はてなキーワード: 学位とは
はっきり言うけど無駄じゃんそんなの
知識というのはただ個人の頭の中に存在するだけでは、大した意味も価値もない
学位か資格か、とにかく何らかの形で他者なり国なりが証明しない限り、そんなものはないのと一緒だ
誰にも証明されない、認められない知識なんて、精神病患者の造語と変わらない
例えばロースクールができる前からずっと、「法曹になるための学び」というのは大学ではなく、実質的に予備校が提供していた
もちろん大学の学びが決して無意味なわけじゃないが、ただ司法試験に受かることだけ考えるならば、大学というのは浮世離れした教授がヘンテコな学説を披露する場でしかなかったから、正直どうでもよかったわけだ
学位さえくれればそれでいい
今でも予備試験に受かるなら、わざわざ法科大学院に行く必要なんてないというのが実情だ
だから大学の本質というのは教育ではなく、ただ選抜と排除に他ならない
↑ 「統計的に有意でない」というのは「差がない(=平等)」という意味ではありません。
↑意味不明
↑「医学部とそれ以外の学部で女子の入りにくさに差があるというのには、何らかの原因があるのではないか」ということ。「背景にもっと大きな差別問題はある」からこそこの祝辞は東大の入学式にふさわしい。
↑「女子が男子より優れている」とは言っていない。「女子の合格率が男子のそれより低いのは、女子が男子より劣っているから」ではないと言っている。
↑そうですね。
↑「多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきた」はつまり「翼を折られなければ羽ばたけたはずだった」ということ。
↑突然も何も、祝辞の最初から女子学生・男子学生を一般化して取り扱ってきたでしょう。 性差別を批判する文脈では当然です。
とは言え「東大の男子学生がもてる」という言い方も差別的だというのはそうだと思います。「イカ東」みたいな言葉もありましたし。
↑東大の男子学生は「他大の女は頭が悪い」と思っていそうってことでしょう。ここの部分で何を言いたいのかは僕もよくわかりませんでした。
↑実情を知らないようですが、そんなことはありません。東大女子が入れないようにしているのは東大男子です。
これまであなたたちが過ごしてきた学校は、タテマエ平等の社会でした。偏差値競争に男女別はありません。ですが、大学に入る時点ですでに隠れた性差別が始まっています。社会に出れば、もっとあからさまな性差別が横行しています。東京大学もまた、残念ながらその例のひとつです。
学部においておよそ20%の女子学生比率は、大学院になると修士課程で25%、博士課程で30.7%になります。その先、研究職となると、助教の女性比率は18.2、准教授で11.6、教授職で7.8%と低下します。これは国会議員の女性比率より低い数字です。女性学部長・研究科長は15人のうち1人、歴代総長には女性はいません。
↑東大のオフィシャルな場で東大批判をするのがいいんでしょう。「東大合格おめでとう!東大万歳」なんて祝辞気持ち悪すぎます。
↑確かに
↑第1人者を自称しているんですから、そうなんじゃないですか?
学問にもベンチャーがあります。衰退していく学問に対して、あたらしく勃興していく学問があります。女性学はベンチャーでした。女性学にかぎらず、環境学、情報学、障害学などさまざまな新しい分野が生まれました。時代の変化がそれを求めたからです。
言っておきますが、東京大学は変化と多様性に拓かれた大学です。わたしのような者を採用し、この場に立たせたことがその証です。東大には、国立大学初の在日韓国人教授、姜尚中さんもいましたし、国立大学初の高卒の教授、安藤忠雄さんもいました。また盲ろうあ三重の障害者である教授、福島智さんもいらっしゃいます。
あなたたちは選抜されてここに来ました。東大生ひとりあたりにかかる国費負担は年間500万円と言われています。これから4年間すばらしい教育学習環境があなたたちを待っています。そのすばらしさは、ここで教えた経験のある私が請け合います。
あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。
↑私立医学部の入試不正なんて差別の一例に過ぎないってことでしょう。
↑「がんばっただけでは報われなかった。まわりの人や環境に感謝しましょう」ということでしょう。こういう趣旨の祝辞わりとよく聞きませんか?
あと毒親から逃げてきた人もいるかもしれませんが、ごく少数でしょう。この祝辞は最初から最後まで「大多数の」東大生に言及しています。
↑そうですね。
↑そういう人たちを助けてやれってことだよ!
