はてなキーワード: 俺様とは
もう一人でいいやと思って一からやり直しをして別人としてプレイすると自分の悪口を言ってたのを聞いてしまい人間の汚さが分かって嫌になる。
フレンド登録とかしたもののまったく遊ばないゴーストフレンドとかいるのが嫌。
相手のプレイスキルの方が高いので自分がいてもしょうがないと思ってパーティを抜けると、何か悪いとこあった?と聞かれるのが嫌。
ネカマが多すぎてキモい。リアルの性別じゃないと作れないようにしてほしいけど無理そうなのが嫌い。
一人で戦うと時間がかかりすぎて辛い。みんなで戦うと速攻倒せて面白くない。
自分がそのゲームの主役みたいな扱いは絶対にされない。公式からあなたは今回の主人公(MVP)に選ばれましたか言ってくれないし廃人くらいしか認定されない。
要約すると、「他人が俺様の思い通りに動かないのが嫌だッッ!!」ってこと?
ゲーム向いてねーよww
昔からルーズでヘラヘラしてたけど、愛されキャラって言うの?叱られつつも気に入られる魅力的な奴だった。
大学で会って、研究室も隣で、毎晩のように学食で蕎麦すすっては肩組んで俺の部屋に帰り雑魚寝する大の仲良しだった。
就職してからはお互い会うことも随分減ったけど、年に5回程度、安居酒屋で呑んでは〆の蕎麦屋に繰り出し、やっぱり肩組んで俺の家に縺れ込んでは呆れた妻に2人一緒に締め出される仲だった。
4、5年前に、デートをすっぽかし過ぎて彼女に振られた〜つって泣くから、俺の妹の友人って子を紹介した。どうせ彼女の二の舞さだとか笑ってたのに、ハイスペ美人で超真面目なその子と、ゆるゆるルーズで適当なそいつは妙にウマがあったらしく、紹介した一年後には結婚までしやがった。ご祝賀に幾ら払ったと思ってんだこの野郎。
お互い結婚してから、俺も子宝に恵まれて、こりゃあ前みたいに呑みには行けねえななんて笑ってはいたけど、やっぱり半年に一回程度はおんなじように飲んで、おんなじように蕎麦啜って、俺ん家に帰宅しては、娘に足でつつかれてた。
ちょうどそのぐらいの頃だったか、変な咳するようになってて、心配だからテメェ病院行けよとかいうんだけども「うんうん」頷くものの次会った時に聞くと行ってないってのの繰り返しで
奥さんも痺れを切らして無理矢理病院に連行したときには、結構進行してた。
とは言っても、ガンなんて最早死ぬ病気ではないから、通院して抗がん剤治療、仕事も暫く休職して、目処が立ったら復帰ってことに決まって、まあまあ良かっためでたしめでたしって予定だったのに
あいつ、病院にちゃんと行ってなかったんだと。医者も困り果ててて、治るものも治りませんからね!とかちょっとばかしキレてたらしい。俺はそいつの奥さんに呼ばれて説教しに会いに行ったのに、病室で痩せ細って、ガン独特の匂いのするあいつに会って落ち込んじゃった。
ADHDってのも考慮して、もう入院。手術します。治るまで退院させません。とか取り決めて、じゃあ頑張れよ、とあいつには言って、偶々あったそいつの主治医に謝って、奥さんにも「とんでもねえやつ紹介しちゃんてすみませんね」と誤って「ほんとに💢」と横腹に軽いパンチ食らって帰ってきて、心配で堪らなくて寝れなかった。
うちの妻に「死んじゃったらどーしよう」とか柄にもなく泣きついて、妻はやっぱり呆れて「○ちゃんの方が可愛そうだべさ」と憤慨していた。
それからね、早いもんだな。
すぐ逝っちゃった。ちゃんと抗がん剤治療受ければ治るって言われてたのにな。
なーんで、ちゃんと出来ないんだか。いっつもあいつを叱ってたんだよ。レポートの締め切り明日だけどやったか?今日の宿題持ってきた?卒論書いてる?就活してる?つって。せっついてせっついて漸く人並みに持ち上げてやってたの。
頭いいやつだったよ。結局勉強しなかったわ〜とかヘラヘラしてやってきて、余裕の最高得点。就職するって言い出した時も、先生達が慌てて「君は博士課程に行くべきだ」と説得しに来たぐらい。
誰にでも好かれてて、気前が良くて、裏表もなく正直で、自分にも甘い分他人にも甘い。だから一緒にいて疲れなかった。あのぐらいの年頃だと、みんなギラついちゃってて、何人とヤッたとか、いくら稼いだとか、社名を出せば余裕wなんつってエリートの俺様やってた中で、ほんわかヘラヘラしてるあいつは癒しだった。
ちゃんと面倒見てれば良かった。毎日LINEで病院行ったか聞いて、既読がつかなきゃ電話して、電話にできなきゃ家まで凸して首根っこ掴んで連れて行きゃよかった。自分の面倒は自分で、とかいうけどさ、それが出来ねえ奴もいるんだよな。自分の面倒も見切れない奴は死ねだとか、そんなこと俺には言えねえよ。自業自得なのは俺だ。奴が死んで悲しいのは俺だった。
