はてなキーワード: 資質とは
元増田だけど、思った以上にバズってて驚いてる。
俺が顧問の手で生まれて初めて首を絞められた12,3年前、ここまで体罰は問題視なんかされてなかった。
田舎の中学ってこともある。親が頭下げて、「こいつをビシバシ鍛えてやってください!」なんていう時代だしね。
まあ当時の恐怖と怒りに任せての誇張も、客観的に見ればかなりあると思う。その後顧問は、厳しく接すると部活サボるようなニューエイジの悪ガキどもを指導するにあたって、もっとソフトな指導をするようになったらしいし、今はそういう理不尽な指導はしてないだろう。顧問に恨みがある、ってのとも違う。
ただ、自分の人生は、あの三年間で、あるスティグマを植え付けられてしまったと思ってる。
それは、威圧的な人間に対して徹底的に下手に出てしまう癖がついてしまったことと、捕食されかけの草食動物みたいなパニック癖がついてしまったこと。
体罰モーマンタイの時代ってこともあるが、うちの柔道の指導ってのはこうだった。
「おい○○、さっき相手を投げられなかったのは何でだと思う?」
「そうじゃねえだろう(バシっと頭を叩いて) 腰が引けてたから手で投げてただろう、違うか?」
まあ、こんな感じ。
こんな環境に三年も置かれると、弱気な奴は相手が手を高く上げただけで、身をすくめるようになる。(顧問も、部活の引退後に、まあ冗談か親愛のつもりで腕を振り上げて、身をすくめる俺を見ながら「大丈夫だって、何もしないって」と俺をからかっていた。同級生にもよくやられた)
で、相手が高圧的な口調だと、謝らないと、もっと殴られる、と思うようになる。
この性質って、ビジネスの世界じゃカモになってくれって言ってるようなものでしょう。
上司が「この数字だけどさ」って質問した時点で、殴られる?殴られる?モードに入っちゃう。つれーわー、ホウレンソウになんなくてつれーわー。
で、パニック癖ってのは下手に出る癖に比べれば、まあかわいいもんだ。
大学時代、デカいし柔道経験あるってんで、友達の入ってる総合格闘技研究会みたいなとこに遊びに行った訳よ。
で、柔道経験もあるし、先輩と軽くグラウンドの練習でもしてみる?って話になった訳。俺も初段持ちだしね、たまにはいいかなと思ってちょっと張り切った訳よ。柔道経験者だし、関節OKでいいっすよー、って俺も調子こいた。
だけど相手とは土俵が違う、あっさり腕ひしぎを取られちゃった訳だよ。
その時、俺は腕ひしぎから、必死で逃れようとして、相手した先輩は慌てて腕を放して、俺に注意した。
「危ない危ない、自分が説明しないのも悪いけど、関節が入っちゃったらタップしないと! 暴れたら本当に折れちゃうよ?」
柔道やってた俺に、参ったなんて、許されてなかったのよ。
中学柔道では絞め技が許されてるけど、絞め技はタップしたら負け。だから、絞めを掛けられたら、外すか絞め落とされるかの選択肢しかない。
顧問とか学校外の指導者と寝技練習してて、首に隙があるとするよね。すぐに絞めてくるの。で、タップするじゃない、中学生が。
「お前参ったして負けるのか? おい負けるのか? 絞めを外せ!」
指導者にもよるけど、八割方逃がしてくれないの。逃げるか、絞め落とされるかだけ。タップなんて無視されるだけよ。
気道を圧迫され、頸動脈を締め上げられて脳への血流が遮られる中で、落ちるまでに絞め技を外すしかない。呼吸困難状態でパニックになりながら。
その精神状態が蘇ってさ、相手の先輩が落ち着かせようとするのもお構いなしに、「す、す、す、すいませんでしたあぁ。参ったは許されないので、逃げるしかないと思ったんですううう」って、大の男が泣いちゃって。まあそれで沙汰止みよ。
俺の人生がそんなにうまく行ってないことについて、自身の資質に相当問題はあると思うんだけど、「この三年間を、もっとアサーティブに過ごせていたら」ってたまに後悔するよね。甘えなのは百も承知で。
http://anond.hatelabo.jp/20130831224854
うーん、それはどうだろ。
一見もっともらしいけど違うと思う。
だって左翼団体や右翼団体のリーダーは依然として超偏狭で現実味のない主張をしてるよね。
リーダー経験が思考の複雑さやある種の寛容さを産むという主張であれば
結論からいうと
その思想に従わない「反動」を自信満々に罵って攻撃して取り締まるとか、
ブラックのワタミさんなんてまさにすごいリーダーシップなわけでしょ。
実際のリーダーの思考っていうのは
自分の方針と相性悪い奴を排除する。粛清するっていう方向に向かうんだ。
政治ネタでいうなら20年前に当時テレビ朝日の取締役報道局長であった椿貞良って人が
自分の思想信念に基づいて完全に意図的に変更報道をしちゃった。
