はてなキーワード: 念仏とは
子作りは個人の「子を持ちたい」という願望への依存だけでは、必要十分ではない。→人間が生まれる源である、共同体の維持、持続性には個々人で子作りの負担を分担しようとしないと維持できない。今より格段に貧しかった先祖の苦労で生存できているのに、自分の代になれば、辛ければ後世を残すという責務はなくて良いのか?子作り育児の困難をいかに取り除こうとするのではなく、絶対に負担がある子作りの困難をいかに受け入れられるようにするかが肝心。子作りの「位置付け」を、苦労で諦めてしまう「個人の意思や願望でもうけるもの」から、個人、および共同体の持続性に必要不可欠なものと位置付け、税のように広く必ず「共同体で負担すべきもので個々人が協力すべきもの」へ。現代人の自由と人権を守って、貧しければ子供を作らずに少子化でどんどん日本人が減少し、移民主体の国に置き換わっていくか、個人が貧しくても子育ての負担を受け入れて生き残るか、突きつけられる究極の2択ーー。いや、子を持ちたい人を支援すれば、子供を欲しがる人の意思だけで、増えていくハズ←増えませんでした(確定事実・少しでも出生率が改善しているわけでもないので、量が不足していると考えるより、方向性が間違っていると考えるべき)。
【出生率低下の原因】
・現代は昔と比べて出生の要素が減少した(子作りを個人の意思でコントロールできるようになった)。
→出生率が高かった時代の子が生まれてくる要素は①「子を持ちたい願望」に加え②「農業の労働力や後継男子が生まれるまで子を作ろうとした(インセンティブがあった)」③「道楽としての性欲」④「避妊、堕胎がなかった」←そもそも出生率が高かった昔も親の子供を持ちたい希望だけで、人口が維持、拡大できたわけではない。つまり、本意でないのに作っていた群もいて、その結果、人口が維持拡大できた。いわば、不本意でない出生が人口維持や増加を支えていた。もちろん苦労もあり、苦労と出生数はトレードオフの関係だった。
→しかし現在の日本(他の先進国も)は①子を持ちたい願望だけの「一本足打法」になった
→子供が生まれる要素が減り、これだけでは出生率2以上には足りない。もともと、子供を持ちたい願望のある世帯だけでは、出生率2に足りない。
・個々人にとって結婚や子作りに消極的な主な理由は経済や環境があげられるが、人間社会にとっては少子化になったのは願望や愛情をそそぐ満足感を得るためのものになった(子供の位置付けが生産材→消費財へ)
・原因は子作りや結婚の経済や環境的な障壁ではなく、障壁に感じるかどうか。
→それは、結婚や子作りが個人主義の台頭でほぼほぼやるべきものから、個人の裁量の対象になり、個人の志向
に依存することになり、(例・ペットは狩りができなくなったのは、ペットに聞けば狩りは難しい事を原因に上げるが、本当の原因は人間に飼いならされてしまったから)
・理想の子供の数の平均は2.5人程度だが、これは貧しければ簡単に諦める人も含まれる「熱量」が全く考慮されていない数値。資本主義という制度上、必然的に存在する貧しい層の存在に対し、「賃金を上げられれば」など、無責任で実現できないタラレバを唱えても時間の浪費と共に少子化が進行するだけ。
・したがって、いくら育児支援をしても、子を欲しがる人の数が足りないので効果が出ない。アンケートでも、金銭面や環境面だけではなく、自分の時間が潰れるのが嫌だからという回答多数。
・先進国ほど少子化、豊かになるほど少子化 ←エンゲル係数は下がり、全自動洗濯機など家電は便利になり、家事負担も減り、保育所の整備は進み、待機児童も減り、育児休暇率も上がり、男性の育児参加も進んでいるのに、出生率は低下。結局、子作りや育児の負担がある限り、また別の何かに不満や負担を感じてしまう←不満や負担の問題解決ではなく、どのみち解消できない不満や負担を受け入れることが重要。
・個人が自分にとって最適な行動(コストや負担を避けるために子供を作らない)をするほど、出生率は低迷する
・過去と比べた場合の出生率低下の原因=1970年代前半まで既婚率97%、貧乏人でもほぼ結婚して子供を作っていた。「個人主義の台頭による子づくりの優先順位の低下」(経済や環境で諦める対象になった。子作りにおける世代間扶助より自己実現を優先)経済や環境は原因ではなく結果。
・昔「みんな必ず、大変でも子供は作りましょうね」→現在「子作りは各々の自由ですよ〜」→当然、経済的、環境的に大変な人は子作りを避けるようになる
・逆にいうと、子作り圧力などにより、先代が結果として自己の利益を犠牲(昔の方がエンゲル係数が高かった→昔は今より無理して子供を育てていた)にした結果、現代人が存在できる。
・社会のレールは「子作りと仕事の両立」ではなく、実際には「完全に仕事を優先」(新卒一括採用の掟)してしまっている
・教育費が高い問題→子供の数が少ないから、教育費に金をかけられる→金をかけるから金がかかるになる。
・負担を回避しようとする(無理=その間に少子化がどんどん進行してしまう)のではなく、いかに負担を受け入れてもらうか。出生を子育て世代の願望による産物ではなく、生物学的な道理、摂理に根ざしたものにすべき(人口維持に必要な数を目標にすべき)。→手順や方法ではなく、結果(出生率)に拘る。ターゲット戦略型にする
・子作りは楽ではなく、元々大変なもの→問題なく少子化が解決できる「魔法の聖杯」を探し続ける時間が長いほど少子化は進行してしまう。
