はてなキーワード: フィジカルとは
道路交通法上、自転車は原則として車道を走らなければならない。しかし、軽車両と定められている自転車は、その他の車両に比べても圧倒的に非力であり、車道を走ることはまさに「命がけ」なのである。ここに上げたのは、自転車乗りにとっての”脅威”、そのほんの一部である。
言わずもがなの天敵。お前らを避けるために、自転車は右後方へ振り向き確認を行い、後続車両との車間距離を意識し、タイミングよく避ける必要がある。自転車乗りなら誰でも分かってくれると思うが、車道右側へと接近する恐怖は計り知れない。そこまでして避けたのに、停止していた車が突然動き出し、衝突する可能性もある。突然開いたドアに引っかかり、自転車もろとも空中を舞う可能性もある。路上に駐車する運転手は、常に「自転車乗りを死傷させる可能性がある」と意識してほしい。
巻き込み事故などの主犯となる強敵。まずそのサイズからして威圧感がハンパない。風圧、ヤバい。「車に乗ると性格が変わる」と言われるが、あれだけ強靭な鉄の塊に守られていて、気が強くならないほうがおかしい。自転車を追い越すな、とは言わないが、左脇にもっと余裕を持って抜けてくれ(スレスレだと本当に「あ、死んだ」って思う)。バス停で停まっている車両の追い越しに関しては①と同じ。前方が開けていない分、通常の乗用車よりも追い越しが困難。
これは本当に辞めてほしい。自転車というのは四輪と違って自立せず、走行中はバランスが命である。突然のクラクションに驚いてバランスを崩し、転倒したことであなたの乗用車の下敷きになるかもしれない。たしかに我々は邪魔な存在かもしれない。しかし、歩道と違って車道を走ることに関しては断固として「権利」がある。遅いからといって、クラクションを鳴らされる筋合いはない。
隠れトラップ。縦長の排水口にタイヤがとられて、悲惨な事故へと繋がりかねない。タイヤ幅の狭い自転車ほどこのリスクが高い。しかも、排水口というのはまさに「自転車が走る軌道」上に位置している。端的に「おら!死ね!」と言われているようにしか思えない。
敵の敵はやはり敵であった。車道において、二輪車のためにあてがわれているスペースはあまりにも狭く、並走というのは不可能である。となると、バイクは自転車を、速い自転車は遅い自転車を、狭いスペースで追い抜く必要がある。接触の可能性は高く、両者ともバランスを崩した結果仲良くオダブツになりかねない。向かいから逆走している自転車も結構いて、ビビる。
原則として車道での走行を義務付けられている自転車だが、「やむを得ない場合」には歩道での走行を認められている。上記のような数多の危険性を鑑みたとき、安全面から歩道を走るのは「やむを得ない」。少なくともぼくは歩道を通行する際、自らに二つのルールを課している。1."走らせてもらってる"のだから、いくら邪魔な人がいてもベルは鳴らさない。2.なるべくゆっくり走行する。このルールを遵守し、「ごめんなさい!」と懺悔した上で、ぼくは歩道へと乗り上げる。
歩くのが遅いのは許そう。せめて後方に注意を向けてくれ。もはや世界には自分以外の主体は存在しないと思い込んでいる老人にとって、「後方から自転車が接近する」可能性は頭にも浮かばない。ギアチェンジや、ペダルをガチャガチャさせる音で健気にアピールしても、耳が遠いので聞こえない。追い抜けず、何十メートルも後続し続ける図はシュール。
自転車乗りでなくてもウザい敵No.1。右からも、左からも追い抜けない微妙なデッドスペースをキープして歩くヤツ、なんなん。詩的に、風を切りながら歩きやがって。シンガーソングライターのMVかよ。ちょっと端に寄るだけで、みんな幸せになれるんだ。寄れや。
彼女たちは広がって歩く。それはもういいだろう、諦めた。不可解なのは、決して”避けない”ことだ。気づいたとしても、避けない。目があったのに、無視。なぜなのか。スクールカーストか? 陰湿な女子社会において前後で歩くと角が立つので、とりあえず無難なフォーメーションとして真横に広がっているのか? そんな五人も六人も横に広がって……端と端のヤツはどうやって会話してんだ??
