はてなキーワード: 少年漫画とは
真面目に生得的にわからないヤツがいるんだぞ。海外ならNPOが支援してる
アスペやADHDにとってセックスって気持ち良くなるだけで何も悪いものじゃないしな
ぎっくり腰をやって2~3日布団から出られなかったのでピッコマやLINEまんがで無料で読める漫画を読みあさった。
女性向けファンタジー漫画を中心に読んだんだが、女の描き方が日韓でだいぶ違うことにびっくりした。
というか、日本人の女が描いた女向けの漫画で、女がやたら卑下されているのが気になった。
アラフィフの自分の漫画遍歴は、10代はりぼん、なかよし、花とゆめ、ららの隆盛期。20代~30代は青年漫画ばかり読んでいた。
40代以降は漫画から離れていて、人から勧められた話題作や子どもが好む少年漫画を一緒に読むぐらいだった。
なろう系の流れなのか、日韓問わず、あらすじを知っているゲームや小説の世界に転生してチートする系が多い。
日韓の差で感じたのは、韓国は復讐がかなりの確率でモチーフに入っている。
復讐なんて、昔は日本のレディコミがカバーしていた領域なので少女漫画仕立てにも出来るもんなんだなぁと興味深い。
虐めも復讐も両方かなり暴力的かつ凄惨で、韓国の穏やかとは言えない国民性がしのばれる。
もう一つ感じた日韓の違いが、冒頭で描いた日本の漫画での女の描き方。
「女だから仕方がない」を、かなり肯定的かつ受容的に描いている。理不尽な扱いをおとなしく受け入れたり、自分より愛する男を優先し精一杯サポートする方向に進む。
(韓国では、同じような制約をフェミニズム的な問題として表現する。)
もちろんなろう系のコミカライズでリーダーとして成長する少女を描くものもあるが、その場合必ず自己犠牲がセットになる。
まるで、結婚しない条件で日嗣の王になった日本の古代女王のようだ。
かって自分が読んでいた少女漫画はどうだったか記憶は曖昧だが、少なくとも今は女性の社会的役割への認識は大きく変わったはずだ。
クトゥルフ神話TRPGの非公式(同人)シナリオを遊んで、個人的に自分向けではなかったなというシナリオとその理由。
通過順ではなくかなり昔のやつも混ざっている。
ネタバレなしで書いているつもりだが、察しのいい人は察してしまう部分もあると思う。
長い上、なんなら私怨ぽいものも込み。通過予定があるもしくは気になっている人は注意。
■神はすべてきみに任せたのである。
■NOBODY*2
■空の色すら知らない
■神はすべてきみに任せたのである。
理由:
増田でもたまに愚痴の類で見かけるが圧倒的に「NPCが主役」。
概要にも「NPCと話すのが好きな人向け」とあったが、「NPCと話すのが好きな人が楽しめる」というより「根気強くNPCから話を引き出して機嫌を取らないとシナリオが進まないのが苦ではない人向け」であった。
秘匿HOものなのでそれぞれのHOの役割はきちんと用意されているものの、ストーリーの主軸はNPC。
NPCのために頑張れる人向けなのかな、と開始時に思ったが、そのNPCたちによるPCたちへのあたりがきつい。来ただけで「邪魔者」、褒めれば「キモイ」、礼を言えば「お礼(金)は?」という有様だった。
さすがにPLも人間である。PLPCがじゃあ迷惑そうだしやめます、というと「ここで承諾してくれないとシナリオが終わる」とKPに言われてしまった。
そう教えてくれただけまだ親切だが、じゃあそのNPCの態度はなんなんだ。(KPがそういうタイプだったのかもしれないし、シナリオ指定かもしれない)
ただしシナリオの世界観や概要にある「少年漫画的な展開」は嘘ではない。少し前の少年漫画の主人公よろしく熱いハートと強いメンタルと放っておけない精神が必要。
「NPCと話すのが好き」が「NPCの要介護」という意味なら自分向けではなかったな、と感じた。
続編があると小耳に挟んだが恐らく辞退する。
■NOBODY*2
理由:
現在違う理由で作者が炎上してシナリオ非公開だが、このシナリオも一時お気持ちふせか何かでTLに火種を撒いていた記憶がある。
秘匿HOものといえどお膳立てしてもらうつもりだけではいけない、自分からセッションに介入しなくては、と思うPLではあるが、今まで遊んだ秘匿シナリオの中でもこのシナリオのHOが一番格差が凄まじいと感じた。
作者が書きたいHOが一つあって、他HOはそれに付随するもの・派生するものだった。このHOいる意味ある?という旨のふせを見て、大きく頷いていた。
どうやら同じく非公開の続編シナリオにて、「格差があると感じたHOの人はぜひ来て欲しい……!」と言われていたようだが、シナリオのHOはシナリオ内で解決するようにしてほしい。
また、この作者特有というか共通しているものに、「同シリーズのNPCがシナリオを越えて別シナリオにも出てくる」というのがある。それはまだいい。世界観が同一ならばそういうこともあるだろう。
しかし出しゃばりがすぎる。HO一つにNPCが一人つく(NPCがつかないHOはなんとやることがない)し、そのNPCに狂えるPLでなければシナリオの楽しさは半減どころか激減する。
自分はNPCを舞台装置と捉えがちなPLなので、とことん合わなかった。
たぶんNOBODY*2が合わなかったというよりも作者が合わなかったのだろう。
