はてなキーワード: 小学一年生とは
次女が小学校に入学してからちょうど一週間が経った。てかまだ一週間しか経ってないのな!!二週間くらい経ったと思ったわ。
保護者が登下校の見守りをするのも、月曜日までだったので、今日はもう下校時にお迎えに出なくてもいいかなぁ~と思ったけど、ちょっと心配だったからやっぱり迎えに出た。
家と学校のちょうど中間地点にある交差点まで、歩いて行った。さすがに今日は、よそのお宅の保護者さんの姿はなかった。
思ったよりも早くに子供達がぞろぞろ歩いている姿が見えてきた。一年生は各方面ごとに班に別れて集団下校のはずが、交差点を左に曲がっていく子達は既に班の体をなしておらず、パラパラと分散していた。
真っ直ぐこっちに来るのがうちの子を含む班の子達だが、遠目に見たらなんか人数が多い?で、近付いてみればやっぱり一人多くて、しかもわんわん泣きながら歩いている。子供達に事情を聞いたところ、その子は迷子で、一緒の班の子達が車でお迎えが来て先に帰っちゃったり、走って帰ると言って先に帰っちゃったりで、一人だけ取り残されてしまったそう。そして、うちの地区の子達が親切にしてくれたので、帰る方向が違うのにそのまま着いて来てしまったそうだ。
その後の事は省略するけど、迷子は無事にお母さんに引き渡すことが出来た。あー疲れた。でも、念のために歩いて次女を迎えに行ってよかった。新一年生だけじゃ迷子をどうにかして助けるのは無理だった。
しかしまあ、小学一年生というのは思った以上に頼りないというか、上級生や保護者の見守りなしで歩かせるのは危険なんだなと思った。私なんかが子供の頃は、行きも帰りも上級生に連れられて歩いたものだけど、今は家庭の事情が様々だということとか、その他にも事情があって、上級生との集団登下校はないのだけど、集団登下校を撤廃したその変りの安全対策のないのは良くないのかもしれない。
go to イートの受付を一人で3、4回担当した。しかもお客様の一人はここぞとばかりに店員と会話をしたい人だったので、正直面倒臭かった。お店が空いている時間帯でも店員が「暇」だとは限らないのだ!
バイト仲間のAさんに「明日、小学校は始業式なんだ」と言ったら、小学校の新学期スタート頃の思い出を聞かせてくれた。
新学期には学校に持っていくものが色々あるわけだけど、小学生時代のAさんは並みの小学生よりも小柄で、重い荷物を持って学校まで歩くのは大変だった。そこでAさんは、通学途中のどこか物陰に荷物を隠して学校へ行き、学校で教師には「忘れました」と言い、帰宅時に隠した荷物を回収して帰る、ということを、やっていたらしい。
そんな裏技? みたいなこと、小学生時代の私はしようと思ったことがないので、驚いた。なお、その裏技? をすれば、朝は間違いなく荷物を持って出たはずなのに、保護者には担任から「忘れ物が多いです」と苦情が来るので、後でめちゃめちゃ叱られることになる。
しかし、それでもAさん的には登校中身軽に動けたほうが、いざ道中に珍しい虫がいたら追いかけて捕獲できるのでよかったのだという。
文章を書く時、頭の中で浮かんでいる支離滅裂な言葉の束が上手く繋がらない。だからいつまでたっても文字数が増えない。小さい頃から、空白の埋まらない日記帳や作文用紙が大嫌い。
小学一年生の時、「休みの日にあった事を書きましょう」と言われた。私は兄と遊んだ時の事を書いた。家の向かいに住んでいた兄の友達も一緒だった。だから作文に「お向かいの亀山(仮)くんも一緒に遊びました。」と書いた。お向かいの亀山(仮)くんって誰だよって笑われた。誰って、お向かいに住んでる亀山(仮)くんだよ。なんで笑われたのか20歳を過ぎた今でも分からない。勿論(仮)なんて作文には付けてない。
幼稚園の頃、幼稚園の授業(?)が終わった後に幼稚園で習字教室があった。見本を見ながら文字を書くだけだった。今は字を書くことが難しいとは思わないが、当時園児の私には地獄の時間だった。私は『の』という字がどうしても書けなかった。でも書いて先生に見せないといけなかった。そこで私は友達『の』が書ける友達に頼んで書いてもらった。その後普通にバレて怒られた。怖かった。先生に怒られることではなく、ただ1人だけ『の』が書けない事が。
