はてなキーワード: 出作とは
世の中には、人との距離感がおかしい人がいる。「馴れ馴れしい性格」と言えばそれで終了だが、状況によっては被害者にとって脅威となる。
ママ友関係や同人誌界隈など幅広く奴らは存在するが、今回の話はアート界隈だ。いわゆるギャラリーストーカーである。私はアートイベントで被害に遭ったため、ギャラリーとは少し違うのだが。
大きな被害にまでは至らず無事解決したので、今回は被害の内容とギャラリーストーカーのような「距離無しおじさん」の心理について考察したいと思う。(ちなみに女性の距離無しもいるが、今回の該当者は男性のため、“おじさん”の表記でいく)
まず、知り合ったきっかけと被害内容をここで簡単に説明しておく。
知り合った経緯は、関西でバンドをやっている知人Aから「僕のお客さんで君のことを気にいってる人がいて、アートイベントに行きたいと言っていた」と連絡がきたところから。他人を使って回りくどく伝えずに、直接SNSなどでコメントすれば良いのにとは思ったが、そのときはまぁそんな人もいるだろう、と私も特に気にしていなかった。
そしてアートイベント当日、奴は現れたのだ。まずその人が60代の男性だったことが衝撃的だった。おじさんどころか若干おじいさんである。被害内容(というほどでもないかもしれないが)は下記の通り。
・ブース内で2時間以上の長話。作品には一切触れず、自分語りばかり。基本的な会話のキャッチボールができない。
・ブースに他の人が来たら譲る素振りは見せるものの、私がその人の対応をしている間、ずっとブース前で終わるのを待っている。(普通は、他の人が来たら話を切り上げて他のブースを見に行く)
・知人Aを含めての食事に誘われる。(まぁ複数人での食事ならいずれは・・・と当初は私も思っていた。)
・SNSでは私のことを一切フォローせずに私の投稿を見ているらしい。
念の為言っておくが、この日が完全に初対面である。SNSなどでの事前のやり取りも全く無い。ただ、この時点では少し違和感はありつつも、言葉は丁寧だし下品なことは言わないし、私のSNSだけでなくブログやYouTubeまでチェックしてくれているとのことで、熱心なファンに出会えたなぁとのんきに思っていた。
その後、facebookで友達申請が来たので承認したが、メッセージも挨拶と御礼だけであっさり終わる。特にしつこいとは思わなかった。
そして、2回目に会ったのは前回から半年後に開催された同じアートイベント。相手は仕事の都合で閉場1時間半前に現れた。被害内容は下記の通り。
・今回は作品について少し触れてきたが、ズレている。私の作品をスマホで撮っていく人を見て「この作品の何が良いのかわからない」「キャプションの文字が見にくい」など。
・「原画だけでなく画集も売ったら?」「原画は売れると寂しいから複写作ったら?」などと余計なアドバイス。
・そして今回も何も買わない。
・「住んでいる場所は、〇〇市の何区?」と絞り込んだ質問をしてくる。
・頼んでもいないのに搬出作業を手伝ってくる。
・また食事の誘いをしてきて、「Aさんにも連絡しておきますね」と返すと、「いや、Aはいなくて良い」と言い出す。「(私)さんの友達を誘ってよ」「無理なら二人で」と言ってくる。
2回目の時点で距離を詰めまくってきているのがわかるだろうか。食事の件はあまりに突然すぎて、私はYESもNOも言わずスルーするのが精一杯だった。
このイベント前日辺りから、おっさんからの長文メッセージ連投が始まる。下記の画像を見てほしい。(後ほど要約するので、文章は無理して読まなくても良い。)
https://tadaup.jp/loda/0626191420822787.jpg
https://tadaup.jp/loda/0626191936127788.jpg
・「次に東京に来たときは、ドライブに付き合ってくれ」と誘ってくる
・イベント出展費用について書いた私のブログを読んで、「じつは気になってる作品があるんです」「僕が作品を買ったら最終的に(私)さんのところに作品が戻るよう手配します」と匂わせ。でも最終的には「あと半年ほど熟考します」「このことは誰にも言わないで!」
・「作品を買う前に気になっていたことを実行します」←後ほど判明するが、ネットで販売している3000円程度のグッズを買う遠回しな匂わせ。でも結局買わない。
・「僕は何でも先に自分で値をつけます」という上から目線な発言
・「(私)さんの作品にインスパイアされる夢を見た気がします」といった迷言
創作や物販経験の長い方ならわかると思うが、買うことを匂わせる人はほぼ買わないという法則がある。本当に買う気がある人は何も言わずに買い、せいぜい購入報告をする程度。今回もその法則は裏切らなかった。
