はてなキーワード: フリーライドとは
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自分も数年前に大学内の類似施設で似たような問題に直面して数年解決を試みたけど
自分の実力だけでは解決は難しいなと思ったので、諦めて業種替えした。
最初の転職活動で年収が100万円近く上がったのには唖然としたけど。
自分が好きになったことにつけ込まれる業界で働くより、自分を評価してくれる業界で働いた方が金銭的には
業務を発注するには業務内容の把握と評価を適切にできる必要があるが、大学側に書店運営を
誰もが(財務課が)納得する「委託費用」に評価の重きが置かれることになりがち。
大学全体として正規職員以外の職位者には歪んだ指定制度の名残か最低賃金(以下)で雇いたい傾向が強い。
非常勤教職員、ポスドク、委託先スタッフ、下手すれば実質労働時間で割ると最低賃金下回るのでは?
私は文中のクレーム入れてくる教授を「書店に関心があり心身になってくれる良いお客」というよりは
ベテランが積み上げてきた取り組みにフリーライドする組織の無意識なブラックカスタマーに思えてくる。
取り組みを評価はしても金は出してくれないもの。教授は大学運営に強く関わる一員ですから。
毎年の委託費を「管理コストは毎年下がっているはず」で委託費用値下げを強行してくるとこも当然ある。
あと、大学事務職の傍流には残念の最先鋭な人たちが集まりがちよね。介護手数料を委託費に上乗せしてほしいわ、大学上司氏。
大学内の図書販売や図書館サービスを受託する大手書店系や何とか流通センターは
契約の獲得にあたり、独自性や高レベルなサービスではなく、低価格で何でもやります路線で
契約を勝ち取り続けてきた。大学側に価格以外の評価が持ててないことが一因ではある。
契約価格が上昇したのは最低賃金の上昇分と委託価格にかかる消費税が増税したときくらい。
それでも利益確保をしようとすると、しわ寄せを現場におしつけがち。
書籍の販売は再販制度があるとは言え、万引きで吹けば飛ぶような利益。
コンシュルジュやセレクトショップ形態で独自性を出したところで本の価格に上乗せはできない。
必然的に一番高価な維持費である人件費を削減していく傾向は避けられない。
ましてや大学の書店は生協加入者に1割引きで販売しているので尚更。
維持運営させていくには人を最小人員、最低賃金昇給なしでは事足りず、場合によっては
フルタイムを減らして週20時間以下スタッフの割合を増やし、かつ売り場面積縮小で賃貸料削減も検討する。
教科書・参考図書発注もこれまでの発注履歴からある程度システム化して、業務効率化で乗り切ればよい。
買切りは高リスクなのでできる限り避ける。
あいつら突っ立って、いらっしゃいませ言って品出しすれば良いんだから、たまには苦労して成長しろ。
ちっ、せっかく成長の機会与えてやったら粘りがないから辞めるとか言い出した。
好みで発注しやがって。
せめてリニューアル初期の立ち上げ時にベテランが面倒見てやるのは最低限の義理だろ。とかね。
残念ながらよく聞くはなし。なんか悪い宗教にでもはいっているのかしら。
これまでの日本社会は結婚や出産で正規雇用を退職せざるをえなかった女性が非常に多く、一度退職すると
再度の正規雇用はおろか、30代を超えてからはフルタイムのパートですら見つけるのに苦労する状況があった。
そのため、最低賃金であろうが文化的な匂いのする図書販売や図書館スタッフは大変人気があり、早稲田大学文学部卒や
数十人規模のチームマネジメントをそつなくこなす女性を掃いて捨てるように扱っても応募が絶えない状況が続いてきた。
本を扱う会社は文化的であるというより、文化的であることを取り繕える場所って言ったほうが適切な気はする。
ベテラン書店員が高待遇を得るためには店の売上に常に貢献し続けていく必要があるかと思います。
長年の経験による発注スキルと取材されるレベルの高クオリティなフリーペーパーは一体どれだけ
売上に貢献できたか、広報活動たりえたか。そして本社、大学でその経済価値を共有されていたか。
ベテラン店員の「こだわり」が店舗運営上の障害になりうる場合もあります。
買切商品を100冊独断で発注して1割引きの条件下で販売し「ほとんど売り切れた」として利益でましたか?
