はてなキーワード: ストライキとは
http://anond.hatelabo.jp/20140314233406
http://www.waseda.jp/student/waseda/wf8.html
早稲田は長い間、革マル派が支配していて多くの学部で94年まで定期試験が2年に一度ストライキで中止になって全員が単位をもらってた。
ストライキを無視して試験を始めると活動家と称するおじさんが試験上に入ってきて答案用紙をすべて破っていたのよ。
で、やむを得ずレポートにする教授もいるんだけど、そういう教授のところにはおじさんが5人くらいやってきて何時間も吊し上げにする。
革マル派の要求を拒否した教職員は殴られたり襲われたり盗聴されたり長い間それはそれはひどい目にあってた。
そういう危険な状況だったのでテストはしてもどんな内容でも名前と学籍番号さえ書いてあれば優をつける「全優制」が定着した。
そんな状況を見た学生は勉強などせずサークル活動ばかりしていた。
2年に一度のストライキの年にはすべての単位がもらえるから自動的に卒業になっちゃう。
卒業したくない学生は仲の良い教授のところに行ってわざわざ不可にしてもらってたくらいなんだよ。
そうやって非コミュとかコミュ障をぼっちで放置するだけでなく、いじめとか引きこもりの原因にもなっていて、長らく社会問題になってるんだけど、どうよ?
「持たざる者が、持つ者にたいして、配慮しろ(=オレにも寄越せ)と説得する」ってのが現代社会のありとあらゆる場所に見られる。
才能があるやつはイイよな努力しなくても何でも出来て、とか。
これらにたいしてもちろん人権()とか平等()とかをお題目というか錦の御旗にして、持たざる者が持つ者に対してその是正を求めて行くわけだ。それは別段非難されることではない。自分の利益を最大化しようという行動だからだ。でも一方で「持つ者が持たざる者には一切オレの富をやらん」というのも同じく自分の利益を最大化しようという行動で、その点で両者に差はない。
「持たざる者が持つ者に対してその是正を求める」というのが社会正義をひいて絶対的に正しいと思う人もいるが、これは嘘だ。倫理的に一定の正しさはあるが、じゃあそれが「持つ者の私有財産権」を犯していいものかというと疑問である。その両者の間で良い具合のところで落としどころをきめるしかなくね? というのが現代社会のコンセンサスだ。
「持たざる者が、持つ者にたいして、配慮しろ(=オレにも寄越せ)と説得する」ときに、持たざる者が絶対に自覚すべき事がある。
長らく社会問題になってるんだけど、どうよ?
これは「俺たちに配慮しないと問題を起こすぞ(=いやならお前たちの富を寄越せ)」という意味だ。
デモやストライキもその意味ではまったくいっしょだ。「社会問題になってますねー(チラチラ」はサボタージュに近い。
「持つ者」が多数派で法を支配している場合、「持たざる者」のあらゆる抗議は違法であるとされる可能性がある。または適法の行動では「持つ者」の意志を一切変えられないという事態も予想される。法の支配や独占は言うまでもなく(適法ではあるのだろうが)ある種の暴力である。その場合「持たざる者」の抗議行動はテロになるだろう。
デモやストライキ、サボタージュとテロの違いは法律で許可されているかいないかの一点に尽きる。しかし手法としては同一線上にあるものだ。
欧米だけだろというコメントもあるので北京も加えて考察してみたい。東京は東と西では文化が違うのでそれも別だな。米は言ったことないのと欧で大都市はパリしか知らないけど、個人的な感覚としてはどっか不親切な部分はあるけど、どっかしら親切、表出の仕方は文化の差としか思えなかった。
東京東:よく見かける。
東京西:よく見かける。ただまぁ嫌な顔してどかないなどして邪魔する人も時々いる
パリ:割と見かけるが、バスなどに乗る場合はたいていカップルで移動しているので、どちらかがやっている。いない時は(関係ない)おばちゃんが指令を出して若い人にやらせたりする。終わった後ににっこりしあうのはマナーで特に意味は無い
北京:あんまりベビーカーを見かけないが、基本的にカップルまたは家族で移動しているので誰かが抱いている
東京東:基本無反応かな。下町を歩いていると声をかけられることもあるが、知り合いでないとねぇ
東京西:レジとかでよく話しかけてるの見かける。多分レジのパートに日本人が多いせい。眼差しは無関心を体現した感じ
パリ:基本的に目が合うとにっこりするのがマナーというだけで別段あたたかいわけではない。そのかわり騒いでいても気にしない
北京:ぐずってる幼児に席譲ってあげる若い子をよく見かける。というか基本的にまったく知らない人でも隣にいると急に話しかけ始めたりするので優しさというわけではなく、そういうものだと思ってるぽい
東京東:まわりにいる人による
パリ:弱者(外国人観光客ふくめ)が基本的優先+ママが周りを気にしていないので特になにが変わるわけではない。和むかどうかは本人のひとがらによる
東京西:知り合いになるほど厳しい
パリ:厳しくないが適当といったほうが適切。他人はどうでもいい。他人が嫌なことしてると黙ってそっと距離を取る
北京:何かアクションがあるまで他人がいることに気づかない。自分優先。他人がイライラしていても気づかない(イライラしてる方もイライラする前に口に出す
東京東:基本安全なのでそういうことはないが、千葉・茨城側に行くと一部地域ではあぶない
東京西:基本危ない
パリ:かなり危ない
北京:よっぽどのことがない限りない。ボッタクリはあるかもしれんが
東京東:良い意味で人種差別的なものはある。外国人相手にはどんなときでもたいてい親切
東京西:かなり嫌な顔をする人の割合が多い。人種差別はないかな
パリ:白人なら嫌な顔はされない。ほかは乗ってきた時点でされる。何人でも子供が泣き叫ぶことに関しては無関心。バスの中とか走り回ってても気にしない
北京:そもそも大人がうるさい。言葉が通じない相手には親切(というかおせっかい)
東京東・西:豊か
パリ:少ない印象はある
北京:豊か
東京東:まぁ多い
東京西:多すぎ
パリ:朝はかなり満員。押さなくて入らなくて良い程度。ストライキがあったら埼京線並み
北京:バスも地下鉄も路線によっては常にかなり混んでいる。日本の通勤時間帯なみになることも
東京西:つねになる
パリ:ならない
北京:ならない
北京:基本的にカップルで移動。ママが子供を抱いているがパパがちょっかい出しまくっている
東京西:周囲に無関心
パリ:当然という態度
北京:周囲に無関心だが席譲られたりしたら一応お礼は言ってる
言葉通じるという点で日本が一番楽ですね。個人的には東京の西側よりは東・北側の下町が楽だと思います。ほんと。田舎のほうが厳しい印象はあるなー。あと大人のネットワークがめんどくさい。
手塚治虫の虫プロダクションが無理してアニメなんて作るから、と言ってしまえばそこまでだが、
