はてなキーワード: 洒落とは
いや、意外とそういう現象はありがち。特にお洒落着系で、買うときは「可愛い~!」と思って買ってきたはずのものが「着ていく場所がない「職場に着ていくには派手」みたいな理由でタンスの肥やしになる。
私の場合はリゾートテイストのちょっと派手目の服なんかがそういう憂き目に遭う。あと、友達の結婚式とかで着るようなフォーマルな感じの服を、着る予定もなく買ってしまうとやはり無駄である。
多少ダサくても安いからと買ったTシャツとかならば、外出の予定のない休日に家で着るとかパジャマにするとか使いようがあるだろうけど、普段着にするにはちと使いにくい感じの服というのがあるんだよ。
自分は好きな洋服の色や形がだいたい決まっているので、あまりこの手の失敗をしないよう努力しているんだけど、「たまには冒険してちょっと違うテイストの服を買おう!」とかやるとそうなる。全然冒険せずに安心感のある服だけ着ているのもどうかと思うけど、たまに普段のテイストと違うのを買うと自滅するんだな。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1273727
「とある一人の女が、自分の価値観において「かわいい」と思って好んでいるものでも
その価値観が形成されたのは産まれてから置かれた周りの環境の影響によるものである。
そして日本は男社会であり、そこに生きている以上女であっても自分の考えから「男目線」を排除する事は出来ない」
ってのはジェンダー界隈だと基本中の基本的な知識だと思っていたが
つーか人間の考えなんて周りの環境からの影響を受けまくってるからな
人が何を「お洒落な服」と感じ、何を「ダサい服」と感じるのかは周りからの影響以外の何物でもない
この大学の先生はそこまで含めて説明したのにこの人が頭が悪くて理解出来なかったのか
本当に書いてある通りの雑な話だったのか
これだけじゃ分からんしなあ
という論調を目にしたのだけれど、事のついでで試しに便乗してみても良いかな?
私も正直不快ではあるのよね、若い女性を性的対象として売り出す風潮。
そりゃ人間は文明人である前に生物な訳で、性欲はありますとも。生殖に拘り子孫を残せた生物が結果として現在に生き残れた訳で。
ただね、それはそれとして、それを大っぴらに主張されたり売り出されるのは不快でもあるのだ。
理由は説明出来なくもないけど、多分感情や感性という名の結論ありき。
だから個人的には「そうした性的な要素を主張するものは自粛なり規制なりしましょう」という漠然とした点そのものには賛同したい。
…のだけれど、
同時に「それを言うなら現実世界の町中の奇抜なファッションの女性も全部規制してくれ」と言いたい。
取り敢えず、谷間を出すのは論外として、短パンやスカートも禁止にしよう。
公共であんな格好されるの不快なの。露出するのは恋人とのプライベート空間だけで良いじゃん。
独身男性の性欲云々は、専用サイトとかでのみ今まで通りにしとけば良いでしょ。日常にまではみ出させる必要はない。
それこそ、女性は公共の場ではムスリムの女性のヒジャブの様な服装推奨にしましょうよ。
お洒落というなら布面積を生かして盛大にデコるなりカラフルにするなりすれば良いでしょ。
…等とまぁ恐らく統計を取るまでもなく異端であろう私の内心を吐露してみたのだけれど、
自分でも異端だろうと分かってるから別に「こうしろ」と社会的正当性を主張するつもりは無いのだけれど、
二次絵は駄目だけど、現実世界の女性はどんな性的な格好してても良いの?何で?正直こっちの方が実害あって不快で嫌なんだけど。
『若おかみは小学生!』を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでネタバレ嫌な人は回避推奨です。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向け。またこの作品は書籍版漫画版アニメ版あるけれど、それらは横に置いといて映画の話します。
これは120点っすな。点数の基準は「上映時間+映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」なので、「見れて大満足! もうちょいお布施したい」でした。
