はてなキーワード: ぼやきとは
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 121 | 10081 | 83.3 | 30 |
01 | 91 | 4920 | 54.1 | 26 |
02 | 22 | 1662 | 75.5 | 50.5 |
03 | 22 | 4014 | 182.5 | 56 |
04 | 8 | 635 | 79.4 | 46 |
05 | 7 | 1411 | 201.6 | 79 |
06 | 30 | 3078 | 102.6 | 35 |
07 | 22 | 4461 | 202.8 | 40 |
08 | 55 | 7131 | 129.7 | 43 |
09 | 123 | 8324 | 67.7 | 38 |
10 | 212 | 20097 | 94.8 | 38 |
11 | 236 | 14669 | 62.2 | 37.5 |
12 | 245 | 20617 | 84.2 | 32 |
13 | 218 | 13612 | 62.4 | 39 |
14 | 156 | 11324 | 72.6 | 26 |
15 | 160 | 9650 | 60.3 | 30 |
16 | 103 | 8945 | 86.8 | 26 |
17 | 210 | 9860 | 47.0 | 27 |
18 | 178 | 15317 | 86.1 | 34.5 |
19 | 192 | 14933 | 77.8 | 44 |
20 | 93 | 5823 | 62.6 | 28 |
21 | 111 | 17492 | 157.6 | 39 |
22 | 89 | 12070 | 135.6 | 42 |
23 | 63 | 8335 | 132.3 | 45 |
1日 | 2767 | 228461 | 82.6 | 35 |
友情結婚(11), オフセ(4), 一次資料(4), eats(7), 干し芋(3), 例のプール(3), ゆで太郎(3), 反日デモ(3), 週刊ポスト(5), コミュニケーションスキル(6), アイコ(3), やみつき(3), なびい(3), 黒髪(29), 眼鏡(24), 上級(27), キッズ(11), バッグ(9), ジェンダーロール(10), メガネ(15), 傘(8), サザエさん(6), V(7), 福岡(9), アイコン(14), Vtuber(13), ワイ(156), 文脈(22), 養っ(8), 制服(8), 武器(11), レイプ(19), 豚(10), 潰し(11), 雨(10), 旦那(18), ここに(13), 韓国(45)
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下記ブログに感銘を受けたので、噂のセッションを聞いていた女性エンジニアの一人として、乱雑になるかもしれないですが意見を書かせてください。
https://anond.hatelabo.jp/20190902021257
まず、8/29当日の話をしようと思います。最初から最後まで前夜祭にいた私はセッションに散々笑ったり、内心ツッコミを入れたりしつつ、大満足で帰宅しました。
残念ながら婚活アプリにもマッチングアプリにも興味がないので、CROSS MEが何かは知らなかったのですが、『黒髪メガネ女子とマッチング』辺りで内容は普通に想像できていましたし、概ねその通りの内容でした。
概ね、と言ったのはCROSS MEの「近くにいた人と出会える」という仕組みについて、ふうん、登録した人がただひたすら延々と出てくる感じじゃないんだー、と感心しつつ、想像していたマッチングの仕組みを脳内修正したからです。
この時点で大した反感も持たず、普通にセッションを満喫していたことがわかってもらえるのではないかと思います。
また、仕事の都合で来ることができなかった友人に前夜祭の各セッションについて実況のようなものを送りつけていましたが、彼女も普通にすべて面白がり、笑い転げているスタンプを大量に送り返して来ていました。
翌日、TLに何か不穏な雰囲気が漂っていました。
何事かと思って経緯を確認して、最初に私が抱いた感想はこうです。
「何勝手に主語を大きくして人のこと哀れんでくれてるんです???」
チケットを自分で購入して、仕事の都合を付けてウキウキ参加しようとしているイベント。
前夜祭もとても面白かったし、明日も明後日も楽しみだな〜(*´ω`*)と思って、寝て、起きたら、男女の人数比が偏った場で女性ゆえの苦労をしている不遇の女性エンジニアに進化していたんです。もうわけがわからない。
感受性の高い方がセッションを聞いた結果、女性エンジニアの不遇(?)を思い出したり思いを馳せたりして号泣し、辛くなったのでブログに書いて想いを昇華しようとしたわけですが、それは何も問題ありません。何せ、それはただの個人の感想であり感情です。人の感想を制限する資格も、感情を制限する資格も、誰も持っていません。
それが、本当に全くこれっぽっちもなんでそんなことになったのかわからないのですが、セッション自体の"正しさ"だの、"ジェンダー問題"だのの議論に波及しました。
しかも、イベントに参加したら人事や営業に間違えられた、だの、マウント取られた、だの、関係のない話まで浮上していたわけです。やっぱりわけがわからない。それ、何か関係あります?