↑そんなことは言ってないでしょう。ここでは「恵まれない人々を助けるための学問をやれ」ということではなく、どんな(分野に進もうとも)周りにいる恵まれない人々のことを慮る人間になれということです。たとえブラックホールやニュートリノを研究しようとも。
↑東大生には弱者もいるし恵まれた人間もいるということでしょう。またある面では恵まれていても、別のある面では弱者ということでしょう。
↑ソースはここhttp://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2018/09/10/1409128_002_1.pdfで、六年間の推移が1.17→0.76→1.31→0.95→1.04→1.04でその平均が1.03なので仮説検定をすれば有意でない、すなわち平等とわかる数値なんですが、なんでこんなに持って回った言い方するの?
↑こっちのセリフだわ
↑ここまでの話をまとめると、私立大医学部ではどうやら不正な入試が行われているが東大では医学部はじめ全ての科類で平等な入試が行われている。ということなんですが、これはもはや私大の医学部の問題(もちろん背景にもっと大きな差別問題はあるのだろうが)で、東大の入学式の祝辞の一発目に持ってくる話題としては不適当では?
↑ここ統計データを示せよ。なんで女子が差別されてる話は具体的な数字出しまくったのに女子が優れている話は具体的な数字出さないんだよ。
↑これどういう意味だよ。偏差値の平均は女子の方が上ってさっきお前が言ったんだろ。
↑なんで親の性差別って断言してるんだよ。統計どこ行ったんだよ。
↑並列された三つの主張から導き出される結論は何だよ。ちゃんと言えよ。
↑てか普通に考えたら 第一:女子は安全志向 第三:親が性差別している を要因として 第二:東京大学入学者の女性比率が二割以下 が発生してるって話になるだろ。なんで並列なんだよ
↑「娘の翼を折らないようにしてきた」という父親の事例を挙げて得られる結論がどうして「多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきた」なんだよ。
↑どうやって?
↑どんな目で見られてるかちゃんと言えよ。マイナスイメージ持たれてることはわかるが、それが実情に反して不当ということならレイプ事件の話持ち出す意味がわからないし、そのイメージが正しいと言いたい(文脈的にこっち)ならそれは性への圧だろ。
↑男子サークルって書き方からして完全に男子を悪者にしてるけど他大学の女子が競争相手を減らすために東大女子を入れないようにしてる可能性だってあるだろ。性差別か?お?
↑その原因が東大内の性差別という意味?だったらこんな時代性が交絡するようなデータじゃだめだよね?
↑これを祝辞で喋る意図が明確になるように主張のギャップを埋めて欲しい。
↑これ普通に気になるな
↑後述の話を先取りするけどお前のは恵まれた環境のおかげじゃなくて努力の成果なのかよ。
↑そこ断言するの流石に祝辞としてダメだろ。毒親から逃げて東大来たやついるけどそいつにこれ言えんの?
↑これはまあそういう意見もあるよね。
↑恵まれない人を助けることに繋がらない学問やっちゃいけないの?ブラックホール撮影しちゃだめ?ニュートリノ観測しちゃだめ?
↑「環境と能力に恵まれた東大新入生はそれを恵まれない人々(=弱者)を助けるために使いましょう。」と述べた後で「弱さを認め生きましょう、フェミニズムは弱者が弱者のまま尊重されることを求めます。」と締めるの、結局東大生に弱者であって欲しいのか弱者を助ける存在であって欲しいのかが見えてこない。弱者を助ける存在もまた弱者で、だから他の弱者に助けてもらいましょう。ということなのかな?全員弱者なら女子受験生の話をした意味は?
↑まずこの弱者って特に女性を指してるの?だとすれば女性は謂れなき差別を受けていてそのために被害を受けているという話だったよね?てことは女性は謂れなき差別を受けたままで尊重されるべきってこと?意味不明じゃない?