愛されて、せっつかれて、叱られて心配されながら先に逝けて羨ましいよ。最後までずるい奴だった。
俺が後悔してる以上に、奥さんが後悔してんだよ。テメェはまた無責任にお腹に子供残して死ぬんだから。世話ねえよホント。
葬式で声もかけられなかった。ずっと泣いてたし、ごめんねごめんねって謝っててさ。謝るのはあいつの方だよな。自己管理もできない甘ちゃんが悪いのにな。どうしようもない奴紹介しやがってって妹にはどつかれた。
死んでもう二年経つけど、未だに蕎麦食えねんだよ。死んだのは冬だったけどさ、夏になると蕎麦食えねえせいで思い出すの。マジでくだらねえよ。ほんと、どうしようもない奴だった。
でも、惜しい奴を亡くした。
悔しい。
テメェのせいで今年も最悪の夏だ。
ちきりんの GoToキャンペーンの解説記事について、別ページに記した。
この記事は書きなぐった文章なので、批判を浴びた。そこで、改めて書き直す形で説明する。
──
※ ちきりんの記事は、「なぜ GoToキャンペーンを強行するか」について、役人の視点から解説したものだ。しかしそれでは、役人の都合が書いてあるばかりで、国民の視点がないので、国民の視点から物事をとらえ直す。
「1兆円を補助金にして、個人客の2兆円を引き出せば、3兆円の効果が出る。それは経済的に効果的である。一方、1兆円を観光業界に直接給付するのでは、1兆円の給付で、1兆円の効果なので、あまり効果的でない」
つまり、「1倍に対して3倍の効果があるから有効だ」というわけだ。
具体的には、次の記述だ。
コロナ対策費として、その 1兆円をそのまま旅館に支援金として給付しても、旅館の収入は 1兆円にしかなりません。
しかし、
国が1兆円を使って旅行費の3分の1を補助すれば、旅行に使われる費用の総額は、
国が出す 1兆円 + 個人が旅行費として負担する 2兆円 の合計 3兆円となります。
ちきりんの言うようになったとしても、その3兆円は、売上げだ。売上げの全部が所得になるわけではない。そのうちの大半は、原価となって、外部に流出してしまうからだ。
ちきりんの説明では、「1兆円を投入して、3兆円の効果が出る」というふうに説明しているが、それで増えるのは売上げであって、所得ではないのだ。ちきりんは「収入」という言葉を使って、売上げと所得を混同している。だが、売上げとしての「収入」がたくさん増えても、所得としての「収入」はたいして増えないのだ。
──
だが、それにも増して、もっと重要なことがある。それは「レバレッジの比率が小さい」ということだ。ここが、このキャンペーンの最大の問題だと言える。
たとえば、補助率が 20% であれば、1万円の補助金で、5万円の支出が生じるから、レバレッジの倍率は5倍となる。これならば、たしかに有効な政策となるだろう。私も反対しない。
ちきりんの説明では、1万円の補助金で、3万円の支出が生じるから、レバレッジの倍率は3倍となる。(補助金の割合は 33%である。)
「これならばそう悪くはない」と思う人も多いだろう。しかし、レバレッジの倍率が3倍であるというのは、嘘である。ちきりんのモデルは、嘘である。
GoToキャンペーンのレバレッジ倍率は、何倍か? 2倍である。たったの2倍である。
モデル的に言えば、観光業者は、政府から 100万円分の支出を受けるが、その支出を、100万円の現金でもらうかわりに、200万円の売上げ増をもらうだけだ。
この点を根本的に勘違いしている人が多い。たとえば、「京都某所で旅館を営んでいます」という人が、現金給付について、「多少の現金もらっても焼け石に水ですわ」と述べている。
だが、「 100万円の現金給付をもらっても焼け石に水」であるとすれば、「 200万円の売上げ増加」があったとしても、「焼け石に水」以下でしかない。「 200万円の売上げ増加」のうち、原材料費や光熱費で 100万円を支払ったら、残りは 100万円。そこから人件費を払ったら、あとはもう何も残らないだろう。(固定費もまかなえない。)
こんなことをするくらいなら、従業員を全員解雇した上で、給付金の 100万円をもらうだけの方が、よほどマシだ。それならば、固定費ぐらいはまかなうことができる。
( ※ あるいは、営業しないで、休業補償の形で、従業員の給料を国に払ってもらえばいい。この場合も、固定費ぐらいは払える。)
──
さて。以上の話の眼目は、「レバレッジ倍率が3倍でなく2倍でしかない」ということだ。以下ではこのことを説明しよう。
まずは、GoToキャンペーンの制度を正確に知る必要がある。情報は下記にある。
→ Go To Travel キャンペーンは7月22日から!その内容は? | LINEトラベルjp 旅行ガイド