海外文学の棚は売り場面積あたりの売上を従来からどれだけ上げる見込みですか?
フリーペーパーについても頒布コスト書店・大学持ちの同人創作活動になってませんか?
文化的評価が高くとも経済的な実績を明示化できないと従業員としての評価には繋がりにくいと思います。
今回のような話は「なんとかぜんゆうなんとかどう」で働いていたスタッフから類似した話をよく聞いてきました。
他の大手書店系でもちらほら聞きます。それでも自分が関わっていた頃よりもクソっぷりの純度が上がっていて
ブロックチェーン流行ってるじゃん。あれ使えば何でも、改竄が絶対不可能になって、所有権を保証できるんだろ。超すげー。
ということで、俺様が考えるブロックチェーンの使いどころを書き記す。よく聞け。
これらの違いは、早い話がブロックチェーンを誰が運用してるんですか、という話だ。
パブリックブロックチェーンでは、誰もがブロックチェーンを運用するノードになれる。そのために、現実的に不正ができないよう、ノード間で見張り合うシステムが必要になる。
Bitcoinのようにお金を扱うシステムで、皆が台帳を持ったら、誰もが、自分のところにお金が入ってきたことにしたり、自分の使ったはずのお金を使ってないことにしたり、といったことをやりたがる。
Bitcoinは、Proof of Workという仕組みで、そういった不正を現実的にはできないようにすることで、お互いに信用できない人同士の分散台帳というものを可能にした。
Bitcoinが革新的だったのは、「信用できない人たちに分散台帳を管理させたらみんな好き勝手に不正するに決まってる!」という常識をぶち破り、そういった人達による台帳管理ができることを示したから。
企業が業務や商売でブロックチェーンを使おうとすると、誰もがノードになれるとか、誰もがノードにアクセスできるとか、そういった仕組みは望まれないことが多いらしい。
そこで、自分たちだけの閉じた環境でブロックチェーンを作ろうという試みが、プライベートブロックチェーンだ。
ここでは、Bitcoinが起こした革命である、信用できない人たちによる分散台帳管理なんてものは必要がない。
プライベートブロックチェーン、いろいろと研究されたり、実証実験が行われたりしているが、
「なんでブロックチェーンでやる必要があるんですか?」にどう答えられるのか、よく分からない。
「なんでブロックチェーンでやる必要があるんですか?」については、後でさらに深く掘り下げる。
プライベートブロックチェーン意味ないよね、と気づいた人達が次に考えたこと。
銀行間とか、企業間とか、組織をまたいでブロックチェーン作ればいいじゃないか、と。
組織力学の都合上、そうするのがいいなら、勝手にやってください。
けれど、Bitcoinが起こした革命である、他のノードに嘘ついてまで不正をしようとしている者同士が、ひとつの台帳を保持できる、というその特性、必要ある?
今も銀行間でいろいろ、電子データをやりとりしてると思うけど、そんな不正しようとしてる銀行あるの?
