はてなキーワード: 賛否両論とは
http://anond.hatelabo.jp/20130824144207
結婚しない理由より別れない理由が気になる方が多いようだったので少し書く。
確かにそんなに嫌なら別れたらいいと思うが、彼女と仲はいいのだ。
僕が言いたかったのは、今の相手は彼女として付き合っていくことに問題はないが、
人生のパートナーとなって家族を築く事は考えられないということである。
結婚するつもりもないのに付き合い続ける意味を問われると、どちらかが本気で別れを切り出さない限り別れない状況になっているからである。
つまりだらだら付き合いを続けていることは認める。
では本題に入って彼女と結婚しようと思わない理由を書いていこうと思う。
僕達はお互い働いている仕事が終わって帰ってくるのは21時くらいな事が多い。
なので先に帰ったほうがご飯を用意するようにしている。
ここからが彼女の許せない行動で、ご飯を食べたあと疲れているのは分かるが
そのまま寝るのである。
化粧、これは自分は男なのでちゃんとは分からないが、顔に塗りたくった化粧を落とさない状態で
寝るということは肌によくないと聞くし、枕にその顔を置くことは気持ち悪くないのだろうか?
歯磨き、子供の頃寝る前には絶対歯磨きをするように育ってきた。
実際寝ている間に口の中の細菌は繁殖するし、朝の口の中の状態は最悪である。
そしてそんな事を繰り返している彼女の口臭はとてもひどいものなのである。
これは賛否両論だと思う。男女でも異なるのかもしれない。
夜風呂派の自分は、一日中汗などで汚れた身体のままで、寝る時用の服を着ること自体あり得ない。
身体のギトギト感が残っているのに、綺麗な服を着ると不快感がどうしてもある。
その状態で寝るなんて考えられない。
やはり寝るまでにお風呂に入って一日の汚れを落とした綺麗な状態で服を着替えて、スッキリした気持ちで寝ることが僕はよいと思う。
でも、これは彼女と議論したことがあり彼女の言い分によれば、夜お風呂に入って寝ると朝起きた時の髪の毛の状態がよくないから
どうせまた朝入り直さなければいけないから朝お風呂に入っているのだそうだ。
ここで思ったのは、どうせ明日やることだから今日やらなくていいと思うような考えが嫌だった。
以上、今回書いた点はもしかしたら環境が変われば少しづつ変わっていくものかもしれないが、
自分が朝風呂を入れと言われても絶対変えることは出来ないと思うことだから、
やはりこの点が同じ相手でなければ子供にどちらが正しいという時に、「お母さんはあぁだ。」「お父さんはこぅだ。」
と示しが付かないと思う。
掃除の件と比べると今回の内容は、それほど大きな問題ではないが、でもやはり結婚相手には
こういう事を習慣的にしっかりしている人と一緒になりたいと思う。
はてな匿名ダイアリーで、13日と14日に書いた2つの記事が100ブクマ以上になってた18歳ニートです。
今回も、「僕の言いたいことは書いてる途中にでてくるかな?」と思って書きます。
記事の内容は、
2日連続で100ブクマ超の記事を書いてみて思ったことや・気づいたこと・分かったこと・発見...みたいな内容です。
まず、僕がはてな匿名ダイアリーで書き始めたのはごく最近のことで、今月から書いてたりします。
「はてな匿名ダイアリーだったら割と不特定多数の人に見てもらいやすいかも!」っと思って書き始めました(笑)。
「少なからず俺はだいたい全部の記事を見てるよ」や「とりあえず読んで面白いか、有益な情報でなければ何もしない」的なコメント頂き、
マジメな感じが伝わる記事を書けば割とコメントがもらえる場所のような気がします。
本題に入りますが、
100ブクマ超の記事を書けた2つの記事内容は「自分の考え」を書いたら100ブクマ取れました。
1つ目の記事は、アドバイス的なコメントやコメント主さんの体験談などを多くもらい、
2つ目の記事は、批判コメントが多いけど、1つの記事よりブクマ数もツイート数もいいね数もトラックバック数も多いです。
僕にとってはこんなこと初めてで、「言いたいことを言ってみたら自分に返ってきたこと」がとても嬉しかったです。
以下、ここから途中まではただの発見なので、はてな匿名ダイアリーで書く人向けかも。
発見としては、
・自分の考えを書くと、自分とは違う考えの意見や体験談、情報が集まる。発信元の自分に、思いもよらないヒントをくれたりする。
・記事をツイートする人はだいたいフォローとフォロワーの割合が1:1くらいの人が多い。たまにフォロワーが多い人に拡散されることも。
・記事をブックマークされたら、トラックバックのコメントを見るだけじゃなく、
本サイトの「はてなブックマーク」で、記事のURLを貼って検索し、記事の個別ページを見たら、ブックマークしてくれた人のコメントも見れる。
・「これが言いたかった!」っていうのが特に無い曖昧な文章を書いたら、いろんな受け取り方をしてる感じのコメントがもらえる。
なので、どこに反応してくれたのか自分でも分からない。でも、言いたいことが無い文章でも書いてよかったと思う。
100ブクマ超の記事が書けてみて思ったことはたくさんあるんですが、
僕のような若者も、いつもは「はてな匿名ダイアリー」でトラックバックしてコメントしてる人も、見てるだけの人も、
とりあえず「自分の物語」や「自分の考え」などを文章にして書いてみるのもなかなか良いと思います。
少し前に16歳女性の人が匿名ダイアリーに書いてたのを見ましたが、
はてな匿名ダイアリーのユーザーが低年齢化してもいいから「若い人の考え」や「今までの人生の物語」を書いてみてほしいです。
若い人であれば年齢が分かるようことを明かして書くと、誰かが「私のあの頃は○○だったよ」みたいなことを言ってくれたりします。
文章が上手い下手とかどーでもいいことだと思います。
おもしろい文章を書こうとすると反応されないかもしませんが、誰かの物語ってのは、他の誰かにとってはおもしろいと感じる文章になると思います。
それと、この文章を書いてて気付きましたが、
100ブクマ超の記事を書いた時もそうでしたが、僕は文章を「本気」で書いています。
100ブクマ超の記事に「僕は本気になれない」系のことも書きましたが、いつの間にか何時間もかけて本気でこの文章を書いていることに気がつきました。
いつの間にか「自分のことを本気で書いている自分」に気づいています。
ここで話は終わるかと思いきや、文章を書いてて興奮してきた感じがあるので、自分についての話をします。
僕はニートな18歳ですが、今までだいたい引きこもって哲学をしてる感じの人間です。
誰かとたくさん話をしてきた人生じゃないし、周りの人には「暗い子」だと思われてると思います。
僕が誰かと会話をすると「そうです!」や「うん。」くらいで、言葉をつなげてしゃべるのに慣れてません。
