はてなキーワード: 企業とは
歴史の勉強の時間だ、増田。ブラックマンデーを知っているか。これは1987年10月19日に起きた世界的な株式市場の大暴落を指す。この日は、アメリカのダウ平均が22.6%も下落し、その影響は瞬く間に世界中の市場に広がった。多くの投資家や企業が大きな損失を被り、世界経済に深刻な打撃を与えた。この事件は、金融システムの脆弱性や投機的投資のリスクを痛感させる出来事として知られている。
歴史の中で多くの出来事は一時的に大騒ぎされた後、やがて風化していくことがある。あなたが感じている「ただ、いっさいは過ぎていきます。」という感覚は、まさにその通りかもしれない。南海トラフ地震に対する現代の不安もまた、ブラックマンデーのように時間と共に人々の記憶から薄れていく可能性がある。
いずれにせよ、歴史を学ぶことは過去の事件やそれに対する人々の反応を理解し、未来に備えるために重要だ。忘れてはならないのは、こうした出来事から何を学び、どう対策を講じるかだ。
https://zenn.dev/sta/articles/2024-08-10-sat-what_is_si
少し前にブクマの集まっていたこの記事について、SIerでなぜITが軽視されるのか、SIerがしぶとく生き残っているのが何故なのかをもう少し深堀りしてみたくなった。なお俺自身は、もうずっと長いことSIerの中で働いている、現役のSIerの中の人である。
これから書くのはSIerの中でもBtoBの業務システムの中身の構築を主に手掛けていて、なおかつ元請けに近い組織の話だと思ってほしい。
まずSIerでITが軽視されがちな理由である。受託開発を主に手掛けるSIerの顧客は、だいたい以下のような特性を持つ。
このような顧客が日本社会にはまだまだいくらでも存在しており、その市場に特化した業態がSIerだ。このような市場は、いずれ消えると言われながら今でもしぶとく残っている。
こうした顧客の元では、新しい技術にチャレンジしてもあまりメリットがなく、枯れた技術や使い尽くされたフレームワークを使って、すでにどこかで見たようなシステムを生産するのが最適となる。古い技術は長期的には先細っていく運命にあるが、一方で経験者が多く失敗事例が出尽くしている、過去の資産を利用できるなどの利点があり、顧客側も冒険よりはリスク回避を望むため、古くて安定した技術を採用するメリットが大きい。
それを請け負うSIerで重宝されるのは、ITの知識よりも顧客業務を理解してロジックに落とし込むスキル、いわば業務をプログラム可能な形に翻訳するスキルだ。
顧客が自分で説明する業務のルールはだいたい矛盾していたり、条件が不足していたり、例外ケースが考慮できていなかったりするので、それらを整理してプログラム可能な形に変換する必要がある。特に金融などの業務がガチガチに法規制されている分野は業務ロジックを法律や制度に適合させる必要があり、そういう時に業務ロジックを「業務の専門家の立場で」検討できる人材がSIer側にいると顧客は安心して設計を任せられる。だからSIerでは上流工程が重視され、それができる人間が重宝される。
余談だが、俺自身は経理系システムを専門として長い間この業界で働いているが、俺がここに残っているのはIT技術も好きだけど経理の勉強をするのもそれと同じぐらい好きだったことが大きい。いざとなったら経理知識だけでも食いつなぐことができるぐらいには、そっち方面の知識もある。IT技術への興味は趣味で発散させており、仕事でそれを生かせる機会はなくてもいいと割り切っている。そういうタイプが、この業界には向いている。
閑話休題。
SIerでは上流工程が重視される一方、実装のフェーズでは使い尽くされたフレームワークを使って作るので最新技術への理解は必要なく、実装上の創意工夫が必要なほど難しいものや新規性の高いものを作るわけでもないため、設計書に書かれたことをそのまま実装できる人であれば十分、ということになる。そのため、実装要員は単価の安い人を大量に集めればいいという発想になり、かくして派遣ビジネスの隆盛へとつながっていく。
実装フェーズは業界全体で単価が安いため、元請けの比較的高給取りな社員に実装を任せてしまうと、それだけで利益率が悪化する構造があり、ハイスペックな社員はなるべく単価の高い上流工程にアサインしないと勿体ないという話になる。