手塚治虫がそれでそこそこ品質の良い作品を仕上げてしまったために、アニメーターには夢を抱かせ、そしてアニメ会社には拝金主義思想を植え付けてしまった。
そもそも現在はデジタル化やIT化が叫ばれる中で未だに作画枚数を何百、何千、と一人当たりに描かせていてそれに見合った報酬が支払われているかというと全くそうではない。
声優業界も同じで一時期は声優ブームの裏側で声優として賃金上げを求めた抗議活動も盛んではあったが、今は完全な年功序列が組み込まれており実力主義的な世界でありながら、
それに見合う給料が一切支払われていない。
アニメーターは一枚当たりの原価(単価)、声優は一つの作品とか番組コーナー一枠辺りの報酬が果たして見合ったものかというと現状はノーだ。
一部週刊誌によると、その労働条件や環境はブラック企業のそれに等しいものだという批判がある。
一方で夢を売る商売であるために、差し引きゼロのような思考回路を持ち合わせているため、給与が見合わなくてもテレビに出演したりアニメ番組にレギュラーで出る等という、ほんの一握りの人間しか立てない夢の舞台というプライスレスな劣悪な労働条件の何よりも大事な事があって、それで辛うじてストライキが起こり難いのかなと感じる。
アメリカでは、ウォルトディズニー社やピクサー等のアニメ会社や海外アニメの声優というのは、ギャランティーが高品質の仕事と比較しても日本の数十倍もある。
アメリカは夢の舞台に立つだけでなく、その人材を評価しているのでビジネスとして成立してる側面がある。
日本のアニメ産業というのは、衰退しつつあり、また年々人件費を削減傾向にあって、そのくせBDなどのメディア媒体がアメリカの4,5倍程度の価格設定であり、明らかな中間搾取構造が見て取れる。それだけに日本アニメ会社の拝金主義というのは深刻であり、アニメーターや声優などを軽視している風潮があるのも頷ける。
その根本たる原因が、今以て日本国内外で素晴らしい評価を得ている手塚治虫にあるのだ。
この労働条件を顧みてもっとアニメーターの質を維持ないし向上させるためにも、また政府が行おうとしているクールジャパンによる海外へのアニメ文化の浸透させる等といった文化交流促進というのも、彼らあってこそであるから、これを改善すべきだ。
考えれば考えるほど、医者+製薬会社+官僚の権益確保システムがよくできていて笑うしかない。
さすが日本最高の頭脳がよってたかって長年かけて作り上げたシステム、非の打ち所がない。
あらゆる方面に対してWIN-WINの関係(もしくはそう見えるような状況)を巧妙に作り上げて文句も言われにくくなってところも、もう芸術的といっていい素晴らしさだ。
日本国民は国民皆保険制度により、3割の負担で医療を受けることができる。
どんな医療行為がいくらになるかは診療報酬制度で全国一律となっており、地域差や病院によって負担が不公平にならないようになっている。すばらしい。
現行の診療報酬は
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2006/10/dl/s1005-4e.pdf
このへんがオフィシャルなのかな。
うん。よくあるよね。なんだか痛いので整形外科にいくようなパターン。
初診料 270点
検査 577点
画像診断 158点
処方せん料 70点
計 1,075点
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( ゚д゚)
(つд⊂)ゴシゴシ
(;゚д゚)
(つд⊂)ゴシゴシ
_, ._
(;゚ Д゚)
高っ!
レントゲン1発撮って1580円(MRIなら8500円!)いつもどおりの処方せん書いて700円。なんという戦略的価格。
でも、3割負担だから請求されるのは3225円。これぐらいなら。まあ…ちょっと高いけど、また痛くなったらお願いしようかと思うよね。これが老人なら2割負担だから2150円。それなら毎日のように通って看護師さんに優しく湿布貼り替えてもらおうかって思うよね。
でも病院には10,750円ちゃんと支払われる。そりゃ儲かるよ!八百屋がトマト1個300円で売って、でもお客は90円しか払わなくていいってなってたら、そりゃあ八百屋儲かるよ!
もちろん残りの7割はみんなの給料から結構な金額天引きされてる健康保険。価格の7割を税金で補助してもらえる産業なんて医療をおいて他にはない。医者が開業するとき銀行は喜んで億単位の資金を貸し出してくれる。回収できる確率が非常に高いことが判ってるからだ。その辺の社長さんが起業するときあちこちから1000万借りるのにする苦労に比べたらえらい違いだ。
住宅地の路地裏にひっそりあるお爺ちゃん先生がのんびりやってる内科医院とか、あれでも潰れないどころか、ベンツ乗って大きい家に住んでるからね。しかも100m歩く間にそんな病院が3軒あったりして。そんで息子はお金かけてええとこの医学部行ってこんどは資本金いらずで後を継ぐね。なに、新しいレントゲンが2000万?よっしゃ父ちゃんが開業祝いにポーンと現金一括買いしちゃろ。
http://nensyu-labo.com/sikaku_isya.htm
「開業後しばらくの間は借入金の返済に追われる日々となります。」とか書いてあるけど10年ぐらいで返し終わったらあとはジャンジャン儲かる日々だからね。
そんな現代の貴族とも言うべきお医者さん。でもさすがにそれは他業種に比べてあまりにも保護されすぎだろう、皆保険制度なんてやめちまえ、という話には、ほとんどならない。
「お金のない人でも、等しく医療を受けることができるようにしましょう」
という国民皆保険の精神はどこからも文句のつけようがない正義だからだ。素晴らしい。
また、全国一律の価格設定になっていて、それ以外の価格を提示してはいけないという縛りがあって、さらに医療法で病院の広告宣伝にはものすごく厳しい制限がかかっている。具体的には、例えば病院の「売りや自慢できるところ」を不特定多数に向けて宣伝できない。看板に書いていいのは病院名と科目名ぐらい。
http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryou/kokokukisei/index.html
つまり、市場原理が著しく制限され、働かないようになっている。
するとどうなるか。
経営に力を入れて儲けようとする病院と、そうでない病院に差が生まれにくくなる(口コミ等で多少の差はできるが決定的にはならない)。つまり住宅地の路地裏に(略)内科医院が潰れない。一般企業だと起業したら9割は数年で潰れるけど、病院はよっぽどのことがないと潰れない。潰れないどころかベンツ乗って(略)。
でもそんなのおかしいじゃないか、もっと競争を働かせて過剰な町医者は淘汰されるべきだ、という話には、まずならない。
