はてなキーワード: 中学校とは
番組では、情報番組コメンテーターのニュースに対する理解力をみるため、
難関中学の入試問題を用いて検証していた。そこで大宮開成中学校で出題された「少子化対策」について、森永氏が50字以内で解答する。
森永氏は満点の解答を導き出すも、枠外に「※イケメン税が効果的」と付け足されていた。
この詳細をたずねられた森永氏は「子育て支援してもほとんど意味がない」として、現在の日本の最大の問題は未婚率の上昇だと指摘したのだ。
その上で「なぜ結婚できないか。この本質はイケメンが女を独占しているから」だと持論を展開。
さらに合コンなどで良い思いをしているイケメンにごっそり課税して、その税金を「ブサメンやキモメンに分配」すべきだと主張した。
彼らの見栄えやトーク力の上昇に役立てるべきだと唱えていた。
なお、この森永氏の主張は世界中で大きな反響を呼び、ブラジルのテレビ局から「その政策を聞きたい」と取材を申し込まれたということだ。
http://news.livedoor.com/article/detail/12915863/
増田を濃縮した感じだな。
義務教育、例えば中学校の体育祭では「興味がない」生徒も参加が義務付けられていた。義務教育の外を出ると、私たちは参加拒否などの「選択肢」を得て、興味のないことに必然的に巻き込まれるという経験を失っていく。
今回のオリンピックのサマータイム導入に関しては、オリンピックに興味がないといっている人たちも必然的に巻き込まれてしまう。彼彼女らにはサマータイムに適応しないという選択肢が与えられない。
これまで選択肢を選んできた人間にとって、これは只事ではない。
さらにいうならば、そもそもアメリカでの放送時刻を気にして開催国の日本時間に合わせられないようにしなければならないだなんてそんなの本末転倒だし開催国があまりにも軽んじられている。皆が文句を言うべきはそこではないのか?
あと、スポーツのルールを変えること。室外競技だから〜とかやかましい。これから先の気象条件に合わせて臨機応変に対応すればいいだろ。それができなければこの先どのスポーツも衰退するよ。人間を壊すな。ばかじゃねえの。やめちまえそんなの。
どうせ誰も書かないだろうから書いといてやる。
社会における「みんないい人」っていうのは人格的に優れてるって意味ではない。カースト下位をめちゃくちゃに痛めつけていても、中位から上位同士がお互いに「いい人」であればそれは「みんないい人」な会社ってことになる。
カースト下位が酷い扱い受けてるとかはなかったことになってんだよ。
だから、もしもお前が弁護士に頼ったりしたら会社の人達は社会的なペナルティ受けるけど、それやったらお前は歴史に残るとんでもない人格破綻者として会社に名を残す。
それはどこの医大もやってるみたいよ。
女医さんも今は昔の1割から増えて医大合格全体の3割を女にしていい時代だと言ってるし、どの大学も小論文面接で落としてその割合に調節してるみたい。
東京医大も女子一律減点だけでは男子の18.9と女子の14.5%が通ってしまい男女の人数差をつけられないから、小論文で通すのを男子の8.8%女子の2.9%と男女で大幅な差をつける事で何とか女子の割合を抑えている。
都立高校はスコア順に入れたら合格者が女子一色になり私立から女子生徒を奪い、男子の進学先がなくなるから、男女の入学人数を同数、もしくは男を多めに入学させるため、男の合格点と女の合格点には著しい格差が生まれている。
受験で圧倒的に男を優遇する状況が問題にならないのは、男社会だからだと思うよ。
↓
1998年から、この男女別に募集人員を定めている都立高校の「男女間の合格最低点における著しい格差を是正するため」、募集人員の1割だけは男女に関係なく、成績順に合否を決めることで、少しでもこの不平等を是正する制度を始めている。
全定員のなかのたった1割だが、それでもこの制度すら不要だと考えているひとはいるようだ。
それでは、中学校長が男女別定員を緩和すらすべきでないと考える理由はなんだろうか。
○ 男女別定員制の緩和により合格するのは、ほとんどが女子である。東京都には私立の女子高等学校が多く、東京都の教育の支えの一つであると考えるが、男女別定員制の緩和の制度により、結果的に女子を多く入学させることになり、私立の女子高等学校から学生を奪う形となってしまう難しさがある。
○ 成績の上位には女子の方が多い傾向がある。そのため、全てを男女合同定員制として合否を判定したとすると、今以上に男女比に大きな偏りが生じ学校施設等に影響が出ることが懸念される。
○ 実際に男女別定員制の緩和を行うと、多くの場合、女子の入学者数が増加する。私立高等学校でも女子の定員の方が多いため、結果的に男子生徒の進路先が決まらない状況が生まれてしまう。
https://news.yahoo.co.jp/byline/sendayuki/20180803-00091738/
学校でのいじめ問題に対する、学校や教育委員会の対応と世の中の人の意見をみて思ったことを書いてみようと思う。なんとなく書いたら長くなったので、流し読みしてください。
昔からいじめが原因で自殺する中学生や高校生はたくさんいたと思うけど、国が大きく動いたのは、2011年の「大津市中2自殺事件」
市立中学に通う中学2年生の男の子がいじめを苦に亡くなった事件で、この時に明らかになったのが教育委員会と学校のいじめに対する対応の悪さ。
亡くなる数日前にいじめの報告が学校にあったにも関わらず、単なる生徒同士の「喧嘩」として扱い十分な措置を行わなかったこと、教育委員会が自殺の原因を家庭内に問題があったとして、当初認識していたことなど...