実装のフェーズを丸ごと外注することも多い。フェーズ単位で外注する方式はウォーターフォールと相性がよく、発注のためにはきちんとした設計書を外注先に渡す必要があり、かくしてSEはドキュメントをひたすら書き続ける。
SIerは「ITを専門とする組織」ではなく「業務をプログラム可能な形に翻訳する専門組織」であり、翻訳した後の作業を自社の社員はあまりやっていないので、そもそもIT企業と言えるかは本来微妙な立ち位置なのだ。実際には翻訳の成果物である設計書でさえグダグダなことは多いのだが。
とはいえ、パフォーマンスチューニングなどで技術面の創意工夫はしばしば必要になるのだが、それが実装の工夫だけでどうにかなるものであれば、大体は現場のエース級の人(自社社員とは限らない)がなんとかしてしまい、経営者を含む大部分の人にはその必要性があまり深く認識されず、エースの人がどうやって解決したかも理解されない、というのが実情ではある。技術のスペシャリストはSIerでは立場が弱く、裏で活躍していてもそれが日の目を見ることはあまりない。
こうした姿勢のためにSIerはたまに来る技術の変化の波に弱く、大波が来た時はしばしば多くの人が新技術に適応できずにドロップアウトしたりする。日進月歩のITの世界で、お前は本当にIT企業かという感じではあるが、そもそもITの専門組織とはいえない組織なので期待するのは無駄である。
ではSIerがしぶとく生き残っているのは何故なのか。
SIerとは「業務をプログラム可能な形に翻訳する専門組織」だと言ったが、もっと大きなことを言うと、総じて日本のSIerというのは、日本社会を現状維持させるために存在する業種なのだろうという気がする。(日本に限定したのは、海外の状況はまったく知らないからだ。)
顧客もIT化の波に対応しないといけないが、かといって現状の業務を変えたくないし、ITのことを学びたくもない。SIer自身も新しい技術を積極的に取り入れない。その両者が結託して、古い技術で社会を現状維持させている。その良し悪しはともかく、多くの人がそれを望み、その望みがSIerという業種を存在させている。まるで邪教徒たちの祈りが邪神を生き永らえさせているみたいな話である。
古い技術を革新しないと社会が変わっていかないとしたら、SIerは変化に対する抵抗勢力であり、SIerの古い技術者が変化の波でドロップアウトするのは、社会にとって必要な新陳代謝といえる。
だからもし、技術で社会を変えようと望むなら、SIerは来るべき業種じゃない。技術の先駆者たちが社会を変えようとして切り拓き舗装した道を歩きながら、すでに出来上がった仕組みを維持するために働いているのがSIerだ。技術で社会を変えようと望む人は、是非他で活躍して、技術変化の波を起こし、俺をドロップアウトさせてみてほしい。
一連の国交省の動きに対し、業界内では疑問の声もあがっているという。前出・国沢氏はいう。
「国交省は海外で認可を受けた6車種について当該国の当局に確認を要請したとのことですが、国としてすべきことは、海外の当局にこのような“チクり”を行うのではなく、国益の観点から自国の企業を守るためにトヨタ車の安全性を丁寧に説明することであり、やってることがメチャクチャです。国交省の現場の担当者のなかには、現在の認証制度に問題があるという意識を持っている人も少なからずいると思われますが、なぜ国交省が組織としてトヨタを敵視して強くあたっているのか、まったく理解できません」
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入手先について細かく知ってるわけじゃないが、個人事業主レベルの一人親方みたいなところは
モノタロウなんかで入手してる話はちらほら耳にする。もちろんある程度の規模があれば問屋を通す場合もあるだろうけど。
大手だと横浜油脂やショーワあたりが有名だし安全性も問題ないと思う。
一方でオーガニック系(だいたいがココナッツが原材料の洗浄剤)はそれを販売している代理店の話をちらほら聞く。
あと既存の塩素系洗剤に界面活性剤を混ぜて使ってる業者の話なんかも聞いたことがある。
なおエアコンクリーニング用洗剤は医薬用外劇物なものはほぼない。(例外として粉末を自分で溶かすタイプの場合は医薬用外劇物のケースがある)。つまり誰でも購入できる手軽なものだ。