・移民政策では、出生率低下により減り続ける日本人の少子化問題は解決しない。→単純に減り続ける日本人の代わりに移民と置き換わるだけで、共存が続くわけではない。X字のように、時間の経過とともに、人種構成が移民と置き換わるだけ。日本人がいなくなっても日本列島に移民がいれば解決ではない。
・少子化対策は質より量を目指す。数字ありきが正解。←質を保ちつつ、量を目指してきたが、結局失敗した(量が競争により質を向上させる面も)。
・出生の機序と誤解
→子供が欲しいから作る人が大半だが、全てではない。←ここがポイント。完結出生児数が2ならば、100%の人が結婚しないと少子化確定(そんなの無理)。
・そもそも、全ての人が最初から結婚し、子供を望んでいるわけではない。←生物学的にも子供は本能や希望だけではなく、元から全ての要素ではない。←あくまで授かって生まれた子供に愛情が芽生えるのであって、愛情が最初からあって作ろうとするのではない(本来は順序が逆)。
・労働ややりがいではなく、出生率を優先すべき。持続性が生命の大前提。それが担保された延長線上に個人のやりたいことや夢がある←人間は目先の報酬を優先してしまう
・子作りは生物学的原理なのに、個人の価値観の対象としてとらえらてしまっている。→生物は自己の価値観に合致しているから子供を作るわけではなく、あくまで本能。人間は生物額的本能が退化してしまった可能性がある。
・共同体の持続性は、個々人の負担で達成される。(個人の利益と相反)共同体というプールがあるから、人間が存在できる。一代(今の自分自身)の人間の利益を最大化すると共同体の持続性が毀損され、やがて人間は少子化によりどんどん存在できなくなる。
・選択肢が多いほど不幸になる「選択のパラドックス」江戸時代の農村は結婚相手が限られていた
・「出生率向上の目標」は子育て環境の満足度や子作りの納得感を上げることではなく、出生率の数値を上げること。子育て世代の満足感の向上への努力は出生率向上に繋がっていない。納得感、満足感ではなく、出生率の数字向上を重要視する(少子化は感情やモラルや倫理観ではなく、「数」で決まる現実を受け入れる)
・子供を増やすことによる副作用より、まずは頭数が重要。無理に増やすと、問題も増えるといって対策を打たなければ、プラマイゼロではなく、出生率低迷の長期化による出生数減はどんどん進行する。
・無理やり増やそうとするデメリットより、少子化のデメリットの方がはるかに大きい(子供を無理に増やすことの問題が増えても社会は持続できるが、少子化は時間の経過で物理的に絶滅する・例=癌と一緒。痛みがなく治る方法を探しているうちに、どんどんガンが進行して取り返しがつかなくなる。
→痛みがない方法はあるかもしれないが、見つからない段階ならさっさと痛みを堪えて切除するしかない)。現状は、「賃金を上げよう。環境を改善しよう」と雀の涙の給付と無責任な念仏を唱えるだけ
・子作りは自由だから逆に責任が生まれ、責任回避の動機から減ってしまう。
子供を作る方法自体は、性交渉であり、実は簡単。動物の繁殖もやることは分かっているため、簡単。ただ、現代社会で性交渉の機会を増やすことは非常に難しい。また、人間で難しいのは人権があるという点。逆に言えば、出生率が改善しにくい原因は子育て世代の人権保護を「優先」する為と言える。さらに逆に言えば、かつての子育て世代は周囲のプレッシャーなど窮屈な思いをして、自己実現や生活水準を我慢した結果とも言える。10割、自分の為に生きるのではなく、3割は次世代の為に負担を受け入れるという考え方の共有が重要。
・子作り(親世代が子世代を作って育てる=「世代間扶助」)の重要性を教え、その価値観を社会と共有する
→親や先祖による世代間扶助(子作り負担)の結果、現代人が存在できるという仕組みを、しっかり社会で共有する(自由や人権を主張できるのも、親や先祖の子作り負担の結果、出生できたから)←この因果関係をしっかり理解する。
→子を持つことを、子育て世代の「幸福の実現手段の一つ」から、社会的に共同体にとって「絶対に必要不可欠な原理」に変える。←子育て世代の子どもを作ることへの責任感の向上があり、社会からの協力も得られやすくなる。
→子作りを義務的に考えれば、必然的に教育競争は弱まる。現在は自由意志だから結婚も子育ても競争になる。(生物学的に必要不可欠な要素は競争ではなく、分配の方が結果的にうまくいく)義務的になれば、無茶な競争意識から解放され、育ってくれればとりあえずOKとなる。実は義務である方が責任がなく子ができた後は精神的にはかるかに楽。自由意志だから責任が伴う。
↓↓
・社会的に解決困難な課題、個人にとって避けたい行動を導くにはルールを作り、負担を社会全体で分担するのがセオリー。つまりルールを作ることが解決策。出生率が高かった時代も事実上、ルールとして意識されていた。
①ルール化と政府による積極的な子作り推奨・子作りの「社会的な位置付け」の変更←子育て世代の希望者だけ子供を作るのではなく、皆で分担して作る→結婚し子供を作る人が増えれば、相手も見つけやすくなる。
(個人として避けたい負担でも全体にとって必要不可欠な行動はルール化するのが古今からのセオリー、例えば税金は貧困者も負担する。国によっては徴兵制もある(こちらは国を守るために命を投げ出せと言ってる)
子作り子育て世代になれば、子供を作りましょう(もちろん健康に問題がある人は除く)
・子作りのタスク化(個人の願望の産物だと、モチベーションや環境に左右されてて必要な出生率を確保できない)