「大津市中2自殺事件」がきっかけとなって、「いじめ防止対策推進法」が成立。
教育現場がいじめ問題にどう対応すればいいかの方針が決められた。
しかし、いじめで自殺する学生らは後を絶たないし、大津市いじめ事件の後に起こった別の地域のいじめ問題では教育委員会の隠蔽が判明。
いじめを調査した教育委員会などの調査報告書に納得できずに、再調査を依頼する遺族も少なくない。
教育委員会は地域行政のなかでも、少し変わった組織で、教員免許を持った職員と持たない職員で構成されているし、首長の直接管轄でもない。それらが教育委員会の組織風土を硬直化させてしまっているのかなと思う。
各自治体でそれぞれに教育委員会が組織されているといっても、他自治体でこれだけ問題になっているのだから、自分たちは適切に対応しようとはしてるはずなんだけど、何かしらの不適切な対応が目立つ。これが意味するのは、教育委員会という組織自体がきちんと対応できる状況、組織ではないということなのではと感じる。
教育現場の先生たちも毎日忙しい。先生は授業を教えることが仕事なのに、中学校では部活動の顧問まで任される。その上、いじめが起こったら業務はさらに増える。日々の業務にいっぱいいっぱいで、いじめに適切に対応する余裕が十分にあるとは考えにくい。先生が余裕を持って働けるように、働き方も見直さなければいけないことの1つではないかな。
加えて、いじめはどうしても起こってしまうものだということ。小学生〜中学生っていうのは多感な時期な上に、1つの教室に様々な事情を抱えた子が押し込まれてる。1つもいじめが起こらないほうが不思議なぐらい。地域差もあるだろうけど、学校でいじめられたり、いじめたことがあったり、いじめの傍観者だったなんてのは大小あれど誰にでもあることだと思う。
学校が社会的居場所で、いじめがあってもなかなか逃げ出せない、休めない。
子どもたちに、自分ではどうしようもないことがあったら逃げてもいいっていうことを大人はもっと言ってあげてもいいのではと思う。学校だけが全てじゃない、学校に行かなくてもどうにかなるってことを。
男を優遇しないと入学できる生徒に女子が多すぎて困るとか、優遇された結果入学した男の頭が女より悪くて授業に支障があるとかすごい話だ。
女子高に優秀な女子が行ってるんじゃないの?何で男子学生はこんなに女子より学力が劣るんだ。
https://news.yahoo.co.jp/byline/sendayuki/20180803-00091738/
しかし、女性がテストで優秀な点をとっても入学が許可されないことは、大学入試だけではない。
女子学生は男子の合格者よりも高い点数を取っていても、不合格になっているのである。その理由は、男女別募集定員の存在である。
男女別定員があることによって割を食っているのは、成績優秀者が多いほうの女子である。
1998年から、この男女別に募集人員を定めている都立高校の「男女間の合格最低点における著しい格差を是正するため」、募集人員の1割だけは男女に関係なく、成績順に合否を決めることで、少しでもこの不平等を是正する制度を始めている。
全定員のなかのたった1割だが、それでもこの制度すら不要だと考えているひとはいるようだ。
それでは、中学校長が男女別定員を緩和すらすべきでないと考える理由はなんだろうか。
○ 男女別定員制の緩和により合格するのは、ほとんどが女子である。東京都には私立の女子高等学校が多く、東京都の教育の支えの一つであると考えるが、男女別定員制の緩和の制度により、結果的に女子を多く入学させることになり、私立の女子高等学校から学生を奪う形となってしまう難しさがある。
○ 成績の上位には女子の方が多い傾向がある。そのため、全てを男女合同定員制として合否を判定したとすると、今以上に男女比に大きな偏りが生じ学校施設等に影響が出ることが懸念される。
○ 実際に男女別定員制の緩和を行うと、多くの場合、女子の入学者数が増加する。私立高等学校でも女子の定員の方が多いため、結果的に男子生徒の進路先が決まらない状況が生まれてしまう。
つまり、女子を入学させると、私立の女子校から生徒を奪ってしまう、男性生徒が進学できなくて困ってしまう、学校の施設に影響がでる、というのである。
これに対して、現場の高校の校長は、また違った意見を持っている。
○ 男女間の学力差が縮まることで授業効率が良くなり、生徒の学力向上につながっている。