引っかかることがいくつかあるので、一つずつ取り上げさせてもらいます。
もっとスマートに反論できればいいのですが、そもそも論点が切り分けされず、いつまでもセッションとエンジニア業界の男女比と男女差別問題と運営の方針とetc……がごちゃごちゃとしているので仕方ありません。
マッチングアプリは男女の人数比がある中で発表に取り上げられることが憚られるような、男女差別に繋がるようなものでしょうか?
もちろんそんなことはありません。マッチングアプリは男性が女性を探すことができますが、逆に女性が男性を探すことも可能です。
男性しか女性をスキップすることができないのか? いいえ、女性も同様に男性をスキップすることができます。
マッチングアプリは性差別を助長するものではありません。むしろ、昔の恋愛観を考えると、女性から能動的に恋人候補を探すことができる仕組みを生み出したことである意味恋愛における男女平等を進めた、と言えるかもしれません。
そもそもマッチングアプリを取り上げた背景としては、登壇者が(少なくとも)3年ほど彼女ができないエンジニアコミュで彼女を作ろうと頑張っており、その過程でマッチングアプリのヘビーユーザーになってもいたからです。
馴染みのあるものを主題に取り上げるのは当然かな、と思います。
それがなんらかのアイコンになるのでしょうか?
そういう考えがあるとすればあらゆる黒髪メガネの女性に対して失礼なので認識を正した方がいいでしょう。
黒髪だろうが茶髪だろうが青メッシュだろうが、眼鏡だろうが、サングラスだろうが、裸眼だろうが、そんなものは数ある属性のうちの一つです。それ以上でもそれ以下でもありません。
また、黒髪とメガネという属性を持っていることは、美醜の問題とは無関係です。
これが「美人とマッチングする方法」とか「タイプじゃない女子とマッチングしない方法」とかであれば、明確に誰かを傷つけるものとして不快に感じたかもしれません。
それこそ技術の無駄遣いですが、バストアップの画像から胸のサイズを予測して女性を選ぶ、といったセクシャルな内容であればドン引きしたし、率直に言って最悪なセッションだと登壇者にフィードバックしたでしょう。
しかし、黒髪メガネはそういった類のものではありませんでした。
また、データに関して言えば、顔認識で拾える情報なんて微々たるもので、その中から髪色とメガネ有無という特徴を選んだことになんら疑問はありません。
そんなことはありません。
感想を言うこと、発表に対して良い感情を持つことも悪い感情を持つことも自由です。
そもそもご本人もセッション自体についての是非を問うものではない、という風に書かれていたかと思います。
あえて問題があるとすれば、その投稿に目をつけて拡散する人が現れ、ビルコン参加者に限らず、ビルコンになんら関係のない、その場でセッションを聞いてすらいないにも関わらずセッションなどに対して非難の声を上げる人が出始めたことです。
恐らく間違えられた人はむっとしたのでしょう。悲しいと思った人もいたのかもしれません。
例えば、ひと目で女性エンジニアだと外見から判断することはとても難しいと思います。私自身、普段の服装を考えてみても、特に人事や総務の方と一線を画するようなものは着ていないと思います。客先に行く機会も多いので、カッチリ目の服を着ている関係もあってか、営業に間違えられることは少なくありません。
服で判断はつかず、勉強会であってもスポンサー企業の広報の方なんかが訪れる可能性がゼロでない以上、目の前の女性が何者であるかなんて聞いてみないとわかりません。というか、女性である私にも見分けなんて付きませんし、間違えたこともあります。ごめんなさい。
それとも、勉強会や技術系イベントにいる女性に対しては常にエンジニアだと思って接するべきだ、という話でしょうか? それは些か乱暴ではないでしょうか。まさかとは思いますが、自分が間違えられたくないから、エンジニアの活動場所に入ってきた人事(マイノリティ)の方が間違えられればいい、それが当然だ、というのであればとても怖い話だと思います。
また、例えば私の見た目上のエンジニアの判断基準は、「このままじゃ絶対客先に行けそうにない服装」というのが一つの基準ですが(笑)、ひと目でエンジニアとわかってほしいですか? 本当に?
