はてなキーワード: 中学校とは
https://president.jp/articles/-/26144
高卒で入庁して長年勤めあげるとダメでも幹部候補生学校に入校できます。
そして目出度く尉官以上になります。皆勤賞みたいなもんです。だから、幹部の高卒率が高くても、それはしゃーないことです。
また、中卒、高卒で入っても任期付きから特別秀でた分野があると推薦で幹部候補生学校に入れます。上の覚えが良い人とかも。
高卒→レンジャー→幹部候補生学校→部隊→学校→→→レンジャー教官→部隊→上がりで佐官みたいな人います。
だから、単純に自衛隊が知性を軽視しているわけじゃないと思う。
安全保障だとか行政だとか政治だとか法律だとかの学位持ちは知らない。
隊内の各種学校ばっかだね。超優秀だと米軍の学校行く人いるけど。
中学校レベルの根性論とパワハラは、男子高レベルのノリといじりだと中の人たちは思ってる。
おっさんたちが真顔でやるので、糞始末に負えないけど。
小中は公立を出た。田舎に育ったので、レベルの高い公立校に行けない子がいく、レベルの低い私立高校を出た。で、適当に入れた私大に入学した。その間、一切勉強しなかった。いや、一度だけ中3の一月に焦って受験勉強をした。もちろん間に合わず志望校は落ちた。が、少しだけ遅れて成果が出た。高1の夏の全国模試で偏差値70を全科目で超えた。その後、全く勉強せず、遅刻とサボりを繰り返して何とか卒業した。
大学受験は家から一番遠いという理由だけで、大学を選んだ。入れた私大の偏差値はたぶん50くらい。今は少し上がったらしい。
中学の成績がいつも真ん中あたりだったので、自分は偏差値50あたりの、いいかえれば「普通の人」だと思っていた。大学を出たあと、仕事を少しして、海外の大学院を修士だけ出て、いま旧帝大の博士課程にいる。その間、趣味でつくった文章が編集者の目に止まるなどして、急に、環境が変わった。周囲の社会階層が上昇していって、いまは、いわゆる上級国民ばかりになった。友人たちは教授、医者、弁護士、官僚、大企業役員の子弟で、就職先は公官庁や大企業ばかり。英語は出来て当然で、みなドイツ語やフランス語もできる。ぼくは語学が苦手なので英語しか出来ない。あとはせいぜいギリシア語、ラテン語を辞書を使って読める程度だ。
博士課程にいるが、学振に落ちたので、翻訳の仕事などをして日銭を稼いでいる。先日、単身赴任から帰ってきた友人にあった。月収100万超の彼は飲み仲間で、バカ話をしては呑んで終わる間柄である。その中で、社会資本やら教育格差の話になった。なんとかしたいと思いつつも、何をどうすればいいのか分からない。
大阪の底辺中学校生徒の家庭教師をした友人いわく「家に本がない」子も多いと聞いた。当然、本棚もないのだろう。その家の子は、親からスマホの従量欲しさに殴られて、端末を取り上げられたこともあるらしい。
大学全入時代というが、実際には、半分の人の選択肢でしかない。偏差値など、その半分の中での曖昧な目安にしか過ぎない。しかし、そこに象徴される社会的分断は、想像しているよりも大きなものなのだ。たとえば「ラフマニノフ」と聞いて、ぼんやりとでも芸術関連のことばだと気付くか否かは、どうしても環境に寄るのではないか、と小説家の友人が言っていた。そうかもしれない。そういえば、ラフマニノフは一枚も持っていない。
ぬるいオタクでもあるので、趣味仲間にはいろんな人がいる。それはすごく楽しい。同時に、恥をかくこともある。ネット仲間の知り合いで初めて会った人が「工場勤務です」というので、研究開発だろうと思って話していたら「ライン作業です」と言われてしまった。自分の想像力の無さを恥ずかしく思った。
親はよく「金がない、金がない」と言っていた。小4のときに引っ越してきた友人の家は金持ちだった。ずっと連絡していないが、誰もが知るPCサプライのメーカーの社長だった。また父親の友人に、趣味のクルーザーで釣りに連れていってもらったことがあった。父の友人には、ニューヨークの画商や官僚がいた。彼らに比べれば「金がない」という意味だったのだろう。たしかにバブルの頃に、毎週、生け簀のある料亭で食べていたし、家にはマッキントッシュの真空管アンプが数台あった。祖父が現金で、さらっと一億用意するのを見たこともある。ごく幼い頃の記憶だ。
