はてなキーワード: 孤立とは
小さいころに父親から十分な愛情を注いでもらえず、それを大きくなるまで引きずってしまったために、主人公は人間不信を極めて生きることに苦しんだ。
おぞましい人間界で何とか自分の存在を維持するために、主人公は「道化」を用いて人間と通じようと試みるが、むざんにもその試みは打ち破られ、結局最後は脳病院にまで入れられてしまった。
だが、最後の最後に見られた主人公の心底からの笑いに、俺は心を打たれたようである。
『人間失格』を読んでいると、まるでその中に自分がいるかのような気持ちになる。
自分も昔から他人に対して疑心暗鬼で、何か他人に喜ばれるようなことをしなければ、自らの存在が危うくなってしまうと無意識的に感じながら生きてきた。
中学のころ、クラスに悪戯をする男子がいれば、自分もその悪戯に必死で追従した。高校のころ、周りの友達を喜ばせるために、友達の求めるままに自分の恥ずかしい姿の写真をわざわざ撮って、それをメールで送り、多数の人間に広まって孤立したこともあった。
本当は真面目で寡黙な自分なのに。
つまり、俺は自分の意志だけでは生きられないのである。自分の行為には常に他人の目が付随している。もし他人の目など気にせずに、自分の意志で生きたいように生きて他人の顔色が悪くなるようなことがあれば、自分の存在がどうなってしまうのかが実に恐ろしいのだ。
換言すれば、俺は自分に自信が持てないということになる。
自分で自分を認めてあげることができないから、自分を認めることを他人に対して求めてしまう。
でも人間というものは普通自分のために人生を生きているもので、いくら他人に認めてもらうことを自分が求めても、現実にはそう思い通りにはならない。
他人が自分を認めてくれないとなれば、自分の心は不安でいっぱいになるし、そして他人が怖くなる。
他人が怖くなると、必然の結果として他人と接することを避けるようになる。
このため俺は働いて自活することにさえ及び腰だ。
若くて不器用な自分が正社員として働けば、毎日のように厳しく怒られるだろうし、仕事外でも飲み会などで深い人間関係を築かなければならないだろう。
それが怖くて怖くてもうどうしようもない。
自分にとって正社員として働くことは軍隊に行くのと何ら変わりないのだ。
こんな体たらくになったのは無論自分の責任だけれども、親の育て方にも当然原因はあると思う。
小さい頃は、何か自分が失敗をしたり、わがままを言ったりすると、叱られるというよりも、小さな自分の人間性を否定するような怒られ方をよくした。
「お前はダメだなぁ」、「はぁ」、「○○にそっくりだ」、もしくは、見下したように鼻で笑うか。
また、自分で決めた選択を泣いて否定されたこともあった。日常的な夫婦喧嘩に心を痛めたこともあった。
ああ、俺はなぜこんなところで親の悪口を書いているのだろう。親のせいにしてしまう自分も嫌。
もちろん親には感謝しているし、親が親なりに一生懸命自分を育ててくれたことはよく分かっている。
親も自分に似たところを持っていて、人の目を過度に気にしているし、自己評価が異常に低い。
それはやはり育った環境に原因があり、その意味では彼らも被害者で、子供との健全な関わり方を知らなかったから仕方がないのだ。
いま小さな子供を育てている親御さんは、どうか、子供が自分自身を大事にすることができるような育て方をしてあげてください。自分がかけがえのない存在であることを心から実感できるように。
自分のことを大事にしてあげられる人間は、必然的に他人のことも大事にしてあげることができる。
逆に、自分を大事にできなければ、他人を信頼することができないゆえに、他人を大事にしてあげることなど決してできない。
さすがに万引きした子供を叱らないのは俺もおかしいと思うけれども、何でもかんでも頭ごなしに子供を否定することは、自分のような人間を作る原因になりうると思う。
偉そうにダラダラと書いてすみません。
自分が子供を育てると自分と同じような人間を生み出してしまうと思うし、そもそも子供を育てる自信なんて全く無い。自分が生きることで精一杯。
所属しているのは実験系の研究室なのだけれども、実験の進捗があまりにも無く先日指導教官が叱ったらしい。
叱られた後、もともとそんな元気じゃなさそうな顔してたのが、更に元気がなくなったような顔だった。
というか「変な気おこさないといいな。」と思うレベルの顔になっていた。
彼は研究室に来てない訳じゃなかったが、毎日机に座ってずっと携帯みてるとかだった。
「実験どう?」ときいても「ヤバいっす」とか「まぁまぁっす」などしか返ってこなかった。
こっちから実験以外の話を振っても、その質問には答えてくれるが、回答がぼんやりとしていて、のれんに腕押しのような感じだった。
指導教官は匙を投げかけてる。
後輩を研究室で孤立させたくないけど、あっちは私のことをおせっかいと思ってるのかもしれない。うざったい先輩だと思ってるのかもしれない。
これからどう接すれば良いのだろう。
これ読んで思い出した。 「彼女の頭が悪くてたまにイラっとする」 http://anond.hatelabo.jp/20130801151929
山奥のキャンプ場で老朽化した宿泊施設を借りて一人で暮らしていたころ、ある日ボロッと鍵が壊れた。
鍵そのものは壊れてなかったんだけど、鍵を支える樹脂枠が劣化していた。
建物がちょっと特殊な作りで入口の枠ごと取り替えないと直せない。
そもそも廃屋同然だったところだから持ち主は直すために金をかける気になれない。