まぁ被害者増田のケースは洗剤が問題の可能性3割、施工ミス(洗剤洗い流しを忘れたミス等)0.5割、防かびコーティング材等のミスト噴射6.5割、くらいの確率で、コーティング材のほうがあやしそうとは思ってるけど、なにからなにまで邪推でしかないので、ここらへんにしておく。
どっちにしてもエアコンクリーニング界隈のケミカル面は外から見たら意味不明な魔窟でありカルト信仰っぽいところがあるから注意してほしい。
これ読んでる諸君も、エアコンクリーニング業者の洗剤には注意してくれよな。誰かひとりやひとつの企業が悪いって言いたいんじゃなくて、業界慣習というか文化的にふんわりとしたやばさがある。私が伝えたいのはこれだけだ。
企業内でのハラスメントしかり、アナウンサーのSNS投稿しかり。
SNSが普及してインターネットで誰でも発信できるようになったんだけどインターネットでの発信って大きな特徴があってそれによってポリコレが厳しくなってる。
もちろん、SNSの普及によってポリコレが厳しくなったと思うが、影響は既存のマスメディアにも一般企業の社員同士みたいな内輪にもあると思う。
【緊急】
川口ゆり本人は気が滅入っているので私が代わりに投稿しますが、ネット上ではおそらく世間の皆様の想像を遥かに超える深刻な事態が起きているのでご報告しておきます。
川口本人や私に関してではなく、より無関係な人間に関して起きていることです。
例えば下記のような悪質な虚偽の内容がネット上に拡散されています。
・川口の周囲の人間に関して「実際には抱えていない障がい」を抱えていると断言する形で記事や投稿に記載されている
・それらがあたかも川口のnote記事から引用した確かな情報かのように偽って記載されている
・実際には川口はそのようなnote記事は書いておらず情報ソースは存在しないのだが、誰も裏どりなどは行わずに反応するのでその誤った情報がさらに様々な記事や投稿等で拡散される
これは実際に既に起きていることのうち、
ほんの一例でございます。
誰も望んでいない形で、
皆様が思っている以上に無関係な方が命を落とすようなことがいつ起きてもおかしくありません。
私から発信することではないかもしれませんが、そのような事態を招く前に投稿させていただきました。
※本投稿は上記のような最悪の事態を防ぎたい一心での投稿であり、事態の更なる悪化を招くリスクを避けるためにも個別の返信等は行わない予定でございます
※人命に関わりうるほどの深刻な事態だと判断したため、私の所属企業や関係団体への相談を待たず、私の独断で緊急で投稿しております。
https://x.com/gx_nagare/status/1823046688262824428?s=46&t=wv-NbapPxa6Q7vIuqV91VQ
以前はたらいていた会社(クリエイターが創業した系の企業)のトップが、配信で社員がいかに無能かという話をめっちゃしている。
経営者が公開(課金制ではあるものの)でスタッフの悪口を言うのってどうなのよ。
っていうめちゃくちゃ普通のことを、やめてからもう何年もたつのでちょっと書いてみた。
当然ながら、スタッフにはスタッフの語り(いいぶん、ナラティブってやつ)がある。
かれらが、トップがこうあってほしいと願うようなはたらきかたをしていないのはそうなのだと思うが、いいかんじにはたらけるような経営が全くなされていなかったのもまたたしか
(クリエイターである経営陣は会社員として働いたことがないので、「会社員」や「優秀な組織人」への解像度がめっちゃ低い。組織作りの努力もないままに、いち契約社員やアルバイトに、いきなりユニコーンやペガサスを期待されても)。
会社そのもののことはなんだかんだいっていまも応援していると同時に、在職している人たちが元気にはたらけるようであってほしい、そうあってこその会社だとおもっている。
この思い、届け〜〜〜 \( ^ o ^ )/ \( ^ o ^ )/ \( ^ o ^ )/
(追記)
配信でライバルクリエイターの悪口を言うのは、注目も集まるし収益にもつながる。←時と場合によるけど、わかる。
でも、自分のために働いているスタッフの悪口を言うのは、、、、自社の評判を落とすだけですよ。。。
