はてなキーワード: プレッシャーとは
イエイヌの顛末は悲劇的で、罪悪感を…キュルルちゃんは抱かなかったけど、視聴者は感じることになったと思います。いかがですか。
イエイヌのエピソードは、悲劇として描かれてますが、あれは「別れた大切な人を待ち続ける」ことの悲劇であって、「人間に歪められたイエイヌという生き物」の悲劇については、制作者は描いてないと思うのですね。
そこに自覚的であるならば、同じく人間に歪められた生き物である、イルカ、アシカについても、悲劇性を描くはずですが、そういう描写は特にないので。
リアリティラインについて、個人的にはけもフレ1,2ともに同じ程度のレベルだと感じています。短納期のプレッシャーや3D制作に慣れてなかったなど、脚本・演出の連携不足、未熟としがらみで説明できる範囲ではないでしょうか。
確かに、けもフレ1にも、曖昧なところはありますね、そこは贔屓が入ってたかもしれません。
その上で、ここでのリアリティランは、内面と世界の繋がりに関する部分です。
たとえば、けもフレ1のラストは、大雑把に要約すれば「友情パワーでセルリアンに勝つ」なわけですが、具体的にどう勝つかは、サーバルが、かばんちゃんから学んだ紙飛行機の技を使う、等、現実としての筋、理屈があるわけです。
一方、けもフレ2のラストは、同じく「友情パワー」なんですが、サーバル・カラカルが友情に目覚めると、急に強くなって、苦戦してたセルリアンをあっさり倒したりしています。内面の世界が、そのまま現実に反映している。
フウチョウコンビは、キュルルの深層意識の声を代弁するキャラとして描かれていますが、彼らが、なぜキュルルの行く先々に現れるのか、キュルルに説教するのか、といった部分はなく、ここでも、内面と現実の距離が近くなっています。
内面と現実の距離が近い、という意味で、けもフレ2は、つまり、童話・ファンタジー的な世界観であると考えられます。それをここではリアリティラインが低いと表現しました(用語の使い方がまずかったかもです)。
追記・首肯したと書いておいてツッコミばかりですが💦 アプリ版のコンセプトに戻したのはどのような動機に基づくとお考えですか。現時点で悪意があったと考えてしまっている視聴者は「ワザワザ戻した意図」を邪推してしまうと思うんです。
現場の状況がわからない以上、動機については推測しかできません。悪意がなくても説明はつくというだけで、悪意がないという証明は難しいのです。
まず視点を変えて見ると、アプリ版のキャラを変更したのは、たつき監督達なわけで、たつき監督がいないなら元に戻す、というのは、普通に、そういう判断もあるでしょう。
次に、たつき監督の作劇は、たつき監督の技術によって成り立ってるので、監督が抜けると再現が難しくなる、というのが考えられます。
よく言われる、たつき監督の「優しい世界」ですが、これは脚本技術的に高度なものです。ドラマを作る時に、普通の作劇では対立構造や誤解などを利用します。逆に言うと、たつき的な、悪意がなく素直なキャラだけで、面白いドラマを作るのは、高い作劇技術が必要になります。他にもそういう点はあるでしょう。
1期のシナリオは、たつき監督と、吉崎観音さんが、話し合って作ったものであると考えられます。たつき監督が抜けたことで、たつき監督らしさが抜けたり、再現が難しくなったりして、結果、吉崎観音色が大きく出た=アプリ版に近付いた、という線が考えられます。
論評を首を縦に振りながら読みました。特に動物園とのコラボとの関連は説得力を感じました。けもフレ1があの形になった理由としてありそうに思えます。
「人間がいないのに、人間を崇める動物」は、気持ち悪い。そこを敢えて描くなら、その悲劇性や罪悪感も描くべきだが、特にそれはない。
イエイヌの顛末は悲劇的で、罪悪感を…キュルルちゃんは抱かなかったけど、視聴者は感じることになったと思います。いかがですか。