業界の男女比の話に絡めると、女性エンジニアが現場に一定数いる職場って案外少ないのではないかと思います。(少なくとも私は現在含め、女性エンジニア一人の職場ばかり経験しています)
とすると、「知っている女性エンジニアの服装」と一致しなかった場合、職種の誤判定するのは仕方ないと思いませんか? 今ビルコンでもいくつかのセッションで取り上げられていたAIと同じで、一定量の学習データがなければ人間も正しい見分け方が身に付くはずがありません。
これは……うーん……。正直、(相手の性別年齢に限らず)マウンティングされても全く気づいていなかったということが多い(後で他の人から大丈夫だった? とか言われて初めて気付く)私には何も言えません。
ただ、体感として、上から目線でものを言いたがる人は自分より若いと見れば言うし、自分の得意分野である特定のジャンルに話が及べば言うし、相手の知識レベルなど気にせずに言うイメージがあります。また、エンジニアの中には(全然そんな気がないのに)威圧的な言い方になってしまう単なる口下手がいれば、説明が過剰になりがちな説明下手もいます。
それが本当に"女性だから"マウンティングしてきたのかは私にはわかりません。
少なくとも議論が十分になされていない状態で、差別・倫理・品位といった単語を出して非難することは望ましくありません。
言うまでもなく、差別は悪いことであり、倫理や品位は人間として大切にすべき重要な要素です。だからこそ、非難する人が「差別を嫌う人、倫理観を持ち合わせている人、品位のある人はこれを問題にするのは当然だ」というスタンスに立ってしまうと、反論ができなく、あるいは少なくともしづらくなるなります。また、非難する側は反論に対する切り返しが非常に楽という一面もあります。
反論することで差別主義者扱いされるかもしれないし、倫理や品位に欠ける人間扱いされるかもしれないのです。それを覚悟して反論したとしても、非難する側はいくつかの魔法の呪文を唱えることでそれ以上の反論を封じることができます。
「なんて冷たい人なんだ」
「自分さえ良ければいいのか」
「傷ついてる人のことはどうでもいいのか」
正常な議論になんてなるはずがありません。
正義の彼らからすると、このセッションに疑問を抱かなかった人、セッションを普通に楽しんだ人は良識とか倫理観とか品位に欠けてるということになるかもしれません。私も女性なのに女性差別主義者なのでしょう。
論点がとっ散らかっているのが良くないのですが、そもそもセッションに対して正しい・正しくないという視点で論じること自体が誤りだと思います。好ましい・好ましくないという個人の意見であれば好きに言えばいいし、活発に議論しようと構いません。
しかし、正しさを主軸とした場合、先に相手が悪だと言った方が勝ちかねないのです。言ったもの勝ち、非難したもの勝ちの世界です。
そうなったら表現の場としておしまいです。当たり障りのない、お上品な、冒険心のない、発見もないセッションがビルコンを占めるでしょう。誰か声の大きい一人に目をつけられただけで自分の発表が悪にされる。そんな怖い舞台に誰がユニークなものを抱えて上がりたいと思うでしょうか? 安全を取るなら誰もがうんうんと頷くだけで終わる内容に留めておくのが1番だと思いはしないでしょうか?