演出とは裏腹に内容的にはかなりヘビー(というのを見越して爽やかで明るい演出を用いていた)なので、児童文学原作でお子様向け痛快娯楽活劇とは言い切れないんですが、個人的にはクオリティさえ伴えば子供を思いテーマや悲しい作品でぶん殴ってもええやないか、いてもうたれ、子供ってのは子供なりに受け取るんだ派なので、クオリティでぶん殴ればいいと思います。ふるぼっこだドン。
この映画に関してはTwitterで児童労働がどうのこうのという話もちらりと耳にした程度で事前情報収集もなく見に行ったんですが、そういう物語じゃなかったですよ。
じゃあ、どういう物語だったかといいますと、大きく2つの柱が絡み合うストーリーでした。それは大きなテーマで言えば「喪失を乗り越える」と「自分自身と居場所を見つける」という話。
初っ端から重いですが、主人公である女子小学生・関織子(通称おっこ)は、本作冒頭の交通事故において両親を失います。もうこの時点で軽い話になりようがないわけですよ。にも関わらず事故被害のシーンはグロカットされ、葬儀とそれに続くドタバタのシーンも描写はされず、おっこは新生活の場であるところの、祖母の営む温泉旅館「春の屋旅館」へと向かいます。トランクひとつ持って別に落ち込むわけでもなく、ちょっと大変なだなあくらいの顔色で一人旅をして、到着し、新しい部屋(いままでのマンションとは違う昭和的な和室)を与えられ、転校して新しいクラスメイトに挨拶をして、ひょんなことから家業である温泉旅館を手伝うことになります。
『若おかみは小学生!』って言うタイトルだから当たり前ですが、こうして女子小学生おっこの若女将修行生活が始まるわけです。
「春の屋旅館」がある「花の湯温泉」は歴史のある温泉街で、古都然としたまちなみに浴衣姿の観光客が歩く割合賑やかで、カラフルな町です。この辺音楽や美術の演出とあいまって、しみじみと明るく暖かく描かれていて雰囲気良いですね。美術のレベルは高かったです。
でも、この明るく爽やかなあたりが(とうぜんそれは演出意図に沿ったものなんですが)、ある意味ホラーでもあるわけです。
小学生の児童にとって、両親を失うというのは、最愛の家族を失うということであるのみならず、加護者も生活基盤も導き手も失うということです。もう、それは世界の崩壊とかいうレベルでの悲哀なわけですよ。
にも関わらずおっこはそこまでの苦しさを見せない。両親を思い出してちょっとうつむくことはあっても、笑うし、日常生活を送るし、新しい出会いにも前向きでいる。それはよく考えればとてもとても異常なことなわけです。
異常なおっこの新生活は、やはり物語後半に向けて徐々に破綻してゆきます。「両親がまだ生存していて自分と一緒に暮らしている」という幻想を何度もみてしまうおっこは、あるシーンにおいて事故の原因となった(もちろん別のですが)大型トラックを見て、事故のフラッシュバックから過呼吸になってしまう。おっこは、両親の喪失という悲しみを乗り越えたわけではなくて、ただ単に今まで封印をして日常生活を演じていたに過ぎなかったわけです。
あらすじなんかにおいて本作は「主人公おっこの成長を描く」なんてサラリと書かれているわけですけれど、それは不誠実な欺瞞であって、おそらくおっこの身になってみれば、それは成長じゃなくて引きちぎられてバラバラにされてしまった自己の修復というサバイバルなわけです。失った何かから目を背けて、決定的な破綻をしないようにごまかしながら疾走するというのが、この物語の前半部分でした。
そういう意味で、おっこが若女将をやるというのは、児童労働とかそういうレイヤーの話ではないのです。両親を失って加護者も生活基盤も支えも失ってしまったおっこにとって「いまできるなにか」に必死に飛びついて自分を騙そうとしていたとも見ることができます。祖母である旅館の経営者(現女将)の後継者問題という、旅館側の都合があったにせよ、おっこが旅館の雑務に飛び込んで笑顔で充実していく背景にはそれがあるはずです。
事実おっこの若女将は雑誌に取り上げられて評判を呼ぶという広告的な価値はあったものの、従業員としてみたとき、お客さんに感情移入しすぎて夜闇の中に駆け出すなど(一般的な社会人の価値観からすれば)行き過ぎな面もありました。
でもそれも仕方がないと思うのです。両親という生活基盤を失ったおっこは、同時に目指すべき将来の自分像も失っています。「将来こういう自分になったらいいな」です。その空隙を、目の前に提出された安易な「若女将」で埋めてしまったわけですから、その意味では、おっこの若女将は労働としての若女将ではなく「若女将ごっこ」でもあって、つまりはある種の自分の居場所探しなわけです。