(政府は期待、支援するだけではなく、能動的に子作りを「要請し、積極的に推奨」する。あらゆる生物に共通する、共同体が持続するための『世代間扶助の原則(負担があるから持続する)』を説明すれば多くの人は理解できるはず)
・個人の「幸福の手段」の一つとして子作りを位置付けるから、幸福でないなら子供を作らないという行動になってしまう(幸福の手段という位置付けだから、基本「勝手に自助努力でやれ」になる)。大前提として子作りを「幸せの実現手段」ではなく、「個人の存在の源でもある共同体の持続性に不可欠な存在」と定義する。そうすれば子育て世代は子作りに対する責任感が生まれ、政府も会社も社会も負担を受け入れて協力的になるはず。
②有利不利で動機付ける
・実質的な「子なし税」の導入
人間は得をするための行動より、損を避ける行動を重要視する(「損失回避」=プロスペクト理論)例えば45歳以上で子供がいなければ、所得の10%を課税される→早めに結婚でもして子供を作ろうとなる。また、子なし税は応分負担の原則からいっても、共同体の構成や成立、持続性において必要不可欠である子供を作らないのに、福祉だけ享受するのは不公平という理屈もある
・多額の給付金(財源は一般会計とは別枠の「子供国債方式」で持続性を担保→時の政権の介入を防ぐ。不正受給を防ぐために日本国籍限定)
一生の納税額は少なくとも3000万円。1000万円配っても十分、ペイできる。
財源節約には、最初の動機を高める第1子と子供を増やすための第3子以降を手厚くする。親のパチンコ代のために無責任に生まれても、生まれてこないよりもはるかにマシ。
良いこだけ産まれてくればいい、という都合のいい解決策は存在しないことを良い加減、学習しましょう。現代人が存在できているのも、元々は祖先の労働力欲しさや性欲など打算の結果でもありす。もともと「子を持ちたい親の気持ち」だけで子孫たる現代人が存在しているわけではない。
・誰でも使える認可保育園や学童保育の24時間営業(バカ親に育児放棄されるより100倍マシ、育児負担感は大幅軽減、効果的な幼児教育もやればいい)
繰り返すが、人権や個人の自由などを一部、我慢して、仮に自身の環境が悪くても、後世を残すことに対する負担をしないと、共同体の持続性が損なわれ、やがて個人も少子化により、存在できなくなる。いわゆる移民政策を導入しても、減っていく日本人の傾向は変わらず、日本人が滅んで移民に取って代わられるだけで、日本人の持続性を担保できる政策ではない。
踊り念仏のひとの話はまだですか?
子作りは個人の「子を持ちたい」という願望への依存だけでは、必要十分ではない。→人間が生まれる源である、共同体の維持、持続性には個々人で子作りの負担を分担しようとしないと維持できない。結果的に、今より格段に貧しかった先祖の苦労で生存できているのに、自分の代になれば、辛ければ後世を残すという責務はなくて良いのか?子作り育児の困難をいかに取り除こうとするのではなく、絶対に負担がある子作りの困難をいかに受け入れられるようにするかが肝心。子作りの「位置付け」を、苦労で諦めてしまう「個人の意思や願望でもうけるもの」から、個人、および共同体の持続性に必要不可欠なものと位置付け、税のように広く必ず「共同体で負担すべきもので個々人が協力すべきもの」へ。現代人の自由と人権を守って、貧しければ子供を作らずに少子化でどんどん日本人が減少し、移民主体の国に置き換わっていくか、個人が貧しくても子育ての負担を受け入れて生き残るか、突きつけられる究極の2択ーー。いや、子を持ちたい人を支援すれば、子供を欲しがる人の意思だけで、増えていくハズ←増えませんでした(確定事実・少しでも出生率が改善しているわけでもないので、量が不足していると考えるより、方向性が間違っていると考えるべき)。
【出生率低下の原因】
・現代は昔と比べて出生の要素が減少した(子作りを個人の意思でコントロールできるようになった)。
→出生率が高かった時代の子が生まれてくる要素は①「子を持ちたい願望」に加え②「農業の労働力や後継男子が生まれるまで子を作ろうとした(インセンティブがあった)」③「道楽としての性欲」④「避妊、堕胎がなかった」←そもそも出生率が高かった昔も親の子供を持ちたい希望だけで、人口が維持、拡大できたわけではない。つまり、本意でないのに作っていた群もいて、その結果、人口が維持拡大できた。いわば、不本意でない出生が人口維持や増加を支えていた。もちろん苦労もあり、苦労と出生数はトレードオフの関係だった。
→しかし現在の日本(他の先進国も)は①子を持ちたい願望だけの「一本足打法」になった
→子供が生まれる要素が減り、これだけでは出生率2以上には足りない。もともと、子供を持ちたい願望のある世帯だけでは、出生率2に足りない。
・個々人にとって結婚や子作りに消極的な主な理由は経済や環境があげられるが、人間社会にとっては少子化になったのは願望や愛情をそそぐ満足感を得るためのものになった(子供の位置付けが生産材→消費財へ)
・原因は子作りや結婚の経済や環境的な障壁ではなく、障壁に感じるかどうか。
→それは、結婚や子作りが個人主義の台頭でほぼほぼやるべきものから、個人の裁量の対象になり、個人の志向
に依存することになり、(例・ペットは狩りができなくなったのは、ペットに聞けば狩りは難しい事を原因に上げるが、本当の原因は人間に飼いならされてしまったから)
・理想の子供の数の平均は2.5人程度だが、これは貧しければ簡単に諦める人も含まれる「熱量」が全く考慮されていない数値。資本主義という制度上、必然的に存在する貧しい層の存在に対し、「賃金を上げられれば」など、無責任で実現できないタラレバを唱えても時間の浪費と共に少子化が進行するだけ。
