあと」を気にしあうようなプライベート的ブログ文化圏のソレに近いようにもみえた。本人達の思惑はさておき、日本のブロゴスフィア全域を前提として考えた時、第三の極と言えるようなポリシーの鋭利さは見出しえなかった。
http://anond.hatelabo.jp/20131222231100
http://anond.hatelabo.jp/20131209142219
http://anond.hatelabo.jp/20131224125320
http://anond.hatelabo.jp/20131228163827
俺はブログと言う世界で生きている、この世界で偉いのは金持ってる奴でも喧嘩強い奴でもない、土日祝日ブログ書く奴。サードブロガーです!
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2013/12/24/170036
めんどくさいがざっくり説明しとくと、
元々、Tumblr界の魔神otsu●e氏が道路を暴走し、それを「情報戦略は始まっとるんや」とウチで茶化したらクマのお医者さんが鉄製の屑籠を振りかぶって
「悪いことは悪いって言わんかい...オマエネタにして調子乗っとったらぶち○すど、このクソ猿ブログが!!」
と怒鳴られ説教されて「やべー!殺される―!!怖ぇぇぇっ!! (((( ;゚Д゚)))」と冷や汗かいてるところを取り囲んでブコメで騒ぐはてな村お馴染みの盛り上がりの一連をyarukimedesu氏が
ブログ記事を沢山書いて、アルファーブロガーになりたいな、なんて思ったこともあったけど。今でも思うけど、こらあかんわ。人生はあきらめが肝心だ。“
と書いた。
それを見たinujin氏が「アルファなんて目指さないでいいんじゃね?」と言い出したところが最初。
だから元々の発祥も「ボクたちサードブロガーはもっとブログ界を盛り上げて...」なんて意味でも無かったんだが、ちょうどその頃新進気鋭でロジック・思考甘々で釣りまがいの記事を挙げまくって軽く炎上するようなブログが(昨日今日も何やら燃えてたらしいが)幾つも出て来たもんだから「新進気鋭のブログ=サードブロガー」と結びついて、その瞬間本来的な「サードブロガー」と言う言葉と概念は死んだ。
(略)
はてなの店先に並んだ いろんなブログを見ていた 人それぞれ好みはあるけど どれもみんなステキだね
この中で誰が一番だなんて 争う事もしないで はてブの中誇らしげに しゃんと胸を張っている
それなのにボンクラブックマーカーは どうしてこうも比べたがる? 一人一人違うのにそれなのに 意地悪になりたがる?
そうさ僕らは 世界に一人だけのブロガー 一人一人違うネタを持つ その話題を咲かせることだけに 一生懸命になればいい
小さい話題や大きな話題 一つとして同じものはないから アルファブロガーにならなくてもいい もともと特別なThird Blogger
1.『1984年』ではこっそりテレスクリーンの目の届かぬ場所で日記を付ける好意は「思考犯罪」らしいよ
リトル・ピープル?ビッグブラザーに反抗?そんなつもりで日記書いてる訳ではないけどね?
2.後、ちゃんと錬られた良い記事が読みたい人は新聞や雑誌、アルファブロガーの有料メルマガを買って読むといいとオラは思いますだ
3.下の記事群には一切記載されていない「はてな村」のとあるあなた 正解です
ただしアレは実際に身の回りで遭った事です
生きてきて目にして感じた辛さ悲しさ居たたまれなさが毛糸となって常時データストックされていて、琴線に触れるとその事を思い出して書かざるを得ない
というシステムです 書いたら割りとスッキリしてます 年齢を重ねるほどに愚痴を言える場所も人もどんどん無くなっていきます
これでもネガティブさのブラックコーヒーをコーヒー牛乳位には薄めて書いているつもり
今日は「ジッドの日記」のIを読んでいたけどネガティブな事やTwitterで充分な長さや内容の物も多かったので足らない
足元の蟻にも及ばない私の日記がネガティブでも中味に乏しくてもたいしたことではない 書きたいように書きます
他人がどうこう言っても書く、私のキーボードを止めるのは「仕事」と「飽き」のみ
ブログを転々と引越ししているので飽きたらある日ふらっと別のブログで書く日もくるかもしれない
日記が気に入らないなら「はてな匿名ダイアリー」を読むより『野上弥生子日記』や『蜻蛉日記』おすすめー
私はこれから嵌まりかけている『ジットの日記 I』の続きを就寝前に読みたいんで忙しいからバイバイだ
http://anond.hatelabo.jp/20131026173910
一般論を書かれたのに対して「今はこのブログ発言の話をしてるんだ、ちゃんと読め」って貼ったんだろ?なんでお前まで次の瞬間には忘れてんだよ
一般論の話を続けるとしても、お前それ本当に比較対象になる例だと思ったの?α線はβ線やγ線を率いるリーダーなの?違うでしょ?