総評として、全称記号と任意記号の恣意的な混同によってデータを自分の都合のいいように改変して使用する、統計学ひいては学問を完全に馬鹿にした祝辞であったように思える。思想としてのフェミニズムであればこのような「過激な」スピーチにより注目を集めるのも一つの作戦なのだろうが、この人は「学問としてフェミニズムを修めている人間」として「これから学問を修める3000人の東京大学新入生」にスピーチしたわけで、その内容としては甚だ不適当だと言わざるを得ない。
はっきり言って、こんなものを褒めそやす人間は、たとえそれがどれだけメタ的な視点からの評価のつもりでも、科学の世界を脅かすありふれた権威主義の愚か者の集団に含まれる一人にすぎないと言えよう。
それでも、研究の果てに純粋に人生を終えられたことを少しだけ羨ましく思うんだ。
僕は「食えそうだから」と工学部の無難学科に入って、「いまは働きたくないから」という理由で修士に進んだ。
それから、「いつか美しいものを求めたい」、「金のためにスーツを着ておべっか使うクソリーマンになりたくない」という理由でそのまま博士になった。
入ったからには学位が欲しくて(取ってみたら、そんなもの何の役にも立たないのにね)必死で論文を書いた。
自分が研究したいと思うことはいつも理想論で散発的だった。それで、論文としてふさわしいかを考えるようになっていた。
論文というのはなにか自分の「ときめき」から離れたところにあって、自分を縛っている気がする。
大学院に入るときには「いい人」に見えていた教授が「人の気持ちが理解できない守銭奴」に思えてきた。
学位を取ったら、教授から逃げ出したくて高専へ抜け出してみた。ここではないどこかへ行きたくて、高専教員に「でも」なるかと思った。そして、業績は少なくて高専教員に「しか」なれなかった。
高専に行ったら、外から研究者扱いされて、中では高校教師みたいな仕事をさせられた。アイデンティティクライシスがあった。とにかく研究費が欲しくて応募しまくった。科研費も当たってほら吹きがうまくなった。だんだんと、高校教師に甘んじていることに耐えられなくなった。だから、研究がしたいんだと自分をだまして研究に打ち込んだ。勢いだけで大学公募に応募して運よく受かった。
気が付けば大学教員になっていた。アホみたいな事務が投げてくるクソ事務仕事とか、会議は踊るされど進まず委員会とか、論文にもならない卒研指導とか、目の前に差し迫るタスクを薙ぎ払うだけで精一杯だと感じる。
気が付けば、一応飯が食えるようになっていた。だけれども、じぶんが何をしたいのかわからなくなっていた。研究は論文のため? 論文は生き残るため? じゃあ、なんで研究やってんだ。あれ、何を明らかにしたかった。どこかにあるはずの「ときめき」を求めてあらゆる妥協と工夫を重ねてきたのに、たどり着いた先には何もなかった。
どの部分がどのような理由で問題なのか、具体的に説明されてないよね
まともな説明もないまま、流用だの剽窃だのといった言葉だけが独り歩きしてる感じ
自分が知る限りでは、ずいぶん前に記者不明の怪文書じみたページでそれらしいことやってたのが唯一かな
だけどそこで指摘されてたのは、せいぜいケアレスミスとか引用の仕方が不適切とかいう程度のもので、とうてい流用・剽窃等の悪質な行為とは言えないって印象だった
新書では何冊かのネタ本から内容の大半を引っ張ってきて、それに申し訳程度に著者の知見を添えて仕上げました、みたいなのがよくある
○○『××』(△△社、□□年)☆☆頁、みたいに正式な引用を行ってるものは皆無に近く、巻末に参考文献の一覧をのせてるだけのものさえ多いとはいえない
今回問題となってるのが流用・剽窃だって言うなら、新書なんて流用・剽窃の見本市でしょ
結局みんな渦中の人物が気に入らないから叩いてるだけじゃないの
そうじゃないなら、きちんと具体的に説明してよ
インターネット上に早稲田大学芸術学校についての情報が少なすぎるため、数年間当校に在籍した経験を基に入学を検討している人に向けて情報提供をしたいと思い記事を書くことにしました。いくつかの夜間建築学校などを検討している方などに向けた記事ですが、当校の入学決定者にも役に立つところがあるかもしれません。
また、当校は体制改革の最中ですので、もしかするとこの記事は古い情報である可能性もあることをご了承願います。
・入試について
・教育の質について
・最後に
インターネットを見ていると入試の内容、難易度に関して疑問や不安を感じている方が多いように感じますが、まったくもって心配する必要はありません。
