はてなキーワード: 1994年とは
ゆとり第一世代アラサーの自分がこれにあたるのはアンパンマンだな。
アンパンマンのテレビアニメ放送開始は1988年で当初はあまり人気がなかったらしく
それから4,5年かけて、乳幼児が視聴するアニメ、グッズコンテンツの定番の地位を確立したので、
今のアラサー(1986~1994年生まれ)はアンパンマンの過渡期に幼少時を過ごしたことになる。
なのでメディアミックス当初から幼児向けの微笑ましいコンテンツとして認識していた上世代とも
物心ついたときからアンパンマンに塗れた社会で生きている下世代とも異なる独特の印象をこの世代は抱いている。
兄弟姉妹や年下の親戚のお守りとしてしぶしぶアンパンマンのVHSを繰り返し見たというような冷めた思い出だけが強く記憶されているのはこの世代のみ。
ブコメにあげられたもの。ライオン『Navic』を除きYouTubeで確認した。
性的じゃありません風を装うものからパロディまで様々だが、チロルチョコは異色。
大場久美子が水飲み場の立つ水栓から噴き出る水を口の周りに当て続ける間、連射されるシャッター音。
池の中から飛び出してきた水着姿の女性が手を振り上げ「ダッダーン」胸を手で揺らしながら「ポヨヨンポヨヨン」滋養強壮剤の壜の口から液体が噴き出す。
ランドセルと黄色い帽子姿の3人の小学校低学年くらいの女子が「フリフリフレーク、チロルチョコ」と歌いながらお尻を振り続け、最後にスカートをめくってパンツを曝け出す。
1998年、ライオン『Navic』奥菜恵「奥まで気持ちいい」は確認できず。
伊東美咲がアイスをくわえながら車の中で急いで服を脱ぐ。ビキニ姿になってアイスの中身を全て吸引「揉んでかじってさわやかソフト」
釈由美子がビキニで腰を突き出すポーズ、男性の声で「ウオオオ~」壜の口から液体が勢いよく噴き出す。「どこ見てんのエッチ」。テロップ“男は、Hだ。”
夢で感じた快感で「イエス、イエス、イエース」と叫びながらベッドに倒れ込む。
本木雅弘ら男性のちょんまげが、網タイツの女性が脚を組み替えるとむくりと立つ。
1.広末涼子「よし、出すぞ」涙を垂らし呼吸を荒げながら嗚咽、ゴクゴク「いっぱい出たァ」
2.膝立ちの女性たちが背をそらす姿勢のなか、広末涼子が空中の何かを握るように手を形作りゴクゴク「自分から出せるカラダへ」
3.広末涼子が「溜まっている間はご心配おかけしました」ゴクゴク。
4.広末涼子「ブラジャーが透けるほど汗をかいた最後っていつだろう」フラフープをして腰をふる。「もっと……出せるカラダへ」
鈴木「ああっ」
鈴木「あああっ」
松下奈緒が「ねぇ、リッチしよう」と言うが、リッチの子音が聞き取れずイも曖昧で「○ッチしよう」に聞こえる。
先進国って一つとでも思ってるんだろうか
Flag of Oregon.svg オレゴン州 - 1994年「尊厳死法 (Death with Dignity Act)」成立
Flag of Oregon.svg ワシントン州 – 2009年
Flag of Montana.svg モンタナ州 - 2009年
Flag of Vermont.svg バーモント州 - 2013年
Flag of New Mexico.svg ニューメキシコ州 - 2014年
Flag of California.svg カリフォルニア州 - 2015年[8]
ルクセンブルクの旗 ルクセンブルク - 2008年「安楽死法」可決。
https://www.johnnys-net.jp/page?id=text&dataId=1956&artist=7
させていただきます。
道を歩むことになりました。
ープとなることができました。
申し上げます。
大学生時代に「涼宮ハルヒの憂鬱」ブームを経験した三十代。当時はひねくれた人間だったので、ハルヒが流行っている真っただ中に、原作ではなくその元ネタとなった「ハイペリオン」に手を伸ばした。当時の自分はきらきらとした学生生活にあこがれていたくせに、そういう青春をテーマにしたラノベを避けていた。みんなと同じものを読むのが嫌だったのと、そういうきらきらしたものを読むと、自分の灰色の生活と引き比べてしまうからだ。そういうわけで、「涼宮ハルヒの憂鬱」の知識は、書店で一気読みした第一巻と、ウィキペディアの情報、断片的に見たアニメの数エピソードに頼っている。おそらく粗があるので、話半分に聞いてもらいたい。
「ハイペリオン」とはダン・シモンズが1989年に発表したSF小説である。邦訳は1994年に出版された。ヒューゴー賞・ローカス賞・星雲賞を受賞している超大作で、登場人物である長門有希が読んでいる。
