はてなキーワード: 役者とは
問増田だけどよくわかる。私の思う世界観は原作の世界観で、役者はその原作の世界観を舞台という形で表現したものだと解釈してるよ。でも舞台では突然パロディみたいなことを始めるし、まわりのファンは「(キャラ名)が○○してる~!」ってキャラと役者を同一視して楽しんでるしで、えぇなにこれ……って呆然となってしまう。
あそこに美少女プログラマーがいるから40代のおっさんだと、みためがわるいから、あの美少女がサンプルつくるから
あとねオッサンが変な方向で殺気立ってた、リラックスリラックス わかいこもかなりそだってるから大丈夫
あの芸能人志望の役者さんがプログラマー役っていうから入れかえてもらっといただけ
あのー天才ハッカー大島優子って どうやったら 役者に見えないの?
なので、他のプログラマーさんもですね
日本語の語呂が曲に合わなくて絶妙にダサいのが聴いててなんだか恥ずかしかった。
二次元が史上というわけではないが、どう考えてもトンチキな髪色や髪型を無理やり再現するのが滑稽に見えた。
ニコニコ動画でテニミュを見てゲラゲラ笑ってた時代の人間なので、ずっとそのイメージのままだったせいもあるのだろう。
ほぼ食わず嫌いだった。
ネットで話題になるコンテンツにすぐ食いつくイナゴでもあった。
アニメが流行れば観るし、映画がバズれば劇場に足を運んだ。世間とのつながりがSNSしかないので置いていかれたくなかったのかもしれない。
映画刀剣乱舞が特撮時代劇的で普通に面白かったと聞き、2.5にはまった友人の勧めもあって観に行った。
この自粛期間中に、舞台刀剣乱舞が無料配信されると話題になった。
舞台版は映画化した実写刀剣乱舞と同じキャストだというので、面白半分で観てみようと思った。
映画で所作の綺麗だった三日月宗近と太ももが二次元だった薬研藤四郎を拝めたらええかなくらいの軽い気持ちだった。
気付けばモニターを食い入るように見つめていた。
舞台のファンクラブまで登録した。まだ現地は行けそうにないが少しでも足しになればいいと思う。
何がここまでさせたのかはわからない。
刀剣男士や歴史人物のキャラクターひとりひとりが、殺陣が、シナリオが、舞台のギミックが、全部面白かった。
気付けば登録して4年ぐらい放置してた本丸に久しぶりに帰るくらいにはどハマりしていた。
とりわけ印象に残ったのは、何故かキャストが2人いた鶴丸国永だ。
虚伝初演と維伝は染谷俊之氏(以下染鶴)、それ以外は健人氏(以下健鶴)の両名が務めている。
健鶴はまじで画面から飛び出してきたみたいに飄々としていた。声も気持ちそれっぽく聞こえる。
義伝はカッコ良すぎて震えるかと思った。
染鶴は似ているわけではなかった。
しかし、虚伝初演で三日月と一緒になってワチャワチャしてた日替わりギャグシーンがあまりに面白くて、舞台そのものに引き込まれたのは彼のお陰だ。
維伝で再び現れ、新キャストを巻き込んでコントをかまし、しかし殺陣になればその圧倒的な迫力に目が離せなかった。
可動式の舞台セットを劇中立ち回りながら微調整していると有識者から聞いた時はぶったまげた。
なんだこの人は。
えらいもんを見てしまったと思ってたら、今度は脚本家の末満さんによるオリジナル舞台「TRUMPシリーズ」が配信されるというではないか。
染谷俊之氏をはじめ、刀ステで見知ったキャストも数名いたので、面白そうだとこっちも見てみることにした。
その後に展開する続編も、最初の悲劇がベースになって過去が語られる形式なので着地点決まっちゃってるじゃんと絶望しながらずっと見ていた。
そしてまた円盤が増殖していた。
いやナンボ買うねん。
同シリーズでハロプロメンバーが演じた「LILIUM」もU-NEXTで観た直後に円盤ポチった。
口をあんぐりしながらシリーズずっと見ていたが、一箇所だけグズグズに泣いてしまったシーンがある。