自分にもそんなまとまった金はない。しかしいろいろ事情があって引っ越すことも出来なかった。
幸い寝室のドアの鍵はかかったので、夜はなるだけ寝室に籠ってそれだけを頼りに暮らした。
外出するときは開けっ放し。自宅に侵入して待ち伏せされたらアウト。
そんな山奥の過疎の村の一角なのに、犯罪は首都圏と負けないくらいあった。
シーズンオフの他に何もないキャンプ場の端っこに知らない男が現れ
敷地の中に住む管理人や警察に連絡して何度も追いかけてもらったりした。
ある日目星をつけていた近所の前科もちがとうとう別件の婦女暴行で掴まり
これで来なくなるかと思ったらすぐ別なのが来て、敵は一人じゃなかったんだと思った。
そんな事情だったので、鍵が壊れた時は本当に消耗した。
寝ないで見張り続けてたら死ぬ。英気を養うために眠ってる方がいい。
仕事に行かないと食べていけなくてやっぱり死ぬから朝になれば仕事に行く。
その後、伝手で麓の一軒家を借りることが出来て引っ越した。
その家は玄関とサッシの鍵は壊れなかったが
家と繋がっている土蔵の扉がある晩風で勢いよく倒れた。
扉を立て掛けて風を防ぎ「ここから侵入し放題なことがばれませんように」と祈って暮らしていた。
結局この家を出るまで家に侵入されることはなかった。なかったと思う。
明らかに自分のものではないレシートやゴミを何度か台所で見かけたけど。
オートロック防犯ばっちりのマンションに入居出来た。鍵がかかるって安心だ。
そこでも問題はあったけど、鍵のかかった部屋に帰れること、鍵のかかった部屋で眠れることは本当にありがたかった。
自分は一人暮らしを始めたころはこんなに不法侵入に警戒していなかったんだけど
学生が大勢住む町で一人暮らしを始めたころ、10分ほど鍵をかけず外に出た隙に自宅に侵入され
犯人は捕まったんだけど、取り調べで、何か月も前から部屋をのぞいていたこと
部屋にたびたび訪れ、その日に鍵をかけず出て行ったのを見て侵入していたことを知り
出がけに鍵を必ずかけるようになったのだった。
「あの30分に鍵をかけていたら人生は違ったのに」
ここ数年で、いろんな所で不倫の話を聞いた。
地元の友だちだったり、大学の先輩だったり、友達の友達だったり、バイト先の人、留学先の友達。
私が聞いたのはすべて女性視点のケースだったのだが、それがもう、余すところなく状況が同じなのである。
女性たちは19~25歳。
それも、どうもイケメンとかダンディとかお金があるとかでもなく、虫歯もろくに治してない、お腹の出た中年男性である。
面白いとか、決断力があるとか、そういう不細工だけどモテにつながるようなスキルもないようだ。(話を聞く限りでは)
ただ、性欲のためなら、ブラック一歩手前のような現場で働いていても、何度でも何度でも強引になれるエネルギーがある。
職場は、飲食店からみんなが働きたいあの会社までいろいろである。
女性たちは基本的に家と職場の往復のようなインドア系で、地方在住者が半分。
ただし自己申告なのでほんとに別居してるのかどうかわからない。
何を断る必用があるのか、一応別居中であることをアピールするらしい。
びっくりしたのだが、彼らはコンドームをつけたがらないし、懇願されても威張り散らして絶対につけようとしないらしい。
気持ちよくない、ゴムのサイズが小さすぎる、もう精子が枯れたから妊娠しない(?)など理由はさまざまである。
もう死語かと思った「先っぽだけだから!」を聞くことができたのも面白かった。
避妊してって言ってるのに…してくれない…といった感じで、特にピルを飲んでいたりもしない。
これは、ピルが結構高いこと、ピルのために病院に行くのが億劫なくらい仕事で酷使されている。という理由。
ピルをもらいにいく理性とエネルギーがあれば、コンドームをつけないセックスの時点で関係は終わっているのだろう。
直接見ているわけではないので、本人の多少の吹聴はあるかもしれないけど
人のいない所で胸やお尻を触る、という比較的軽度なものから、なんと会社でセックスまでしてしまったという人もいた。
とにかくみんなセクハラされていた。もはやセクハラなのか何かのかわからないけど。
ここである。
別れたほうがいいというのは本人たちにも明らかにわかっている感じなのだが、別れられない。
それで悩んで、どうしようもなくなって、いろんな友達に相談する。
それで友達がどんなに親身なアドバイスをしても、寄り添っても、やっぱり別れられない。
朝まで一緒に泣きながら相談に乗っても、翌日には「セックスしちゃった…」とLINEを飛ばしてくるのである。
日本の左翼ってのは、チベット人を虐殺してるような中国や、世界中から多数の人間を拉致して、それに対する謝罪と賠償をしてるわけではない北朝鮮ですら、国際社会から完全に孤立してるわけではないって事をきちんと認識しながら、「慰安婦問題で謝罪しないと日本は世界から孤立する」とか平気で言うんだよな。説得力がないよ。
いや、それ(無視・論敵認定)をやって、皆からそっぽを向かれたのは、どう考えても護憲派だろ。
自衛隊の好感度は鰻登り、自民党は躍進、「憲法改正すべき」という意見も国民の中で多数派というのが今の現状だぜ。
http://www.kochinews.co.jp/?&nwSrl=305163&nwIW=1&nwVt=knd
「改憲したら世界から日本は孤立する」「戦争になる」「徴兵制が復活する」とか、あまりリアリティのない批判だけに終始してるからな。
護憲派の連中の議論で、本気で意味不明なのは、「日本が改憲したら、戦争を始める」という主張。