ジャンルは一応スペースオペラなのだが、あえて言うならばSF全ジャンルと英米文学のごった煮である。というのも、七人の登場人物がそれぞれの身の上を語るのだが、それぞれがホラーだったりサイバーパンクだったり時間SFだったりで、しかもそれぞれの出来がいい。
続編として「ハイペリオンの没落」「エンディミオン」「エンディミオンの覚醒」がある。作者の思想がややうるさいところもあるが、絵になる場面が多くて楽しい。また、人類の各文化の多様性を高らかに褒めたたたえているのが、やや西洋・アメリカ中心主義ではあるが、気持ちがいい。
長門は「情報統合思念体によって造られた対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース」であり、言い換えるならば「宇宙人が作った人間の形をした存在」ということになる。「情報統合思念体」には「主流派」「急進派」「穏健派」「革新派」「折衷派」といった派閥が存在し、それぞれの思惑ごとに動いている。
一方、「ハイペリオン」には、英国の詩人ジョン・キーツの人格を再現したサイブリッド(人造人間みたいなもの)が登場する。これは、人類に様々な助言をするAI群「テクノコア」によって、ある目的のために作られたものである。彼は長門ほど万能ではないが、この背後にいるテクノコアには「穏健派」「急進派」「究極派」が存在していることが共通している。ちなみに、それぞれの立場としては、当面は人類とは共存する、さっさと人類を滅ぼして自分たちが覇権を握る、人類も自分たちも滅んでもかまわないので究極の知性を創造する、である。このAIたちはとっくの昔に人類を超えており、人類を裏切ろうとしている。というか、作中ではすでにある方法で人類をひどく搾取しているのだが、これは読んでみてのお楽しみだ。
設定の上ではよく似ているけれども決定的に異なるところがたくさんあり、よくできたオマージュだと思う。
結論から述べると登場する。そもそも、舞台となるハイペリオンという惑星には「時間の墓標」なるものがあり、そこの封印が開くと未来から様々な事物や情報が送られてくる。同時に「シュライク」という殺戮マシーンが封じられているが、シュライクは時折人間の願いを叶える、とされているのだ。七人の登場人物がハイペリオンまで巡礼に向かうのもそれが理由だ。
ここで未来と述べたのだが、実は未来は確定していない。「テクノコア」が作り出す究極知性が宇宙を支配するか、人類の集合意識が生んだ究極知性が覇権を握るか、この二つの間で揺れ動いている。ここでいう究極知性とは神と言い換えてもいい。つまり、遠い未来で行われる人類とテクノコアの戦いが、現代にも影響を及ぼしているのだ。なんといったって彼らは神なのだから、なんでもありなのである。
この状態は、まさに朝比奈みくる(大)の周囲の事情とよく似ている。現代に干渉し、自分たちの望む形の未来を確定させようと活動している点が近い。
「涼宮ハルヒの憂鬱」の全てを読破したわけではない自分が、本文から有効な証拠をあげることはできない。というか、いくつかのブログでそれを示唆する記述が十分に述べられており、自分が付け加えることは何もない。
よって本記事では、「ハイペリオン」で行われたテクニックを間接的な証拠として用いたい。以下、「ハイペリオン」のネタバレに触れる。読みたくない方は引用部分を読み飛ばしてください。
「ハイペリオン」の七人の登場人物は、旅の無聊を慰めるため、それぞれの出自を語る。一人はフィドマーン・カッサードという兵士である。仮想訓練の度に謎の美女モニータと遭遇し、そこでむさぼるように体を重ねるが、彼女とは仮想空間とでしか会うことができなかった。やがてアウスター(人類連邦に所属しない宇宙の蛮族)の襲撃を受けるが、そこで彼女と再会し、殺されかける。カッサードは彼女との再会を目指している。
もう一人の人物はソル・ワイントラウブという学者である。彼は娘である赤ん坊を抱えて巡礼に来た。彼の願いは、娘であるレイチェルの病を治すことである。レイチェルはかつて学者としてハイペリオンを訪れた際、シュライクによって年齢を逆行する呪いをかけられてしまった。父と同じ聡明な学者であったレイチェルは日に日に幼くなり、とうとう赤ん坊にまで戻ってしまった。レイチェルが「誕生」の日付を迎えるまで、あと数日しかない。
さて、結論を簡潔に述べよう。レイチェルの病は癒される。そして彼女は未来世界へと連れていかれ、そこで再び大人へと成長する。やがてレイチェルはモニータと名乗り、カッサードと出会うのである。