入試の内容は、詳細には覚えていませんが、私が受けたときには「好きな建築(あるいは建築を学ぶきっかけとなった建築)を挙げ、その建築について述べなさい。」といったような内容だったと思います。これに加え講師との面接があり、その後入学が決定します。合格率は年によって異なるかもしれませんが、基本的には全入であると思われます(定員割れしていることが多いので)。ですので、入試に関しては特に心配はいりません。
これはもしかすると私の学年だけかもしれませんが、かなり多くの生徒が自主退学をします。退学者に理由を聞いて回ったわけではないので詳細な理由は知りませんが、おそらく日中の職業との両立の難しさ、そして建築を学ぶことへのモチベーションの低下などが主たる理由であると思われます。
カリキュラムについてはホームページやシラバスで十分な情報があるのでそちらを読んでいただければ問題ありませんが、率直な感想を言うと週5回の夜間学校は予想以上にしんどいです。これを読んでいるあなたが学生や社会人である場合、両立にはかなりの忍耐力が必要です。おそらく入学を前向きに検討している方はそのような覚悟もできている上で(私もそうでした)この記事を読んでいるかと思われますが、実際のところ本当にきついです。
まず平日18時過ぎに毎日必ず西早稲田に移動することができない方はまず入学を再検討したほうがいいかもしれません。授業開始時間に間に合わない社会人や学生も多いため、遅刻自体には寛容(成績的な評価で言えばほとんど影響はない)ですが、そもそも授業に途中参加することは確実にあなたの意欲を下げます。大学や高校でもそのような経験があるのではないでしょうか。授業の導入部分を聞けないということは、その授業全体の理解度に大きな影響を及ぼしますし、その授業についていけなければ当然次回以降も理解が難しくなります。また、欠席に関しても、シラバス上では全出席が基本とされていますが、実際のところはそこそこ寛容です。ですが、欠席を重ねていくうちに授業についていけなくなったり、本来は出席できるがサボってしまう「だらけ」が発生します。おそらく誰しもが平日に残業や飲み会、友人との食事などの機会があると思われますが、本校に通うとこれらへの参加と授業への参加を天秤にかけるようになります。強い意志で毎回授業に参加できる方は全く問題ないかもしれませんが、やむを得ないこともあるでしょう。しかし、いかなる理由でも欠席は建築を学ぶ意欲を削ぎ、モチベーションを失って惰性で学校に通う、または退学する原因となります。(実際にこのような人はたくさんいました)
生活リズムについても結構厳しいところがあります。18時15分に授業が始まり、21時25分の授業終了まで、休憩はわずか15分程度しかありません。その間に食べれるものといえばせいぜいコンビニの軽食ぐらいであり、これが週5回続きます。普段からコンビニ飯がメインな人にとっては大した問題ではないかも知れませんが、料理が好きな方や食事管理をしている方にとっては大きなストレスになります。もちろん食費も余計にかかります。
以上のように、想像以上に当校のカリキュラムは厳しく、ストレスを伴うものです。これらに耐える自信がない方は今一度入学を検討し直してみてください。
本校では「建築設計科」と「建築都市設計科」があり、それぞれ2年コースと3年コースがあります。3年コースに入学しても、2年間の授業は2年コースと全く同じで、2年コース+1年という授業形態です。2年コースと3年コースでは卒業後の建築士の受験資格や得られる学位に差がありますが、なぜ私が2年コースを勧めるのかと言うと、2年コースから3年コースには編入制度があるためです。仮に2年間建築を学び、やはり違うと思って建築の道を辞める場合でも、単位を取得していれば2年コースでは当然卒業になりますが、3年コース選択の場合は退学になります。3年コースから2年コースへの編入はできません。つまり、建築に進まないと言う選択をするリスクと考えると、わざわざはじめから3年コースを選択する理由は全くありません。2年間学び、やはりもっと建築を学ぼうという気になれば3年コースへの編入をすれば良い話です。編入審査は形式的なものでほぼ確実にできます。
このように、入学するなら絶対に「建築設計科」を選択することをおすすめします。
本校の教育は、基本的にはハイレベルで質の高いものだと思います。著名建築家である校長を始め、大手ゼネコンの上流社員、早稲田大学理工学術院の教授など、錚々たる講師陣が揃っています。また、副業として講師をしている熱心な若手建築家の方も複数人います。しかし、経歴の立派さが教育の質の高さにつながるとは限りません。実際のところ、実績はあってもあまり教育には熱心ではない(ように伺える)方もいらっしゃいましたし、生徒が必死に製図する中大声で談笑する講師陣の姿も見えました。また、自立した社会人が過半数を占める学校ということもあり、面倒見の良い学校であるとは言えません。そういう点を求めるならば別の学校を検討するのも一つだと思います。