alphaは特に含意のない数詞として使うならomegaまでは続くが、社会のリーダーを表す意味であれば続かない(続いてもいいとこ「alphaに直接従う存在」を意味するbetaまで)
「一杯」も数詞であれば一杯二杯と続くが、たくさんという意味であれば続かない
で、アルファブロガーのalphaはこの動物学用語のalphaだってさっきから言ってるよな?
この場合、辞書に定義が載っているのは一番目か二番目までだから、そのへんに区切りを設ける動機はあるわけ
もちろんブログ界隈にこの概念がふさわしいかどうかは知らんし、所詮は造語なのだからガンマブロガーと呼ぼうが何と呼ぼうが発明者の自由だし、本人がそこまで深く考えてなかった可能性も当然あるのだが、少なくとも一般論としては最初の数個だけ特別視してあと呼び方を変えるってのは別に珍しくないわけ
長男長女が漢数字じゃないのもたぶん相続関係のなんかで上の子供が重要だったころの名残だろう
http://anond.hatelabo.jp/20131026174222
お前本気でこんなレベルの相手を想定して戦ってたの?だとしたら失望だわ
俺は話が通じるかもと望みをかけて逐一説明してるってのに、お前はここまで低レベルな相手を想定しないと勝ち筋が見えないってことだよな?
「俺が正しい、だから反論してくるあいつは俺より馬鹿だ」と思い込むのはお前の悪い癖だが、これ自体は万人によくある心理かもしれない
でも義務教育すらおぼつかないレベルの途轍もなく馬鹿な仮想敵ができてしまったら「いくらなんでもそこまでレベルが低かったら会話が成立してないよな」と気付いて破棄するんだよ普通は
サードブロガーという単語に集まる人達に何か奇妙な感覚を受けてて
やっと気付いた。いわゆるこいつらの正体は、はてなブログを「公式様」と呼ぶ。
むしろ、この広い世界を、はてなが全てを回してると思いこんでいる。
確かに、アルファブロガーとか言われた実態の近くには
でも、彼らはインフラとして、それを利用するだけで
そういうものじゃなく、孤高を目指すのに、なぜか慣れ合う。
今、はてなは変化している。
個々の寄り合いにより形成されていた村社会とは異なるものに変化している。
うっすらとだがある特定の方向性を付けられ、そこに向かうよう誘導されたモノ達が増えている。
名ばかりの村長は引退して、表には出ない本来の管理者達が、この町の都市開発を始めた。
もう、村では無いのだ。はてなは町になった。
はてなの広報がやってる活動で、結構前からやってたんだろうけど
はてなブックマークがビジネスツールのインフラとして成功したことによって
効果があらわれて見えてきたんだろう。
でも、やり方に失敗してる。
彼らブロガーは、独り立ち出来ない。依存を繰り返して自立しようとしない。そして視野が驚くべきほど狭い。
彼らの話題は議論の場を提供するものではなく、10代しゃべり場を見せつけてるようなもので
恥ずかしくなり、さらにどうでもいいい。
全然良い方向に向かってない。
http://takeiteasy.hatenablog.jp/entry/2013/10/25/195623
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2013/10/26/004018
http://possession.hatenablog.com/entry/2013/10/26/003855
http://anond.hatelabo.jp/20131008150622
これぶっちゃけ特定の人向けに書いたんだけど思いっきりサードブロガーに並んでた
増田のキテル感
http://anond.hatelabo.jp/20131025130255
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2013/10/30/150443
少しでも足を突っ込めば、ただのゴミ野郎どもがゴミ野郎に、難癖付けて喧嘩を売る場所だと分かるのに。
はてばかブックマークの糞改修の影響を受け、TOPに晒されたがために、ぼちぼちブクマされると思ったら
で、ブログについてブログを考える暇人どもの集まりでは、増田の対外名称は、サードブロガー(笑)ですって。
サードブロガー==人気ないけど、ただの成り上がりたい人達の自己肯定。
ただ叫ぶお前らより、よっぽど増田達の方がサードだと。
あいつらは便利だ。敵にならない。それでいて無限エンジンンでネタを提供する。
ダイサンノブロガーというなら、あいつらだ。有名税という税金が凄く低い。
キテル感を感じてます。みなさん?