「じゃあ、憲法九条をもともと持ってない韓国や中国や北朝鮮を警戒するのは当然じゃないか」と言ってやると、「そんな心配はする必要がない。外交で解決する」とか言い出す。
外交で解決するんなら、日本が軍隊を持とうが何をしようが、自分から軍事力を行使する必要なんて無いだろう。
あと、「改憲したら日本は世界から孤立する」というのも訳が分からん。「憲法九条を持ってない」という理由で、世界から孤立している国があるなら、ぜひとも教えて欲しいもんだ。
若い世代の方にとって、今回の参院選ではどういうことが話題になったでしょうか。「ブラック企業」と名指しで批判されることも多い、ワタミの渡邊美樹候補を自民党が擁立したことでしょうか(ここではワタミが実際に「ブラック企業」であるかどうかは問いません)。
「ブラック企業」と呼ばれる企業は、労働基準法の抜け道をつかい、若い労働者を長時間働かせます。もちろん、低賃金で、です。そのような扱いを受けた労働者のなかには、体調を崩し、「うつ病」に近い状態になり働けなくなってしまう人もいれば、自殺をしてしまう人もいます。「ブラック企業」は、どうしてそんなひどいことをするのでしょうか。
「ブラック企業」の経営者は、国内や国際の市場における競争に勝つためには、経営努力が必要であるといいます。つまり、売上を増やし、売上をつくりだすために必要なコストを最大限に下げるのです。際限なくコストを下げようとするとき、まっさきに削られるコストは人件費、つまり労働者の賃金です。
そんなひどい低賃金で長時間労働をさせられるのなら、退職すればいいじゃないか、もっといい会社に転職すればいいじゃないか、そうすれば「ブラック企業」などなくなってしまう、と考える方もいるかもしれません。
しかし、現代の就職難の状況では、生活していくためのお金を稼ぐために、厳しい労働環境の職場を選択しなければならない人々がたくさんいます。誰かが退職しても、いくらでも新しい労働者が「ブラック企業」に供給されるからこそ、「ブラック企業」のようなやり方を続けていくことができるのです。「ブラック企業」は、「お前がやめても代わりはいくらでもいるぞ」と労働者を恫喝します。だから、労働者は労働環境を改善するような声を挙げることが非常に難しくなってしまいます。
つまり、「ブラック企業」で働く労働者には、企業の言いなりになって奴隷のように働くか、退職して厳しい求職活動を行っていくかの2択がつきつけられるのです。背に腹は代えられません。いくら低賃金でも、お金がなければ日々を生きていくことはできません。その結果、労働者は自分の自由を犠牲にしてでも、ブラックな労働環境で働きつづけることを余儀なくされます。
さて、一部から「ブラック」と呼ばれる渡邊美樹候補は、こんなことを言っています。つぎの演説をみてください。
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/90354
この演説のなかで彼はこう言っています。
「日本のこの国を立て直すとしたらですよ。確かに社会保障費、そう動かせないお金もあります。しかし半分にしたらですよ。この国、立ち直るんですよ!」
国には、たしかに「経営」としての側面があります。その点では、国の運営にかかるコストを少なくすることが大事でしょう。
ワタミの渡邊美樹候補は、会社の経営を合理化するように、社会保障費を縮小し、国の経営を合理化したい、と言っているのです。
「社会保障費」は、働けなくなった人、病気をした人、高齢者などの生活を支えるための重要な費用です。すこし前に、生活保護の不正受給が問題になりましたが、実際のところ、生活保護の不正受給というのは、全体のわずか1.8%にすぎません(2010年のデータ)。もちろん不正受給は許されるものではありませんが、専門家は、生活保護に関してはむしろ、本当に生活保護を必要な人に支給できていないことが問題だと指摘しています。つまり、実際には生活保護が必要なのに、生活保護が支給されていないケースが非常に多いのです。
このように考えると、渡邊美樹候補の主張に疑問を感じる方も多いのではないでしょうか。
だから、ワタミの渡邊美樹候補を批判しつつ、彼を擁立した自民党を支持するという意見を聞くことがあります。
国の経営を合理化し、国際競争に勝つために労働基準法そっちのけで労働者を使い捨てるいわゆる「ブラック企業」の精神は、現在景気を回復させはじめた経済政策(アベノミクス)を武器に、さまざまな労働改革を行い、社会保障を引き下げ、生活することすら困難な日本に住むマイノリティを排除しようとする自民党の精神と同じであるように私には思えます。
いわゆる「残業代ゼロ法案」であるホワイトカラーエグゼンプションを推進したり、企業が労働者を解雇しやすくする解雇規制緩和を推し進めようとしているのは、自民党です。安倍首相は、アベノミクスによって60万人の雇用をつくりだしたと主張しています。しかし、実際に増えたのは非正規雇用が116万人であり、正社員は47万人減少しているのです。国の経営合理化によって、今後も不安定な非正規雇用を強いられる傾向は、今後どんどん高まっていくのではないでしょうか。
そのほかにも、自民党は憲法を改正し、立憲主義の原則を取り壊し、これまで保障されてきた基本的人権を縮減し、自衛隊を「国防軍」として位置づけることによって、日本が軍事力を明確にもつことができるようにしようとしており、その点でも多方面から批判されています。
しかし、それでもなお、自民党の経済政策に期待する声があります。
そういう人は、おそらく次のように考えているのではないでしょうか?
