はてなキーワード: なかにとは
新幹線計画が具体的になった80年代から市街地の住民からは”新幹線乗り入れ絶対反対”の声が大きく、まちなかに看板も立っていた。そして具体的なルート図が決まってアセスメント段階になってから慌てて市長を中心に誘致活動をしたが”後の祭り”
北陸自動車道建設のときも反対運動が激しく起こり、結局インターチェンジは砺波にとられた。後から慌てて能登自動車道の高岡インターで”お茶を濁す”。
高岡駅の駅北と駅南を地下道で結んで利便性を高めようという計画が出たら”自分たちの客がとられる”とすさまじい反対運動が起こり、計画は潰れて結局両方の商店街・デパートも廃れてしまう。
相鉄いずみの線と横浜市営地下鉄ブルーラインの延伸にも似てる話ですね。
相鉄と横浜市が路線を延長する際に、小田急の急行停車駅の長後駅に当時は接続する予定でした。
ところが、当時の地元商店街が長後駅接続に猛反対したため、仕方なく相鉄と横浜市は接続駅を湘南台駅に変更して現在に至ります。
その結果、長後駅の利用客がどんどん減っていって逆に湘南台駅は乗客が増えてますます栄えてしまい、長後駅の商店街はシャッター街になってしまいました。
長後駅商店街に住んでいる現在の住人は、自分の親の世代がやった反対運動に後悔している様です。
https://www.youtube.com/watch?v=3K111mf9YPg
こういう話をもっと知りたい
https://hamarepo.com/story.php?story_id=5343
2016年06月29日 横浜市営地下鉄は「長後駅」から通るはずだったって本当?
はまれぽ調査結果! 町内の商店会の決定権を持つ会員に保守的な人が多く、地下鉄建設の反対が起こった。当時若い世代の会員など賛成派は多かった。
例として山口市と下関市、小諸市と佐久市、長野市と須坂市、成田とインチョン、栃木市と宇都宮市が挙がってるな
小諸市や山口市は線形の問題や技術の問題で誘致が難しかったのであって住民運動のせいではないという意見もあるな
追記2:沖縄の米軍基地は的外れだと思う。軍事的な都合で神立地だから選ばれてしまっている。横須賀もそう。自衛隊の基地の立地もそうだが防衛戦略や地形への依存度が高いので、新幹線や地下鉄を歓迎するかどうか、人流とカネの流れを作れるかどうかとは話のレベルが違う
追記3:
kkkirikkk 規模は小さいけど横浜の陸の孤島こと本牧。アクセスの悪さからどんどん寂れていってるけど地下鉄駅作る計画が反対でつぶれてる https://hamarepo.com/story.php?story_id=4338
三渓園に自家用車で行ったときに、本牧辺りの駐車のしづらさも何もかもが不便に感じて二度と行くものかと思った。公共交通機関で行っても相当不便そうだな。住民が生活のための回遊をするだけで、外部の人間は来るなと言っているような街の状態だと思うが、通勤にも不便だろうし、自家用車が無い人間は買い物も不便そうな街だったし、どうやって生きていくつもりなのだろうか。三浦半島、千葉、大山方面、静岡方面でこの種の面倒に直面したことはない。鎌倉には車を停められないが電車で行けば良いし、そうするだけの見どころがある。本牧は三渓園があるほかはただ不便なだけの、住んでいる人間以外には用がない、金も落としにくい地域という状態なので、もうこのまま衰退していくばかりなのだろう。
衰退例で挙げられている長後は商店街は衰退しているが、住居に建て替わってベッドタウンとしては生き延びる余地があると思う。小田急線で新宿通勤が可能だからだ。SFCの学生なんかもあの辺りまでなら住むかもしれない。本牧に住むのはどういうライフスタイルなのか全く分からない。職場はどこなのか?どう日々を生きているのか?