○ 男女別定員制の緩和により、総合成績が同じでも性別によって合否の結果が異なってしまうことに対する不公平感を緩和することができる。
○ 男女別定員制の緩和によって女子が多く入学し、男女の生徒数のバランスを欠く状況にある。体育の授業や学校行事を実施する際の不都合や、部活動等への影響が生じる場合がある。
中学校のあいつら。ギリギリ高校入学のお祝いに買ってもらえたガラケー(という呼び方もない時代)持って赤外線通信してメルアド交換しあったあいつら。もう何年も連絡をとってないあいつら。
高校のあいつら。ケータイ持ってるのは当たり前。赤外線通信しあった友情の入り口。まだLINEもTwitterもないときのお前ら。異性とのメルアド交換は部活の先輩が最初だった。ウブだった俺は先輩に童貞を奪われた。ような気がした。先輩は俺の恥部とも呼ぶべき「名字+名前+生年月日」という佐藤太郎なアドレスを先輩同士で俺の断りなく共有した。恥部拡散であった。拡散先のアドレスには「彼氏+Love+彼女+初キス(結合?)記念日」と思しきアドレスもあった。別れたらアドレス変えるのだろうかという俺の期待は虚しく卒業するまでその先輩のアドレスは変わらなかった。怒張した、あるいは豊満なそれを想起させかねない文字列を、その先輩が俺にメールを送るたびに見せびらかしてくるのであった。屈辱である。このような屈辱が、性の早期化に拍車をかけるのである。
大学のあいつら。・・・は、Twitterやら始まりつつあったのであまりメルアド交換せず、TwitterIDの共有がご挨拶となったが、さすがにサークルの連絡共有では未だにメールが現役だった。とはいえ、そのメールもPCからのメールへと移行した。学生一人ひとりにメールアドレスが交付されることで、学生と講師陣との円滑なコミュニケーションが期待されていたわけだ。この頃にはGmailも本格的に使い出す。ゼミの飲み会などはこちらを利用する。つまり、個人のガラケーのメルアドなどは、この時点で大して知る理由に乏しいというか、極めてプライベートなものになったのである。思い返せば私も自分から相手にメルアドを聞くことはしなかったはずだ。聞かれることもなかった。ちなみにこの年リーマン・ショックである。私は内定先を得られずに卒業することとなる。ゼミの仲間も半数は内定できずに卒業、留年、院進と歩を進める。
私がスマホを買ったのはこれから2年後の話である。長い付き合いだったが、昨日、突然再起動を繰り返すようになった。
・・・とまあ、このようにして蓄積されてきた私の青春の一部であったものが、昨夜、すべて失われた。厳密に言うとクラウドに移行しつつあった大学以降のメンバーのアドレスは直ぐにわかるのだが、それ以前、ネットが普及しつつあった時期のあいつらのアドレスなどはすべて取り戻せない。本日キャリアのショップに足を運び、考えた結果、データ復旧は無理という結論に達した。
基本的には、私が悪い。スマホを買った時点でバックアップを取るべきだったのだ。それを数年も疎かにした私のツケだ。
高校までに知り合ったあいつらもいい年だから、まあ半分以上は結婚し、出産もし、良い家庭を築いているのだろうし、当然俺の顔を覚えている奴は殆いないだろう。俺自身も、今町中であいつらを見かけても記憶と一致できる自信がない。近いようでいて、俺とあいつらはいつの間にかこんなにも遠いところまで来ていたのだ。あいつらも、俺に今更メールや電話を送ることも掛けることも全員がしないだろう。できないやつもいるはずだ。例えば私と同じコトになってバカを見たとか、例えば津波に飲まれて死んだとか。
だいたい、小学校の頃に知り合った友達はどいつもこいつもケータイのケも知らなかった。電話帳だ電話帳。学校で遊ぶ約束したら準備して直行。その場には必ずあいつらが来る。そしてあいつらとゲームボーイで遊ぶんだ。いや、もちろんサッカーもする。サッカーもするが、ポケモンをするんだ。ゲームは男女平等。小学生でサッカーとなると既に体力差が見えるが、ゲームでモノを言うのはサッカーとは別なところ。女子はゲームもするけど男子とサッカーしたがったから一緒に遊んだ。そこから女子の家にお邪魔したことも何度かある。
まったく、いい年していつまでこんなものに執着してるんだろう。新しい出会いの少なさもそうだが、社会人になってから会う者どこかみんな余所余所しいというか、皮を何枚も被ったかのような付き合いだ。いつしか私もそれを当然のこととして他人に仕掛けている節もある。こんな大人のなり方なんて、誰が望んだんだ?