―― 「国際競争のなかで日本が負けてしまったら、大変だ。うちの会社がつぶれると、自分も食えなくなる。だから、自民党の多少の欠点には目をつぶって、日本をうまく経営してもらいたい。それが結局のところ、自分の利益にもつながるのだ」、と。
しかし、この考えは、「うちの会社はブラックだけど、自分がサビ残してでも何とかしないと、自分の職がなくなるから困る。食えないのは困るから、ここで働くしかない」という、「ブラック企業」で働くことを余儀なくされている労働者の考えとまったく同じです。
「ブラック企業」やそれに近い労働環境で働く人たちは、自分のことを「社畜」などと呼んで、ブラックな労働環境をネタ化して、無害化することがあります。ならば、「ブラック企業」と類似した考えによって行われる経済・福祉政策を肯定する人たちは、自分のことを「国畜」と呼ぶのでしょうか。
「社畜」「国畜」などとネタ化すると、本質が見えなくなります。それは、たんに「奴隷」なのです。賃金がなければ、お金がなければ生きていけないから、基本的人権は制限されてもしょうがないし、社会保障はどれだけ削られてもしょうがない、という考えは、お金という鎖につながれた奴隷以外のなにものでもありません。
無理やりの原発再稼働、ブラック企業の正当化、国防軍が必要だという声。これらに共通するのは、恫喝でものごとを動かそうとすることです。権力者はつねに次のように言います。「原発を動かさないと経済がダメになるぞ! 労働基準法など守っていては国際競争に負けてしまうぞ! 中国韓国に侵略されるぞ! 」、と。
このように、危機に乗じて威圧的な論理をつかい、政治を動かそうとすることを、ナオミ・クラインは「ショック・ドクトリン」と呼んで批判しました。
もっと簡単にいえば、それは「(現在の危機に対して)いつやるの? いまでしょ! いまやらなければ、さもないとひどいことになるぞ!」という論理です。
こういう論法は非常に威勢のいいものです。たしかに、いますぐ何かをやって、変えてくれそうな気がします。しかし、その一方で、「いま」の危機がどういうものであるのか、という点は覆い隠されてしまいます。たとえ国際競争に負けるからといって、過労死者をだすような労働環境が正当化されるでしょうか。たとえ経済がダメになるからといって、活断層の上にある原発を動かしていいものでしょうか。
その意味で、例の「いつやるの? いまでしょ!」の人は時代の申し子というか、およそ考えうる最高の(最悪の)タイミングで出てきたわけです。
少しうがった見方をすると、ワタミの渡邊美樹候補というのは、今回の参議院選挙における自民党支持のための逆説的装置なのではないでしょうか。
つまり、こういうことです。――世の中では、自民党の勢力が強いらしい。かといってその流れに単に乗るだけでは自分は「自由」ではない。しかし、ワタミの渡邊美樹候補を批判することができる私は「自由」であり、自分で「主体的に」政治についての情報を得ている。だから私は政治を「知っている」。 このように考えることができるというわけです。
要するに、「ブラック企業」といわれるワタミの情報をインターネット等から得て、それを批判することによって溜飲を下げ、安心して「自由な主体」として自民党を支持できるというわけです――「私は自民党にどっぷり浸かっているわけではない、批判もしている。それゆえ私が自民党を支持することは自由の証である」、と 。
この参議院選挙のあと、自民党は憲法改正にむけて大きく舵を取ります。彼らの改正案は、どういうものでしょうか。
その一番の特徴は、基本的人権を守ろうとする姿勢が大きく後退していることです。たとえば、自民党の改憲案では、表現や集会や言論の自由は、たしかに保障されています。しかし、この自由は「公益及び公の秩序を害することを目的」とする場合には、保障されません。この規定によって、たとえば今の政府についての批判を行うことが「公益及び公の秩序を害する」と権力者が判断すれば、そのような批判は制限されてしまいます。政府を批判することすらできなくなってしまう可能性があるのです。
もちろん、批判する必要のないほど完璧な政府であればいいでしょう。しかし、日本に生きる全員にとって「完璧な政府」などというものが、はたしてありうるでしょうか。
それでも、景気の回復だけを理由に、自民党を支持することができるでしょうか?
ある男が暴漢に拳銃をつきつけられ、「自由か死か!」と問われます。ふつう、死にたくはないですから、「自由」を選びます。しかし、「自由か死か!」という二択を迫られたときに「自由」を選んでしまうことは、その選択を暴漢から強制されることにほかなりません。ならば、その男は、自分が自由であることを示すためには、「死」を選び、自由を放棄するしかありません。こういう逆説がいま、現実に起こっているのです。
経済政策を武器に、私たちの自由を奪うような憲法改正を行うとする自民党を支持することは、自分が自由をもっていることを示すために、表現の自由も思想・信条の自由も、さらには基本的人権すら売り渡すことに他ならないのです。
実際に、いままさに私たちの「表現の自由」が制限されはじめつつあります。興味のある方は、次の記事をしっかりと読んでおきましょう。
http://kiikochan.blog136.fc2.com/?no=3113
世界の歴史の至るところで、私たちは私たちの「自由」を獲得するために、数多くの努力を行ってきました。その結果が、現行の憲法の「思想及び良心の自由(第19条)、表現の自由(第21条)、学問の自由(第23条)」です。こういった自由は、おそらく、あっさりと奪われてしまいます。そして、こういった自由をふたたび取り戻そうとするときには、数多くの血が流れることは間違いありません。そのことは、歴史が証明しています。
すでに長くなってしまいました。
ここまで読んできてくれた方のなかには、「いや、そうは言っても外交問題などは、自民党以外にはまかせておけない」と言う方がいるかもしれません。
ところで、今の若い世代の方のインターネット上の発言をみていると、少なからぬ方が、いわゆる「2chまとめサイト」(「痛いニュース」「保守速報」「アルファルファモザイク」など)のURLをSNSに貼り付け、それを情報源として政治について語っていることがよくあります。中国や韓国、北朝鮮といった東アジアの外交問題に関しては、とくにその傾向が強いように感じます。
しかし、そのような「2chまとめサイト」を情報源として利用することは、とても恥ずかしいことだと私は思います。
なぜなら、いわゆる「2chまとめサイト」は、その名の通り「2chで話題になったことをまとめた」ものではないからです。
この点について興味のある方は、次のURLを参照してください。
http://anond.hatelabo.jp/20130705113110
若い世代の多くの方が、「2chまとめサイト」をTVや週刊誌などのマスコミから伝えられる情報とはちがった「自分で手に入れた真実の情報」として受け取っています。しかし、「2chまとめサイト」は、その話題を提供するプロセスから、その記事作成に至るまで、実はごく少数の人物によって管理されているのです。
多くの「2chまとめサイト」は、嫌韓や民族差別ネタを娯楽のようにパッケージ化して私たちに提供しています。本当に愚かなことですが、「差別」はもっとも簡単に娯楽になるのです。差別を娯楽として提供することが一番PVを稼げるから、結果として思想的な偏向を生み出しているわけですね。
しかし、その娯楽を享受し、そのURLを嬉々として貼り、情報/娯楽として消費する行為は、まるで、いとも簡単に餌につられ、その餌に群がる昆虫のようではないでしょうか?