・したがって、いくら育児支援をしても、子を欲しがる人の数が足りないので効果が出ない。アンケートでも、金銭面や環境面だけではなく、自分の時間が潰れるのが嫌だからという回答多数。
・先進国ほど少子化、豊かになるほど少子化 ←エンゲル係数は下がり、全自動洗濯機など家電は便利になり、家事負担も減り、保育所の整備は進み、待機児童も減り、育児休暇率も上がり、男性の育児参加も進んでいるのに、出生率は低下。結局、子作りや育児の負担がある限り、また別の何かに不満や負担を感じてしまう←不満や負担の問題解決ではなく、どのみち解消できない不満や負担を受け入れることが重要。
・個人が自分にとって最適な行動(コストや負担を避けるために子供を作らない)をするほど、出生率は低迷する
・過去と比べた場合の出生率低下の原因=1970年代前半まで既婚率97%、貧乏人でもほぼ結婚して子供を作っていた。「個人主義の台頭による子づくりの優先順位の低下」(経済や環境で諦める対象になった。子作りにおける世代間扶助より自己実現を優先)経済や環境は原因ではなく結果。
・昔「みんな必ず、大変でも子供は作りましょうね」→現在「子作りは各々の自由ですよ〜」→当然、経済的、環境的に大変な人は子作りを避けるようになる
・逆にいうと、子作り圧力などにより、先代が結果として自己の利益を犠牲(昔の方がエンゲル係数が高かった→昔は今より無理して子供を育てていた)にした結果、現代人が存在できる。
・社会のレールは「子作りと仕事の両立」ではなく、実際には「完全に仕事を優先」(新卒一括採用の掟)してしまっている
・教育費が高い問題→子供の数が少ないから、教育費に金をかけられる→金をかけるから金がかかるになる。
・負担を回避しようとする(無理=その間に少子化がどんどん進行してしまう)のではなく、いかに負担を受け入れてもらうか。出生を子育て世代の願望による産物ではなく、生物学的な道理、摂理に根ざしたものにすべき(人口維持に必要な数を目標にすべき)。→手順や方法ではなく、結果(出生率)に拘る。ターゲット戦略型にする
・子作りは楽ではなく、元々大変なもの→問題なく少子化が解決できる「魔法の聖杯」を探し続ける時間が長いほど少子化は進行してしまう。
・移民政策では、出生率低下により減り続ける日本人の少子化問題は解決しない。→単純に減り続ける日本人の代わりに移民と置き換わるだけで、共存が続くわけではない。X字のように、時間の経過とともに、人種構成が移民と置き換わるだけ。日本人がいなくなっても日本列島に移民がいれば解決ではない。
・少子化対策は質より量を目指す。数字ありきが正解。←質を保ちつつ、量を目指してきたが、結局失敗した(量が競争により質を向上させる面も)。
・出生の機序と誤解
→子供が欲しいから作る人が大半だが、全てではない。←ここがポイント。完結出生児数が2ならば、100%の人が結婚しないと少子化確定(そんなの無理)。
・そもそも、全ての人が最初から結婚し、子供を望んでいるわけではない。←生物学的にも子供は本能や希望だけではなく、元から全ての要素ではない。←あくまで授かって生まれた子供に愛情が芽生えるのであって、愛情が最初からあって作ろうとするのではない(本来は順序が逆)。
・労働ややりがいではなく、出生率を優先すべき。持続性が生命の大前提。それが担保された延長線上に個人のやりたいことや夢がある←人間は目先の報酬を優先してしまう
・子作りは生物学的原理なのに、個人の価値観の対象としてとらえらてしまっている。→生物は自己の価値観に合致しているから子供を作るわけではなく、あくまで本能。人間は生物額的本能が退化してしまった可能性がある。
・共同体の持続性は、個々人の負担で達成される。(個人の利益と相反)共同体というプールがあるから、人間が存在できる。一代(今の自分自身)の人間の利益を最大化すると共同体の持続性が毀損され、やがて人間は少子化によりどんどん存在できなくなる。
・選択肢が多いほど不幸になる「選択のパラドックス」江戸時代の農村は結婚相手が限られていた
・「出生率向上の目標」は子育て環境の満足度や子作りの納得感を上げることではなく、出生率の数値を上げること。子育て世代の満足感の向上への努力は出生率向上に繋がっていない。納得感、満足感ではなく、出生率の数字向上を重要視する(少子化は感情やモラルや倫理観ではなく、「数」で決まる現実を受け入れる)
・子供を増やすことによる副作用より、まずは頭数が重要。無理に増やすと、問題も増えるといって対策を打たなければ、プラマイゼロではなく、出生率低迷の長期化による出生数減はどんどん進行する。
・無理やり増やそうとするデメリットより、少子化のデメリットの方がはるかに大きい(子供を無理に増やすことの問題が増えても社会は持続できるが、少子化は時間の経過で物理的に絶滅する・例=癌と一緒。痛みがなく治る方法を探しているうちに、どんどんガンが進行して取り返しがつかなくなる。
→痛みがない方法はあるかもしれないが、見つからない段階ならさっさと痛みを堪えて切除するしかない)。現状は、「賃金を上げよう。環境を改善しよう」と雀の涙の給付と無責任な念仏を唱えるだけ
・子作りは自由だから逆に責任が生まれ、責任回避の動機から減ってしまう。