「庶民に余計な情報を与えるな」「これが正義だ」って感じのことをはっきり言ってた。事件化して供述もとられてる。
というより、リーダーの職責を経ることで独善性や排他性が増したのだと思う。
椿さんがそこまで出世してなければもう少し考え方に余裕や寛容さが残ってたかもしれない。
だって、
リーダーの仕事としては異物や反動を排除するのって正しいからね。
戦国大名でもそうだけど、自領を守れたとか拡大出来た家というのは
それをきちんとできなかった家は必ず衰退したり滅びたりしている。
家臣や親族を斬ったというとすぐ暗愚な殿様だ残虐な殿様だとなるけど
これも現代のイメージでいうことで、本当は斬れない殿様のほうが暗愚。
斬らないのは凡人でも優柔不断でも出来る。
民主主義的フィクションに毒された我々はリーダーの資質と言うものを勘違いしがちだけど
承前。
前編(http://anond.hatelabo.jp/20130825133734 )では三縞君に作品そのものについて総括をしてもらった。
彼女はあの通り真面目な人なので、旧約聖書やら仏教の経典やら沢山の資料を比較参照した跡が見える。まああとは文章の方にもう少し可愛げがあれば……なんてうっかり口にしたらまたもや新品の机を蹴られてしまった。情報庁の事務机と違って、アルコーン社のオフィスウェアは本物と見紛うばかりの高級情報材製なのだが、彼女は遠慮なくその黒いストッキングの美脚を持ち出してくる。せめて元上司を「鼻持ちならない」と無遠慮に評するところくらいは変わってほしいと思う。
で、ここからが僕の出番。
稀代の大作家・野崎まどが残した作品の中に埋め込まれた、人間の癖や偏りを利用した暗号。
といっても僕は特殊な暗号解読の専門家でも何でもないので、あのときのような成果を期待されても正直困ってしまう。
あれは先生と僕の間柄だったからこそできたことであって、大して知りもしない作家を相手に同じことができるなんて考える方が間違ってる。
けれど僕はこの仕事を受けた。
基礎コードの解析を終えた量子葉の研究はとっくに先生の意図を探ることからは離れていたし、こうして頭を使うのはとても心地良い。
だから、これはまあ、知ルが帰ってくるまでのお遊びみたいなものだ。
一般発売前の自社製ワークターミナルは唸り声ひとつ挙げずに目を覚まし、僕の電子葉とダンスを始める。啓示視界に多重展開された書字情報マトリクスが視線の導きで然るべき場所に配置され、僕はその本を〈知る〉。
ウィンドウをもう一つ開く。首振りで先のレポートを取り出して、目の前の本を固有値解析にかけた。多次元スライスされた書字情報はいくつものキューブに分裂し、吸い込まれるように消えてゆくと、瞬く間に啓示視界がウォッシュアウトされて、周囲の情報圧が低下してゆくのがわかる。
三縞君は常識人だ。凡人と取り違えてはいけない。常識人というのは世の中の人が当たり前のように知っているとされることを本当に当たり前のように知っている、得難い優秀さに与えられるべきタグだ。才媛三縞君が組み上げた意味論フィルタは時にピーラのごとく表面を撫で下ろし、時にスライサのごとく作品を賽の目に刻んでは雑味を取り除いていった。後に残るのは〝野崎まど〟という名の個性の結晶だ。
想像が始まる。僕は右脳と左脳を車の両輪のように回して脳内に〝野崎まど〟を仮定すると、感じるままにコードに潜む違和感をすくい上げていった。
少し難しい……ノイズが多い感じだ。ライトノベルをフィールドとする氏の世界描写は童話的で、本筋に関わらない部分は余計な注意を惹かないよう可能な限りオミットするのがスタンダードだ。とはいえ今回の版元は早川書房、百戦錬磨のうるさ型SF読みが相手だ。手加減はないと思っていいだろう。
思いつくまま挙げてみる。
序章。情報格差を乱用して女遊びをした僕は翌朝当然のようにバスでオフィスに出勤する。さらに車内には大声でおしゃべりに興じる女子たち——思念通話はとっくに実現されている時代だが、僕は咎めることも聴覚を遮断することもなくそれを聞いている。
やれやれ、と僕は首を振った。僕の仕事の大半は場所を問わない。だいたい情報化が極限まで進んだ社会で肉体の移動を要する業務分野といえば食事・医療・性風俗くらいのものだ。その意味での役得といえば唯一、三縞君と交わす、互いに性的関心を潜めたコミュニケーションだけだろう。この危うさだけは何事にも代えがたい。
〝先生〟について語る以前に、僕がわずかにでも興味を向けた人物がみな女性であったことに気づいただろうか。正確に言えば老婆を迎えにきた男性についてたった一行触れただけだ。京都の町は不朽を表す国家的なシンボルだ。だから、この一連のシーンで描かれているのは、僕ら男が背負うべき、いつの世も変わらぬ女性への関心に他ならない。