リアリティラインについて、個人的にはけもフレ1,2ともに同じ程度のレベルだと感じています。短納期のプレッシャーや3D制作に慣れてなかったなど、脚本・演出の連携不足、未熟としがらみで説明できる範囲ではないでしょうか。
けもフレ1でも、飛ばされてサーバルに偶然に直撃するスナネコや、ビーバーはなんで丸太を立てて並べてたのかとか、ぺパプチケットはプリンタで刷ったのかとか、バスの充電ステーションが山の上のカフェにあるのはどうしてとか、いろいろお話のノリで流すべきシーンはあったと思います。 けもフレ2でより目立ったと判断できた問題や矛盾点は、どのようなものでしょう。
追記・首肯したと書いておいてツッコミばかりですが💦 アプリ版のコンセプトに戻したのはどのような動機に基づくとお考えですか。現時点で悪意があったと考えてしまっている視聴者は「ワザワザ戻した意図」を邪推してしまうと思うんです。
自分:34歳♂
妻 :32歳♀
当時は妻の方が妊活に前のめりで、仕事で実績を作りたかった自分はあまり積極的にはなれなかった。
たった1回だけ精液検査して、若干運動率が低い(50%前後)ものの、数もめっちゃあり、そんなに問題が無いことを知ってほっとした。
それもあって、自分は何もしなかった。
イライラが募る妻と、仕事優先だった自分との間にはどんどん溝が深まっていく。
ある日、「もう、どうしたらいいの!?」と泣き叫んできた妻に対して、水をさすようなことを言った。
「今はそんなに子供欲しくない。」
しばらく口を聞いてくれなかった。
2年ほど前に異動になり、仕事の内容が変わった。時間的な余裕もできた。
と同時に周りの友人や同僚には子供が生まれてくる。中には2人目3人目の家庭もあった。
少し焦りを感じた。
(義父母には気を使ってもらっていたのだと思う。)
一緒にクリニックに通い始めた。
仕事で忙しかったり、自分の気持ちが向いてなかったりで、タイミングがうまく取れなかったことを医師に伝えた。
お互いにいろんな検査をした。
妻にも異常はなかった。
出なかった時の罪悪感。
もともと性欲が強いわけでもないので、さらに消極的になっていった。
AIHをすれば、すぐにできると思っていた。
一回につき2〜3万円かかるが、2〜3回もやれば妊娠するだろうと思っていた。
回を重ねる毎に、妻の気持ちは沈んでいった。
3回目のAIHの頃、妻は仕事をやめた。妊活との両立は精神的にもたないと思った。
妻は恐怖を感じていた。
僕はさらに焦りを感じていた。その焦りは妻に伝わっていたんだと思う。
IVF始めないか?と妻に言ったところ、こう言われた。
「辛い思いしてまで、今そんなに子供が欲しくなくなってきた。」
自分も仕事をほどほどに、妻も習い事や家事に専念しながらのびのびしている様子。
先日、こっそり精液検査をした。
当時、妻の気持ちになって考え一緒に行動しなかったことをとても後悔している。
と同時に、男にも時間制限があることを知り、限られた時間の中でこれからどうしていくかを考えなければならない。
ここまで一緒にいてくれた妻に感謝しつつ、もう一度夫婦で話し合って、この先のことを決めていきたいと思う。
誰もに同情されるほどのブラック企業ではなく、誰もが憧れるホワイトでもなく、日々それなりの不満とストレスを抱えつつそれなりの評価と裁量を与えられる中小企業で働いている増田の、働いていて思うこと。
/新人に教えない
そしていきなりミスを責める。いきなり案件を任せる。プレッシャーや意味のわからないことを言われ続けるストレスで辞めていった人が数多くいるのに改善されない。教えてほしいと声をあげた人が解雇される。
忙しく案件を任される人ほど情報の整理をせず、その案件の売上だけを上げて他の人が次に活かせる形にしない。でもそれで「自分にしかできない仕事」ができて、また案件を任される。忙しいので社内ルールを守らず、そのフォローにまわって時間を費やす人が顧みられることはない。