子供を作る方法自体は、性交渉であり、実は簡単。動物の繁殖もやることは分かっているため、簡単。ただ、現代社会で性交渉の機会を増やすことは非常に難しい。また、人間で難しいのは人権があるという点。逆に言えば、出生率が改善しにくい原因は子育て世代の人権保護を「優先」する為と言える。さらに逆に言えば、かつての子育て世代は周囲のプレッシャーなど窮屈な思いをして、自己実現や生活水準を我慢した結果とも言える。10割、自分の為に生きるのではなく、3割は次世代の為に負担を受け入れるという考え方の共有が重要。
・子作り(親世代が子世代を作って育てる=「世代間扶助」)の重要性を教え、その価値観を社会と共有する
→親や先祖による世代間扶助(子作り負担)の結果、現代人が存在できるという仕組みを、しっかり社会で共有する(自由や人権を主張できるのも、親や先祖の子作り負担の結果、出生できたから)←この因果関係をしっかり理解する。
→子を持つことを、子育て世代の「幸福の実現手段の一つ」から、社会的に共同体にとって「絶対に必要不可欠な原理」に変える。←子育て世代の子どもを作ることへの責任感の向上があり、社会からの協力も得られやすくなる。
→子作りを義務的に考えれば、必然的に教育競争は弱まる。現在は自由意志だから結婚も子育ても競争になる。(生物学的に必要不可欠な要素は競争ではなく、分配の方が結果的にうまくいく)義務的になれば、無茶な競争意識から解放され、育ってくれればとりあえずOKとなる。実は義務である方が責任がなく子ができた後は精神的にはかるかに楽。自由意志だから責任が伴う。
↓↓
・社会的に解決困難な課題、個人にとって避けたい行動を導くにはルールを作り、負担を社会全体で分担するのがセオリー。つまりルールを作ることが解決策。出生率が高かった時代も事実上、ルールとして意識されていた。
①ルール化と政府による積極的な子作り推奨・子作りの「社会的な位置付け」の変更←子育て世代の希望者だけ子供を作るのではなく、皆で分担して作る→結婚し子供を作る人が増えれば、相手も見つけやすくなる。
(個人として避けたい負担でも全体にとって必要不可欠な行動はルール化するのが古今からのセオリー、例えば税金は貧困者も負担する。国によっては徴兵制もある(こちらは国を守るために命を投げ出せと言ってる)
子作り子育て世代になれば、子供を作りましょう(もちろん健康に問題がある人は除く)
・子作りのタスク化(個人の願望の産物だと、モチベーションや環境に左右されてて必要な出生率を確保できない)
(政府は期待、支援するだけではなく、能動的に子作りを「要請し、積極的に推奨」する。あらゆる生物に共通する、共同体が持続するための『世代間扶助の原則(負担があるから持続する)』を説明すれば多くの人は理解できるはず)
・個人の「幸福の手段」の一つとして子作りを位置付けるから、幸福でないなら子供を作らないという行動になってしまう(幸福の手段という位置付けだから、基本「勝手に自助努力でやれ」になる)。大前提として子作りを「幸せの実現手段」ではなく、「個人の存在の源でもある共同体の持続性に不可欠な存在」と定義する。そうすれば子育て世代は子作りに対する責任感が生まれ、政府も会社も社会も負担を受け入れて協力的になるはず。
②有利不利で動機付ける
・実質的な「子なし税」の導入
人間は得をするための行動より、損を避ける行動を重要視する(「損失回避」=プロスペクト理論)例えば45歳以上で子供がいなければ、所得の10%を課税される→早めに結婚でもして子供を作ろうとなる。また、子なし税は応分負担の原則からいっても、共同体の構成や成立、持続性において必要不可欠である子供を作らないのに、福祉だけ享受するのは不公平という理屈もある
・多額の給付金(財源は一般会計とは別枠の「子供国債方式」で持続性を担保→時の政権の介入を防ぐ。不正受給を防ぐために日本国籍限定)
一生の納税額は少なくとも3000万円。1000万円配っても十分、ペイできる。
財源節約には、最初の動機を高める第1子と子供を増やすための第3子以降を手厚くする。親のパチンコ代のために無責任に生まれても、生まれてこないよりもはるかにマシ。
良いこだけ産まれてくればいい、という都合のいい解決策は存在しないことを良い加減、学習しましょう。現代人が存在できているのも、元々は祖先の労働力欲しさや性欲など打算の結果でもありす。もともと「子を持ちたい親の気持ち」だけで子孫たる現代人が存在しているわけではない。
・誰でも使える認可保育園や学童保育の24時間営業(バカ親に育児放棄されるより100倍マシ、育児負担感は大幅軽減、効果的な幼児教育もやればいい)
繰り返すが、人権や個人の自由などを一部、我慢して、仮に自身の環境が悪くても、後世を残すことに対する負担をしないと、共同体の持続性が損なわれ、やがて個人も少子化により、存在できなくなる。いわゆる移民政策を導入しても、減っていく日本人の傾向は変わらず、日本人が滅んで移民に取って代わられるだけで、日本人の持続性を担保できる政策ではない。
プログラムも一種の文章であり、他人の日記を読めば意味不明な記述ばかりで読みづらいのと同じで、仕方ないことなのだ。
と周りに伝えたら、共感してもらえなかった。
私の職場はプログラミング専業じゃないわけで、そこで書かれるプログラムなんて、やりたいことを実現するための念仏でしかない。
その記述方法に気を払う余裕なんてなくて、だからこそ個人的には、プログラムは自意識が無意識に溢れる「日記」なんだと思っているのだが。
ちなみに、周りの人間は「正しいプログラムの書き方」みたいなものを語っていたが、そんなものは「正しい日本語」くらい、どうでもいい概念だ。
車輪の再生産なコードだから、プログラムの本質が失われるとでもいうのか?