「なんでブロックチェーンでやる必要があるんですか?」に、技術的には答えられないのがコンソーシアムブロックチェーンだ。
ブロックチェーン使って何かやろうとすると、大体の人がぶち当たるのが「それ、ブロックチェーンでやる必要あるんですか?」「データベースじゃダメなんですか?」って問題だ。
この問題に陥るのは大抵、ブロックチェーンの持つ自律分散の思想を理解せずに、誰かが管理しよう、特権を持とう、中心的存在になろうとしてるからだ。
管理者がいるなら、管理者がデータベースを作って、そこでやればいい。その方が話はシンプルだ。
もっとひどいのは、データベースはデータベースで別で置いて、ブロックチェーンに載せられるカラムはブロックチェーンに載せて、その取引IDをデータベースに記録しようと考えている場合だ。
全部データベースでやった方が作るのも運用するのも楽なことになぜ気づかない。アホなのか。
改竄防止だトレーサビリティだと騒いでいる人がいるが。そもそもブロックチェーンは何を保証するのか。
ブロックチェーンに載ってからは、確かに改竄は難しい。電子署名が不正な取引はブロックチェーンに載せないこともできる。
けれど、必要なタイミングで正しい入力を与えるのは、ブロックチェーンを使う側の仕事で、
電子署名などのプログラム的に検証できるもの以外で不正が行われても、ブロックチェーンは何も検知できない。
ブロックチェーン自体は最近の発明だが、ブロックチェーンで使われている、ハッシュ関数、電子署名などは、
もっと昔から改竄検知や偽造防止に使われていた技術で、それらを適切に利用すれば、ブロックチェーンを使わずとも、大抵の目的は達成できる。
これらの話、知っている人には「うん、そうなんだよねー」って感じだったと思うが、知らなかった人は「じゃあブロックチェーン、一体何に使えるんだよ」と苛ついてきた頃かと思う。
ブロックチェーンは何にも使えないのか。いいや、そんなことはない。
Bitcoinは、送金するのには手数料がいるが、残高照会は無料でできる。他のブロックチェーンも同様のものが多い。
そこで、参照されることは多数あるが追加、変更されることが滅多にないものをパブリックなブロックチェーンに載せて、データ置き場として活用する方法を考えれば、
ブロックチェーンを使って低コストで何かをすることは可能かもしれない。
ブロックチェーンは、誰も管理しなくても動く夢のような仕組みだ。
ブロックチェーンと、staticなHTMLやjsなり、なんかのスクリプトなりがあれば成り立つシステムを作ると、作った人が何もしなくてもネットワークが維持されるシステムの完成だ。
自分:23区内在住。30代半ば、子供は小学校低学年、公立小学校に通学中。
校区に公営住宅がある。
入居希望者は多いらしいが、入居に際しては年齢・所得の制限がある。
家賃は相場に比べて安い。「若いファミリーを援助する」企画なのだから
まぁ当然なのだが。
この都営住宅に住んでいる若い人たち(といっても親になる年齢)、
見た目や振る舞いはそんなにDQNな人たちではないのだが
・共用部清掃⇒やらない、さぼる
本当に、何にもやらない、引き受けない。
フリーライド感すごい。
子供は複数、大体2人か3人はいるから少子化対策に貢献しているのかと思うが
当然親を見ているから「誰かがやらなければならないことは、
他の誰かがやってくれるから、極力やらない」となる。
そうやって育った子供が、果たして与える側の大人になるんだろうか。
問題は、当人たちは「フリーライドしている」と思ってないことなんだけど。
せめて、「与える側にいてあたりまえ。」と思う側の大人になって欲しい。
引き続き、元増田です。
ただそういう人たちのことは置いておいて、今回の件は反対する側も強引だったように思います。
たまに障碍者が何かしてもらったときの態度が横柄だと叩かれることがありますが、人の助けを通常より多く受けなければならない境遇にある人間は、常にこうべを垂れて生活しなければならないのかということが問題になります。
その言い方に敢えて乗るなら、「常にこうべを垂れて生活しなければならない」のであります。
むしろ「こうべを垂れる」程度で守られるというのは恵まれたポジション。大半のひとは「こうべを垂れ」ても守られやしない。
現状、女性が守られるべきでない理由はこれとはちょっと違うと思っていて、
女性が女性側の分業を放棄したうえで「守られる」のはフリーライド以外の何物でもなく、であるならば「こうべを垂れる」しかないのでは?