炎上する前にいくつか遊んだことがあったがTLの絶賛の流れをそっと遮断している。
■空の色すら知らない
理由:
これはネタバレな気がする。
NPCがとにかく多いが、前述のシナリオと異なり極論を言えばNPCと一切仲良くしなくてもクリアはできるため、その点でのストレスは少なかった。
ただ、展開が上記の通りなので一時オマージュシナリオ云々で騒がしかった時にこのシナリオが頭に浮かんでいた。オマージュかな。
強すぎるファンタジー世界観は似ている有名な版権作品(名前を挙げた二作品は両方ともアニメ化等で有名と感じている)がちらついてしまうので、自分向けではなさそうだった。
〈最後に〉
書いていて気づいたが「続編がある」はある種の基準になるかもしれない。FDや続編で喜ぶのはコンシューマーゲームであって、CoCシナリオにおいて続編ありきのシナリオはあまり合わないのかもしれない。
それこそ、「あのNPCにまた会える!」と思えるタイプのPLには合うのだろう。
少年漫画を作るのに/楽しむのに、"少年のこころ" が必要って主張。
しかし少年漫画を読む女子が "少女のこころ" を持ってないとは一言も言ってない。
それ以前に、"少年のこころ" を持ち "少女のこころ" を持ってない女子だっているだろうし、
「男は少女漫画を読まない」「女は少年漫画を読まない」ってものすごい当たり前のように断言する奴って、どれだけ保守的な田舎育ちなんだろう(あるいは、こんな会話に参加しちゃいけないほど高齢なんだろう)としか思えないんだよな。
俺はもう子持ち世代の良い歳だが、それでも子供時代、同級生同士で普通に男と少女漫画の話したり女と少年漫画の話したりしてたんだけど?っていう。
(少女漫画だとセーラームーンとかレイアースが、少年漫画だと幽遊白書やるろうに剣心が男女共通で流行ったし。)
ネットって、時代の最先端のようでいて、田舎もんでも世間知らずでも参加できるものだから、平均的な意識は逆に吃驚するほど遅れてるって東京もんには感じられる。差別とか流行るのもそのせいだよね。
皮肉な話だ。
前の会社の上司は、女性プログラマーは採用しないと言っていた。
これはもちろん女性差別であり雇用機会均等法に反するんだけど、証拠を抑えられなかったので告発できなかった。採用での差別は許されるべきではない。
しかし、募集や面接で性別が明らかにされる以上、実際にはこうしたことはあちこちで起こっているのだろう。少年漫画の編集部が女性を採用しない話も話題になったよね。
人の選別において差別を消し去る究極の方法は、属性を開示しないことだ。
容姿を見せないままにペアリングすれば、恋愛での容姿差別は起こりえない。
『差別はダメ、ただし恋愛を除く』のような欺瞞がなくなれば、誰もが反差別に積極的になれる。
「女性を美人と褒めるのもダメ」って話に、男たちがマトモに乗れないのは、女性たちが「ただし男性をカッコいいと褒めるのはOK」のようなダブルスタンダードに開き直っているからだ。
オレは、インターネットで炎上騒ぎが起こるたび、いつも違和感を抱いてる。
ふと、女性のちゃんとした一人称が私しか存在しないのって男社会による抑圧だなぁと感じた
男だったら俺に僕に私とどれを使ってもおかしいと思われないのに、女性はウチとか自分の名前が一人称の人は痛い人扱いされて叩かれてしまう
ビジネスの場では男も基本私のみだし仕方ないとは思うけどプライベートですら私を使うのを強いられるのは結構キツイ
昔から女だという実感がなかった自分は、幼稚園の頃に自分も男子のように立っておしっこできると思って服を汚したことがあるし、小学生になっても少女漫画が感性に合わず少年漫画ばかり読んでいた
今でも家族や気の置けない友人の前では自然と俺と口から出てしまう
中学生になって友達に勧められBL趣味に開花し、よく美術部で友達とオリキャラになりきって遊んでいた
自分は成長が早く背も高かったので総攻めのスパダリという設定で友達から完全に男扱いされていた
「女」という社会から強制された鎧から解放されるのはとても解放感があったし、普段からありのままの自分を周囲に見せられる男はこんなにも気楽で自由なのかと妬ましくもあった
韓国フェミニズム発祥の脱コル運動をしているフェミニストの方々にも俺という一人称を使ってる女性もいるようだが、女性が好きな一人称を使える世の中になればいいなと思う
ヒロインって書いたけど、恋愛レースに負けたキャラ全般の話をしたいので別に男キャラでもいいんだけど。
ぼく勉のマルチエンド方式が荒れたりしてたけど、実際恋愛作品における恋愛レースに負けた(思い人と結ばれなかった)キャラってどうやったら救われるんだろう。
よく恋愛だけが幸せじゃない!とかも聞くけどさ、ラブコメ及び恋愛作品のゴールはやっぱり好きな人と結ばれることなわけじゃん。少年漫画とかだったら恋は実らなかったけど宿敵は倒せたし世界の平和に貢献できたから幸せ!とはできるかもだけど、恋愛メインの作品で志望校に受かったとか課題を乗り越えられたとかが失恋を帳消しにできるほどの幸せにはなかなかならないような気がする。
余り物同士でくっ付いたり新しい恋が見つかるのも、勿論いいんだけど作中で数年の時が経ってようともリアル時間では数話前に思いを語ってた相手から速攻乗り換えてるの!?みたいな感覚に読者としてはなりがちだし。