少し、個人的な話をさせてください。
私はたぶん2chとの出会いは早かったほう(たしか2000年)だと思います。
2chを最初に見たとき、歯に衣着せぬ酷い書き込みの嵐に、「あ、これが筒井康隆が言っていた「ブラックユーモアは厳しい自己認識の手段である」ということなんだな」と思いました。そのことをよく覚えています。
作家・筒井康隆の作品には、さまざまな差別ネタや障害ネタが登場します。そのため、筒井は「2ch以前から一人で2chみたいなことをやっていた人」のように言われることがあります。
しかし、彼の作中での差別や障害ネタは「差別を見て笑って/楽しんでしまう私のおぞましさ」を発見するための装置なのである、と筒井は語っている。私たちは、いくら「差別はいけない」と思っていても、実際に差別を目にしてしまったときに、笑ってしまう、その差別を楽しんでしまうことがあります。そういう「私」のおぞましさを発見させてくれるのが、「厳しい自己認識の手段としてのブラックユーモア」だということです。
文学的価値としてはパロディよりもブラックユーモアのほうが高いとされている。なにしろ ブラックユーモアは16世紀のイギリスで発生してこのかた5世紀というスウィフト以来の伝 統を持っていて、それはすなわち死体をもてあそび、宗教を冒涜し、病人をいたぶり、糞尿を 好み、身障者を笑いものにし、極端な人種差別をするというものであることはご存知のとおり である。それはまさに人間が、人間であることによって否応なしにもたされた醜さをすべて暴 き立てられ、鏡のごとく自分の醜さに対面させられ、叫ぼうがわめこうがどうしようが、それ を自らの笑いによって証明させられて認識せざるを得ないという、いわば厳しい自己認識手段 なのである。この伝統を守り、20世紀の日本などという建前社会において消滅させたりして はならないと孤軍奮闘してきたつもりであったが、今や世の底流はほうっておいてもブラック ユーモアを指向しはじめた。「偉い人」だの「尊敬すべき人」だのといった言葉が出てきた限 りは、以後そういうことを言い出した人自身が自分の醜悪さの中にまみれてもらわねばならな い。どうやらまた何かしら倫理を作ろうとする連中がちらほらしはじめている。人間が人間の 倫理など作れるほどの偉いものなのかどうか、自分の魂の地獄へサイコダイバーとなっており ていってもらい、じっくり見てもらおうではないか。もちろんおれも一緒だ。安吾先生ではな いが、堕ちるところまで堕ちた人でないと倫理の何たるかすらわからない。
(『笑犬樓よりの眺望』http://sound.jp/kita-g/black.htm より引用)
初期の2chには、おそらく「厳しい自己認識の手段」としてのブラックユーモアがあったように思います。しかし、現代の「2chまとめサイト」は、その差別やブラックユーモアを単に娯楽として消費されるようにパッケージ化しています。
こういったサイトの「情報」をもとに、政治の話をするのは、もうやめにしませんか?
最後に、映画監督の想田和弘さんと、哲学者の木田元さんが今回の参院選について語った言葉を引用しておきます。
「僕は別に自民党に恨みがあるわけじゃないんだけどいまだに原発進めたり海外に売ったりTPPを公約違反を犯してだまし討ちで進めたりトンデモ改憲案を出したり軍法会議を検討したり生活保護切り崩したりワタミの会長公認したりとあまりに最近ブラック過ぎて絶対投票するのはやめて欲しいと言いたい。 」
「時代には勢いがあります。今ならば、ちょっと右寄りの方がかっこいいとか、そろそろ憲法改正が必要だとか、昔日の日本の威光を取り戻そうとか、そういう動きですね。それらに安易に同調したり、勝ち馬に乗ろうとしたりすると、とんでもないことが待っているかもしれない。… 戦前、日本の孤立を決定づけた国際連盟からの脱退に国民は拍手喝采しました。その愚を繰り返さないように立ち止まって考え、『勢い』をチェックして、場合によっては抑えることが必要でしょうね。賢さと言い換えてもいい」
数年ほど演劇に携わっていたが、色々な事情が重なって現在、演劇の2文字をみるのも嫌で嫌でたまらない状態になっている。
特に、金も人も時間も足りない小演劇界隈は、劇団を抜けるのにも相当覚悟がいる。
何でもそうだが、特にこういう表現系の活動は、よっぽど好きじゃなきゃ続かない。本当に。
昼もなく夜もなく、生活のすべてを芝居に捧げ、寝る間も惜しんで舞台に立つのが楽しい――そういう人間でなければ、あの界隈で活動を続けていくことは出来ない。
たとえ金がなくとも、創作さえ出来れば幸せ。そういう人でなければ向いてない。
寝不足の目をギラギラに輝かせ、狭い市民センターで稽古や、あるいはサイゼリヤで一番安いドリアをつつきながら打ち合わせをし、劇団評に花を咲かせ、チキンを1個ずつ分け合う。
そして3時過ぎに布団に入り、翌朝早くからバイトに打ち込む。夜にはまた稽古。そんな人間ばかりだった。