夫に話しても全然理解してくれないんです。
こんな夫とは別れるべきでしょうか。
メディアとパクリパクられについて http://b.hatena.ne.jp/entry/coziest.net/?p=712
パクられて辛いブログ主です。
ちょっと上記のブログの内容とは違うけど、NAVERや平気でパクっていく個人ブログに悩んでいるので思いのたけを書いていくよ。
以前に増田で面白いブログが無いとか話題になってた気がするけど、まとめがこのまま大きくなるとブログは廃れると思ってる。
最も熱心にブログにやってくるのは荒らし。次にまとめやってる奴。
ファンは趣味でブログに来る。だからどれだけ魅力的なコンテンツを並べ立てようと、忙しければ来ない。
まとめは金銭目的だから良記事をかけば来てくれる。SEOを頑張ればそれだけ彼らが来る確率が上がる。
アルファブロガーならまだしも、それ以外の多くの個人ブログではどれだけSEOを頑張ったところでNAVERに勝つのは無理。
せいぜいNAVERに引用元を記載してもらって流入があるのを待つくらいしかできない。
なので、太刀打ちするには「いかに固定読者を獲得するか」にかかってるけどそもそも検索で上位に乗ってくれないのにどうやって固定読者を獲得すればいいんですかね…
自分でできる事はもちろんやるとして、それ以外では既存読者さんがどこかで宣伝してくれるのを待つくらいしかもう無いんじゃないかと。
なので、SEOで負けるというのは即ち新規読者を獲得する機会を減らす。
固定読者を大事にするのはもちろんだけど、新しく誰かが入ってきてくれないと、いずれ先細り。
こういう話をすると「パクリに負けないように良コンテンツをどんどん生み出せばいい」とか簡単に言われる。
でもそれってなーんにも具体性のない精神論だよね。
仕事で「いい商品を沢山生み出せば会社は潰れないだろう」って言ってるのと同じ。
言ってる事は正しいんだけど、はいそうですねと良コンテンツを量産できるならこんな苦悩はしてない。
これは良くできた!と思ってもウケなかったと思えば、感情のままに書きなぐったものが大ウケしたりする。
大体求めている情報は人それぞれなんだから、「良コンテンツ」の定義だって人によって違うんだよね。
時事ネタに独自の視点で切り込むブロガーさんは努力と才能の賜物だとおもうし、安易に真似できないよ。
てな感じで、頑張って記事を書いてSEOの努力もするけれど、良記事を書いても、下手すりゃ書けば書くほどパクられる。
一方で固定読者さんはそっと見に来るだけでコメントも何も残してくれない。
パクリまとめにSEOで上位を取られる&ブクマも付く→オリジナルだったはずなのに無視されてモチベーションが下がる
辞めようかな。と思い始める。
よほどブログを書くのが好きか、ナチュラルに良文章を書けて自分のためだけに書いてる人じゃないと続かないと思う。
あと既に有名なアルファブロガー。
もしこれを見てる人でいつも読んでるブログがあるなら、どうかブログ主さんに「頑張れ」って言ってあげて欲しい。
それがあればパクリに負けずにコンテンツ作ろうって気になるから。
ちなみに月間PVは約3万です。
昔ブログをやっていた頃、はてブに登録してくれる人なんて誰もいなかった。
いわゆる「6hot」サイトだったし、大したことも書いてなかったから。
一年近くブログを続けて飽きてきた頃に、はてな匿名ダイアリーに興味を持った。
何の気なしに書いてみた所、ある記事のはてブが凄い勢いで増えていき、いきなりホッテントリ入り。
F5をぽちぽちしながらコメントが増えていくのをぽかーんと眺めていた。
自分の意見に対して、大勢の人間から意見をもらうのは初めての経験だった。
共感もあれば批判もあり、ただの攻撃もあり。
でも、これが自分の意見に対する大勢の人間の意見なんだと思うと、
変な高揚感があり、全ての意見がありがたいと思えた。
以降、誰も見ないブログは閉鎖し、ここにちょくちょく書いている。
アイデアを創造するための話し合い手法として「ブレインストーミング」というものがありますね。