男子中学生は全人類において最も「フィジカル・コミュニケーション」が活発な人種だ。肩を組む、突っつく、カバンを引っ張る、押し合う、ケンカのフリ、ダイナミックな身体的交流の数々は、挙げるとキリがない(決してイジメではない、仲のいい子同士でじゃれ合っているのだ)。自分にもそういう時期があったとは言え、思い返せばアレなにが楽しいんだろうね。じゃれ合って突発的に動くので、大変危険。
予測のつかない動きは、まさに奇行種。児童が視界に入った瞬間、スピードを800000兆分の1に落とすのが正解。また、親御さんは大抵こっちに気付いてくれるんだが、とっさに「危ないッ!!!」って言うアレ、なんなんだろうね。「自分の子供が人様の通行妨害になっているのを叱る」意味での「ほら、どいて」的ニュアンスならまだ分かるが、どうしても「なんて危ない自転車!うちの子を轢くつもり!?」という風に聞こえて、悲しい気持ちになる。そんなつもりはないんだ……。
意外と思われるかもしれないが、これが結構危ない。棒状のブロックでタイヤ側面がこすれ、バランスが崩れる。棒状のアレをやめて全部点にする(かわりに信号前を棒状にする)とか、そういう技術的な努力でいくらでも改善できるので、バリアフリーを謳うのなら自転車乗りにも気をつかってください。
日本人によくある「すれ違いざまに右に避けようとしたら、相手も(こっちから見て)右に避けようとし、左に修正しようとしたら同じタイミングで相手も左に修正しようとして、ばたばたする」現象のことだ。気遣いが、優しさが、こころ苦しい。自転車というのは対向する歩行者とコンマ数秒でかけひきをする乗り物だ。前方に自転車を見かけたら、はやめに左右どちらかへ避けて、そこから動かないでほしい。
迫害されるのも無理はない。世の中には車道で奇妙な動きをしたり、平気で歩行者に向かってベルを鳴らす非常識な自転車乗りがいくらでもいる。そんな悪いイメージを払拭するためにも、我々個々の自転車乗りが謙虚に、ゆっくり、周りを気にして走るしかない。この謙虚さが社会的に認められれば、自転車優先レーンの整備も進むことだろう。
そして、そこに乗用車が駐車する。
https://anond.hatelabo.jp/20171217040503
eスポーツが日本でも流行っている昨今、プロゲーマーを目指したい若者は増えているし、企業や政府も彼ら彼女らを認めている。
>だからこそアメリカのスポーツの選手は、まるで聖人のようにもてはやされるし、
>日本の選手も(やや茶化されるが)カーストの上位として誰もが認める
フィジカルスポーツのプロなんて基本的にごくつぶしだし、不条理に高収入である事から叩かれがち。
>e-sportsを認めない社会を恨む前に、自分たちの行動を省みろ
「試合中に死ねを連呼するプロ」「差別発言を繰り返すプロ」「憎悪に満ちた世界」
この辺のサンプルを2つ3つ持ってこい。そうしたら話を聞いてやる気にもなる。
4亀の記事を読んで。
フィジカル(肉体的)スポーツ、インテリジェント(知的)スポーツ、テクニカル(技量的)スポーツといった伝統的な分類のほか、
近年ではローケーションに注目したマリンスポーツや、道具に注目したイー(電子的)スポーツなどの新しいジャンルが開拓されている。
また、「スポーツの分類」として
スポーツ技術、記録などの向上を目指し、人間の極限への挑戦を追及する選手のスポーツを「競技スポーツ」と言う。
例えばオリンピックなどが挙げられる。
それに対して、老若男女、だれもがスポーツに楽しみを求め、健康づくりや社交の場として行うスポーツ、身近な生活の場に取り入れられているスポーツを「生涯スポーツ」と呼ぶ。