ジェンダー的な視点で見出すと、他にも気になる点が出てくる。京都大学の構内で赤ん坊を連れていた学生は性別不明だが、どうあれ血のつながりはないだろう。養護施設の保育士は男性だった。けれどエピローグで死に瀕した子どもに付き添っているのはなぜか母親ひとりで、これは明らかな偏りだ。「女性にお茶汲みを頼むのは性差別」という認識は根付いていても、我が子に対する愛情など僕らの世代の男性は持ち合わせていないのだ。
と、ここまで書いていたら三縞君から「あなたのろくでなしな価値観を世の男性にまで一般化しないでください」と書かれたメールが飛んできた。
退庁後の僕のクラスは、彼女は同格の4まで下がってしまっている。おかげでプライベートレイヤがだだ漏れだ。もう迂闊な発言はできない。
僕はおとなしく仕事に戻ることにした。
該当箇所をズームする。それは〝集落〟の場面。クラス0の女子中学生に対するのぞき行為が行われ、社会がそれを容認していると語られる箇所だった。
馬鹿なことを。
当たり前だが個人情報保護と児童保護はまったく別の問題だ。しかも情報格差は技術的限界によるものとされている。少なくとも一般的な認識としてはそうだ。だったら法が容易くその現状を追認することなどあるはずがない。
ここだ。ここにヒントがある。僕はそう直観した。
思考が活性化し、電子葉によって自動収集された関連情報が僕の啓示視界を埋め尽くす。
ソフトSF——純粋に人文科学に基づくSF。とりわけフェミニストSF。女性作家の隆盛。メアリー・シェリー。ベネット。ル=グウィン——違う。こっちじゃない。右脳が理屈を飛び越えて判断を下し、一足飛びにその本質をたぐり寄せる。ヒントはこれだ。
社会描写の神髄は、弱者をどう描くかに現れる
即座に理由を問う。
社会の歪みを体現する存在は常に女・子どもといった弱者であるからだ
方向付けされた認識が参考作品を引き寄せる。
過去の日本SF大賞受賞作。『マルドゥック・スクランブル』。この作品では〝戦う女の子〟を地に足がついたものとして描くために、少女娼婦の身分、戦争由来の過激な技術、ならびに犯罪的な出来事に即応するための法体制を用意した。出来上がった少女は社会的に見れば化け物でしかないというのに。
僕はようやく理解した。
それが指す存在を、僕はすでに知っていた。
誰より保護されるべき存在でありながら、誰よりも自分の身を守ることに長けた少女。量子葉とともに生体脳を育て上げた、人類初のクラス9。進化の特異点。
道終・知ルその人。
ようやくあの男について語る時が来た。
クラス*(アスタリスク)。素月・切ル機密官。主人公(僕だ)の心の闇を凝縮したような人物。
結果から言えば彼はかませ犬以外の何者でもなかった。彼の行動は無意味で無価値で、そして無残なものだった。けれどその劣悪な人間性については触れておかないといけない。
裏仕事を専門とし、存在自体が機密とされる、規格外のクラスホルダー。そうした役職に求められる一番の資質は、規律、そして良識だ。ところが素月はその逆をいった。
自らが果たすべき任務を忘れ。
14ページに渡って狂ったように女子中学生の裸を狙い続けるその様は。
ただの変態だった。
それから僕はことあるごとに知ルに対して欲情するようになった。
可憐な容姿。挑発的な言葉。妖艶ささえ感じる所作。それと同居する少女の無垢さ。知らぬ間に僕は虜にされていた。
それでもあの男、アルコーン社CEO、有主照・問ウさえいなければ、僕が女子中学生を相手に一線を踏み越えることはなかったんじゃないかと思う。
そのことを知って咎めるどころか喜んだミアもちょっとどうかと思う。
いや。
なぜそう設定したのか。
答えは簡単。知ルが初潮を迎えるその日をただ待っていたのだ。現代人としてはずいぶんと遅いように思えるが、そこは孤児で栄養状態が悪いことと対象となる異性がいないことを考慮すれば説明がつく。
本番を迎えた知ルの口から「私、セックスって初めてです」と言わせなかったことは氏の最後の良心だろう。そう信じたかった。
すっかり忘れていたが作中の三縞君の扱いはこの作者にして徹頭徹尾まるで違和感のないものだった。
長く辛い旅路だった。
結局、作者の真意は何だったのか。
僕には朧気ながらその姿が見えていた。
そう。氏は切望していた。
情報の秘匿も。
時代の空気も。
何もかもが存在しない、本物のオープンソースの世界というものを。
最後に。
解読の結果、僕がすくい上げた言葉を君たちの啓示視界に残してこの稿を結ぼう。
うわぁい、子どもの保護なんて全然乗り気じゃなかったけど、こんだけいけてるなら俺もロリコンでいいやあ!