次の習字教室がある日、字が書けない事が怖かった私は幼稚園に行きたくないと母親に駄々をこねた。だが、母親は「行きなさい」と取り尽くしまもなかった。絶対に行きたくなかった私は泣き叫び、習字道具を道路にぶちまけた。母親は私の事を引きずって幼稚園に連れていった。習字教室には結局それっきり行った記憶はない。
お題が与えられ、それについて文章を書きなさいと言われた時、全く書く事が無い時はどうすれば良かったんだろうか。全く無いなんて有り得ない、何かある筈だから、なんて言われても本当に何もなかったかのに。作文に嘘を書いたって、分からなければそれで解決するなんてその時は知らなかった。
もし、過去に戻れるなら、『の』が書けなかった私と一緒に『の』を書く練習をしたい、「お向かいの亀山(仮)くん」を笑われた私の作文は笑わず私が聞いてあげる、何も書けない私は私が代わりにテキトーな事書いてやるよ…なんてね…書ける気がせんわ、すまん。
小学一年生の頃、いじめをうけた。まぁ無視されたり指さされて笑われたり帰り道に蹴られたりしたぐらい。
母親に言い出せずどんどん内向的になって、結局祖母にバレて母親が学校へ殴り込み、みたいな感じでモメにモメて引っ越しと転校になったが、
中学生になる際にその小学校の子らと中学が同じになって、当時のクラスメイトたちと再会した。
が、その時僕はいじめられなかった。
僕がいじめられた理由は多分なんかのきっかけで教室内で「いじめてもいいやつ」になってしまったのであって、
特にひどく僕が誰かを傷つけたとか貶めたとかいうことではなかったのだろうなと思う。教師も一緒になって僕を笑い者にしていたので、あの教室内においてそういう係の時期だったのだ。いじめられ係である。
中学で再会した元クラスメイトたちはいじめをする子も残っていればいじめなんてダメだよという子もおり、いじめられる側になっている子もおり(というのは僕の主観だが。毎日挨拶代わりに後頭部を叩かれるのはいじめだと思う。叩き合うならまぁわかるが、一方的に毎日叩かれるのはいじめじゃないか?)、人は変わるもんだなぁというのといじめられるやつってくじびきっぽいなぁと変に関心した。
僕は逃げ出した側だが、逃げなかったいじめられっ子たちは中学3年間いじめられて過ごしていた。クラス替えでいじめられっ子じゃなくなった子もいたが、まぁたいていどこのクラスにも1人か2人、『多少殴ったり罵倒してもいい子』がいて、曖昧に笑ったりしながらすごしていた。
社会に出ても感覚はあまり変わらず、だいたい1グループに1人くらいバカにされたり叩かれたりしてもいい人がいて、率先してそれをやってみせるボス?というか主導者みたいなのがいて、その周りの人は忌避したりしつつも曖昧にそのいじめられ係の人を下に置くので、僕も曖昧に笑ったり、いじめられ係にされそうになったらグループを移動するなりしてのらりくらりやってきた。
幸いコロナでリモートになったので、あんまりそういうシーンを見ず済む生活に移行できており安心していたのだが、インターネットを見ていてもやっぱりいじめられ係は存在するのだなと思う。
現実でのいじめられ係と違って、インターネットのいじめられ係は1ヶ月位で変わる。誰それがいらんことを言ったとか、誰それがあくどいことをしたとかで、ガチの犯罪者(というと変な感じだが)がいじめられ係になるのはあんまりなくて、うっかり失言した人とかが『あいつは前々から最低だった』みたいなテンションでまさに燃え上がるかのようにいじめられ係になる。
いや、失言したのは当人なので、まっとうに怒られるのは怒られるべきだとは思うのだ。ただ、そんな全日本学級委員長選抜東京大会みたいにお説教係が列を為して順繰り同じような説教を送る必要はなかろうし(最初の5人くらいに同じように叱られれば十分ではないか)、全米罵倒チャンピオンカップみたいに侮蔑をぶつけにいかんでもよかろうに。
Clubhouseで小木さんがいじめられ係に着任して物議を醸したりしているが、いじめ係になった人らも幼少時は男子からの失礼な言動やからかいによっていじめられ係を担当していた時期もあるのだろうし、