ここで示されたモデルは、2名で4万円。1名2万円。
これに対して、政府の補助金は、宿泊に 7000円の割引で、地元消費に 3000円のクーポン券。合計で1万円。
このとき、政府の支出は1万円。宿泊施設の売上げは2万円。地元商店の売上げは 3000円。合計、2.3万円。
すると、「レバレッジの効果は 2.3倍だろ」と思うだろう。確かに、全体としては 2.3倍だ。しかし、宿泊業者に限っては、宿泊費の2万円をもらえるだけだから、2倍なのである。
たとえば、先の京都の旅館業者は、「政府から 100万円を直接もらっても焼け石に水だから、500万円ぐらいの売上げ増加があった方がいい」と思っているのだろう。しかしそれは「捕らぬタヌキの皮算用」である。実際には、「政府から 100万円を直接もらう」ことのかわりは、「客の売上げが 200万円だけ」なのである。100万円の利益(所得)を得るかわりに、たったの 200万円の売上げ増加があるだけなのだ。
──
では、どうしてこういう「当てはずれ」みたいなことになるのか? 換言すれば、どうしてレバレッジの倍率が著しく低いのか? そのわけを言おう。
レバレッジの倍率が著しく低いのは、このキャンペーンの目的が、「観光業界の支援」ではなく「金のバラマキ」(票の買収)であるからだ。
人々は、GoToキャンペーンを「観光業界の救済のため」と思っているのだろうが、本当はそうではない。そのことはレバレッジの倍率を見ればわかる。このキャンペーンの目的は、あくまで「金のバラマキ」なのである。それで票を買おうとしているわけだ。(だからこそ、買収のために、割引率を上げようとする。今回は割引率が 50%にまで上がっている。)
そして、その分、損をするのが観光業界だ。本来ならば自分たちが 100万円をもらえるはずなのに、現実には、得をするのは客ばかりであって、観光業界は 200万円の売上増加だけで、お茶を濁されてしまうのである。(割引率が高ければ、レバレッジ倍率が下がるからだ。)
《 注 》
さらに、別の面がある。GoToキャンペーンで1兆円を払ったからといって、それで3兆円の需要が丸々増えるわけではない。(1兆円は純増にはならない。)
そもそも「このキャンペーンがなければ需要がゼロになる」というわけではない。「コロナが収束すれば旅行をしたい」と思っている人は大勢いる。そういう人は、キャンペーンがあってもなくても旅行をするのだから、「キャンペーンによって増える純増の分」は、3兆円にはならないのだ。純増の分は、おおざっぱに、半分ぐらいだろう。
この分を差し引くと、実際には、1.2兆円の増加にはならず、その半分の 0.6兆円ぐらいの純増に留まりそうだ。
※ 一方、直接給付ならば、1兆円は丸ごと純増となる。
──
では、正解は何か? ここで、私の推奨を示そう。それは、「直接給付をせよ」ではなく、「5倍のレバレッジにせよ」だ。
先に「 GoToキャンペーンよりは直接給付の方がマシだ」と述べたが、それは「直接給付が最善だ」ということを意味しない。
先の比較はあくまで、「直接給付と2倍のレバレッジのどちらがマシか」という比較であって、「2倍のレバレッジよりは直接給付の方がマシだ」と結論した。
ただし、最善の策は、「直接給付」ではなく、「5倍のレバレッジ」である。(つまり割引率 20% である。)……これを私の結論としておこう。
※ 割引率 20%では、すぐには埋まらないだろう。だが、別に、すぐに埋まる必要はない。そもそも「夏の時期だけに観光客が急増して、秋以後はガラガラになる」というのでは意味がない。長期的に少しずつ、客が増えればいい。だから、割引率 20% でも足りるのだ。しかも、レバレッジが5倍だから、2倍のときよりも、総額は 2.5倍に規模が拡大する。
※ 地元クーポンは必要ない。それよりは、投入資金を値引きに集中して投入する方がいい。そのことで、割引倍率を高めれば、その分、客が増える。たとえば、レバレッジ倍率が5倍なので、客が大幅増になる。そうなると、いちいち地元クーポンを提供しなくても、地元経済は自然に潤うはずだ。(地元クーポンを使っても、現金払いがクーポン払いになるだけで、実質的な軽波及効果はほとんどないだろう。つまり、地元クーポンは、ただの無駄。)
《 蛇足 》
「いきなりレバレッジ5倍論を出すな」
と言われそうだ。済みません。レバレッジ5倍論は、前の記事(改訂前)の最後にも記していたのだが、本記事では唐突に思えそうだ。
ただ、それは仕方ない。本記事は、「レバレッジ2倍の GoToキャンペーンは駄目だ」と否定することが目的であって、「代案を出すこと」は目的ではないからだ。