まぁこれは結局
「俺と(俺が正義と認定する勢力)の暴力はいい暴力。俺と(俺が正義と認定する勢力)を狙う暴力は悪い暴力で許されない」
ってだけなんだよな。
暴力を批判してるんじゃなくて、暴力を振るう人の属性を批判してるから、自分たちいいと認めればそれはテロじゃないし例外的に許されるという。
ただテロってそもそも「敵対勢力の暴力」に対するレッテルでしかないから、ある意味ただしいちゃただしい。
日本でも安倍晋三や岸田みたいな自民党じゃなくて、野党や左翼、リベラルフェミニストあたりを襲撃したら
「これは義挙!」
「自業自得」
「狙われるお前がわるい」
っていうところがエキストリーム表現の自由戦士である俺にはマジでわからん。
だって害がないじゃん。
俺自身はああいう撮影会はキショいから全然参加したくならないし
SNSで見れるあの手のイベントで撮れた写真もつまんねーとしか思えない。
しかしあれが何の害になるのかについて答えが出せないので
俺はあれをアリとするしかないんだよな。
声高な反対派の声をまとめると要するに
「キモい欲望を持った奴等が調子づくのがまずい」と言ってるんだと思うが
それぐらいはさすがにしゃあないんじゃないのか?
たとえば俺は撮り鉄もキモいと思うし奴等の写真はゴミだと思うし
「代表者一人が撮影してデータ配ればいいじゃねえか規格化されたゴミ写真撮るだけなんだから」と思う。
キショさ丸出しの言い草で世間様に言い返してる姿を見るといじめまくりたい衝動には駆られる。
しかし奴等のキモさがどういう害を引き起こしてるのかというと答えられないので
俺はあれをアリとするしかないんだよな。
あいつらが問題有るのは駅のホーム塞いだり利用者や駅員に罵声を飛ばしたりするとこだから
そこに対して「きめーんだよしね」という扱いがSNSで発生してるのも相互主義でアリだと思う。
駅員も自分の職場に生意気な態度の撮り鉄が居たらどんどんシバいていいと思うし
だいたいあいつら本来ならみんなで金出して貸し切った電車を囲んで撮影するなりシコるなりすればいいし
もしそれが実現したらそれも超絶キモいけど
俺はそれをアリとするしかないんだよな。
まあ撮り鉄って異様にセコくて電車賃すらキセルする乞食軍団だからそういう金は絶対払わないんだけど
水着撮影会のキモちわるいカメコ達は場所の貸し切り代やモデルの出演料賄えるぐらいには金払いがいいんだろ?
どういう害があるのかを説明してみろって話なんだよ。
ブスなモデルの下品なポーズが撮影されたりその画像が世に出回ったりするとどんな害があるんだ。
なにもねーだろ。
人の精神に害があるって言うなら
その活動でなんか自分や人の役に立つようなこと一回でも達成したか?
撮り鉄も水着写真撮影おじさんも確かにゾッとするほどキモいよ。それはそうだ。
ていうかカメラを趣味にしてるような人間の9割はレンズ通さないと人とやりとりも出来ないキッショい変質者なんだよ。
俺の肉親がああいうのじゃなくて本当に良かったと思う。
しかしそんな連中の生態について余計なお節介焼くのをやめられない人間、
お前が取り組むべき問題は会うことも無いキモ集団ではなくお前の人生だろ?
そんなことに使う1分があるならお前の周りの人間のことを考えて
そいつらの助けになることに脳と体を使えって話だよ。
そこを言われると「だってあいつらキモいし!」って言い訳に逃げ込むじゃん?
そんなことはひとっ欠片もお前自身の問題の言い訳にはならないんだよ。
praty559
表自こそどこまでいくかわからないって言われるぞ。「公共の場でSEXしてどんな害があるか説明しろってんだよ」「排泄物の映像を流してどんな…」
2023/06/11
俺がどんな党派を率いてんのよ
規制派も表自も俺以外は大体バカだから俺についてこられないのよ
害はないね
あっという間に慣れて何も感じなくなると思うよ
ちなみに平常時の市民プールの光景でも敬虔なモハメドさんから見たら有害すぎる罪の巣窟だぞ。
在日モハメドさんがギャーギャー喚いてたらどうする?うるせーさっさと慣れろって思うだろ。
まあ実際一人で来てて同胞の監視が無い場合あっという間に慣れるし酒飲むわ。
自分の身体で勝負してる売女以上の決断力や度胸がお前等にはあるという認識か?
それはただの思い上がりだと思うわ
その未成年売女が何か可哀想だとしてお前等の可哀想さと同程度だわ
そもそもブスのポルノっぽい水着の画像が残ったら何がまずいかって
ポルノをケガレ視するお前等みたいな奴等がまずいことにしてるんじゃあないのか?