もう明らかに主人公が誰が好きなのか明言されてる・既に付き合っててそれでも尚主人公を好きなキャラが登場してるとか勝敗が見え切ってればこっちも覚悟ができるんだけど、誰が勝つか最後までわからないタイプのラブコメで応援してたキャラが負けるとやっぱり悲しいし、その後の展開で心が救われた経験がない。決着まで漫画だと当然年単位でかかるので、その分こっちも思い入れが嵩むから余計に。
ギャルゲー・乙女ゲーだとこっちが誰を勝たせるか選べるし、こっちからアプローチしなければ攻略キャラも好意を抱いてこなかったりするからこういう苦しみはないし、かぐや様とか100カノとかの既定路線系(?)ラブコメばかり最近は読んでいる。
いや既にいくつかあり、それなりに小ヒットもしてるけど、増田はどれも知らないの?だとしたらその辺にヒントがありそうね。(※ここでは「縦方向でフルカラー、スマホ閲覧に最適化したWebマンガ作品」をウェブトゥーンと呼称します)
1.「タテの国」。ジャンプ+。ちょっと前にバズって記事にもなった本格SF。作者は今横開き漫画「ドラゴンの子」を連載中。(あっごめん、これはカラーじゃなかった。白黒縦スクロール。)
2.「氷の城壁」。マンガmee。集英社の女性向けアプリ。はてブでも大人気「正反対な君と僕」作者の前作。やはりこれも横開き。
3.「ロマンティック・キラー」。これもジャンプ+。Netflixでアニメ配信中。
4.「サレタガワのブルー」。これもマンガmee。不倫もの。ドラマ放送済み。
ちなみに今スパイファミリーやチェンソーマンでブイブイいわせているスター編集者の林士平氏は、今インディーズ昇格組の「幼稚園WARS」も担当していて、この漫画も実は元々ウェブトゥーンだった(しかも賞までとってる)。んだけど、編集者に「こういう少年漫画はウェブトゥーンには合わない」とアドバイスを受けて、その通りに書き直して今は結構人気があるみたい。ウェブトゥーン時代のスクショもツイートしてたけど、一見鮮やかで綺麗だけどゴチャゴチャしている割にのっぺり感があるという、なんとも言えない残念な感じで読みにくい。白黒の方が迫力があり、格段に良くなっている(あくまで私の感想ね。前の方がよかったってファンもいるだろう)。多分このアドバイスをしたのもやっぱり林氏なのかな?と思うんだけど、そうだとしたらさすが天才だし、そうでないとしたらジャンプ+編集部って平均レベルたっけーのなと舌を巻いたよ。ちなみに「少年漫画ではウェブトゥーンは微妙」というのは実際にデータがあって、この調査では10代・20代男性の数値が確かに低い。
https://mmdlabo.jp/investigation/detail_2082.html
この作者はもうウェブトゥーンを描くことはないだろうから、ノウハウをすべて公開したいとまで言ってる。
そういえば増田は男性かな?エジプトBLの広告って出てる?私は女性で普段BLは全然読まないんだけど、これはなぜか最近ホントによく見る。てことは女なら誰でもいいくらいの勢いで広告をばら撒いてるんじゃないかと思う。で、そのエジプトBLほどではないけど、氷の城壁の広告なら少しず〜つ見かけるようになった。だから売れるもんなら売りたいって気持ちは少しはあるんじゃないかなぁ…?手探りっていうか。
あとこれは完全に私の個人的な体験なんだけど、私は田舎のちょっとおバカなギャル系高校を卒業してるのね。こういう学校では漫画なんか読まない。誰と誰がヤッたとか、つけまつげが取れたとか、そういう話を永遠にしてる。話題のほとんどが身の回りの事で完結してんのよ。たまに芸能人の話ね。増田の学校がそういうちょっと自由な感じじゃなかったら大変失礼な話で本当に申し訳ないんだけど、でももし、昔なら漫画なんて絶対に読まなかったような子たちが、漫画は難しいけどウェブトゥーンなら読めて「物語」を楽しめるって、それは純粋にすごく面白い事だと思うしワクワクする。不登校から休学した子、警察に捕まった子、自殺した子、あの頃物語に逃げ場があれば違ってたかもなって思う…。しんみり。全然違う話に着地してスマンな。
つまりは、お前らのおすすめのラブコメを教えてくれという話である
さて、まずは前提条件として読んできた条件を話しておこう
■読書歴
・基本的に少年漫画におけるラブコメ作品と呼ばれるものはできうる限り読んできた
(うる星やつらからスタートしてサンデー、マガジン、ジャンプは一通りラブコメと呼ばれていた作品は抑えている。ガンガンも読んできたのでここ20年くらいは一通り抑えているはず)
(となりの怪物くん、俺物語、ハチクロ、のだめ、花男とかあの辺りのドラマ化、アニメ化作品は一通り。)
(藍より青し辺りからは読んでいて、最近だと100カノ、かぐや様辺りも読めている)
・Web系を探しているがなかなかこれといった作品に出会えていない
そもそもラブコメ定義論みたいな話をしだすとややこしいのだが、「終盤などでシリアスになると思うけど、ある程度ギャグ要素のある恋愛要素があるもの」ぐらいの立ち位置の漫画を求めている
ちなみに読んできたもののランキングを作るとしたら以下の通りだ
1位 Working!