おめでとうございます、ちょっと尖った発表を見られたかもしれないビルコンの終焉です。
……もちろんそんな風にはなってほしくありません。
ダイバーシティと絡めての意見も散見されましたが、ダイバーシティとは単なる正義の味方ではないと考えています。セッションに対して嫌な気持ちになった人もセッションを楽しんだ人もどちらも区別なく受け入れられるのが、理想のダイバーシティではありませんか?(犯罪などが絡んでいたら別ですが)
もう一度繰り返しますが、今回のセッションは面白かったし、女性エンジニアとして問題に思うことは何もありませんでした。
どのセッションも「日本最高峰の技術の無駄遣い」の名に恥じない、最高にくだらなくて、発想力に笑うしかない、すばらしいものでした。
色々コメント見た。ありがとうございます。
職場の背景や離職率が書いてない、ブラックな会社かもというのがあった。ブラックかどうかはわからんが一応その少年を除くと独立した人以外はみんな10年以上続いてる感じ。
自分も小さい子どもがいて色々融通してもらっているので悪い会社では無いと思う(給料安いけど中小企業だからしゃーない)。
あと16歳くらいの子が年上ばっかの環境でどう馴染むっていうのというコメントも見たが、こっちは完全に受け入れる側なのでそれは少年と保護司の人が相談してくれと思った。
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うちの会社の社長は保護司に協力雇用主というものを頼まれているらしい。
協力雇用主というのは立派に更生した若者を積極的に雇用してください~
雇用主にも支援があるからさ~皆で協力して過ちを犯した少年少女を支えて行こうという感じ。
これまでに4度ほど、15-6歳の少年がお試しで働きにやってきた。
今回来た子も今までの子と大差なく履歴書にはあどけない顔をした金髪の少年の写真が貼ってあって
文章はなんかぐちゃぐちゃっと消したり書いたりめちゃくちゃ。
本人もだけど保護司の人もヤル気あるのかなあ?と思う。
そりゃうちは肉体労働オンリーの俗に言う3Kという仕事だと思う、高学歴の人間はいないし厳しいルールもない、金髪はだめという決まりもない。
今時金髪はちょっと…とかごついピアスはちょっと…とか古い考えかもしれないけどさ。
でも社会復帰を目指しているなら、それを支えているなら、就職活動や高校受験をする子たちがどういう髪や恰好をしているのか
知るべきだし教えるべきだし「お前それはちょっとまずいよ、相手の会社さんに失礼だよ」とは言えないのだろうか。
保護司にもノルマがあってとにかく出所した子にご機嫌で職に就いてもらいたいとかそういう事情があるのだろうか。
社長は少年の勤務初日、今回の子はいけるかもしれないと期待していたようだけど
初日は朝早くから自転車で出勤、翌日は遅刻してお兄さんに車で送迎、
翌々日には来なくなり電話したら体調が悪いとの事で欠勤。
そして更にその翌日、電話をしたらお母さんが出て体調が悪いので辞めます。
一度失敗したらもうそこから上がっていく事の出来ない社会は恐ろしい。
過ちを犯した人間には誰かが手を差し伸べて社会復帰を支えないといけないだろう。
でもその誰かの役割、正直うちの職場には来てほしくないなあ…と思う。
大っぴらには言えないもやもやした感情を成仏させるつもりで書いた。
一部の人を「1部の人」と書いたり、一時的を「1時的」と書いたりする人は着実に増えている。
一例として、Twitterで"1部の人"を検索した結果を貼っておく。
https://twitter.com/search?f=tweets&vertical=default&q=%221%e9%83%a8%e3%81%ae%e4%ba%ba%22
ネットスラングや「だは」のようにふざけて書いているとは思えない、至って真面目なツイートが並ぶ。