「全ての市民がかかりつけ医(ホームドクター)を持って日常的に健康を保ち、難しい症状の場合だけ、大きい基幹病院に行くようにしましょう」
という「サテライト構想」は、文句のつけようがなく国民全員の利益にかなっているように見えるからだ。
もう鮮やかすぎて感心するしかない。
定期的に、医師不足が叫ばれている。そういうときテレビのワイドショーに出てくるのは産婦人科と基幹病院の救急救命。「当直明けで外来もこなさないといけない」「ちょっとしたことですぐ訴訟されちゃう」激務や責任でドロップアウトしてしまう医師も多い。医師をもっと増やすべきなんじゃないか。
医者になって開業すれば貴族になれるって判ってるんだから医者になりたがる高校生はいくらでもいるだろう。医学部を新設して定員をどーんと増やしてちょっとキャンペーンはればあっという間に(医学部6年+経験を積む数年ぐらいで)医師不足解消できるよ。
という議論が出た時、反対したのは日本医師会。
http://dl.med.or.jp/dl-med/teireikaiken/20100714_1.pdf
医師数増加に関する日本医師会の見解 -医学部を新設すべきか-
また、G7 平均(G8 からロシアを除く)の人口 1,000 人当たり医師数は 2.9人である。仮に日本の人口 1,000 人当たり医師数をG7平均なみに引き上げるとすると、現状の人口を前提に医師数を1.3倍に増加させる必要がある。
と、先進国との比較で医師数が少ないというデータには触れながらも、
1.教員確保のため、医療現場から医師を引き揚げざるを得ず、地域医療崩壊を加速する。
2.教員が分散し、医学教育の水準、ひいては、医療の質の低下をまねく。
3.人口減少など社会の変化に対応した医師養成数の柔軟な見直しを行いにくくなる。
1医育機関当たり医師数は289 人であるが、二次医療圏の約 4割では、医療施設従事医師数が289人以下である。医学部が新設されることにより、地域でさらに医療崩壊が進むことを否定できない。
として、医学部新設には反対。既存の医学部の定員増でゆるやかに変化していけばいいというのんびりした見解。
実際のところ、なんであの激務のお医者さんたちが「全然人が足りない!」ってなってるのかって、つまり忙しくてそれほど儲からない勤務医よりも楽で儲かる開業医のほうがいいからみんなそっちに行っちゃってるからからなわけだけど、華麗にスルー。そこには触れられたくないんだろうね。貴族制度の崩壊につながるといけないからね。
月18万もらってる生活保護の受給者を妬む人がすごく多い割には、月100万以上稼ぐ開業医を妬む人は少ない。「開業医ちょっと楽して儲け過ぎじゃね?」という話題があんまりどこからも出ないのと、定期的にテレビやマンガで格好いい医師の話が印象づけられるのもそこそこ影響してるんじゃないかと思う。ああいうのに出てくるのは必ず勤務医か離島とか過疎地の忙しそうなお医者さんで、間違っても町の暇そうなのにベンツ乗って(略)お医者さんは出てこない。
病院だけじゃなく、薬局に流れこむお金も税金で7割ブーストされている。そこで儲かってる製薬会社にも広告宣伝の制限はあるけど、TVCMをしてもいいってことにはなっててつまり大スポンサーなわけで、その辺が関係してるんじゃないかと思うのはこれは僕の単なる想像だけど。
医師が国に守られてるみたいなこと言ってるけど、制度を決めるのは官僚と政治家であって医師でなく云々。もちろんその点についても抜かりはない。
官僚は東大卒のエスタブリッシュメント。エリート同士はやっぱり理解し合いやすいし、お互い得になるスキームを賢い者同士で作りましょう、ということにはなる。厚生労働省には元医師が医系技官としてしっかり入り込んでたりもする。医療費の規模が大きくなる=厚生労働省の予算が大きくなるのだからやはりWIN-WINの関係だ。出産一時金が30万円から50万円に上った途端、町の産婦人科の出産料金が軒並み50万円に上がったのにそういうのを規制しようなんて話には一切ならなかったのは記憶に新しい。
政治家は票を沢山動員する団体の味方。日本医師会は超強力な圧力団体だ。なんせ会員数16万人
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8C%BB%E5%B8%AB%E4%BC%9A
に加えて、病院の看護師や事務員、介護職員も動員できる(選挙の時期になると医師会から誰々を応援すべしというプリントが配られる)ことから、いったい何百万票規模になるのやら。
介護職員なんか、ワーキングプアの代名詞みたいなのに、まんまと医師会の言うこと聞いて医師がお金持ちになる手助けしてるという。でも自分たちの給料上げろとかって全国一斉ストライキなんて企てもしない。いい子たちやなあ。
たくさんブクマもついてめでたいことです。自分の意見を書いてなかったので書きますよ。
☓ 医者が儲け過ぎてて妬ましいので医者は貧しくなってワーキングプアになれ! ←そんなこと思いもしない。ただ飛行機のパイロットよりちょっと安いぐらいでよくない?とは思う。
☓ 国民皆保険が糞だからやめちまえ! ←素晴らしいって本文でも言ってるじゃん。安い負担で医療が受けられるのは本当にいいこと。
◯ アメリカよりはまし ←ほんとそう思う。アメリカがひどすぎて、っていうか、アメリカの市民生活にかかわる社会システムは見習わないほうがいいものが多すぎる。若者の死因第2位が殺人なんておかしい。
現状をこうこう変えるべきとか思いつきもしない。だってどこかを変えたらどこかに不利益がでるもの。そんな風に、しっかり独占と税金ブーストによる利益を確保しながら、心理的にも構造的にも変化を受けづらいようなしくみになってるところが「凄すぎる」って話です。
や、自分は少子化は貧困層のストライキという考え方なのであなたの主張は理解できるよ。
だから搾取対象が必要な富裕層がやっきになってるという見方だし。
自分は、人間を社会構成に必要なリソースと見なすのなら、全ての子どもは親に育てさせず国家機関で育てさせるようにすればいいと考えている。そうすることで富裕層が自分の子どもにだけ豊かなリソース配分することを禁じる。相続は一切させない。
全ての人間は遺伝子上の親の階層に関係なく、スタート地点が同じ、対等な個人として扱われる。
女も男も若いうちに卵子と精子を採取して去勢し、人工授精で必要な人員は確保することにすれば、女性も望まない妊娠の恐怖から解放されて男性と同じように快楽目的でセックスできるようになる。
人工子宮ができればベストだが、それができるまでは、女性の希望者に充分な保障と引き換えで出産だけしてもらうことにする。
最低賃金を全国一律1000円以上を義務付ける。
いまだってサービス残業は違法なのに、平気でまかり通ってる。時給をあげたら、代わりに労働時間を「減らされたこと」にされて、けっきょく同じ額しかもらえないよ。
それができるなら今でもやってるだろ。なんでやらないの?
