はてなキーワード: 五条とは
起きたら11時25分で、そのまま布団で二時間ごろごろしていたら、かつてこの地で一緒に学生生活を送り、遠くに住んでる友達からLINEが来た。
しまむらオンラインと一部店舗で、ちいかわのピアス3組セットがゲリラ的に販売開始したらしい。
オンラインはすでに品切れ…ピアスをあつめていてちいかわが好きな友達はずいぶん悔しがっていた。
いま住んでる県内に「一部店舗」もないそうだが、調べてみたら、私は自宅から自転車で30分くらいのところに「一部店舗」があるらしいので、急遽出かけることにした。
ちいかわのピアスの在庫の確認に行く、予定にない一日がはじまった。
ごろごろ至上主義者なので、本来なら生まれるはずのなかった一日が生まれたのだ。
しかしまたがった瞬間、前輪の空気が全ぬけしていることが発覚、慌てて家の斜め前の自転車屋さん(私の自転車の故郷でもある)に空気を入れてもらう。
ここにこの自転車屋さんがなければ、はじまったばかりの私の一日は終了していただろう。
「半年のらないと空気もぬけちゃいますよね」と言いながら、放置状態が長くて汚れていた私の自転車をクリーナーで拭いてくれ、大変恐縮する。
出際には「気を付けていってらっしゃい」と言ってくれた。
予定になかった一日の、予定になかった言葉で、とてもうれしくなる。
縁あってここに住んではいるけれど、地元ってわけでもないので道がよくわからない。グーグルマップを頼りによろよろと自転車をこいでいく。
行ったことがないところにグーグルマップ頼みで行くと、めちゃくちゃ唐突に着いた感じがすることがあるが、今回は最上位のそれ。
ほんとうに唐突についたので、友だちに「なんか着いた」と、ナガノ的な言い回しで到着を報告した。
普段は地下鉄のエスカレーターにばっかり乗っているので、その遅さに驚く。高齢者や子どもがよく乗るからだろうか?
予定にない一日の、予定にないエスカレーターの遅さだ。
ちいかわのピアスは売り切れていた。ピアス売り場の広告の品のポップの下がごっそり空いていて、ああ、ここにちいかわがいたんだな…と感じられたけど、
念のため、モップ掛けをしている店員さんがいたのできいてみようと後をついていく。
しかし彼女、しまむらの通路を予測不能な経路設計で進んでいくのでなかなか追いつけず、期せずして謎のダンジョン感が出た。予定外のダンジョン。
やっとおいついた店員さんに、申し訳なさそうに「ちいかわもうないんです」と言われ、友達に「ちいかわもうないんですって言われた」、とLINEで報告したら
することもなくなったので、そのままイオンモール京都五条に行ってみた。ミリオンタウンのすぐそばにある。私は行ったことがなかった。
自転車をとめて入口に向かっていると、入口のそばにいきなりステーキがあるのが見えた。
まったく予想してなかったので、ちょっとはっとした。店名に恥じないいきなりステーキぶりだなと感心する。
中に入ったら今度はカルディがあった。今日は22時からオン飲みだからここでお酒を買って帰ろう。オリジナルのチューハイがおいしいとちいかわの友達が前言っていた。
カルディの前には生ジュースのスタンドがあって、カラフルなジュースの広告がキラキラしている。
これもいい、あとで買ってみようと思いつついったんスルー。なにも食べてないのでお腹がすいている、まずはごはん。
大学生だったころ、一回だけ北大路ビブレのバ~ミヤンに行ったことがある。それ以来だ。
予定外のバ~ミヤン。思い入れもなにもまったくなく、とてもすがすがしい。オーダーはタッチパネルで非対面ぶりが徹底されている。
どれも、びっくりするほどおいしいわけでもなく、顔をしかめるほどまずいわけでもなく、とても安らいだ。
ドリンクバーのオリジナルウーロン茶(冷)は、ちょっと茶葉を煮出しすぎたときのあの雑な渋みがあってとてもいい。
わたしはこの、煮出しすぎた茶の雑な渋みが好きなんだ…と気づかされて感慨深く、気持ちよくごくごく飲んだ。
予定外のいい発見があった。
食後には、凍頂ウーロン茶と仏手ウーロン茶を、それぞれポットでゆっくり飲む。
そんなことをしていたら、一階の生ジューススタンドのことがどうでもよくなってしまった。あるあるだ。
せっかくモールに来たんだしなとそのまま一周することにする。
イオンカードのポイントが、専門店で買い物すると10倍とあるのにつられて、秋の靴下を6足買った。3足いくらのやつを二組。