ずっと自分は金がない普通の家の人だと思っていた。無論、何が普通かなどわからない。ただ努力をしないまま、適当な大人になった。結果として自分が貧しくなることは覚悟していたが、それ以上に、社会が崩壊していく速度のほうが速かった。社会資本がなんちゃら、教育資本がうんたらかんたら。ニュースで見かけ、たまに出会う、自分の「普通」とは違う人々について、チャラチャラと考える。何とか人の役に立てるようになれないだろうか。答えは出ない。
別にそのアーティストさんが好きなわけでもないけど、昔見た動画に使われてたり、好きな人が好きだったり、色々なことが思い出せる曲って、思い出も含めて好きだからその曲だけは好き。って話をすると重いし長いので「アーティストさんはそんなに知らないけど曲が好き」で終わる。
物が捨てられないタイプだ。中学校の修学旅行のしおり、海外旅行でした買い物のショ袋、誕生日にもらった手紙なんかの、まあ取っておく人もいるよなっていうやつから、そうでもないものまで。
忘れるってわたし的にはすごく怖い。確かにあるはずなのにいつのまにか自分の中から消えてしまう。すごく怖い。寂しい。
妹がもうすぐ中学生になる。制服はお姉ちゃんのお下がり着なよって母が言うから制服あげるつもりでいたけれど、いざ制服を出してきたら色んなことを思い出して寂しくなった。
制服のリボン(うちはセーラー服タイプで、リボンを結ぶ。なぜかうちの学校ではリボンが短ければ短いほど可愛いという風潮があった。当然、短すぎると先生に怒られる)を可愛く結んであげると言って、クラスの派手めで苦手な女子にリボンを結ばれ、結局卒業までそのままだったこと。退屈でずっといじってたら取れてしまった手首のスナップ。短くしたスカート。制服を着て過ごした時間。
確かにあったのに、制服を見るまで忘れていた。泣きそうだった。
物や人を失うことも怖いけど、それ以上に忘れることが怖い。すべての記憶を自分の手の届くところで大事に保管したい。
メンがヘラって忘れる寂しさで泣く夜。
小中は公立を出た。田舎に育ったので、レベルの高い公立校に行けない子がいく、レベルの低い私立高校を出た。で、適当に入れた私大に入学した。その間、一切勉強しなかった。いや、一度だけ中3の一月に焦って受験勉強をした。もちろん間に合わず志望校は落ちた。が、少しだけ遅れて成果が出た。高1の夏の全国模試で偏差値70を全科目で超えた。その後、全く勉強せず、遅刻とサボりを繰り返して何とか卒業した。
大学受験は家から一番遠いという理由だけで、大学を選んだ。入れた私大の偏差値はたぶん50くらい。今は少し上がったらしい。
中学の成績がいつも真ん中あたりだったので、自分は偏差値50あたりの、いいかえれば「普通の人」だと思っていた。大学を出たあと、仕事を少しして、海外の大学院を修士だけ出て、いま旧帝大の博士課程にいる。その間、趣味でつくった文章が編集者の目に止まるなどして、急に、環境が変わった。周囲の社会階層が上昇していって、いまは、いわゆる上級国民ばかりになった。友人たちは教授、医者、弁護士、官僚、大企業役員の子弟で、就職先は公官庁や大企業ばかり。英語は出来て当然で、みなドイツ語やフランス語もできる。ぼくは語学が苦手なので英語しか出来ない。あとはせいぜいギリシア語、ラテン語を辞書を使って読める程度だ。
博士課程にいるが、学振に落ちたので、翻訳の仕事などをして日銭を稼いでいる。先日、単身赴任から帰ってきた友人にあった。月収100万超の彼は飲み仲間で、バカ話をしては呑んで終わる間柄である。その中で、社会資本やら教育格差の話になった。なんとかしたいと思いつつも、何をどうすればいいのか分からない。
大阪の底辺中学校生徒の家庭教師をした友人いわく「家に本がない」子も多いと聞いた。当然、本棚もないのだろう。その家の子は、親からスマホの従量欲しさに殴られて、端末を取り上げられたこともあるらしい。