つまり、「涼宮ハルヒの憂鬱」のオマージュ元である「ハイペリオン」では、意外な二人の人物が同一人物であった、そしてその片方は未来人であった、というギミックが存在するのである。
もちろん、年齢遡行までオマージュしているのかどうかはわからない。記憶に蓋をしているだけかもしれない。ただ、妖艶な美女と無邪気な赤ん坊が同一人物であった、という驚きを、朝比奈みくる(大)とキョンの妹が同一人物であった、というかたちで本歌取りしている可能性は、検討される余地はある。
どうなのだろう。キョンの妹は小五だが低学年にしか見えないという記述もあるので、実は成長がストップし、年齢が逆転し始めているのかもしれない……。
鶴屋さんは「宇宙人と未来人だったら、どっちがいい? そろそろ決めといたほうがいいかもにょろよっ!」と発言したそうだが、これは今後の展開を予測する大きな鍵となる可能性がある。というのも、「涼宮ハルヒの憂鬱」が「ハイペリオン」をどこまでなぞるかははっきりしないが、もしも設定を強く意識しているのなら、「ハイペリオン」で「テクノコア」が人類を裏切ったように、「情報統合思念体」が最後には人類に敵対する可能性があるからだ。そして、みくるは人類と「情報統合思念体」との争いの中で、少しでも人類に有利な未来へと導こうとしているのではないか。となると、長門とみくるの決別は避けらないことになる。みくるが長門を幾分苦手としている描写を考えると、興味深い。
少しだけ触れておく。「ハイペリオン」「ハイペリオンの没落」のなかには、超能力は出てこない。出てくるのは「エディミオンの覚醒」以降であり、主人公たちがある能力に目覚めることで、クライマックスに人類の命運を大きく変えるのだが、これも読んでみてのお楽しみだ。
「ハイペリオン」であらゆる願いを叶えるとされるのは殺戮者シュライクである。実に気まぐれな神なのだ。そういうと、ハルヒが悪役シュライクだということになってしまうのだが、自分は違うと思う。明るい青春ラノベにこの設定は似合わない。願いが叶う、ということだけを拝借したのだろう。とはいえ、物語全体を通しての謎の一つ、ということは決定している。
それと、実はシュライクの正体は作中でも若干ぼやかされている。テクノコアが作った殺戮マシーンを人類側がのっとったことが示唆されているが、時間を行き来できるのだから時系列がはっきりせず、筆者の記憶も確かではない。
「エンディミオン」「エンディミオンの覚醒」の語り手はいたって普通の青年ロールであり、彼は破天荒な少女アイネイアーの守護者に任命される。とはいえ、物語の大半は奔放な彼女の振り回されながら進む。それこそ「涼宮ハルヒの憂鬱」の本編のように。
しかし、ロールとアイネイアーは最後にはひどくつらく悲しい別れ方をしなければならない。この設定が本編のキョンとハルヒの関係に輸入されていないことを願う。
それと、ジョン・キーツ(ジョン・スミスではないが)のサイブリッドは二つ存在し、片方が殺される運命にある、とだけ述べておこう。
彼は「ハイペリオン」四部作ののちに「イリアム」「オリュンポス」を発表している。トロイア戦争の世界、遠未来の没落した人類、機械知性たちの話が入り組んでいて、文学とSFのマッシュアップ具合が楽しいのだが、残念ながら「ハイペリオン」四部作で述べた人類の多様性を寿ぐ姿勢から後退し、明確なイスラム嫌悪が出ているのはいただけない。さらに、邦訳されていない最近のシリーズは、ヒラリー・クリントンが大統領になったパラレルワールドで、国民皆保険で怠け者になったアメリカ人が薬物におぼれているというすごく政治的に偏向した作品なので、翻訳されないんじゃないかな……。
【追記】最新作ではないのだが、2011年の「Flashback」という作品。シリーズではなかった。失礼。
【もう一つ追記】その薬物は、いつでも自分の人生の最高の瞬間を追体験できるというしろものだ。そして、世界のほとんどがイスラム過激派に支配されている。経済は日本に牛耳られ、南西部の州はメキシコのギャングに支配され、作中では地球温暖化が否定されている。アメリカの保守的な世界観を煮詰めたような感がある。
ヒラリー・クリントンについての記述は記憶違いかもしれない。ただ、イスラム嫌悪が強いのは間違いない。
https://sosbrigade.miraheze.org/wiki/ハイペリオン
おそらく、ハルヒ全盛期の頃に、こうした議論は出尽くしていると思う。だが、検索をしても類似した意見が見つからなかったため、ここに記録した。
それから、ろくに原作を読んでいないのに、そして記憶もいい加減なのに、好き勝手言ってどうもすみませんでした。