2位 五等分の花嫁
3位 らんま1/2
4位 ラブひな
5位 藍より青し
6位 ハヤテのごとく!
8位 山田太郎ものがたり
9位 ぐらんぶる
10位 桜蘭高校ホスト部
https://anond.hatelabo.jp/20221105115632
ぼく勉と五等分、かぐや様とではクオリティに差があるのだから、パラレルストーリーが悪いのではなくぼく勉が悪いのだという説が散見される。
これはぼく勉の話がつまらなかったから盛り下がったのだという趣旨で一理あるように見える。
しかしあえてぼく勉ではなくパラレルストーリー自体が悪いのだと私は主張する。
まずメディアミックスであるがぼく勉より単行本売り上げが低かったゆらぎ荘の幽奈さんですらゲーム化している。
単に人気が低いというだけではゲームより遥かにコストが低いボイスドラマが打ち切られる理由にはならないだろう。
またそもそもジャンプで2年以上連載していた作家に対してお前がうまく出来なかったから悪い、もっとうまくやれたはずだと言うこと自体傲慢極まりないと一蹴しても良いだろう。
そもそもの話として、ぼく勉に話の良さは求められていたのだろうか。
ぼく勉は元々1話完結を繰り返す構成であり、長編と言われるものでも4話程度の連続した話しかない。その中ですら粗が目立った。
そして本編終盤の強引さを鑑みればその後のパラレルストーリーの出来についても推して知るべしであったが、そのような中でも多くのファンはパラレルストーリーを歓迎していた。
同じ作者が描くのだから、話のクオリティが急に上がるわけがないのは誰しもがわかっていたはずだ。
つまりぼく勉は話の良さなど期待されていなかった。強引でもいいから自分の好きなキャラの思いが成就することだけが望まれていたのであり、実際にそれは叶った。
読者の求めていたことを叶えて、それでも盛り下がってしまったのだからこれはぼく勉が悪いわけではないだろう。
まとめると
ぼく勉に話の良さを期待していたファンなどほとんどいなかったのだから、話の出来が悪かったから盛り下がったのだという主張は失当である。
となる。
ぼく勉はキャラの可愛さで人気を獲得し、長編の話作りが下手であることもわかった上でパラレルストーリーが歓迎されていたのだから、ファンが望んでいたのもキャラの可愛さだけのはずだ。話の出来の良し悪しは関係ない。
作者は今まで通りキャラの可愛さを引き出していたのだから、十分にうまくやったと言えるだろう。(理珠ルートはキャラが出なかったのでまあうん)
もっともこれはぼく勉は話を期待されていない漫画だから、話の出来が悪いのが悪いという批判は成り立たないということに過ぎず、話を期待されている漫画であれば話が良ければ受け入れられたのかという課題が残る。
そこでぼく勉が仮にストーリー面も期待されていたものと仮定して、以下にパラレルストーリー自体の問題点を上げていくことにする。
読者が自分の推しキャラが終わった時点で満足して読まなくなることは想像に難くなく、読者が減るのも当然である。
ぼく勉の場合、頭3つほど抜けた人気のあった真冬がヒロインであった最後のルートですら大した盛り上がりを見せず(事実単行本売り上げが他より上回っているわけでもない)、最終回でもトレンド入りすらしなかった。
トレンド入り自体はジャンプの打ち切りになるレベルの漫画(例:レッドフード)でもすることがあるものであり決して高いハードルではない。アニメ化していない作品ですら円満終了なら最終回のトレンド入りは定番となっているので、ジャンプ連載作品ではむしろしないほうが珍しいと言って良いだろう。
読者が減少するということはすなわち作品が連載中であるにも関わらず、話が進むごとにどんどん盛り上がりが減っていくということになり、活気の減った漫画は余計に見向きがされなくなるという悪循環を生んでしまう。これはぼく勉に限った問題ではなく普遍的な課題だろう。
五等分の花嫁やかぐや様では作中の描写がどうだ、ここの描写がああだと言った考察が盛り上がっていたが、ぼく勉はパラレルストーリーが始まった時点でこれまでの描写が語られることがほぼなくなり、考察ブログも更新を停止することが目立った。
これはパラレルストーリーが本編の描写と連続するものでない以上、何がきっかけで彼を好きになったのか、何がきっかけで彼女を好きになったのか。そういったことを本編の描写から考察することが出来ないのだから当然だろう。したところで意味は無い。話を期待されていたのであれば、なおのこと虚しくなるだろう。
個別ルートは本編の描写と繋がっていない。であれば推しキャラを持つファンは本編の描写を語ることが虚しくなるだろう。それが個別ルートまでの間にあった出来事なのかどうかわからないのだから。