染谷俊之氏演じるダリ・デリコが主人公の「グランギニョル」、そのラストシーンだ。
詳細は省くがまた彼の演技にとてつもなく情緒を狂わされてどうにかなりそうだった。
彼が出演したのはそれ以降一度きりだが、そこまでは配信されていなかった。
藁にもすがる思いで最新作の入荷を待った。
そしてついに今日、手に入れた最新作「COCOON 星ひとつ」を再生した。
役が気に入ったのか、本人を好きになってしまったのか最早分からない。
気が付けば、ずっと彼を見ていた。
染谷俊之。
視聴後のやり場のない感情をどうしたらいいか分からないので、今はずっと彼のYouTubeチャンネルでマック1万円分食ってる動画見てゲラゲラ笑っている。
舞台も映画も面白いんだけど、増えていくグッズの管理がしきれない
股にかけている沼は1つや2つじゃないし、推しているキャラクターもどんどん変わる。
去年、舞台観劇の際に購入したトートが実家から出て来た。原作ではもう見る影もなくなった、だけどゲームでは最強クラスまで強くさせた推し。
元々男性キャラは優遇されてないゲーム、男性客層を得る為に露出の高いキャラばっかりで全く話題がなくなったよね。その間自分は違うジャンルに夢中になって。
アクキー、缶バッジ、ラバスト、クリアファイル…箱に入れようとすると溢れる程の量。冷静に客観的になると異様なんだけど
トートを購入したのもお祭り気分の時だった。推しの格好をした人に、普段行かないような東京で会えて
もっと近付きたいとすら思った。案外、役者の方が気分を切り替えて別の役柄に入って行ってたけど笑
今後、何らかの舞台、演劇を鑑賞したとして、コロナで見られなくなったとして、舞台への情熱は変わらない。支えたいと思ってグッズを買う事だろう。その度に親族に呆れられたりして。現実がどうでも良くなったりして。
だけど、他人がグッズをごっちゃり貯め込んでる様子を見ると素直にゴミじゃんと思ってしまう。本人は整理してるつもりなんだろうけど、私には名前も不明なキャラクターの数々。好きになった経緯もあるのだろう。
結婚する前から好きな様子だったし、よっぽど熱意があるのだろう。だけど、ゴミじゃん。リサイクルショップに行っても、アニメ中古買取専門店に行っても高値も付かなそうな、ある意味おもちゃ。
某ナミンCの、高校で生徒会長の女の子が軽快に歌う青春系CMについてです。
あのCMソング、耳に残っていい感じだったしCMで使われてた部分のフレーズも良かったので鼻歌で歌うくらいには気に入ってた。
ファーストシングルは話題のCMソング!と紹介されたのはCMで使われてなかった歌詞だった。
そのフレーズを聞いて、ん?なんか思ってたイメージと違うぞ?と違和感を覚えた。ので歌詞を検索してみた。
悪い意味でめちゃくちゃ衝撃的だった。
それまで「どんな状況でも笑って過ごそうね」という前向きな歌だと思ってたけど、モラハラとセクハラのサラブレッド笑顔強要ソングだった。
女なら愛想良くしろ、大人なら機嫌損ねるな、笑顔の可愛い彼女を自慢したいんだよ…的な傲慢さを柔らかい口調と正論っぽい言い方の最悪オブラートで包みましたって感じだった(個人的な感想です)
気に入ってたCMのフレーズも、歌詞全体で見たら相手にだけどんな状況でも笑顔でいることを要求してるとんでもない内容だった(個人的な感想です)
これ、CMソングとして使ってるO製薬も、カバー曲として歌ってる女優さんも、本当にそれでいいのかな……
特に令和をときめく若い役者が歌う歌詞としては、限りなく最悪に近い内容では……
とまで思った。
ただここで心配になったのは、私だけがこんな嫌な感想を持っているのかということだった。
SNSでも友達や家族との会話でも、私のように「あの歌詞気持ち悪いわ〜」と言ってる人を見たことがなかった。
もしかして考えすぎ?それともこの歌詞は割と受け入れられる価値観なの?