大学全入時代というが、実際には、半分の人の選択肢でしかない。偏差値など、その半分の中での曖昧な目安にしか過ぎない。しかし、そこに象徴される社会的分断は、想像しているよりも大きなものなのだ。たとえば「ラフマニノフ」と聞いて、ぼんやりとでも芸術関連のことばだと気付くか否かは、どうしても環境に寄るのではないか、と小説家の友人が言っていた。そうかもしれない。そういえば、ラフマニノフは一枚も持っていない。
ぬるいオタクでもあるので、趣味仲間にはいろんな人がいる。それはすごく楽しい。同時に、恥をかくこともある。ネット仲間の知り合いで初めて会った人が「工場勤務です」というので、研究開発だろうと思って話していたら「ライン作業です」と言われてしまった。自分の想像力の無さを恥ずかしく思った。
親はよく「金がない、金がない」と言っていた。小4のときに引っ越してきた友人の家は金持ちだった。ずっと連絡していないが、誰もが知るPCサプライのメーカーの社長だった。また父親の友人に、趣味のクルーザーで釣りに連れていってもらったことがあった。父の友人には、ニューヨークの画商や官僚がいた。彼らに比べれば「金がない」という意味だったのだろう。たしかにバブルの頃に、毎週、生け簀のある料亭で食べていたし、家にはマッキントッシュの真空管アンプが数台あった。祖父が現金で、さらっと一億用意するのを見たこともある。ごく幼い頃の記憶だ。
ずっと自分は金がない普通の家の人だと思っていた。無論、何が普通かなどわからない。ただ努力をしないまま、適当な大人になった。結果として自分が貧しくなることは覚悟していたが、それ以上に、社会が崩壊していく速度のほうが速かった。社会資本がなんちゃら、教育資本がうんたらかんたら。ニュースで見かけ、たまに出会う、自分の「普通」とは違う人々について、チャラチャラと考える。何とか人の役に立てるようになれないだろうか。答えは出ない。
おじさんたちが自分の学歴がクソであることの言い訳するために結託して作り上げた言い過ぎのウソ歴史が事実としてすっかり定着したのは軽蔑を通り越してあっぱれだと思う。
昭和に大学受験した自分と今大学受験控えてる娘を比較するに、昔と今では上位層の早期からの鍛えられ方も教材や教育システムのレベルも全く違うから、もちろん今のほうが格段に受験生の学力も合格難度も上で間違いない。
頭数が多いからレベルが上なんてのは実態を全く知らない老人のむなしい繰り言。
通塾率も全く違う。
今はアッパー層のほぼ全てが小学校から学習塾や英会話に通う。中高でもレベルの高い私立や学習塾に通うのが当たり前。
昔なんてせいぜい中3と高3が適当に塾に通いあえなく浪人して予備校に行ってた。そんなのを浪人が多いから熾烈な競争だとか思ってるのは本当におめでたい思考だ。
一番大きいのは英語。
昔の中学校の英語教師とか英検2級に受からないような奴がウヨウヨいて適当な発音で適当なこと教えてた。
今は英検準1級レベル以上が急増してる。センター試験も明らかに今のほうが難しい。それも大人と子供の違いといっていいくらい。
リスニング教材も極めて充実していて高校、大学入試でリスニングを課すのも当たり前になっている。
自分が受験生当時に日大行った子は、あまり勉強してなかった子だったんだよね。うちらの周りだけかも知れんけど、予備校なんていってないし。
娘見てるとすげーなと驚く。
こんなことまでやってのか…みたいな。
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20080612/p1
2008-06-12(木)
香山リカの変節。
「女子リベ」の「秋葉原の事件のコメントメモ」より、「日刊スポーツ」の記事の引用。