鞄屋さんで、地元にいる母が好きそうだなと思いながら赤い革の鞄を眺めていたら、控えめに「あててみてくださいね」と店員さんが言ってすぐ離れていく。
モールはキラキラしてるし、靴下も買えたし、ひとりでに「たのし~」と口から出てきた。予定にないことはなんでも楽しい。
京都も田舎だけど地元はもっともっと田舎で、イオンモールがもっと身近だった。どこのイオンモールも構造は同じ、期せずして故郷を感じる。
母と二人で行くと、思わずきゃっきゃとしてしまって楽しいんだよな。ゆっくりお母さんに会いたいなあ、などとしみじみ思う。
実家から離れて暮らす多くの人たちが、そんな気持ちでいる連休なんじゃないだろうか。
レモンのお酒と、白ワインのサングリアを買うつもりで並んでいたら、5倍希釈のレモネードのもとが並んでるのをみつけて、ついついそれも買ってしまう。
この前NHKの「ストーリーズ 事件の涙」で、バス停にいた路上生活者の女性が急襲されて亡くなった事件を扱っていた。
そのとき、生前、すでに路上生活者となっていた彼女、大林さんが、ショッピングモールのエスカレーターのそばでキャリーバッグを持ってうなだれている写真が出てきた。
今日とても楽しかったから、帰る前に振り返ってもういちどモールの中を眺めていたら、頭にその写真が浮かんできた。
彼女は私だと思う女性はたくさんいて、私もやっぱりその一人だ。
今は買い物をしている側だけど、結婚も仕事もしているけど、それで安定しているというわけでもない。
大林さん、何かひとつボタンを掛け違えていた自分なんだ、あるいはこの先の自分なのかもしれないな、そういうことを思いながら自電車を漕いで帰路に就く。
もう夕方になっていた。
古い美容室の前を通りかかったら、女性のお客さんが出てきて、そのあと店内の明かりのトーンが少し下がった。
ああ彼女は最後のお客さんだ、髪色が明るく、ぱりっとしたパーマがかかったご婦人。彼女のリニューアルした髪の毛を、美容師以外で最初に見た他人は私だ。
これも、ほんとうならなかったはずの今日の、全然予定にないことでちょっとうれしい。
わたしなんかでよかったのかなあと思いながら、似合ってますよと心の中でいって自転車をこぎ続ける。
ガソリンスタンドの前を通りかかる。私が通ろうとしているので、スタンドから出ていこうとする車を、店員さんが手で制している。
今日私がちいかわ探しにいかなかったら、この車はここをすんなり出て行ったんだろうなと思いながら、店員と車に会釈をして通り過ぎた。
ガイドブックにも載ってない、小さな神社の舞殿が、橙色の献灯で照らされいて美しい。
いつも電車の中から裏側を見ている整骨院の、表側を通り過ぎて行く。
「○○施術院」とだけ看板の出ている普通の民家、「どんな施術を…」と、なぜかちょっとエロい妄想をしてしまう。
空気を入れてもらった自転車屋はまだあいていて、お礼が一言いいたかったけど、店員さんは奥にいたから声をかけるのはやめて通り過ぎた。
なぜならば、ファンシーショップSPANK!の商品には違法性はないのに対し、まんだらけ禁書房で売られている商品には違法なものが含まれているからだ。
違法な物を販売する店とそうでない店が対立しているならば、違法な物を売っている店が譲るべきなのは当然のことだ。
そう言うと「まんだらけ禁書房のどこに違法な物が売られているのか。本当に違法な物が売られているならば警察のガサ入れが入っているはずだ」と考える人もいるかもしれない。
だが、単純に考えてみてほしい。交通違反のうち全体の何%が取り締まられているだろうか。それと同じだ。まんだらけ禁書房で売られている商品は、警察が取り締まっていないだけで本来違法である物が含まれている。具体的には、2000年頃に売られていた成年コミックだ。
「成年コミックが違法だなどとは聞いたことがない。未成年に売らなければ合法なはずだ」と思う人もいるかもしれない。だが、その認識は誤りだ。成年コミックのR-18(というか『成人コミック』表示)はあくまで出版社が自主的につけているものであり、『この本を未成年に売ったら違法(正確には条例違反)』であることを示すものではあるが、『この本は刑法175条に違反していない』ことを保証するものではない。
わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役若しくは二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。
では成年コミックは刑法175条が定めるわいせつな文書、図画に該当するのか。これについては判例がある。
平成14年刑(わ)第3618号
判 決
https://web.archive.org/web/20090228045346/http://picnic.to/~ami/news/etc/040122hanketsu.txt
>a なお、弁護人らの主張に即しつつ若干補足するに、関係各証拠によれば、弁護人らが主張するように、本件による摘発以前には、捜査機関によって漫画本がわいせつ物の頒布等の罪により摘発されたことがないこと、本件漫画本を構成する9つの短編はいずれも、平成13年8月から平成14年4月までの間に発行された松文館発行の雑誌「姫盗人」に連載されたものであるが、その連載中に、その作者である××や被告人ら同社関係者が行政庁や捜査機関から指導や捜査を受けた形跡のないこと、弁護人らが証拠として提出した性交性戯場面を露骨に描写した図画の掲載された漫画本、雑誌等が、平成11年ころ以降に現実に販売されて流通しており、今日まで摘発されていないことが認められる。(中略) C さらに、関係各証拠によれば、捜査機関は、本件漫画本について捜査情報が得られるや・早期に摘発に及んでいることが認められる。また、被告人の公判供述によっても、新しい出版社から修正のほとんどない漫画本が出版され始めたのは、平成12年ころであったというのであり、弁護人らが提出した漫画本がいずれも平成11年12月以降に出版されたものであることも考慮すると、本件漫画本と同様に露骨で過激な内容の漫画本が社会に出回ったのは、本件漫画本が摘発される前の三、四年間にすぎなかったものと認められる。さらに、平成10年ころ以降刑事事件、とりわけ凶悪事件の認知件数が激増していることも考慮すると(各年度の犯罪白書によると、殺人又は強盗(致死傷・強姦を含む。)の認知件数の合計は、平成9年が4091件、平成10年が4814件、平成12年が6564件、平成14年が8380件に及んでいる。)、捜査機関が漫画本に対する摘発をしなかったのは、凶悪事件等の捜査に忙しい中、その限られた人員や捜査能力を振り向ける対象として漫画本を想定していなかったためにすぎないとうかがわれるのであり、本件漫画本と同様の漫画本等が流通していることを承知していながら、あえて摘発せず放任していたなどとは到底認められないのである。(中略)
>e そうすると、弁護人らが指摘する事実を踏まえて検討しても、本件漫画本を許容するような健全な社会通念は、今日も存在しないというべきである。
つまり、松文館事件で摘発された成年コミック『蜜室』だけでなく、同程度の修正しかされていなかった平成10年頃の成年コミックは摘発されていないだけで本来は違法な物である。裏ビデオと同様の存在だ。そのように地裁の判事は述べており、また二審でもこの点については否定されていない。
よって、2000年頃の成年コミックはわいせつ図画であり、違法である。そのような商品を扱っているまんだらけ禁書房の方が譲るべきである。
第八十五条 都道府県知事は、大規模な武力攻撃災害が発生した場合において、避難住民等に対する医療の提供を行うため必要があると認めるときは、医師、看護師その他の政令で定める医療関係者に対し、その場所及び期間その他の必要な事項を示して、医療を行うよう要請することができる。
2 前項の場合において、同項の医療関係者が正当な理由がないのに同項の規定による要請に応じないときは、都道府県知事は、避難住民等に対する医療を提供するため特に必要があると認めるときに限り、当該医療関係者に対し、医療を行うべきことを指示することができる。この場合においては、同項の事項を書面で示さなければならない。
3 都道府県知事は、前二項の規定により医療関係者に医療を行うよう要請し、又は医療を行うべきことを指示するときは、当該医療関係者の安全の確保に関し十分に配慮し、危険が及ばないよう必要な措置を講じなければならない。
結局、社会や組織をどのように統治すべきか という意識が強くなってる
民主党政権の瓦解なんかが象徴的だけど、結局単に体制を批判するだけではだめで
如何に統治していくべきか?