しかし、代案を出さないと、「直接給付こそが最善だ」という主張だと勘違いされかねない。そこで、代案としての「5倍論」を出すことにしたわけだ。
唐突に見えるとしたら、ごめんなさい。
なお、「レバレッジ5倍論」とは言っても、私は「今すぐやれ」という主張ではない。「やるなら、あとで」という主張だ。
──────
「今すぐやらないと死んでしまう」というような解説をしているが、それは、今でなくて将来でも同じだ。今すぐ死ぬか、二カ月後に死ぬか、半年後に死ぬか、どっちでも同じだ。
つまり、「今すぐやったとしても、どっちみち秋には死んでしまう」というふうになる。秋には第二波が襲いかかってくるからだ。10月以後には、客が激減するだろうが、そのときにこそ、政府支援の意味がある。
ひるがえって、7月と8月は夏休みの需要があるだけ、まだマシだ。比較的マシである夏休みの時期に政府支援をしても、あまり意味がない。
どうせなら、状況のひどくなる秋以後に支援するべきだろう。(今は感染者の減少の方を狙うべきだ。その方法は下記。)
根源的には、GoToキャンペーンは、一切必要ない。最優先の課題は、感染者数を減らすことだ。
感染者数が大幅減少した水準(5月25日から6月24日の水準)をずっと維持していれば、GoToキャンペーンなんかやらなくても、夏休みには自然に大量の観光客が戻る。1円も使わないで、3兆円以上の効果が出る。
そして、そのために大切なのは、「感染を減らすこと」という目的を実現する手段である。それは、「多人数会食の禁止」と「マスク義務化」だ。この双方を実施すれば、東京都でも全国でも感染者は激減するだろう。以前の水準に戻すことも可能だろう。
しかるに、現実には、この双方が実施されていない。そのせいで、感染者数が急増する。こんな状態で GoToキャンペーンをやっても、「旅行すれば、旅行先で感染する」と思う人が、怖がって、旅行したがらないだろう。出した金が無駄になる。
そもそも GoToキャンペーンは、一切必要ないが、仮に実施するとしても、コロナが収束したあとのことだ。それならば、人々が安心して旅行に行けるので、金を出したことの効果がある。
実際、政府はもともと「コロナが収束したあとに GoToキャンペーンを実施する」と言っていたはずだ。その当初の方針をひっくり返して、「感染拡大のさなかに GoToキャンペーンを実施する」というのは、狂気の沙汰というしかない。
ちきりんは何やら弁解しているが、「経済を回すこと」ばかりを優先して、「感染の拡大を止める」ということをまったく失念している。
安易に GoToキャンペーンを実施すると、日本中をコロナだらけにしかねない。すると、緊急事態宣言やロックダウンにして、経済を全面ストップさせることになりかねない。そういうことになったら、日本は大損だ。
目先の GoToキャンペーンの利益にばかりとらわれて、将来訪れる大損害に気づかない。これでは、 損じゃね?
【 関連記事 】
https://anond.hatelabo.jp/20200718000431
【 追記 】
ブコメへの回答。
redra22 「わたしが言ってるんじゃなくて政府の役人はこう考えてます」という逃げ道を作ってるちきりんの手のひらからは逃げ切れてないなあ。
本記事は、ちきりんを批判したいわけではない。批判対象は、ちきりんではなく、GoToキャンペーンそのものです。
政府が GoToキャンペーンを推進して、ちきりんがその正当性を解説している。ここで、政府やちきりんを批判するのではなく、GoToキャンペーンそのものを批判しているのが、本記事です。
本記事の結論は「政府はけしからん」「ちきりんはけしからん」ではなくて、「 GoToキャンペーンをやめよ。かわりにコロナ対策をせよ」です。
ダメじゃないけど、効率が悪い。かなりの分は、輸入品を通じて、外国の業者の利益になる。日本国民の税を投入して、海外の外国人を支援するのでは、金が無駄になる。
そもそも、周辺を支援したいのであれば、周辺に直接金を投入すればいい。旅行関連業など。
困っているのは、業者であって、業者を利用する観光客じゃないんです。観光客にばかり金をプレゼントしても、助ける方向が間違っている。
なお、レバレッジを利かせたいのであれば、援助額を「半額の割引と贈与」なんかにしないで、「 20% の割引」にすればよかった。それなら、5倍の効果が生じる。このくらいの支援ならば、特に悪くはないだろう。
本記事で言う「利益」は、会計上の利益のことではなく、経済学上の「所得」のこと。原価を差し引かれない金のこと。これを会社がもらって、経営者と労働者が分けあう。1兆円は、法人所得と労働者所得に分かれる。当然、労働者にも多額の金が回る。