確かに社会的にはもうそろそろ庇護は要らなくなってきた女性に対して、腕力の面では、腕力のある男性と比べて庇護対象である場合が多いという理屈は、
何回か書いているが、男性に対して望んだわけでもない「腕力」を持ち出すのは、「暴力」であります。
例えるならそれは、子供を産めることを特権だと主張する様なもの。
現代社会では基本的に使い道のない、女性に向けて振るわない「腕力」を持ち出して「守れ」と迫るのは男性への「暴力」。
どっちもどっちなのですが、そこで男性はずっと女性を庇護してきたんだぞというマッチョイズムで押し切るのはもうかなりの時代錯誤であるし、
差別という言葉もちゃんとした定義がなされていないまま宙ぶらりん、
女性はフェミニズムという既得権を守ろうと必死な割に、「女性は全て弱いもので、必ず守られるべき」という大昔のジェンダー観を後生大事に持ち歩く。
ここも一緒くたにするには無理があると思っている。
男性が「女性を庇護してきたんだぞというマッチョイズムで押し切る」ことは一応の筋は通せる。これからも女性を守る前提ではあるが、「大昔のジェンダー観」という規範に基づく。
こういう主張の男性が、「女性は守らない」と主張すると途端に筋は通らなくなるが。その場合は当然、非難されるべき。
しかし、女性が「フェミニズムという既得権」によって得たのは「大昔のジェンダー観」とトレードオフなので、まったく筋が通っていない。
「女性は全て弱いもので、必ず守られるべき」という価値観を放棄するのはフェミニズムである以上、フェミニズムで得られたものを持ったまま「守られるべき存在」にはなりえない。
女性がこの分業を外れたのに、男性に外れるのを許さないことを非難しているだけ。
これは見方による。「体(命)をかけるものしか国の舵をとるに値しない」という価値観の元では、妥当。
そして、その価値観を脱して選挙権を得たのが、女性の性別役割分業からの離脱の第一歩だったと思う。
なぜ省くのか不明。
あと、「男女平等」の社会において、「力仕事など女性に向かないから」などという理由が許される訳がない。
それは「軍事」「政治」であるとか或いは「仕事」全般を「女性に向かないから」といって男性が占拠してた時代のロジックにほかならない。
都合がいい部分だけ「女性には向かないから」は許されない。力仕事するべき。
これは気になる。例えばどんな現場?
見ていたらご教授頂きたい。私にはそれこそ性産業くらいしか思いつかない。
これからは変わっていくと思うよ。
女性の上方婚指向が今以て続いていることを考えると、これからも変わらないと思う。
「お年寄り」「子供」は基本的に誰もがそうであった存在だったり、そうなる存在だが、
女性が「体力がない」理由で優先されるべきではない。それは女性が放棄したロールに含まれると思う。
これらの部分に関しては、「男性は守ってきていない。寝言をいうな」と寝言を言われたので返しただけであります。
以下が本題。
私も女性にはもうすでに社会的強者と弱者が存在しているから、女性という理由で一辺倒に守られてしまうと、強者女性はフリーライドということになると思う。
ただいかんせん、腕力ということでは女性は弱者寄りの存在であるし、犯罪は腕力でもってするものだから、
女性が男性と同程度の腕力を持つようにならない以上、犯罪や暴力などからは弱者として、子供やお年寄りなど、女性より弱い者の次に守られなければならない場合が多いだろうと思うよ。
しかし、フリーライドしているのは強者女性のみならず、弱者女性も弱者男性にフリーライドしているのだ。
その理由として用いられているのが、ここにも書いてある「腕力」。
確かに、犯罪の多くは腕力を持ってなされるだろうが、犯罪者に非ざる大半の男性は人に腕力など向けずに一生を終える。
そのあっても使わない「腕力」をまるで男性の原罪であるかのように振りかざすことこそ、女性からの暴力。加害。
女性はその「腕力」によって守られるロールを自ら脱した。にも拘らず、その「腕力」を逆手にとってすべて男性に自分を守ることを強いる。
性差を考慮した性別役割分業を放棄した以上、性差に甘えることは許されない。
女性は、「腕力」をつけるべき。無理だとしても、それが「男女平等」。
痴漢に関しては、正直私はそれなりに対処できるし、私自身には女性専用車両は必要ないと思ってる。
けれども恐ろしくて声を上げられない女性、高校生などまだ効果的な対処ができないかもしれない年齢の者、そういう人たちのためには心強いことだろうと思う。
「恐ろしくて声を上げられない女性」は「声を上げられる女性」に代わるべき。さもなくば泣き寝入りするほかない。
「声を上げられない男性」が現状そうである以上、「声を上げられない女性」だけが保護されるべき理由は何もない。
ただし、「高校生などまだ効果的な対処ができないかもしれない年齢の者」はまた別の問題で、保護の必要はあるかもしれない。
男女問わず、「高校生などまだ効果的な対処ができないかもしれない年齢の者」である時期は存在するので。
その際は「未成年者専用車両」等が妥当であろう。間違っても「未成年女性専用車両」であってはならない。
社会側の立場から、というのであれば一定の必要性は理解できるが、それでもやはり女性だけを守る理由もない。
それと私としては、男性には私の父や夫、友人に会社の上司や同僚が含まれるので、それらの男性には本当にお世話になっているし感謝しているし、
もっと言えばその他にも色々な方にお世話になっているから、男性というよりお世話になっている方々として、していただくことは何も当然だと思うことはないよ。
先にも述べたが、私は「感謝せよ」とは言ってないんですよ。
ただ、「もう男性に甘えるな」といっているだけ。「守られる存在」ではないと自覚せよと言っているだけ。
だから、世話になっている男性にだけ感謝するというあなたのスタンスは正しい。
腕力や暴力を持って男性に庇護を求めることの暴力性は、上に述べた通り。
社会が「女性(だけの)保護」を目的として施策を打ったらばそれは男性には負担でしかなく、そして今まで男性はそれに耐えてきた。
その代わり子を産み守り育てたり畑を守るのも女性の役目だったから、そこは能力に沿った役割分担ってことでいいんじゃない?