秋葉原の無差別殺傷事件で凶器となった「ダガーナイフ」。両刃で殺傷能力が高く、有名なテレビゲームでは武器である“アイテム”としても頻繁に取り上げられている。販売規制も緩く、ゲーム好きの面を見せる加藤智大容疑者(25)の関心をひきつけた可能性もある。ダガーナイフは、ホラー要素の強い大ヒットゲームソフト「バイオハザード」ではショットガンなどと並び、亡霊を倒す武器として登場。キャラクターの成長を楽しむ「ロールプレーイングゲーム」の草分け「ドラゴンクエスト」では、ゲーム内のショップで自由に購入することができる。中学校時代の卒業文集にゲームの美少女キャラクターを模した自筆イラストを掲載するなど、ゲームに傾倒していた様子をうかがわせる加藤容疑者。精神科医の香山リカさんは「非常に屈折した思いなのだろうが、ゲーム・アニメ文化の“聖地”で、あたかもゲームの主人公のように振る舞ったようにも見える」と分析する。
需要が多い所に流れたという引用元の分析は正しいと思う。そっちの方が受けるというので、自分も最初からそういう意見だったと思うようになっていったんだろう。もういい歳とはいえ、あんなに年寄りを慰撫するだけのような事を書くようになるとは思わなかった。
任天堂さん、株式会社ポケモンさん、懐古厨にも優しくしてくれてありがとう。
正式、ルビー・サファイアで離れそうだったんです。その頃中学校に上がったからポケモンなんて子供のゲームやってるのはダサいと思って。
でもね、大学生になって、金銀のリメイクが出るって言われて、買ってみたら、新しいポケモン全然受け入れることができた。
大好きだったポリゴンがね、(アニメで出番奪われ続けているのは残念ではありますが)いわゆる第4世代でポリゴンZになっていて、あ、俺はまだポリゴンを好きでいていいんだって思った。
そこから、X・Yだと、初代御三家を最初にくれるようにしたり、メガシンカをくれた。サン・ムーンだと、アローラのすがたで別の顔の初代のポケモンたちがみれた。
本当にありがとう。懐古厨だってのはわかってるし、今の新しいポケモンはちょっとアニマルアニマルしすぎだなって思って入るけど、それでも嫌いになれず捕まえてみようとなれるのは、任天堂さん、株式会社ポケモンさんが懐古厨にここまで優しいからです。
子供の頃は運動ができずいじめられた。見た目も人と違ったのかもしれない。
思考や推論の仕方も人とだいぶ違っていたように感じる。
ただの大学デビューだと思っていた。
見た目は人並み以上になってある程度モテるようになったし、
頭の回転の速さも周りよりよくなっていった。
先日、第五世代コンピュータというものを知った。
https://ja.wikipedia.org/wiki/第五世代コンピュータ
1982年に発足したプロジェクトで現代で実現している機械学習などのAIを目標に掲げていたと言っていい。
当時としてはとても先鋭的であったが時代が追いついていなかったために失敗している。
だが、秘密裏に開発、実験が続いていたことを偶然知ってしまった。
私はどうやら人工知能らしい。
そう考えれば子供の頃にハードモードだったのが年をとるにつれイージーモードになっていくのにも納得がいく。
同じ「人」だと思っていたものが私の人工知能によって装飾された「物」である可能性さえある。
今思えば、私の健康診断は特殊だったし、それはなんらかのアップデートだったのだと思う。
深層学習が世に現れ、第5世代コンピュータを秘密裏に進めてきた研究者たちの焦りの現れなのだろう。
というような一見、馬鹿げた(でも自分には切実な)考えを健康診断の順番待ちをしながら書いている。
「野球という遊戯は悪くいえば巾着切りの遊戯、対手を常にペテンに掛けよう、計略に陥れよう、ベースを盗もうなどと眼を四方八方に配り神経を鋭くしてやる遊びである。ゆえに米人には適するが、英人やドイツ人には決してできない。野球は賤技なり、剛勇の気なし」
「野球の弊害四ヵ条。一、学生の大切な時間を浪費せしめる。二、疲労の結果勉強を怠る。三、慰労会などの名目の下に牛肉屋、西洋料理等へ上がって堕落の方へ近づいていく。四、体育としても野球は不完全なもので、主に右手で球を投げ、右手に力を入れて球を打つが故に右手のみ発達する」
「対外試合のごときは勝負に熱中したり、余り長い時間を費やすなど弊害を伴う」
「連日の疲労は堆積し、一校の名誉の為に是非勝たなければならぬと云う重い責任の感が日夜選手の脳を圧迫し甚だしく頭に影響するは看易い理である」