しかし、心を許した人(昔の同級生1人や小学4年生くらいのイトコ)には帰り際に「あばよ。」って言っちゃう陽気な面も持ち合わせています(笑)。
誤解されることも多い人生でしたが、特定の誰かが自分の良いところを言ってくれるのは僕の自慢です。
この文章を書いてたら、「変化があんまり無かった自分の人生に何か起こしてみようかなぁ。」という気持ちになりました。
もしかしたら、僕の母さんにこの文章を見せるかもしれません。
今までの経験からあんまり期待できず、あっけなく終わりそうですが。。。
それと、僕のやりたいことの1つに「両親と和解する」ってのがあります。
仲は悪くないと思うのですが、2ちゃんねるの「カーちゃんJ( 'ー`)し」と「たかし」の関係みたいな感じかもしれません(笑)。
「両親とこういう関係になりたい!」っていう未来はまだ明確に想像できませんが、
お互いに相手の心がなんとなーく分かれば、「言う必要がない言葉」が自然と出なくなるのかなぁ?と思います。
親に対する「そうじゃないって!」を無くして、「あの子はあぁだったんだなぁ」っていうのを親に知ってほしいのかもしれません。
ただ知ってもらえるだけでいいのかもしれません。
なんか難しいですが、僕と両親と祖父母の「親子3代の物語」ってのは、
両親と祖父母が生きてるうちに決着をつけて、自分の中に答えを見つけておきたいものだと思っています。
話が少し変わりますが、
今の僕はニートな身分なせいか、いろんな人に正論っぽいことを言われます。しかし僕にはそれがすぐできません。
そんなことは頭では分かってるけど、正論っぽいことを言われたら、何も考えれなくなって、言葉がでません。
正論っぽいことを言われれた後で「ホントにそれが正しいのかなぁ?」といつも考えます。
学校の先生や親の「正論や綺麗事」ってのは、どこかに気持ち悪さを感じるので嫌いです。
こんな正論や綺麗事っぽいことを受け入れてばかりだと、何も感じない鈍感な人間になりそうでヤバいと感じています。
幼稚な考えかもしれませんが、誰かに対してつい「YES」って言っちゃう自分が嫌になったこともあって、
これからもやりたくないことには「NO」って言える人になりたいです。
以上、ここらで話を終わろうと思いってたのですが、まだ言いたいことありました。
この文章は途中から、「両親に伝えたいこと」に近いものだと思います。
僕はこれからもニートでいるかもしれません。怖い人たちに間接的に「働け」って言われて、嫌々働いて、やらされた感アリアリで生きるかもしれません。
言い訳に聞こえるかもしれませんが、僕は今まで本能的に自分を守る行動をしてきたと思います。
勇気を出して後先考えず、学校も途中で行かなかったし、人の集まりに誘われたときは全部断ってきたし、今でも働きたくないし。。。
もしかしたら、ホントは働きたくないんじゃなくて、怖い人たちに威圧されてやらされるのが嫌なのかもしれない。よく分からないけど。
僕がこうして引きこもってばかりだと何も始まらないことも分かってるけど、僕は「将来どうなりたいのか?」だけはある。
ダラダラ人間でダメダメなヤツだけど、向上心だけはある。ニートな今でも自分を向上させたい。
すごく曖昧で、何を言われても何も反論できそうにないけど、絶対に自分の人生を生ききるし、今でも、自分のペースで「より良くなっている」と信じてる。
ここで、急に話は変わります。
僕の母さんが言う「同級生の○○ちゃんは○○になったんだってー。」みたいな僕と誰かを比較するのはもういいからー。
僕の弟と話してみても思うけど、弟が僕と弟自身を比べてるのが何か悲しい。
僕は中学生になる頃から、勉強もスポーツも同級生に負け始めた。
小さな「1位」を何度か取ってたけど、中学の終わりごろには勉強もスポーツもほぼ誰かに負け始めて、気づいたことがある。
「勉強もスポーツも勝てる気がしないから、『心』で勝負しよう!」と、わけのわからないことを(笑)。
「勝負」って感じじゃないけど、言葉にすると「自分だけの絶対的な領域」を持っておけばいいと直感的に感じていた。
エヴァンゲリオンでいう「A.T.フィールド」のようなものかも。
勉強やスポーツで良い点を取ればいいと思ってたころは、「誰かが作った価値の中」で生きてるようなもんだな。って今思う。
点数が悪かったテストを親にバレないように隠してた時もあったので、これは異常なことだと今は思うし、
母さんと顔を合わせるとつい笑っちゃうのは、おかしいからでなく、僕が最近知った「自分は機能不全家族の子供なんじゃね?」とも思った。
ウィキペディアを参考に見ると、自分は「家庭内での子供の役割」の「ヒーロー」「スケープ・ゴート」「ピエロ」のような特徴があった。名前はカッコイイ(笑)。
自分は「アダルトチルドレン」っていうやつなのかもしれない。これって僕の同級生を見る限り、割と日本に多そうな症状だと思った。
話は戻ります。
比較するのをやめることができた自分は、カッコよく言ってしまえば、自分が作った土俵の中で自分と戦い始めたのかもしれません。
テストの点数だとか、頭が良い悪いとか、親に迷惑がかかるとか、、、そういうのは本当にどーでもいいことだと思う。自分の心を無視してるし。
僕は、自分だけの「何か」を見つけてから、自然と「他人と自分を比べる」のをやめれた気がする。
ついでに、ちょうど1年前に読んだ「7つの習慣」って本のおかげもあるかもしれない。
今では完全に「全ては自分に原因がある」思考になっていると思う。間違った解釈をしてるからもしれないけど。。。
そういうわけで僕の勝ち方ってのは、絶対に勝てる自信がある勝負で1位を取るスタイルになったと思う。
それと、「大きな1位」を取ってる人ってのは、実は「小さな1位」をコツコツ取り続けた人なんじゃないかと思った。
たぶん僕はこれからも、ほかの誰かにたくさん負けることがあるけれど、自分には勝ち続けられる人でい続けたいと思う。
僕が母さんたちと話したりするたびに思うことがって、
「母さんの言いたいことはとりあえず受け入れるけど、もし自分が親だったらこうする。」ってのがある。
親の言うことが間違ってるとも思わないし、正しいとも思わない。
「それは母さんの考え」として受け取るようになった。その上で、「僕が親だったらこうする。」ってのがある。
これは反面教師で学ぶ自分が「将来自分が親になって子供を育てたい願望」から生まれた物の見方で、親を持つ子供の立場で見て欲しい部分。
僕のこの願望は、小学生のイトコの家に1ヶ月くらい住まわせてもらった時に生まれた願望。
僕は恵まれているんだと思うけど、
「両親がいて、小学生(子供)を持つ明るい家族の一員になる体験」は僕にとってはすごく重要な体験だった。
うまくは分からないけど、「子供を持つ誰かの家族の一員になって暮らしてみる」ってのは、新しい考え方が増える体験の1つだと思う。ハードル高すぎだけど。