全く語らないことはないだろうが、以前までと同じ熱を持って語ることは出来ない。同じキャラを推すファン同士であれば個別ルートの話題で盛り上がれるだろうが、違うキャラを推すファンとはそれで盛り上がることは難しい。無意識にどこかで俺の好きなキャラのルートではその出来事はなかったという冷めた目線が生まれてしまう。
SNS時代の今、語られなくなることは作品にとって致命的である。パラレルストーリーは二次創作需要の先食いですらなく、ファン交流の土壌ごと奪っていることに等しい。
これは恋と嘘のように最初からマルチエンドにすると決めていた作品であれば回避できる問題ではあるが、現実的には難しいだろう。週間少年漫画誌で人気と伏線を両立させることは困難であり、ぼく勉のように途中でなんとなく決まることが大半のはずだ。
最後にたとえパラレルストーリーをやったとしても各キャラのファンを満足させることは難しいという最大の問題がある。
パラレルストーリーに対する各キャラのファンの主な反応はこうだ。
- うるか派 とにかく発表方法やその他の扱いにキレている。※
- 理珠派 ほぼ関城さんがメインで理珠がサブ扱いなので不満の声が目立つ。
- 文乃派 話自体にはそれなりに満足しているがパラレルがなければ本来は文乃が勝っていたはずだという幻想に縋って不満が渦巻いている。
- あすみ派 とりあえずやってくれたことに満足している。
- 真冬派 圧倒的な人気なのになぜか先生と生徒じゃなく先生と先生の恋愛になるという扱いにキレている。
※参考
作者に嫌われているキャラクターを好きになってつらい
https://anond.hatelabo.jp/20200724234926
【追記】作者に嫌われているキャラを好きになったら特典でも冷遇されてつらい
https://anond.hatelabo.jp/20210308181806
【替え歌】作者に嫌われている。
このように手放しに満足しているのはあすみ派だけだ。
なぜ満足しているのかといえば、登場が遅く人気も低いためエンドヒロインになる芽が一切なかったのに、奇跡的にヒロインになる姿を見ることが出来たから満足しているのだ。
この点真冬も同じく設定的にエンドヒロインになる芽が一切なかった。ではなぜこちらはキレているのかと言えば、パラレルストーリーをやること自体が真冬の圧倒的な人気を背景に生まれたものだと信じられているからである。
つまりパラレルストーリーをやるきっかけが真冬の人気によるものなのだから、当然話のクオリティも素晴らしいものであるはずだという期待があったのに、その期待が裏切られたから不満を持たれているのだ。
このように元々芽がなかったキャラのルートをやったにも関わらず、そのルートの出来が良くなければ恨まれてしまう。
芽があったキャラであれば、話が良くても悪くても本来は勝っていたはずなのに二番手以降に追いやられたという逆恨みをされてしまう。
元々なければ諦めがつくが、中途半端に与えられると足りないものが目についてしまう。半端な救済は逆に恨みを買ってしまうという、社会問題でもよく見られる現象と同じことだ。
結局のところ満足ができるのは元々芽のなかった不人気キャラのファンだけであり、人気キャラのファンは余計に不満を持ってしまうのである。
本来ルートがなければないであるもので満足できる。五等分の花嫁を見ればわかりやすい。
一花のあの思い出だけは嘘じゃないんだよの泣き顔で切なくなれるし、二乃のあんたを好きって言ったのよという告白で痺れることができる。三玖の私は私を好きになれたんだという独白に感動できるし、四葉が私の分の仕事をお願いしますという台詞をようやく言えたことも胸を打つ。五月の私は私の意思で母を目指しますという宣言が嫌いな人間はいないだろう。
(各キャラの台詞は筆者の趣味でピックアップしたものであり、あくまで例である)
結ばれようが結ばれなかろうがそれぞれのキャラに素晴らしいシーンは存在していて、通常キャラのファンはいいところを見つけて満足できる。満足出来ないファンもこういうルートがあればよかったと理想を追える。
パラレルがある場合それは出来ない。各キャラのファンが見たいのは結ばれるところであり個別ルートである。
すなわちそれまでの話にいくらいいシーンがあったとしても、個別ルートの出来が良くなければ満足されないのである。
そして一度公式に提示された以上、それは違うこれが正しいと自分の理想を追える気概のあるファンは少ないから、ファン活動のハードルもパラレルの有無で段違いになってしまう。