それでも悪口を言わないとやっていけないくらいのものを抱えているのはわかるけれど、お客さんにそれを共有するのはちがうんじゃないか。両者傷ついて共倒れになるよ。
政府認可の学校は、一般に.ac.jpドメインを持っているような学校のことだ
政府に「大学」「専門学校」と認可されるには、さまざまな制約を満たさなければならない
つまり、企業グループが集まって学校を作り、企業にとって必要な人材を育成するカリキュラムを作るわけである
このような学校は市場主義において非常に合理性が高いと考えられるが、私はこういったシステムが流行っていない現状が不思議でならない
少子化も影響している気はする。子供は偏差値の高い学校から順番に選ばれていくので、企業としては偏差値の高い学校の生徒を取るだけでよくなっている
つまり企業は能力の選別はするものの、大学には「教育の内容」を期待していないわけである
企業認可の学校が存在しない理由として、企業の教育への関与が薄いことが挙げられる
企業は、教育機関に対して高い期待を持たず、単に優秀な学生を採用することに重きを置いている
また、企業が自ら学校を設立しない背景には、教育事業に対するリスクやコストがある
教育機関を運営するには、多大な資金と時間が必要であり、短期的な利益を追求する企業にとっては、魅力的な選択肢ではないのかもしれない
さらに、少子化の影響で学生数が減少している現状では、企業が新たに学校を設立しても、十分な学生を確保できないリスクも存在する
しかし、企業認可の学校があれば、企業は自社のニーズに合った人材を育成できる可能性が高まる
教育内容が企業の要求に即したものであれば、学生は卒業後すぐに戦力として活躍できるだろう
これは、企業にとっても大きな利点となるはずだ
このように、企業認可の学校が成立しない現状は、企業の教育に対する姿勢や、教育事業への参入障壁が影響していると考えられる
しかし、今後の社会の変化や企業のニーズの進化に伴い、こうした学校が登場する可能性も否定できない
企業が教育に対してもっと積極的に関与するようになれば、企業認可の学校が現実のものとなる日も遠くないのかもしれない
クリニックや企業や風俗業者の記事やポストに、マンコ臭にははドラッグストアで売ってる〇〇や□□を使おうねみたいな指導やアドバイスは多数存在するが
「私達女性の性器は臭いっていうの?」と執拗に広告や記事や企業や担当者を消すまで追い込む者はおらず別に炎上しない
一方で男は女が社交辞令で何も言わないことをいい事に、どれだけ女が寄り付かない不潔や低身長の男でも自分は無条件で女に好かれてる・受け入れられていると勘違いしている状態がデフォルト
たぬかなや今回の女子アナ発言で初めて、実は自分は女に迷惑と思われていた・嫌われていると知った無数の男が女をリンチして社会的抹殺に追い込んだ
女の言うことを聞きたくないが女に無条件で受け入れられたい男が自分の意にそぐわない女を袋叩きにしたにすぎない
たぬかなの時と同じ
DSGEモデルは、経済全体の動学的な挙動を分析するために用いられるモデルで、金利、為替レート、インフレの相互作用を捉えることができる。
4. 為替レートの動学:
DSGEモデルは通常、線形化して解く。ここでは、状態空間表現を用いて、リカッチ方程式を解くことで均衡を求める。
1. 線形化:
毎年同じ内容を投稿しているが、今日広陵と明徳義塾が登場するので、このタイミングで修正して再投稿。
日本の高校野球の歪さとして、酷暑の開催と過密日程はよく言われるところだが、もっとも深刻なのは私学強豪校の過剰な部員数であると思う。広陵は150人、明徳は108人を抱えている。他にも鶴岡東や聖光学院などが100人を超えている。大多数が通学圏外の「野球留学」の選手である。
周知のように現在は超少子化の時代で、子供におけるスポーツとしての野球に対する人気もサッカーやバスケのはるか後塵を拝するようになっている。にもかかわらず、甲子園に出ている私学強豪校は、現在でも100人を超える部員を通学圏外からかき集めるという、子供の数が多くてスポーツといえば野球が王様だった時代にかろうじて許されたやり方を、最近にもなってもむしろ加速させている。