正直めまいがしてくる。
はてブのホッテントリにもこういう書き方をしている記事が上がっており、ブコメで盛大に突っ込まれていた。
→何故、発達障害男性(ASD)の人生には「そんな私にも恋人」が発生しないのか?|rei|note
https://note.mu/beatangel/n/n131507aa1da4
「1定はreiさんのウォーターマークみたいなもん」とフォローが入っていた。
しかしTwitterの検索結果が示す通り、もはや個人のウォーターマークになり得ないほど
アラビア数字を熟語に使う人(そしてそれに違和感を覚えない人)は増えているのである。
なぜこんなことになったのかは分からない。
スマホに搭載された辞書が何らかの悪さをしているのかもしれない。
まあ「一部」は「一つの部分」だから、アラビア数字で書くのもありか…
と思っていた矢先に「3日月」という表記を見かけた時の衝撃は忘れられない。
3日目の月だからこれもありと言えばありなのだが、さすがに変換していて変に思わないのだろうか。
自分には無理だ。
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「1番、2番は~」というブコメが付いてるけど、自分はあくまで熟語の漢数字のことを言っている。
数える時に使う数字+単位のことは言っていない。(←こういうの"熟語"って言わないよね?認識違ってたらごめん)
数字部分と単位部分が独立しているから、これをアラビア数字で書くのはむしろアリだと思ってる。
例えば「全体」の対義語として辞書に載っている「一部」を「1部」と書くのは違和感があるけど、
物を数える時の1部、2部、3部…は、個人的には違和感がない。
気になる例:全体ではなく1部の人がそう言っている。
気にならない例:パンフレットをお客様に1部ずつ、スタッフには3部ずつ配ってください。
2019年当時は、最もという意味の熟語である「一番」をアラビア数字で書かれるのも気になっていた。(例:僕はこれが1番好きだ)
「1番目に好きだ」「2番目に好きだ」なら分かるけど「1番好きだ」は1律や1定と同じでおかしいでしょ、という。
でも数字+単位の「1番」と熟語としての「一番」の意味が限りなく近いし、真面目な文章でも頻繁に使われるので、流石に見慣れてきた。
あ、あと「着実に増えている」と言うなら前後のエビデンスを貼ってくれというご意見
推しが幸せになると心から祝福できる反面、推せなくなる、というカルマを背負って生まれてきました。
拙宅の作品は、拙者から見れば「ハッピーエンド」。だけれども、よそ様から見ると「メリバ」「バッドエンド」らしく、確かにそういう見方もあるな、と納得している点と、あまりに周りに「ハッピーエンドではない」と言われ続けているので、闇のオタクを自称している。生きるとか死ぬとか、そういう問題じゃなくて、恋が実るとか実らないとかそういう問題でもなくて、推しが自らの意志を貫ける点に憧れと尊敬を抱いて創作活動をしているので、そこが叶えば「ハッピーエンド」だと思っている。
さて。タイトルの件。
夏コミが近くなってきてカレンダーと睨めっこをしながら原稿に打ち込んでおりますが、先日友人と作業イプ中に「結局我々はいわゆる普通のハッピーエンド、大団円を描けない」「周りを見ていると、ハッピーエンドを信じてまっすぐに描ける人は恋人がいたり既婚者が多い」「つまり……我々は……」と急に右ストレートをくらい、そこからそんな考えがぐるぐると目の前で回ってしまっている。
そうか、拙者、もう結婚できないのか……。