って言うのが社会から注目され始めて、最近の漫画だとそれを踏まえたテーマが大きくなってきてる。
もちろんそうじゃない作品も多いけど。
体制の外側から文句を言ってとりあえずてきたおして終わりじゃ読者側が納得しなくなってんのよね。
一体体制の何が問題で、どこをどうするべきなのか?に焦点が移ってて、単に反体制側だとそれが描けない。
物語の視点となりやすい主人公側が体制の一部となって、一体何が問題なのか?
っていうのをまず炙り出すには反体制側に属して体制を撃退するだけじゃ描写として焦点がぼやけちゃう。
進撃の巨人なんかは典型例だけど、クーデターを起こして体制を倒したはいいもの、調査兵団は結局情報隠ぺいを図ってファシズムを助長してしまった。
ヒロアカなんかも一人のカリスマに頼った治安機構・組織がいかにもろくて歪な状況を作り出すのか描いてるよね。
オールマイトが強力な比重を占めていた状況からジャンプらしく組織・チームで対処すべきでは?という方向性に話がなってる。
呪術廻戦も五条のように体制に所属しながら、上層部と反目しつつも決して 物理的に倒したりはしない(五条なら本来はできるはずだよね?)
そして羂索と九十九由基の間で、呪術社会がどのようにあるべきなのか、という思想がはっきりと示される。
そういう統治の難しさを描く方向性にすでにフェーズが移ってる。
なので社会の中でアウトサイダーや一匹狼が主役足りうる時代では既になくなってる。
少年マンガって伝統的にこの葛藤を抱えてる気がする。主人公サイドは絶対に「倫理的な正しさ」を担わないといけないので、作者が悪者の側に感情移入して描いてると感じることがしばしば(で、主人公が空気みたいに存在感なくしてるパターンも割とあるw)。話の展開上、最後は必ず主人公サイドに勝たせないといけないんだけど、哀愁と「別の正しさ」と持った悪者が退場する時に滅びの美学がある…みたいなのが割と典型的な物語構造だよね。
ジョジョ4部の吉良吉影は殺人衝動を抑えられない殺人鬼だったけどあれで何故か憎めない魅力的なところがあった。最近だと呪術廻戦の禪院甚爾とかマジ魅力的で完全に五条悟を食ってる。読者投票であんまり高い位置に来ないのはアンケート送ってくるジャンプ読者が婦女子ばっかりだから男の哀愁が分からんからだ。
https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=416AC0000000112
第八十五条 都道府県知事は、大規模な武力攻撃災害が発生した場合において、避難住民等に対する医療の提供を行うため必要があると認めるときは、医師、看護師その他の政令で定める医療関係者に対し、その場所及び期間その他の必要な事項を示して、医療を行うよう要請することができる。
2 前項の場合において、同項の医療関係者が正当な理由がないのに同項の規定による要請に応じないときは、都道府県知事は、避難住民等に対する医療を提供するため特に必要があると認めるときに限り、当該医療関係者に対し、医療を行うべきことを指示することができる。この場合においては、同項の事項を書面で示さなければならない。
そんなゴミ袋が安い地域もあるのかよ驚いたわは別トラバ(anond:20210813213219)として
これも卑屈な考え方だからやめた方がいいと思う
特性的に文字通りにしか受け取れない人が世の中にはいっぱいいるので
シンプルにこれでいいよ
▼日本国憲法(第二十五条)
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
そもそも常識的に考えて税金払っていない人は日本国に存在しないので
(間接税は納税じゃないとかいうトンチキなのはもうやったから要らないです)
税金の払った額によってサービス云々ならそもそも年収が平等になるよう社会システムを直すべきだ
人類の歴史を変えたレベルの人には特別な利益を与えていいけど、
医者とノーマルな労働者(派遣含む)との間には、そんなに社会的な価値生成能力は変わらない
どちらが社会的により重要度が高い職業か小学生でもわかるよね?