あなた自身が「人件費カット」って言ってるじゃん。つまり失業率アップして、景気低迷の要因になるわけだよ。
最低賃金を上げた影響はブラック企業だけじゃなくて、全ての企業に響く。真面目なところほど手痛く響く。
結果的にブラック企業のみが生き残る。
私はこうして退職を強要された/NECリストラ 面談一問一答メモ
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-10-09/2012100906_01_0.html
この内容、うちの会社のリストラのときと全く同じですので、事実です(きっぱり)。
この世の中には「再就職支援会社」というものがあるのですが、その実体は「リストラ支援会社」です。リストラのノウハウを会社に提供し、そのかわり、どの会社に転職しても使い物にならないような社員から「再就職支援」としてセミナーやらなんやらで退職金をむしり取るのです。だいたい、使えない社員を今まで放置していた会社の人事部にリストラ能力なんてあるわけないじゃないですか。自分の手を汚す必要もないし、Win-Winです。NECにアドバイスした会社も分かりますが、そこまでは触れないことにします。
うちの会社のリストラは10年以上前なんですが、同じ頃にマツダでリストラがあってそのリストラマニュアルが赤旗で公開されまして、それがうちと全く同じでした。面談で上司がしゃべった内容が全く同じ。だから、最初の数秒で自分が3段階のどこに位置するのかが分かりました。残って欲しいのか、どちらでもいいのか、辞めて欲しいのか。我々に選択の余地はなく、否定すれば面談が繰り返されるだけです。私の元上司はマニュアル通りにこれを実行し、メンタルを病み、はたから見ても明らかに衰弱していきました。冷酷な人間のように見える上司も、被害者です。
うちは若い会社だったので労働組合はなかったんですが、NECのような歴史のある会社でもこの程度となると、このご時世、労働組合の価値って実はゼロなのかもしれないですね。ストライキをしたところで実際にモノを作っているのは中国なので何も困らない。今さら言うまでもないですが、手を動かしてるだけでお金がもらえる時代ではないないんだよということで。
たいした理由もなく、テストデプトの動画をYoutubeでいくつか見ていた。
このバンドについての情報って日本ではほんとに少なくて、俺個人的に
名前はよく聞くが実際のとこまったく得体が知れない、という
状態でここまできていた。ライブ動画や劇団とのコラボにまつわるドキュメンタリー、
PVなど見てなんとなーくようやく把握できた感が持てた。
いわゆるメタルパーカッション系に分類され、同時期に活動していた
アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンと比較されることの多いバンド(?)だ。
でも改めて見てみると両者の共通点はそれこそ「メタルパーカッションを使ってる」
くらいしかないと気づく。ノイバウテンはやはりかなり「ロックバンド的」なのに対し、
テストデプトは「パフォーマンス集団的」というか、ポップさがまるでなくてやたらと
政治色の強い、なおかつ青くないブルーマングループ、みたいな。
そうそう、政治色というか「反◯◯主義」みたいな部分も特徴のようだな。
なにしろアルバム「ショルダー・トゥ・ショルダー」は「南ウェールズストライキ炭鉱労働者合唱団」との
ダブルネームだし。ただ、反資本主義的な方向性はソ連崩壊後の彼らの作品からは薄れ、
キリスト教以前のイギリスというテーマに傾倒してどんどんクラシックと民俗音楽が合わさったような
方向に行ってしまう。(末期のSPKもそうなんだがヨーロッパ方面のノイズの人ってなんでちょっとほっとくと
クラシックくさくなっちゃうんだろ)劇団「ブリス・ゴフ」とのコラボ「Gododdin」なんかが特にその
傾向が強い。
さてもっかいノイバウテンと比較するとテストデプトはバンドっぽくない。なんか「パーカッション主体の『楽団』」
確かにそうだよな。マンガ・アニメ・ゲームなど「一人用娯楽」が充実する前は、集団でつるむのが最大の娯楽だったわけで。で、集団をつるませる最強のツールはなんといっても「圧倒的に強いものに対する弱者の愚痴」だろうしな。そんな時代にはデモやストライキなんて絶頂に面白い娯楽よな。
普段上司にもおどおどする弱者が集まって、大通りの道の真ん中のし歩いて大声でわめき叫んで喝采を浴びて、終わったら打ち上げに飲みに行ってクダ巻いて、仕上げにTVと新聞で自分らの勇姿を見てまた盛り上がる、と。多少ミテクレがどうでも腕力がなくても、先頭で旗振ってれば、「あら、かっこいい」って感じでちやほやされる、と。おまけにそれで給料もあがったりするかもしれん、と。
そりゃやるなと言われなくてもデモやるわ。
今の時代のデモ知ってるか? つきあいで日当貰って交通費貰ってそれでも休みを潰すからやり手もなくて順番の押し付け合いで、当日は道の端を一列に並ばされて、歩き方から旗の振り方から横の警官に指示されて歩かされて、通行人が素で歩く横で「○○○○~!」とか馬鹿みたいな台詞を叫ばされて歩いてる女子高生にはあからさまに「うるさい」とか文句言われて耳ふさがれて、いや一般人に反感買いながらやるようなことかこれ?と疑問をいう余地もなく、終わったら「はいおつかれー」みたいな台詞だけで、もうみんな死んだ目で一刻も早く帰りたい雰囲気が充満して、さっさとかえってゲームでもしてえな、という。
そりゃ流行らんわ。
労働運動のやり方、少しは考えようや。な? せめてストだけ真面目にやるとかさー。
イタリア語版Wikipediaのプロテストによって日本のネットでも話題になった「通信傍受法」の改正案問題について、誤解が大きいので、簡単にまとめておきたい。というのも、TechCrunch の次の記事「イタリアのWikipedia、『ネット傍受法案』に抗議して自主的に閉鎖」があまりにも極端で、また一般にイタリアが誤解されたままでいることにも耐えがたかったからだ。
http://jp.techcrunch.com/archives/20111006italian-wikipedia-shuts-down-in-protest-of-proposed-law/
前もって断りを入れておくと、イタリアの法制度はもちろん、法律の専門家ではないので、間違いがあれば喜んで指摘を受けたい。また、訳のまずさについてはご寛容願いたい。
さて前段として、話題の法案DDL Intercettazioni(ちなみに、DDLとは”Disegno di legge”の略語で、英語に直訳すると”Design of law”、日本語では単に「法案」と訳すのが適当) で問題になったのは、ネットの規制に関する部分よりも、傍受された通信記録の公開に関する変更についてだった。これまでは裁判前であっても当局と弁護人の合意のもとで通信記録を公開できたものが、裁判中、また事件に関わる部分のみの公開とすることに限定されるというものである。当然、各メディアともこれには批判的な論調を取っているようだ。