/不公平感
事務作業を軽視する、「後で話そう」、特定の人ばかり評価、新しいルールを急に持ち出して責める、感情的に見える
…私もたいがい感情的だな。でも、いやなんだよ。もやっとするんだよ。みんなどれくらいのストレスを抱えて仕事してるんだろう。
もしそうなら、どうやってそのプレッシャーを緩和するかということになるよな
2018/5には過労死の労災認定が出ていたようだが、それにも関わらず2018年度、会社は労務について特に何の対策もしていなかったように思う。
私は本社で働いている。
会社の取り決めでは残業は年360時間まで(月平均30時間)となっている。取り決めを守る前提で言えば、月の残業時間は30時間以内にしないといけない。
また、会社と労働組合との取り決めで、制度的には年に何度か45時間まで働くことができ、それに応じて年間の残業時間も500時間程度まで増やすことが出来る。
自分自身は、本社勤務になってから30時間の残業を下回ったことはほぼない。しかし、部署のプレッシャーで360時間以内の残業時間としなければならないこととなっている。
そのため、仕方なく休憩時間を入れて無理やり調整し、年間360時間以内になるように調整している。
同じ部署の人では、月45時間の残業時間さえ上回りそうになり、休憩時間を無理やり入れている人もいるらしい。
年間360時間の枠を超えないようにするため、無理やり休憩時間を入れているのだ。
役員は「働き方改革」「残業時間遵守」なんて言っているが、現場の状況を全く顧みずに発言している。
マネージャー(管理職)は残業時間80時間以内を厳守と言われているため、休憩時間を入れて無理やり80時間の以内にしている人もいる。
また、他部署のマネージャーでは、月の残業時間が連続で100時間を超える人もいるとのこと。
この人が死んだら会社はどうするのだろうか。
ある部署の人は、裁量労働制を採用することにより、30時間/45時間の残業時間を超えて、80時間まで働けるようにしている人もいる。(働いた分の残業代は出ない)
(自主的に働きたくて80時間の裁量労働制にしているわけではない)
裁量労働制を採用している人の中には、労働時間の裁量も実質的になく9時から勤務している人もいるらしい。
裁量労働制の人は80時間を超えてはいけないルールになっているため、休憩時間を入れて無理やり80時間以内の残業としている声も聞く。
2018/5に過労死認定まで出ているにも関わらず、それ以降何も変わっていない。
こんな会社なのに、一昨日の報道だけで変わるのだろうか。無理な気がする。
毎週水曜日はノー残業デーと言われているけれど、ノー残業デーとして帰ったことなんてほとんどない。
自分の部署はお昼休憩をちゃんと取れているからまだ良いけど、他部署の人は「昼休憩1時間なんてほとんど取ったことがない」「大体コンビニのご飯で手早く済ませないと仕事が終えられない」と言っていた。
パワハラ等があるような話も聞く。
2018/5以降もこんな状況なのに、労基署は検査に来たりしないのだろうか。検査に来ても見逃したりしているのだろうか。
「17年に未払い残業代を払った」との報道がなされているけれど、2018年も実質的に未払い残業代は発生していると思う。本当に何なのだろう。
仕事へのプレッシャーも凄いし、労働環境もこんなだし、もう本当に疲れてしまった。
自分自身、もうだめなのかもしれない。
私の出身地は、県庁所在地はそれなりの観光地、実家のある町はそこから1時間に一本の電車に乗って30分ほど。
最寄駅は無人駅。通っていた町立の小学校はこの間廃校になったらしい。という程度の田舎。
離島とかの人に比べたら、田舎レベルは低めとは思うが、「映画を見に行く=日帰り旅行」とか、「デートはジャスコ(イオン)」とか、田舎あるあるはよくわかる。