それは女性を庇護するというよりは、女性に人権がなかったということだよね。
戦争と警察の件は省くとして、原発作業員はおそらく力仕事など女性に向かないからだろうけれども。
大変な職場で頑張ってくださっている方には本当に感謝しているよ。
これからは変わっていくと思うよ。
これは体力のない者順にという意味で、お年寄りや子供の方が先だったはず。
これはさっきの有史以来の話もそうだけど、フェミニズムとかまだない昔の話だし、そこから男性に感謝せよってこと???
私も女性にはもうすでに社会的強者と弱者が存在しているから、女性という理由で一辺倒に守られてしまうと、強者女性はフリーライドということになると思う。
ただいかんせん、腕力ということでは女性は弱者寄りの存在であるし、犯罪は腕力でもってするものだから、
女性が男性と同程度の腕力を持つようにならない以上、犯罪や暴力などからは弱者として、子供やお年寄りなど、女性より弱い者の次に守られなければならない場合が多いだろうと思うよ。
被害者がめちゃくちゃ腕っ節の強い女性などはその限りではない場合もあるかもしれないけど…
痴漢に関しては、正直私はそれなりに対処できるし、私自身には女性専用車両は必要ないと思ってる。
けれども恐ろしくて声を上げられない女性、高校生などまだ効果的な対処ができないかもしれない年齢の者、そういう人たちのためには心強いことだろうと思う。
だから私は守られる女性側としてではなく、社会側の立場から弱者を庇護する側として、必要なのではないかと考えている。
それと私としては、男性には私の父や夫、友人に会社の上司や同僚が含まれるので、それらの男性には本当にお世話になっているし感謝しているし、
もっと言えばその他にも色々な方にお世話になっているから、男性というよりお世話になっている方々として、していただくことは何も当然だと思うことはないよ。
ただ、昔から男性は女性を庇護してきたのだから男性全体に感謝せよ、みたいな感じだと、はてな…?となる。
記事中にある「生産性の低い(=売上には貢献してない)サービスを行う社畜」も給料はもらってるわけよね。んで彼らの給料の原資はって言うと、生産性の高い労働者のあげた利益にあるわけだ。
つまり、増田の言ってる論旨は「売上になってない労働者にも金を渡せよフリーライドさせろ、それが日本の雰囲気作ってきただろ」ってことになるわけだけど、その説得を向けるべき先は「金を稼いでる、金を持ってる人たち」なわけね。なにせ彼らにぶら下がろうとしているわけだから。
で、そんな説得可能だと思う? 自分が逆の立場だったら受け入れる?