言われてみると、確かにその通りである。周りの仲良い友人達の創作物は、希望や夢、それから疑う事のない愛が描かれている。どんな苦境に立たされても、登場キャラクター達の心が完全に折れることはない。一度は泥水をすするような展開になっても、ちゃんと最後はハッピーエンドだ。他方、自分の創作物は。夢を追う姿を描こうとすればハプニングやケガで第一線からは外れてしまう。恋愛事になれば「自分が選ばれる筈がない」と想いを口にすることすらない。もしくは上手く交際までいきついても、自己肯定感の低さから恋人と行き違いが起こってしまい、破綻する。(相手が幸せなら、別れても仕方ない、と身を引く展開も多い)。
そして友人達の多くは既に結婚していたり、長年連れ添っている恋人がいたりする。そしてイプ相手だった友人と拙者。揃いも揃ってバツイチである。バツがついてからというものブヒブヒと推しに貢いでいるのである。貢ぎながら、推しが苦しんでいる姿を見てまたブヒブヒ言っているのである。確かにもう結婚できそうにない。
離婚してからもそれなりに交際を申し込まれたり申し込んだりとそれなりに恋愛事から遠ざかりすぎていないと思っていたけれど、よくよく考えてみれば恋人よりも趣味や仕事を優先して結局破局しているし、そうならなくても相手を面倒に感じてしまって関係の解消を申し出てしまったりしている。思い返してみれば、完全に自分の手で幸せをぶち壊しに行っている。
これは、今こうして気づけば直せるのだろうか。
恋愛の楽しさも、相手を大切にする心も、そして同じだけ大切にしてもらえることも、どれもこれも知っているつもりだ。それなのに、あの幸せな空間を自分が遠ざけてしまっている。その事実に愕然としている。金銭面で自立していて、互いに互いの趣味を認め、四六時中一緒にいなくても良いような人と結婚したいな、と思っていたのだけれど、難しいのだろうか……。つらい。
結局のところ共感性の高いものが売れるんだろうけど、正しくて、ホワホワして、優しいものが大好きな人間がそうじゃないものを寄ってたかって叩いてるのが怖…って思っちゃう。
危ないものには近づかない。扱うならば慎重に。真偽を見極めるのは自分自身の判断。嘘を嘘だと見抜けなければインターネットを使うのは難しい。
怖いなー、と遠巻きに見たり、教訓として心に刻むならまだしも、なんで綻びを見つけて嬉々として叩きにいくんだろう。
そのうち道端に落ちてる栗ですら「こんなところに栗の木が生えてるなんて、身が落ちてきてなんの比もない私が怪我したらどうするんですか!?」とか本気で怒るやつが出てきそう。栗はそこで自身を増やしたくて確実に発芽するために外皮を棘に進化させたのに。それでそこに生えてた栗の木が切り落とされて撤去されたら、正しいことを言ってる「人間」以外何も生きていけない世の中になっちまうわなぁ。
枝切られて、葉っぱ一つ生やせなくなった栗の木を横目に、怖くなくなって安全になったね、ってニコニコ笑顔で歩いてく正義マンが蔓延ることのほうがよっぽど怖いなぁと思う。
正しいことだけじゃなく、間違ったことや文化の違い、生きる目的の違いにも寛容になれる世の中作りをしないと、今以上に行き場を失った人間が急に刺してくる事案が増えてしまう気がするんだよなぁ。
というただのぼやきでした
びっくりした。もうこれ以上この記事が浮上することもなさそうだし、と思ってほっといたら後日談が来てたなんて。
ありがとう。本当にかっぱに行ってくれただけじゃなくて、赤えびも貝の塩白湯ラーメンも食べてくれたんだね。しかも共感までしてくれて。
今回初めてはてなに投稿したんだけれど、ここの不文律的に一人称やら文体やらを他のそれに寄せて書いたんだ。いつもバズってる記事についてるコメントって悪意に満ちてたり攻撃的なのが多いから、それを想定して強気に書き込まなきゃなんて思ってて。
そうしたら、こんな優しいコメントもらえるなんて、本当にびっくりした。
こちらこそ、こんな片隅のぼやきに繋がってくれたあなたにありがとう。その言葉を受けて、僕もまたかっぱ寿司に行こうと思ったよ。今後も一緒にお寿司を楽しもう。
あと、次はぜひ茶碗蒸しも食べてね!