追記4:
最近の研究では人間は心臓が止まり、血液や酸素の循環が停止した後も、脳はすぐには活動を停止しないことがわかっている。そのため心臓発作から生還した人々のなかに臨死体験をする人がいると考えられている。また、心臓停止30分後でも脳活動が見られたケースもあったそうだ。
[Nature]Pig experiment challenges assumptions around brain damage in people
https://www.nature.com/articles/d41586-019-01169-8
[日本語記事][Nature ダイジェスト]死んだブタの脳を体外で数時間生存させることに成功
⭐️日本語記事のタイトルの通り、食用に解体されお肉になった豚の脳が復活
> 研究チームは、BrainExに組み込んだブタの脳が6時間でどの程度回復できるかを調べた。
> その結果、保存液を注入しなかった対照群の脳の細胞は崩壊してしまったのに対し、
> BrainExに組み込んだ脳では個々の細胞や部位の構造が保存されていた。また、ニューロンや他の脳細胞が正常な代謝機能を再開したことや、
> 脳の免疫系も機能しているらしいことが分かった。さらに、BrainExに組み込んだ脳から採取した組織試料に通電したところ、
> ただし、高度な脳活動を意味する脳全体の協調的な電気的活動パターンは全く見られなかった。
> 研究チームによれば、そうした高度な機能を復活させるには、電気ショックを与えるか、もしくは、もっと長い時間にわたって脳を溶液中で保存し、
> 酸素供給がない状態で受けたあらゆる損傷から細胞を回復させることが必要だろうという。
>
死んだブタの細胞と臓器を回復させる新技術「OrganEx」と、ブタからヒトへの臓器移植元年
https://www.newsweekjapan.jp/akane/2022/08/organex_1.php
> 死後、数時間経った臓器を回復させる方法は、これまでにも身体から切り離された臓器を使った実験が行われています。セスタン教授らのチームも2019年にBrainExという装置を開発して、脳の機能回復を検証しました。
> 『Nature』に掲載された論文によると、研究チームはBrainExを使って、死後4時間経過した32頭分のブタの脳に特別な液体を6時間送り込みました。液体は、合成血液や脳細胞の死を遅らせる効果のある薬剤から構成されていました。その結果、通常と比べて脳細胞の死は減少し、血管と一部の脳機能は回復しました。
> BrainExを6時間使用したブタの脳は、情報伝達を担うシナプスの働きが回復し、生きている脳と同じように薬物に反応したり酸素を消費したりすることが確認されました。けれど、意識や知覚を示す電気活動は観測されませんでした。つまり、「脳が生き返った」とまでは言えませんでした。
> ただ、セスタン教授らは、身体から切り離された脳が意識を取り戻すことを懸念し、脳の活動を抑制する薬を投与しながら実験をしました。抑制剤を使わなかったり4時間より前に実験を始めていたりしたら、脳は意識を取り戻したのでしょうか?謎は残されたままです。
ここのところSNSを騒がせているランドセルおじ、発端の投稿から経緯を追いかける中で、私も嫌悪感を抱いた1人だった。
今も嫌悪感はあるし、もし過去ツイにある娘さんへの身体接触が本当なら、一刻も早く娘さんたちへのケアを行い、父親から離すべきだと思う。明らかな性的グルーミングだからだ。
今回のランドセルおじ...いや、可愛く言うような対象でもないので、見た目は中肉中背おじさん、頭脳はおむつにウンコがついた小学生、略してランドセル変態ジジイと呼ぶことにする。
改めて今回のランドセル案件は、過去ツイのキモさがガソリンになって余計に炎上しているが、対人援助を職業にしている経験上、子どもが嫌う父親の特性の1つは、自分と子どものパーソナリティの境界線が曖昧であることが多いように感じる。
人格のある個人として子どもに敬意を払っているなら、たぶん本人に無許可で彼女の所有物に触れたりしない。あなたは、あなたが尊敬する人物の胸元を急に触るのか?あっ、触る?そうか...。ならランドセルも背負うわな。邪悪な人間というのは存在するのだ。でもやめたほうがいいよ。
ジジイの「好きな子にいたずらするのと同じ」という発信が表しているのは、
・そのために相手が嫌がることをしよう
という強烈で治らない認知の歪みが、あのくらいの年齢になっても矯正されず残っているおぞましさだ。