こういった距離無しおじさんは、お気に入りの女性に構ってほしいだけなのだ。そして悪気なく失礼な発言をし、嫌われていく。
この匂わせをされた時点で、「気持ち悪い」という感情で私の心は埋め尽くされた。
https://tadaup.jp/loda/0626192140712152.jpg
遠回しだと思う方もいるかもしれないが、私の精一杯の抵抗である。「買う側が値を付けるなど言語道断」「あなたがやっていることはハラスメント」「作家目当てで作品を買うものではない」ということを伝えたつもりだ。
しかし、上記画像でわかる通り彼には全く伝わっていなかった。「各種ハラスメントとは無縁と思ってくださいね」と自信満々のお返事。そして、「手元に置いて、たまに作家さんに対するお想いも込みでながめるもよし、購入はするが引き取らずに展覧会で会うことを楽しむもよし」と、作品を買う前から妄想をするおじさん。キツイ。せめて買ってから言え。
ここから私はリアクションすらせず、メッセージを完全に無視。彼からも追いメッセージはなく静かに過ごしていた。
すると、4日後にまた頼んでもいないお仕事報告(写真付き)が届いた。「メッセージハラスメントですかね、これは」と本人も何か感じ取っている様子。
もうはっきり言った方が早いと思った私は、下記画像のように返信した。
https://tadaup.jp/loda/0626192340139863.jpg
もう読むのも疲れてくるが、彼は言い訳までも自分語りなのだ。ここまで来るともうすごい。60代の所業とは思えない。
そしてまたもや失礼な発言。
>スーパーのレジ打ちの女性や、バスを運転する女性、理学療法士や調理をする方々といわゆるアーティストと呼ばれる方々を等しく見ている
もうね・・・ズレすぎてる。スーパーの店員やバスの運転手であっても、初手から二人きりの食事に誘うのは失礼である。信頼関係が築けていないうちに誘うのは、ただのナンパだ。そして、対象が女性であることを強調している点も気持ち悪い。
さらに、
>自分にとっての価値というものを考え、金銭に置き換えてみるという行為はカット野菜からマンションに至るまで生きている以上止めない
彼は野菜と著作物を同列に見ているようだ。オークションなら例外だが、著作物は基本的に制作側の言い値で買うのがルール。本やCDだって小売り店が勝手に安売りはできない。そんなことも知らないのだろうか?たとえ自分で値を付けるにしても、わざわざそれを作家に言うな。
「勉強になりました」と言っている様子は一見謙虚に見えるが、彼の年齢からみても恐らくこれが初めてではないだろうし、反省もしていないように思う。
前項のメッセージを最後に、今のところ彼からのアクションはない。これで無事解決と見て良いだろう。今回は、私が早めに牽制できたのと、相手が逆ギレするタイプではなかったのが幸いだった。私はおじさんに「何が不満なのか」ということを懇切丁寧に説明したが、返信を見る限り何も伝わっていないようなので、説教をしたところで無駄だということを皆さんには知っておいてほしい。
距離無しおじさんは人付き合いの段階を踏むことができず、自分が気に入った女性を一方的に友達と判断する。「僕が相手を好きなのだから、相手も僕のことが好きだろう」と考えている。
そして、相手の話を聞かず、自分の思いだけをひたすら話すことが相手を不快にさせることを知らない。まるで5歳くらいの子どものようだ。子どもなら誰しもが自分の話をするのに夢中になるが、それは年齢とともに落ち着いてくる。60代にもなってこれでは只々悲惨である。
そして、距離無しおじさんはとにかく孤独だ。孤独が故、一人の作家に強烈に執着する。
そして食事も可能な限り二人きりを望む。なぜなら、複数人だと自分中心の話ができなくなるからだ。距離無しおじさんは、人の話など聞く気は一切ないのだ。
また、距離無しおじさんは作家に執着している自分を周囲に隠したがる。今回の事件の彼も、何かと他言しないように念を押してきた。私の投稿を熱心に見るわりに、フォローやコメントはしてこなかった。なぜ隠したがるのかは正直最後までわからなかった。この点は検証が必要そうである。
また、私の経験則にはなるが、この“自他境界が曖昧”な距離無しおじさんは、顔が整っていたり服装に気を使っている人が多い。漫画によくあるデブで脂ぎった不潔なおじさんではなく、昔はモテたのだろうと感じさせる人ばかりだった。(※あくまでも私の経験談です。)
つまり、自分が若い頃は許されていた距離無し行動が、年を取るにつれて通用しなくなってきた結果なのだと思う。(あとターゲット女性の年齢層が若いままで止まっている点も問題。)