その結果として何が起こっているかは想像の通り。地元では有名だった中学生の野球選手が、通学圏外の部員100人超えの強豪校に進学して3年間公式戦に出ることもなく補欠やスタンド応援要員のまま(最悪の場合中退)である一方、その選手の地元の公立校は部員数の不足に悩まされ、弱体化に拍車がかかって連合チームになったりしている、という風景が広がるようになっている。かつては甲子園常連だった名門公立校も、部員100人超えの新興私学に太刀打ちできなくなっている。
こういう話をすると、「選手の自由だ」という反論が返ってくる。しかし、試合に出て活躍することよりも、補欠やスタンド応援でも甲子園常連校に在籍していたことのステータスを選択する自由とは、一体何なのだろうか。そんな選択はそもそもおかしいのではないか、と親や教師はアドバイスしなければダメだろう。そして、私学強豪で3年間補欠だった選手が、卒業後に大学や企業チームで活躍している例は残念ながらほぼない。選手の実力を成長させるのは、練習以上に試合の経験なのである。
甲子園出場経験のない地元の高校で活躍し、注目されて上のレベルに進む例の方がまだ多い。例えば阪神の大山と佐藤は、それぞれつくば秀英と仁川学院という甲子園未出場の地元の高校に進学し、そこで目立つことで野球の強い大学に進学することができた。部員100人超えの私学に進んでいたら、試合に出る機会すらなかなか恵まれなかった可能性が高い。
2010年代以降、予選の参加校数も減少の一途をたどっている。にもかかわらず、現在でも部員100人超えの私学校が減っているように見えない。私立高校のエゴイスティックな経営戦略のために、日本全体の野球文化が掘り崩されていると言っても過言ではない。
いいか、なぜ今すぐX/Twitterのアカウントを消すべきなのかって話を今から俺が分かりやすく説明してやる。
こんなことわざわざ言わなくても理解してるやつらはもうとっくにXアカウントを消している。
Xアカウントを使っていまだにTLを見ているやつらよ、お前らはこれから先に起こりうる犯罪に加担していると自覚しろ。
そもそもXを地獄のような今の状況に加速させたのはイーロンがインプレッションに価値を与えたせいだ。
そのせいでインプレゾンビとかいう金に群がる害虫どもがXに集結してる。
ここまで言っても分からんやつらよ、インプレゾンビが減らないのはお前らがいつまでもそこでTLを見てるからなんだよ。
お前らはアカウントを持ってるだけでインプレゾンビを増やす手伝いをしてるんだ。
お前らがアカウントを消せばインプレゾンビどもに金が入らなくなりあいつらも別の場所に金を探しにいく。
「でも企業や公式の情報がー」とか言ってるデモデモダッテ野郎、その発言はお前が自己中心的な考えの社会悪だと自己紹介してるようなもんなんだぞ。
Xのアカウントを消した賢いやつらはこう考えてるんだ。
大勢がXアカウントを消して大勢が他の場所に移ればその移った場所に公式アカウントも来る。
逆に言えばXを全員でボイコットしないといつまでたっても公式は動かない。
インプレゾンビと同じで沢山の人が見る場所で発信しないと意味ないだろ。
どんなに馬鹿でも国民は国民、馬鹿が集まってる場所にも声かけはしないといけない。
いつまで経ってもお前らが動かないから企業も公式も動けないんだよ。
先陣を切る人間がいないとこういう自己中で考える能力のないやつらも動かない。
だから本人たちも身を切って不便を承知で新興SNSを開拓してるんだよ。
他のSNSでも同じことが起こるだろうと思うやつもいると思うが、例えばBlueskyにはモデレーションリストという仕組みがあり、スパムや業者を集めたリストを作り一括でブロック/ミュートしたり、それをユーザー間で共有することも出来る。
自分の不快な人物をモデレーションリストに入れ公開して大勢でブロックを促すようなクズもいるが、そういう問題も含めX以外のSNSは少なくとも現存する問題に取り組む姿勢を見せている。
昨今のイーロン周りのニュースを見ていて、奴にXを改善する気持ちがあるとは思えないだろ。
SNSをやめることが出来ない人間はせめて使うツールくらいは先に希望のある選択をしてくれよ。
あいつらは存在するだけで必要な情報に辿り着くのを阻害するだけでなく、スパムやデマを全方向に拡散していく。
「自分はそんなデマに乗らないし」と思っている馬鹿どもよ、だからお前は馬鹿なのだ。
慌てて消そうとするもその一瞬のリポストをフォロワーが一瞬でリポストしたら?