正確には、そういう付き合いができる人がいないわけではないが、圧倒的に少なくなった。
また、あの頃のような付き合いがしたい。何もかもが瑞々しくて、眩しい。出会いばかりで別れのない幸運な日々。この生なら、飽きの来ない無限を謳歌できる。
どうして俺たちは、かつてのような付き合いができなくなったんだ?
うおー詳しい増田だ!そうそう、ゾロリ以外にズッコケがあったはずなんだけど読んでないので思い出せなかった
自身に照らし合わせて思い出してみれば
小学校のころはルパン(ポプラ社のアレ)、海外SF、ノンフィクションを主に読んでた
祖父の家にあった辞書みたいな少年少女文学大全の青い鳥やくるみ割り人形の幻想的な描写、
秘密の花園や小公子のハッピーで優しい物語に感動したものだった
江戸川乱歩の少年探偵団は何冊か読んだが全部犯人が二十面相なのでガッカリした
逆に大人向けな読み物じだわ。二十歳過ぎてから面白さが分かった
中二の時に図書室にあった美しい表紙絵に惹かれて
スニーカー文庫の某ギャグファンタジー小説を読んで大変にショックだった
面白くて楽しいというのを第一に物語を書いていいんだ!みたいな…
そういや小-中学校のころにコバルト文庫の少女小説読んでたくせにな
これも大変ショックを受けた
そっからは筒井康隆、山田風太郎、大槻ケンヂ、平山夢明と分かりやすい路線まっしぐらじゃよフォフォフォ…
知らないよ、知らないですけどね。
先日も、所沢で小中学校へのエアコン設置の是非を問う住民投票で、投票率が足りない問題があったじゃないですか。賛成5万6921票、反対3万47票だったそうです。
投票資格者総数は27万8248人で、市長は「賛否いずれかが投票資格者総数の3分の1以上に達した場合は結果に従う」としていたそうです。
でもね、所沢の22年の国勢調査の結果みると、今小中学生くらいの0~9歳の人口が2万8千人ですよ。仮に全員一人っ子ちゃんで、全員の両親が投票しても5万6千票じゃないですか。
今回の投票を実現させたのはこの人たちですから、まあ賛成票のうちわけはこの層が多いでしょう。
反対票は市政に関心が高い人たちなんでしょう。もちろん賛成票のなかにもそういう人たちがいて、全部で4万人くらいはそういう層だとしましょう。
これらの数はある程度読めるでしょう。
で、市長は”9万3000人がどっちかに投票したら”って言ってるんですよ。
それだけどっちかに投票したら、同じ得票率だと14万票くらい集まってるわけですよ。
市長がどういう結果を予想していたのかはわかりませんが、上の数に合わせたとして、
市政に関心は無いし小中学生とは関係ないけれども投票しまーすという層があと4万5千人くらい必要なんですよ。
得票率とか全然違ったとしても、そういう人たちが万オーダーでいると思ってないと、”9万3000人がどっちかに投票”なんて言わないですよ。
市長がどういう結果を予想していたのかはわからないですよ。
でも、投票率低くて残念とか言ってるなら、何か工夫できないもんですかね。
高知市職員ですが、以前のエントリーが思った以上に反響がありましたので、書きます。
以前のエントリー
https://anond.hatelabo.jp/20180728154743
https://www.kochinews.co.jp/article/203672/
高知市の横田寿生教育長が31日付で辞任。7月上旬の西日本豪雨のさなかに、北海道へ市幹部ら7人で競馬旅行していたことに批判が高まっていた。岡﨑誠也市長が記者会見して発表。
7月4日から発生している豪雨災害のさなか、今回辞任した横田教育長、教育次長、総務部の弘瀬優総務部長、諸石信広総務部副部長、その他副部長級2人、課長級1人の合計7人が函館に競馬観戦の旅行に出かけていたことが発端です。(この7人というのが、競馬好きで20年以上の付き合いで趣味で、全国の競馬観戦をしている「有馬会」のメンバーであり、後述しますが、事実上の高知市役所の人事権を牛耳っているメンバーでありました。)