一昔前に言われていた「娘に嫌われる父親」のなかには、きっと、娘を自分の所有物かのように見下したり、コントロールしたり、ちょっかいを出したりして、嫌われるべくして嫌われた人もいたんだろう。えっ、違う?加齢臭くさいって言われた?それ、私が父親に言ったことですね...はい...すいません。
相手が嫌がることはしないというサルでも分かる道徳心が、親子関係になると途端に剥がれて無くなるのはなぜだろう(ブーメラン)。
母親が、息子が一生懸命集めたミニ四駆とガンプラをゴミとして捨てることも、父親が、おしゃれに気を遣う娘にケバいだ似合わないだと一蹴することも、子を尊重していたら起こらないはずの悲劇だ。
きっと昭和や平成という時代では、父親が娘のランドセルを背負っても「変な父親だな...」だけで終わって、こんな大火事にはならなかったに違いない。
令和という時代に変わり、グルーミングだとか、ジェンダーだとか、親と子は他人だとか、そういう解像度が上がったことで、ランドセル変態ジジイの不気味さや気持ち悪さ、どれほど時代遅れなのかが可視化されたように思う。
きっとこれからも、ちょっとしたことをきっかけに様々な「過去の遺物」が掘り出され、あぶり出され、文化的価値観は流動していくのだろうな。
51歳、男、独身
若い頃は4何人かの女性のお付き合いしたがどの人もうまくいかず2年ともたなかった。
自分はそう言うのが向いていないんだろうなと思い結婚を諦めてから長いが、つくづく無理にでも結婚しておけばと思っている。
この歳になって子供も作らず結婚もせず、なんのために生きているのかよく分からなくなる時がある。
部下に結婚祝いや出産祝いをあげたり、健康診断に行ったりなどなど…
生物としてやる事をやらず、繁殖せず、仕事と趣味に生きるだけの人生も長く続くとなかなかにキツくなってくる。
たまに女性で独りで生きていくという事をやたらめったら、アピールする人がいるがなんとなく気持ちがわかる。ああでもして自分を肯定してやんないとやってけない。
[B! 教育] ワークマン初のランドセルは税込8800円、「低価格・高機能・軽い」バランス重視の開発の裏側
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.fashionsnap.com/article/2024-03-05/workman-school-bag/
なんだかブコメが粗ぶっていたので、今まさに小学3年生の現役子育て世帯として、現代のランドセル事情(東京都下)についてまとめる。
高齢者は今時の常識へアップデートしてほしいし、これから出産・就学する親御さんたちの参考になれば幸い。
ここからの話は東京都下の公立小学校での話なので、私立や都心部のリッパな学校、地方の話はまた違うんだろうと思うけどね。
まぁ、あちこちで言及されているように、ランドセルと言えば本革の黒と赤、男子は黒で女子は赤、というのは全く持って時代遅れ。
もちろん黒・赤の保守層も一定割合いるが、もう半数前後かそれ以上がこの二色以外のパステルカラーやアースカラー、ブラウンなどカラフルなランドセルを使っているのがふつう。黒・赤でもアクセントカラーが入っていたりおしゃれ要素がある。
うちの子もなかなかに目立つ色のランドセルを自分でチョイスしたので、入学前は多少気をもんだが、無印のランドセルの話でも出ていたように、「同じ色の子」「あの子は~色のランドセル」などとそれぞれの種類や色が個性や識別のきっかけとして受け取られる時代であるらしい。目立つ色で孤立していじめられるとかそういうことは滅多に無さそう。嘘だと思うなら近所の小学生の通学風景をよく見てみるといいんじゃないかな。
それと、女子のピンク・パープル・スカイブルー、男子のモスグリーン・マリンブルーなどはそれぞれプリキュア・仮面ライダー等の影響を感じるのは別の意味で日本の子育てならでは。
そんなのこじゃれた東京の学校だから、と思うないなら、ランドセル大手のホームページを見てみるといい。
例えばシーズンになるとTV-CMもよくみかける「天使のはね」のセイバン
https://store.seiban.co.jp/shop/pages/instagram_user.aspx
それぞれ男の子・女の子の商品ラインナップを見れば真っ黒・真っ赤なモデルはかなり少数派、色以外の要素もめちゃくちゃ多様なのがなのがわかると思う。ふつうに古典的なランドセル型の製品だけでもこうで、さらに今回話題になったランリュック的なモデルを使ってる子もいる。そういう時代なんだよね。