実家の経済状況は、父(県外の出身)の実家が貧乏で、高校〜大学院まで奨学金で出たので、返済のために共働きでも余裕が無かったようだ。
それが無ければ両親ともフルタイムで働いていたので、貧乏レベルも低めだと思うけど、「トリーバーチさん」からすると立派な貧乏人だろう。
私は小中学校とも町の公立を出て、高校は1時間に一本の電車に乗って、市内の県立高校に通った。
大学進学にあたっては、母からは「(経済的に)上にお兄ちゃんがいるようなものだから」と、県内にある国立大学に行くように言われていた。
それなりに偏差値のあるところなら、そして学費の安い公立ならいいでしょ、と渋る母を説得して
後期試験を地元の国立大に、前期を東京の国立大にしてチャレンジした。受かると思わなかったのかもしれない。
反対していた母もテンションが上がってしまって、仕送りに頭を悩ましながらも
送り出してくれた。
もう10年以上も前の話だ。
私の出た大学は地方出身者も多く、案外、大学内で経済格差を感じたり、カルチャーショックというのは無かったかな。
どこに行っても面が割れてて「○○さんトコの○○子ちゃん」で、自分の振る舞いに自分の家の評判がかかっているようなプレッシャーがあった。
暮らしていた時はそれが当たり前すぎて気にならなかったが、東京に出てみると、そう言ったものとは無縁で、すごく自由を感じたのを覚えている。
(所帯を持って、町内会の付き合いが始まると、東京でもそうしたしがらみの中で生きざるを得ないのだろうけど)
隣の人がどんな人とか関係ない、という感じで、他人に干渉されない東京の空気がとても新鮮で心地がいいと思った。
それに染まって、稼いだお金を東京的な消費活動につぎ込んだこともあった。
でも、なんだか見ていた頃に憧れたほどには幸せにはなれなくて。
なんていうか、稼ぐ苦労に対して得たものがコレ??的な。
ちと立ち止まって、もうちょっと人間らしい生活をしよう・・・と思って
ガツガツ稼ぐの止め。時間ができたのだが、収入が下がったので必然的に節約生活に。
そうすると、案外お金を使って遊ばなくても、楽しいことって色々あるなー、と。
魚って外で美味しいのを食べようと思うと、相当出さないとないけど、
近所の魚屋で新鮮なのを手に入れれば焼くだけでも安くてすごい美味しい。
自分で買いに行って、美味しいものを自分でこさえた充実感!とか。プライスレス。
春は桜が咲いたのを見に行って、夏は涼しいところでアイス。秋は紅葉。冬は部屋で鍋とか。ささやかなことに喜びを感じる、今の自分の方が好きだなぁ私はね。
そして今、改めて田舎での生活を振り返ってみると、いい面もたくさんあったと感じる。しがらみも、一長一短。
介護状態の祖母を近所の人が田舎ネットワークで様子を見にきてくれていたり、世話をしてくれていたり。色んな噂を立てる人もいるけど。
でも人と人との繋がりが強いのは確か。
人間やってると色々あって色んな人と出会って価値観も考え方も変わる。
トリーバーチさんくらいのころって、ほんとその過渡期だなー。
ツイッターで実体験漫画(白ハゲ漫画)を描いて遊んでいる者だ。
仕事中にはそのことばっかり考えている。
受けようと思ったが、やめた。
筆が乗らないから。
書籍化するにあたって、ボリュームを増やすために50ページほど新規で描いてくれと言われた。
毎週10ページは描いていたので、1か月あればできると思っていた。
しかし、出来なかった。
全くアイディアが湧かなかった。
メモ帳にネタをまとめていたので、それを元にネームを書いたりした・・・が、
全く面白くない。
だが、比べてみても全く面白くない。
何が悪いか考えた。プレッシャーによるもの・・・漠然と頭に浮かんだ。
何のプレッシャーなのか?
ツイッターという不特定多数へ毎日のように作品を後悔してるのに、自分が感じているのは何のプレッシャーなんだろう?