としている。
上記のスポーツの分類から見れば、「レクリエーショナル・スポーツ」に限りなく近い「競技スポーツ」という印象。
自分は主にFPSとDTCGのプレイヤーであり、歴は10数年ほどの若い人間。
とあるFPSタイトルでチームとして日本代表となり、韓国に渡ったことがある程度(自慢)
現状では、ゲームプレイを主体として継続的に一定額以上のお金をもらい続けているゲーマーではないかと思っています。
プレイスキルの有無は関係ないと思っています。ゲームプレイで見ている人を楽しませることが目的。
野球にせよサッカーにせよチェスにせよ、スポーツが何故「面白い」と感じるのか。
この3つが、見ている人に理解出来るよう周知する事だと思います。
ルールが理解出来なければ、何をもって勝利/敗北とするのか分かりません。
また、そのプレイヤーは、何の意図があって行動をしているのか、見る側は理解出来ません。
理解し得ない行動を見て楽しむことは、お笑いでないと不可能です。
例えば肉体的スポーツの場合、多くの人が学生時代に体を動かしているため、プレイに対しての凄さが分かります。
さらに言えば、日常生活において体は常に動いているものなので、プレイがいかに困難かということが「直感的」に分かります。
Eスポーツの場合は、「ゲーム」をプレイした事がない人が「直感的」に凄いと思うことは困難ではないでしょうか。
ゲームならではのグラフィックの凄さは感じる事が出来るでしょう。
しかし、プレイに関しての凄さは、「直感的」な、いわゆる「おおげさ」なプレイでないと凄いと感じれないのではないでしょうか。
肉体的スポーツでも同じかと思います。スポーツは楽しみや感動を共有出来る人と続けないと難しいと思います。
1人でも観戦やプレイに行く人はいます。しかし、その後には何らかの情報をTwitter等で発信しているのではないでしょうか?
ジオラマを飛び交う。ノーランちゃんがブーンブーンて握った戦闘プラモが。CG嫌いのノーランは実物の戦闘機や船を揃えたんだって。でも本当は戦闘機なんて好きじゃないよね。拳銃も。人間も。1/1スケールのプラモデル。やたら仰々しい音楽と、でっかいだけでの効果音。どうなのあの音?銃器マニアの人。リアリティーってなんだろう。ノーランの嫌いなCG、ハクソーリッジの徹底した描写。ましてや絵、この世界の片隅にの圧倒的リアル。なんで戦争映画なんて撮ったんだろう。血が流れない。痛みがない。フィジカルにもメンタルにも。表層の戦争ごっこ。ただひたすら安っぽい効果音とプラモデル。風立ちぬのような狂気と戦慄さえも呼び起こす戦闘機愛もない。ノーランは極力死体の映らない、救いのみの戦争映画があってもいいじゃないかと作ったんだって。英国ばんざい。フランス人は見殺し。オランダ人は他人事。ドイツ訛があるだけでリンチ。イギリス人以外はハリボテ。お安い愛国。感傷的で独善的なエンディング。ペラペラでプラスチックな物語がよっぽど残酷に思えたけどね。ノーランがおもちゃ箱でおままごと。そんな渋谷のレイトショー。劇場は1/3くらいの人かな。カップルはもとより、ドンパチ好きのおっさんも眠らせる。そんな映画。役者の演技も酷い。
大卒は可能性を広げるんだと馬鹿が申してるようだが、違う。まず給与が違う。生涯賃金が違いすぎる。
・たまになれる人がいるが、99%なれない。凡人はまず無理。
・中小企業であっても、事業を広げる段階で高卒用の給与テーブルに追いやられる。
・中小に勤め、高卒でも給与を上げられると騙されて個人事業主をやらされる人が後をたたない。
・夢を求めて()海外で勉強して()←冷静に周りをよく見ろ。それは100人中1人ですか?