なので歌詞のフレーズと「嫌い」をアンド検索してみたら、あった。
全文同意しかなくて、私いつの間にブログ開設したっけ?くらいに思えた。
1人だけかもしれないけど、自分と同じ意見の人がいたと分かっただけで良かった。
嫌いなものの話って表立ってしにくいし、「これは私の感覚がおかしいのか?」とモヤモヤ悩むしかないのかと思ってたので。
同時に、ブログの人この感情を文章に残してくれてありがとう!!と感謝した。やっぱそう思うよね!私もそう思う!
この記事の結論は、別にCMソング気に入らないから不買運動しようぜ!とか歌わせるのやめようぜ!とかではない。
ただただ私がタイトルの通り「あの歌詞なんか嫌じゃない?」と言いたいだけの話です。
もしかしたら私と同じ考えで同じようにモヤモヤしてる人がいるかもしれないので、あなた間違ってないよ多分!私も同じこと思ったもん!と肩を叩くノリで書き残したくなった。
1話切りして百合と聞きデスアイランドで復帰、それから飛び飛びにずっと読んできた観劇オタク
完全同意でどうしても無理
なんか読んでて思うんだけど、描写から「観劇客のために」って視線を全く感じないんだよね
客は役者(✕作品)の凄さや天才性、別世界の人間ってことを示すためのスカウターでしかなくて、此方の存在を全く見ていない
勿論こっちは見てる側だから上下つけるなら勿論役者やスタッフが上だと思うし盛大に感謝しているんだけど、それは客を無視しろ、お前のやりたいことを好き勝手やれという意味ではない
お金出して見てるんだしね
こちらを思う描写が全くなく、客を凄さカウンターとしか思ってない描き方続けて「これこそが劇!凄い役者!」って言われると物凄く白ける
イケメンに気に入られてもしれっとしてて、美女には執着されお偉いさんには次々目をつけられてトントン拍子に進み……ってなあ
主人公いなければまあまだ読めたのかな ちよこの顔は好きだし
自分は友人が自分と同じかそれ以上のアクタージュ嫌いの観劇好きで愚痴聞いてもらえるのでまだマシなんだが、周囲にいないとつらいよね
この漫画を役者に読ませた記事読んだことあるけど、「現実だとやばいです」的なのが遠回しに繰り返し言われてたし、あと設定や劇の流れとか諸々見る限り多分作者は劇に興味がそれほどないので、多分ターゲットもそういう層なんだと思う
ほぼ同じ状況体験者。25年くらい前だけど。
就活で大失敗して大して望んでもない就職をして、ここは自分のいる場所じゃないと思いながら働いたが1年で退職してしばらくフリーターみたいな暮らししてた。
結局頭はそれなりだったが、精神が成長しきれてなかったのが原因だったと今は感じている。
フリーターみたいな時期にはバンドやったり役者やったりして好きな事し続けて、ある時やりたい事やったなと感じてから、それまでのバイト先に正社員として就職。それなりの規模の企業。
今では結婚して子供もいて、車も買って中古だが首都圏にマンションも買って、子供とあつ森したり、ポケモンGOしたり、料理したりして楽しく過ごしている。
増田はまだ人生始まったばかりなのに、既にゴール近くだと思ってるのだと思う。
社会に初めて出たんだ。
その場その場で出来る事精一杯やって、転職すべきと感じるなら転職して、自分が自分に納得出来るようにベストを尽くせば良い。
頑張って欲しい。
たっっくさんある萌えアニメ。
ありきたりだけどお付き合い下さい。
画面はずーーーっと写真が焼けたような変な色。
主役は目に隈があるくたびれたおっさん。
冴えないが産婦人科を営んでおり、町内ではそれなりに信頼もある。
おっさんはある日生理が未だに来ないということで診察を受けに来た15歳の少女と出会う。
少女は年齢のわりには幼く、透けるような白い肌をしていて、
唇は小さくぷっくりとしていて、儚さと妙な色気があった。
↑
彼の微妙な変化など気にも留めず、少女はなんのためらいもなく診察台に上がり、足を開く。