よくあるのは「祖父母にリッパなランドセルをプレゼントしてもらう」って奴。
あれはほぼ子供のためよりも祖父母に対する家族サービス。
孫と一緒に買いに行って「これはおばあちゃんに買ってもらう」というシチュエーションを祖父母に楽しんでもらうイベントなわけ。
まぁ経済面で助かる、というのもあるが、安い製品は2万円台で買えて十分に丈夫で見た目も良いデフレ時代にそもそも高くて高級なランドセルを買う必要性って今ほとんどなくて、金銭面での理由付けは順位が低くなっている。
さらに、本革でオシャレなランドセルを背負わせたいという親の気持ちもわかるし、そこで親同士の見栄の張り合いとか、量産品をけなしたりする親もいるんだろうけど、それは完全に親のエゴで子供にはあまり関係ない。まぁ、都心の立派な学校にお受験するような世界ではなんか違うのかも知れんけど、自分的にはそういう世界はちょっと嫌だなと思う。
それから、子供をランドセル専門店に連れていくと、5歳児のセンスなので、当然派手なカスタムモデルや、くるくるの革細工で装飾されたモデルなんかに食いついたりする。そしてそれらは当然いいお値段になる。だから、実際に連れていくのは結構順番を慎重に考えた方がいい。「今日は色を選ぼう」とか「「ここでは買わないと思うけど見てみよう」などの予防線を張ってみるのもよいかもしれない。カタログも同様。本気で親の本命モデルがあるなら、偵察は親だけで行き、子には敢えていろいろ見せずにまっすぐ行った方がいいかもしれない。
あとは購入時期、一時期「ラン活」などと言われ、入学前年の夏ころには売り切れる、などと話題になっていたのは上記のような贈答用や見栄用の高級品の話。
それこそ一品物に近いような手造り製品からヨーカドーやニトリで買える大量生産の工業製品までピンからキリまで選択肢があるのが今の日本の豊かさと言えると思う。
量産品なら入学直前の3月に駆け込んでもまー多少選択肢は限られるけど買えないなんてことはない。
ランドセルで検索すると、先ほどのような大手メーカーから専業メーカー、皮工房など様々な製品が並ぶ。実際、幾つもショップを巡ったり子供を連れて行ったりしたが、本当に様々だし、質感や使いやすさなど今のランドセルはよくできている。
けどさ、使うのは小学一年生なわけ。ボッコボコにぶつけるし、床や地面に放り投げる、あまつさえランドセルを座布団替わりに使ったり、踏んづけたり、ソリ替わりにして斜面を下ったりしかねないわけ。
で、「だから、6年間使える丈夫な本革」というのは多分かなり時代遅れな発想で、そもそも今の量産品のランドセルは合皮でめっちゃ軽い。というかそれ以前にランドセルがデカい。
1. 教材が増えた
3. 学校に教材を置きっぱなしにできない(全くではないが)
4. タブレットやChromebookなどを持ち歩く
等の要素が大きい。
そして、ランドセル以外に手持ちで運ぶ習字セットや絵画セットも立派でデカい。
とにかく、今の小学生の荷物の量は自分ら親の世代から見ると異常なレベルで、自分の頃の倍ぐらいの荷物持って歩いてるんじゃないかな?
正直、親から見ると子供がかわいそうだし理不尽さを感じるレベル。ただ、この辺りは学区や校風等さまざまな要素で変わるとは思う。
そういう状況でランドセルに求められるのは「収納力」と「軽さ」なんだよね。そこで「本革は時代遅れ」という話に繋がっていくわけ。大きいほど重くなる本革は今のランドセルの要求仕様に向いていない。
もう一つ、ランドセルの使い方でポイントになるのはランドセルカバーの使われ方。
学校や自治体・学区によって変わるだろうけど、低学年はランドセルに黄色い安全カバーを付けさせられる学校が少なからずある。
そしてその延長線上で、黄色いカバーがなくなると、様々なデザインのオシャレカバーを付けるという話が出てくるんだよね。
ランドセル自体もカラフルだから、おしゃれ要素としてカバーを付けていても全然違和感が無いので、当然女子の間では「~ちゃんが~なカバー付けてる」みたいな話がでてきて、友達と仲間外れも気の毒だから親も買わされるわけ。そんなところもランドセルの多様性に繋がる。逆に、ランドセルと言うフォームファクターが決まっているからできる要素ではあるかもね。
ランドセルは本当に乱暴に使われる、乱暴に使わせないのが躾だというかもしれないが、まぁ、そういう家は頑張ってお受験してよい学校に行けばいいのではないか?