「家族っていいなぁ。自分もこういう家族つくりたいなぁ。」と思い始め、親と子の関係や子育てについて考え始めたり、将来結婚する気になったのもこの体験から。
少し話を戻しますが、
今の僕は、親から色々言われることもあるけれど、僕が親に反論することはあんまりなく、ただ聞いて受け入れるだけ。
全ては親になった時の自分が、僕の次の世代のために僕の親から学んでいるだけ。もちろん良いところも学んでいると思う。
なんだかんだで、自分の家族は絶対に自殺するようなことはして欲しくないなぁと思う。
ということで、まとめ的な感じで終わろうかと思います。
最初はタイトルの「2日連続で100ブクマ超の記事を書いてみて思ったこと」で30行くらいで終わるかなぁと考えていたら、
いろいろ話を膨らませすぎて、またまたタイトルと関係ないことを書いてしまいました。
この文章を書いて思ったことは、
こんな文章が書けるとも知らず、自分の人生を掘り下げていって、言いたいことが頭に浮かんだら書く。っていう感じで書きました。
親にこの文章を見せるとなるとちょっと恥ずかしいことだけど、もしかしたら人生の1つの区切りになるんじゃないかと思っています。
僕は常日頃から、キャラじゃないことをやってみたり、いつもと違う道を通ってみたりするのが好きです。
何も起こらなくても、親に僕の考えを知ってもらえば何かスッキリするかもしれません。
ラブレターは書いたことありませんが、この文章は自分のために本気で書きました。
僕が本気になれることは「文章を書くこと」っていう発見もしました。
「最終的に世界を旅する教育者みたいな感じになるだろうな~。」と思っていましたが、インターネットで「文章を書く人」にもなりそうです。
それと、ニートな僕は、自分のことを客観的に見ることがあまりできず、自分のことを書き出す作業を1年間くらいしてきました。気が向いた時にですが。。。
自分のことや自分の感情を自分はあまり知らないので、履歴書に自分のことが書けなかったのは悔しい思い出です。
自分の今の状態をできるたけ認知しようとしているので、とにかくもっと自分のことを知りたいのだと思います。
僕はこの文章を書いてるときの状態は初めてですが、どんどん文字が打てる状態になっているのは自分でも驚きです。
しかし、この文章は途中から興奮状態で書いたものなので、あとで見返したら恥ずかしく感じるかもしれません(笑)。
それと、文章に「」をたくさん使っちゃってるのはたぶん、「これを伝えたい!」ってのがたくさんあるからだと思います。
最後に言いたいことは、
自分の考えや自分の物語を文章にして誰かに公開してみたら、いろんな発見をして、どこかで急に大きな発見をするかもしれません。
100ブクマ超の記事でもらったブックマークしてた人のコメントにもありましたが、
「自分の考えをぶつけてみたら案外いい反応を示してくれるかもね。」っていうのがあるかもしれません。
僕にとっての「思わぬ展開」がこの文章を書いてたら起こったことなので、
自分の考えを文章にしてぶつけてる途中に、その文章に自分が反応を示すのかもしれません。
全部「かもしれません。」です。
知ってほしい人に公開するとどんな事になるか分からないような「自分の考えを書いた文章」、
自分にとっての爆弾になるかもしれない文章を書いてみるのもたまには良いなぁ。と思いました。
それと、最後に母さんへ
この文章はインターネットで公開するために書いた文章だけど、途中から母さんに向けて、母さんに見せるために書いた文章になった。
今の僕は母さんとかと話しても、話にならずに僕は絶対に負ける。正論っぽいことを言われて何も言えずに終わる。
文章にして伝えるのもいいなぁと思って、ここでお願い。
特に目的もない旅行をするために、僕に100万円をください。これは僕が何も計画をしてない数字です。
僕は1年前くらいから「母さんに『100万円頂戴!』って頼もうかなぁ。」と思っていました。
家族のことをあんまり考えてないアホ発言だけど、僕は20歳になる前に「ウユニ塩湖」っていう場所に行きたいと思っています。ついでに世界旅行も含めて。。。
本当は自分が稼いたお金で、一人で行くつもりだった。けど、今の自分は自分でお金を稼ぐ気があんまり無く、嫌々やってる感じになったことに気付きました。
「ネットビジネスで稼ぐ!」って言ってたけど、それは本当にやりたいことじゃなかったと気付きました。
今でも覚えてることは、僕が初めて「63円」を稼いだとき、僕は「うおぉすげぇ!」って思って、「母さんたちに報告したら褒めてもらえるかなぁ。」と思って聞かれて言った時に、
母さんじゃないけど「そんなんで飯食えるん?」的な言葉を言われて悔しかったことです。
今までは悔しさをバネにしてきたけれど、そこから悩みに悩んで、「なんか違うなぁ」ということに気付きました。
何を言われても「僕が親だったらこうする。」っていう学びになるので、とりあえず話は聞いてます。
本当にやりたいことだと思ってたことが、「本当はやりたいことじゃなかった」ってことが何度もある僕は、
ネットビジネスも実は本当にやりたいことじゃないことに気づいたところです。
でも、「最終的にはインターネットを使った仕事をしてるんだろうなぁ~。」と思います。
話は少し変わりますが、
怒られることがトラウマレベルで怖い僕は、母さんたちの顔色をうかがって今の家に来てしまったんだなぁ。と気づきました。
僕は「別に、ご飯が食べれなくなっても住む家が無くなってもまぁいっかー。どうにかなるさー。」的な考えを持っています。
後のことは考えないですし、もしものことが起こったり、たとえ借金10億円を背負ってしまったりしても、「別にいいじゃん。」と思います。
全てを受け入れて、起こってしまったことに対して、「どうすればいいのか?」を考え始めると思います。
死にかけて考えるタイプかもしれません。僕はこれでいいと思います。
そんな頭なんですが、「でもそんなこと言っても、結局は母さんたちが食べさせてくれると思ってんでしょ?」的なことを言ってくる同居人には返す言葉も無いです。
たぶん今僕は、嫌な上司といっしょに住んでる気分です。
正論っぽいことや綺麗事に加え、嫌味や皮肉と威圧感で、今までと同じくらい生きにくいなぁ。と思っています。
母さんたちの言葉には、
「お前もこう思え。」「母さんたちの顔色をうかがえ。」「人の気持ちを考えろ。」みたいなものを感じます。
これは、僕の心を無視しているからこんな感じの言葉が出てくるんだろうなぁ。と考えています。
母さんじゃない人も混じってますが、人生で久しぶりの愚痴を言いました(笑)。
こんな僕でも、僕自身と僕の両親、人との関わり合い方については、真剣に向き合い続けていたりします。
100万円頂戴!の話に戻りますが、
