これはオチがあって最後はスッキリするような記事ではないのでご留意願いたい。本当にただの愚痴である。
私と彼女は大学3年生の秋に付き合い始めた。しかし付き合って間もなく彼女は外国に1年ほど留学した。現在付き合い始めてからは2年半になるが、自由に会うことが出来た期間は1年半ということになる。
そして彼女は今春から新社会人となる(留学したので1年留年している)。そして彼女は新社会人にありがちであろう、研修?で意味のわからないくらい遠方に飛ばされるアレの被害者となった。2人とも現在は関東在住だが、彼女は春から京都で働くことになった。
私が自由の身であるなら迷わず京都に飛んで行きたいところだが、そんな都合のいい立場であるはずもない。おそらく2.3年はまた遠距離恋愛でやっていくことになるだろう。
国を跨いだ遠距離恋愛を経験しているのでそれ自体にはあまり不安はないのだが、いくら何でも前途多難な恋愛をしてしまっていると思う。付き合い始めて2ヶ月ほどで1年海外に行ってしまい、今度は2.3年も京都に行ってしまう。同棲の計画もしていた最中であっただけに余計に堪える。しかし一番堪えるのは恋愛を最高に楽しめるであろう(と勝手に思っている)20代前半の期間の半分がほぼ空白になろうとしている事実である。
20代の間の恋人との時間は、ヒトの人生に於いてかなり上位の幸福な時間であると私は信じている。私はそのかけがえのない時間を今から薄く過ごそうとしているのだ。本当に堪える。私の隣に彼女がいる未来がいかに幸福で、いかに容易く想像出来て、いかに今の私の原動力であったか。
無論、数年経てば遂に私達は1つ屋根の下に生活出来るようになるはずで(こんなことがあった以上無論でもないか)、その後にやりたいことを好きなだけやればいいじゃないかと思うかもしれない。しかし、私は20代の1年と60代の1年違うことを知っている。時間の感じ方やら体力やら暇な時間やら時代やら何もかもが違う。20代と30代でも違うだろう。彼女の今の美しさも衰えていくだろう。そんな貴重で有限な20代を彼女との思い出作りに費やしたいと思うのは私には必然だ。私はこの恋愛の為に今の人生を生きている自負がある(重すぎてメンヘラと言われたことはあるが、女だったらもっと言われていただろう)。
今一度、私が不自由な人間であり、彼女も社会に抗えない程度に不自由な人間であることを嘆かずにはいられない。しかし私達ならこの不自由を乗り越えられるだろうという確信と、この愚痴を最後まで見てくださっている方がいることが僅かながらの救いである。