「食事に誘うだけでストーカー?」「嫌なら断れば良い」と距離無しおじさんは言う。だが、考えてみてほしい。最初から作品に興味がないことがバレバレで、話していても楽しくない、上から目線のアドバイスをしてくる鬱陶しい人が二人きりの食事に誘ってきたら「あ、この人は私に構ってもらいたいだけだ」と確信するのみ。それが作家にとっては極めて不快なのだ。
どれだけ自分の作品の知名度が低くても、距離無しおじさんはろくな客ではないので、さっさと見切りをつけるべきだ。直接会って話すとなかなか断れないと思うので、メッセージではっきりと断るのが良いと思う。今回の記事が断り方の参考になれば嬉しい。
2015年にギャラリーストーカーがツイッターで話題になったとき、たくさんの人が共感や対策など思い思いにツイートしていたが、その中には「純粋にアートを楽しんでいる人の足が遠のいてしまうのでは?」と懸念を投げかけている人もいた。なので、私もここでギャラリーストーカーかどうかの判断基準を書いておきたいと思う。
まず先に言っておくが、掲題のような不安を持っている人はギャラリーストーカーではないと思う。なぜなら、ギャラリーストーカーは自覚がないからだ。無意識に行動し、相手に嫌われて表面上は謝りつつも、結局自分の考えを曲げず行動を直さない。そして同じことを繰り返す。
また、今回の事件は食事やドライブに誘うところが不快だという点を強調したが、私の考えとしては食事に誘うのは別に構わない。だが、それはお互いが十分な信頼関係を築けていることが前提だ。特に、自分と話していて楽しいと相手に思ってもらうことが重要だ。具体的には、
といった感じだ。ある程度信頼してくれていれば、相手もそれなりに中身のある話をしてくれる。まぁ普通の人なら感覚でわかると思うが・・・距離無しおじさんはそこが気付けないんだろうなぁ。
そもそも、相手は仕事をしているのであって、色恋を求めているわけではない。ギャラリーだけでなくコンビニやバス車内であっても、店員対客の関係から二人でご飯に行くには、かなり難しいということを念頭に置いてほしい。(ほとんどの人が理解してるだろうけど。)
こんなリアルなメッセージのやり取りを公開するのは勇気がいりましたが、言葉で表現しがたい雰囲気を少しでも読者に伝えるため、メッセージのスクショをあげさせていただきました。
ギャラリーストーカーは、なかなか公表できないのが現実です。下手したら作家自身のイメージ低下にも繋がりますからね。ネットでもギャラリーストーカーのエピソードを書いた記事はすごく少ないです。
しかし、皆さんに「距離無しおじさんの心理」を少しでも知っていただきたいという気持ちと、自分の経験談を話すことで少しでも対策の参考になればと思い、はてな匿名ダイアリーで書かせていただきました。
見苦しい箇所もあったと思いますが、最後までお読みくださりありがとうございます。
増田に足りないのは、何がなんでも2人の思い出を作ってやる!!っていう気合と熱意
海は来月、再来月に行けば良いし、
ディズニーは秋頃に行けば良い
旅行や食べ歩きも行きたい時に行けば良いだろ
30歳でできた彼氏と1年付き合って、この夏から同棲が決まった。
お互い収入や生活面、性格や価値観も合うし距離感も測れるタイプ、お互いの実家に挨拶もしたけど毒親感もないし、そんなに干渉しない割に常識的な感じで、とんとん拍子とはこのことか。と思う。
彼氏の方が結婚願望と子どもへの願望が強く、私と出会って交際が始まってから仕事にも精を出してくれるし、早く帰ってきて家事掃除もしてくれる。
外見も私の好みだし、相手もそう思ってくれてるみたい。なんの不満もない状態。
2年後には子どもをひとり授かれるような金銭と仕事の体制にしようね、と彼氏の方から具体的に色々提案してもらえてる。
体のことだから私も真剣に考えないといけないのに、彼氏の方がスケジュール切ってブライダルチェックとか、産後どうしたらいいかとか、調べたり本読んだり本当に熱心。
増田ちゃんが辛くない状態を絶対に作って、自分ができることは限界までやりたいと言われた時は、私は本当に幸せ者だと思った。
社会人で休みが合わない、お互い自営業なのもあって結構忙しいカップル。
30歳の大人が何言ってるのって感じだけど、ディズニーランドとか、海とか、旅行とか、食べ歩きとかしたい。今の彼氏と。
私が作ったご飯を幸せそうに食べてくれる、髪を乾かしてキスしてセックスして、明日も頑張ろうねって眠る。
月に一度くらい休み合わせようか、って過ごしてるけど1日の休みでできることといえば、たっぷり寝てから近場に出かけて帰ってくるくらい。
熟年夫婦か、って二人で笑って、来月こそ、なんて言ってる。毎月。
私は元彼が仕事関係の人で、24歳で自営業になったからその人ともまともに思い出が作れずに別れて20代が終わったタイプ。
彼氏は元カノとは20代らしい思い出を作ってたタイプ。旅行とか、クリスマスとか、花火大会とか?