彼女らが今回やったいじめ(のように僕からは見える振る舞い)は怒られたほうが良いとは思うが、それは別に全インターネットユーザーで囲んで叩くようなことをする必要もない。別に僕も彼女らに対して言うこともない。
僕がいじめられ係だったときはいじめ係を怒らなきゃいけない教師まで一緒くたになってしまったので教師に親が怒りに行く結果になったが、
本当は教師が怒ってストップしてくれればそれでよくて、僕だっていじめ係の子らが学区中の大人から怒られていたら流石に「そこまでひどいことはされてない」とか言い出したと思う。
ただ、いじめられ係に新しく着任した担当者を見つけると「自分はこのいじめられ係に対してはいじめ係です」と表明するためにいじめに加担してみせる必要があると思っている人は結構いるらしく、
新規いじめられ係を見つけやすくなった今の世の中はどこそこでそういう表明が行われている。
いじめを助けるのも大変なので、助けてやれとは思わんものの、いじめ係でもいじめられ係でもありませんとそっぽ向いておいてくれるだけでも、いじめられ係としては少し助かるんだけどなぁと思った金曜の夜でした。
引きこもりや障害者の問題って、親の悩み→兄弟の悩み→孫の悩みと当事者がシフトしてきてんだよな。
60年前の祖父母のクソな決断に俺たちが付き合わさられてるんだ。クソがよ。
俺の場合は伯母(母の妹)が軽度の知的障害で還暦。2歳くらいで分かったらしい。
当事の医者に成人するまで生きられないと言われ、
躾がなってない無邪気な小学一年生って感じだ。
風呂を嫌がる。
記憶力があまりない。低俗バラエティ番組が好き。内容は理解してない。
未だに初代ゲームボーイで遊んでる。
伯母は成人後も祖父母と同居していたが、俺が幼児の頃に父が亡くなり、母1人で子育ては大変だろうと俺達と同居することになった。
俺は擬似きょうだい児として育てられた。母はきょうだい児の優踏生タイプだから受け入れたんだろう。
姉が結婚する時、両家顔合わせの時に伯母を見た相手ご両親に母は「この子(伯母)の面倒は増田(俺)が見ますので」と言った。
まあそうだろうとずっと思ってたけどね。
俺は「伯母って生きてる意味あるわけ?」と素直に思う。
仮に伯母が若い頃に障害者雇用とかで働かせて一人暮らしさせても、自己管理能力がないので40手前で死んでたと思う。
別にそれでええやんけと思うけどな。
なに孫の代まで影響あたえてんだよと思う。
小さい頃から一緒に育てられたせいで、
毎晩、目の前で遺伝子の可能性の1つが汚え飯の食い方して、馬鹿なテレビみて馬鹿なこと言ってるんだ。そりゃそうなるわ。
怖いよ。
知能には関係ないらしけど、もしかしたらやっぱり将来的にそうなるかもしれない。
でも、だからって姉は変わらなかった。
姉は最初からずっと子供が無事に元気に育つことを願ってるんだ。
親ってそういうもんなんだ。
伯母もそうだったんだって分かった。
俺の好きだった祖父母がそうしてたんだよ。
だったらもうやるしかないんだと分かったよ。
めちゃくちゃ恥ずかしいけど外出で外に遊びに連れて行くし、
見てもどうせ分からないし記憶にも残らないんだろうけど、見たいとかいう映画に連れて行く。
怖くて毎回震えるけど、外で美味しいもの食べさせる。
今年のクリスマスは、画面の調子が悪いらしゲームボーイの新しいやつ(中古)をあげるつもりだ。
俺の金がどんどん出ていく。将来はたぶん、もっと。
考えたって分かんねえよ。
祖父母が亡くなり、親もやがて亡くなる。
俺がやればいいだけの話だ。
クソみたいなことだけど、そのクソみたいなことに向き合うだけの力は全部もうもらってたんだ。
俺のこの変な感じの文章も無駄なエネルギーもいつか明るい未来にのどこかにつながるんだ。
そこでは俺も伯母も祖父母も母も死んだ父も笑ってるんだよ。
そういう世界に俺が連れていくんだ。
元増田も今は子供をめちゃくちゃ大事に育てればいいんだよ。まあ、もうやってると思うけど。
それが明るい未来つながるんだ。
「生きるのが向いてなさすぎるから、もう人生やめていいですか?」
というブログを読んで私も書いてみる。