(続かない)
元増田です。
結局、本当にゲーム好きな奴なら、こんな色々ヘビーに考えなくとも、というか何も考えずに遊び出すだろうと思ったのが、自分ゲーム向いてねーなと感じた決定打。
ECOとかでえらい目に遭ったことで警戒し過ぎているとしても、本当に好きなら何も言わずに別のゲームを始めるだろう。
あと同じECOの知り合いで艦これ始めた人は、ECOそっちのけで1日何時間もハマってるみたいなんだわ。
それから別の知り合いはPSO2を1年で2000時間遊んだと言っていた。
そういう事例を知るに「1日5分~30分くらいで楽しめる」というのが全く信じられなくなったというか、ステマ並に胡散臭く聞こえるようになった。
結局ゲームの仕組みなんて些細な問題で、最後はプレイヤーの資質じゃねーかと。
そもそも1回数分数十分で済むことだって1日に何回何十回とやれば一緒だし、運営もそういう熱心なユーザを優遇したほうが利益になるだろう。
それだと自分みたいなタイプは結局引き摺られマイペースで遊べなくなって元の木阿弥。
ゲームに古いも新しいもないというか、本当に無意味でしょーもない議論だったわ。
そんなわけで、もうゲームには完全に背を向けて生きることにする。
・・・という宣言すらカッコ悪いけどね。
教育基本法(http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H18/H18HO120.html)
第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
第二条 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
(社会教育)
第十二条 個人の要望や社会の要請にこたえ、社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によって奨励されなければならない。
2 国及び地方公共団体は、図書館、博物館、公民館その他の社会教育施設の設置、学校の施設の利用、学習の機会及び情報の提供その他の適当な方法によって社会教育の振興に努めなければならない。
社会教育法(http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S24/S24HO207.html)
第一条 この法律は、教育基本法 (平成十八年法律第百二十号)の精神に則り、社会教育に関する国及び地方公共団体の任務を明らかにすることを目的とする。
第二条 この法律で「社会教育」とは、学校教育法 (昭和二十二年法律第二十六号)に基き、学校の教育課程として行われる教育活動を除き、主として青少年及び成人に対して行われる組織的な教育活動
(体育及びレクリエーションの活動を含む。)をいう。
第三条 国及び地方公共団体は、この法律及び他の法令の定めるところにより、社会教育の奨励に必要な施設の設置及び運営、集会の開催、資料の作製、頒布その他の方法により、すべての国民があらゆる機会、あらゆる場所を利用して、自ら実際生活に即する文化的教養を高め得るような環境を醸成するように努めなければならない。
2 国及び地方公共団体は、前項の任務を行うに当たつては、国民の学習に対する多様な需要を踏まえ、これに適切に対応するために必要な学習の機会の提供及びその奨励を行うことにより、生涯学習の振興に寄与することとなるよう努めるものとする。
3 国及び地方公共団体は、第一項の任務を行うに当たつては、社会教育が学校教育及び家庭教育との密接な関連性を有することにかんがみ、学校教育との連携の確保に努め、及び家庭教育の向上に資することとなるよう必要な配慮をするとともに、学校、家庭及び地域住民その他の関係者相互間の連携及び協力の促進に資することとなるよう努めるものとする。
図書館法(http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S25/S25HO118.html)
第一条 この法律は、社会教育法 (昭和二十四年法律第二百七号)の精神に基き、図書館の設置及び運営に関して必要な事項を定め、その健全な発達を図り、もつて国民の教育と文化の発展に寄与することを目的とする。
(定義)
第二条 この法律において「図書館」とは、図書、記録その他必要な資料を収集し、整理し、保存して、一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーシヨン等に資することを目的とする施設で、地方公共団体、日本赤十字社又は一般社団法人若しくは一般財団法人が設置するもの(学校に附属する図書館又は図書室を除く。)をいう。
2 前項の図書館のうち、地方公共団体の設置する図書館を公立図書館といい、日本赤十字社又は一般社団法人若しくは一般財団法人の設置する図書館を私立図書館という。
第三条 図書館は、図書館奉仕のため、土地の事情及び一般公衆の希望に沿い、更に学校教育を援助し、及び家庭教育の向上に資することとなるように留意し、おおむね次に掲げる事項の実施に努めなければならない。