もし僕に100万円をあげたとしても、その分を返す気は無いですし、違う形で返す気も無いです。
ただ僕は100万円あったら一人旅をして、自分勝手にわがままに生きたいだけです。親に会いに行きたくなったら会いに行くだけです。
親として「子供にこうなってほしかった」ってのはあるかもしれませんが、
これからも僕は母さんの期待を裏切り続けると思いますし、これからも迷惑をかけ続けると思います。
むちゃくちゃかもしれませんが、僕は、僕と関わる人がより良くなると思ってこんな考えになったんだと思います。
「普通は親孝行するもんでしょ?」とか「常識的にこう」とか聞いてられないです。感謝の感情が生まれてから「ありがとう」を言うつもりです。
話は変わり、僕のやっておきたいことの1つに「両親と和解する」があります。
実は母さんだけでなく、僕は離婚した父さんに今年中に会いに行く約束をしています。いつ行くか決めていませんが。。。
話す内容も考えてないですし、話せる自信も無いのですが、僕は「自分のルーツ」を知りたいとも考えています。
知ったことかー!ですが、僕は僕の家族の歴史を知っておきたいです。
僕は自分自身のことを、家族の中で誰よりも現実的な人間だと思っています。
考え方はコロコロ変わりますが、「あるべき姿」「在り方」のようなものを見つけようとしています。
それと僕は、僕が知っている一般的な社会で生きていける自信は無いですし、生きていこうとも思いません。
誰かが僕を、その人の枠にはめようとしても、今までどおり僕は表面的に従って、内側では反抗し続けます。
学校に行ってもどこに行っても一人になるタイプなのですが、これからもインターネットとかで自分の生き方を発信していくと思います。
なんだかんだで、自分のためにもなってるし、賛否両論あるけれど、誰かの為にもなってると思うし。。。
僕は「より良くなる」と思って、こんな文章を書きました。
めちゃくちゃですが、自分で書いたことや口に出して言ったことは、あとで「やっぱり、あれは違ったなぁ。」と思うことが多々あります。
「今度聞かれたらこう言おう!」ってのが早めに見つかればいいなぁ。と思って、たくさんのことを書いてます。
そして、僕はいつでもいいから母さんとマジメな話ができたらなぁ。と思っています。
話さなくてもいいから、お互いに親子関係を見直すきっかけを作れればなぁ。とも思います。
母さんが僕に言いたいことがあったなら、いつでも文章でも直接会ってでも連絡ください。
母さんの言葉を聞いて、また呆れることもあると思いますが、それでも僕は全部受け入れて話を聞き続けます。
僕がどう思うかではなく、母さんが思ってることや、言いたいことを言って帰るだけでもいいです。
僕は、「母さんが本当はどう思ってるのか」があるなら聞いてみたいし、僕は「自分が本当はどう思っているのか」を伝えておきたいです。
賛否両論あるみたいだけど、なんかみんな"どっちか"なんだよな。
"DQN"ってここで言ってる人は、要するに中高を謳歌してた"リア充"のことだろ?
それをただ僻んでるだけじゃん?
んで、その中から、自分に比べて"失敗"してる人間を引っ張り出してきて、見下してるだけじゃん?
"DQN"とくくってる人の中にも、自分より勉強も出来て今もホワイトカラーで立場も上の人間も居るだろう。
そういう人は見なかったことにしてる。
そうすることで、自分の無様な過去を美化しようとしている、人を馬鹿にすることで。
そんなんじゃなくて、素直に自分は中高勉強頑張ったからここまでこれた、と思うだけで良いのに。
自分が今、色々と上手くいってればそれが出来るはず。
人を馬鹿にしている以上、今もこれからも他人と比べて、自分より上手く行ってる相手に対し、
今度は過去が自分より駄目だったから、とか、結婚出来ないやつだから、とか、結婚してても家庭が駄目だから、
とか言って人をばかにすることで自尊心を守ろうとするしかなくなるよ。
DQN側と相互に馬鹿にしあう、哀れに想い合う仲だ、って言ってるけど、
勿論、中学時代にいじめにあっていたとしたらそういうことをしてたヤツラを養護するつもりはないけど、
少なくとも今は増田のことをどうもこうも思わないだろ。
久々にみた残念すぎる記事。
http://zuisho.hatenadiary.jp/entry/2013/07/14/032113
昨日の夜なにげに読んだらまぁ、見事にレベルの低い記事との指摘がコメント欄に突っ込み大量。
そもそもアニメや映画の批評記事はいつも賛否両論だから基本突っ込み歓迎で書く程の度量は最低必要だろう。
どうなるのかなーと半日たってみたら。
「どんな感想を抱くのも勝手だがそれが俺が書いた文章とワンセットで人に読まれるのが気に食わない」という理由でコメント欄を閉じました。承認制なので書いてくれたら俺は読みます。
とまぁ、残念な状況。
結局、俺の意見はみんなに読ませるが、俺を批判するのは認めないってことか。残念すぎる。
もっとも、それ以外にもいくつか論評書いてるんだが、選んでる作品も駄作が多く、そりゃーぼこぼこにされるわな。
別に意見なんて十人十色なんだし、仮に自分が理解できていない点を他人から突っ込まれても「そういう見方もありますねー」でいいんじゃないかと思うが。
予備校でいつも髪の毛を弄くって手が動かない生徒を退出させた - Togetter
で、なんか賛否両論なんですけどね。予備校にも大学にも行ってた人として思うことをつらつら書いてみようと思う。
結論から書くと、お金払って授業受けに来てる人に対し、髪の毛弄るくらいでその対価を与えないのってどうなの?っていう意見は大間違いだと思います。
お金を払って来てるの、その髪弄ってる奴だけじゃないんで。その教室内にいる生徒みんなそうですけど。
その髪の毛弄るっていう行為、隣の席の人もそうだけど、その生徒が視界に入る人間全員気になって集中できないんですよね。
ペン回し、髪の毛弄り、机とんとん妖怪、もう本当めちゃくちゃ気になる。夏とか修羅場ですよ。必死こいて汗かきながら受講しにきて、髪の毛いじってる人を視界の端に受け入れ続ける一時間半。あ、この時間は自分の過去の受講時間です。
鼻息荒いのとかはもう気を付けようがないから全然気にしないけど、上の三つって我慢しようと思えば出来るじゃないですか。
どう表現すれば分かりやすいだろう。映画館に行って、前の席の人がぺちゃくちゃ会話してるのと同じかもしれない。
その人達だってお金払って映画見に来てるんだし、映画を見る権利自体はある訳です。
でも、他にも同価格払って同じ空間に来て同じ映画を見に来てる人達いますよね。
すっごい気になりませんか?「話すくらいなら出ていけよ…」って苛立ちませんか?「集中できねえよ…」て思いませんか?「家で見ろよ…」って呆れませんか?
帰り道、その人の印象で「あー、この映画お金払ってまで見たのになあ」って後悔しませんか?