言葉は知られている割に、その正確な用い方は意外と知られていない側面がありますが、ブレインストーミングを強力なアイデアツールとして用いるために必要な手法の一つが「人のアイデアに積極的にただ乗りする」です。つまり「特に断り無く引用すること」「人の意見を自分の意見のようにしちゃうこと」を許可する。
これによって、集団で出すアイデアの質は確実に上がります。無断引用を許可することが良い結果を生むケースがあることは、私も同意します。
たとえば、某アルファブロガーさんのケースを考えてみましょう。たとえば「ちき○ん」さんとか。
彼女は書いた文章の独特な語り口や切り口で話題を呼び、多くの読者をつかんできました。結果、そのペンネームで本を何冊も出版するに至っています。
さて、彼女の書いた文章が、パクリおっけーな世界で、片っ端から無断引用(出典不明記)で大手のサイトに掲載されていたら、どうなっていたでしょう? 彼女はたぶん、有名になることもなく、そのうちパクられることに嫌気がさして、記事を書くことをやめてしまっていたのではないでしょうか。
書くことによって、何らかのフィードバックを(場合によっては利益を)得る、という点に関して、彼女の「閲覧無料のブログ」と、無名の人のツイートの間に、何か差があるでしょうか。
そう、一見それらは無料に見えていますが、「名声」自体も商品となる資本主義社会下においては、それらは明らかに「商品」として供されているのです。
そのとき、「無断引用」は、単なる「窃盗行為」となります。書くことによって得られる何かを書き手から奪うことで、書き手に損害を与え、優秀な書き手のモチベーションを奪い、ひいてはその書き手が将来書くはずだった(そして社会にとってとても有益だったかもしれない)偉大な文章を永遠に失わせるかもしれない……まさに社会的悪以外のなにものでもありません。
最初の例と、あとの例。何が違うのでしょうか?
それは、同意の有無です。最初の例は、一見「無断引用」のように見えますが、実は、「ブレインストーミングに参加する」という時点で、参加者は自分の意見がどう扱われるかということについて暗黙の了解をしています。自分の意見を「公共に供する」ことに同意することで、ブレインストーミングは成り立っている。しかし、後者は、自分の意見を「公表」はしても、それを「公共に供する」ことに同意しているわけではありません。それは、その人がIDなりペンネームなりの紐付きで発言していることからも明らかです。その人は「私の意見を公表」しているだけであって、「誰が使ってもいい意見」として喋っているわけではない。いや、匿名掲示板(たとえば増田や2ch)であっても、それは同じです。判例でも、たとえば2chの書き込みを勝手に書籍化したことで訴えられ、負けたという事例がありました。現代社会において、あらゆるテキストは原則として「値札のついた商品」であり、それが「無断引用」が許されない理由です。
ただし、一方で「インターネットの自由こそがあらゆる価値の源泉であり、インターネットから利便性を得ているあらゆる利用者は、また、インターネット上に送り出すあらゆる情報を、利用者の自由な利用に供することに同意すべきであり、特に明確な意思表示の無い限り(場合によっては、意思表示があっても)、あらゆる情報は自由にもちいられるべきである。それがインターネットの唯一の掟である。」と考える狂信者な方々(賛同者が少ないかもしれなくても、それはそれで一つの理屈です)もいますし、そもそも資本主義自体を私は認めない、という意見もあるでしょうから、上記の私の意見に納得されない方も一定おられるとは考えます。ただ、資本主義社会に生きて、それを認める立場であれば、逆にどのようにして「無断引用はオッケーである」という論理が成り立つのか、説明する必要があるのではないでしょうか。
そういう時はブクマはさっぱりで、ブクマ稼ぐのは余裕なさそうな口汚い時期ばっか
「世界はあなたのもの」はちょっと前の書評っぽいのをぽつぽつやってたころからちょこちょこ見てた
海外雑誌の品評みたいなのは面白かったけど、レビュー自体はとりたてて面白くない
この人が絡んでたイケダハヤトとか安藤美冬とかにも感じた。同族嫌悪?