現代において最終学歴が高卒になってしまうのは、メンタルやフィジカルに何かしらの障害があるからです。
精神科で社交不安障害診断済みのモノホンの対人恐怖症かつコミュ障の自覚ありだけど、声はよく通って大きい上に滑舌も良くハキハキと話せる。
だけど、緊張してたり疲労やストレスが溜まってくると、特定の音から始まる第一声が出なくなる(「あ」から始まる言葉など)。
緊張するとすぐにパニック状態になって心身ともに挙動がおかしくなり、それを他人からからかわれたり真似された経験数知らず。
元増田はフィジカルが問題なのではと言うけど、自分の今までの経験から言うと、心身一如というか、心も体もお互いが影響し合っていて、どちらが原因とは言いきれないと感じる。
卵が先か鶏が先かみたいな話。
コミュ力に関係ない → 声が出しにくい、通りにくい、滑舌が悪い、耳が悪い、うるさい場所だと何度も聞き返してしまう
コミュ力に関係あり → 頑張って喋っても何度も聞き返される、音は聞こえるけど会話を聞き取るのが苦手
関係ありに付け足すならどもりかな。
声が小さい、喋るのが遅い人より大声早口のほうがウザがられてる感じがする。
声が通りにくい、聞き返される、会話を聞き取るのが苦手。すっごく当てはまる。
こういうフィジカル面に引っ張られてコミュ障化したんだと思う。
"通る声"ってどうやったら出せるの?
ほぼひきこもりのような身分の俺氏、今日も無為に過ごしてしまう。
ただこのままだと本当に何もしないまま一日を終えてしまいそうなので、今日だけは匿名ダイアリーで日記を書いておくことにする。
今日食事とうたた寝以外でやったことといえば、ゲームとギターを弾くの二つだけ。ああ、でもサッカーもテレビで観たな。
あ、でも布団も干したっけな。
●ゲームの話
ゲームはウイイレを少々。一回やると数時間はやってしまうのがこのウイイレの悪いところ。
でも、ゴールするのが正直楽しすぎて、中毒になってしまっている自分がいる。ほんと、ウイイレは楽しい。でも中毒性が高すぎるっぴ!
●ギターの話
で、さすがに今日もゲーム三昧っていうのはまずいだろうと思ったから、今日はギターを弾いてみたわけ。
星野源の「恋」のコードを弾いてみた。だいぶ前からちょこちょこ合間をぬって練習してるからかなりコードも覚えたけれど、あともう少し。
というか「恋」も弾けるにつれてそろそろ飽きてきたので、また他の課題になりそうな難易度の曲を探してこないといけないなぁと。
●サッカーの話
テレビでのサッカー観戦は、浦和レッズと大宮アルディージャの試合を観た。
シルバーコレクターとなり幾度もリーグタイトルを逃してきた事と今期の不調もあいまって、遂にペドロヴィッチ監督が解任され、
レッズのチーム内のコーチが監督に内部昇格し、新体制を築いている浦和レッズ。
その浦和レッズをホームで向かえ撃つのは、現在残留争い中の大宮アルディージャ。
浦和レッズと大宮アルディージャの試合は、浦和と大宮という二つのホームタウンの関係性から、「さいたまダービー」と言われてるらしい。
(ダービーと言われるほど殺伐としているかどうかは別として…)
それでまあ、テレビをつけていたらなんとなく浦和レッズと大宮アルディージャの試合が放送されていたので、
(ちなみに浦和レッズも大宮アルディージャも俺の応援しているチームじゃない。俺が応援しているチームはガンバ大阪だ)
それで試合を観てみた。試合展開としては、まさかの浦和優勢ときた。
「浦和レッズ、正直もう駄目だろうな…来期はJ2だな…」と思いながら浦和レッズをみていた俺としては、正直驚いた。
今日の試合を通してみても、ペドロヴィッチ監督の時代に培われたポゼッションサッカーは鳴りを潜め、