はっきりいって全員病気だ。
だが、本人たちにとってみればそれは、エネルギーに満ちた充実した生活なのだ。
ある日、自分の将来をふと考えた際、とてつもない虚無感に襲われた。
このまま生活していけるのか。一度考え始めると、不安はどんどん膨らんでいった。
結果、どんどんモチベーションは下がっていった。
もともと小演劇に疎かった自分は、仲間内のトークにもついていけていなかったのも辛かった。
やがてフラストレーションが積み重なっていった結果、日常で突然泣き出してしまうほどになり、結局その後、演劇活動から手を引くことにした。
これはきっと、演劇だけの話ではない。
あらゆる創作活動、表現のジャンルでも、貧乏を飲み込んで打ち込む覚悟がなければ、とてもじゃないが、続けていくことは出来ない。
ラッキーなことに、家が金持ちだったり才能があったり、そういう人はその分の補正がかかることもあるかもしれない。
もし、これから何らかの表現に携わろうと考えている人は、そこのところをよく考えてみるべきだと思う。
自分は貧乏でも続けていく覚悟はあるのか。それほどに病気であるか。
中途半端な意志と覚悟で、下手に表現へ深く足を踏み入れると、取り返しのつかない痛手を負う可能性がある。
それでも構わない、という人をあえて止めるつもりもないけど、
そこにいる関係者がどんな人たちなのか、どういう年代層の人がいて、どんな暮らしをしているのか。
話をよく聞いて、よく確認したうえで、飛び込むべきだ。
深く関わるのは、それからでも遅くはない。
表現を志す人にはまだ若い人たちが多いので、時間はたっぷりあると思うかもしれない。
自分の適性をよく考えて、限りある時を有効に使い、有意義と思えるような生活を過ごして欲しい。
産休~育休以外にも、病気や怪我、事故なんかで、不本意ながら一時仕事を撤退せざるを得ないことや
それまでと同様のペースで仕事ができなくなることって、たくさんあるよねぇ…
私は、若いころ過労で急性肝炎になって3カ月以上休職したことがあるんで、この方の意見にはあまり賛同できない
それまでやりがいも責務も感じながら、一旦こんな風に信用を失ったら二度と仕事がこなくなるんじゃないかとか
結果としてその後も仕事はいたって順調だし、病気のおかげで気付きもあった
失礼な話だが、誰かがピンチヒッターで出来たような仕事は「私が体を壊してまでやることじゃない」と思えるようになった
自分がやってた仕事の対外的な評価「替えが効く部分と、替えが効かない部分」=強みがはっきり分かった
それと、仕事仲間の色分け(労ってくれた人、手伝ってくれた人、迷惑がってた人など)ができたことで、
その後の仕事の割り振りとか、社内政治()的なこととかに役だったという余禄もあった
要するに、若くて仕事の仕方をコントロールできない時にぶっ倒れて、各方面に多大な迷惑をかけたが
どんな仕事でも「絶対に替えが効かない仕事」なんて、そう多くはないんだなーということを学んで、結果仕事の質は上がったということ
あと、倒れた時に、人前で公然と「あいつ迷惑だ」とか言ってた人は、その後、社内で孤立→独立→今や食い詰めて半引きこもりらしい
という、因果応報的な話もあったりするので、この手の考え方は、公言したり体現したりはしない方が無難かもしれない
もちろん、もっとたくさんの人が、陰で「あの馬鹿」とかは言ってたとは思いますが、公言しちゃー信用を失うよ…
そもそも、育児中の人がいるせいで仕事がホントに回ってないなら、アシスタントの派遣社員つけるとか、やりようはありそうなのに
自分の労働環境についての改善提案ひとつ会社に通せないような人が「替えの効かない仕事」なんて、絶対にできるわけないよw
そもそも、通常よりも労働負荷をかけられない人が一人職場にいただけで回らなくなるとか、ありえないでしょw
左翼って、「中国や韓国と仲良くしましょう」って言うけど、それって「対馬は韓国領土」と、石原も真っ青の侵略容認発言を現役政治家が行うような国や、国内少数民族を弾圧する中国と仲良くするってことだぜ。
つまり、日本は国内の在日やアイヌを弾圧してもOKだし、過去に秀吉による出兵で占領したから、朝鮮半島全土が日本領と政治家が発言してもOKな国になっても問題ないってことだよな。
だって、そういう発言をしても「世界から孤立する」なんて有り得ないしね。左翼自身が「仲良くしましょう」というように、自分で「世界から孤立するなんて有り得ない」と証明しちゃってるんだから。
「やばい とても分かる。」の人です。
年代や境遇の違う人と仲がいいのも、何かで職場の人に知られると叩かれるかも。だけれど、そこは華麗にスルーして生きた方が楽しいです。ええ、絶対に。
かくいう私も、年代や職業が違う人とばかり仲良くなっていく自分に
(私は何か間違っているのでは? おかしいのでは? 同世代からハミゴにされるおかしな挙動をしているのでは?)