企業の決算で黒字が多額に出る、と言っているのではない。あくまで「あとで原価の分を差し引かれない所得」という意味だ。
Gim 「ちきりんは売上と利益を区別できていない」という増田の理解が浅い。もっと言うと間違い。この部分の言説は、ちきりんが正しく、増田が間違っている。極端な話で言うと、3兆円の原価分は別の誰かの売上になるため
こういう誤解をしている人が多いが、GoToキャンペーンは、「日本経済振興策」ではなくて、「観光業界救済策」である。
「観光業界を救うため」という名分で国費を投入するのに、観光業界とは別の業界を救うのでは目的に合致していない。
特に、海外の業者や、ボロ儲けしている小売業を救うのでは、意味がない。助けなくてもいいものを助けるから、肝心の困窮者に回す金がなくなる。
そもそも、3兆円も増えるわけじゃない。レバレッジの効果は 2.3倍だから、最大でも 2.3兆円でしかない。しかも、支出される 2.3兆円のうち、半分ぐらいは、もともと予定されていた旅行の分を置き換えるだけだから、純増は 1.2兆円ぐらいでしかない。そのうち半分が関連産業に回ったら、観光業に残るのは 0.6兆円だけだ。
実際には 0.6兆円しか増えないのに、3兆円も増えるというのは、ちきりんの計算が間違っている(甘すぎる)から。捕らぬタヌキの皮算用だね。
hdampty7 マクロ経済学だと入門だと思うんだけど「消費性向」とか「乗数効果」とか基本的な概念を把握した上で批判して欲しい。増田の言ってることはまさに政府官僚が目指していること、周辺への波及効果が高い政策。
(1) レバレッジの効果が 2.3倍しかないのが問題だ。5倍ならまだしも。
(2) 1兆円の利益を受けるのが客であって、観光業ではない、ということに気づくべし。似た例では、公共事業があるが、公共事業では利益を受けるのは国民であって、特定の一部国民ではない。このことに気づかないと、「国民一律に 10万円を給付するのも、俺様一人が1兆4千億円をもらうのも、経済波及効果は同じだ」という理屈で、特定の一人が利益を独り占めできる。
経済波及効果ばかりを考えて、利益を受けるのが誰であるのかを考えないと、「利口ほど詐欺師にだまされる(自分の金を奪われる)」という結果になる。
……こんなこと言うともう間違いなく、真の左右固定派にはぶちのめされる。
今は自粛してるけど、同人誌即売会でスペースの前で硫酸でもぶっかけられるかもしれない。
なのでこう……増田につらねるわけなんですけれども。
私は趣味で女性向けの二次創作――要するに非公式BLをかいている。
同じ趣味を持つ方ならなんとなく分かっていただけると思うが、どのジャンルのどのカップリングにも、相手や左右固定と名乗る宗派の人たちがいる。
それで、反対に私は組合せには殆ど拘りがない。もちろん好みはあるが、“組合せが理由”で読めないものが、どのジャンルでもほぼ存在しないのだ。
先に言っておくが、私には固定派の方々を責めるつもりは一切ないし、どちらが優れているとか、正しいとか、ポリコレが云々とか、そういうことを議論するつもりもない。
苦手なものも含めて自分を形づくる要素の一つだし、私も組合せに地雷がないだけで、シチュエーションとか物語の展開とかにはすごいめんどくさい地雷がある。
で。
本題に入るのだが、私はここ5年くらいずっと固定派になりたい。メチャクチャなりたい。
ライトな理由としては、ピクシブに投稿するときに楽だからだ(ぶちのめされそうな理由である)。
イラストを1枚ずつ投稿するのが主流の男性向けとは異なり、女性向け同人ではイラストや短編をかいたらまずツイッターにアップして、それがある程度の枚(本)数たまったらログとしてまとめて投稿、という形式が一般的だ。
この際にタグをつけるのだが、私の場合、普通にしているとタグがとっちらかってしまう。
あまりにいろんなカプをかいているため、つけるタグに死ぬほど悩むのだ。というか、あからさまに固定派には絶対的に優しくないログである。
検索避けのために、かいたカプは全部タグづけするか?とも考えるが、すぐに(全部1枚(本)ずつしかないのにタグをつけるのも、それオンリーのログを期待している人にとっては迷惑なのでは?)と思い直し、悶々としてしまう。
そんな訳で、もう3年くらい自分のピクシブアカウントにはオフ本のサンプルしかアップしていない。
正直に言おう。
本当に、本当に本当に羨ましい。
閑話休題。
非固定派は生きにくい。……いや、それだけでは言葉足らずだろう。
ひとりで楽しむぶんには、おそらく地雷が少ないほうがハッピー二次創作ライフを送れるのだろうと、私も考えている。なにせ見られないものが少ないし、それなら見ないようにする努力にパワーを割かなくて済む。