お前等さえいなければポルノなんてただのきたねえ記録物だ
俺は「どんな害があるか言ってみろ」って言ったんだぜ?
なのにこいつの回答、「こういう条件だと自粛した方がいいと思いまちゅー」
俺はキモい生物の生存をアリと認める心の広い人間だからこういう奴が生きてるのも許すけどさあ、
キモさとか話の通じなさで言ったらおめーなんて撮り鉄やカメコとかとかわんねーからな?
日本語のふつーの会話も通じないキモキモ人間の分際でなんで上から目線で何かのジャッジする身分だと思ってんだろうね?
俺はどんなキモい人間でもアリとするけどお前等はキモい人間を表社会から抹殺する方針なんだろ?
cinefuk 人権侵害の自由戦士としては、子供が搾取されようが知った事ではないと。現代社会で大人が取るべき態度ではないが、アナキストなら仕方ない。だとしたら、カメコの人権とかモデルのお気持ちだって文句ない筈では? 性犯罪 未成年 オタク エロ
2023/06/11
「搾取―」「商品化―」って念仏唱えたら勝ちとかいう頭わりーやつ向けバカプルーフルールでやってねえのよこっちは
これだけキモいのに別のキモい奴をジャッジして抹殺する権限があると思いあがってんだぜ?キモくね?
でも許す。お前もアリだよ。
HanPanna 施設管理者の貸し出し条件を破っていることが問題なんだよね。パブリック・スペースとして別論点もあるけど、基本的には施設管理者vs水着祭主催者。自分の所有地でやる分には未成年の件を除いては問題は無い。
2023/06/11
お?
つまり害はねえけど条件を破った、約束を破ったがあんたの論陣な訳ね?
OKOK俺はそれなら何も干渉しねーよ。
撮影会に害はない、手続き上の問題があったということでHanPannaさんと俺は同意を見ましたー
ぱちぱちぱち
「害を説明しろ」には答えてねえけど「害ではないところに問題がある」という立場ってことだよな。まあ許すわ。
あんたもアリだよ。
ko2inte8cu
はいはい。国会が法律を変えるか、最高裁が増田の主張を認めれば、中学生でも何でも接写すればええよ。
鼠の糞程度の脳味噌の容量があったら俺は別に法律の話ししてねえということを理解してレスしてもらいたいもんだけど、
違法行為なら逮捕して終わりであって、こんなゴニョゴニョやってるってことは違法行為はしてねーんだよ
小鳥の糞ぐらいの脳の重量があったら判断つくような話をわざわざ書いて済まんけどな
キモいけど君もありだよ。
Cayenne_p
そのうちヘイトスピーチの類も「暴力を伴わないヘイト言説による実際の害悪は証明されてない」とかなんとか言い出して
平然と正当化始めそうなのでどうぞそのまま突っ走って行ってほしい。
2023/06/11
俺は害を説明してみろと言ったの。
本当にちゃんと害を把握してる奴なら何も困らず2秒で俺なんかぶちのめせるんだぜ?
「これこれこう害がある!エビデンスはこれだ!終わり!」
なあ?
その呪文唱えたら勝てるルールでやってねえって言ってんだろ。エキストリームだと。
どうしてそんなに怠惰な知性で偉そうなツラしながら呼吸できるんだ?
カメコがどうこうより自分の生きざまについてキショみを感じて耐えられなくなったりはしないのか?
お前もアリだ。
「オフシーズンに自分の気に入らねえイベントやってたからこんなプールきてやらん!」 と?
うーん 無理があんじゃねえか?w
はい注目!lacucarachaくんは俺の「どう害あるか説明してみろ」という日本語をちゃんと理解して噛み合う応答が出来ました!
ぱちぱちぱちぱちー!!マジで100点です。
この程度のやりとりも出来ねえlacucarachaクン以外のやつらマジでなんなわけ?
先生から見てこのクラスは95%の子が滅茶苦茶キショいし、人のこと心配するレベルに達してません。
きっしょいカメコに余計なお世話焼く前にお前等自身のキショさをなんとかしろ、マジで。
siro-haku 誰かが嫌な気持ちになったり実害があっても表現したいって自由戦士の方が好き。誰にどんな迷惑かけてんのかわからんちーんって奴は嫌い。
「誰かが嫌な気持ちになる」ことを”実害”と呼んじゃうなら
「俺は黒人と韓国人が嫌いなのでそういうやつらをメディアに載せられると俺の心に実害が生じる!」なんて申し立てもありになるんだわ。
嫌な気持ちになれば実害であって謝罪や賠償の請求権が発生するなら
心が狭くていろんなものにすぐ嫌な気持ちになる人間が最強になるわけだが
本当にそんなルールで行くつもりなのか?
お前の脳ではそれが難しいためにマヌケな発言をしているということなのか?
それともお前も何らかの別のエキストリームに殉ずる戦士としてそれを提唱してるのか?