それもあるだろう。
しかし、分かった。
分かってしまった。
自分に声をかけてくれた、担当編集さんからのプレッシャーだった。
担当編集さんはとても優しく、書籍化の件を真摯に取り組んでくれて、打ち合わせも楽しく行えていた。
問題なのは、自分の描いたものを担当編集さんがチェックする、という事実なのだ。
ましてや、その担当編集さんとは何度か会い、食事をし、どんな性格なのかもお互いに知ってる仲だ。
それが尚更、自分のアイディア出しにプレッシャーをかけていた。
誰の為でもなく、描きたいから描いて、公開したいから公開して、それが見たい人にたまたま見て貰えばいい、というスタンスだ。
その担当編集さんのために漫画を描く、という思考になってしまい、
どこか媚びたような、猫を被ったような、どことなくハジケきれてない、そんな漫画になってしまう。
そんな思いが心の根のどこかにあるのだ。
いや、担当さんも漫画を読むのが仕事なんだから、引かれることは絶対にないというのも分かってるのだが。
分かってくれない。
全く、アイディアも出ない。
ツイッターに適当に公開する漫画を描こう!と考えると、めちゃくちゃにアイディアが出る。
しかし、「あっ、これを書籍に載せればいいじゃん!」と考えた瞬間に、脳みそにフタがされたように何も思い浮かばなくなる。
こんな人、他にはいないのかな。
人生とは、誰かが当たり前のように価値を与えてくれていると信じ込んでいるほぼ大半の人間には絶対にこの映画の良さが伝わらないということ。
一度でも絶対に逃げられない瞬間に、奇跡みたいな偶然で救われた経験がある人間は、この作品をみたら共感が止まらないはず。
逆を返せば、世の中は、プロが絶対に失敗せずに当たり前のように高いクオリティを提供してくれると信じているバカが多すぎるということ。
プロは失敗をしないんじゃない。
失敗が絶対に表面に現れてしまわないように大半の人間が気づかないところでものすごい用意と努力をしている人間のことをプロという。覚えておけ。
与えられるものをひたすらに消化し続けて消費のプロになった糞市民には絶対に良さがわからない。本当に残念。
残念ながら、圧倒的大人数に期待されている中で絶対に先送りにできない本番一発勝負をしたことがない人間に、この映画の価値はわからない。
口では説明できないけど、あの瞬間のプレッシャーは味わった人間以外には絶対わからないと断言できる。
ただ、残念なのは広め方がクソ。まじで糞。万人が共感できる映画ではないのに、みんな絶対に面白い!とか、まじでクソ。
なによりも作品にすぐに価値を求めなきゃいけないこの時代本当にクソ。
アングラで、湧き水が岩を割るような浸透の仕方をしてほしかった。
お金にならないから仕方ないけど、でも、目先のお金のために歴史的価値を犠牲にしてしまったかと思うと本当に残念でならない。
この作品の歴史的価値は計り知れない。それを目先のマネーのためにテレビ局に魂を売ったのかと思うと本当に残念。むしろ悔しいまである。
でもこの映画最高。原案から脚本から撮影から、参加している全員の魂が一時の猶予も与えずそこかしこから滲み出し続けてて最高。
まじで涙が止まらない。報われる苦労があってよかった。それに尽きる。
いい映画ありがとう。それを安っぽいショービジネスにしてしまったTVうんこ。
発案者はあとの時代に絶対に名前を発掘されるから安心したらいいと思う。
そもそも金で売れる価値を持った作品ではない。金で売ろうとした連中だけが、ただただこの作品の価値を貶めているに過ぎないのだから。