100兆の個人資産を持つ人がいるのに1ドル以下の収入の人が世界にいるのは
明らかに社会のシステム整備がしきれていないがゆえに過剰に集まってしまった結果に他ならない
昨今自分と同世代のキャラクターの二次創作が流行ってる。呪術廻戦の五条とか、今は東京卍リベンジャーズとか。続け様に同世代のキャラが続いている。
それで彼らの学生時代の創作を滅茶苦茶見かけるんだけど時代考証で滅茶苦茶不安になる。自分ら凄い婆さんに見られてね?って。若い子達からしたら私たちってコギャル世代に見られてるんだな…と。使ってるものとか、「そこまで古くないよ?」とかもあるし逆に「そんなもんは2000年代にはない…」とかさ。面倒くさい難癖つけてるんだけどピンポイントで世代だから気になって仕方がない。そんな中で明らかに当時の空気感が流れてる絵とか見るとこの人同い年だろうなと思う。
知らず知らず年取ったんだなぁ。
あまりにも弱いし原作再現出来てないので何がどうダメなのか列挙していく
これを新規や復帰勢が手に入れた時にまともに使うにはハードルが高すぎる上に、もっと楽に強いキャラが居るので入手する必要が無い
一昨日くらいにTLでAdoの「この前歩いてたら五条悟(呪術のイケメンキャラ)に話しかけられた(要約)」ってツイート見て、うわまだ学生だろうし仕方ないけど、痛い妄想ツイートしちゃうんだな〜〜と若干引いてたら、どうやらキャラのコスプレをして手当たり次第にナンパするオフパコ目的のレイヤーがいて、そいつが最近は五条悟のコスしてるらしい(つまり妄想じゃなくてたぶん本当にそいつにナンパされた)って聞いて今度はそいつにドン引きする羽目になった。怖。
Adoがたぶんまだ未成年なのが今度は逆に恐怖材料だよ。未成年にも手当たり次第にヤり目的で声かけてるってことだよな?コスしてるからぱっと見の見た目の良さに引っかかったりコス元のキャラが好きだったりしてうっかりOKしちゃう子供がいるかもしれんし、おそらくはそれを狙ってるわけだ。気持ち悪すぎるし倫理的にアウトすぎる。
作品の評判に関わるだろうし止めてくれよ集英社……と思ったんだけど、まあTwitterで目立ってるだけだから認知すらしてないだろうしコスプレを黙認してる以上事が起きてからじゃないと止められないんだろうな…ナンパしてるだけですTwitterは嘘ですヤッてません、って言い張られたら証拠もないわけだし…。新しい迷惑行為の形というか、よくそんな悪質というかねじ曲がったこと思いつくな、と妙に感心してしまった。なるべく早めに消えてほしい。
拝啓 2週間前の私へ
最近韓国ドラマばっかり見ててそろそろアニメでも見るか〜呪術廻戦?鬼滅の次はこれって言われてるよね〜とりあえず見てみよっか、と軽い気持ちであなたは手を出しますが
オタクと自覚して早十年強、思春期は夢小説など書いたりしていましたが界隈から足を洗ってライトなアニメファンとして楽しんでいました
推しが六本木で呪詛払いしているとあれば現地でそれっぽいビルを見つけてロケハンし
推しが浅草橋で飲んでいるとあれば赤ちょうちんの下同じメロンソーダを頼み
推しが銀座で行きつけの寿司屋があると聞けばとりあえず高級店に乗り込んでこんな雰囲気なのかと体験する
ここのところ毎日に張り合いがなかった
仲の良い家族、離れてても繋がれる友人、そこそこの仕事、しかし毎日もっとなにか面白いことがあるのではないかと飢えていた
在宅勤務が続くから刺激が足りないのかと思っていた
推しがいると、在宅勤務の暇な時間も有意義な創作活動の時間になる
推しがいると、上司の小言も後でこれを慰めてもらう小説作ろうと妄想のネタになる
推しがいると、スマホを見れないほどの満員電車でも目を閉じれば推しとの世界が広がっている
推しに幸あれ
そして推すすべての人にも幸あれ
五条悟の女より
主に少年漫画系を想定する話として、漫画やアニメのキャラが当然のようにヘテロセクシャルであるということを前提とするのはヘテロセクシズムであり、そのキャラがもしかしたら同性愛者かもしれないじゃないか、というのはわかる。