数え切れないくらいの患者を診てきて、なおかつここ何年かEDだった彼に異変が起きた。
感づかれてしまう。
が、少女は嫌悪するどころか嘲りと幸福感の入り混じったような笑顔を浮かべた。
生理の来ないある意味永遠の少女であり続けなければならない彼女にとって、男性から性的な目で見られることは、とても愉快であり優越感に浸れることなのだった。
遅すぎる恋と早すぎた色情。
二人の思惑と目的が重なり、少女が祖母と住んでいる屋敷で密会を重ねることとなった。
おっさんは恐ろしいくらいに少女にのめりこんでいき、人生すらも投げ出す勢い。
少女は大人が自分に夢中になることへの快感でどんどん増長していく。
最終的には少女が成長していき、胸も膨らみ毛も生えて生理が来て「女」になった瞬間、
今まで手のうちにあったものが離れていく恐怖で彼にすがり懇願する。
奇妙な恋は終わりを告げた。
そしてまた退屈な日常が始まり、おっさんは新たな少女に恋をする。
よくある話だけど。
よく1000人で人を騙すみたいな ドラマあるけど 現実でやったら 10年後に だまされたことで1生人を信じなくなったやつが しんでもおかしくはない ごめん → 信じない
これはこわい 10才のガキが 18過ぎてから ・・・ 原因を調べたら 10年前の ドッキリ を 謝ってなかった まぁ 小学生役者も 殺人犯
これは怖い TVでプロデューサーの冗談 を 手違いで ドッキリバラスのわすれてた。
そりゃ 人が死ぬ その場合に 出演者全員 共謀罪で 小学生でも 殺人犯
でもそりゃそうだよね。人を騙したら 全員で 謝らなければいけない。 その場でね。 あとであやまっても それも騙したになっちゃう 無関係だから 謝れるチャンスは その場しかない。
これはこわい。
https://anond.hatelabo.jp/20200720004508
unakowa 倍返しドラマで理不尽な上司に逆らえない人がスッとするように、夫に言っても糠に釘でイライラしてる人向けなんだよ。あと自分の観測範囲では家庭内で女の言うことはキレるまで取り合わない男性多いので需要高い
koasdgegokoasdgego スカッとジャパンみたいな一種のポルノでしょ。女のエロ本
hate_flag よくわかんないけど、増田は夫や彼氏が叩かれてるのを見て自分が叩かれてるように感じてつらいのかな?でもそれは君じゃないんだから分けて考えたほうがいいぞ
フィクションとして作られているのなら何も文句はないです。見たい人が見ればいいし、そうでない人は見なければいい。
今流行りの「ポリコレ」のように、創作物は正しくあるべきだなどと主張するつもりも全くない。
でも、エッセイ漫画は違うでしょ?そこで描かれているのは創作物ではなく実在人物だし、役者のように仕事として役割を演じているわけでもない。
夫や彼氏がエッセイの人物として登場することを了承しているのでなければ、誹謗中傷の流布やハラスメントにあたるので大変な問題だ。自分とは関係ない他人だからと切り捨ててよい問題でもない。
パートナーの悪口を言う市場が形成されている現状は、需要があるからといって許されることではない。そう思ったので増田を描いた次第だ。
私(30代半ば、会社員)、妻(2歳年上、元会社員だが寿退社→専業主婦)、長女(6歳)、次女(3歳)
自宅は一戸建てでローンが20年くらい残っている。家計はかなり苦しいらしいけど、妻が財布を握っているからよくわかっていない。
元々私の稼ぎでは子供は持てても一人が限界で、一戸建てを持つつもりもなかった。夫婦でゆったりと互いの趣味を楽しみながら過ごして、もし余裕ができたら子供を一人作ろうと考えていた。
結婚した時は妻もその旨了承してくれたが、一人目をうっかり妊娠してしまうと豹変してしまった。
子供は二人いなければならないと強弁し、こんな賃貸マンションでは子供の教育に悪いとローンで家を建てることにした。