一 郷土資料、地方行政資料、美術品、レコード及びフィルムの収集にも十分留意して、図書、記録、視聴覚教育の資料その他必要な資料(電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によつては認識することができない方式で作られた記録をいう。)を含む。以下「図書館資料」という。)を収集し、一般公衆の利用に供すること。
二 図書館資料の分類排列を適切にし、及びその目録を整備すること。
三 図書館の職員が図書館資料について十分な知識を持ち、その利用のための相談に応ずるようにすること。
四 他の図書館、国立国会図書館、地方公共団体の議会に附置する図書室及び学校に附属する図書館又は図書室と緊密に連絡し、協力し、図書館資料の相互貸借を行うこと。
五 分館、閲覧所、配本所等を設置し、及び自動車文庫、貸出文庫の巡回を行うこと。
六 読書会、研究会、鑑賞会、映写会、資料展示会等を主催し、及びこれらの開催を奨励すること。
七 時事に関する情報及び参考資料を紹介し、及び提供すること。
八 社会教育における学習の機会を利用して行つた学習の成果を活用して行う教育活動その他の活動の機会を提供し、及びその提供を奨励すること。
九 学校、博物館、公民館、研究所等と緊密に連絡し、協力すること。
(入館料等)
学校図書館法(http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S28/S28HO185.html)
第一条 この法律は、学校図書館が、学校教育において欠くことのできない基礎的な設備であることにかんがみ、その健全な発達を図り、もつて学校教育を充実することを目的とする。
(定義)
第二条 この法律において「学校図書館」とは、小学校(特別支援学校の小学部を含む。)、中学校(中等教育学校の前期課程及び特別支援学校の中学部を含む。)及び高等学校(中等教育学校の後期課程及び特別支援学校の高等部を含む。)(以下「学校」という。)において、図書、視覚聴覚教育の資料その他学校教育に必要な資料(以下「図書館資料」という。)を収集し、整理し、及び保存し、これを児童又は生徒及び教員の利用に供することによつて、学校の教育課程の展開に寄与するとともに、児童又は生徒の健全な教養を育成することを目的として設けられる学校の設備をいう。
(設置義務)
(学校図書館の運営)
第四条 学校は、おおむね左の各号に掲げるような方法によつて、学校図書館を児童又は生徒及び教員の利用に供するものとする。
一 図書館資料を収集し、児童又は生徒及び教員の利用に供すること。
二 図書館資料の分類排列を適切にし、及びその目録を整備すること。
三 読書会、研究会、鑑賞会、映写会、資料展示会等を行うこと。
四 図書館資料の利用その他学校図書館の利用に関し、児童又は生徒に対し指導を行うこと。
公立図書館は「国民の教育と文化の発展に寄与することを目的とする」(図書館法1条)のに対し,学校図書館は「学校教育を充実することを目的とする」(学校図書館法1条)。
に対するはてなの反応
はてなブックマーク - 「うちら」の世界 - 24時間残念営業
これが人気になるんだへーほーふーん。
お前らの最大の勘違いはお前らが正しいと思ってるところにあるよな。
試飲が読めるのが正しい世界。試飲が読めないのは正しくない世界。
そうやって単純化してレッテルを貼って思考停止して生きていれば楽だろうな。
そしてその思い込みをうまく文章化してくれたのがコンビニ店長だ。
カリスマの資質とはみんなが思っていることをはっきりと具体化し言葉にできる能力をもった人だからだ。
そう、はてなの「お前ら」という世界では、あーいったことをツイッターでやるのは「低学歴の世界」だと思い込みたいのだ。
俺の持ってるはてなスターを全部かけてもいいけど、バイト先の商品備品で悪ふざけをしたやつなんて今までも絶対にいたはずだ。
唯一、今までになかったのはツイッターで見つかるってことだけだろう。
以前に東浩紀さんが自分の講義でのカンニングをツイートした学生に対し指摘し話題になりましたね。
早大生? Twitterでカンニング告白、教授の東浩紀氏が発見 - ITmedia ニュース
これと全く同じです。
コンビニ店長がいっているのはそういうことです。そしてその考え方をコメント絶賛しているのが「お前ら」です。
「お前ら」は結局のところコンビニ店長が言ってるから持ち上げてるに過ぎないんだな。
はてなという場所はもうちょっと個人的な好き嫌いと論理的な批判の区別は付けられると思っていた。
今回の事件で唯一の論点はインターネットリテラシーの問題だけです。
ただただ単純にインターネットリテラシーの能力が低いだけなのです。
どちらかというと性格的な問題だと思います。注意深い人とそうでない人がいるだけ。
それ以外に論点はないです。
まぁインターネットリテラシーの話ももう別に新しいわけじゃないけどね。
あとこういう「家族感覚」「どこでも家感覚」は90年代に宮台真司さんがコギャルをダシに散々言及しているので、ちょっと今回のtwitterの騒動で語るのは腑に落ちないです。
コンビニ店長は正直90年代からいって00年代でとまってるんじゃないかな。
だって若い子のインターネットリテラシーの例えがいまどきmixiだよ!?ラインもやってないってことは最近そういう若い子入ってないんじゃない?