多数のコメント、感謝しております。また、「全部読んでいないのに書くなんてずうずうしい」との指摘、まったくもってその通りです。ファンの気持ちを逆なでするような行い、お詫び申し上げます。また、立ち読みも迷惑でしたね。未成年の頃とはいえ、今にして思えば赤面ものです。
自分としては、「ハイペリオン」を読んだ人間からは、「涼宮ハルヒの憂鬱」の設定はこう見える、と伝えたかったのです。笑ってやってください。また、類似した意見がネットになかったので、記録しておこうという思いもありました。
ただ、ブクマカにもあるように、ジオシティーズやインフォシーク、ヤフーブログなどの一斉削除が原因の可能性のほうが強いですね。はからずもアーカイブの問題にも思いをはせることになりました。
それでは、失礼します。
Until Strawberry Sherbet/林原めぐみ https://ja.wikipedia.org/wiki/Until_Strawberry_Sherbetにおける「作詞:Mamie D. Lee 作曲・編曲:大森俊之」の
と
RHYMESTER(日本のヒップホップグループ) https://www.rhymester.jp/ https://ja.wikipedia.org/wiki/RHYMESTER メンバーの
Mummy-D https://www.rhymester.jp/bio-mummy-d/ https://ja.wikipedia.org/wiki/Mummy-D
との関係性について、ちょっと気になって調べて見たので備忘録代わりに記録。
◎「Until Strawberry Sherbet」はシングルCDとして「1994年5月25日にリリース(https://ja.wikipedia.org/wiki/Until_Strawberry_Sherbet)」
Until Strawberry Sherbetの作詞者「Mamie D. Lee」で検索するとアメリカ?の学校が出てくる。
「1970年横浜市生まれ。(https://www.rhymester.jp/bio-mummy-d/)」
「1989年、「早稲田大学ソウルミュージック研究会ギャラクシー」にて、当時2年生であった佐々木士郎(現・宇多丸)と新入生として入部してきた坂間大介(現・Mummy-D)がRHYMESTERを結成。(https://ja.wikipedia.org/wiki/RHYMESTER)」
「1993年、アルバム『俺に言わせりゃ』でRHYMESTERデビュー。(https://ja.wikipedia.org/wiki/RHYMESTER)」
Until Strawberry Sherbetの作詞者「Mamie D. Lee」は、RHYMESTERの「Mummy-D」じゃないのかな?
1994年当時に英語と日本語混在のラップを作詞出来る人物となると相当人数が絞られると思うけど、それって1989年にグループ結成1993年にデビューしたRHYMESTERに所属している「Mummy-D」であれば可能な事なのかも?と希望的観測を含めた推測をしてみるw
もしこの推測が正しくてUntil Strawberry Sherbetのシングル発売当時は様々な事情で言い出せなかった事を言える環境になっているのであれば、どこかでその辺の話をしてもらえると嬉しいし、有りがたいなぁ、と思う。
多くの人はこちらのWikipediaの記事を参照していると思われる。
この記事も踏まえた上で、実際に主だった芸人を「活動開始時期」や「人気が出た過程」で並べ、あらためて世代分けを考えてみたい。
まず画期としては1953年のテレビ放送の開始が挙げられる。この時期に人気があったのは落語家や喜劇俳優であり、またコミックバンドも人気があった。上の表で言えばいとこい・ダイラケあたりが該当する。いわば「第0世代」であろうか。
次にやってくるのが「演芸ブーム」で、1963年開始のテレビ番組『大正テレビ寄席』を中心に数々の演芸番組が放送され、その勢いが1970年ごろまで続いた。一般にこの時期に人気が出た芸人が「第一世代」と呼ばれる。「寄席」をテレビでやるので落語・漫談・漫才・コント・コミックバンドなど幅広い芸人が登場した。てんぷくトリオを筆頭に三人組が多かったので「トリオ・ブーム」とも呼ばれた。1970年代はドリフと萩本欽一のコント番組が人気を二分した。やすきよもこの世代に含まれる。