お見合いだから、皆、何かしら条件があった。家族が病気で介護が必要な人、精神的な疾患の通院歴がある人、女性と恋愛が出来ない人、多かったのは、プレッシャーや昇進で結婚歴だけが必要な人。
そんな厳しい父が訳あり男なんか認めるわけないし
(つーか見合いってお互いの家柄に合う人同士で組むのが基本なんだが)
つらつら書く。
両親がそれなりに高所得だった、そして、恋愛に関してだけ、父の脳みそが戦前だった。
高校生の時に、初めて彼氏が出来たが、すぐに見抜かれ、殴られた。
そう叫んで席を立った父を見て、松岡洋右はこんな感じだったんだろうかと思った。
初めてのお見合いは、その数日後だったと思う。
変な人もいたし、そうじゃない人もいた。
お見合いだから、皆、何かしら条件があった。家族が病気で介護が必要な人、精神的な疾患の通院歴がある人、女性と恋愛が出来ない人、多かったのは、プレッシャーや昇進で結婚歴だけが必要な人。
働きたかった。家を守るよりは、何かあった時に「仕事を辞めて下さい」と言いたかった。
4. 話し方と言葉遣い
私の好み。
5. 他人に敬意を払う
お店での態度などもそうだが、子供やマイノリティーの人に対して、態度を変える人が苦手。あと、職業から派生するそれも。
(一部の警官、医療関係者、教師などに見られる、無意識の上から目線と馴れ馴れしさが苦手)
1、3に関しては釣書で分かる。
2、4、5に関しても、一度会えば、ほぼ分かる。
もちろん、釣書も頂いた時点ではじくことは出来なかったが、私の期待を裏切る人はいなかった。
結果、どうなったか。
全ての条件を満たす学生時代の同級生と結婚した。33歳の時だ。単純に、私の女性としての市場価値が落ちた事を父が理解した。加えて、夫の職業が父が若い頃に諦めた職業だった、と言う理由で、父が折れたのだ。
結婚なんてしなくてもいい世の中になっていくはずなのに、それに逆らえなかった私が学んだのは、「条件を決めて、それを守る」事で、少しだけ幸せになれる確率が上げられそうだと言うことだった。
最近、ウイさんと言うブロガーの「ハッピーエンドを前提にして」と言う書籍を買った。
https://www.zentei-happy-end.com
彼の体験から得られるものと唯一同じだったのが「結婚必勝法」の部分だった。
体調崩しまくり。肛門科でもらった薬は妊婦OKだけど耳鼻科でもらった薬は妊婦が使用するのは自己責任(一応安全基準は満たしているけど…)だから怖くて使えないわ
私は最近某J事務所所属アイドルグループJ西のファンになった。
すぐに専用ツイッターアカウントを作って、優しい先輩ファンやお友達から色々教えて貰って勉強している最中だ。
新たに知る情報を得られるのは嬉しい。
でも、ちょっと疲れてしまったことがあるのでここに吐き出させてください。
CDやDVDを買って数字を出そう、閲覧数伸ばして数字を出そう、出演番組観て数字を出そう、毎月出る雑誌や掲載されている雑誌は買って数字を出そう、…といったツイートを目にする度にプレッシャーや義務感で憂鬱になってしまう。
ツイート主に強制する意図がないのはわかる、これはただただ私の性格の問題だ。
でも本当に疲れてしまっていっぱいいっぱいだから書かせてください。
だから、CDも出る事に1形態買うのがギリギリだし、アルバムだともっと厳しい。
だから友だちと貸し借りしたりする。
DVDも過去作品全部揃えられているわけじゃないし、雑誌だって毎月全部帰るわけじゃない。塾なんかがあるから出演番組も全部チェック出来ない。
ツイッターには何枚もCDを買ったり、毎月ちゃんと雑誌に目を通したりしている人がいるのに。
……こんな私ではファン失格なんじゃないのか?