「生産性改革」ってのを、世間はどうも「日本全体で豊かになろう!」みたいなものだと考えてるし政府も承知のうえでそういうミスリードをしようとしているけれど、実際にはそれより以前に「足手まといを切り捨てて見殺しにしようZE」だよ。もちろん、それは、ある意味正しい。なぜならそういう切り捨てをしない限り、普通の人々は絶対に目覚めないから。国際競争の中で前線についていく気なら、競争のルールをみんなで思いしる必要はある。
これは別に社会全体で弱者切り捨てをしろってのとは、また別の話だよ。2倍利益を上げたひとに1.1倍の報酬しか渡さないのは間違いだって話。再配分は政府がやるべきで、私企業にそれを求めるべきではない。じゃないと雇用流動性もクソもない。
2018/1/25 公式サイトの閉鎖や開発者からの謝罪文について追記。
「CAFEditor(CAFE)というAviUtlの正式な後継ソフトが開発されている」
実際にはタイトルにある通りAviUtlとは何の関係も無いし、AviUtlの正式な後継ソフトでもないので、
勘違いする人が少なくなるよう、調べてまとめてみました。
「KENくん」氏によって開発されたフリーのWindows用映像編集ソフトです。
プラグインも含めて高機能なので動画投稿者などの間で広く使われており、比較的有名なソフトです。
数名の有志が開発しているマルチプラットフォーム対応でオープンソースの映像制作ソフトです。
まだ開発初期段階であり、ごく限られた機能しか実装されておらず、実用段階ではなく安定もしていません。
AviUtlとの互換性についても特に言及されていないようです。
また、AviUtl作者の「KENくん」氏は一切関与していません。
「AviUtlの後継映像制作ソフトウェア、CAFEditorの公式サイトです。」
「A Way BETTER than Aviutl」
「CAFEはAviUtlの後継として開発された映像制作ソフトです。」
「CAFE(Creator's Advanced Film Editor)は、
といった文言があり、あたかも正式なAviUtl後継ソフトであるかのような誤解を招きやすい状態になっていた。
●当然ではあるが、AviUtl作者の「KENくん」氏から許可を得たわけではない。
旧: CAFEはAviUtlの後継として開発された映像制作ソフトです。
新: CAFEはAviUtlの後継を目指し開発された映像制作ソフトです。
という修正を行ったが、他の文言がそのままになっていることもあり、
AviUtlの公式後継ソフトだという誤解を招きやすい状況は1/23時点でも続いている。
→(1/25追記)
1/25の夕方頃にCAFEditorの公式サイトが閉鎖され、GitHubに開発者の謝罪文が掲載されました。
●また、上記修正を行った際、CAFEditor公式ツイッターで
「弊プロジェクトは以前よりKENくん氏の所在をお探ししております。
引き続きKENくん氏との連絡を試みて、公式後継ソフトとなれるよう頑張ります」
(そうは思わないという人もいるかもしれないが、筆者の考えは後述。)
●CAFEditor(CAFE)公式サイトに「AviUtlの後継」「将来的に専用の高速レンダリングサーバーも検討しています」といった文言や
AviUtl公式サイトへのリンクがある件、また「公式後継ソフトとなれるよう頑張ります」といった発言などは
開発陣の間で合意がとれていたものではなく、相互チェックがされていなかったり個人の独断であったりという事情がある模様。
●これらの文言や発言などをめぐって開発陣の間でトラブルがあったようで、
レンダラー/エンコーダー担当者の離脱なども起きてしまっている模様。
●設計/GUI担当の開発者は中学生で、3月~4月頃までは高校受験のため活動不可とのこと。
●AviUtlは1997年から開発されていた歴史のある(古い)ソフトであり、更新も2013年4月で止まっているため、
「Windowsでしか動かない」「32bitアプリのためメモリ使用量などに制約がある」
「重い映像制作(4Kなど)は厳しい」といった課題も抱えている。
●CAFEditor(CAFE)の開発は、「良い映像制作ソフトを作りたい」という思いから始まったのだと思うが、
現状を見ると「AviUtlの後継」という言葉に奇妙な執着を見せてしまっているように思える。
●「KENくん氏との連絡を試みて、(AviUtlの)公式後継ソフトとなれるよう頑張ります」という発言はいかがなものかと思う。