先日某字書き漫画がバズった際に見かけたツイートの中に、「我々は結局、趣味だからといって“社会”をやることからは逃れられない」という趣旨のものがいくつかあった。
そして、社会をやるためには、「何処かに属さなくてはならない」のである。
これが難しい。何せカプが固定出来ないので。女性向け同人において、どのカプを嗜好するかというのは、あまりにデカい“所属”なのである。
ツイッターのbioに「A×B」と表記することで、我々は取り敢えずの“所属先”を得て、社会に参入している。「ABの女」として。
これだけのことが本当に本当に難しくて、もう5年も悩んでいる。
実は5年前に持っていたツイッターのアカウントでは、「AB中心B受け」とbioに掲げていた。
当時は良くも悪くも素直なコドモだったので、界隈とは関係なく自分が何を好きかとか、AB界隈の雰囲気とかに疑問を殆ど持たなかったのだ。だからまあ……ピクシブで日夜CAやBAを検索して、ブクマもそこそこしていようと、自分は「AB中心B受け」の女だと思っていた。ツイッターでは本誌でBが活躍した話ではしゃいだり、ABの妄想ツイートをしたりして、楽しんでいた。そこになんの矛盾もなかった。
でも諸事情で一度アカウントを消し、1年くらいツイッターをやめた。
1年間ピクシブとカプサーチ(当時もうピクシブの時代だったが、ジャンル自体の連載開始がサイト時代だったので)で供給を得、自分も何本かかいてピクシブやサイトに投稿した。
1年後、ツイッターアカウントを新たに取得して、私は愕然とした。
私は社会に馴染めなくなっていた。
現在私は5年前と違うジャンルにいるが、良い出会いに恵まれ、ツイッターでは好き勝手な呟きをしている。
けど現在のジャンルは男女カプだから、BLではまた勝手が違うよなあ……とも思っているのだ。
なんでかというと、最近またBLカプにハマって、できれば交流をしてみたい、と感じるからだ。私も社会をやってみたい。
けど私は非固定だ。ABもBAも読む。どっちも好きだ。そしてAというキャラクターは、「攻めにしたい人と受けにしたい人の間には、相互理解は難しいだろうな……というレベルでの解釈の断絶がある」。
ちょっとぼかした言い方をすると、「いざという時頼りになる俺様攻めかエッチな年上受けか」みたいなものだ。平成の攻めが好きか、令和の攻めが好きか、みたいなモンだと思って欲しい。
固定派が多いのだ。
そして私自身、固定派の多いカプにハマるのもこれが初めてではない。
そのたびに両方の界隈を外から眺めては(入れないな……)とハナから諦めてきた。
ここ数年、即売会で本を2、3冊出してそのままジャンルを去る……みたいなことを何回か繰り返している。大抵私を挟んだ両隣はお友達である。まあ当然だし仕方ないが、普通に寂しい。
だけど今回は、社会をしたいのだ。私だって、コミュニティの一員になってみたい。交流をしたい。
固定しなくても社会がやれない訳じゃないとは思う。
でも固定派の方が圧倒的に社会はやりやすいのだ。所属がはっきりしているから。
しかし、それで自分にも他人にも隠しごとをしてABないしBAの村で生きていくのって……どうなの?と最近よく考える。人狼ってこういう気持ちなんだろうか。
本当につらい。
アマプラがなぜか台湾BLドラマを勧めてきて、なんとなく見てしまった。
私は女性でBL漫画はまったく読まないわけではないが、積極的に読むいわゆる腐女子ではない。
実写BLは、少女漫画的な世界観を生身の人間がやってるのを見る気恥ずかしさに耐えられそうになくて見たことがなかった。
でもまあSNSを見るにタイBLドラマが流行ってるらしいし、45分×全4話なら短いし見てみるかという気になった。
見たのは『是非』という教授×大学生もので、教授のビジュアルが好みだったのでこれにした。
結論から言うと、ベタなシチュエーションの連続で、そういう場面でスローになるわトゥクトゥーン的な音は入るわで見ていてやっぱり気恥ずかしかったが(そもそもど直球な恋愛ものをあまり見ないのだ)、いろいろと思うこともあったので見てよかった。
まず、ゲイカップルがわかりやすくハッピーエンドになるのは「もっと現実もこうなればいいよね」というポジティブさがあってファンタジーとしていいなと思った。
(同性愛を扱った一般の映画だと、現実社会を背景にしているので大抵ハッピーエンドにはならない)
ラブシーンがきれいで脚本にも演者にも照れや茶化しがなかったのもよかった。