上で述べたように、今のランドセルは軽くて丈夫だしデカい。なので、6年間はまぁ使われても問題ない強度だと思うのだけど、一方で安い製品は本当にお手軽価格で買える。
なんで、そもそも6年間1つのランドセルを使い続ける、という事自体発想が古いのではないかと思うんだよね。
ここまで説明したように、皆で同じものを最後まで使う、という均一なコミュニティの時代ではなくなっているのだから、ボロボロになれば、高学年になれば新しく買い替える、ランドセルを止める、というのができる時代になっていると思う。
そもそも、小学6年生まで大きくなればほぼ中一なわけで、その背丈でランドセルもおかしくね? って子も出てくる。
ランドセル専門店のカタログを眺めていると、6年間大事に使ったランドセルを海外に寄付しようとか、リフォームして思い出のアクセサリーに、なんて話も色々載っていて、それはそれで楽しいね、とは思うけど、例えば中一になった男子がそんなこと考えると思う? たぶん、それはそれで親の楽しみなんじゃないかな、と思うんだ。
だから、これからランドセルを買わなきゃという親御さんも、そんなに気張ったり焦ったりする必要はないんじゃないかなと思う。
やりたい風にすればいい、色々なやり方がある、今の日本は多様性と選択肢があることを喜ぶべきなんじゃないかな?
ランドセルを作る側にしたって、色々なアプローチを試してみればいいと思う。売ってみて売れなければ撤退すればいいじゃない? 安いランリュックでいじめられたら買いなおせばいいじゃない? 外野がとやかく言うような話じゃないと思うよ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3fd7ea9f01d4d210fb7c61515e0884c9915b4a45
カナダのトロント郊外の高校に勤める、あるトランスジェンダーの女性教師が物議を醸している。
現在、彼女は巨大な人工乳房を持っており、録画された動画では、それを強調するかのようなトップスにショートパンツという服装で授業をおこなっている。
雇用問題を専門とする弁護士は、教師としてプロフェッショナルにみえない彼女の服装を「支援する」ことは、ジェンダーの権利の推進を妨げるものになるだろうと、主張している。また、「乳首を透けさせて女性の胸を誇張するような姿は、私には性差別のようにみえる」とも語る。
「女子生徒たちのなかには、不快に覚えるだけでなく、馬鹿にされているようにすら感じている人もいると思います」
実際に、各紙の報道によれば、生徒のなかには、この教師の授業に参加しなくなった者もいるようだ。
同紙で社説を執筆するアンソニー・フューリーもまた、教育委員会、および学校側が、この件を「トランスジェンダーの権利」として扱い、結果的に「何も対応しようとしていない」ことについて、違和感をあらわにしている。
あのような格好で教師に教鞭をとらせている学校側の対応は「正常ではない」し、本来「学校側はこの教師に対し、教育の場にふさわしい服装をするように促すべきだ」と主張
あー、ブサイクが使っている、パソコン、 気が変わったらついていくつもりだったのに、東大卒業してあいつらのパソコン壊してんじゃねえよー、あー;;;;;
「○○にはこれ以上金を貸さないで欲しい」
というのを信用情報登録する仕組みだけど、基本的に本人の訴えに基づいて登録されることになってる。周りが勝手に登録できたらそりゃ人権問題だから。
ただ、そんな聞き分けが良いやつはそもそも借金癖で困ったりしないので任意(周りからの強制)で申請されることも多いらしくネットにはそういう相談が目茶苦茶ある。
というか俺もそれで、家族にギャンブルの借金バレて建て替えを条件に強制的に書かされた。
尚その後どっかから「ギャン中の借金建て替えてたらきりがない見放せ」というのを教わったらしく人のぎりぎり回ってた自転車操業を無理やり止させられの支払いが止まり督促状の嵐がのなかに見捨てられるとかいう最悪な状態になった
でまぁなにが言いたいかって、この制度、申請者本人に相当強固な意思がないと
「信用情報を利用するまともな機関から金が借りれないから闇金、カード枠現金化など非正規の方法に走り経済状況が悪化する」
という可能性があるそうだ。
というか俺も正直考えた。俺の借金状況はサラ金虱潰しに探せばギリまだ借りれたかもしれないレベルだけど、貸付自粛制度出借りれないならTwitterの闇金か個人間融資(個人間での金銭のやり取り、という体のほぼ闇金みたいな世界)あたり探すしかない
連続してやってるくる督促状やら請求書や電話のなかでとりあえずでも回すにはやばいところから摘むしかない
と真面目に考えるくらいまで追い詰められた。
結局俺は迷ってるうちに自転車操業止まっても督促状と督促電話がくさるほど来るだけで案外なんとかなるとわかったから心の余裕が多少できてやばいところから借りなかったけど、今の俺より額が多く相当余裕がない状況とか借金の欲望を止めれない借金癖持ちだと普通に借りてたと思う。
この制度が悪いとは無いが、
と
世間の需要(借金癖がある親族や家族などに借金を止めさせたい)
と
運用(目茶苦茶金借りてる奴は信用情報も黒いので申請なんかしなくてもマトモなところから借りれない。まだワンチャンスあるレベルの人間がまともなところから借りれなくなるだけ)
が全く噛み合ってないな。という印象がある
そんなことを思う
べつにおどろくことでもなんでもないけど、honkitできた!