お金とかは30代で真剣に考えればいいし、今を楽しむことを最優先して恋愛できたのかなって思う。
質実剛健、仕事人間、女盛りを仕事に捧げちゃったせいで、今更そういう経験していた彼氏と元カノが羨ましくなっちゃった。
実際は結婚や出産、生活を支えてくれて共にしてくれる方がこの先遥かに幸せなことも、恵まれてることもわかってる。
こういう子どもっぽいいじけた感情も伝えるの難しくて、大人なんだし、2年後に授かるかもしれない子どもの事最優先だよね、と言い聞かせてるけどこれもいつか不満になりそうで怖い。
人間ってどこまでも貪欲で嫌になる。2年後に子どもが出来たら50歳までは一旦自分の人生の優先度下げないとな。
全部がうまくいくなんて思ってないけど、あと2年、恋人期間を充実させられたらいいな。
幼少の頃、俺には親友がいた。
俺が通っていた幼稚園にそいつは転入して来た。俺たちはすぐに仲良くなった。
未熟児で早生まれだった俺は人一倍体が小さく、何をするにも周りに遅れを取っていた。いじめられることも多かった。
そいつはそんな俺にいつも付き合ってくれた。何をするにも二人一緒だった。
一緒に行った入学式。校門で一緒に写真を取り、二人でドキドキして列に並び、名簿を見た。
俺たちは同じクラスだった。
放課後は補助輪の取れたばかりの自転車を漕いで、お互いの家を行き来した。
家に遊びに行く前には必ず電話をした。
当時は携帯電話も無かった時代だ。きっと電話の前で待っていたのだろう。
「今から行っていい?」「いいよ、早く来てね!」
社宅の庭で、よくボール投げをした。縄跳びをした。鬼ごっこをした。かくれんぼをした。
夏休み、一緒ドラゴンボールの映画に行った。二人で特典のジャンボカードダスを片手に、20円のカードダスを回した。
ある時、そいつの家で、そいつの兄が持っていたドラクエ2をやった。
まだ小学校2年生になったかならないかの頃だ。あの難しいゲームを進められるわけがない。
どうすればいいかわからなくて困っていた時、なんとなく俺が言った一言。
「その緑のやつ話しかけたら仲間になるんじゃない?」
知っていたわけじゃない。ただの偶然だ。
でもその緑のやつ、クッキーという名のサマルトリアの王子は本当に仲間になった。
「すげー!」「なんでわかったの?!」
俺は仲間になったこと、役に立てたことが嬉しくて泣いてしまった。
2年生の夏を過ぎた頃、残念そうな顔をした親から告げられた。
そいつが転校するということを。行き先は海外だということを。帰ってくるのは6年後だということを。
俺は泣いた。嫌だと喚いた。7歳の子供にとって、6年は永遠に近い時間に感じられた。
俺とそいつは手をつないで館内を回った。楽しかった。もうすぐ会えなくなるなんて信じられなかった。
船の舵の前で、2人で一緒に写真を取った。それは宝物になった。
3月になり、ついに別れの日が訪れた。
初めて乗る始発の電車。ガラガラの席に2人並んで、いつもと変わらない話をした。
どうか着かないで欲しいと願いながら、やっぱり行かないと言って欲しいと願いながら。
そんな子供の願いは当然叶うことはなく、電車はすぐに終着駅に着いた。
「バイバイ」「手紙書いてね」「6年後絶対会おうね」「約束だよ」
5年生の頃だ。
俺には障害のある伯母がいる。障害は軽度ではあるが、少し言葉が不自由だ。
クラスメイトが、その伯母の口真似をしだした。
俺は子供ながらに、これは絶対に許してはいけないことだ。人として怒らなければいけないことだ、そう思った。
そして口真似をされたら、瞬間湯沸かし器のように怒り、殴りかかった。
当時の俺は学年で一番体が小さく、力も弱かった。
殴りかかられても怖くもなんともなかったのだろう。皆面白がって伯母の口真似をするようになった。
その度に俺は泣き、顔を真っ赤にしてそれを言ってきたやつらを追いかけた。
親には言えなかった。泣いて帰って来ても、「チビと言われた」と嘘をついた。
その時自分を庇い、寄り添ってくれるような友人は一人もいなかった。
俺は思った。そいつが、親友がいればこんな辛い思いはしなかったはずだ。
泣いている俺に寄り添ってくれたはずだ。皆に止めろと言ってくれたはずだ。
俺はそのシールを、当時自分にとって一番大切なものだったスーファミの本体に貼った。
なんて返事をしたかは覚えていない。