妻も子もなく兄弟が死んだ。物事には始めがあれば,終わりも必ず来る。俺は相続人ではないとぼやきつつ,残された身内が後片付けするのも,順送りみたいなもので仕方ない。
この御時世,彼もいろんな契約を結んでいた。典型なのは,携帯電話だ。
この類いの契約,多くは「縛り」があり,中途解約には「違約金」が約款で約定されているものが大半である。一定の契約期間を定めて,中途解約にある程度の制約をかけることで,契約者数を確保しつつ,料金を割り引く販売施策があるのは,まあ,大人の事情のようなものもあるか。
彼の契約を整理するに当たっても,あちこちで「縛り」に起因する解約違約金の話が出てきた。だが,実際には,ほとんどの会社が「ユーザー死亡による中途解約ならば,仕方ない。」と言って,違約金請求にまでは至らなかった。が,1社だけ,NURO光だけは,頑として違約金支払を要求してきた。
今回の契約解除は確かに契約期間中の解約ではあるが,その原因は契約者本人の死亡によるものだ。当然のことながら,人間は契約のために生きているのではないし,ある者の死亡について当該死者の帰責性を問いうるはずもない。
契約条項をタテに義務の履行を求める事業者の立場も分かるが,遺族の感情としては釈然としない。というか,人が死ぬときにも違約金の話が出てくるとは,全く思わなかった。「自分が死んだら,違約金は生じるか?」と,これからは自分の契約をするときに,必ず聞いておくことにする。諸兄にも,おすすめしたい。立つ鳥跡を濁さず…か。
「女性も男性のせいにしてきたくせに!」とかいう人は、これまで男性たちがしてきた女性差別の歴史を知らないのかな。その影響が今も残っていることも。だから、この話は男女でイコールにはならない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4670068941707820930/comment/assena
このコメントにあるように現代の男は、生まれながらにして過去の強者男性がやってきた罪を背負わされている。
「今を生きる男だって辛いんだヨォ」という弱者男性のぼやきすら、過去の強者男性の罪によって現代の女どもに禁止される。
オトコっていうくくりだけで犯罪者扱いするな。
>これまで男性たちがしてきた女性差別の歴史を知らないのかな
だいたい知ってるけど、じゃあ現代の男に何をしてほしいの?
そもそも弱者男性は、今、現に貴方たちが抑圧されている根本原因ではないし、男はつらいよとすら言うなということなのでしょうか。
抑圧の構造を変革してほしいんだったら、弱者男と共闘したほうがWin-Winだと思う。だが、弱者男の弱音を禁止するのであれば、それは不可能なのだろう。
俺はアラフォーで大学卒業からずっとITエンジニアの端くれとして働き続けてきた。
2000年代前半に、2ちゃんねるでブラック企業としてスレが立ったような会社でも働いた。(その頃はまだ、ブラック企業という単語は2ちゃんねる内だけのネットスラングだった。そしてその会社は、ここなんかで堂々と退職報告できるような知名度も社会的地位もある会社ではない)
今の給料は年400ちょいなので、住んでいる場所がかなりの田舎であることを考えても、同年代の中ではかなり少ない方だと理解している。
そんなことはないだろうとも思って「年収偏差値」なるサイトで確認してみたことがあったが、悲しいことに確かな裏付けがなされてしまった。
一方で楽観視している部分もある。
自分の仕事はポータブルなスキルによって成り立っているので、会社がなくなろうが潰れようがその時は他の場所を探せばなんとかなるし、このご時世、ITエンジニアの人材は不足気味だから、(自分の同業者内のランクづけを考えた場合)引く手あまたということはなくても、頑張ればなんらかの仕事にはありつけるだろうと思ってる。
もちろん、そのためには日々の業務の中で新しい技術の取得にも励まなければならない。この時代は流れが速い。古くなっても使える技術とそうでない技術がある。