それがあるから、映画の前のマナーフィルムで「えいがーかんではおしずかに!」って注意を促すフィルムが流れるんだと思います。
喋っちゃいけないっていう厳格なルールがある訳ではなくて、そうしないと観に来ている人からのフラストレーションが爆発するからで。
貧乏ゆすりもそれに近いかもしれないですね、視界の端で何かしらの動きをされてるっていうことなので。
じゃあ予備校ではどうなのかって、そんなフィルム流す訳もなく。注意出来るのって、講師しかいないんですよね。
隣の席の人とか、後ろの席の人が「ちょっと、その髪弄るのやめてください」って注意したら、軋轢しか生まないですから。
でも講師が注意したことで、後ろの席の人は少なくとも「うわー、やっと言ってくれたよ」ってなったと思いますけどね。
件の講師の方と、受講生の方にだけ注目したら、「そんな髪弄るくらいで退室させんなよ」って思うかもしれないですが。もう少し視野を広げて、周囲の人達を自分に当てはめてみてください。
社会人の方は、取引先の人がずっと髪の毛を注視しながら髪弄ってる時に「ああ、この人って話聞いてくれてるんだなあ」って思えるんでしょうか。
Suicaの利用履歴を分析したものを商用利用するって話について、賛否両論になっているけど、私はこれは非難して当然の話だと思う。
その理由は、プライバシーとかではなく、これが集中と選択のために利用されるという点そのものだ。結論から言うと、公式なビッグデータの提供は、特定箇所での過剰競争と、利用者全体でみたときの生活の質の低下を招く。
もちろん、企業の利益を最大化するために集中と選択が重要だというのは間違っていない。だが、いくら昨今注目されている手法を使ったところで、データによる集中対象の選定というのは、分かりきった結論の補強にしかならない(プラス、一面的で近視眼的でもある)ことが多い。
それ自体はよく知られたことだが、わざわざお金を出して買う以上、それを重視した行動をとらないと損だと考えてしまうだろう。
結果、データを購入した企業は、必要以上に人口密集地や定番商品への傾倒を深めてしまう。(しかもJRそのものからの「公式」情報なのでブレがなく、各社同じ結論を出してしまう)
そうなると集中された部分で過当競争を生み、除外した部分で不足を生む。販売されるのはSuica情報なので、地域格差に特に悪影響があるだろう。
今まで人口密集地でなくても生活に問題ない程度には便利だったところが、提供サービスの減少によって困難を覚えることの多い場所になり、逆に密集地では過剰なまでのサービスの提供が行われるようになる。
利用者が単に消費者であるのならプラマイで大して問題ないと思うかもしれないが、利用者は少なくない割合で勤労者でもあるので、その場合は「公式」情報による「最新で最高の」見込み売り上げに基づく販売目標、を達成すべく重点市場をターゲットに労働することになる。
しかし、同じデータをもとに参入した競合が多数いる状況なので、当然目標は達成できない。畢竟、ストレスフルナ職場で勤務するという状況を強いられる。(その一方で赤字にならない程度の採算でまったりやっていた職場というものは姿を消すことになる)
勤労者にとってはただ迷惑な話だし、企業にとってみたって、結局ビッグデータなんていうのは、競合を出し抜かないと価値はないのだ。
では、せっかく蓄積されつつある電子データなのに秘匿しておくべきなのか、というとそれも違う。
競争と隔絶した単一者、公共セクターの活動を評価・改善するために積極利用するべきものだろう。
公共施設の料金支払いをSuicaでできるようにしたり免許証見せるようなときに任意で一緒に押してもらったりして、交通網との関連を調べたり、新規に計画を立てるときの効果予測のために活用すべきだ。
(若干バイアスがかかってしまうのが問題ではあるが、現在の公共事業の利用予測はこれ以下がないぐらいずさんなので悪化はしないだろう。)
だけどこういう系は図書館ではやらない方がいいような気がする。なんとなくだけどそう思う。
なんか、さすがに世の中弱者ばっかりでくたびれてきたよ、という吐き捨て
私は、毎日の生活のなかで、多少の問題は抱えてはいても、そこそこ健康だしそこそこ気に入る仕事に就いているし親しい友人もいるし
税金だって、独身だからか、おいまじか?!って思うほどは納められるぐらいのゆとりはある
寝る前にぶらーっとネット巡回してると
「子育て大変」「車椅子は大変」「発達障害は大変」「ブラック勤務は大変」「○○は辛い」「○○なのにじゃあどうしたらいいの」とか
「大変言説」が、ネットの画面越しでは、新しいライフハック()とかと一緒にフラットに情報として並んでいる
あとフェイスブックやらtwitterやらでいいね!されてたりRTされてきたりね
しばらくすると、「大変」系の記事は賛否両論があってブコメも集まりやすいせいか、フラットじゃなく浮き、目立って見えてくる
「私/俺は大変だ」って言ってる人が大勢で大合唱してるみたいな気持ちになる時がある
『自分はそういう人よりも予め恵まれているのだろうから、できることがあれば何かしたいな』と思ったり
実際にも、そういった問題を「何とかできる」ようにする仕事を受けたりするときも、たまにあったり(仕事にはかなり恵まれている、そういう意味でも)
街中でベビーカーで往生してる人がいたら声かけたり、席譲ったり、募金箱があったらちょっと入れたりぐらいは、するんだけど
ネット巡回してると、なんていうかキリがないっつーか「おまえら確かに弱者かもしれないけど、要求大杉!!」って思う時がある
それはまぁブコメが沢山ついたりしていることが「無言の圧力」みたいに、私が勝手に感じているだけなんだろうけど
悪い私は「弱者ぶりやがってこのやろう、少しぐらい発言を遠慮しろや」という悪い気持ちがむくむくと湧いてくる時がある
子育て大変だろうとは思います、立派なことです。でも私だって全然大変じゃないってわけでもないんです
障碍を持って生活をしていくことは大変なことが多いし、偏見も多いし大変ですよね
でも私だって「こいつに任せて大丈夫なのか?」程度のささいなプレッシャーなら日々受けてるんですよ
でもねぇそういうことってほとんどが、今言ってもしょうがないな、ってことだから、基本的には黙ってるんだよ
福島原発の事故の後「ゼロリスク」という言葉が多くの場所で見られるようになったけど
日々楽しそうに、ふーらふらと、やりたいことだけをやっているように見える(らしい)私でも、ゼロストレスでは在りえないので
何ていうか、分が悪いなーとか、弱者ヤ○ザみたいだな、と思うことがある
そういった「大変言説」な人たちは、「私だけが大変」だと言っている人ばかりではないのも、もちろん分かってるんだけどね
何ていうか、他のもうちょっと社会的には重要なこととか私個人にとって特に重要なこととかと、一緒に並んでたりすると
なんていうか…フラットデザインが悪いのかな 笑。それともはてなだから?それともやっぱり私が悪い人間だから?