最近では、ベルルスコーニが売春婦を政府専用機に乗せていたというニュースが日本の報道でもあり覚えておられる方もいると思うが、これらのことについて話された会話はすべて新聞紙上に掲載された。傍受された通信記録が公開されることの是非についてはひとまず置いておくとしても、こういう背景があることを指摘しておきたい。
そのうえでイタリア語版Wikipediaなどによって、日本でも話題になった部分は次の第29条(24ペ-ジ)であった。
同条の冒頭部分を見れば分かるように、この条文は次の法律の改正だということが分かる。すなわち、Legge 8 febbraio 1948, n. 47 Disposizioni sulla stampa の第8条の改正がこれである。
http://www.mcreporter.info/normativa/l48_47.htm#8
ここでいうstampaとは「出版を目的とするあらゆる様態の、機械的あるいは物理-化学的手段を用いて印刷され、あるいは獲得される複製物」と、ようするに平たく言えば、出版物や新聞等メディア・報道などなどのことを指すのでしょう。たとえば、第5条においては新聞・定期刊行物は裁判所の書記課に登録することなしに出版してはならないとあり、この法律がどういう法律かなんとなくでも分かると思う。
そこで問題の第8条は、一言で言ってしまうと、「訂正請求」”Richiesta di rettifica” を受けた場合、責任のある者は定められた期限内に定められたように訂正を発表すべし、というものだ。
そもそもこの条文の目的は、次のようなものだと理解している。つまり、考えを表現することの自由は、時に、憲法によって保障された他の権利と衝突し、あるいは侵害することもありうる。そのような場合に、速やかに権利を回復することができるようにするためのものである。したがって、客観的な真実性は問題ではなく、当事者にとっての主観的な真実性が問題になると。すなわち、趣旨としてはメディアによる暴力から権利を守ることを狙いにしていることがうかがえる。
http://www.giuffre.it/age_files/dir_tutti/archivio/santalucia_1004.html
これが出版物のみならず、テレビやラジオにも適用されるよう改正されて現在にいたっているのだけれども、ここで注意してもらいたいのは、こう書いてしまうとえらく危ない条文に見えるけれども、実際には1948年以来60年以上も運用されており、メディアがそれで委縮するとか、「メディアが死ぬ」ということは全くないということ。まして第8条の乱用悪用によるメディアの弾圧というものは見られない。
常識的に考えれば、そのようなことがもしあれば、それこそ「表現の自由」の侵害になるはずなので、つまり運用の問題になってくるのだと思うけれども、残念ながら具体的にどのような運用がされているのか僕には分からない(「訂正請求」がどのようなものかは検索すればすぐ出てくる)。ただ、第8条そのものにはたいした問題はないように見えるという点を指摘することしかできない。
そこで、今回騒ぎとなった改正部分は、次の部分であると思う。「訂正請求」の対象となるものとして、
"i siti informatici, ivi compresi i giornali quotidiani e periodici diffusi per via telematica,"
すなわち、データ通信を経由して流布される日刊または定期刊行紙を含む「情報サイト」”i siti informatici” となっているが、はたして「情報サイト」の範囲はどこまでなのだろうか、と。この法律の趣旨や文脈からすれば、例示されているように新聞やテレビニュースなどなどのプロフェッショナルのサイトのことにも読めるけれども、素人のブログはどうなるかはっきりしない。
事実、当初は素人のサイトやブログもこの適用範囲内にしようとしたらしい。たとえば訂正期限を訂正請求後10日以内に延長するとか、罰金を引き下げようといった案も出されていた。
http://www.rainews24.rai.it/it/news.php?newsid=156864
結局どうなったか結論だけ言うと、先述の第5条によって定められている、登録済みのプロフェッショナルによるサイトに対象を限定することで与野党合意となり、落着した。
以下、個人的な感想を書くと、まず仮に与野党合意がなくても、これまで同様の運用がなされるのであれば、それほど心配するような改正ではなかったのではないかという点で、「ブログ殺し」条項とイタリアのネットではあだ名されたようだけれども、そんなことにはまずならなかっただろうと思う。
また、TechCrunchの記事がいかに間違っているか、これでよく分かってもらえたはずだ。第8条を使ってなんでもかんでも訂正請求できるというのは非現実的な妄想ではあるまいか。特に追記部分の、
法案は「正式な報道機関の記事」のみを対象とするよう修正されたもようだ。これがなんらかの改善になっているかはきわめて疑わしい。
http://jp.techcrunch.com/archives/20111006italian-wikipedia-shuts-down-in-protest-of-proposed-law/
というところは、何の根拠があって「きわめて疑わしい」と言えるのだろうか。
なによりこの問題を見ていて思ったのは、これだけインターネットが普及してしまってもなお、「表現の自由」だけを金看板にできるのかという問題についてもっとよく慎重に考えられるべきではないかということ。確かにこの法改正はベルルスコーニ絡みなので微妙なところがあるとはいえ、しかしながらごくごく一般的に考えれば、いくら「本当」であっても「知られたくない流布されたくない事実」というものは誰にでもあるはずであって、よほど悪質であったり問題性の高い場合、第8条が規定するような処置があるいは何らかの助けになることもあるかもしれない。
もちろん、素人目にもこの第8条をインターネットに広く適用しようとするのは筋悪に見えるし、与野党合意で適用範囲をはっきりさせたことは結構なことだと思うわけだけれども、仮にもっとちゃんとした、インターネットを対象とする法律が出された場合、ネットの住民たちはどういう反応を示すだろうか。「表現の自由」の金看板だけではかばいきれない部分があるのではないかと、正直言って思う。
その意味で、イタリア語版Wikipediaの声明は難しい部分があるのではないだろうか。ごく一般的なサイトならまだしも、これだけ有名かつ頻繁に利用されるWikipediaのようなサイトになると、それなりに記述に責任が持たれるべきなのは当然だという意見もあってしかるべきであって、あの声明を肯定しているだけで本当にいいのかどうか。ネットで言われているほど、また信じられているほど簡単な問題ではないのではないか。