ただ現実的には性的指向が明かされるキャラなんてそうそういるわけでもない。彼氏彼女がいる、性欲があるキャラの描き方がされることもあるけど、そうでないことの方が多いくらいなんじゃないか。テクストだけを見るならば、むしろ多くのキャラが無性愛者だと考えたっていいくらいではある。
恋愛描写のないキャラに対して半ば強引に二次創作のヘテロものやBLや百合あるいは夢小説にするというのはセクシャリティの改変であり、厳に慎まなければならないことなのではないか。
先日、アセクシャルを矯正する薬を飲ませて恋愛をさせるという漫画がTwitterで炎上していた。これは別におかしなことではない。その人物、そのキャラクターのセクシャリティを尊重せず、無理矢理恋愛あるいは性行為をさせることなど以ての外だからだ。そのことは多くの人が批判点として共有していた。
しかし、そうであるならば二次創作として描かれる恋愛ものも同じなのではないか? そこに刃は向けられないのか。
別に例はなんでもいいが、カヲルくんとシンジくんでも、煉獄さんと炭治郎でも、五条悟と虎杖悠仁でも、その他無限のカップリングについても、そのキャラはゲイまたはレズビアンではないのではないか、場合によってはヘテロセクシャルですらないのではないか、という疑問は残る。メインキャラはともかくサブキャラになればなるほど恋愛描写なんてなくなるわけで、ヘテロセクシャルなのかどうかすら描写が皆無なんてのは珍しくもない。
もちろん、仮に性的指向であるからといって、相互の関係性を必要以上に縮ませる(はっきり言うと性行為をさせるエロ同人など)こともまたそれでいいのかどうかという問題もある。
ミスジェンダリングという言葉があって、トランスジェンダーやノンバイナリーに対して当人の自認するあり方とは違う性別で呼ぶことを批判する用語なのだけれど、それはゲイやレズビアンをヘテロセクシャルとして扱うことにも適用されるものではあると捉えている。このことは二次創作には適用されないのだろうか。
所謂ポリティカル・コレクトネスについて、私は重視しているのだが、そうであるが故に、それを推し進めていくと今まであった二次創作もまたどんどんキツくなっていく。インターネットにおいて二次創作・ファンアートは聖域に近く、その存在を認めない発言は極めて少数だ。二次創作が存在していいものとしてあることが明らかな既得権になっている。ポリティカル・コレクトネスを重視する人はしばしば批判対象の既得権(特権)を指摘するのだけれど、そういう人が、個別的なエロ同人などはともかく、二次創作そのものにまで批判を向けることは、意外に少ないようにも思う。フェミニストでありオタクでもある、というのは非常によくあることでもある。そのこと自体は別に問題ない、けれど、自分の持つ刃をどこまで適用するか、という問いはいつでも突き刺さったまま残るのではなかろうか。
今まで自明であったものがそれは抑圧だという批判に晒されるということはよくある。例えば所謂腐女子(この名称にも問題は多数あるわけだが割愛)の中での「ホモ」呼びもこの10年で漸減してきたとは感じるけれど、それと同じように、そもそもの前提としての性的指向の改変自体が好ましくないものなのではないか、という問いの声は、もう少し出てきてもいいとは思っている。
既得権者からは「二次創作は文化である」という反論が来るのだろうけれど、そんなのはセクハラは文化だと言っているに等しい、とさえ言うことができるのではなかろうか。既得権者はいつだってそれを自覚せず傲慢なままだ、というのはポリティカル・コレクトネスを重視する側ではよく聞く話でもある。
すぐに変わるとは思っていない。変化には長い年月がかかるだろう。ただ、自分の楽しんできたものは正しかったのかを問い直す作業は、どの分野でもあって欲しいとも思う。