あと、話はちょっと逸れるけど、「ちょっと社会派エピソード」と「えぇ話」とかを、いいね!RTしてる人たちって
クリックしただけでいいことした気になってるんじゃない?ってのは
http://anond.hatelabo.jp/20130619155006
うちのせがれももう18歳になるんで、俺が子育てしてた18年から12年くらい前の話を書いてみます。
当時のうちのスペックは、
・俺、在宅勤務可能のフリーランス。幼児期の子育て中はセーブしてだいたい300万円くらい。
・妻、当時、研修医。激務でいながら、必要経費を抜くと大体税引き前で年収300万円くらい。
・住居は東京。俺の実家は九州、妻の実家は北海道なので家族の助けは受けられない。
こんな感じ。せがれは一人っ子。6歳過ぎてからはキャリア的にも子育て的にも一段落ついて、いい具合に回り始めましたが、そこに至る前の話です。
その6年間の家事と子育ては、在宅で働きながら俺がしていました。当時の妻は物理的に家事・子育てに関与できる勤務状況ではなかったので、彼女のサポートは期待できない状態でした。
そんな当時、自分がして育児が楽になったと感じた試みについて後述します。
・睡眠は細切れにとってもいい
俺は以前一日5時間の短眠に体を慣らしていたので余裕があったんですが、体質的に短眠に慣れることが可能であれば楽です。子供のリズムに合わせて、夜4時間、昼2時間で寝るなどの方法で効率的に疲れを取ることができます。
時間がもったいないので、スーパーなどの買い物では10円20円の価格差は気にせず買ってしまった方が楽です。
・考えないで済むようにする
家事はルーチン化しておくと楽です。この時間にはこの曜日にはこれをする、と決めておけば考える時間をかける必要がありません。例えば食事のメニューでは、俺の場合は30日期間でメニューを決めていました。
・計画を立てる
1日ごとの計画を事前にたてておく、朝の空き時間などを利用して計画表を作るのも有効です。元の計画があると、計画からどれくらいずれたのかをわかりやすく把握出来、常態への復帰もしやすくなります。
・計画に固執しない
ただし計画はあくまで計画と割り切り、アクシデントがあれば柔軟に対応すると決めておけば精神的にも楽です。
・友達は無理して作らない
家事や子育てに余裕がない場合、友達はいらないと割り切るのもひとつの手です。別に縁を切る必要はありませんが、出来ないことは出来ないと言ってそれで仲が壊れるようならそれまでです。
子供に無理してまであれこれ習わせたりお受験させる必要はなく、自分が親にしてもらったことをしてあげる程度ができれば充分だと思います。
絵本を読ませたり絵を描かせるような遊びのついでにちょっとした勉強も取り入れるとお互いに楽です。
・運動に気を付けた
俺は50メートルを走らせてタイムをとるのと、柔軟をさせるのを毎日やってました(雨の日は例外)。
・絵を描かせるのは楽だ
絵を描いている間は静かなので、その間にこっちも家事や仕事が出来ます。創作系の趣味をもたせるのはすごくいいんじゃないかと思います。
まあ、ぶっちゃけ子供の性格は千差万別で、どういう子供によるかによっても子育ての大変さは全然違うんですが。
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以上、「こんなに出来た俺様スゴイ臭」「それに比べて世の中の専業チュプはクソだな臭」「決めつけ臭」を取り除き、賛否両論ありそうなアドバイスを削除。
ぶっちゃけtopisyuさんが「これはコマッチャーにありがちな、アドバイスを装って他人をsage自分をageる自慢の手法を性別を入れ替えて投稿しただけの釣りです。恐らく元文では旦那さんが年収1500万の医者です」等の解説をして下さるのを非常に期待しています。
いま、ボカロ界隈で最も賛否両論という言葉が似合うボカロP、じん(自然の敵P)。
この人のP名ってなんか宙ぶらりんな立ち位置だよね。あんまり、他では見ない不思議な立ち位置。
最初から「じん」名義で活動してて、P名付いたから自然の敵P名義で活動するでもなく、かと言ってryoとかOSTER projectとかみたいに「実はこんなP名が付いてたんだよ」ってもでもない。じんのP名=自然の敵Pってのはじんを知ってるなら誰でも知ってると思う(そもそもタグがじん(自然の敵P)だし)。
でも、信者もアンチもじんってよぶし、商業作品のクレジットとかインタビュー記事でもほとんどじん名義(じん(自然の敵P)って表記はあっても自然の敵P単体での表記って見たことない。ハズ。たぶん)、ニコニコのアカウント名もじん。
じゃあ、P名無かったものとして活動してんのかっていうとそうでもなくて、動画では自然の敵Pことじんですっていう事もある。
自然の敵Pことじんですっつてもさ、P名よりも全然じんって名前の方がネームバリュー強いんだよねこの人の場合。
もはや、動画の自己紹介のときとニコニコ大百科の記事作る時くらいしか使われていないっていう。まさに「有名無実」を体現しますなぁ~。
まぁ、P名欲しくて、P名付いたとき凄い嬉しかった見たいなことどっかでいってたから、本人はそこそこP名に愛着ある結果こんな半端な扱いになっちゃったんだろうけど。
とか言いながら、動画一覧見てて気づいちゃったけど、この人カゲプロの曲でしか自然の敵Pとは名乗ってないのな。
人によっちゃ相変わらず「だからなんだって話」だろうけど、個人的にはめちゃくちゃ興味でてきましたよコレ。
次のシリーズものやるときは自然の敵P名乗るのかな? それともいよいよ「自然の敵P」は有名無実通りこして自然消滅するのかな? まぁ、そこは置いといて。
この人にとっての「P名」とはいったい何なのか? 俄然興味があるわけですが、誰かその辺のこと語ってるツイートとかインタビュー記事とか心当たりあったら、この無知な坊主にご教授下さい。
ゲートウェイドラッグは、依存性や売人とのつながりなどの要素もあるから、単純に漫画に適用はできない。
そもそもゲートウェイドラッグの理論が正しいかどうかさえ賛否両論があるのに。
まじめにアニメを見るってなに?
アニメーターの名前なんか知らないし、アニメが普通に見れて面白ければいいと思ってる。
アニメーターを知って、DVD全部買って、そのアニメーターの他の作品も全部知って、インタビュー読破して、アニメ雑誌を隅から隅まで読んで、ってそこまでしないと「絵が変だった」ってことも言っちゃだめなの?
違うでしょ。テレビで放映した以上、DVD購入者じゃなくて、テレビの視聴者がどう思うかも重要でしょ。
世の中には作画厨と崩壊厨しかいないと思ってる? 大多数はその他大勢の「普通の視聴者」なんだよ?
リアルタイムでテレビで見て、それまでは綺麗なアニメあだったのに「なんじゃこりゃ」って思ったからネットでいろいろ調べた。
賛否両論あるのも知ったし、新進気鋭のアニメータを起用して、実験的な手法を取り入れたってこともわかった。
でも普通に見てて「絵が変」って思ったのは揺るぎない事実だし、そう思ったのが自分だけではないことも確かだよ。
戦闘シーンはともかく、あの会話中のヴァイオリンの顔はないよ。
DVD版で修正が入ることはよくある、っていうけど、それは「クオリティアップ」のためでしょ。つまり放映版ではクオリティが低かったって制作側が認めてるってことじゃん。
しかもちょっと比較画像見ただけでも相当なレベルで絵が描き直されてる。まずかったと思ってなかったらそこまで修正しないでしょ。
自分の目と頭で判断できてないのはどっちだろう。
好きなアニメーターの作品だから、絵がおかしくても「作風だ」って言って誤魔化そうとしてない?
アニメーターやアニメ会社の言い訳かもしれないインタビューを鵜呑みにして正当性を主張してない?
それが「自分の判断」?
ちなみにやらおんは見たことないよ。
あと、他人に指摘されないと、
「電話番号さらすとかありえない」っつーことすらわからない感情的になりやすいタイプだっつーこともわかった。
ヤフー縁結びは使ったことないけど、
バックられたことは今のところゼロ。
…と、まあ、いろいろな意味で、おまえの先輩なわけだが、、
たぶん、お前とおれの違いは、顔面の出来不出来はわからんけど、
顔面じゃないとすれば、服装じゃね?