時は過ぎ、中学2年生になった。
あの別れから6年後。ついにそいつが帰ってきた。同じ学区内。同じ中学校だ。
その頃はもう周りも悪いことだと気づいていたのだろう、伯母の口真似をされることはなくなっていたが、
鬱屈とした気持ちが収まることはなく、人から向けられる悪意に敏感な人間になっていた。
俺は早く親友と会いたかった。親友と再会すれば、きっと俺の味方になってくれる。
始業式の日、ドキドキしながら学校に向かい、クラス分けの名簿を見た。そいつと同じクラスだった。
教師からの紹介が終わり、下校の時刻になった。俺はそいつのところに行った。
俺たちは手を取りあって6年ぶりの再会を喜んだ。
どんな音楽を聴いていたのかを知らない、どの野球チームが好きだったのかを知らない。
そいつが誰と仲が良かったのかも知らない。いや、どうしても思い出せないんだ。
そいつは昔とは変わっていた。カッコつけたがりで、帰国子女であることを鼻にかけ、
スクールカースト上位グループに絡みたがるような痛々しいやつになっていた。
そいつは部活も同じテニス部に入った。俺がいるから入ったと、初めにそう聞いたような気がする。
俺は部活に熱心では無かったが、それでも何回も一緒に練習しているはずだ。
一緒に他校に試合に行っているはずだ。一緒に合宿に行っているはずだ。
でも俺にそいつと話した記憶は、笑いあった記憶は、共に時間を過ごした記憶は、一つも残っていない。
何故そうなってしまったのか。拒絶したのはどちらだったのか。
俺は当時、歩み寄らなかったのはそいつだと思っていた。自分の気持ちはあの頃から変わっていないと思っていた。
でも本当は拒絶したのは俺だったのかもしれない。変わってしまったのは俺だったのかもしれない。
いけ好かないやつになってしまった、そう思うことで自分のプライドを守っていたのかもしれない。
俺の部屋の、そいつから貰ったシールが貼られたスーファミは、その頃にはもうプレステに代わっていた。
つい先日の話だ。登録しただけで何も書いていないFacebookに気まぐれにログインした。
ドラクエVをやって、隠し部屋のヘンリーを見つけて、「あいつ仲間になるんじゃない?」って言い合って、
そして人生で一番辛かったときに、そばにいてほしかった。俺を救って欲しかった。
そうして育んだ絆の上になら、きっと「それ以降」が続いたはずなんだ。
今でもドラクエで誰かが仲間になった時の音楽を聴くと、少し涙が出そうになる。
「あの緑のやつ、話しかけたら仲間になるんじゃない?」「すげー!」「なんでわかったの?!」
俺には幼少の頃、親友がいたんだ。
バリバリに盤面上で殴り合って、殴り合っていく中でなにかに気づいて、それを戦場からの帰り道にふと語り合って、気づいたらその帰り道が次の戦場に向かうレールになってる。
とにかく戦いの中に青春の大部分が有るじゃん。
愛も恋も、全部戦いの中で産まれてるじゃん。
最高のライバルだったから好きになって、最高の仲間だったら恋をして、そういう奴らばっかり。
恋愛から始まってるキャラもいるけど、皆戦いの中に巻き込まれて、戦いの中で恋を深めてってる。
ずっとずっと戦ってるよこの漫画。
恋が動くとき、いつもそれは戦いの中で形を実らせてるよ。
好きな人に伝えたい気持ちがあるから強くなって、伝えられた気持ちを受け止めきれなくて弱くなって、そこから一周りして戻ってきてまた強くなる。
ずっとずっと、どうやったら強くなれるかしか描いてないとさえ言っていい。
それぞれの目指す強さの中に、思い出作りだとか人生だとかないまぜになってるんだ。
俺の歌を聞けって思いの積み重ねが、歌人として強くなろうっていう気持ちになって、そうして産まれた強さが人生の解像度を変えてきた奴らの足跡なんだよ。
強くなりたいって気持ちが、もっとちゃんと自分らしく生きたいって気持ちを生み出し続けるんだ。
これって少女漫画なのか?
幸せな恋をしたり、甘酸っぱい気持ちになったり、そういう話なんて脇道としてしか扱われてないだろ。
強くなって強くなって、強い人の見ている景色を強い相手と向かい合いながら一緒に見たいって話じゃん。
セックスしたい相手ときれいな夜景を見ながら素敵なデートを目指してないじゃん。
殴り合いたい相手と同じリングの上で最高のパンチを叩き込み合って認め合おうって話じゃん。
これ本当に少女漫画なのか?