自分の好きなキャラの思いが成就する場面をやるのであれば、誰だって自分の中の理想の形で成就することを想像する。当たり前だが多くの場合理想通りに行くはずはない。
漫画である以上、あまり長い話数は出来ないのだからなおさらだ。
普通であれば期待外れに終わるのは一度だけ、一人のキャラのファンだけだが、ぼく勉のようにした場合はヒロインの数だけ期待外れに終わることになる。
作者に対する失望が増えるほど作品に対する興味も冷めていく。当たり前のことであってぼく勉に限った話ではない。
失望されなければいいというのは一つの理想ではあるが、それは全教科満点取れば入試に受かると言っているようなものだろう。
仮に話のクオリティが期待されていたとしても、パラレルストーリーを連載する以上
というパラレル自体の問題点があり、仮に万が一クオリティが高かったとしても盛り下がっていたと考えられる。
よってぼく勉が特別うまくやれなかったのではなく、パラレルストーリーという形式がそもそも悪いのだ。
なおパラレルストーリーという形式をぼく勉が選んだ事自体が悪いというのはそのとおりだろう。
ただその場合の批判は、作品ではなくそれを選んだ作者に及ぶべきではないかと考える。
これがまさにパラレルストーリーをやったことの弊害ではないだろうか。
作品の内容を評価される手前、パラレルをやった意義で評価されてしまうのだ。
この話題がぼく勉である意味は何もない。内容について踏み込まれないから作品の理解を深めることは出来ない。
原作者がもともと旧アニメに否定的だったという噂を見てあり得る話だなと思った
旧アニメは良くも悪くも古き良き少年漫画のアニメ化テンプレパターンに忠実で
ラブコメ・男同士の友情・デフォルメされたギャグ・誇張された記号としての叫び声・動きをギリギリまで簡略化したセルetc
原作では薄味だった要素てんこ盛りで懐石料理と満漢全席ぐらい違う
先日かぐや様は告らせたいが最終回を迎えた。
これをもって一時代を築いた貧乏な学生が主人公のラブコメ(貧乏ラブコメ)3作品※が全て完結を迎えたことになる。
※かぐや様は告らせたい、ぼくたちは勉強ができない、五等分の花嫁のこと。
これらは同時期に連載していて同じような設定の主人公で同じような時期にアニメ化したことからまとめて語られることも多く、それでいて全く違う終わり方をしたことからよく比較対象になっている。
各作品の終わり方
ラブコメ漫画はとかく完結後炎上しやすく、どういう終わり方がいいのか議論になることが多い。
同じような時期に同じような設定で始まり全く違う終わり方を迎えた3つの漫画。これほど比べるのにちょうどいい環境もそうそうないだろう。
せっかくの機会なので各作品の軌跡を振り返っていきたい。
ミラクルジャンプで連載開始。好評のためかその後ヤングジャンプに移籍。
ラブコメというジャンル名でありながらほぼラブがメインなことが多いラブコメ漫画の中では珍しく、コメディを中心に据えた作風で人気を博し、貧乏ラブコメ仲間の一つである五等分の花嫁に抜かれるまでの2年以上、全週刊漫画誌で連載中のラブコメで売上No.1の座を守った。
白銀とかぐやが付き合ってからはコメディの割合が減ったり裏主人公である石上メインの話が増えたりしたために若干不評な時期もあったが、白銀たちが1年生のときの生徒会や思わせぶりな新キャラなどで考察好きのファンの間では変わらず盛り上がりを見せ、アニメ化の成功や実写映画化の大ヒットも手伝い最後まで人気のまま完結を迎えた。
シリーズ累計発行部数は1900万部(Wikipediaによるとうち100万部以上はスピンオフ)。仮に原作が1750万部とすると1巻あたり発行部数は約65万部。
週刊少年ジャンプで連載開始。
ラブコメとしてはオーソドックスなヒロインと主人公の交流を繰り返していくタイプであるが、ストーリーの連続性の薄さやヒロイン同士の交流がほぼ皆無であることなど、1話完結を繰り返しストレスなくキャラの可愛さを愛でるという構成はライトなラブコメの一つの究極でもある。
単行本1巻発売時にはあまりの人気に重版が追いつかない事態となり、当時としては異例の紙書籍と電子書籍がほぼ同時に発売するという措置を取られた。(当時は紙書籍から1ヶ月遅れて電子書籍が配信されるのが当たり前だった)
その後アニメ化決定あたりをピークとして徐々に人気が落ち着いていったものの、本編最終回と同時に週間少年漫画としては前代未聞のパラレルストーリーを発表したことで大きな盛り上がりを見せた。
ただそれ以降はあまり話題には上がらず、その影響もあってか最終回でのTwitterトレンド入りを逃すという、アニメ化作品としてはある意味異例の結果を残した。
シリーズ累計発行部数は440万部。仮に原作が420万部とすると1巻あたり発行部数は約20万部。