そのリポストされたデマを見た教養のない人間がその情報を鵜呑みにして死んだら、それはお前のせいなんだよ、お前が人を殺すんだ。
震災で沢山の知り合いが死んだ。
生まれたばかりの赤ん坊ひとりを残して夫婦共々死んでしまった同級生もいる。
震災のデマや風評被害で俺も周りもみんな精神を蝕まれ、今もなお精神科で治療を続けている。
幸せな生活を送るやつらには、家や故郷を失うだけでなく、Xを使い続けるやつらのせいで心を壊し、生き延びた命を自ら消しにいく人間の想像なんて出来ないのだろうな。
Xを使い続けるやつらよ。
お前らに人の心があるのなら今すぐXのアカウントを全て消してくれ。
お前らの「最新情報を知りたい」という自己中心的な欲のせいで死んだ人間、そしてこれから起こる南海トラフ地震でのデマや風評被害によって死ぬであろう人間がお前らの大切な人である可能性をどうか考えてくれ。
コミケ・マンガ・アニメもそうだけどさ、日本ってパクリパクられの文化じゃん。AIと相性良いと思うけどね。 銃が無い国でパクられ妄想して大量殺人した国なんて日本だけ
キャンセルカルチャーを奪い返す 「表現の自由戦士」は正しいか
https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20230605/pol/00m/010/007000c
――もともとの意味はなんでしょうか。
五野井氏 力なき人々にとっての最後の手段としてボイコット運動があります。インド独立運動の英国商品不買や、米国公民権運動ではローザ・パークスの「バス・ボイコット」(※)がありました。
情報発信の主体がユーチューバーのようなインターネット上のサービスに移るなかで、抗議の対象も国家や企業だけではなく、情報を発信する個人や現象、価値観へと変化しつつあります。
キャンセルカルチャーそれ自体は伝統的なボイコット運動の延長線上にあります。
――ネットの発達で大きな影響力を持つようになりました。
◆#MeTooに象徴される、ハッシュタグ・アクティビズムが盛んになりました。社会のマジョリティー側がもつ特権に異議を申し立てます。
フェミニズムでいえば、男性中心主義の秩序に抗議します。キャンセルカルチャーは、メジャーな価値観のなかでは取り上げられづらい人々の声を、SNSを通じて効果的に発信するものです。
第11波と言われるちょっと前にコロナに感染した。うっかり流行の最先端になってしまった。病院で検査したら陽性だったので、熱もあることだし仕事は休んだ。その間、久しぶりにコロナ情報をあれこれ漁って、厚労省のホームページにたどり着いた。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/dengue_fever_qa_00007.html#Q4-1
回答の一文にこうある。「使用者の自主的な判断で休業させる場合は、一般的には「使用者の責に帰すべき事由による休業」に当たり、休業手当を支払う必要があります。」
つまり労基法によると、会社はコロナに感染してるからという理由で無条件に従業員を休ませることはできない。休ませるには、就業規則にそのことを定めて、休んだ日の分の休業手当を支払う必要があるということらしい。有給を使わせちゃダメだし、欠勤扱いでその分の給料を引いてもダメ。だけど、うちの会社は規約も更新してないし、上司は平気で「発症翌日から5日間は外出を控えることが推奨される期間」だから休めとだけ言ってくる。こういうところだけ、厚労省の言うことを盾にしてくる。休業手当のことなんか一言も言及がないのに。でも、よその会社でもこういうケース、多いのでは。
ちなみにうちの会社の場合、気がついてないとか、無知だとかじゃなくて、確信犯の可能性も結構ある。身バレが嫌なのであんまり詳しくは言えないけど、表に出たらかなりダメな労基法関係の運用をしてるから、そう思ってる。
あと、周りの話を聞いてる範囲での印象でしかないが、雇われてる側でこの休業手当のこと知らない人が結構多いのではないかと思う。大事なことのはずだけど、どうして調べようとしないんだろう。どうしてそんなにお人好しなのか。会社は労働者のことなんて考えてくれないんだから、自分で自分の身を守るしかないのに。
こういうのが嫌だ。国は労働者が守られる制度をちゃんと作りましたよ、みたいな顔をしている。でも、実際にはかなり守られにくい制度でしかない。みんな制度自体を知らないし、積極的に知ろうともしない。国は周知しようという努力をマイナカードほど熱心にはしてないし。目に入る機会すらない分、道で見かける警察の注意書きよりも効果がないんじゃないか。周知もしない、罰則も設けない、守らせる気がない法律を作るのは何のためだろう。