細かくは忘れたけど、「わかったブログ」のブクマ操作かなんかに絡んだ辺りから
hagexの人はよく見てないけど、教養も文章力も人並み以上なので
普通のブログ書けるんだろうけど、そんなの誰がブクマすんのよって話
結局スルーしかないってのは同意なんだけど、もう一歩踏み込んでこういう人らを減らしたいなら
アルファブロガーの鉄槌が云々より、こういう感じになりそうな人のフツーのエントリに
日本の質が高いブログを書いているとされていた一部のいわゆるアルファブロガー層(小飼弾、ちきりん、藤沢数希、…等、敬称略)も最近は更新が減っている。
いやまああくまで仮説というか、確信ではないんだけども。
しばしば日本のブログ論壇(なんだよそれって話だけど、まあウェブ上の議論を行なっている一角とでもしてくれ)は他の国よりレベルが低いと言われている。確かに、最近では特に、読む価値があると感じるブログなんて少なくなってきた。それがなんでなんだろう、というのが自分の問題意識であり、それは今後改善されうるのだろうか、というのがまたもう一つの問題意識になる。
※前提として筆者は外国語全然できないので帰国子女系の人とか、他国のウェブの生態系というか、そういうの分かる人教えてください。
日本の質が高いブログを書いているとされていた一部のいわゆるアルファブロガー層(小飼弾、ちきりん、藤沢数希、…等、敬称略)も最近は更新が減っている。Twitterとかメールマガジンの影響とかあるんだろうか。
なんかひどい雑文になってるけども問題意識だけ共有できれば。日本のウェブは残念なんだろうか。そしてそれは変われるんだろうか。
世の中には「新しもの好きな人」と「ほどほどに流行を気にする人」と「流行に無頓着、我が道を行く」人がいる。
自ら流行を周りに発信するほどの新しもの好きを「Aグループ」、
ほどほどに流行気にするが、そんなに熱心に新しものを追いかけない人を「Cグループ」、
Aグループが人口の5%、Bグループが15%、Cグループが60%、Dグループが15%、Eグループが5%、
そんな感じだろうか?
民間企業が新商品を売り込む場合、基本的に「AグループBグループCグループを相手にすればいい」。
DグループEグループは高い宣伝費用掛けても買ってくれないし、
その宣伝費用をABCグループに投入して、リピーター、ロイヤルカスタマーに育てた方がはるかに売上は上がる。
極端な話、DグループEグループは「捨ててしまってかまわない」存在であり、民間企業はABCグループを大切にすればいい。
特に流行の発火点のAグループ(アルファブロガーなど)は重要で、企業はカネ払ってでもAグループを抱き込みにかかる。
つまるところ、民間広告は、基本的にABCグループへいかに情報を伝えるか?が勝負。
最近のネットSNS社会では、Aグループを発火点にして仕掛ける宣伝手法が進化している。
ところが、行政の啓蒙広告は、情報強者のAグループやBグループへの宣伝は意味がない。
なぜなら、AグループBグループは、情報の内容を既に知っているから。
行政啓蒙の主旨は、「リテラシー低く情報弱者なCDEグループにこそ、伝えなければならない。」という点。
つまり民間企業広告とは真逆であり、民間企業広告のメソッドは通用しない。
特にEグループの人は「自分の思い込みが激しい」「行政の広告にわざと逆らおうとする」という、
極めて「あまのじゃく」な人種の塊。
電通博報堂などは、ABCグループへの宣伝などは極めて上手だが、その手法は行政啓蒙広告には全く通用しない。
しかし行政が啓蒙広告する場合、信用と実績の電通博報堂が選ばれる。だから行政啓蒙広告は失敗する。
女性手帳が果たしてCDEグループ啓蒙に有効なツールなのか、「啓蒙工学」の真価が問われる
「こんなこと、女性なら誰でも知っている、今更女性手帳などで啓発するなんて、女性をバカにしているのか?」
と反発しているのだろう。
A・Bグループの人は、
「リテラシーボトムな人、情報弱者な人に対してこそ、情報を正しく届けなければならない、という
さっき食べたバニラアイスから、涙の味がした。別に泣きながら口に入れたわけではない。製造する中で涙が入り込んだわけでもないだろう。心が泣いていたのである。悩みや不安が、感覚を曇らせてしまい、舌は味わうということを忘れてしまった。好きなものを食べる時くらい、嫌なことは忘れよう。そう心がけても、なかなかうまくいかない。ふとした時に悪い記憶が蘇っては、頭を、感覚を、支配してしまう。