全くの別ソフトであり、まだ初期開発段階であるにも関わらず、有名ソフト作者から後継認定を得たいという姿勢は正直言って好ましくない。
もっと言うと、開発が進んである程度優れたソフトになった後だとしても、あまり好ましくないと思う。
企業等がAviUtlの権利を買収するというならともかく、そうではないのだから、
AviUtlの名声に便乗して名声を得ようとするフリーライド的な行為に見えてしまうこともある。
●CAFEditor(CAFE)はAviUtlという名前に頼ったり無闇に引き合いに出すのをやめて、
独立したプロジェクトとして開発を進め、独自に評価と実績を積み上げていった方が良いと思う。
●まだ開発初期ということや開発陣の事情などにより、公式サイトの作成やチェックなどが滞っていたのは仕方ないと思う。
●トラブルもあったようだが、高機能な映像制作ソフトが望まれているのは確かなので、無事にプロジェクトが継続してくれることを願う。
例えば、「物凄い副作用が出て人生めちゃくちゃになる可能性も0ではないが、大金もらえるので期待値的にはプラス」という治験のバイトがあったとして、それ自体は人権侵害じゃないけど、「拒否権なし」でやらせたら人権侵害よね。
で、元から「国のためには人権侵害も場合によってはやむなし」みたいなタイプの人は困らないだろうけど、「集団の維持のために基本的人権がおかされるべきではない」というタイプの人はここで困っちゃうんよね。
俺は、「死ぬのが怖い、そもそも生まれたくなかった」って思うことがしばしばあるから、こんな「満ち足りて生まれたことに感謝するかもしれんが、生まれたくなかったという思いだけ抱え続けることになるかもしれない」みたいなバクチを強制的にやらせる真似は厳しいな―と思うので反出生主義に近いんだけど、「他の人が反出生主義じゃないから当面は人類が滅亡しなくて済みそう」という状況に甘えてフリーライドしてるかなという気もしなくもない。
「少子化問題を解決するウチの子が正義!そして育ててる私も正義!」
という話をこれまで押し通してたものだったけど、
税収、産業維持などの前提が崩れてきたので
だからそろそろフリーライドされそうになったら、拒否してもいいし
そりゃ中にはそういう所もある、けど
一般論として「産休育休育児中女性社員の分の仕事の押し付け先は独身女性である」企業が多いし
この手のフリーライドママ社員の扱いをどうするかというビジネス記事も最近多いけど、
それもそれが前提で語られている事が多いよ。
男性からしたら「同じ女性なんだから助け合え」とか「お前もそのうち出産して他人に迷惑かけるんだから」って理論なんだけど。
勿論全てが一般論通りではなくて、
今年の漢字はどう考えても「倫」でしょう。
・芸能の世界において「芸の肥やし」として称賛され、不問とされてきた愛人、不倫問題がワイドショーを賑わせたこと
・相撲界における、土俵外での「かわいがり」と称した暴力の行使の横行
・国内企業における、過度の原価低減を追求した結果引き起こされた品質不良問題
・国際的にも指摘を受けていたものの、長らく放置されてきた、外国人技能実習生の雇用問題
・(最大限譲歩したとして)「森友加計問題」における権力者の信頼にフリーライドしてきた「虎の威を借る狐」を放置し続けた現政権の責任
・(最大限譲歩したとして)ある種の権力批判を行う者に対する、ダブルスタンダードと言わざるを得ない「甘さ」
・ハリウッド映画界において、長年見過ごされてきた権力者によるハラスメントの問題化
・国内大手広告代理店において、有能であるがゆえに見過ごされてきたクリエイターによるハラスメントの問題化
・「BEPS」と呼ばれる、合法的な租税回避を行っていたグローバル大企業が、OECD諸国による対策やいくつかの国における訴訟によって、自主的な納税を行うようになったこと
いちいち挙げていけばキリがない。これ全部、狭い世界における「倫理」が、より大きな枠組みでの「倫理」、あるいは「法理」によって制裁を受けた事例ばかりですよね。
「世間」において、かつて問題ないとされていた振る舞いが、「世界」には急速に受け容れられなくなっていく。「バズる」という言葉が当たり前ように使われるようになった今、ルールが変わってしまったのでしょうね。喫煙者が公共スペースにおいて居場所を失い、自業自得ともいえる肺がんリスクと向き合わなければならないように、多くの人々が過去の「ヤラカシ」に対する執行猶予中あることが、もう、完全に隠しきれなくなったのが、2017年という年だったのかなと思う。