いつも頭をよぎる。
学生に加えて地方住みだから、行けるにしても近場でギリギリ1回。全通なんて夢のまた夢だ。
それでもファンなら、愛がちゃんとあるなら無理してでも行くべきで、地方住みなんて言い訳にしかすぎないのだろうか…と考えてしまう。
人それぞれ事情があるんだから自分なりに応援すればいいと思いつつ、ツイッターを見る度に自分がいかに無力かを思い知って義務感に駆られてしまう。
ツイッターから離れたいけど、お世話になっている方がいるからアカウントを消すまでは出来ない。
最近は距離をとっているけど、どうしても買わなきゃ、見なきゃ、行かなきゃが頭に残る。
めんどくさい性格だなぁと思う。
でもお金はどうにもならないから、自分で稼げるようになるまで今のスタイルを続けるしかない。
初回bしか買えなくてごめんなさい。
長々とすみませんでした。
何年か経って、そうかあれはそう言うことだったんだなと気付かされる時がある。
ある日、家に帰ると父と母が口喧嘩をしていた。
ほぼ毎日の事なので気にとめなかったのだが、
父がうるせぇええ!! と声を張り上げて家を出て行ってしまったことがあった。
普段、父はあまり喋るタイプではなく喋るとしてもテレビを見ながら文句をボソボソという程度だった。いつも死んだ目をしていた父、無気力でテレビを見続けていた父。
そんな父が突然家出したので、私は少し心配になり家の周りを探しているとすぐ近くの公園のトイレで鏡を見ながら父がすすり泣いていた。
正直 その時びっくりして見てはいけないものを見た気がして直ぐに家に戻った。
大の大人が情けないな〜
ほんと駄目だな うちの父親って
とあの頃は本気で思っていた。
私は今年40になる。
当時の父に一言言うなら、
大変だよなぁって背中を摩ってあげたい
他にやりたいことあっただろうし、稼いだ金も自由に使いたかっただろうに。
いつもの死んだような目は実は訴えかけてたんだよな。
、
今はそう思います。
加齢なのかストレスなのか、まったく内容が頭に入ってこない
何度も同じ行を読み返していたかと思えば、目は次のページへ進んでいるのに頭の中ではまったく別のことを考えていたり
登場人物や地名はもちろん覚えられず、数行おきに確認するから一向に進まない
買っても積ん読するだけなので、期限を決めては?と図書館で借りてみたが、変わらないどころか「早く読まないと…」というプレッシャーでますます悪化したので諦めて途中で返した
最近は積ん読されてる本を手に取る気も起きず、ダラダラネットばかりしてる
帯や書評を見れば面白そうと思うし、読みたい気持ちは変わらずあるんだけど
こういうのはどうしたら回復するもんだろうか
印象的な出来事だったので、ネットの海のどこかに残してみたいと思った。この場のことは代名詞が増田さんなことくらいしか知らないが、唐突な自分語りをしても許されそうなのでここに書くことにする。
妹と私は年が離れており、私は妹の生まれた時から姉と母親の中間みたいな立場で妹の成長を見守ってきた。
幼い頃の妹は、子供らしくて可愛い子だったけれど、あまり要領の良い方ではなく、優等生タイプだった私としてはヒヤヒヤすることが多かった。たとえば、自分から率先してクラスの中心にいる意地悪な女の子の取り巻きになって、何でも借りパクされてしまうような子だった。
この頃から成績は良くなく、田舎の公立小学校のテストでも平気でひどい点をとっていた。妹曰く「提出さえすれば自由時間になるから半分は解かずに出してた」とのことだったが、それを差し引いても何をどこまで理解していたのかはわからない。たぶん人間関係的に、良い点を取らない方が便利だったのだろうと思う。
そんな妹は、地元の中学校に入ってから、当然のように性格の悪い女の子の取り巻きになって媚びへつらうようになってしまった。成績は5教科で280点くらい。そして、案の定といっては可哀想だが、ひどいいじめに巻き込まれて不登校になってしまった。
このとき私はちょうど東京の国立大学に合格し一人暮らしを始めたところだったのだが、電話で親と話しながら妹の気持ちと将来を思うと、心がヒリヒリした。妹の体験と比べたら大したものではないが、自分にも荒んだ公立中学校独特の空気の中で、自己肯定感を失っていく気持ちには身に覚えがあった。
妹が幸運だったのは、両親が進歩的な考えの持ち主だったことだろう。
保健室登校で今の学校に通ったらどうかと言う私や学校教師の意見を無視し、両親は妹を不登校児の集まる遠方の私立中学にさっさと転校させてしまった。とにかく制服が可愛く、規則が緩い学校だった。集合写真を見ると、男子生徒の地味さと女子生徒の派手さがアンバランスな程際立っていて、私は「こんなのいかにもじゃないか」と心配した。