私も生きるのに向いてない。
これを親に言ったことはないけど、小学四年生あたりから手首に包丁を当てたりした。切らなかったけど。
そもそも幼児期から私は引きこもりで、保育園の先生が「みんなでお外に行きましょう」って無理やり外に行かされる理由もわからなかった。冬なんて特にそうだった。なんでみんなこんな寒いのに遊んでいられるんだろうって本気で思ってた。
もうこのあたりからみんなに合わせられる気がしていないし、こんな気持ちのまま生きていくのかって考えたりもしていた。
小学一年生の時に、担任に嫌われた。何かにつけて「悪い見本」として晒されたことが今もトラウマで、人前は苦手だ。
「人の前で発表する」「みんなに合わせる」
これがしんどい。
緊張するのはお前だけじゃない、みたいなことも言われる。そりゃそうだ。だけどこれが「絶望的に苦手な人」と「普通の人」じゃ、かかる労力すら違ってくる。
対人が本当に苦手な人って、雑談するだけでもつらいんだって、この感覚をわかってくれる人がどれだけいるんだろう。
算数が苦手な人がとる「70点」と、苦手でも得意でもない人の「70点」じゃ全然違う。
誰かと会話するたびに、失礼じゃないかとか、なんて返すのが正解なのかとか、頭の中でものすごく考える。帰ってきたらへとへとだ。
だけど世間は苦手とかそういうの関係なしに、それを求めてくる。悪いところを見て人を判断する。そんなのばっかり。何もかも普通の結果が出せない私はどうしたらいいんだろう。
仕事ができない、声が小さい、動きが悪い。
みんな二十歳以上は上の女性ばっかりで、唯一男性の社員まで私の悪口を言っていた。
私は存在感がないから、後ろに立っていても気付かれにくい。私がいるとわかるとぴたっとおしゃべりを止めて、居心地悪そうにしていた奴らのことを今でも嫌っている。
男性社員は子供が生まれたばかりだと言っていたけど、その子供も私のような人間になってしまえばいいと思う。父親がどんな人間だったのか、手紙にして突きつけてみたい。やらないけど。
穏やかなパートさん一人だけが私をいびりもせず面倒を観てくれたので、その人だけは今も感謝している。
二十代が私しかいない上に、全員が三十以上も年上の女性だ。この職場は穏やかで、若いのが私しかいないし、可愛がってくれる。
だけどずっとここにいるわけにもいかない。月収が十万もいかないから、このままじゃ生きていけない。
発達かもしれないって医者に行っても、笑い混じりに「診断書書いてほしいなら書いてあげるよ」ばっかり言われて泣きたくなった。
私は本当に発達障害なのかを診断してもらいたかっただけなのに、ただの「診断書が欲しい人」に思われたらしい。K市の某診療所とだけ言っておく。
その後に別の診療所で測ったIQは、やはり処理速度が異様に低く、言語性と比べると45以上の差があった。
だけど寝込んでいるわけじゃないし、時短だろうが週に三回の出勤はできている。
発達障害だとしても障害年金は望めないだろう。近頃は特に年金が厳しいらしいし。
この先の見通しがない。どうしよう。
子供が小学一年生の男児なんだが、どうやらサンタの真相に感づき始めてる。
一応、話は合わせてくれているが、見ず知らずの老人が無償で玩具をくれるという謎の行動に対して疑いを持ち始めてるのが伝わってくる。
だいたい、サンタからのプレゼントとか言って、社会全体で子供たちを欺(あざむ)くのはいいけど、それだったらバラすときの最適解も用意しとけよ。
各家庭に丸投げしやがって、現場研修とかOJTとか都合のいいことを言って、新入社員の教育を現場に丸投げするタイプの人事部か。
よく『戦争は、始めるよりも終わらせる方が難しい』なんて言うけど、サンタも全く一緒だわ。日本人は先の大戦から何も学んでない。
サンタクロースの設定は「満5歳までの子に〜」みたいな枕詞をつけて時限立法的な制度にしておくべきだったと思うんだよな。そもそものシステム設計に不備があるだろ、これ。
俺はこのあと子供になんて言えばいいの?
「サンタとは、世界の親たちが子供を想う気持ちの概念の象徴であり、概念ゆえに実態があるわけではないんだよ」
とでも言って煙に巻くか?