はてなを利用するようになってから、アルファブロガーと呼ばれるような方が書かれる、大変知性にあふれた文章に触れられるようになった。しかし、彼らのブログを読んでいると、たまに、違和感を覚えてしまうことがある。ネットで有名になり、本を出してお金にも恵まれているはずだというのに、ちょっとしたわがままや、悪い意味でのこだわりが、ふと顔を出してしまっていることが少なくない。時には、炎上にまで至るほどの失言を犯す例もある。いったい、何が彼らをそうさせるのか。
理由は2つあると思う。まず1つ目は、知性だけでは満たされない何かが本人にある、ということである。いくら富や名声を得た所で、幼い頃のトラウマや、今抱えている悩みがスーッと消えてしまうものではない。そして、そういう負の念は、ことばの中、すなわち、書かれた文章の中に、意識するにせよしないにせよ、混ざってくる。特に劣等感や、過去における悔いは、どんなに言わまいと努力しても、浮かび上がっては思考の中枢を奪ってしまう。アルファブロガーとて人間だから、そういうこともありえるのではないだろうか?
もうひとつは、その満たされなさについての答えを求めるために、より高い知を欲しているのではないか、ということである。もしかすると、彼らは人並み外れた知性を持つがゆえに、どこか孤独を感じているのかもしれない。しかし、自分をもてはやす読者たちは、悩みを解決することも、後悔の念を満たすことも、できはしない。だから、あえて世間を挑発し、自らについての答えを探しだそうしているのではないか?
凡人の私は、彼らと同じ悩みを抱えることはない。彼らの支えになることもできない。だが、一緒にお菓子を食べることならできる。
エネループ問題について、1日まではデザイン云々が、ブランド価値が云々、と
正直「どうでもいい」討論が続いていたが、2日になって、
「そもそも、独禁法上、パナソニックはエネループブランドと距離置かなきゃならない」
この増田が「中の人」である可能性が高いと思うが、増田の身元はわからない。
(何か刑事事件でも起こって、警察がid身元照会でもしない限り、増田の身元ははてな事務局にもわからないだろう)
一部のはてブに
「なぜこの投稿者は、自分のブログとかじゃなく、増田なんかで投稿したのか、勿体無い」とか
「こういう投稿が、増田経由で行われるのは残念だ、実名で行われる日本になって欲しい」のようなコメントが散見される。
いくつかの理由で、自分は投稿者が投稿先として増田を選んだことを支持する。
個人ブログというのは、「ちきりんブログ」とか「finalventのブログ」とかのアルファブロガーでもない限り、
そんなにギャラリーが見込めない。
仮に増田が「中の人」、つまり電機メーカーの社員だったとして、個人ブログの「常連ギャラリー」は、
まあ10人とか20人程度だろう。
その常連の人相手にエントリ執筆しても、読者は10人~20人でしかない。
この読者のうち「3人以上」がはてなブックマークを付けてくれれば、「新着ブックマーク」されて
他のはてなーにも告知されることになるが、ブックマークの習慣がない読者ばかりだったら、その可能性は少なくなる。
一方、増田は、なんだかんだいっても、相当数のギャラリーを抱えている。(恐らく、百人以上)
しかも、割と増田のギャラリーは、気になった増田記事を、はてなブックマークする慣習がある。
つまり、エントリの内容が興味惹かれる内容であれば、増田ギャラリーの興味を惹き、
さらに新着はてブ扱いされることで、はてブギャラリーの目にも入る、という可能性が広がる。
「個人ブログは、都内のどこにでもある住宅地。他方、増田は渋谷ハチ公前」なのである。
ストリートライブ開催するのに、下連雀だか深大寺だか砧だかしらないが、平凡な都内の人通りのない住宅地で開催する
渋谷なり新宿なり池袋なりのターミナルで開催してギャラリーに聞いてもらう、それがネット界では「増田」なのである。
2.増田は「中の人が、肩書きに囚われずに発言する」のに向いている。
それをパナソニック社員が顕名で発言することは、なかなか出来ない。
「勤務先も明記しているフェイスブックで、従業員が社内事情を投稿する」のようなイメージを抱いているのだろうか?