あと、この組み合わせだと教授が未成年に手を出す(クソ野郎な)のかなと思ったらその辺も上手くフォローされてたり、教授が俺様という設定上パワハラ気味なのも一応は作中で突っ込まれてて、気遣いが行き届いてる。この辺はかなり今風だし感心した。
一方、くっつく前の主人公たちを見てモブが「BLだうふふ」みたいなシーンが数カ所あるのはちょっと気になる。
セリフ自体は善意から発したものだけど、なくてもいいし「きゃーBLだー」というノリで勝手にスマホで写真を撮るのは完全にアウトだろ。
それと「好きになったのがたまたま男だった」はキャラとしてはそうなのかも知らんけど、台詞として古いなーと思うので、もう「考えたことなかったけど自分はバイでした」でよくないか。
それにしても、凄まじい展開の速さで出会いからくっつくまでやってベタな展開を一通りこなしてノイズは極力無くす作りで、BLというか恋愛ものとしてサービス満点だった。
このジャンルはツボをついてなんぼだと思うけど、台湾BLすごい。
これから作り続けられたら色々な面で洗練されていくんだろうなと思う。
最後に同性愛を扱った映画について、全体のトーンが明るくてハッピーエンドの映画はあったかなと考えていて、橋口亮輔の「ハッシュ!」を思い出した。
見返したくなったけど配信はないみたいだ。久しぶりにレンタルするかなあ。この作品以降でこういうトーンの映画ってあるんだろうか。あれば見てみたい。
人間誰でも怖いものってぇものがあるもんなんですが、それは何故かってえと、中学時代にオナニーするだろう?その時に出会った恐ろしい上級性癖が そいつの怖いものになっちまうもんなんだ。
三吉「お前が家庭生活や学校生活でえられなかった性癖よ。それで、八ちゃんは何が怖えぇ?」
三吉「じゃ、お前ぇが昔、両親がやってたボテばら殴りセックスをたまたまのぞいちまった記憶。あるいは偽の記憶がコエェんだよ。半ちゃんは何が怖えぇ?」
半介「俺はスカトロだ。 糞はけつ穴をほじくるってぇと出てきやがって、くせぇしでかいし、テラテラ光る表面を見るだけで怖気がとまらねぇ。俺はスカトロとスカトロ好きな神絵師が大嫌えだ。三ちゃんは何が怖えぇ?」
三吉「俺かい。俺はふたなりがいやだ。 女にあんなデカイチンコがあったらどうしよう? ふたなり同人を読んでも何役の誰に感情移入したらいいかわからねぇ。ふたなり射精狂い女騎士にだけはなりたくねぇ。ところで、正ちゃん、お前さっきから黙っているけど、お前ぇの怖いものはなんだい?」
正一「怖い性癖?そんなものはこの俺様にはあるわけねぇーだろ?ガハハッ!俺様はなぁ、オタクの頂点ってぇくれぇのものだ。同人界の中で一番偉ぇんだ。その買い専様に怖いものがあってたまるかい。俺には怖いものも嫌いなものも断じて無ぇ。」
三吉「しゃくにさわる野郎だねぇ、嫌いなものがひとつも無ぇなんてよぉ。 何かあるだろうよ!! たとえばBOREなんかどうだい?」
正一「嘔吐系?吐瀉物なんかシコシコだね!吐瀉女なんか、あとで俺が全部ズーッ!ズズーってすすってやんだ!小五ロリが宿泊研修のバスではいたエマージェンシー袋なんて大好物だね!」
三吉「じゃ、ハイレグとか、石造なんかどうだい?」
正一「ハイレグ洗脳?石像化?あんなもの俺は時間停止ものにして食っちゃうんだ。寝取られなんかも人妻浮気ものに客体化してくっちまうんだ!母親寝取られなんていいね〰︎!うちの婆さんがヒイヒイ言ってるの想像すると勃っちまうよ!」
三吉「本当に癪にさわるやつだな。じゃ、いいよ、ドラゴンカーセックスやなんかじゃなくてもいいから嫌いなものは無いかい?」
正一「そうかい、それまで聞いてくれるかい? それなら言うよ。俺はねぇ、巨パイが怖いんだ!!」
三吉「なに、巨パイ??巨パイってデカパイとか巨乳っていわれてるやつかい。業界で一番売れてる巨乳かい??」
正一「そうなんだ、俺は本当はねぇ、情けねぇ人間なんだ。みんなが好きな巨パイがこわくて、見ただけで心の臓が震えだすんだよ。そのままいるときっと死んでしまうと思うんだ。だから、街で巨パイの前を通るときなんど足がすくんでしまって歩けなくなるから、どんなに遠回りでもそこを避けて歩いているんだよ。江戸は近頃馬鹿に巨パイ・デカパイが増えたので、俺は困っているんだ。ああ、こうやって巨パイのことを思い出したら、もうだめだ、立っていられねぇ。そこへ寝かしておくれよ。」
(八五郎、三吉と半介の三人は、正一が寝ている間に茶屋のデカパイ小町を呼んできてそれを枕元に置いて、正一が起きたらそれを見て恐怖のあまり死んでしまうようにしようと衆議一決。)
「「かまうもんか、あの野郎が死んだって、殺したのはデカパイであって俺たちじゃねぇ」」
三吉「おい、奥でごそごそいい出したぜ。野郎起きたんじゃねぇかい。障子に穴を開けてそっと見てみようじゃねえかい」