たとえおっこ自身がそれを言語化できるレベルで気づいてなかったとしても、まだ収入もなく住む場所も自分では決められない小学性にとって、他にできることなんて事実上ないじゃないですか。それはせめて居場所を獲得するという生存努力です。
おそらく祖母はそのおっこの悲痛に気がついていて、周囲が無責任に「若女将誕生!」とはしゃぐなかで、決して自分からは手伝え、継げとはいいませんでしたし、おっこの労働を危惧してた素振りも見えました。経営者として「子供に接客なんてさせられない!」と拒絶することもできたでしょうけれど、おっこから若女将をとりあげて、じゃあ不安定な彼女の精神に何をしてあげられるかと言えば何もない。だから黙認しかないわけです。
だいたい「自分自身と居場所を見つけるという話」なんてものは現代社会において、大学を卒業して就職して一年二年経った青年が、俺はどうやらこういう方面には我慢が効くがこういう方面は苦手だぞ、どうやらおれはこういう仕事とこういう人間関係の中でなら生きていけそうだ――みたいなのをやっとこさやるものなわけで。そんなものを、小学生が引きちぎられるような喪失を乗り越えるのと二正面作戦でやるのは無茶というものです。
そういう意味では、周囲の大人たちはもうちょいどうにかフォローしてやれなかったのかよ、とも感じるんですが、でも逆にそれこそ大人視点の傲慢な物言いであって、大人だろうが子供だろうがどんな人間でも自分自身の心の中の悲しみや未来とは、自分一人で向き合うしかないというのも一面の真実です。
おっこは画面上の軽やかさやおっちょこちょいさに隠されがちですが、実は誇り高い女の子です。特に自分が設定した自己目標に対しては愚直なまでに誠実です。だからこそ、宿泊客のために対立している真月に頭を下げて教えを請うこともします。その実直さが両親を失うという危地の中で彼女が孤立してしまった原因だし、それが巡って彼女の味方を増やす原因でもあったのは素敵だったと思います。
おっこは「喪失を乗り越えること」から逃避して、目の前のロールである若女将に飛びつき、そこで必死に働くことによって苦しかった過去をある意味塗りつぶそうとしたわけですが、その逃避が「自分自身と居場所を見つける」ことにつながってゆきます。
幾つかの出会いがあって、目指すべき未来のヒント、ロールモデルと出会います。たくさん登場人物がいるのですが特筆すべきなのは三人でしょう。
まずは旅館の女将である祖母。登場シーンは少ないのですが、彼女の個人人格と職業倫理が融合してしまったあの佇まいは、今は亡き母経由もふくめておっこの誠実さの根っこのように思います。職業倫理がついには人格化しちゃうって、昭和的な善人のあり方としてすごく共感できるんですけど、今の時代では流行らないのかもしれないと思ってちょっとホロリとしました。
二番目には、おっこの同級生、秋野真月(大旅館の跡取り娘、通称ピンフリ)でしょう。この娘は小学生女子なのですが、広い視野で旅館業と湯の花温泉京の未来を見つめていて、顧客に対して誠実であろうという、幼いながらある種の達人系キャラです(傲慢な物言いをする残念キャラでもあるのですが)。この娘と同年代として出会うことができた、ライバルとして対立したり和解したりできた、というのはおっこを取り巻く幸運の中でも格別のものでした。彼女との交友は、悲痛から逃げ出して飛びついた「若女将ごっこ」に、その内実の精神性を加えて「本当の若女将」へ進化させてくれたと思います。
(余談&劇中では語られませんが、温泉郷に住まう子供の中でも誰よりも本気で町の未来について抱え込んでしまってる真月の孤独にとって、その孤独の闇に現れて、自分の高さまで登ってくれると約束してくれたおっこの存在は、想像すると涙がこぼれるものが有ります。真月からみてもおっこは救いであったと思うし、そうだと良いなあ)
三番目は宿泊客である占い師・グローリー水領です。長い黒髪をたなびかせたこの宿泊客は、都心部に事務所を構える凄腕の女占い師なのですが、私生活での失意から「春の屋旅館」で飲んだくれ生活をしています。
抑制的な演出で描写される彼女の鬱屈をおっこはどうにかして励まそうと、浴衣を着たことのないという彼女の着付けを手伝います。浴衣初経験のそんな彼女の艶姿におっこが感嘆した感想が「格好いい!」でした。
ものすごくさり気ないシーンだったのですが、それはおっこが喪失していた「自立した憧れるべき大人の女性像」を見出した場面だったんじゃないでしょうか?