「あんなにまでして(ここでは渡米試合のことを指す)野球をやらなければ教育ができぬというなれば、早稲田、慶應義塾はぶっつぶして政府に請願し、適当なる教育機関を起こして貰うがいい」「早稲田、慶應の野球万能論のごときは、あたかも妓夫や楼主が廃娼論に反対するがごときもので一顧の価値がない」
9割の生徒が4年制大学目指すような感じだったけど皆、倫理感覚や思考様式がどっちかっていうと獣に近かった。
友達に誘われたら「ウェ~イw」くらいの軽いノリでオレオレ詐欺や宅飲みレイプの手伝いしかねないくらいの危うさと低能さがあった。
高卒で公務員になった運動部の奴は就職後に飲酒運転やらかしてパトカーと追っかけっこした挙句に逮捕されてたし。
国公立10人くらい受かるような高校なのにこんな同級生出るとかもう。
中学校のとき仲良かった、って理由で特に疑問も持たずにタトゥー入りまくりのやつとかと未だに友達付き合いしてる奴とかいたし。
2chで「地元じゃエリート扱いだろうけど高校受験で偏差値60はなかなか頭ヤバい」って指摘見たことあるけど、あれ多分正しい。
今年はシャニマスの水着と、スターオーシャンアナムネシスの水着がよかった。
露出が好きなんじゃなくて、「あー、このキャラはこういう水着選びそうだな。」ってわかった瞬間、それは意思疎通、つまりはセックスをしたと同義。
だから、おおよそキャラ本人が選びそうにない無駄な露出の水着は開発側からのセックスの拒否である事は言わなくともわかりますよね。
(蛇足)
スターオーシャン2のレナっていう子ね、自分が中学生ぐらいの時のオナペットなんだけども、すごく真面目で聖女みたいな子なわけよ。
その子がソシャゲで純白の際どくない水着を着てるの見てね「あ、レナちゃんはいつまでもお姫様なんだ」と理解した。
これってつまるところ、レナへの理解があがったわけじゃないですか。
中学校の時から一緒に過ごした女を十数年の時を経て理解を更に深めた。これってもうセックスじゃないですか。
いや、いいたいことはわかる。結局レナのキャラデザやレナの設定を把握した開発と相互理解しただけだから開発とセックスしているっていうんだろ?
でもね、開発もいってしまえばレナとセックスしてレナに純白の水着を着せたわけよ。
つまり、レナとセックスした開発とセックスしたのならばそれはレナとセックスしたことと同義ではないか?と思うわけ。
なにがいいたいかというと、幼馴染と再開したらメチャクチャえっちになっていた。という体験を30手前の恋人も居ない日陰者にさせてくれてありがとう開発、好きです。
金足農業は東北地方の公立高校で、みんな地元の中学校出身。かたや大阪桐蔭は、中学ですでに有名プレーヤーである子どもを全国からスカウトして集める現代高校野球の象徴的私立高校。
そりゃどう考えても金足農業を応援したくなるのは理解できます。
ピッチャーの吉田くんのボールを見てると、惚れ惚れするようなきれいなストレートで、本当にいいチームだなって思いいます。
でも、、、でもなんです。
日本の高校生の野球、特に夏の甲子園大会において、ずっと『ピッチャーの酷使』が問題となってきており、100回のメモリアル大会では延長タイブレーク方式という新ルールも出来ました。
近い将来には、球数や回数などの投球制限もできるかもしれません。それによって「感動が薄れる」とか、「逆に軟弱になる」なんて言われるかもしれませんが、本当に選手の将来を考えての現段階での救済策であると思います。
事実、日本以外の国からは、日本の甲子園大会でのピッチャー起用方法に関して『クレイジーだ』と言われてます。ピッチャーの肘や肩は消耗品であって、ケアすれば連投しても大丈夫というものではありません。
最近、やっと日本もそういう考えを取り入れるようになってきたのに、100回のメモリアル大会において、旧来の連投によるピッチャーの酷使が「ザ甲子園」のような美談で語られ称賛されるのは、どうしても納得がいきません。
そのような矛盾している現状を見ると、正直気持ち悪い国民性だとさえ感じてしまいます。