だいたい、どんな説明をしたとしても、息子から「だからと言って僕を欺いていい理由にはなりませんよね?」って言われたら完全に論破されるわ。
もう俺の能力では対応しきれないから、文科省あたりで事後処理の方針を打ち立ててくれよ。
もしくは、フィンランドとかサンタビジネスでガッポリ儲けてるんだろうから、責任とって後始末にあたれよ。
もうさ、この際、日本はサンタを廃止して天皇からのプレゼントってことにすればいいじゃん。
クリスマスプレゼントって言うのも止めて恩賜(おんし)って呼べばいいって。
辻褄を合わせるために、大日本帝国憲法の4条を復活させて「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬(そうらん)シ……」の「統治権」を、国民の財産までをも掌握する権利と拡大解釈すればいい。
これだったら親から子供に直接プレゼントを渡しても嘘にはならない。これぞ現代版の国体明徴運動や。
なんか最後は、サンタという赤の思想に対する極右思想家の妄言みたいになってしまったが、とにかく俺は子供を騙してきた落とし前のつけ方について真剣に悩んでいるわけよ。
私の父は世界一不器用でだめで、それでも脆いほどに優しい人だと私は知っている。
眼力が強く、冗談も言わない、笑わない、話しかけても会話は返ってこない、それから1度怒ると暴れ出し、弟と私をよく殴った。社会で上手く馴染めず仕事から帰る度に私たちに八つ当たりはザラで
自身の父ながら、父の家族や兄弟に友人、父の昔話や人となりの話も聞かされたことはなく、親父の趣味や好みも年齢もどこ出身であるかも小学六年生になるまで知らない、そんな未知な父親であったように思う。
仕事で家に帰ってくる事が少なく、また学校行事には来た事がない。親子の関係は冷え切っていた。
だが小学六年生のある日、とうとう母親に父親ってどんな人って思い切って聞いてみた。
父親=触れてはいけないもの、と思っていた私としてはかなり思い切った問い掛けである。
「おまえの父さんはな、親に捨てられて学校にも行かせてもらえず、橋の下で生活してた野生児やった」
と今ではありえない、漫画のような事を聞かされた。
最終学歴は中卒だが、厳密に言うと小卒レベルの学力で大人になってしまった子供だった、と母親は物思いに耽りながら答えてくれた。
借金を苦にした実の母親に捨てられ、近所の人に助けてもらうまで
アパートの一室で1人、それから大量のウサギ、犬、ネコ、ニワトリ、虫また、動物の腐乱死体(なぜ動物に囲まれていたかについては謎らしい)と共に糞尿にまみれ、
非常に飢えた状態で救出された後、施設から逃走し橋の下で半ば野生児のように生きたと父親談。
だがその後また施設に保護され、やがて青年になり父親は作業員として働いていた中今の母親と出会う。
母親は当時の親父とデートしてびっくりしたことが、まず服のセンスが壊滅的だったこと、また箸の持ち方やテーブルマナーが人並み以下だったこと、自分の名前すら書けず足し算レベルの計算もできず、学が無いため給料もちょろまかされている、感情の起伏が激しく癇癪をすぐ起こし警察沙汰になる といった親父の境遇と環境に、こいつを人間らしくしなければいけない と母親は強く感じたらしい。
いままで学と無縁だった親父の躾に苦労しながら、なんとか識字や計算、一般常識を覚えさせる事ができた所で、私が生まれたとの事。
私が産まれた時、滅多に泣かない(感情が乏しい)親父が泣いて私を抱き上げたのだ、と母親に聞かされた時、あの親父があの親父が泣いて喜んだのか、とかなりショックを受けた事を思い出す。
懸命に親父が母親のスパルタ指導で様々な事を覚える中、どうしても親父が理解できなかったものがある。
いままで誰にも愛されたことも無く、実の親に育てられず、人を愛せたことも無い人間であったため、私が生まれて嬉しいことは嬉しいがどう愛していいかが分からないままであったとのこと。
小さい赤子を触れることさえも怖くなり、ある日とうとう赤子の私を床に落としてしまった事から、私が小学生になるまで私に触れることも話すことも、関わることもできなくなったのではないか と母親が打ち明けてくれた事で、いままでの親父の素っ気なさと距離に対する違和感が繋がったような気がした。