少々棘のある内容となってしまいましたが、基本的にはやはり教育の質は高いと思います。仮にも歴史のある早稲田大学の関連組織ですし、実際に活躍されてるOBOGも多くいらっしゃいます。ただ一つ重要なことを補足しますと、当校は実用的なCADスキルや建築士の資格試験対策に重きをおいた学校ではなく、むしろ建築を中心とした芸術的センスと教養を育むことを重視しています。そのため意匠に興味がない方には非常に退屈に感じるかもしれませんし、最速で建築士資格の取得を目指しているような人には向いていないかもしれません。
以上が早稲田大学芸術学校について私が持っている情報です。ご参考になれば幸いです。
去年、家も買ったって言ってたし
連絡もらってうまくいってるんだなーって喜んだ。
実績だけあげろってバカみたいにいうって。
できるわけないじゃんって愛想つかして海外に逃げてった。
そこそこ名前のあるところ(田舎に住んでる私でも知ってるような)に
就職して働いていたけど、仕事の内容上都心に住んでないといけないし
給与は据え置きって言われた時点で我慢しきれなくて海外へ就活してた。
もともとそのために学位とかもとってたからトントン拍子で決まって
同調圧力とかで死にそうって思ってたけどこっちに来たらそんなの無いし
でも親の教育方針でスナック菓子とかコンビニご飯とかになじみがないから
まだ助かってるっていってたなw
すげぇ
2016年3月19日、京都造形芸術大学(京都府京都市)において学位授与式・卒業式が挙行され、最高齢在学生の平田繁實(ひらた しげみ)さんが“96歳と200日”で卒業しました。
放送大学北海道学習センター所属の加藤 榮(かとう さかえ)さん(大正6年[1917]生まれ)は、平成28年[2016]9月に99歳で教養学部教養学科 生活と福祉コースを卒業されました。これは放送大学史上最高齢の卒業となります。
中身のない話を広げて要求文字数を突破できるようにする技術って、社会にとってマイナスにしかなってないよね。
クソみたいなまとめブログや情報商材記事のライターが使っているのはまさにその技術だけどそれは人類に損失しか与えてないよね。
ゴミみたいな研究成果を薄めて薄めて必死に大学院卒業していった奴らが学位持ってるのなんて詐欺みたいなもんじゃん。
それがそういう奴らに限ったことなら良いけど、実際はほぼ全ての社会人がどこかでそれを振り回している。
無意味な言葉を付け足して文章を無理やり引き伸ばして、沢山書いてるからきっと凄いことが書かれているんだろうなと相手に勘違いを促そうと無駄にファイルサイズを重くして印刷枚数を増やして他人の時間を奪うために自分の時間を浪費していってる。
誰もが不幸になっているんだよ。
そんな技術を磨くことを称賛していた時期がどっかにあるのかよ、ってキレそうになるわけだけどあったよ畜生、小学校の国語だ。
遠足の感想を100倍にうすめて原稿用紙3枚埋めろとかのアレだよ。
アレで多くの日本人が、幼少期の記憶として無意味な文章の羅列や引き伸ばしを繰り返す癖を染み込まされるんだ。
ふざけた話だよ。
この国の学校教育で何よりクソなのは算数であるかのように語られがちだけど、実際に一番酷いのは国語だと俺は思うね。
さくらんぼ足し算なんてのは中学に上がれば誰もが忘れるけど、作文引き伸ばしの癖はいつまでも残り続けている。
実害がハッキリ生まれているんだよ。
許せねえ。
いや実際に聞こえるのはハミングどころじゃないんだが。
今私は学位を取るために必死に追加実験と執筆を重ねていて恒常的に多忙である。
畢竟徹夜も続くわけだが、そのせいか最近幻聴が聞こえるようになった。
先日も誰もいない中研究室で作業していると、ふと声が聞こえてくる。
最初はノイズ程度だったのだが、はっきりしてくるにつれて内容が分かるようになった。
混声四部合唱だ。右耳は女性パート、左耳からは男性パート(時々女性も混じる)。
曲目は皆目見当がつかないが、パートごとの追っかけもあるし、ハーモニーもしっかりしている。
このまま譜に起こせば新しく合唱曲として売れるのではないか、と思う程度にはしっかりした構築だった。
幸いというかこの日は二、三時間ほどで幻聴のコンサートは終演となったわけだが。
そこからまた徹夜続きになると度々聴こえてくる。徹夜の数を重ねるほど、声も曲調も深みを増していく。
体の酷使が原因なので、出来ればこの幻聴から早めに脱却したいのだけれど。
ああ、今日もまた。