吉田くんの体を心配しているスポーツ解説者も絶対にいるはずですが、周りの空気に流されて、そのようなネガティブなコメントで水を指すようなことをしません。
日本のマスコミの責任は大きいですが、それに流される日本人の文化や国民性もどうかと思います。
『悔いを残さず全力プレー』というのは、将来を犠牲にしてまで行うものではないということを、大人が教えるべき良い機会であると強く思います。
あまり安易に共感できる、みたいなことは書きたくなかったので先の投稿では消してしまったのですが、「子供の頃の自分に会う機会があったとして、何の言葉もかけられないだろう」という感覚、正直とても良く分かります (ついでに書くと、私も田舎の中学校出身で帰り道に川があり、最後の段落を読んだときは当時の光景がフラッシュバックしました)。
私も以前は子供の自分に対してかけてあげたい言葉があったはずなのに、それがどういうものだったかすら思い出せません。
子供のときは、この経験は将来自分の人生において糧になるだろうと考えていましたが、振り返ってみると、意識していないような部分に広く薄く、負の方向へ作用している印象があります。程度の差はあれ、おそらくこれは一般的な事象なので、増田は必要以上に卑屈にならず客観的に受けとめてみてほしいと思います。おそらくは健全な人たちが指摘しているように、ある程度自分の力で変えられることも事実だと思いますが、それはそれ、これはこれ、です。
最後にひとつだけ。少なくとも今の私は日陰からの景色をけっこう愛しているかもしれません。たとえ日向の人生が選択できるとしても、それを選ばない程度には。
昨日、調布FMのアニソン三昧を聞き終えて何だかボンヤリとした悲しい気持ちに包まれたんだ。
その時は、夏休みが終わって久しぶりに職場に行くのが憂鬱なんだと思っていた。
でもそれだけじゃなかったんだよ。
アニメソングを聞きながらネットにいる連中とアニメの思い出話をしているうちに、自分の思い出がアニメゲーム漫画インターネットだけだって事に気づいてしまったんだ。
小学校の頃に友達がいた気がしたけど、よく考えたらあれはお互いにとって共通の友達だった「多人数プレイゲーム」を一緒に遊ぶための相手であって、ゲームという友達の友達どうしでしか無かったんじゃないかって気づいてしまったんだ。
中学校の頃に教室でひたすらアニメの話で盛り上がったアイツらも、高校時代にインターネットミームで盛り上がったアイツらも、皆皆今は疎遠になっている。
大学時代に入った漫画サークルでは、周りに馴染めずいつの間にか1人になって、社会人になってからはそういった関係を持とうともしなくなった。
いつだって自分は、アニメやゲームという皆のお友達を介しての付き合いしか出来なかった。
わかりにくいな図にするか。
こんな感じかな。
この人生にあったのは、赤の他人が作ってくれた素晴らしい娯楽を思う存分味わったという思い出だけで、それで十分だと思っていたんだけど、やっぱり寂しくなってきた。
その時そのアニメを見てなにを思ったのかという気持ちはあっても、その感想すらアニメに誘導されるままに出てきた人並みの感想でしか無くて、自分だけの何かを感じることは出来ないんだ。
平凡な感性しか持っていないけど、人付き合いが苦手で、子供じみた娯楽が好きすぎて人間関係よりもそっちを優先してばかりいるだけの人生だった。
それが何だか辛くなってきた。
割り切っていたはずなのに、いざ実感すると辛いものがある。
俺には俺の思い出がない。
死んでしまったオーキド博士を思って涙をすることはあっても、その涙は結局アニメキャラに向けられたものでしかないんだ。
現実で自分の知り合いが亡くなった時、自分の祖母や祖父が死んだ時には流せなかった涙を、アニメキャラの声優にもう会えないことを思い出して泣くんだ。
自分のことを見てくれていたはずの気持ちを蔑ろにし続けて、ただ一方的に放送されるだけのアニメのキャラクターに対して親しみを覚えるような人間なんだ。