親父の社会に馴染めなさ、おぼつかない字の書き方、下手な話し方、魚を食べるのが下手なところ、情緒不安定なところ、すぐ殴るところ 全てが親父の生い立ちに起因するもので、それらは未だに勉強中であるものだと分かった瞬間、親父にもっと関わろうと思えたのだ。
ある日親父に授業参観きてよ、って言うと親父の元々大きい眼が更に開き、びっくりしたように「行ってもええんか」と呟いた。
授業参観の日、仕事抜け出して泥だらけの作業着で見に来てくれた時は泣きそうになった。おやじも照れてて泣きそうになってた。
元々絵が得意な私に、普段の拙い落書きでも絵で賞を取っても「お父さん才能ないからなぁ、おまえ凄いな」と手放しで褒めてくれたこと。
繰り返していた自殺未遂と、シンナー吸引をやめて前向きになってくれたこと
「おまえ、これ好きやろ」と、好きな漫画のキャラが使う武器を木材で本物同様に作ってくれたこと。(親父は不器用だが、手先や工作に関しては神がかり)
「寒いやろ」と手袋を無けなしの小遣いで買ってくれたが、もう中学生なのにどれみちゃんの小さくダサい手袋を買ってきたこと、
夏休みの工作を手伝ってくれるが、完成度が高すぎて親父が作ったという事がバレバレなこと、
私が生まれてからも勉学でかなりつまづいていたが、とうとう一級建築士の資格を取得できるまでに努力してきたこと、
子供の私達にはしつけを厳しくしてくれたこと、またどんな人にも優しくするようにおしえてくれたこと、
冗談が言えるようになり、人付き合いも上手く行き部下に慕われるようになったこと、
箸の使い方も魚の食べ方も綺麗になったこと、穏やかになったこと
私が大学に行き、一人暮らしすることになった時、涙を堪えようとするけど鼻水垂らしながら号泣して見送ってくれたこと、
バイクの修理まで手伝ってくれること、
あの頃歩み寄って親父の事を聞いてよかったなって思います。
あの頃逃げてばっかだったおやじも、私と向き合ってくれたからここまで分かり合えたのかなっておもう。
たまにバカで雑でアホだけど、努力してきた親父は不器用だけど世界一優しいと私は知っている。
大学・大学院とのんびりと生きてきた。その後シンクタンクに就職したが出来ない仕事を振られ精神的に摩耗し精神病を発症。
最終的に復職できずそのまま解雇され、実家から離れた遠い東京砂漠の片隅で親の経済的支援と公的保障で何とか一人暮らししながら食いつないでいる(無職)。
結局自分は失敗作だったんだなと。誰の期待にも応えられていない。親に経済的負担ばかりかけている。
『月刊少年ガンガンJOKER』を近所の本屋で買うという禁忌を犯したし、もうだめです。
2月下旬から在宅勤務となり、子供の入学式はやったものの次の日から緊急事態宣言。テレカン会議がめっちゃ発生してて作業時間が全然取れないし、子供は奥さんに任せっきり。子供と物凄く近くにいるのに会話する機会ももてない。
これいつまで続くんだろう。金銭的には今んトコ問題なさそうなのだけど、奥さんと子供のストレス半端ない。
子供連れて公園に行くと「近所から苦情が来るのでー」と帰らされるとのこと。散歩しかないのかな。しかも人がいないところへ。子供の行き先がない。
ご飯の用意くらい自分がしようと頑張ってるけどできない日もあり、宅配でもレトルトでも活用しようと思っても休業中・買い占めでうまくいかない事も多い。
小学一年生の子供の口から、コロナのせいで!ていうセリフが出てきて驚愕した。
生活に困窮している訳ではないので恵まれた方なのではと思っているけど、ストレスは元の状態から見て相対的にかかるものだと思うので多分全員が全員同じレベルのストレスを抱えているのだと思う。
なんかここ一年ものすごいこと起こりすぎだよなー。これから毎年の様に同じようなことが起きるとしたら俺は子供をこの時代に産み落とした事が過ちだったのではないかとすら思えてくる。
なんか笑かしてくれよ。ストレス発散させてくれよ。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 54 | 9872 | 182.8 | 54 |
01 | 37 | 3628 | 98.1 | 39 |
02 | 32 | 5449 | 170.3 | 47.5 |
03 | 13 | 1564 | 120.3 | 79 |
04 | 14 | 4300 | 307.1 | 120 |