私生活で辛いことがあっても他者に当たらず、それどころか宿泊先の幼い従業員おっこに気を使っておどけてまで見せる。グローリー水領はおっこ視点では「素敵な大人のお姉さん」です。その素敵な年上のお姉さんに、「可愛い」でも「素敵」でも「綺麗」でもなく「格好いい!」と小さく叫んだおっこに、少し泣けました。お洒落で(←女子小学視点では重要です)、颯爽としてて、自立をしてて、視線を合わせて話してくれる。そんなお姉さんはおっこにとってどれほど輝いて見えたことでしょう。暗闇の中で我武者羅に迷走していた、それでも笑顔だけは守っていたおっこにとって、それは小さな灯火で「未来の自分」「目指すべき形」です。
祖母の言う「誰も拒まない花の湯」、同級生真月のいう「客を癒やすレストスペース」、女占い師が自分の仕事を「他人を励ます仕事」だと評したこと。それらは全て本作テーマに重なるパラフレーズです。そしてそういう人々の輪の中に、自分も入っていける。癒やしたり癒やされたりしながら前へ進んでいくコミュニティの一員になる。「若女将」という「自分自身と居場所を見つける話」は、おっこにとっては生存努力であり逃避だったわけですが、それを誠実に、ごっこから実体にしていくのならば、結局逃げていた「両親の喪失という苦しみを越えていく」につながっていくのだ、という脚本はすごく良かったです。
ここまで触れてませんでしたけれど、おっこには霊感があるという設定で「春の屋旅館」にきてから騒々しい幽霊の少年やおませな幽霊の少女と出会い、励まされています。両親が今でも生存していて日常は壊れていないという幻想に悩まされていた頃おっこを支えていたこの幽霊たちですが、物語終盤でおっこから見えなくなってしまうという形で別れが示唆されます。
でもそれは、おっこが人間社会のなかで居場所を確立した――七つまでは神のうちといういわばまだ神様たちの一員であり神楽の主役でもあったおっこたちが、社会の中で着地して、痛みも悲しみも乗り越えていく季節がやってきたのだというエピソードです(おそらく魔女の宅急便の黒猫ジジが喋れなくなる、も同様の構造ですよね)。
見終わってから気づいたのですが、この作品の幽霊や鬼たちは、幼いおっこが空想したイマジナリーフレンズだとしても物語が成立するように設計されています。
おっこは自分の中の勇気やかしこさと一緒に自分の悲しみと戦った。「春の屋旅館」はその舞台であり、若女将はおっこが戦うための姿だった。
すべてのフィクションはファンタジーなので現実視点を持ち込みすぎるのは野暮というものなわけですが、今後おっこは中学に入学卒業して、大学はともかく高校くらいは出るはずで、一人前になるまで十年近い時間があります。(このお話のおっこは絶対旅館業一筋だと思うのとは別に一般化するのならば)そのなかで、旅館業から離れるかもしれない。現実に寄せて考えるならその可能性は高い。
でもそんなことはおっこの戦いとそこで得たものとは関係がないわけです。おっこは若女将というコスチュームや身分を手に入れたわけではなく、戦いの中で手に入れた人間関係と自分自身がある。将来どこでなにをしようと、おっこの手に入れたものが曇ることは二度とない。それがこの映画の中心であって、それは児童労働とかそういうのではなく、もっとパーソナルで尊いものだったと思います。
そんな喪女がVIO脱毛してきたんだけどすごくよかったから悩んでる人にお勧めしたい。
V=前から見た時、I=股の間、O=ケツの周りの毛の事を指す。
友人同士でも下の毛の話なんてよほどの事がないとしないと思うし、何かの参考になれば。