・「コンビニどこですか? ええっ!!!?ないの!!?車で30分!!?ひぇ〜!!この辺の人どうやって暮らしてるんですか?」
「次のバスって、…ええ!3時間後!?」みたいのも同様。こっちから言わせれば歩いて1分以内に3件も4件もコンビニあるのが異常にみえます。
・逆に「え?クレジットカード使えるんですか!?お〜、すごいですねえ」って舐めてんのか。
・「はい、じゃあ一万円から。……あ、割引券もらったのよ〜はいこれ。………あ、ちょっと待って、15円あげます。小銭減らしちゃおっと。」
いやさあ。別にいいけどさあ。15円、出してもいいよ。いいけど、別に頼んでないし嬉しくないから。あげます、じゃなくて、すみません出させてくださいませって言ってほしいね。こういう人、だいたい客が並んでて忙しいときにだけ現れるの。
「あなた達ねえ!こんなに観光客集めて!密ですよ!これはねえ!感染爆発しますからね!これは県に報告しますからね!」
って怒鳴られてもなあ。入場制限してるし他の皆さんは怒鳴ったりしてないんですけどね。
・「〇〇県から来たんですけどね、PCR検査してましたんで!大丈夫ですから!2週間前に、陰性って言われましたから!」って何アピールだよ別に言わなくてもいいよ意味ないし。
ほんとコロナでやばい。維持費にぎりぎりプラスかどうか。休業した方が感染拡大防止になるんだろうけど、そこまで頼れる補償もない。あとさ、うちは一応この辺の観光の目玉っぽいポジションにいると自負してるので、休業は周辺の商業施設にも影響するんだよね。簡単に「儲からないし人来てほしくないから休みまーす」ともできない。
あとさ、「五十年ぶりに、新婚旅行以来に来ました。変わらずきれいですね。最後に(最期?)来れてよかったです」なんて話を聞くとさ、ああ、この人きたときに、閉めてなくてよかったなって。
やっぱいろんな人がいいろんな事情があるからさ、一概に旅行だめとか観光に来るなとか、そうはしたくない気持ちはある。チャラチャラしてるカップルだってもしかしたらどちらかが余命半年を宣告されて、最期の思い出作りなのかもしれないな、とか自分に言い聞かせてたりするけどやっぱりレンタカーとか関西弁とかすげー抵抗はあるよ!今年の春くらいまでならまだ良かったけど今旅行してるやつ馬鹿じゃね!?(この辺の感覚も人それぞれだろうけど)。ちょっと休業の準備してくる。
SNSのせいでちょっとしたことで集まったり、対面で話をする機会がかなり減った。
動画配信サービスのせいで少しくらいの興味で映画館に足を運ぶことはなくなった。
youtubeやストリーミングサービスのせいでいつでもどこでも曲やライブ映像が見たり聞けたりするのでライブに行きたい欲は割と減った。
本や漫画の配信サービスのせいで、満喫も図書館もその辺の本屋にも行かなくなった。
デリバリーサービスのせいで外食することもここ最近はなくなった。
ゾゾやアマゾンのせいで買い物するために外に出る機会は皆無。食品を買いに近くのスーパーやコンビニくらいだ。
便利だし外出せずに満足を得る環境にある今は本当にありがたい。
けど、便利になるにつれてだんだんと大切なことや意欲を失くしていると思う。
一人で外出のきっかけを作ろうにも上のサービスと比較してしまって家を出ずに一日が終わる。
友だちを誘うにしてもなんらかのサービスで満足していて何かする気力が弱まっているっぽくて、昔からの趣味友だちもここ2、3年は付き合いが悪い。
誕プレで思い出作りたいんだよ
結婚をすることになり、20年以上住んでいた家を出ることになった。
最後の一か月を両親に感謝しながら小さな思い出作りをしていくのだろうと思っていた矢先に、父の高額借金が発覚した。なんとギャンブルに使っていたらしい。
もちろん家族仲は最悪な状態になった。家族仲とか言ってる場合でもないくらいに。
幸せな気持ちで安心して出ていくことすら私にはできないのかと、誰にも言えず涙している。
会話もほとんどなく、家に帰ると苦しくて息が詰まりそうになる。
父親が憎くて仕方がない。
式場を見学に行っても、両親が祝福してくれる姿が想像できない。披露宴の席を見るとあの席で背中を丸くした両親が無言で無表情でぽつんと参列しているのかと思うと居た堪れなくなる。そもそも参列できるのだろうか。
あと1ヶ月大切にしたかった20年間の実家生活の締めくくりを私は出来ずに家を出ることになる。
温かい思い出が全て無表情で無反応で険悪な両親の姿で塗りつぶされていく。
最近東日本大震災から10年、コロナから1年、そのような話題をよく目にする。
東日本大震災のとき、自分は中学3年生で震度6くらいにびっくりしたものの、そんなに直接影響を受けた記憶がない。
計画停電も近所に大学があるおかげで免れたし、食料などもちゃんとあった。断水もしていない。
この先どうなっちゃうんだろう?とは思ったけど、普通に生活できたし、原発の水素爆発なんて実感がわかなかった。
正直、当事者意識なんか何もなかったし、普通に高校に進学した。
コロナショックが昨年起きた。
自分は今とある大企業に勤めていて、コロナの影響で飲み会はなくなるし、会社からテレワーク補助はたくさん出るし、業績も非常に好調だ。
そのおかげで給料は非常に増えたし、新卒3年目に見合わない給料をもらっている。
けれど、東日本大震災と違ってコロナショックは世間とのギャップに毎日が苦しく、なんだか辛かった。
なぜ、自分はこんなにも安定した生活を送れているのだろう?このお金は本当にもらっていいのだろうか?