お祭り好きのイタリア人のネットにおける「ショーぺロ(ストライキ)」の言い分を鵜呑みにして、その流れに乗っかってしまう前に、色々考えることがありそうに思うのだが。
現在の日本の高齢者というのは、「金の卵」世代といって日本が好景気で(慢性的な人材不足で仕事も有り余っていました)何の苦労もせずに就職できた世代なんです。団塊世代という名称の方々が若者だった時代、こう呼ばれていました。
■金の卵世代: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E3%81%AE%E5%8D%B5
周知の通り、彼らは今では考えられないくらいのボーナスを、退職金を、年金を享受しているのです。それはもう、現在の若者達には味わえないんですよね。もちろん価値観も時代も違うでしょうから一概には言えませんが、それでも事実上、世代間の貧富差は顕著に表れているのです。
金玉世代を支えるために若者が毎年嵩む負担を課せられている現状を直視してみていただきたい。街の空き地を、自然を、外で遊ぶ場所を取り上げて、幼少期から塾に通わせ、マニュアル通りに生きて人間的な何の楽しみも味わえず恐慌に放り込まれ、自殺してゆく若者達。我々は見ていられないのです、あまりにも可愛そうだと思うのです。
自分の事しか関心が無かった金玉世代に子どものことをとやかく言える資格などないと、我々はそう思っています。テレビを受動的に40年も見て育てば、あのような親になるのもしょうがないのでしょう。思い出して下さい。「戦前」世代が何と言っていたか。戦前世代「センゴ(金玉世代)はいまに報いを受けますよ」。
戦前世代の予言通りの状態になりました。突然死、怪死、孤独死、早死、この傾向が金玉世代に現れています。良いじゃないですか、それを反面教師にして若者は育てば良いのです。嘆いていてもストレスで寿命を縮めるだけですよ。お年を召された方は特に。金玉世代はそろそろ墓石を新調し仏塔にでも参られるのがよろしいかと思います。
ご存じでしょうね、1960年代の若者に起こった全世界的な現象を。「ヒッピー」です。
■ヒッピー: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC
我々は現在の若者を「第二次ヒッピー」と推定しています。世界的な現象なんですよ、日本もそうです。1960年代の若者(現在の大人)と違って現在の若者は大麻もやらなければタバコも吸わなくなっていますよ。彼らが車に乗らず化石燃料の消費量を落としてくれている現実を一度だって鑑みたことがありますか。
これらは彼らが旧世代より聡明になりつつある証拠だと思っています。大量消費社会に翻弄され洗脳された大人を見て、社会システムに危機感を持ち、能動的就職ストライキを起こしている若者をなぜ励まさないのですか?哲学者のフリードマンやフーコーが心配していた問題を、彼らなりに解決しようとしている状況にまだ気づきませんか。
旧世代が自覚せず自己本位に生きてきた結果が今、社会に露呈しているのです。東京電力、九州電力はその良くも悪い見本でしょうね。旧世代を責める気はありません、長くはない寿命ですから大切にしていただきたい。ただ、若者自身の人生を賭けた社会運動を口だけで批難している小狡い嫌がらせは止めていただきたい。1960年代のヒッピー現象がフランスで「構造主義」を生んだことは勿論ご存じでしょうね。若者文化を語るのなら我々と同程度は学んでいるはずです。ヒッピー無くして今日の国際社会は存在し得なかったということです。国際社会の未来を切り開く第二次ヒッピーの評価について今一度再考願いたいと思います。芽を潰すのではなく、まずは、彼らの可能性と未来について、もちろん責任もあるでしょう、相互理解が大事ですよ。話はそれからです。
応援されたら頑張ってみようかと思うのが人間でしょう。
今のように「お前らなんて駄目な奴だ」なんて言われてたら、何も意欲なんか起きないでしょう。
現在の日本の高齢者というのは、「金の卵」世代といって日本が好景気で(慢性的な人材不足で仕事も有り余っていました)何の苦労もせずに就職できた世代なんです。団塊世代という名称の方々が若者だった時代、こう呼ばれていました。
■金の卵世代: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E3%81%AE%E5%8D%B5
周知の通り、彼らは今では考えられないくらいのボーナスを、退職金を、年金を享受しているのです。それはもう、現在の若者達には味わえないんですよね。もちろん価値観も時代も違うでしょうから一概には言えませんが、それでも事実上、世代間の貧富差は顕著に表れているのです。
金玉世代を支えるために若者が毎年嵩む負担を課せられている現状を直視してみていただきたい。街の空き地を、自然を、外で遊ぶ場所を取り上げて、幼少期から塾に通わせ、マニュアル通りに生きて人間的な何の楽しみも味わえず恐慌に放り込まれ、自殺してゆく若者達。我々は見ていられないのです、あまりにも可愛そうだと思うのです。
自分の事しか関心が無かった金玉世代に子どものことをとやかく言える資格などないと、我々はそう思っています。テレビを受動的に40年も見て育てば、あのような親になるのもしょうがないのでしょう。思い出して下さい。「戦前」世代が何と言っていたか。戦前世代「センゴ(金玉世代)はいまに報いを受けますよ」。
戦前世代の予言通りの状態になりました。突然死、怪死、孤独死、早死、この傾向が金玉世代に現れています。良いじゃないですか、それを反面教師にして若者は育てば良いのです。嘆いていてもストレスで寿命を縮めるだけですよ。お年を召された方は特に。金玉世代はそろそろ墓石を新調し仏塔にでも参られるのがよろしいかと思います。
ご存じでしょうね、1960年代の若者に起こった全世界的な現象を。「ヒッピー」です。
■ヒッピー: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC
我々は現在の若者を「第二次ヒッピー」と推定しています。世界的な現象なんですよ、日本もそうです。1960年代の若者(現在の大人)と違って現在の若者は大麻もやらなければタバコも吸わなくなっていますよ。彼らが車に乗らず化石燃料の消費量を落としてくれている現実を一度だって鑑みたことがありますか。
これらは彼らが旧世代より聡明になりつつある証拠だと思っています。大量消費社会に翻弄され洗脳された大人を見て、社会システムに危機感を持ち、能動的就職ストライキを起こしている若者をなぜ励まさないのですか?哲学者のフリードマンやフーコーが心配していた問題を、彼らなりに解決しようとしている状況にまだ気づきませんか。