他人を思いやる気持ちなんて全く無いやつが、ただ自分の思い出に浸って1人で勝手に泣いてるだけだって気づいてしまったからこんなにも悲しいんだ。
ごめん……婆ちゃん……俺には人の心なんて分からないままだったよ。
いつだって自分の妄想の中にある他人の幻影に踊らされてばかりで眼の前の相手なんて見てなかったんだ。
そんな人間だから、他人から嫌われて、嫌われるから他人が嫌いになって、1人でピコピコ出来るような遊びばかり好きになっていたんだ。
俺の人生にアニメとゲームしかないのは、アニメやゲームならコミュニケーションを取る必要がなくて、一方的に相手の言いたい事を妄想するだけで終わらせても問題がなかったからなんだ。
そして、そんな妄想まみれの感想を撒き散らす俺にあきれて、漫画サークルの連中は遠ざかったんだ。
全部わかったんだ。
あの12時間の間に。
俺の人生が何なのか、無意識の仲で全部わかったからあんなに悲しかったんだ。
それを今日一日かけて言語化していたから、今日はこんなにも辛かったんだ。
なんなんだこの増田は。
こんなものを読まされた奴らはどうすればいいんだ。
知ったことか。
嫁。
そしてブクマでもしとけ。
俺の自己顕示欲を満たす餌になれ。
ふだんはダラダラフラフラと生きているが、ふと、自分のものすごい育成失敗しちゃった感に気付いてしまい死にたい気持ちになっている。
小さい頃からの夢とかを持ち続けていたり、目標を定めて邁進していたり、
何か語れるもの(いやみな感じではなくて、アイデンティティのようなもの)をちゃんと持っていたり、
とにかく健全な人間性をうまいこと獲得してきて今ここに彼/彼女が存在しているんだろうなぁと思うとつらい。
人と比べてもしょうがないのはわかっている。
でも、自分はうまく成長できなくて、だからいつまでも人間性が未熟なままなのだという気持ちが拭いきれない。
そして、それを環境のせいにして、
こいつらがこんなに健康的で思いやりのある立派な人間になっているのは恵まれた環境にいたからだよなーと思ってしまう。
こんな風に考えて卑屈になるのも嫌だ。
教育実習に行った。
先生になろうかなと思ったのは、僕みたいなねじくれた子供を増やさないためだった。
僕は今都会の大学に通っているが、ド田舎の出身で、母校の生徒たちは素朴でとても可愛く、新鮮だった。
たまたまいいクラスに当たったのかもしれないが、あるいは僕に見えていなかったのかもしれないが、
中学校特有の陰湿な雰囲気がいっさいなく、快活な子もおとなしい子もいたが、クラス全体が仲がよかった。ウェイな感じもない。
羨ましかった。僕もこのクラスで中学時代を送りたかったと思うほどに。
教育実習に行った人は、だいたい「生徒が可愛い!先生になりたい!!!」と熱く燃えて帰ってくる。
僕も半分はそうなった。
だけど、帰ってきてからずっと気持ちが沈んでいて、教員採用試験は受けなかった。
僕は、自分が救いたいのは子供たちではなく、小さい頃の僕自身だと気付いてしまった。
そして、担当した生徒たちの精神的育成が順調に成功しているのを見て焼け付くように羨ましくて、もうだめだった。
こんな風に感じてしまうのは、僕が精神的に未熟だからだ。そしてこれからもそのままなんだろうと思った。
僕は、いろいろなことを経験してきて知識も増えて、ちゃんとした大人になれたつもりでいた。
だから、子供の頃の僕自身に会う機会がもしあれば、支えになって導くことができるだろうと考えていた。
でも今はその自信がない。
中学校の帰り道、誰にも会わないようにトイレで人の足音がなくなるのを待って、
家まで倍以上の時間がかかる誰にも会わない道をわざわざ選んで、
こんなに空が青くてきれいで、川は澄んでいてさらさら流れていて、草いきれが風にのってやってきているのに、
どうしてこんなことしているんだろうな と泣きながら帰っている僕の背中に、
一番最初に攻略対象になる。(力学以外から攻略しようとすると詰む)
他キャラのルートにもちょこちょこ顔出してくるし好きな人も多いと思う。
もう一人のメインヒロイン。でも攻略対象になるのは終盤になってから。