今の職場は、増田界隈の人々には信じられないような色んな問題があるけど、偶然にも人間関係や業務内容の面では俺基準ではかなり恵まれている。ありがたいことに今まで働いてきた会社での経験の集大成とも言える内容で仕事ができている。
だが、収入について考えた時、世間一般の基準で機械的に俺の立ち位置を見ると、どうしても辛いものがある。いろんなところで年収とか金銭感覚の話題が出てくると、いつも暗い気持ちになってしまう。実際に、何人かいる同年代の友人の中で実質的に一番収入が少ないのは俺だ。
刀の映画を見に行った。
2回目。
1回目からずっと感じてたけど、あんまり口にすることでも文章にすることでもないかなと思って蓋をしてたけど、どうにもしんどいので吐き出してしまうことにする。
書いてスッキリしたいだけ。
なんだけど、誰かに知ってほしい気持ちもあるらしくて匿名ツールを引っ張り出してきた。
映画を見た人間のぼやきなので映画鑑賞済みであることを想定して書きます。
***
自分に正直に言うと、
「正しい歴史のために正しく死なねばならない」
と言われた信長のことを、少し羨ましいと思った。
まだまだ完結するまで死ねないと思っている作品も多いしオタクとして生きてて今が楽しくないわけでもない。
楽しいと感じている時、発している時、私は確かにその瞬間「楽しい」と心の底から思っている。
なんだけど、それに反するように、死にたいと、心のどこかでずっと感じている。
「生きることで発生する日々の煩わしさ」と、「死ぬ瞬間に生じる種々の煩わしさ」を天秤にかけて、ただ「現状維持」だけを選択しているような感じ。
変わることが面倒くさい。
だけど生きていることも面倒くさい。
なんなら今、「歴史のために」と言う大義名分を掲げてこの命を終わりにしたい。
「正しい歴史のために」
「正しく死なねばならない」
人の生死に正誤などあるのかと感じもするが、私の命が正しい歴史のために摘み取られるのであれば私は喜んでこの命を差し出したい。
彼の死には意味があった。
それ以上に、彼はそこで歩みを止めることを許された。
私も許されたい。
「生きる」ことを「辞める」ことを許されたい。
生きた時代が違うから、信長のその選択は私が望むそれとは全く別のものなんだけれど。
信長は歩みを止める気なんてなかったと思うんだけど。
それでも、今生きていることが間違いだと言われて、あぁそうなんだ、やっぱり生きてることは間違いだったんだ、って、私は納得できる。
別に誰に何を言われたわけではないけれど。ただの現実逃避だってだけかもしれないけど。
それでも、羨ましいと感じてしまった。
右翼系のツイートには漏れなく胸糞悪くなるようなヘイトスピーチと人権蔑視発言がぶら下がり。
左翼系からはそんな右翼へ対抗するという気概が感じられたが、良くも悪くも素人感が強く、理想論を現実と絡めた理論まで昇華し切れていない印象が強く。
無論一枚岩じゃなし、全員鬼畜とか全員お花畑とか言うわけじゃない。
ただ右翼の有力論者が女は全員死ねとか言ってる垢のツイートをRTしててあーあーあーとなるし左翼は左翼で現政権批判に極振りしたようなヘイト垢が全てに群がる始末。
見たくないようなもんばっか。
新聞だけ見てろったって深読みしたくなればネットで調べるしかない。基本どこのコメント欄も地獄。
ネットで政治追ってるとちらちら目に入るヘイト発言。ハイハイそういうのマジで無理無理私はここにお呼びじゃないのね。
嘘、そんな冷静ではない。もうやめろよ……つら……ころす……と怨嗟渦巻く。
「感情的にならず事実だけを冷静に見ろよ」とか中立と正論の皮被っても、無数に出てくる有象無象の感情論をハイハイと流せるかどうかは、結局その裏のイデオロギーにある程度、迎合出来てるかどうか、或いは無関心かじゃねえのと。
事実だけを追うのが政治じゃない。政治は人々の感情と一体になるもんってのは嫌という程に大学でやったし最近は特にその例に富んでいる。