このうち、横田教育長と弘瀬部長は、災害対策本部のメンバーであることから、庁内外はもちろん、市民からも非難の声が集まり、全国区のニュースとなりました。
ここで、誤解してほしくないのが、単におじさん7人が趣味で競馬旅行を行っていたのが問題ありません。公務員だからといって、競馬をしてはいけない、という理由は無いと思います。ただ、タイミングが最悪だった。豪雨災害で西日本を中心に被害が発生しており、高知県内では3人が死亡している最中、この7人は競馬観戦をして、すき焼きに舌鼓を打っていたということ、道義的責任が生じるとともに、公務員にとって最もと大事な「信用」失墜行為にあたるということです。
なお、出発した時点は大きな被害は出ていなかったと、それに代理を立てて準備をしていた等、一部弁明していますが、これもおかしな話です。
というのは、そもそも災害対策本部というのは、当該自治体における防災対策の最高意思決定機関であり、避難所開設、避難指示、避難勧告といった市民の生命に直結する、非常に重要な決定を行う機関です。
責任が非常に重いのでそもそも課長、課長補佐といった代理で務まるわけがありません。そのような理由もあり、大きく報道されました。
後述しますが、この報道に対して当の教育長が「道義的責任はない」と開き直ったことから、市議会の与党会派「新風クラブ」「市民クラブ」「公明党」が激怒し、公明党出身の市議会議長も市長に文書で申し入れをする構えを見せたことで、事態は急変しました。
今回、競馬旅行にいった有馬会のボスである横田教育長は道義的責任はない、と高知新聞7月28日付朝刊においてコメントしていました。
「(旅行期間中は)学校も休みで行事もない。用意周到に必要な指示を出し、態勢を敷いていたのえ、(私が不在でも)特に支障なはなかった。道義的責任も生じない」という認識を示した。
避難所として小中学校は機能するにかかわらず、教育委員会トップと思えない軽い認識で、道義的責任を生じないというコメントには、失望しました。
しかし、冒頭のニュースにあるように、本日付で横田教育長が辞任しました。
長年、高知市役所において、人事課長、財務部長を歴任し、最終的に教育長という副市長クラスの特別職として君臨していた男のあっけない退場でした。最終的な肩書が「人事の横田」「競馬旅行の教育長」という肩書とともに。
今回の競馬旅行事件は、教育長の辞任をもって幕引きとなるでしょう。本来的には、職員の人事権や綱紀粛正などを統括する総務部長が一定の処分を受けると思いますが、今のところ、減給程度で終わるようです。
しかし、有馬会のナンバー2である弘瀬部長がこのまま総務部に留任ということは、ありえないと一般的に思いますが、仮に弘瀬部長こそ、次期副市長の最有力候補であり、やもすれば、市長の呼び声も大きいので、ここでキャリアに傷をつけるのは、何としても避けたいところでしょう。
それに、現在の岡崎市長の最側近でもあり、かつて、弘瀬部長が課長時代に、同和問題で部落解放同盟に糾弾された際も処分はせず、現在の総務部長のポストにつけたことから、その信頼の強さがうかがえます。
よって、道義的責任は生じないと言っていた横田教育長が辞任したことは、有馬会トップの座を弘瀬部長に禅譲することも意味します。
高知市役所も結局、組織でありヒエラルキーが存在し、派閥も一定存在します。そのような派閥で最大の力を誇るのが、有馬会です。
有馬会は、報道ではただの競馬大好きクラブといったような趣ですが、そうではありません。(ちなみに有馬会の由来は、有馬記念から来ています)
そのメンバーが、今回のニュースで明らかになったように、教育長、教育次長、総務部長、総務副部長、さらに副部長級があと2人、課長級が1人と上級幹部ばかりです。
今回旅行行ったのは、有馬会の中でも有力メンバーであり、その他にも有馬会のメンバー、もしくは有馬会「系」の派閥も存在しています。
彼らの力の源泉は、財政課、企画課、人事課、行政管理課といった役所内の中枢出身者ばかりということです。
では、なぜ有馬会がここまでの力を持つようになったのか?これは、前市長にまで話はさかのぼります、が、長くなっても仕方ないので機会があれば書きます。