続いて、1980年に放送された『花王名人劇場 激突!漫才新幹線』『お笑いスター誕生!!』『THE MANZAI』などが立て続けに高視聴率を取り「漫才ブーム」となった。このブーム自体は二年ほどで終息するが、若手漫才師がアイドル的な人気を得て「漫才」のイメージを変えたり、吉本興業が東京に進出したりするきっかけとなった。1981年から1989年まで続いた『オレたちひょうきん族』が『8時だョ!全員集合』の視聴率を超え、出演していたビートたけし・明石家さんま・山田邦子らは一躍スターとなった。たけし・さんまにタモリを加えた「BIG3」を中心に、漫才ブームやひょうきん族から出てきた芸人を「第二世代」とみなすべきだろう。
その次が「第三世代」と呼ばれる芸人たちで、お笑い養成所出身の若手が、小劇場のライブで腕を磨き、夕方番組や深夜番組をきっかけに人気を得て、ゴールデン帯で「バラエティ番組」を持つ、といったキャリアを踏むのが特徴である。とんねるず・ダウンタウン・ウッチャンナンチャンがこの世代の代表格となる。一般に「第三世代」は80年代デビュー組で区切るようだが、個人的には似たようなキャリアから早めにブレイクしたナイナイやロンブーあたりも含めるべきではないかと思う。
次に来るのが「ボキャブラ世代」である。1992年から1999年まで続いた『タモリのボキャブラ天国』は、当初は視聴者投稿型の番組だったが、徐々に芸人のネタ見せ番組に移行。この番組を登竜門に「キャブラー」と呼ばれる芸人が続々と登場した。吉本興業が首を突っ込みそこねたらしく非・吉本芸人が多い。またボキャブラ終了とともに一時的に低迷した芸人が、2000年代に復活するあたりも共通している。先述したとおり、ナイナイ・ロンブーなどを第三世代に含めるとすれば、この「第四世代」は爆笑問題・くりぃむしちゅー・ネプチューンあたりが代表格となる。
2000年代に入って「M-1グランプリ」が始まったことで「お笑いブーム」が醸成された。また同時期に『爆笑オンエアバトル』『エンタの神様』『笑いの金メダル』『爆笑レッドカーペット』などのネタ見せ番組がスタートしてお笑い人気に拍車をかけた。賞レースを目指してストイックに芸を磨く若手芸人と、多数のネタ見せ番組により短期的な人気を得た「一発屋」が混在し、芸人のレベルは底上げされたものの、数としては飽和した感がある。2010年にM-1グランプリが終了するとブームも終息し、多数の「ひな壇芸人」を出演させてトーク中心に作られる低予算の番組が増加した。(2010年までの)M-1でブレイクした芸人と「ネタ見せ番組」によって登場した芸人が「第五世代」といえるだろう。
2010年代になると、第二世代・第三世代がフェードアウトし、第四世代と第五世代がバラエティの「司会」の座を奪い合う群雄割拠の時代に入った。第五世代は図抜けた存在はいないものの層が厚いので、2000年代デビュー組の多くがつかえて中堅に留まっているように思える。そんな中で、霜降り明星および彼らが「第七世代」と称する2010年代デビュー組が既に台頭してきている。この場合は2000年代デビュー組が「第六世代」とされるわけだが、2000年代デビュー組は遅咲きになりそうなので、おそらく2000年代デビュー組と2010年代デビュー組をあわせて「第六世代」と呼ぶようになるのではないか。2020年現在、芸人の主戦場はYouTubeになりつつある。後世から振り返れば「第六世代」は「YouTube世代」と括られるのかもしれない。
これ (2010年代アニメ不作)が事実であるという前提ですすめます。
この原因は、アニメ業界にエヴァンゲリオン世代が増えたためだと主張します。
エヴァ世代がエヴァのようなアニメに憧れて、アニメーターになり、
彼らが30歳余りになり、主要なポジションについたのが、ちょうど2010年代です。
1994年のエヴァ放映時に15歳前後でエヴァにはまった人は多く、
エヴァは名作の1つですが、あくまでエンターテインメントを重視したエンタメ作品です。
(格好良いロボットとお洒落な動き、カメラワークなどが優れています)
エヴァを見て感動したり、人格形成に重要な影響を受けたという人は異常です。
そんな人たちがアニメ業界に入ってから、良いアニメが作れるとは思えません。
「好きなアニメをいくつか答えよ」の1つとして、エヴァを答えるのは理解できますが、 (私もそうです)、
「最も影響を受けたアニメ1つを答えよ」としてエヴァを答えるような人はアニメの制作に関わらない方がいい。
エヴァは好きですが、
あれは…「深い設定、わざと散りばめて残したままの謎たち、バロック様式のドイツ音楽」
で荘厳さや神秘さを演出をしているだけで、本質はエンタメ作品です。
2020年代もアニメは不作だと思われます、エヴァ世代が制作現場の主要なポジションのままですから。
ちなみに私が人格形成に最も影響を受けたのは