Node.jsがらみのツールらしい。これってのもはじめての経験だ。Node.jsとはjsの開発環境のこと?なんじゃ?IDE?
ディレクトリーに適当にマークダウンファイルやjsonファイルをおいておけば、HP作成してくれた。htmlタグをベタ打ちするのも、いやだった。だからよかった。
さいきん、ベタ打ちすることないし、といっていちいちpandocとかで変換するのもめんどうだし・・・よかった。
いまのところ、git repoでもなんでもないフォルダーにマークダウンファイルなどをおいて、honkitでウェブファイル作成してから
そいつをエイヤーっとgit repoに動かして、git push でリモートにもっていって、さらにgithub pagesでHPにしているけど・・これって
作業室のリノベがおおかた終わった。 およそ10m2の床に防湿シートを敷き、野縁で枠をくみ、升のなかに15mm発泡スチールを敷き詰め防湿シートでカバーし、15mm厚杉財を貼った。この部屋はまず工芸家のアトリエとして、つぎに写真家の暗室として作品を生み、大震災以降は物置になっていた。床の劣化がはげしいが温冷給排水、200Vコンセント2口、換気扇とエアコンを完備している。 床を貼り終えたあとBesselerの巨大な引き伸ばし機を保持していたスチール製のテーブルを中央に据えた。ここに3Dプリンターを設置する。ときには別の工作機を置いて建築模型なども制作できる。ミニスタジオにもなる。あとは小さなシンクを設置すれば完了となる。天井の長い蛍光灯は折を見てLEDに交換する。2024年版、インダストリアルおよび建築デザインのアトリエが誕生する。床に断熱材のはいったアトリエは工事前とあきらかにちがう。ふんわりとやわらかく、あたたかい。
チョコレートが売っていた
どうやらバレンタインの時に胸に抱かれなかった
チョコレートたちのようだった
値段は160円もするらしい
だが、味は好みらしいので買った
家に帰ってチョコレートの銀紙を半分ぐらい
雑に破いて、歯で齧った
苦いチョコレートだった
しかし、なかなかにうまいチョコレートじゃないか。歯に染みるぐらいには甘いが
ぺろっと食べ終わり、唾液が奥歯の溝にべっとり
張り付いた糖分の成れの果てを流さぬ内に
柿の種を噛んだ
ぴりっと辛かった
すぐにお茶で消そうとしたけど舌に電気が走ったみたいにぴりっと痺れた
てか、私泣いている辛すぎて?と思い
部屋をみた
そこにはさっき破いたチョコレートの銀紙
そこにはぐしゃぐしゃに丸めた明細表
そこには…紛れもない私があった
それでも
それでも涙が止まらなかった
通知で来ていた
私はただもう一度、柿の種を口に押し込んで
毛布で涙を拭った
エリック・ホッファーみてーに生きたいよな。選べるなら選びたい生き方のひとつよ
まったく学校へは行かず、複数の言語(ドイツ語・ラテン語ほか)・化学、物理学、鉱物学、数学、地理学・植物学など様々な学問を独学(図書館)で修めるだけの才能を持ちながら、
炭鉱夫・日雇い労働者・季節労働者として放浪して何十年と働いて、
40歳になってようやく留まるようになっても、沖仲仕(おきなかし。船と陸の荷物の積み込みとかする港湾労働者)やって、
肉体労働とは無縁で、ただ頭だけで何事も理解した気になる知識人に対して、ホッファーは一貫して辛辣な批判を投げかけてた
これが本物ハードボイルドよね。アキ・カウリスマキ監督の作品も割とこれ感じる、カッケー
世捨て人になることなく、他者との関わりのなかに生きながら、他者に干渉しようとはしないこと。誰かを貶めるのでも、誰かに認めてもらうのでもなく、自らの価値を自分自身によって証明すること。それこそが、ホッファーの考えた「真に生きる」ことであり、「すべてが可能であると感じる」ための唯一の生き方だったのかもしれない。
教えることのいかがわしさ:エリック・ホッファー、田中淳訳『波止場日記――労働と思索』(みすず書房、2014) - うろたどな
様々な学問をぽんぽこ修める高IQは別にあってもなくても別にどうでもいいけど、肉体労働とDIYをこなせる器用さと筋力と体格、これはあったらな・・・とは思うよ
まぁ、極端に不器用でゴブリンでクソオタもやしでも、自分に出来ることやればいいだけなんじゃがの
自分に出来もしないことやって、楽しむ時間なくなったら、何の意味も無いもの
お前ら知っているか?