八五郎「おい、大変だ!! 野郎泣きながら、巨パイをちうちうすってやがるぜ!デカパイが怖いってのは嘘じゃぁないかい!!?」
(障子を開けて)
「「おい、正ちゃんよぉ!! お前、俺たちに饅頭が怖いって嘘をついたなぁ。太てぇ野郎だ。本当は何が怖いんだい???」」
正一「ごめんごめん、いま巨パイがまぶたに当たってに苦しいんだ。本当は、俺は「巨パイとのゴムなし本気セックス」が怖えぇんだ」
以上。
「遠くに仰ぎ見る尊敬できる対象」と「身近で常に支えてくれる大好きな対象」は、子供にとってどちらも有益な大人ロールモデルらしくて、それが両方あることが精神的な成長には望ましいらしいね。だから、親は、前者の役割と後者の役割をある程度分担した方がいいのかもしれないとは少し思う。後者が二人いるだけだと「理想」とか「あこがれ」の対象となる大人モデルを得られなくて、割とつまんない現実的な子供になっちゃうんじゃないかな。
…と聞いて「ホラ伝統的親父ロールをやってる俺様には存在価値ガー」と安心する人には一応言っておくけど、前者は不在であってもいいらしいからね? いわゆる「死んだとーちゃんはねぇ…」という物語でも、子供は「理想としての大人モデル」を形成できるそう。だから、上手にハンドリングさえできれば、現実の家庭内に父親の存在ってのは、子育て上は必要ないわけでもあるんだよ。
と、ここまで書いてボクシングを題材とした漫画で〈両親の不在〉「あしたのジョー」、〈父親のみ存在〉「がんばれ元気」、〈母親のみ存在〉「はじめの一歩」のうち、一番人格が破綻してないのは一歩だよなあ、やっぱり「とーちゃんは偉大だった」と言いながらかーちゃんが育てたからかなあ、と思った。
昭和の少年漫画で主人公がエッチなセクハラをしてヒロインが怒って暴力ふるう
↓
読者から批判を受けて主人公からセクハラ属性が減るがヒロインは人気のためそのまま
↓
昭和の少女漫画の主人公って遅刻するわとんでもないミスするわで周りに迷惑かけまくる女なんだよね
(そうすることで話が進む)
で、そんな主人公を叱責する男キャラとただ優しいだけの男キャラだったら
前者に惹かれるだろ
だんだん失敗しない、むしろ周囲の人間より優れてる主人公が増えてきた
そうすると普段失敗しない主人公のミスを責める嫌な俺様キャラと
頑張ってる主人公を優しく褒めて見守ってくれる好青年キャラとなり
ただ優しいだけだった男は好青年ともてはやされるようになったわけ。
人類「どうして敵だったはずのおまえがこんなことを……!!言えっ!なぜだっ!?」
旧型コロナ「グフッ……言った……だろ……?おまえをパンデミックにするのは俺様だって……グバッ」
人類「……!もういい!これ以上しゃべるな!」
新型コロナ「愚カナ……タカガ人類ヲ庇ッテ、我ガ〈死ノコロナビーム〉ヲ、真正面ニ受ケルトハ……コロナノ風上ニモ置ケヌ愚物ヨ」
人類「ッ!?貴様……それ以上旧型コロナを侮辱するなっ!!!」
旧型コロナ「(ガシッ)待て……俺にやらせろ。やられっぱなしは……性に合わん」
新型コロナ「ソウダソウダ」
旧型コロナ「ふん……忘れたのか……2020年現在、治療法の定まっていないコロナウィルスは……Covid-19だけじゃあ、ないんだぜ?」
人類「ま、まさか!?それをやったら、おまえはもはやおまえじゃーー」
旧型コロナ「じゃあな、人類……おまえと戦った中東や中国での日々……楽しかったぜ」
旧型コロナ「喰らえーー
突!然!変!異!」
\ピカー/
新型コロナ「!?馬鹿ナ……塵ノヨウナ旧型ノ感染力ガ爆上ガリシテユク……!?感染力4万……8万……28万……マダ上ガルノカ!?」
人類「これは……もはやエアロゾル感染なんてレベルじゃない……旧型……おまえはもう……」
〜〜【回想・広東省にて】〜〜〜
人類「大切な人を守るためだ!」
旧型コロナ「フ……今のおまえでは俺には絶対勝てない、としても?」
人類「大事なものを守るためならなんだってやる。貴様を倒すためなら悪魔と取引して怪物にだってなってやるさ!」
旧型コロナ「フフフ……」
〜〜〜【回想終了】〜〜〜
旧型コロナ「(人類ーーおぼえているか。あのとき、俺が笑ったのはおまえを嘲ったのではない。自分を嗤ったのさ。『大切な人を守るためなら怪物にだってなる』とためらいなく言い切ったおまえを羨ましがる俺自身に気づいてな……)」
旧型コロナ「(感謝するぜ、人類。俺はおまえのおかげでようやく俺にも「大切な人」ができた。自分が自分でなくなったとしても救いたい相手がーーそれはーー)」
新型コロナ「インフルエンザノ2万倍ノ感染力ダト!?ソンナノアリエルワケガーーエエイ!突撃ダ!」
旧型コロナだったもの「ウゴゴゴゴゴゴゴオゴゴゴオオオオオオオ!!!」