マジでなんでもかんでも店長がそれっぽい長文書けば持ち上げるのやめてやれよ。
ていうかこんなことよりもなぜ人はしてはいけないことをすると面白いのかを考察したほうが、みんな楽しいし幸せになると思います。
ググったら、ブラック企業は〇〇な特徴・社風で人を酷使するから駄目といった内容のサイトしかヒットしなかったんだよ
でもブラックでもオススメしたい会社とかってあってもおかしくないと思うんだけどなぁ・・・
大学院(労働経済)まで行って軍隊予備校みたいな会社は行きたくないってか能力発揮できねえし、それ以外ならどんなトコでも割り切れるんだがな
軍隊予備校みたいな会社ってのは、入社研修で穴掘りとか声出しとか精神論とか体育会系のノリな会社な。
あれほど意味ないもんはないし、大卒の入る所じゃないな。高卒でも意味ねえから猿にでも仕込んどけってな。
これは経営者の資質に関わるレベルだから池沼社長の会社は行きたくないね。
ttp://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/1004/03/news002.html
このアーティクルを読んだけれども、こういうページに限らずどうしてアルゴリズムが書けないプログラマがボロクソに言われなければならないのかよくわからない。
確かに書けないより書けるほうが優れているというのは正しいと思うけれども、かといって「書けない=劣っている」というのはおかしい。
だいたいFizzBuzz問題に関してはさすがに書けないとヤバイというのはわかるんだけど、こういうプログラマーの資質を問われるのが得意な人はライブラリとかの開発に回ればいいんじゃないだろうか。
例えばRailsとかでもRailsの細部まで把握している人ってどれくらいいるんだろう。Railsとかを使うプログラマに求められる資質はそれこそ世の中にあるライブラリをうまく動かせるようなコードを書ければいいじゃないか。だから、ドキュメントを読んだり、常にいろんなライブラリの動向にアンテナをめぐらせて、そういうのに合わせてリファクタリングが出来る程度であればみんながみんな麻雀のアルゴリズムが書けたりする必要はないのではと思う。
でも僕自身はプログラマじゃないんですけどね。
あと、この問題もいずれやってみようとは思う。
学歴コンプっていのは、おそらく学歴コンプレックスを指しているのだろう。
ところで、学歴コンプレックスを感じる場面ってどんな場面なんだろうか。
逆に、
「私は東京大学出身じゃないから、いつまでたっても童貞なんだ。」とか、
「私は東京大学出身じゃないから、毎日、愛を込めたメールを200通以上送っても、あの子は私の性奴隷にならないんだ。」とか、
「私は東京大学出身じゃないから、給料前に通帳の残高が底をつくんだ。」とか、
こんなことを今まで自分のこととして、考えたことがなかった。
「ああ、私は東京大学出身じゃないから、こんなにブサメンなんだ!」って。
不当に差別を受けていると感じたり、
不利益に感じたことが今までないのだ。
だから、
仕事ができないのも、モテないのも、出世できないのも、童貞なのも、
ぜひとも具体的に聞いてみたいものだ。
関 係 各 位
平素より若者対策とキャリア教育には格別のご配慮をいただきありがとうございます。
さて、社会の公の場で若者が政治的活動を行なうことを黙認することは、公の場における政治的中立性について規定する憲法の趣旨に反することとなるため、これを禁止しなければならないことはいうまでもありませんが、特にキャリア形成の観点からみて若者の政治的活動が望ましくない理由としては次のようなことが考えられます。
(1) 30歳未満の若者は未成熟であり、労働習慣上などにおいて一般成人と異なつた扱いをされるとともに被選挙権等において完全な参政権が与えられていないことなどからも明らかであるように、国家・社会としては若者が政治的活動を行なうことを期待していないし、むしろ行なわないよう要請しているともいえること。
(2) 心身ともに発達の過程にある若者が政治的活動を行なうことは、じゆうぶんな判断力やキャリア経験をもたない時点で特定の政治的な立場の影響を受けることとなり、将来広い視野に立つて活躍する人材となることが困難となるおそれがあります。したがつてキャリア形成の立場からは、若者が特定の政治的影響を受けることのないよう保護する必要があること。
(3) 若者が政治的活動を行なうことは、社会が将来国家・社会の有為な形成者として必要な資質を養うために行なつているキャリア教育の目的の実現を阻害するおそれがあり、キャリア形成上望ましくないこと。
(4) 若者の政治的活動は、私的な活動であつても何らかの形で公の場に持ちこまれ、現実には公と私との区別なく行なわれ、他の国民に好ましくない影響を与えること。