ハグルマのピザソースが、一番、マクドのナゲッツのバーベキューソースににていることを
最近は牛やあいびきの肉が質が悪い(ライトからはずすと真っ白。やくと半分に縮む)ので
鶏むねひき肉400g
大匙6のパン粉
卵1個、または1個の半分
これをボウルであわせてぐにぐにもみ込む
ひき肉は塩をいれると少し硬くなる、卵や水分をいれると緩くなる、パン粉で粘度をつけることができる
整形するんだがゆるければゆるいほど小麦粉がたくさんいる
さっきボウルにラップかけたあれでいい
それを台にひろげて振り出し容器からざーっと出す
あの赤い蓋で黄色いぷら瓶の顆粒のやつが便利
そんでそのうえにすぷーんで練った肉ひとさじのせて
顆粒をうえからざーっとふって
手の甲かラップでおさえてたいらにしてやく1.5センチくらいの厚さにする
周辺には粉がつきにくいからラップの両端もちあげてゆらゆらする はい一こできた
フライパンはコンロのあげものセンサーつきのとこにかけておいて
ひごろのあげものの残り油を全部いれる
深さ2センチくらい まんなかが少々水没しなくてもいいからてきとーにいれる
まわりからひとつずつラップでユラった肉をならべていくと水位があがってまんなかにも並べられるようになる
菜箸でひっくりかえす
あがったのを皿にペーパータオル敷いたとこにあげていく
最後の方はゆるいたねがのこって卵多い、
そんでハグルマのピザソースってわけよhttps://k-haguruma.co.jp/catalog/products/4901585407559/
ごち
追記:
ハグルマのピザソースはスイートアンドチリエビとか辛味少な目あんかけスパにも向いてるが
姪っ子と買い物に行った時のことを思い出す
いろいろ新鮮だった
オシャレさんで買い物行きたいけどママは用があるからと代わりに引率
自分の若い頃、少なくとも小学生の頃なんかは、そこまでこだわりがなかった
それでも親が買い物に連れていってくれるのはうれしかったな
けど、その程度で
姪っ子はいろんなキッズブランドを知ってて、あれが見たいこれが見たいなんて 想像もつかなかった
いや、その年齢の子向けのオシャレブランドがちゃんと存在することに何より驚いたと思う
小学校高学年
ティーン向けよりは子供で、カラフルでちょっとガキくさいと感じるところもあるんだけど、まあなんというかこだわりがあるのだ
そしていいお値段
普通にティーンからそれ以上向けで売ってる値段と変わらない感じ
ティーンは定義では13歳から、つまりは中学生以上からなんだけど
その一段階前の小学校女児向けのオシャカワブランドがあるということにカルチャーショックだったし
郊外の大きなモールにそんなお店がたくさん入ってるのもはじめて知ったし
そのモール内に、普通の、スーパーの衣料品売り場も入ってて、それらのブランドと比べたら安く、自分にとっては大差なく見えて
これでいいんじゃない?とスーパーの自社ブランドのパーカーを姪っ子に薦めたら、えーやだそんなダサいの!みたく言われたのもなかなかにショックだった
そんな思い出
もう5年も前なんだな