ただ、一般的に役所の世界で出世したければ、上記のセクションに配属され、市長に最も近い派閥に属することです。
役所という世界は、実力云々というよりも、どこに配属されていたか?ということが重要ですので、下手を打たずレールにいれば、そこそこのポジションにありつけます。そのメインストリームが有馬会というわけです。
今回の教訓を単なる、競馬大好きおじさん達の軽率な行動というレベルで片づけるのではなく、このおじさん達が庁内で権力を握り、人事権を牛耳り、誰も文句を言えなかったという事実です。普通の職員ならば、台風災害中に旅行には行きませんし、まさか役所の仲間と行くなんてありえません。異常です。異常ですが、そのように感じないほどの空気が役所内にはありました。
なので、今回の報道でも職員も「大げさすぎる」という意見も一定数あったので、役所内世論も完全に2分していました。なので、今回議会の指摘があったのは、不幸中の幸いです。ある意味、民主主義の自浄作用が働いた形です。しかし、この災害中に飲み会というニュースは、既読感がみなさんあったと思います。あえて言いませんが、同じことが今回、悲しくも私の高知市役所でもありました。
では、指示で動くのは誰でしょうか?動くのは、主事、主査補、主査、主任、係長、課長補佐、課長といった人々です。部長、副部長といった上級管理職以下の職員です。上司が部下を見るように、部下も上司を見ています。とはいえ、職務命令があれば動きます。これがルールだからです。気に入らないという個人的に思いはありますが、役所という完全タテ社会では、それが言えない空気があります。
高知市は、これから全国でも例をみない、高知県ほぼすべての市町村が連携中枢都市圏を構成する巨大プロジェクトを進めており、そのフロントランナーが高知市です。そんな他市町村を束ねる役割を担う高知市でこのような報道があったことは悲しく、情けなく、それ以上に怒りを感じます。
現場の職員は、災害時だろうと、市民の暮らしを守るということ一番に考えております。これまでの高知市は三位一体改革や前市長の極端な積極財政による財政危機のため、職員給与がカットされるとともに、職員数も減らされて中核市でワーストクラスとなりました。
つまり、しわ寄せは少ない人数で、時間外手当も限られている中で現場は工夫をしてきました。だからこそ、今回の事件は、これまで築き上げてきた高知市の矜持を深く傷づけているのです。それが職員の綱紀粛正の大本営である総務部長、副部長ということが、何ともいえない気持ちになるわけです。
なんでって小学生1年生の子が中学1年になる時に小学生4〜6年だった子は高校に通ってるからじゃん?
論理的には中学生は小学生の半分しかいないんだから中学校は小学校の半分でよくない?
中学生を多く受け入れてる自治体があるなら自治体に通ってるとしたら中学校が平均より多い自治体というものが出てくるはずだけどそうじゃないでしょ?(調べてないけどあなたの口ぶりから察するに小学生と中学校の比率はどの自治体も大差ないみたいだから)
平均か又は平均以下のあまり程度のよくない自治体の例として我が北九州市のデータではリンク先の通り小学生≒中学生+高校生だわ
http://www.city.kitakyushu.lg.jp/files/000779940.pdf
港区よりよっぽど全国平均に近いと思うから参考にしてくれたまえ
あと校区の問題も忘れてはいけない。中学生の方が小学生より体力があるので小学校より中学校の方が校区が広い
なにか不明点は?
なんで高校の話に?
http://www.city.minato.tokyo.jp/gakkouuneishien/kodomo/gakko/setosu/documents/gakkyuusuu30-7.pdf
年代で違うだろうけど、表で見ると
小学1年生1,691人÷18校=1校98人
小学2年生1,678人÷18校=1校93人
3~6年間で出生率そんなに変わる?
3割近くはよその自治体へ行くよう促されているんだろうか。