05 | 28 | 1820 | 65.0 | 49 |
06 | 16 | 981 | 61.3 | 29.5 |
07 | 36 | 2460 | 68.3 | 44 |
08 | 97 | 8920 | 92.0 | 52 |
09 | 148 | 11281 | 76.2 | 46 |
10 | 132 | 11957 | 90.6 | 43 |
11 | 115 | 13758 | 119.6 | 42 |
12 | 197 | 14017 | 71.2 | 31 |
13 | 157 | 12592 | 80.2 | 44 |
14 | 141 | 10225 | 72.5 | 41 |
15 | 96 | 6994 | 72.9 | 29 |
16 | 120 | 7002 | 58.4 | 41 |
17 | 123 | 8677 | 70.5 | 44 |
18 | 143 | 12861 | 89.9 | 40 |
19 | 111 | 10000 | 90.1 | 39 |
20 | 113 | 9303 | 82.3 | 38 |
21 | 119 | 10481 | 88.1 | 35 |
22 | 111 | 11269 | 101.5 | 31 |
23 | 82 | 10795 | 131.6 | 50 |
1日 | 2235 | 200206 | 89.6 | 40 |
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小学一年生の頃から2歳上の姉に虐待されてた。毎日のように叩いたりつねられたり蹴られたりして、サンドバッグ同然の扱いだった。姉は幼い頃からいつもニコニコして、大人からも子供からも好かれる明るい性格だった。バスケ部に入っていて、友達も多く、クラスの中心にいた。一方で、ひどい癇癪持ちで、自分が気に入らないことがあると暴言を吐きながら壁を蹴って穴を開けたり、物を投げつけて壊したりする子供だった。妹に暴力をふるうときは決まって二段ベッドで仕切った子供部屋か親が見ていない時にやっていた。暴力の理由はいつもくだらないものだった。字の書き方を真似した。母がお下がりに私に与えた服を見て、勝手に自分の服を着た。顔がむかつく。いつも嘘泣きをする。やめてって言ったのに泣きながら謝ったのに、お腹を蹴られた。痛かった。辛かった。いつも死にたかった。死んでやってこいつがいかに酷い人間かみんなに分からせてやりたかった。泣いても叫んでも、仕事中の母に電話しても、笑われただけだった。帰ってきたら父と二人で笑いものにされた。いじめられるからいつも泣いていた。姉は嘘泣きするな!と激昴してもっと叩いた。母は最初のうちは姉を注意していたが、その内いつまでも泣いている妹にいらいらしていた。母はふざけて私を泣き虫星人と呼んだ。すぐ泣く星人は、泣き虫星に帰れ!いつの間にか、親が家にいないときは泣かないようになった。誰も助けてくれないのに泣くのは意味がなかった。自然とそうなった。親がいる時にしか叫ばなくなった。姉はますます嘘泣きだと言って怒った。買ってもらったばかりのきれいな勉強机にマニキュアで死ねと書かれたことがいちばん悲しかった。姉を殺したかった。どうやったら姉に復讐できるか考えていた。それ以来、辛いことはすぐ忘れてしまうようになった。小学三年生の頃には私がクラスの男子を虐めるようになった。クラスの中心にいる男女6人くらいの仲の良いグループで一緒に、みんなから嫌われている不潔な男子を虐めるのは最高に楽しかった。楽しさには2つ理由があった。第一に、純粋に暴力が楽しい。第二に、クラスの嫌われ者を、人気者たちと協力してやっつけることが楽しかった。私は自分が虐められていたことなんてすぐに忘れて、数か月虐めに熱中した。先生に怒られても平気だった。みんなで一緒に先生から怒られて、この遊びもそろそろ飽きたし普通に遊ぶか!wってすんなりやめた。ここまでの記憶を小学生の頃の日記を見て思い出した。マジでお育ちがゴミ底辺すぎて笑った。今でも悲しい気持ちは思い出せるし、楽しくて狂った気持ちも思い出せる。いじめとか虐待関係なく思うのは、自分以外の人間に期待しても無駄。あいつらに何言ったって分かるわけねえんだよな。人を頼ったって自分が痛い目にあうだけ。お前の気持ちなんぞ誰も知ったこっちゃねえんだ。死ね。