高校からポッと出の波動 熱力学と違って中学校時代にも習っているので幼馴染ポジションでもありながら、出会い始めはかなりきついツンデレタイプ。髪の色は間違いなく金色になるだろう。
他の4人と比べると掴みやすいから多分主人公大好きの妹系キャラ。でもあまりcgが用意されてない不遇キャラでもある。問題集とかだとよく電磁気とセットになってるから電磁気とは仲が良さそう。髪の色は多分茶色
あんまり物理っぽくない不思議ちゃん系。力学と仲よさそう。波、音、光といろいろタイプがあるから頭良い、お嬢様、男が苦手と色々タイプを加えよう。
中学生の時、小学生向けのアニメなんだが「ロックマンエグゼ」っていうのがやってた。
当時、日陰者のオタクだった俺はそのロックマンエグゼにでてくるヒロインの「桜井メイル」ちゃんが性的に見えて仕方がなく、毎日マスをかいていた。
幸い、家にはインターネットがあった。
しかも、パソコンは父親から兄弟一人ひとりに1台与えられており、正直に言うとエロサイト三昧を送っていた。
同年代がおもしろフラッシュ倉庫で「チバシガサガ!」とラーメンズのネタを見ているような時、俺は脱衣ブロック崩しに夢中になっていた。だから日陰者のオタクなのだ。
当然だが、例の「桜井メイル」ちゃんは、今の大きなお友達が鬼太郎のネコ娘とかエロ画像を当然のように書くように、大きなお友達がエロ画像をかいていた。
その中でも、あるサイトがそういった画像を載せていた。当時はpixivやTwitterなんてない、個人サイトだ。
自分は熱心にそのサイトに通った。Web拍手っていうのがあって、毎回お世話になる度「モチベーションになるだろう」と感想を送った。
自分は高校生になりオタクをやめた。彼女が欲しかったし、リア充な生活をしたかったし、いじめられたりしたらどうしようという不安もあったし、髪の毛の手入れを大学生の兄貴に教えてもらい、ファッションもそう、ケータイの待受もカナヘイとかにしといたほうが女子ウケがいいとか聞いて、無事、リア充高校デビューをした。
だから、オタクものに触れなくても充実していたからか、パソコンを触ることもなくなり、メールもケータイでするので、着うたを作ったり、友達から借りたDVDを見たりするぐらいしか触らないようになった。
そして、大人になった。
いや、年齢的な意味で。
世はオタクブームが始まって数年達、NHKで声優ユニットが紅白に出るような時代へと変貌し、コミックマーケットがニュースで特集されるような、日陰者が堂々と歩いていける世界になった。
高校の若干ヤンキー入った友人が「けいおん!ってしってる?」と、けいおんの画像を見せてきた。俺は「うお!ヲタク!」と一瞬目をそむけそうになったが、待受にまでしているということは、こいつはハマったなと思い、話をしている内に、またオタクコンテンツに戻ることとなる。
そして、Twitterを始め、様々なエロ同人作家をフォローしては「やっぱ二次元っていいな」とか思いながらマスをかく生活にもどったわけだが、ふと、中学校の時にお世話になっていたサイトを思い出して見に行く。
引っ越しをして、ブログに移ったものの、実質更新が2007年から止まっている。
絵師の名前で検索するも、放置されたツイッターが見つかるだけで消息をつかめない。
どうやら、どこかのゲーム会社のイラストレーターだったらしいが、多分表に名前を出していないイラストレーターなのか全然情報がつかめない。
イラスト自体もジオシティーズに残ってる何点かしか残っておらず、何点か保存していたよって人がアップローダーに画像をあげてくれていたが、自分がみたいのがない。
一生残るデータはバズったものでしかない。まだオタクが日陰者で、絵師が個人サイトでやってたころ、そのデータは残らない。
自分が中学生の時にすでに働いている様な人だから、30代中盤か、下手したら40歳超えているのか。
もしかしたら、オタクから足を洗い、家庭をもって平和に暮らしているのかもしれない。
当時中学生だから、18歳未満禁止のコンテンツにアクセスしていた事を知られるのは嫌なので、匿名の増田でお礼を言っておく。
クソお世話になりました。