とりあえず、他の人も突っ込んでたけど、
おまえ、服装気にしないタイプなんじゃないの?
賛否両論ある本だけど、オタ・ファッションしかできてないタイプなのなら
『脱オタクファッションガイド』でも、とりあえず買って勉強しとけ。
>>
ポケモンBW2対戦においても、対策がなされたとはいえ、未だに「切断」という行為が非常に多く見受けられる。もちろん、回線エラーである可能性もあるということは忘れてはならない。それが故意であると断言できない以上、なるべく切断に関するコメントは控えておいた方が良いと思われる。回線エラーにより勝敗がつかないことは確かに不快であるだろうし、勝利目前となれば尚更ではあるが、心を広く持とう。
前述の通り、ポケモンBW2環境ではBW環境と同じくDSをつかうので、バトレボの様に回線が安定していない。 うp主が切断と断言して、晒す行為をして視聴者側に対戦相手の批判を求めた場合それは 「勝敗が決する直前まで追い詰め、相手に切断させた」 要するに勝ちとしてとらえることが出来るので対戦相手を批判する代わりにうp主に拍手しておこう。
次に対戦相手やうp主が高種族値のポケモン(いわゆる厨ポケ、ガチポケ)、準伝説ポケモン、害悪と言われるようなポケモン(無限型、回避型、複数催眠など)、運ゲー型ポケモン、マイナーポケモンなどをPTに入れていた際、対戦相手を批判してしまうと、視聴者やうp主に迷惑がかかる。 うp主が使っているのが嫌な場合、動画としてのあなたに合わないということなので素直にブラウザバックをするのが良い。
ポケモンというゲームは非常に幅広い戦法があり、十人十色の戦い方ができるゲーム。どのようなポケモンをPTに入れていても自由であるし、技構成・戦法についても同じく自由である。
結局言いたいことは対戦相手を中傷するのはその動画の質を落とし、あなたが見る動画のうp主に迷惑がかかるので相手を中傷しないこと。
そして、動画をうpされてる方も、対戦相手を批判しないように心がけよう。
対戦相手の名前に関して
最近、動画内でよく議論に上がるのが「対戦相手の名前を隠すか否か」という問題。
まず、動画内で視聴者同士喧嘩をするのは好ましくないので気をつけましょう。
さて、先述したとおり、ポケモンBW2は、DSでのランダム対戦が可能です。当然、見ず知らずの人同士で当たる事が殆どだろうと思います。
そして、このランダム対戦の動画を上げることについては、相手の許可を取っている訳ではないから、せめて隠しておくべきではないかという意見が出始めています。
さらにその意見の多くに共通していることが、「自分の動画が勝手に上げられて見ず知らずの人にあれこれ言われるのは嫌だ」といったものです。
対戦を上げるだけなら、ポケモンBW2にはバトルビデオというものがあります。 ここにアップロードされることは納得したうえで、皆ランダム対戦を楽しんでいると思います。
バトルビデオとニコニコ動画の決定的な違いは、やはりコメントの有無かと思います。他にも投稿者の実況や編集なども大きな違いですね。
そしてこのコメントにより、自分の知らないところで、自分が罵倒されている・・・という事態も起こってしまっているのが現状です。
その対策として挙げられた一つが「対戦相手の名前を隠す」という方法。
とはいえ、投稿者に強制することはできませんし、この方法については賛否両論の状態です。
そして、「視聴をする際の注意点」と内容が重複するのですが、私たち動画視聴者が対戦相手を批判するようなコメントをしなければ、このような事態は起こらずに済むのです。
動画投稿者は、「視聴者に向けての注意喚起」、「悪質なコメントは投稿者権限で非表示にする」といった対策を取る必要があると思われますが、
われわれ視聴者がコメントを打つ際、投稿者も動画内の対戦相手も"画面の中にいるから何を言っても大丈夫な相手"ではなく、"喜怒哀楽のある自分と同じ人"だということを意識してコメントして頂ければと思います。
<<
「や、やめてくれ! 俺が何をしたというんだ!」
彼は株式会社渡邊抹殺の社員。日本から渡邊を抹殺することを仕事としている。
といっても、命を絶つわけではない。特殊な道具によって渡邊を渡辺に変えるだけだ。上司から紹介された渡邊のもとに向かい、力づくで渡辺に変える。それが仕事だ。
「おい、お前が渡邊だな。残念だが死んでもらう」
「ち、違う! 俺は渡邉だ!」
「ええい! 同じことだろうが!」
「見つけたぞ渡邉!」
「や、やめてくれ! 俺は渡邊じゃない! ほら、しんにょうの点の数が違うだろう?」
「お前のような奴がいるから名前登録が面倒になるんだ! 死ね!」
「ぎゃあああ! 戸籍登録と印鑑登録をやり直さなきゃいけなくなるぅぅ!!」
最初に渡邊抹殺が登場したとき、賛否両論だった。「全部『辺』に統一されれば書くのが楽になる」「外字を作る仕事が減ってしまう」「いちいち外字登録しなくてもよくなった」「印鑑を作る仕事が減ってしまう」などなど。
しかし、世論はおおむね肯定的だった。簡単な登録ならともかく、正確な感じを書くことが求められる行政の書類は異体字が多いほど面倒だからだ。社員である彼もそう考えていた。
ある夜。彼は夜道で怪しげな道具を持った男たちに狙われた。
翠星のガルガンティア第6話 謝肉祭 山内重保のエロスまとめ - 玖足手帖-アニメ&創作-
お色気シーンが視聴者には見えづらかったという批判への反論が書かれていてなるほどと思った。
一般的なアニメのラッキースケベシーンは主人公の目を通して視聴者もそれを疑似体験することが前提とされたカメラワークになっている。
そこにあるのは主人公の目を通した視聴者へのサービスという意味が第一で、アニメは視聴者のものになっていると言える。
しかし今回のガルガンティアお色気シーンについては、視聴者へのサービスもありつつ、あくまでレドの体験に主軸を置いたつくりになっているところで賛否両論あるらしい。
最後のエイミーの踊りをレドの目線レベルで鑑賞させなかった部分とかで。
そこではアニメはあくまでもアニメの主人公のもので、視聴者とは一線が引かれているように見える。
でもそれが演出として視聴者に伝わればそれはそれで表現方法のひとつとして十分に成立している。それに気づく視聴者とそうでない視聴者がいるというだけで。
自分の思い通りにならなかったアニメを視聴者の都合で文句を言うのはお門違いの場合もあるということは頭の片隅にでもおいておく必要があると思う。
誰かそこらへんまとめてください。
エグってきよるな~www (^皿^)
そのことについてまったく知らなかったひとたちや、
今までそれについて考えてみたこともなかったひとたち、
「理解の階段」を昇っていけるしね。
2013年5月4日、Gunosyについていくつかの批判記事が出た。
賛否両論あるが、残念ながら、はてなブックマークにフリーライドしていること、配信される記事がはてブのホットエントリーと被ることは事実である。
それはさておき、本日のGunosyで、上記の記事は誰にも配信されなかった。はてブのホッテントリ入りしたのに、だ。
ここから言えるのは、「Gunosyは運営者の都合で記事をフィルタリングすることができる」ということだ。GoogleはGoogleを批判する記事をフィルタリングしないが、Gunosyはフィルタリングした。2ちゃんねるや各社ブログは運営を批判する記事をフィルタリングしないが、Gunosyはフィルタリングした。インターネット関連企業は言論の自由や知る権利を守るべきなのに、Gunosyは守らなかった。
上記の記事は中傷的だから、同情的に感じる人もいるかもしれない。しかし、フィルタリングする基準は曖昧だ。今年の参院選、特定の政党を批判する記事が配信されなかったらどうなるだろうか? 近い将来、彼らの意見を否定する記事が配信されなかったらどうなるだろうか?