とかくキャラ人気に引きずられて話が本筋から逸れて冗長になりがち(キャラの魅力が大事なジャンルなので冗長になった部分こそが魅力だという面もあるが)なのがラブコメというジャンルだが、その中で珍しく一切の無駄を省いて本筋だけを通って完結まで走りきった。
元々人気作ではあったがアニメ化をきっかけにさらに人気が爆発。貧乏ラブコメ仲間のかぐや様は告らせたいから全週刊漫画誌で連載中のラブコメで売上No.1の座を奪取した。
原作の完結時には結末に納得の行かないファンたちや駆け足での完結に反発したファンたちでネット上は荒れたものの、引き伸ばしがなく人気絶頂のまま完結したためか一般層の評判はさほど変わらず、完結後も売上が伸び続けるという異例の大ヒット作となった。
シリーズ累計発行部数は1600万部仮に原作が1500万部とすると1巻あたり発行部数は約107万部。
(2022年12月現在2000万部。仮に原作が1900万部とすると1巻あたり発行部数は約135万部)
高クオリティの作画に鈴木雅之の主題歌という話題性も手伝いヒット作となる。
テレビアニメは3期まで放映され、新作アニメーションの劇場先行公開も決定。4期もおそらくやるものと思われる。
声優ユニットを組んでCDを出すなど音楽面には力を入れていたように思うが、アニメ自体はそれなり。ぼく勉の前クールに放映していた超豪華声優陣の五等分の花嫁や高クオリティのかぐや様に食われてしまったためか、ヒットや原作読者の獲得には繋がらなかった。
緩いラブコメが好きな層からはそれなりに好評だったが、アニメ2期最終回で途中から唐突にアニオリ展開が始まり、原作の完結より前に原作の結末が明かされ炎上した。何だったんだこれ。
1期は不安定な作画が、2期は原作の取捨選択がそれぞれ原作ファンからは不評。一方でヒロインは花澤香菜、竹達彩奈、伊藤美来、佐倉綾音、水瀬いのりという超豪華声優陣に恵まれアニメとしてはヒット(もちろん原作の面白さがあってこそではあるが)。
YouTubeでの頻繁な無料公開で若年層の獲得にも成功し、今年上映した映画は小中学生連れの家族や女子高生など幅広い層が見に来たうえ原作ファンも絶賛。上映規模が100館程度の作品としては異例の観客動員数150万人以上、興行収入22億円以上の大ヒットを記録した。
主人公の白銀にジャニーズの平野紫耀、ヒロインのかぐやに橋本環奈を採用した実写映画は興行収入22億円超えの大ヒット。続編も作られそちらも興行収入10億円を超えるヒットとなった。
スピンオフも活発で、かぐや様は告らせたいの二次創作同人を描いていた作家を起用したかぐや様は告らせたい同人版をとなりのジャンプで連載したり、新聞部の2人を主人公にしたかぐや様を語りたいをヤングジャンプで同時掲載するなど幅広い展開を見せた。
その他にノベライズがオリジナルストーリーが1冊。漫画、映画のノベライズが計5冊。
強いて言えば単行本の有償特典として付属したボイスドラマがヒロイン5人中4人分存在する。
スマホゲームとしてごとぱずと呼ばれるゲームが配信されており、その他にコンシューマーゲームとしてADVが2作発売されている。コンシューマーゲームのADVは好評のため3作目も決定していて、さらにごとぱずの1年目のストーリーをまとめたものもコンシューマーゲームとして発売することが決定している。
メディア展開とは異なるが、ごとぱずが公式のDiscordサーバーを設置しておりそちらでもファンの交流が活発。
その他には映画までのアニメをノベライズしたものが5冊。各ヒロインのキャラクターブックが5冊。フルカラー版のコミックスが原作と同数出ている。
ここまで貧乏ラブコメ3作品の辿ってきた軌跡を追った。どれも押しも押されもせぬ人気作品と言って良いだろう。
ただ連載中の売上やアニメ化に伴う売上の増加は終わり方の良し悪しとは関係がない。終わる前の話であるから作品の面白さやアニメの出来に左右されるものである。
では何が終わり方の良し悪しを決めるのかといえば、やはり完結後のメディア展開や語られ方、盛り上がりといった雰囲気から見る他ないだろう。なのでそういった観点から、全く違う完結を迎えた3作品の終わり方はどう評価されたのか見ていきたい。
※終わって間もないが、付き合った時点で終わるのがラブコメのスタンダードのため付き合った後も続いた場合はどうかという視点で考える。
付き合った後も続けるのは蛇足と言われがちだが、かぐや様は付き合ってからも3年以上連載が続いていた。読者からの不評の声がなかったわけでは無いが、人気が落ちたようなことは見受けられなかったため大きな影響はなかったと判断して良いだろう。