俺にはお前がキショいのかキショくないのかよくわかんねーわ。まこれ以上はどうでもええわ。
Q.害を説明してみろ
0点。お前もアリだ。
takahire_hatene 若者なんだと思うけど、「公共の空間」とか「パブリックスペース」とか「公共施設」みたいな概念が存在しないよね。そのようなタブーを敢えて挑戦するのが「表現の自由戦士」であって、何も分からず怒り狂うゴブリン
2023/06/11
「おめーらはおめーらの概念の正味を・実を、きちんと説明出来ますか?」と聞いている。
らくなんとかくん以外問題に沿った回答すら出来ない醜態の行列だ。
俺はゴブリンで構わんけど、アホども全員棍棒で殴り殺せるけどそれをしない博愛主義で、INTすらずっと勝るゴブリンだと思う。
このコメント欄は魔法使えねえ本が読めねえ形骸化した念仏だけなんとか覚えてるINTがゴブリン以下の過去に破滅的文化断絶を経たエルフって感じだよな。
donovantree
モザイクの意味はわからねえがアレを取ったらシコ度が上がるのかもよくわからねえ
あれを除去することに重大な価値があると思うならお前がやれ
法律の建付けではあれがあるとポルノの有害度が許容範囲に減るらしいがお前はその言ってる意味わかるか?
俺には意味わかんねえし、既存の法律やお前等の概念もガバガバスカスカだっつー話だと思うよ
mujisoshina
出た出た絶対現れるんだわこういうやつ
こういうこと言う人は100%言えないだけです。
こんなレベルのやつに「考える気もない」とか言われるのもすげー体験だが
俺がゴブリンなんじゃなくてコメント欄がスライムかなんかなんじゃねえのかな
mukudori69
性欲!俺はあの被写体に全く値打ちを感じねえエロいとも思わねえってはっきり書いたのに何をどう読んでんだこのスライムは。日本語読めねえなら無理すんな。
俺にとって無価値のブスでもそう思わない人間が大量にいて商売なりたってんだからそれでいいだろうが。ブスさん達からしても俺なんか激キショの無価値なごみだわ。世の中の大半はそうなってんだ。
自分にとって価値がなかったら「好ましくないキショい!潰せ!」って自分達の正義を確信して抹殺に走る人間と、自分にとったらブスとキショイやつらのコラボレーションであるけど撮影会はアリだと尊重する俺と、どっちが知性や人格がまともかかんがえてみろ。
野蛮で心広いゴブリンさんと、ほぼなにも考えてねえのにその自覚もなく気に入らねえもん迷いなく破壊していこうとするスライムさん達と。
下劣で野蛮なゴブリンだってスライムに説教されるいわれはねーわ。
earthether
突き詰めると「なぜ世界中で程度の差はあれエロは規制されているのか?」という話になる。それはエロは人から理性を奪うからで、社会を維持するためにはある程度の統制が必要ということだと思う。
2023/06/11
しかしだな、キショキショ撮影会してる人間達と、自分達が社会正義だと確信して攻撃的になってる(日本語も不自由な奴らの癖になw)スライム達と、どっちが理性壊れてるかつったら断然後者だろとゴブリンは見ていて思う。
okumuraosaka
@okumuraosaka
@otakulawyer
22時間
あいちトリエンナーレ2019の「表現の不自由展・その後」の5人いる実行委員(キュレーター)のひとりだった人がこんなこと言っていることにびっくり。この人の表現の自由=サヨク表現の自由なんだな。 twitter.com/arai_hiroyuki/…
https://twitter.com/okumuraosaka/status/1667101051068239873?s=20
正体がバレバレ
@otakulawyer
あいちトリエンナーレ2019の「表現の不自由展・その後」の5人いる実行委員(キュレーター)のひとりだった人がこんなこと言っていることにびっくり。この人の表現の自由=サヨク表現の自由なんだな。
@arai_hiroyuki
埼玉県営しらこばと水上公園で開催予定の近代麻雀水着祭が紛糾している。女子中学生の出演の是非が問われているため。未成年の水着撮影会は性的搾取の典型例で、高校生であっても児童ポルノ禁止法に抵触する。
英田朋(゚Д゚)@23春甲乙乙甲乙乙 3-m-1-pf-vaccinated .exe
@ZQ8HcnJ2sfK8t5x
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21時間
今後あいちトリエンナーレに開催許可を与えずあいちトリカエナハーレのみに開催許可を与え続ける事にしよう(゚∀゚)←
@poirot_mustache
21時間
間違ってないのでは?
mazavozi
@mazavozi
表現の不自由展そのものは、左右関係なくタブー無しというコンセプトとしては賛成なのだが…
表現の自由!と叫ぶ同じ口で、表現を規制する。こういう奴らには反吐が出る💢
見物の念仏
@nenbtunotetsu
15時間
ホントにそうで、この方、「表現の不自由展」が中止になった際の記者会見で、展示内容について「日本の歴史や政治体制における負の問題を主題とした検閲作品が多くを占めます。日本社会での検閲は、ほとんどがこのモチーフの問題視から起きます」と言ってました。
https://twitter.com/otakulawyer/status/1667093715599659009?s=20
実際問題、アンガーマネージメントは、集中力や思考が散りやすい人と、自制心が強い人と、何も考えてない人にしか効かないしな
徳川家康は、短気すぎるが故に自分を律しようとし、晩年には毎日念仏を唱え書き記してた事で知られる人物ですが、
逆恨みとも言える怒りの感情は消えず、約三十年も経った後で孕石元泰を切腹させてます。
マインドフルネス・アンガーマネージメントとかの効果が期待出来るタイプは次の3つ
ただ感情を抑えようって気持ちは取り組み自体は非常に好感を持てる
職場や真剣な話し合い中に泣いても配慮しろって開き直るDQNがいる世の中だしな
▼関連増田:話し合いの途中で泣いちゃう人への対処、どうすればいいの?
https://anond.hatelabo.jp/20230426081719#
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230426081719