旧世代が自覚せず自己本位に生きてきた結果が今、社会に露呈しているのです。東京電力、九州電力はその良くも悪い見本でしょうね。旧世代を責める気はありません、長くはない寿命ですから大切にしていただきたい。ただ、若者自身の人生を賭けた社会運動を口だけで批難している小狡い嫌がらせは止めていただきたい。1960年代のヒッピー現象がフランスで「構造主義」を生んだことは勿論ご存じでしょうね。若者文化を語るのなら我々と同程度は学んでいるはずです。ヒッピー無くして今日の国際社会は存在し得なかったということです。国際社会の未来を切り開く第二次ヒッピーの評価について今一度再考願いたいと思います。芽を潰すのではなく、まずは、彼らの可能性と未来について、もちろん責任もあるでしょう、相互理解が大事ですよ。話はそれからです。
応援されたら頑張ってみようかと思うのが人間でしょう。
今のように「お前らなんて駄目な奴だ」なんて言われてたら、何も意欲なんか起きないでしょう。
現在の日本の高齢者というのは、「金の卵」世代といって日本が好景気で(慢性的な人材不足で仕事も有り余っていました)何の苦労もせずに就職できた世代なんです。団塊世代という名称の方々が若者だった時代、こう呼ばれていました。
■金の卵世代: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E3%81%AE%E5%8D%B5
周知の通り、彼らは今では考えられないくらいのボーナスを、退職金を、年金を享受しているのです。それはもう、現在の若者達には味わえないんですよね。もちろん価値観も時代も違うでしょうから一概には言えませんが、それでも事実上、世代間の貧富差は顕著に表れているのです。
金玉世代を支えるために若者が毎年嵩む負担を課せられている現状を直視してみていただきたい。街の空き地を、自然を、外で遊ぶ場所を取り上げて、幼少期から塾に通わせ、マニュアル通りに生きて人間的な何の楽しみも味わえず恐慌に放り込まれ、自殺してゆく若者達。我々は見ていられないのです、あまりにも可愛そうだと思うのです。
自分の事しか関心が無かった金玉世代に子どものことをとやかく言える資格などないと、我々はそう思っています。テレビを受動的に40年も見て育てば、あのような親になるのもしょうがないのでしょう。思い出して下さい。「戦前」世代が何と言っていたか。戦前世代「センゴ(金玉世代)はいまに報いを受けますよ」。
戦前世代の予言通りの状態になりました。突然死、怪死、孤独死、早死、この傾向が金玉世代に現れています。良いじゃないですか、それを反面教師にして若者は育てば良いのです。嘆いていてもストレスで寿命を縮めるだけですよ。お年を召された方は特に。金玉世代はそろそろ墓石を新調し仏塔にでも参られるのがよろしいかと思います。
ご存じでしょうね、1960年代の若者に起こった全世界的な現象を。「ヒッピー」です。
■ヒッピー: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC
我々は現在の若者を「第二次ヒッピー」と推定しています。世界的な現象なんですよ、日本もそうです。1960年代の若者(現在の大人)と違って現在の若者は大麻もやらなければタバコも吸わなくなっていますよ。彼らが車に乗らず化石燃料の消費量を落としてくれている現実を一度だって鑑みたことがありますか。
これらは彼らが旧世代より聡明になりつつある証拠だと思っています。大量消費社会に翻弄され洗脳された大人を見て、社会システムに危機感を持ち、能動的就職ストライキを起こしている若者をなぜ励まさないのですか?哲学者のフリードマンやフーコーが心配していた問題を、彼らなりに解決しようとしている状況にまだ気づきませんか。
旧世代が自覚せず自己本位に生きてきた結果が今、社会に露呈しているのです。東京電力、九州電力はその良くも悪い見本でしょうね。旧世代を責める気はありません、長くはない寿命ですから大切にしていただきたい。ただ、若者自身の人生を賭けた社会運動を口だけで批難している小狡い嫌がらせは止めていただきたい。1960年代のヒッピー現象がフランスで「構造主義」を生んだことは勿論ご存じでしょうね。若者文化を語るのなら我々と同程度は学んでいるはずです。ヒッピー無くして今日の国際社会は存在し得なかったということです。国際社会の未来を切り開く第二次ヒッピーの評価について今一度再考願いたいと思います。芽を潰すのではなく、まずは、彼らの可能性と未来について、もちろん責任もあるでしょう、相互理解が大事ですよ。話はそれからです。
応援されたら頑張ってみようかと思うのが人間でしょう。
今のように「お前らなんて駄目な奴だ」なんて言われてたら、何も意欲なんか起きないでしょう。
現在の日本の高齢者というのは、「金の卵」世代といって日本が好景気で(慢性的な人材不足で仕事も有り余っていました)何の苦労もせずに就職できた世代なんです。団塊世代という名称の方々が若者だった時代、こう呼ばれていました。
■金の卵世代: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E3%81%AE%E5%8D%B5
周知の通り、彼らは今では考えられないくらいのボーナスを、退職金を、年金を享受しているのです。それはもう、現在の若者達には味わえないんですよね。もちろん価値観も時代も違うでしょうから一概には言えませんが、それでも事実上、世代間の貧富差は顕著に表れているのです。
金玉世代を支えるために若者が毎年嵩む負担を課せられている現状を直視してみていただきたい。街の空き地を、自然を、外で遊ぶ場所を取り上げて、幼少期から塾に通わせ、マニュアル通りに生きて人間的な何の楽しみも味わえず恐慌に放り込まれ、自殺してゆく若者達。我々は見ていられないのです、あまりにも可愛そうだと思うのです。
自分の事しか関心が無かった金玉世代に子どものことをとやかく言える資格などないと、我々はそう思っています。テレビを受動的に40年も見て育てば、あのような親になるのもしょうがないのでしょう。思い出して下さい。「戦前」世代が何と言っていたか。戦前世代「センゴ(金玉世代)はいまに報いを受けますよ」。
戦前世代の予言通りの状態になりました。突然死、怪死、孤独死、早死、この傾向が金玉世代に現れています。良いじゃないですか、それを反面教師にして若者は育てば良いのです。嘆いていてもストレスで寿命を縮めるだけですよ。お年を召された方は特に。金玉世代はそろそろ墓石を新調し仏塔にでも参られるのがよろしいかと思います。
ご存じでしょうね、1960年代の若者に起こった全世界的な現象を。「ヒッピー」です。
■ヒッピー: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC
我々は現在の若者を「第二次ヒッピー」と推定しています。世界的な現象なんですよ、日本もそうです。1960年代の若者(現在の大人)と違って現在の若者は大麻もやらなければタバコも吸わなくなっていますよ。彼らが車に乗らず化石燃料の消費量を落としてくれている現実を一度だって鑑みたことがありますか。
これらは彼らが旧世代より聡明になりつつある証拠だと思っています。大量消費社会に翻弄され洗脳された大人を見て、社会システムに危機感を持ち、能動的就職ストライキを起こしている若者をなぜ励まさないのですか?哲学者のフリードマンやフーコーが心配していた問題を、彼らなりに解決しようとしている状況にまだ気づきませんか。
旧世代が自覚せず自己本位に生きてきた結果が今、社会に露呈しているのです。東京電力、九州電力はその良くも悪い見本でしょうね。旧世代を責める気はありません、長くはない寿命ですから大切にしていただきたい。ただ、若者自身の人生を賭けた社会運動を口だけで批難している小狡い嫌がらせは止めていただきたい。1960年代のヒッピー現象がフランスで「構造主義」を生んだことは勿論ご存じでしょうね。若者文化を語るのなら我々と同程度は学んでいるはずです。ヒッピー無くして今日の国際社会は存在し得なかったということです。国際社会の未来を切り開く第二次ヒッピーの評価について今一度再考願いたいと思います。芽を潰すのではなく、まずは、彼らの可能性と未来について、もちろん責任もあるでしょう、相互理解が大事ですよ。話はそれからです。
応援されたら頑張ってみようかと思うのが人間でしょう。
今のように「お前らなんて駄目な奴だ」なんて言われてたら、何も意欲なんか起きないでしょう。
現在の日本の高齢者というのは、「金の卵」世代といって日本が好景気で(慢性的な人材不足で仕事も有り余っていました)何の苦労もせずに就職できた世代なんです。団塊世代という名称の方々が若者だった時代、こう呼ばれていました。
■金の卵世代: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E3%81%AE%E5%8D%B5
周知の通り、彼らは今では考えられないくらいのボーナスを、退職金を、年金を享受しているのです。それはもう、現在の若者達には味わえないんですよね。もちろん価値観も時代も違うでしょうから一概には言えませんが、それでも事実上、世代間の貧富差は顕著に表れているのです。
金玉世代を支えるために若者が毎年嵩む負担を課せられている現状を直視してみていただきたい。街の空き地を、自然を、外で遊ぶ場所を取り上げて、幼少期から塾に通わせ、マニュアル通りに生きて人間的な何の楽しみも味わえず恐慌に放り込まれ、自殺してゆく若者達。我々は見ていられないのです、あまりにも可愛そうだと思うのです。
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ご存じでしょうね、1960年代の若者に起こった全世界的な現象を。「ヒッピー」です。
■ヒッピー: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC
我々は現在の若者を「第二次ヒッピー」と推定しています。世界的な現象なんですよ、日本もそうです。1960年代の若者(現在の大人)と違って現在の若者は大麻もやらなければタバコも吸わなくなっていますよ。彼らが車に乗らず化石燃料の消費量を落としてくれている現実を一度だって鑑みたことがありますか。
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旧世代が自覚せず自己本位に生きてきた結果が今、社会に露呈しているのです。東京電力、九州電力はその良くも悪い見本でしょうね。旧世代を責める気はありません、長くはない寿命ですから大切にしていただきたい。ただ、若者自身の人生を賭けた社会運動を口だけで批難している小狡い嫌がらせは止めていただきたい。1960年代のヒッピー現象がフランスで「構造主義」を生んだことは勿論ご存じでしょうね。若者文化を語るのなら我々と同程度は学んでいるはずです。ヒッピー無くして今日の国際社会は存在し得なかったということです。国際社会の未来を切り開く第二次ヒッピーの評価について今一度再考願いたいと思います。芽を潰すのではなく、まずは、彼らの可能性と未来について、もちろん責任もあるでしょう、相互理解が大事ですよ。話はそれからです。
応援されたら頑張ってみようかと思うのが人間でしょう。
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■金の卵世代: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E3%81%AE%E5%8D%B5
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ご存じでしょうね、1960年代の若者に起こった全世界的な現象を。「ヒッピー」です。
■ヒッピー: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC
我々は現在の若者を「第二次ヒッピー」と推定しています。世界的な現象なんですよ、日本もそうです。1960年代の若者(現在の大人)と違って現在の若者は大麻もやらなければタバコも吸わなくなっていますよ。彼らが車に乗らず化石燃料の消費量を落としてくれている現実を一度だって鑑みたことがありますか。
これらは彼らが旧世代より聡明になりつつある証拠だと思っています。大量消費社会に翻弄され洗脳された大人を見て、社会システムに危機感を持ち、能動的就職ストライキを起こしている若者をなぜ励まさないのですか?哲学者のフリードマンやフーコーが心配していた問題を、彼らなりに解決しようとしている状況にまだ気づきませんか。
旧世代が自覚せず自己本位に生きてきた結果が今、社会に露呈しているのです。東京電力、九州電力はその良くも悪い見本でしょうね。旧世代を責める気はありません、長くはない寿命ですから大切にしていただきたい。ただ、若者自身の人生を賭けた社会運動を口だけで批難している小狡い嫌がらせは止めていただきたい。1960年代のヒッピー現象がフランスで「構造主義」を生んだことは勿論ご存じでしょうね。若者文化を語るのなら我々と同程度は学んでいるはずです。ヒッピー無くして今日の国際社会は存在し得なかったということです。国際社会の未来を切り開く第二次ヒッピーの評価について今一度再考願いたいと思います。芽を潰すのではなく、まずは、彼らの可能性と未来について、もちろん責任もあるでしょう、相互理解が大事ですよ。話はそれからです。
応援されたら頑張ってみようかと思うのが人間でしょう。
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