と疑問を抱いたり、苦しんだりしました。
ついでにいうと、40代半ばの何年か、自分たちにこどもが居ないのでこどもが居る人ともうまくいかないという思い込みがありました。そのために、子ありの人を自分から避けてきていたなとやっと認められるようになりました。
枠を自分で決めたら、自分が嫌がった「話題が限られてる人」と同じなのよね。だめじゃん、自分、と。
とりあえず、違うっていうことを拒否する文化がある場所がある、ということは、こちらの努力では変えられません。梅雨が日本にあるように、いちゃもんフェスティバルは季節の風物詩だと思って眺める程度に。
もしかしたら風物詩をみて、あなたが孤立しているだのなんだの言う男性社員が現れるかもしれません。違うことを拒否する文化の激しさ・拒否される側のつらさを述べたところで、なかなか理解されないことは、今回のコメントを見ても分かるのではないでしょうか。今回のが元増田さんが爆発気味の愚痴をぶちまけたからそのやり方で反感を買った、とも見えますが、じゃあ丁寧に書いたら理解してくれたかといったら、多分違うでしょう。
その辺は「隅田川の花火」と「それに伴う電車の混雑」みたいな関係です。
すいている路線に乗り換えて、自分と同じようにいろんなことを面白いと思っていて一緒に楽しめる友達や仲間がどこかに居るんだわ~と、放浪しましょう。お互いに。
私の将来はどうなるのか?
今は24歳、もうそろそろで25歳だ。
なぜ、私は何もできないだろうと、思っているのか?
私は、成す事ができないだろうと、思ってる節がある。
無能で狂っている。他人を信用できない。母親から愛されていないと感じる。
私は今からどうするのか?
18歳の受験生の頃に戻れば良いのか?
自分の肩に、法人、地域、親、将来や期待が架かってると自覚して、いや狂っているからそう感じるようになっ…
いや、そう吹き込まれていたのか、それとも事実としてそうなのか、私は判断できなかった。
私はそう育てられたのか。あるいは素質があったのか。
私は私のしたい事も、委ねられた事も、どちらもする事が出来なかった。
私は逃げ出したのだ。私の判断で決めて良い事ではないように思えた。
私は私がすることを肯定してくれる誰か、あるいは何か、が必要だった。
私のような悩みを抱えたことがないように見える同級生や大人が、自己のための将来に邁進できているように見えて羨ましかった。
今の私は、どうなのだろうか?
私は私の判断で行動できているだろうか?
だが、自分の将来は決めれるだろうが、それが他人に響くような判断はできてない。
なにもしないということが影響してる、なにもしないという判断が、そうなしているのだから、先論は矛盾しているのだろう。
人は、どうやってもお互い影響し合う。それは良い事でもあり、場合によっては悪い事もある。
私は、完璧でなければいけない。私は、他人の気持ちを害してはいけない。私は、他人の言いたい事を汲み取るべきだ。私は、他人を傷つけてはいけない。私は、家業のために人生を捧げなければいけない。私は、教師や親の言う事を聞かなければいけない。私は、感情をむき出しにしてはいけない。私は、物事には全力を持って当たらなければいけない。私は、失敗してはいけない。私は、医者にならなくてはいけない。私の自由は、医者になってから始まる。私の使命。
「いつかきっとお前に神様から啓示がくるだろう(医者になるという啓示がくるだろう)」
孤独か孤立か。周囲とは打ち解けなかった。侮蔑していた。装っていた。気付いた時には何もできなくなっていた。
悪い事もあったが良い事もあった。
母や兄は、ネガティブなアドバイスを言ってくる。「お前を思っていってるんだよ」と言うが、そんなこと微塵に感じず、言いたいことを言ってるだけじゃないかと思うだけ。それは私の心がオカしいせいで、曲解してるのか?
意味を確かめる意味で尋ねるが、「砂を噛んでいるようだ」と言って一方的に話を切ってしまう。
母親を憎んでいる割には、頼っているところがある。地域一帯の介護施設の経営主だからだろうか?実母だからだろうか?
愛憎。なんだろうな。
成すべきことではなく。気の赴くままにやればいい。今はこれでいいと思う。
母や父が倒れ、法人を相続する時が早まる可能性がある将来、不安。そのもしもの為に対処法を考える必要はあるのか?
するべきなのか?
それをするために私は欲求を抑えなければいけないのか?