日本のフェイスブックは「食事の話題、写真の話題、子供の話題ばかりでツマラナイ」という意見もあるが、
結局、なかなか社会人が顕名で社内事情を暴露するのは、日本では難しいのである。
匿名で発言するフォーマットとしては「2ちゃんねる」というフォーマットもあるが、
増田のエネループ話だと、恐らく10回程度に分けて投稿しなければならず、なかなか見づらい。
そして、新規にスレッド立てても、増田みたいに注目集めるかどうか、微妙である。
増田のギャラリーって、案外知的リテラシー高い層が集まっているから、
こういう高度なネタを喜ぶ傾向にある。
読むごたえある内部情報は、2ちゃんねるよりも増田に書いた方が、ヒットしやすいのでは?
また、増田は、というか、「はてな」は、Googleページランクと親和性高いから、
一方、2ちゃんねるの場合、下手すればスレッドが過去ログに収納されて
更に、増田⇒はてブ、と進んだ場合、ツイッター同時投稿されるケースも多いから、
ツイッター界でも話題になる。
(実際、今回のエネループの件も、ツイッター界で結構話題になっている)
先日は罪山さん(現・葉真中さん)が小説入賞してたし、はてな村からどんどん本を出す人たちがでてくる。これはすごく素晴らしいことだと思う。不動のChikirin女王なんかも既に本出してるけど、そういうの全部既存出版社(特にダイヤモンド社とか星海社)多いっすね。
でさ、自分はウェブでコンテンツ扱う関連の端っこにいる人間として、以前東浩紀さんだったかが、インタビューで、やっぱり当面はコンテンツ提供者(この場合は書き手)が十分なお金をほしいと思うと、やっぱりまだ紙でやるしかない、って言ってたの、あれにすごく同意するんです。いやもうほんとウェブでの書き物なんてお金にならないですよ。割に合わない。
メルマガとかケイクスとか色々出てきてるけどね。ああいうのがどのくらいの大きさの経済になるかって現状知れてるわけでしょ。影響力も。この状況ってやっぱり当分変わらないと思うんだよ。今有名なアルファブロガーなんて一部の熱狂的なウェブ好きだけで知られてて、周りの友達に聞いてみてどのくらいが知ってるんですか。10人に一人も知ってますか。ないですね。
でも、その文章力とか、コンテンツとしての質って、もう確実にあるじゃないですか。ウエブ上の書き手で。下手な紙での書き手なんかよりよっぽど。出版側が無理やりプッシュして売り出してるのでまじ価値ない紙束も多いっすよ。もちろん商売だから否定しない、でもやっぱりよりいいものが共有されて、クリエイターに適切な利益が還元される市場が作られていって欲しいじゃないっすか。
やたら青いこと言ってるけど、要するにはてな村って書く力ある人多いんだから、こう、うまくインキュベーションするというか育てていくというか、そういうやる気はないんか、って話しです。なんか牧場持ってて放牧だけして放し飼いにしといて出荷まで持ってかない感じの見ててなんか勿体無いなって思ったんで。なんかとりとめなくなったからおわり。