やろうと思ったきっかけは特にない。社会人になりお金に余裕ができたので脱毛をしようとカウンセリングに行ったところ、脱毛したい箇所のみのプランよりVIO込の全身脱毛の方が安かっただけだ。
脱毛自体も割と高いのでわざわざVIO抜きのプランにする必要性もないと思い、下の毛も脱毛する事に決めた。
やってよかったと思う理由
①見た目
彼氏はいない!し見せる人もいない!けどやっぱり見えないところもお洒落してるってのはメンタル的にいい。
見せる予定なくても可愛い下着つけるとテンション上がるじゃん、あれと同じ。
Vの形の相談はできるので私はナチュラルな逆三角形にしてもらった。よく温泉とか銭湯に行くので悪目立ちしたくないと思っての事だが、それでもボーボーだった頃より整えられた今の方がずっといい。
因みに剛毛気味なので二度程Vを全部脱毛してから「元から体毛薄い感じですが???」」という体で脱毛を完成する事になり(脱毛はサイクルがあるので何回か繰り返さないといけない)数回パ○パンになった。彼氏に求められない限りしないと思っていたしそもそも彼氏もいないのでそんな事するとは思ってもいなかったが面白い体験だった。割と気にいっていたので温泉に行かない人間だったらVも綺麗になくしていたかもしれない。(元から体毛が薄い人は別に全剃りの必要はないと思う)
②キレ
一番の理由!IとO脱毛した事で!う○こと生理とおりもののキレがよくなる!
逆に言うと今までどんだけ毛に絡まってたんだ?
う○こはするりと落ちるし、おりもの・月経は直接シートに落ちてくるので断然蒸れなくなる。
キレがよくなった事だけでも大金払って毛根を殺した価値はある!!!QOLがものすごく上がった。
あと汚い話だけど今までおし○こする時、毛に絡まって股に内またについてしまう事があったんだけどそれもなくなった。
以前あさイチでトイレの後の股の拭き方をやっていたと思うが、あれの本当の意味もきちんと脱毛してからやっと理解できた。
う○このキレは男性も同じだと思うから男性も髭脱毛とかするならOも脱毛するのお勧めだよ。
③介護
将来介護が必要になった時、やっぱりない方が介護士さん的にも楽らしい。
(よしんば結婚したとしても子供や孫に無報酬で介護を強要したくないし、相応の賃金を払って介護士さんにお願いしたい)
何歳まで生きるかわからないけれどももしお世話になるんだったらできるだけ手間のかからない利用者になりたいと思う。
中年以降の方のVIOだと介護の事を見据えて…という人も多いらしい。機械によっては毛が黒い内しか脱毛できないものもあるらしいので、迷っている人は早めにやった方がいいかもしれない。
④笑気麻酔
VIO脱毛はとにかく痛い。「尻の毛まで抜かれる」という慣用句がある様に、脱毛されてる時は本当に痛いし情けない。
大体何か理由があって生えてる毛を無理やり生えてこなくするなんて自然の摂理に反しているし、粘膜に近いところなんてほぼ内臓だ。光やらレーザーやら当てて痛くない方がおかしい。
ので、かかっていたクリニックでは別料金を払うと笑気ガスを使わせてくれるサービスがあった。いい気持ちになる合法ドラッグだ。(実際に外国だと「ドラッグ」という区分で提供してくれるところもあるらしい)もちろん病院で提供しているものなので依存症になる事はない低濃度の物だしマスクを外すとすぐ麻酔は解ける。
ただ今まで真面目ないい子として育ってきてドラッグなんかに手を出す奴は馬鹿だと思っていた私でも、少しだけだが手を出す気持ちが理解はできるようになったかもしれない。いや手は出さないしVIOしてる間だけだけれども。ただそれでもふわふわした感じは面白くて気持ちいい。