二人目は妻の希望で男の子を作る予定だったが産み分けは上手くいかなかった。私は男女どちらでもいいと考えていたが妻はそうでもなく、産み分けが上手くいかなかったのは夫である私が原因だと怒りをあらわにするようになった。
二人目が生まれてからは私は完全に妻の尻に敷かれるようになってしまった。子供の将来のために貯金しなければと、私の月のこづかいは1万円まで減らされた。私がそのことに文句を言うと、妻は「子供が高校・大学に通えるように今貯金しないでどうするの。私はこづかい0円だ。そんな安月給で文句を言うな」などと怒鳴るので、家計に関しても口出ししづらくなっていった。
こづかいが少ないので職場の飲み会はほとんど断っている(このご時世は飲み会がなくて助かっている)。職場では飲み会代をケチって趣味に金を使う恐妻家の振りした亭主関白だと思われている。単にこづかいが少なくて飲み会に行けないだけだが、あまり自分の家庭事情を詳しく言うと余計みじめになるので、職場では自分のイメージを崩さないようにしている。
妻は絵や文章を書く趣味はないのでエッセイ漫画を描くことはまずないが、もし描いたら私のことを子育てに非協力的なダメ夫として扱うだろうことは間違いない。
ネットでよく目にするんですが、作品を作家そのものの主張だと思う人って多いですよね。
だと思って、作品に書いてあることをその人そのものだと勘違いする人。
作品を批判するはずが、作者を批判してるって場合がめちゃ多い。
役者が悪人を演じると、役者が悪人そのものだと勘違いして取り囲まれたこともある。
金八先生を観た人が、武田鉄矢を金八先生だと勘違いするケースは多かったらしい。
これって、どうしてそういうふうになるんだろう。
脳の作用とかで、そういう勘違いをしてしまうように人間は出来てるのだろうか。
脳科学的に、うまく区別できる人とできない人がいるのだろうか。
教えてえらい人。
コロナの件でフィットネス業界はクラスターが発生して迷惑を掛けた
だからコロナ感染の経緯を把握し業界で細かい指針を出して徹底するようにしている
検温入場、マスク着用強制、レッスンとマシンの間引きや仕切り設置、声だしやハイタッチ禁止、長時間の滞在禁止、ドアと窓の常時解放と換気、消毒液設置と消毒の徹底、混まないよう人数制限、接客のカウンターはビニールで囲い、間隔開けて並ぶようマーキングし、座れないよう椅子は撤去
スタッフはマスクとフェイスガード着用、スタジオのイントラもマスク着用、プールも水中用マスク付けて指導、汗を激しくかくようなレッスンは中止、勿論出勤時の体調管理徹底etc
でも、今経済を回すというのは感染者が紛れても他人に移すリスクを可能な限り減らしてやってきましょって事でしょう
尚且つ利用者には移る危険性を理解して貰った上で、それでも誠意を込めて出来る対策を全部やるというのが最低限の妥協点だと思ってる
勿論再開しないのが一番だけど、それは暴論だ
だからこそ、再開以降今のところなんとかクラスター発生を抑えてる業界の人間からして、患者が居た場合にちゃんと店も公表もしてた業界の人間からして、未だにクラスターを発生させ続け、更には匿名条件にPCR検査受けてる新宿のホスト業界だとか話にならないし
ある意味イントラと似たような立場にある、演劇の、杜撰な対応してクラスター出した劇場と演者の意識の低さには腹立つ
かたや大きい声を出し参加者盛り上げて激しく動くイントラが、息苦しくて見苦しくてもマスクをしてソーシャルディスタンスを保ち、客に苦しくてもマスク外さないで!苦しかったら休んでね!と呼び掛け徹底し、終わった後も客とのコミュニケーション取らずにサヨナラしてるのに
そんな最低限の事すら出来ずに、客の要望のままフェイスガード未使用を放置しソーシャルディスタンスも取らず客を振り払えないからとファンサ、あまつさえ「警備や感染対策など、僕たちなりに努力はしました。でも金ないし~」って…何いってんだこいつは?