しかし、妹は、この特殊な学校への転校という大きな賭けに勝ったようだった。半ばカウンセラーのような先生方と一緒に時間をかけて精神を回復させ、1年ほどすると転校前の同級生がいない遠方の遊び場になら外出出来るようにもなった。
また、この頃から、いつかは昔の同級生を見返してやりたいと思うようになったようで、美容と勉強を頑張るようになった。特に勉強に関しては、多くの同級生が通信制や定時制の高校に進学する中、普通科高校に行きたいと強く希望した。当初の妹は不登校時代のブランクのため中3頭になってもbe動詞の活用だとかx^2-4=0の因数分解だとかが分かっていなかったのだが、元が低いだけにやる気になってからはぐんぐん伸びた。そして、進学校ではないものの、偏差値60弱くらいの私立高校の進学系のコースに最低点で滑り込んだ。なぜ最下位なのを知っているかと言うと、入学後に先生から異例の二者面談を組まれ、激励されたからだ。
そこからの妹は一層、人が変わったようだった。「JKっぽい遊びは中学でもうこりごり」とばかりに、不登校時代にやっていた痛いSNSもネット上の囲いも捨て、半ば遊びだった彼氏もいなくなり、字が綺麗になり、プリクラが減り、電車内で英単語帳を読むような高校生になった。高校のレベル別クラスも、半年で1番下から1番上まで上がり、これには両親と私も驚いた。
特に、ビリギャルに倣ったのだろうが高1高2では英語ばかりを熱心に勉強していた。英語系の塾にも通い出し、1年ほどで当時TOEIC800点の大学院生だった私をゆうに追い越してしまった。中学まで不勉強だった名残で、英単語帳に出てくる日本語の単語の方を知らない、漢字が読めないということが多発し、英語の語彙が増えるに連れて日常会話がルー大柴化した。その後、次第に英語以外も徐々に勉強するようになり、成績はうなぎのぼりだった。もちろん本人の中では、伸び悩んだり、不安になったりすることもたくさんあったそうだが、側から見ていると面白いほどに成長していた。志望大学もどんどん上がっていった。
そしてこの春、妹は通常より1年余分にかかったものの、早慶MARCHの滑り止め受験校3校をすべて合格したのち、晴れて第一志望の大学に進学する。妹は「これでようやくお姉ちゃんと肩を並べられるわ~。姉が○大生とか、これまでは人に言えなかったんだからね」と言った。
姉からすると、どん底から這い上がってきた妹の方が、とっくに自分よりすごいと思っていたので、妹がまだそんなことを思っていたことに驚いた。でも、自分がプレッシャーになっていたと同時に、ひとつの道しるべにもなっていたようでそれは嬉しい。
もともと地頭が良かったんだろうとか、親に金があったからできたことだとか思う人もいるかもしれない。また、大学合格なんてまだ単にスタートラインに立っただけじゃないか、まだ何も終わってないぞという指摘があるかもしれない。ごもっともだ。それでも、私はここまで来た妹の努力がすごく誇らしいのだ。
この先の人生、私たちの出身地の田舎じゃできないことをたくさんしていってね。姉はあなたのことを応援しています。
姉増田より
自営業で、本当にやりたい事のスキルアップのためにオンラインスクールを受講したい。
でも40万か…出せない額じゃない。
まだまだダメダメだとはいえ、定期の積立量を減らせば少し心の余裕が出る…。
ただ、ギリギリなんだよな。
毎月の出費を考えれば、次の案件を終わり切るまで本当にギリギリ。
この前の申告で結局、250万しか収入が無かった事に愕然としたよ…。
フリーになって、このギリギリという土俵際のプレッシャーがたまらなく怖い。
0になったら死にそうな気さえしてしまう。
取り乱した事もある。
ただ、このプレッシャーであえて冒険できる人じゃないと大成しないのはわかる。
フリーになって、作りたいものを作る時間を作ろうとおもったものの、
現実は、本業が力不足を痛感して仕事の勉強の時間も集中力も割いてしまっている。
でも、ここでやめたら、
2年前にキャラクターコンテンツを作ることに注力したいってやめた決意が無駄になる。
また1年方針を変えて様子を見ると、今度は34歳か…
独り身なのは今に始まったっことじゃないけど、怖いのは怖いよ…
最悪ダメでも次なんて言ってられない。
でも、今のままじゃ生き残れない。
40万をポンと払えるくらいまで待つか、今身を削るか…
二つに一つ。