悶々としている中、会社から補助や特別加算された最高のボーナスが支給されるという通知を見て、同僚や上司はものすごく喜んでいた。
きっと中学生や高校生や大学生の頃の自分だったら「すべては自己責任、だめな人は努力不足だろう」と言い放っていたと思う。
東日本大震災のボランティアに行く大学生とかを見て、部活に打ち込むのが嫌な、東日本大震災の被災者を利用してサークルのみんなで思い出作りかなとか嫌味なことも思っていた。
けれど、世の中にはどうにもならないことがあることを知り、途端に辛くなった。
東日本大震災当時には湧かなかった感情がこの1年こみ上げるようになった。
当時の自分の浅はかさを恥じている。
給料の一部を寄付したいと思っているが、人生で一度も寄付をしたことがなく、どこがいいかわからない。
正直、偽善だし、どちらかというと贖罪意識だと思う。でもそれでも良い。
本題からだいぶそれた。
あしなが育英会みたいな大きい所が良いのか、はたまた小さなところに寄付して浸透しやすくしたほうがよいのか、どちらか、増田の皆様に聞きたい。
母のママ友が言うには一家総出で週一だか月一だかで旅行やキャンプに行くらしい
正確には母は旅行好きだが独身時代に行きたい所にはだいたい行き尽くしたようだ
しかしそれは私や弟が行きたいと言った訳ではない
割引券を何かでもらい、まあこの年頃の子供なら家族で遊園地に行くのがベターだよね
なので行く。と言った感じ
正直覚えていないのでそんなに楽しくはなかったんだと思う
今では泊まりで何処かへ行くことも無く電車で行ける範囲しか行かないので父の車は田舎へ帰る時ぐらいしか乗らない
私も歳を取り今は20そこそこなので友人と遠出することも無くは無い
向こうに着いたら絶対楽しいのはわかっているのだがそれまでがめんどうだし具体的に楽しんでる自分がまったく見えない
予定を立てたり準備をしたりするのがめんどうで断ることが多い
友人達のことはそれなりに好きだが旅行じゃなくてカラオケでいいよと思う
そのため今だに私は遠出の準備ができない
携帯と財布と泊まりなら着替え以外思ってるより荷物が思いつかない
電車で1人でふらっと都会へ行くことがあるがほぼ無策なので予定を立てることも無い
遠出は出費がかさむのだ
旅行が趣味ならともかくそうでもないならわざわざする必要は無い
頻繁に家族旅行に行かないおかげで我が家は金持ちでも収入が多い訳でもゴリゴリ節約してた訳でも無いのに金に困ったことはほぼ無い(他の要因も絡んではいるが)
たまに居ないだろうか
旅行して当然でしょ的な人
家族の思い出なら月に1度チェーン店のファミレスに行くので十分
これはオチがあって最後はスッキリするような記事ではないのでご留意願いたい。本当にただの愚痴である。
私と彼女は大学3年生の秋に付き合い始めた。しかし付き合って間もなく彼女は外国に1年ほど留学した。現在付き合い始めてからは2年半になるが、自由に会うことが出来た期間は1年半ということになる。
そして彼女は今春から新社会人となる(留学したので1年留年している)。そして彼女は新社会人にありがちであろう、研修?で意味のわからないくらい遠方に飛ばされるアレの被害者となった。2人とも現在は関東在住だが、彼女は春から京都で働くことになった。
私が自由の身であるなら迷わず京都に飛んで行きたいところだが、そんな都合のいい立場であるはずもない。おそらく2.3年はまた遠距離恋愛でやっていくことになるだろう。
国を跨いだ遠距離恋愛を経験しているのでそれ自体にはあまり不安はないのだが、いくら何でも前途多難な恋愛をしてしまっていると思う。付き合い始めて2ヶ月ほどで1年海外に行ってしまい、今度は2.3年も京都に行ってしまう。同棲の計画もしていた最中であっただけに余計に堪える。しかし一番堪えるのは恋愛を最高に楽しめるであろう(と勝手に思っている)20代前半の期間の半分がほぼ空白になろうとしている事実である。