↓↓ここからは始まる前にあった私の疑問点。これも参考になれば
①形
上にも書いたけどVIOの形は選べる。ほとんどの人がVを逆三角形にするらしい。お洒落な人はハート形にすると言われたけどそんな人いるんだろうか。
IはVを残した状態で(つまりパ○パンではない状態)全部脱毛してしまうと形がアンバランスになるという事だったので、最初はVと繋がり、最後は綺麗に毛がなくなる、という感じで脱毛してもらった。(これがスタンダードらしい)
絶対に病院。私も最初サロンに行っていたけど、何度行っても毛根が復活してくるし大手サロンはとにかく予約がとれない。脱毛行為はめちゃくちゃ痛いけど病院の方が確実に効果が出るし、何かあった時にすぐ対応してくれる。あとサロンでもそれなりにVIOは痛いと思うので麻酔を使いたかったらやっぱり病院がいい。
③感じない?
とにかく痛いのでそんな余裕はない。笑気ガス使ってもそれなりに痛い。笑気ガス気持ちいいと書いたし、実際に気持ちいいんだけどこれなかったら痛すぎてVIOできなかったと思う。
④お店の人に見せるのが悪い
私も悪いと思っていたけど相手全員女性だし、仕事だし、見慣れてるだろうし…で納得させた。(因みに男性向け脱毛サロンだとスタッフは全員男性らしい)
一応股を拭くシートみたいの買って施術の前に使ってた。
脱毛が体に悪いかと聞かれたら正直いいもんではないと思ってる。何千年何万年とかけて進化してきた人体に生えており、そのままなくならずにこの時代まで来てしまったという事は、やはりそんなに簡単に消える程無価値なものでもないんだろう。QOLが上がったと言っても脱毛する前は前でそれなりに暮らしていたので別にしないというオプションもあるとは思う。
それに最近は海外のモデルさんで女性に毛が生えていないという認識を改めたいという運動で腋毛を剃らないポリシーを貫いている人もいるらしい。それもとても素敵だと思う。
だから全員VIOした方がいいって言う訳ではないし、絶対にしないといけないって訳でもない。
それでも私みたいな喪女とかで見せる人もいないしでも興味がある…みたいな人がいたら、少なくとも私は損をしなかったよ!とお勧めはしたい。
○朝食:なし
○間食:なし
○調子
はややー。
仕事は忙しながらも、それなりにこなした。
今まで、割と自分なりには節制生活をしていたのだけど、今日は思いっきりお金を使った。
●iOS
○モバマス
僕がゲームを開始してから、初めての愛海ちゃんが上位報酬なので、どうすればいいかわからず、戸惑っていた。
とりあえず情報収集をした結果、ガチャを引いて、ドリンクを飲んで殴れば良いらしい。
そして、このアイドルLIVEロワイヤルではドリンクを飲むのを1日に集中させるのが定石みたい。
今まで心の中に住んでいただいている三人のはてなブックマーカーさんの一人の教えに従い、真面目に貯金をしていたのですが、この日ばかりは解禁です。
とりあえず、ぱーっと五万円(現金二万円、クレジットカード三万円)ほどと、ジュエル二万円ほど(ゲーム内通貨)のガチャを回して、ドリンクとガチャの目玉Sレアの星輝子さんを二枚入手してSレア+にできた。
さらに、貯めてたスタドリを420本ほど使って、前回の上位報酬の及川雫さんと、メダルSRの二人(大石泉さんと井村雪菜さん)も入手。
色々調べたところ、星輝子さんと及川雫さんの特技の対象になる、CoとPaのアイドルで強い子を集めるのが良いらしいが、
さすがにそこまでは予算が辛いので、まずはこの四人と愛海敷き詰めで行こうと思う。