(5) 現在一部の若者が行なつている政治的活動の中には、違法なもの、暴力的なもの、あるいはそのような活動になる可能性の強いものがあります。このような行為は許されないことはいうまでもありませんが、このような活動に参加することは非理性的な衝動に押し流され不測の事態を招くことにもなりやすいので若者の心身の安全に危険があること。
(6) 若者が政治的活動を行なうことにより、社会や家庭での生活がおろそかになるとともに、それに没頭して就業意識を失なつて若年無業者(いわゆるニート)となるおそれがあること。
なお、罰則には本人に対するキャリア教育作用の面と他の若者への影響や社会の秩序維持の面があることにじゆうぶんご留意の上、適切な措置を講ずることが必要です。この場合、国家・社会の秩序や平穏を損なうような活動や暴力的な行動については、常に厳然たる態度で適正な処分を行なうべきであることはいうまでもありません。
このことについて、ご周知方よろしくお願いいたします。
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/t19691031001/t19691031001.html
塾で大学受験の指導してたけど、Fランク受けるような子はたいてい「自分の頭で考えて、分かりやすく説明する」ってことができないので、資質があったとしても短時間の面接では分からないわな。行動のアラだけ目立っちゃう。ああいうレベルの子こそ、インターンとかを狙っていくべきなんだろうけどね。だが、そこまで(インターンとかを選んで行動するとこまで)自分では考えられないんだろうけど。
それって「子ども(≒未熟≒感情コントロールが下手≒短気、ちょっとしたことですぐ叫ぶ・怒鳴る)じゃないんだから」っていう戒めでしょ
おこ・る【怒る】. [動ラ五(四)]《「起こる」と同語源。感情が高まるところから》
1 不満・不快なことがあって、がまんできない気持ちを表す。腹を立てる。いかる。「真っ赤になって―・る」
2 よくない言動を強くとがめる。しかる。「へまをして―・られた」
用法でいう1ですね
そりゃいい年こいて子どもみたいにいちいち感情に駆られて行動していたらみっともないし対応に困りますよ、外見の成熟具合に内面の成長が伴っていないと気持ち悪いでしょ
あと「怒りとは『危険にさらされた』という意識・認識に起因する感情的な反応(by.wikipedia)」でもあるらしいので、これもやっぱり「大人と呼ばれ得る年齢に達したのに怒っている≒本人が資質的に不満・不快に極端に弱いorちょっとした刺激を『危険』として認識してしまう」という見方が成立してしまうというのもあるかな
推薦をもらって受けた企業の最終選考でわざと落ちた。本当は素の自分を出して受けても落ちたかもしれないけど、
それで受かってしまったら大変なことになってしまうので、落ちるなら徹底的にやろうと頑張ることにした。
まずは小論文。全部白紙だと採用担当者から教授に話がいきそうなので、一文、二文書いて終わりにした。
「社会人に必要な資質」という題では、B5用紙一枚に「やる気が必要だと思います。」とだけ記入した。時間がとても余ったので次の面接のシミュレーションをしながらうつむいて寝た。
そして面接。ノックを二回してドアを開けたらすぐに「失礼しまーす」とひと言。大学名と名前をいったらすぐに座る。履歴書に書いてある通りの志望動機をどもりながら話した。「その理由なら○○社でもいいのでは」という質問には「あ、えっと、そうですねすいません。勉強不足でした」と返した。面接官の僕に対する印象ががくっと下がったのが目に見えて分かった。心の中でガッツポーズした。
「海外勤務への抵抗は」
「はい、えーっと、ないといったら嘘になりますね。本当はあまり海外へ出たくないです」
「学生時代に頑張ったことは」
「はい、僕はえっと、何事にも一生懸命取り組むことが出来ます。あと我慢強いです。はい、あ、以上です」
「いや、特にないです」
終わった。そして落ちた。ホッとした。
実は選考を受ける直前まで、わざと落ちようか真剣に受けようか迷っていた。
「何事にも一所懸命!本気で生きろ!」と心の中で修造が叫んでいた。いやちがう。
それはちがうだろ。周りに流されてなんとなくいい企業を受けて、近くに居る人を悲しませるなら、
この選考を一所懸命受ける必要はない。大切なことはなんだ。よく考えろ。大事なのは初任給ややりがいやプライドじゃない。
コレねー、きっとこのオタ女(男?)は自分は24時間365日働けるし、オシャレが嫌とか断るなんてありえないんだろうね、実際にそうやって生きてきたんだろうね。
要は自分にできることはまわりにもできる、ってやってしまってるんだよね。個人の能力の差や、資質の違いなんて関係ないと思ってる。
それは、村上龍との対話でも現れてるよね。「無理じゃない、できるまでやらせる」「そうしたらもう無理じゃなくなる」っていう対話のやつ。