20代の間の恋人との時間は、ヒトの人生に於いてかなり上位の幸福な時間であると私は信じている。私はそのかけがえのない時間を今から薄く過ごそうとしているのだ。本当に堪える。私の隣に彼女がいる未来がいかに幸福で、いかに容易く想像出来て、いかに今の私の原動力であったか。
無論、数年経てば遂に私達は1つ屋根の下に生活出来るようになるはずで(こんなことがあった以上無論でもないか)、その後にやりたいことを好きなだけやればいいじゃないかと思うかもしれない。しかし、私は20代の1年と60代の1年違うことを知っている。時間の感じ方やら体力やら暇な時間やら時代やら何もかもが違う。20代と30代でも違うだろう。彼女の今の美しさも衰えていくだろう。そんな貴重で有限な20代を彼女との思い出作りに費やしたいと思うのは私には必然だ。私はこの恋愛の為に今の人生を生きている自負がある(重すぎてメンヘラと言われたことはあるが、女だったらもっと言われていただろう)。
今一度、私が不自由な人間であり、彼女も社会に抗えない程度に不自由な人間であることを嘆かずにはいられない。しかし私達ならこの不自由を乗り越えられるだろうという確信と、この愚痴を最後まで見てくださっている方がいることが僅かながらの救いである。
ツイステ5章後編2配信されましたね。
ライターのせいでルークとネージュがヘイトサンドバッグになってるのが辛い。
あの展開ならサンドバッグになるのが当たり前で擁護ができなくて辛い。
これはこの二人が悪いんじゃなくて展開が悪い、ネージュに対してはライターからの悪意すら感じる。
ヴィランがヒーローを打ち倒すと言うのはやっちゃいけないというこの世界のルールは分かってます。ディズニーではヴィランが勝っちゃいけないし。
でも示し方が最悪。
マジフト大会でNRCが負け続けているというのは理由がありました。
RSAはチームワークが完璧で、NRCは我が我がと自分ばかりで他人を顧みないスタイルだから。これは負ける理由が明らかですし、真っ当だから救いもある。
個人プレーが悪いとは言いませんが、ここで示された理由なら、ヴィランでも改心(皆で協力)したら勝てるチャンスがありそうで希望を持てます。
でも5章は?
私はVDCがダンス甲子園のような、本当にプロを夢見てたりする子たちが日々研鑽して努力をして優劣を競い合うガチの大会だと思っていました。
NRCがガチで仕上げてきたRSAに負けるなら、それは仕方なかった。
ヴィランが負ける世界という摂理に照らし合わせたとしても、こっちがしてきた努力を相手が上回ったのだろうという背景があるから納得できます。
でも結果は、ヴィランは真っ当に努力を重ねたとしても、ヒーローが同じ舞台に立って仕舞えば、それが例えパフォーマンスにすらなってない思い出作りのお遊戯会だとしても負けてしまうということを示されただけだった。
RSAが優勝しNRCが勝てないのは分かっていました。でもどうしてお遊戯会にした?
悪役が悪役たりえるのって悪いところがあるからでは?
真っ当に努力して、しようとした悪いことも未遂に終わってこの結末って何?
ネージュがお遊戯会で出場したこと、そしてルークの一票で負けてしまった設定にしたこと、そしてあのタイミングでネージュファンであることを明かしてしまったこと、それが本当に最悪でした。
けれど、それによって勝敗が決し、ルークを戦犯に仕立てあげるストーリーは一体誰が喜ぶのか分かりません。
原作忠実とか狩人の役目とか、まず示し方が最悪です。原作忠実の話が見たいなら原作見ます。
タイミングも内容も失望するしかできない事でヴィルとプレイヤーを裏切るのが狩人の役目なら、そもそもVDCに出ないで欲しかった。
重ね重ね言いますが、世界の摂理は分かります。ナイトレイブンカレッジに所属してる時点で正義には勝てません。
彼らには悪いところがあり、だから勝てない。