付き合った後もアニメは人気で、実写映画化も果たした。かぐや様を語ったり考察したりするファンも大勢いた。最終回を惜しむファンも数多くいて、作者のツイートには27万以上ものいいねがついた。
そもそもハーレム系ラブコメではない、ラブよりはコメよりの作風だった、というのもあったかもしれないが、付き合った後も続けるという手法が悪いと言えないことは明らかだろう。
今ぼく勉について語られるのはパラレルストーリーの是非がそのほとんどを占める。作品の内容自体が語られることは限りなく少ない。
読者が一番見たい主人公とヒロインが結ばれるところとそれまでの話に連続性がないのだから、それまでの話を語る意義がないため当然ではある。実際にパラレルストーリーが始まった後に更新を止めた考察(感想)ブログもあった。
パラレルストーリー発表後の連載中も作品の盛り下がりは顕著で、掲載順はぼく勉史上初の最下位を記録し、単行本も右肩下がりを続けた。最終回では作者が全感想にリプライ返しをするという読者サービスをしていたにも関わらずトレンド入りを逃してしまった。
メディアミックスという点で見ても、ボイスドラマという低予算でできるであろうものすらヒロイン5人中4人で打ち切りと相成った。(作者に嫌われているから残り一人は出なかったのだという過激派も散見されるが、おそらくさすがにそれはないだろう)
これはぼく勉のそれまでの実績から見れば異常と言ってよく、パラレルストーリーによって読者の熱と興味が失われた結果だろう。
発表当時は二次創作需要を取り込んだといわれていたが、むしろファン活動の土壌ごと壊してしまったという印象を受ける。
作品の内容が語られることはなくなり、ファンの熱意が冷め、メディアミックスも打ち切られる。
完結当時から結末に納得の行かないファンや終わり方が駆け足だったことへの批判は少なからずあったものの、同時に考察好きなファンが今までの描写を振り返って数々の伏線を見つけ出すなどファン交流は非常に活発だった。
完結後に配信、発売されたスマホゲームやコンシューマーゲームもヒット続きで、グッズも出せば出すだけ完売するなどファンたちの熱量も衰えず映画の大ヒットへと繋がった。
完結してから2年以上経つ今でもファン同士の交流は活発であり、今も新規グッズが毎週のように発売されて完売している。新しいゲームも発売するなど今もコンテンツとして生き続けている。
原作が本筋だけを描いたために、脇道に当たる部分をゲームが補完している面もあるので一概にこれが正解だということは出来ないが、少なくとも主人公とヒロインが付き合って終了という終わり方が悪いと言えないことは明らかだろう。
ラブコメにおいてオーソドックスな終わり方だが、オーソドックスになったのには理由があったということがわかる。
貧乏ラブコメ三国時代を彩った3作品はそれぞれ人気作であったが、終わり方によってその後の評価に大きな差が出てしまった。
五等分のようなスタンダードな終わらせ方も、かぐや様のような付き合った後も続けるやり方もそれぞれに良い面があるが、ぼく勉のようなイレギュラーは望まれていないと言って良いだろう。
貧乏ラブコメ三国時代は終わったものの、その後もカッコウの許嫁や甘神さんちの縁結びなど貧乏ラブコメの灯火は絶えることなく続いている。
貧乏な主人公が勉強などを通してヒロインと仲を深め、ヒロインはその人間性で主人公を成長させる。王道の類型であり、個人的にも好きな設定だ。今後ともこういった設定の漫画を読みたいと思う。
後に続く貧乏ラブコメたちもこれらの人気作たちの終わり方を参考にして、それぞれがより良い最終回を迎えることをいちファンとして期待している。
それはそうだけどこの増田では同時期に争った三国志の話をしたので始皇帝の話を持ち出されても……(ハヤテが始祖という意味じゃないよ)
時代が違いすぎて受容のされ方もまた異なるだろうし、そもそも最後まで付いていった読者が減りすぎてるので比較対象には適さないかと思う。
すでに言われてるけど古見さんとか高木さんとかトニカクカワイイとか人気よね。最近も帝乃三姉妹あるし。
同じ時期のサンデーラブコメなら"古見さん"かな?メディア展開は最も遅かったけれどコメディ重視で群像劇風かつ未だ継続中。発行部数からいってもハブられる存在じゃないと思うんだけど。
大量投票を重ねたら他ファンも対抗してきて、泥試合になりそうになった最後の最後の投票では目先を変えてガラスの靴を贈ったのはスマートすぎて惚れる。
マリーの見合いの相手になったのはまあマリーファンじゃなかったから個人的には素直におめでとうなんだけど、マリーファン的にはどうなんだろね。楽が嫌われてたからOKなんだろうか。