客に啓蒙して守らせるのも仕事だし、触れあおうとする客をかわすのもイントラとしての仕事だと叩き込まれてるから、本来それが一番出来なきゃいけないだろう役者が、しかも金すら掛からない部分でも出来る事を全くしてないのに何いってんのとしか思えない
わざわざ断りやすいように出待ち禁止と案内あったそうなのに客が来ちゃうから~と言い訳して触れあうとか問題外
こっちの業界からしたら、それこそファンサありきで客を引きとめて客の金を巻き上げるだけで、その客に対しての上っ面の気遣いだけで本当に払うべきコロナ対策という健康状態への気遣いゼロって、下っぱの演劇界もお水もプロじゃないわ
ポリコレによるものとされるマイノリティ役者の起用はギャランティーの面で起用側にも利点があるのではないか?
今日の感染者数。クラスター発生。ずさんな感染対策。夜の街。感染経路不明。無症状。医療従事者。経済回復。
これで私のメンタルは崩壊して全てが虚無になったお気持ち表明をしたい。
コロナが本格的に広まり始めた3月。私の自粛期間は半年になろうとしている。
ちょうど一年前、色々あり大きい病気をして半年間の入院生活、半年間のリハビリ生活を経てやっと社会復帰できる。と思った矢先だった。
最初は収束のために、感染を抑えるために、ステイホームを徹底していた。病気をしたばっかりだったし、家にまだ赤ん坊の甥と同居しているし、何よりも家族がすごく心配していたからだ。その気持ちはよく分かる。完治したばかりで、また難しい病気にかかりたくない恐怖は私にもあった。
それなりに楽しく過ごしていた。リングフィットアドベンチャーやYouTubeで運動不足を解消したり、無料配信の舞台をみて新しい沼にどっぷり浸かった。
妹も自宅待機になり会社が休みになったので久しぶりに家族と長い時間、家で過ごすことができた。それはそれで楽しかった。
緊急事態宣言が終わり、みんなが少しずつ日常を取り戻そうと動き始めた。この時点でおそらく第二波は来るだろうと予測はできていた。
ただ、他の国と比べたら死者数も感染者数も少なかった日本だから、そこまで深刻にはならないだろうと甘くて見ていたのかもしれない。
そろそろ東京に出て、友人達とご飯食べたり、推しの舞台に行ったり、おしゃれなお店に行ったり、京都に行って刀巡りしたり。
期待が少しずつ膨らむについて、チケット情報を無意識に追っている自分がいた。
しかし、緊急事態宣言解除から約1ヶ月後、東京からクラスターが出た。それからテレビは東京のコロナ話ばかりするようになった。
毎日更新される感染者数。東京ではなく全国で増えていく感染者数。クラスター。感染経路不明。若い世代の割合。無症状。
少し平和ボケしかけた私の脳に緊張が走った。これは駄目だ…しばらく現場は無理だ……。
何度も仕方ない、我慢するしかない。今を乗り越えなければ。みんなに迷惑をかけるわけにはいかない。
そう自分に言い聞かせて耐えてきた。
あるニュースが流れた。舞台役者がコロナに感染。次から次へと感染者が発覚。濃厚接触者は800人と発表。
運営側のずさんな対応。観劇者の感染対策に反する行動。嫌でも毎日テレビやSNSから流れてきた。
私は恐ろしくなった。これは他人事ではないのでは?自分もああなってたかもしれない。知人達もあそこにいたかもしれない。推しの舞台だったら。好きな作品だったら。