新人とウマが合わない。
喋らないわけでもないし、お土産を一人だけ買ってこないとかそんな幼稚なことはするわけでもないし、お弁当の卓も並べるし、きちんと指導もして面倒も見ている(はず)。でもダメだ。まだ3か月弱しか一緒に仕事してないのに、これから何年も彼と一緒なのかと思うと非常に憂鬱だ。
今年に入って、就職を2年留年した大卒の新人がわたしの下に入ってきた。
とある中小企業のシステム部門で、実務を離れた上司を除けばたった4人の小さな部署になる。
先輩(8年目)、わたし(4年目)、後輩(2年目)、そして新人という構成。
年齢が 先輩>>>わたし>新人>後輩(後ろ三人は団子) となってしまうので、後輩が大人しい性格なのを考慮して、わたしはこの採用に反対だった。
小さい部なのに年齢が偏りすぎているし、なにより彼はシステム畑でもなんでもなく外大卒なので、完全に一からのスタートになる。
そもそも3人で手は足りていたわけで、2年も就留したような癖のある、知識もない上に年齢的にも扱いが面倒な人材を採る必要は全くなかった。
結局は「応募者の中で一番偏差値が高い大学」と言う上司と「真面目で好青年で受け答えがしっかりしている」と言う人事部長の決定が覆ることはないのだが、とにかく現場サイドからするといい迷惑と言うほかなかった。最初から迎合する土壌がなかったことに対しては、彼には申し訳なく思うが。
ちなみに彼のパッと見の印象は、
爽やか、挨拶はしっかりできる、敬語も(わたしより)しっかりできる、
リーダーシップがあって面倒見のいい凄い人
て感じだったらしい。
「ああ、営業で採ってもらえば良かったのにね」というのがわたしの感想だ。
始業時間になっても来ないので彼の携帯に電話をかけたのだが、まったく無関係のお宅に繋がった。
単純に彼がわたしに教えた番号が間違っていただけなのだが、それが発覚したタイミングが非常に良くなかった。
彼自身から遅刻の連絡がなかったこと、電話をかけたら赤の他人だったこと、
そして出社してきて「スミマセンでした」の後に続く言い訳がとにかく長かったこと、
いやそもそも遅刻に一番腹が立ったのだが、こうして色んな要素が重なったのは不運だと思う。
ともかく最初が肝心と思い、先輩と一緒に比較的きつめにお説教をした。
歳のそう変わらない女にお説教されて彼はいたく屈辱だったのか、あれから遅刻は今のところしていない。
「(わたし)さんより早く着くようにしてます!」って自慢げにお前は言うが、わたしら毎朝同じ電車だろうが。
ちなみに朝、道ですれ違っても目があっても、完全に無視されている。
それから、彼は酒の席の態度が悪い。
会社の飲み会、という席が初めてなので仕方がない部分もあると思う。
学生サークル独特のノリが出てしまうのも、多少は大目にみようと思っていた。
が、
店員さんに態度が悪い、言葉遣いが悪い
まさかの先輩も煽る
そして挙句に
「僕、めっちゃ飲めますから!」って豪語していたのに酒豪のオジサマ方に速攻潰されてリバースした挙句、飲み会の後半はグズグズと落ち込む
帰り道で「あ゛----!!」と叫びながらツバ吐いていたのも、お行儀が悪くてドン引きだった。
わたしが見るに、彼はもともと真面目でも好青年でもなんでもない。
趣味がDJとかクラブだとか言っちゃうあたりかなりチャラいし、生活態度も聞いている限りチャラけた感じである。
後輩への絡み方を見ていると「頭の悪いリア充?」って感じだし、機嫌が悪いときは本当に顔に出る。
大学も真面目に勉強していたわけでもなく、就活も真面目にやったわけでもなかったからフリーター。
わたしも超氷河期に就活をした世代だからこそ、彼がどの程度真剣だったのかぐらいはわかる。
だから、彼の耳触りのいい優等生的な喋り方も、態度も、姿勢も、なにもかもが嘘くさく見える。
「(わたし)さんは優しいですよ」って彼が言うたび、「嘘つけこのペテン師め」と思う。
朝、完全無視するくせにね。
「それが大人になることなんだ」という人もいると思うけど、わたしは好きじゃない。
こんな裏で何を言っているのかわからないような、腹の探り合いみたいな人間関係がクソほど嫌いなのだ。
だからこそわたしはこんな小さな場末の会社で細々と仕事をしているのだろうし、社会人として~なんて4年目にもなって怒られるんだろうと思う。
でも、嫌いなものは嫌いだ。わたしはヤツが大嫌いだ!!
彼は現在、体調を崩していて、偏頭痛は止まらないみたいだし、神経性胃炎だそうで。
そら、そうなるよな というのが素直な感想。
自分の本質とは全く別の人格で、毎日7時間も椅子に座っていなきゃいけないのだから、辛くないはずがない。
彼はしきりに「勉強が好きです」「早く仕事を覚えて役に立ちたい」と言っているけど、あれはわたしたちではなく自分に言い聞かせる意味で言っているのではないかと最近思う。
わたしも後輩も難なくこなした課題に大きく躓いていることも、彼のプライドに大きく傷をつけたことは間違いない。
躓くこと自体は何も問題はない。畑が違うんだし、こっちも3か月そこらでマスターしろとは思っていない。
コミュニケーション能力に自信があったからか、わたしたちとの関係がギクシャクしてしまっている現状にショックが大きいようだ。
「近所がリフォームしてから、生活音がうるさくなって寝れない」とぼやくのも、時期を照らし合わせて見ても、おそらく彼の神経が過敏になっているだけのように思える。今まで気にならなかったのに、リフォームしただけで椅子を引きずる音で寝れないとか普通あるのかな?
自分も新人の頃、小さい粗(と思っていたのはわたしだけだが)に文句をつけられ、ハミ子にされ、悪口を言われて孤立させられて大変だったから、あのころわたしを苛めた係長(異動した)やお局様(今は仲良し)みたいにはなるまい、と固く心に刻んていたはずだった。
今も「新人には優しくすべき」「あの頃のわたしは酷かったから」と思っている。
が、やっぱりわたしは彼が嫌いだ。
わたしの可愛い後輩を茶化す態度もむかつくし、取り繕った態度はバカにされてる気分だし、
それと同時に、時折無意識に、彼に嫌味を吐くわたしがいやだ。
社会に出たばかりで戸惑う彼に対し、こうして匿名でネットの海に暴言を吐く自分がたまらなく醜く思えていやだ。
新人に裏でケチをつけるお局になってしまったんだと、彼の言葉を素直に受け止めるられないほどひねくれてしまったのだと、
自身にショックを受けている。
ただ、この薄汚れた彼に対する憎悪の気持ちは、少なくとも他人には吐き出していない。
いない、はず。
いやすみません、先輩と後輩とオカンには言いましたけど、それ以外には断じて喋っていません。
ただわたし、割と感情が顔に出るそうで…
今、彼は三日間にわたる外部の研修施設に行っている。
粗相がないかは心配だが、彼と顔を突き合わせなくてすむ現状に、わたしはいまホッとしている。
先輩と、わたしと、後輩は、すごく仲がいいのだ。
三日間だけ、彼が来る前の和やかな部屋に戻るのが嬉しい。
わたしはお局になってしまったんだなあ。