この編成をちゃんと理解していないことが、どうポイントに響くのかすらまだよくわかっていないが、まあ初めて走るんだから戦力がちゃんと整ってないのも仕方ないし、一旦置いておこう。
こんだけ先行投資をしたんだから、愛海報酬に届きませんでしたじゃ洒落にならない。
頑張る。
革靴、というかビジネスシューズだ。
今まで安物ばかり履いていていざ買うとなると、どんなものを買えばいいかわからない。だから教えてくれ。
利用目的は主に仕事。内勤。どちらかというとフォーマル(洒落た茶色とかを履いてる人はめったに見ない。)今まで履いていたのは1万円前後(しかもアオキとかに売ってるやつ)。
だがそれらの靴は、痛み方が激しい気がする(メンテをちゃんとしろと怒られるだけの案件かもしれないが…)。
とにかく今の靴に限界を感じていて、より良いものを買いたいのだが、高いのは海外ブランドが軒並み並び、一気に値段上がったりしてる。しかし革靴って関税で5000円くらい取られてるらしいので、コスパ的に?どうなの?とか思ってしまう。ならば、と思いお得に買える店=大手チェーン(具体的にはABCマート)に行ってみたのだが、今度は「2足目半額」とかいうキャンペーンを張っている。こうなると逆に「もともと安物なのを高値で表示してるんじゃねーのか?」と感じ、やはり価値に対して信頼感を無くしてしまう。
長女は今日学校で、大の仲良しのお友達から手紙をもらった。それは特別お洒落な封筒や便箋を用いたものではなくて、折紙の裏に本文が書かれていて、表に宛名と長女の似顔絵が書いてあり、セロテープを貼りまくって封をしてある、そんな子供らしい手仕事によるお手紙だった。
素敵なお手紙をもらって良かったね、と長女に言ったら、長女は
「先生がね、学校にこういうのは持ってきちゃダメだって。これが最後のお手紙にしてねっていうの」
と言う。
いや、学校に勉強に必要の無いものを持ってきちゃいけない決まりがあるのは知ってるけど、これもダメなん?っていう。想像の斜め上行く厳格さ加減に驚いた。
子供達のお手紙交換は長女が幼稚園の頃も盛んに行われていたが、盛んに行われ過ぎててお洒落なレターセットや文房具を用意するのが地味に負担だとか、子供に代筆させられるのが面倒、それに家庭の教育方針や子供の成長あるいは生まれ持った能力により、文字習得具合や作文能力に甚大な格差が生じててしんどいとか、保護者的には結構辛い遊びではあった。
だが幼稚園の先生方は、色々保護者を悩ますものではあるが、子供達が自発的に文章でのコミュニケーションを取ろうとする事はよい事であり、過剰にならないように見守りつつ自由にやらせてあげようというスタンスだった。
なお、長女の通った園は公立幼稚園なので、市内の公立保育園や小学校中学校と教育方針については一応連係がついているという話なのだが。
幼稚園保育園のうちは、子供達は個性や自主性を尊重されのびのびと育てられてきたのに、小学校になった途端に規則にがんじがらめにされてしまう。
手紙禁止の件のほかに引いたことといえば、給食の時は一切の会話を禁じる、という規則だ。一つの教室内で二十数名の子供達が疎遠な関係でもないのにそれぞれの席で黙々と食べているって異様な光景じゃね?
まぁ、長女の入学から半年経たずして、あの小学校はそういう所であり保護者が何を言おうが絶対変わらないというのは悟ったので、手紙禁止の事はもう諦めた。
長女や長女の親友が、この件で手紙を書く事自体を嫌いになったりとか、文章を書くということが学校の授業や宿題の中でしか出来ないものだと思い込んだりとかしないと良いなと思う。