今思えばこの時から恐怖に近いものを抱き始めたのかもしれない。でも小さな感情の起伏に気づける余裕は無かった。
SNSで繋がっているフォロワーさんが、自分はちゃんと配慮して東京エンジョイするとつぶやいていた。それが正しいのか、間違っているのかはっきりと答えが出なかった。
お願いだからみんな自粛してくれ。ニュース見たでしょ?毎日更新される数字知ってるでしょ?ねえ、みんなこれ以上はやめよ。
届かない声をずっとSNSを見ながら心の中で叫んでいた。
昨日好きな作品の舞台が初日を迎えた。それについて推しがSNSを更新した。普段滅多に呟かない推しだからものすごく嬉しかった。
ゲネプロから初演に参加した人達の感想が流れてきた。楽しそうだった。無事終わったようで安心した。いいな。
……なんで私は自粛しているんだろう。
長らく耐えてきた我慢は限界を迎えて、行き場のない怒りをぶつけることもできず、気持ちが死んで虚無感に襲われた。
この日、友人達に初めて自分のお気持ち表明をした。そこで初めて私は難癖を付けていると言われた。
そうか、そうなのか。確かに暴論を言ってる自覚はあったけどやめられなかった。
どうして行き場のない怒りを持ってしまったのか。それは自分にしかわからない気持ちによる孤独からなのではないか。
2019年4月に入院して8月に退院した。それから約半年、副作用による痛みに悩みながらもリハビリを頑張ってきた。
今年の2月からやっと身体がまともに動けるようになり、痛みからも完全に解放されて普通の日常を送れるようになった。その後、襲ってきたのはコロナウィルスの恐怖だった。
私は去年から一年半近く自粛生活をしている。たまにお買い物行ったり、外食はするけど、ここ半年は電車にすら乗っていない。車で近場を行くことしかできない。
入院生活で自分を慰めるものとしてTODOリストを作っていた。退院したらやりたいこと。たくさん書いた。それを実行することを楽しみに治療を受けていたのもある。
辛いことがあっても耐えて、耐えて、なるべく弱音を吐かずに、耐えて、耐えて、自由を目指して頑張ってきた。
コロナ疲れの話になる時、よくこう言う人がいる。そうね。みんな我慢している。自分だけじゃない。でも私の我慢はきっとあなた達にはわからない。
病気による苦しみは病気になった人にしかわからない。健康が当たり前な日常を送っている人たちはそれが当たり前じゃないことに気づけない。
健康であることは幸せで恵まれている。身体を大事にして、ちゃんと自分を大事にして。悪くしてからじゃ遅いんだよ。
私も身内に発信してきた。その場では同意を得られるけど、当事者意識になれない人が多かった。これが現実なんだろうなと思った。
だから私の自粛疲れは私にしか分からない。これは誰とも共有できない孤独な気持ちなのだ。
友人達に難癖を言ってしまったことを反省して、自分のメンタルケアの為にもニュースとSNSをしばらく断つことにした。
感情をコントロールできないのであれば、情報を視野に入れることを避けるしかないとアドバイスをもらった。
一晩寝て、少しスッキリした状態で冷静に考えてみたら、入院生活に比べたら全然幸せなのでは?と思えてきたので多分大丈夫な気がしてきた。
でもひとつだけ言わせてもらいたい。