「こういうこといってくれるひとを大事にしたい」と思ってる。
「男女差別は良くない」って、タテマエでいってるひとよりも、
こういうことあけすけにいってくれるタイプのほうが、
「話せば(実は)わかる」ってことが、これまで多かったから。
それで、朝読んで、夕方ホッテントリしてて、再度みてみたら、
記事下方に
釣り記事ってこうやって作ればいいのかなぁと思って作ってみたら釣れました。 釣られた人はアプリで遊んでください。 http://wp.mokosoft.com/index.php/iphone_cross/
個人的に、その態度に強い嫌悪感をおぼえる。
やむを得ず釣りだと告白、とかそういう事情があるならまだ理解できる。
ただ、今回については、
ブクマが複数ついた後になって、釣りだと告白することに何の意味があったのだろう?
賛否両論があって、それぞれの見解があって(「釣りだろ…ハァ」「釣りだとしても聞き捨てならん」「総論賛成各論反対」みたいな反応も含め)、
それでいいのでは? 読者が選択したそれぞれのスタンスを、
今回のことについて、私見を述べさせてもらえば、
【釣った魚をなぶり殺しにして食べずに捨てる】というような、
みていて、ただひたすら虚しくなる。
他人を貶めないかたちでやってほしい。
百歩譲って、
リンク先が、本文のテーマを熟考してみたひとにとって関心事となるような内容ならまだしも……
今回のことは、「各論では相容れないけど、総論では理解しあう」というかたちの
コミュニケーションの在り方、人間関係の着地方法、信頼の築き方を、
棄損する行為でもあると思う。
とりあえず、アスペルガー症候群に関しては、ソースはWikipediaというのはナンセンスかな。
通常wikipediaにはwikipediaの内容自体のソースが併記されるんだが、これだけ長い内容にもかかわらず、ソースがない。
試しに、英語版を読んでみると(通常医学に関してはアメリカのほうが先進国・(精神医学は知らないが))もう少し中立的に書かれている。
『ASは好きなことと嫌いなことに関する興味の有無が逸脱して大きいが、 興味の有無がある事は通常の人間にも起き得ることである。』などの表現がなされている。
そして、そのことが、社会的には、他人の感情を『軽視している』かのように見られることもある。
とは表記されているが、『他人の感情を軽視している』とは書かれていない。
つまり、興味のある話はどんなに長くても聞くが、興味ない話はさっさと帰るので、あいつ俺のことを無視しやがったと、思われることがあるが、彼らはそれを気にしない。それが、失敗なんだ。(と彼らは気が付かないという意味だと思われる)
という表現。
※興味ない話を中座することの是非については賛否両論あるだろうし、社会学的な問題なのであくまでも、ニュアンスだけという点はご理解いただきたい。
そういう意味では、アスペルガー症候群に関する、日本語のwikipediaの内容は誤解や曲解を招く表現なのかもしれない。
本当に医学の心得がある人が執筆したのかどうかもわからないし、間違ってるとは言わないが、医学関係を医学関係の論文ではなくwikipediaだけをソースにするのは危ういと思う。
最後に、ごく個人的な見解を述べさせてもらってもよろしければ、医学的な内容なのに、随分と偏見に満ちているのではないだろうか?該当の文章は。繰り返しになるが、間違ってるとは言わないが、デリケートな内容にもかかわらず、ミスリードしやすい内容だ。
就職試験に必ずといっていいほど出題されやすい算数問題がどうしても解けない文系大卒生だ。
恐らくこれだけで殆どの受験生の皆さんは察して頂けたと思うけど、私は算数を小学校までしか知らない。
中学校は義務教育で算数から学問の算数に切り替わったのを契機に躓き始めて苦手意識を持った。
その状態で高校入試に臨むわけだけど、今もどこかしこでやられてる文系分けと理系分けで私は迷わず文系を選択し、選択型試験では古文・公民・地理を受験した。
大学試験はセンターを利用せず算数の無い文系の一般入試を受験し今に至る。
文系大学生にとっては未知の学問である算数。何も自分だけが特別ではない。文系大学生は等しく幼少から算数をやって来なかった者たちだ。
昨今の就職試験では中学校でも教えない仕事算やニュートン算といったどこぞの教則ビデオや進研ゼミ等通信教育を受けないと得られないような、今まで算数に拒否反応を起こしてやってきた文系大生にはとても辛い問題をいじわるく出題してくる。
算数なんて実社会に全く必要とされない学問なのに何故か多くの企業では採用される矛盾。
計算式なんてレジや電卓などコンピュータが算出してくれるというのに自力で解かせようなんて市販の卵を温めて孵化させろといってるようなものだ。
また一般常識問題集というのがあって、これをやれば就職試験も難なく通過できるという謳い文句で企業試験に臨む大学生たちの殆ど全員が当たり前のように購入するけど、
一般常識で現代社会や国語、公民、歴史、環境問題は生活上や会社の同僚や上司とコミュニケーションを取るための道具としてこれからも使えると思う。推理論証、アルゴリズムもまあ使えん所はないとは思うが、その中で総ページ数の多くを占める算数は必要あるのかというと、お金や数字を常に扱う販売職ですら計算式は足し算掛け算と小学生程度の知識があればできるものばかりだし、帳簿作りのためにレジ任せだというのが現状だ。
つまり算数は一般常識としながらも実際に使う機会は全くといっていいほど無い。これを一般常識として出題するのはいかがだろう?
まして学校教育の段階で文系理系と分けておきながら企業にそんな事理由にならないとばかりに共通試験として出題するのだから、この教育システムおよび就職というのは一線を画したものだろう。
子どもに選ぶ権利を与えながら大人になると選ぶ権利がないなんて理不尽な事、一般常識で算数を出すというのなら、いっそその問題を中学高校大学で教えておけと言いたい。
企業中でも一般常識として算数を扱うべきかどうか賛否両論だというのに、学生なら知ってて当然だよねと言わんばかりに出題するのは間違ってる。
学生ですら文系理系に振り分けられて学校生活を送ったはずだ。そうなると、企業側は彼ら学生にある背景を汲むべきじゃないのか。
少なくとも文系大卒生で就職出来てない全体の3人に1人はその理不尽さに気付いてる。
なら、算数のある一般常識問題を採用する全企業は皆理系しか採らない事を公言してくれた方が時間と金の浪費がなくて建設的じゃないか。