怖いのは自分が正しいことをしているってとこだよね。正しい意味での確信犯。本当にそれがすばらしいことだと信じてる。
言い換えたら他人の気持ちが理解できないんだろうね。健康な人間が病弱な人間が辛いって言っても理解できないのと一緒。
「私にできたんだからあなたにもできるでしょ」って言ってるだけの話なんだよね。
機械なら能力差とか資質なんて考えなくてもいいし、数値上のスペックがあるんだから。この人がオタクに求めてるのはそういうことでしょ。
コレねー、きっとワタミの社長(会長?)は自分は24時間365日働けるし、仕事が嫌とか断るなんてありえないんだろうね、実際にそうやって生きてきたんだろうね。
要は自分にできることはまわりにもできる、ってやってしまってるんだよね。個人の能力の差や、資質の違いなんて関係ないと思ってる。
それは、村上龍との対話でも現れてるよね。「無理じゃない、できるまでやらせる」「そうしたらもう無理じゃなくなる」っていう対話のやつ。
怖いのは自分が正しいことをしているってとこだよね。正しい意味での確信犯。本当にそれがすばらしいことだと信じてる。
言い換えたら他人の気持ちが理解できないんだろうね。健康な人間が病弱な人間が辛いって言っても理解できないのと一緒。
「私にできたんだからあなたにもできるでしょ」って言ってるだけの話なんだよね。
機械なら能力差とか資質なんて考えなくてもいいし、数値上のスペックがあるんだから。この人が従業員に求めてるのはそういうことでしょ。
別におつたかさんだったかおっとっとさんだったかの話ではない。店の予約の話である。
昔、電話が苦手だったので、店の予約は極力しなかった。インターネットで検索、店直行である。人数が多い場合はさすがに電話して確保するが、コースの話とかされてもテンパるので、基本は直行である。四人以下なら予約なしである。
が、いろいろあって最近はちゃんとするようになった。というか予約なしで行くことがかなり減った。特に友達と、とかデートで、とかそういう場合は確実に予約をしていく。
なぜか。
ダメな大人とダメでない大人にたくさん出会い経験値がたまったからである。
あと、年食っていろいろとめんどくさくなった。辛抱たまらんこともふえた。要するにわがままになった。歩くのめんどくさいし、期待してたものが手に入らないと疲れる。新しく店を探す気力もない。歳である。歳は取りたくないものである。だが歳を取れば知恵がつく。経験値が上がる。どうにでも、切り抜けられるようになる。それが年をとるということである。
だめな大人は予約をしない。年末の新宿で、宴会に使われそうな店でも予約をしない。木曜日だから大丈夫だよね? などと同意を求めさえする。だめだろと思うが、そこはグッと我慢の子である。入れなかったら、まぁしょうがないですよね、また次回リベンジしましょう!(はーと)とフォローするのが女子力である。若いころはそれだけでよい。しかし、三十路も近づく八十八夜ともなれば、そういえば知り合いがいいって言ってた隠れ家的な店が近くに…などと検索能力をアッピールせねばならない。これは大人力である。面倒である。大人は面倒なのである。そのうえ自分は怠惰な人間であるがために、女子力上げさえも放棄している。むしろ女子だったかどうかも怪しい始末である。どちらかといえば男子である。肉と酒がありゃいいんだろ、ガツンとだ、ガツンと! という気持ちである。ただし、胃袋だけは女子である。むしろ年寄りである。三十路ともなれば胃は弱るのだ。肉は食えない。
閑話休題。
だめでない大人は予約をする。だめそうでだめでないやばい大人は予約をせず、バックアップが本命である。めんどくさくねーのかなと喪女は引く。だが、泣く腹と地酒には勝てないのである。さっくり店に入れるとそれだけで満足してしまう。良い店であれば少し気分がいい。しかし相手と気が合うか否かはまた別問題である。楽しい食事になるかどうかは資質である。滑舌である。頭の回転の速さである……三十路は全て藪の中である。
<相手と自分の違いに着目し、想像力を働かせて相手を理解する>
・20人いたら20通りの感じ方考え方があります。相手は自分とは違う資質のフィルター
を通して世の中を見ています。人はみな、顔があり手足があり、一見すると同じように見
えるので、考え方や感じ方も自分と同じと思ってしまいますが、人間社会は一皮むくと動
物園。自分がキリンだとすると、水の中のワニもキリンに見えて、「なぜ水の中にいるのか。
なぜ木の葉を食べないのか」と非難しても、相手はワニなんです。ワニから見たら、あな
たも同じワニ仲間に見えて、「なぜ草原を歩いているのか。早く水に戻れ」と思うかもしれ
ません。TOP5だけ見てもすべてが同じ資質をもつ人はいないように、人は皆違っていま
す。自分の見方・感じ方を押しつけないことを意識してみてください。
―コピペ終わり-----
にんげんしゃかいはひとかわむくとどうぶつえん。
ふふふ。