浦和レッズは「守備硬め&カウンター重視&上手い選手でゴリ押し」というほんとーーーによくあるJ1のチームに変貌していた。
あれだけ補強を繰り返しておきながら、そしてあれだけの選手層を持っていながらそれらの強みを何ら活かすことが
できていなかったペドロヴィッチ監督時代とはうってかわってのサッカースタイルに変化した浦和レッズ。
関根や菊池、武藤といったアタッカー、そしてなんといってもあの恐ろしいズラタンというストライカーが躍動しつつあった
今日の浦和レッズのサッカーは、その精度を高めれば恐らく余裕でJ1を連覇していてもおかしくないほどだ。
はっきり言って、浦和レッズが普通のJ1のチームのサッカーをやっていると、本当に最強だと思う。勝てるチームがないと思う。
そして後半スタート。後半、アルディージャに1点返されるも、すぐに得点を奪い、スコアを2-1と盤石なものにした浦和レッズ。
試合運びも堅実そのもので、1点差を守り切ったうえで、GK西川の正確なロングフィードという飛び道具を上手く使いながら
あわよくば3点目を狙いにいくという指針を浦和レッズは後半の半ばあたりから打ち出した。
手堅い、手堅いぜ。あのあたふたしていた浦和レッズはどうしちゃったんだよ。完全に横綱相撲やっちゃってるじゃねーかよ、と。
どうすんだよ、手堅い浦和レッズという恐ろしいことになっちゃう片鱗を今日の試合を見せちゃってるよ…と戦々恐々だったが、
それも杞憂に終わった。杞憂というよりは、今回ばかりは不運であったということか。
残留争いに追われている大宮アルディージャが、後半フィジカルゴリゴリサッカーに切り替えた結果、
やっぱり残留争いに巻き込まれているチームは、気合が違うらしい。
気合と運で2-2。2-2のままでゲームは終了し、浦和レッズとしては痛恨のドローとなった。
なにせ相手は残留がかかる相手で、かつ大宮だ。その大宮に新監督の体制のもと勝利するというのは、
いささかハードなミッションであったと思う。なので遂行できなくて仕方がない部分もあると思う。
レッズは、これからも今日のようなサッカーを続けていけば、きっと今シーズンもJリーグの優勝争いに
絡んでくる可能性は十分あると思う。
それとレッズ、ポルトガルの1部リーグからスタメンだったセンターバックを補強してくるんだっけ?
なんじゃそりゃ、強すぎんだろーと。どこまで強くなるつもりなんだ、浦和レッズよ。
ただ、やっぱり気持ちの面で少し甘いところがあったのかなと思うので、その部分は次回に向けて要修正だと思いましたね、
今日はこの後小説ちょろっと書いて布団をしいたら1時30分過ぎまでには寝ようと思う。
(合計2180字)
まずは、「球詠」の 2 巻が出て安心。
なんとかもうちょっと話題になって、長期安定連載を確実にしてほしい。。
2 巻も相変わらず楽し気に野球やってて良い。そのメンツだから楽しい。楽しいからやる。そして勝ちたい。勝ったらうれしい!というスポーツのあるべき姿が端的に描かれていて楽しい。
現実世界の運動部はアレだからね。。そういう意味ではまあ、ファンタジーなんだけど。読むほうはファンタジーを求めてるしね!
展開も、流すところは流して、クローズするところはクローズするけど引っ張りすぎなくてテンポ良い。
作画は 1 巻から良かったけど、さらに良いかも。動きのある画がそれっぽくて、見てて楽しい。背景も密度高い。
じっくり見れるコマがいっぱい。ヨミが他メンバーより一回りでかくて、いかにもフィジカルに恵まれたピッチャーって感じがかっこいい。
試合中心のスポーツマンガは、ワンパタンーンだのマンネリだの言われがちだけど、決まったルールの中でやってんだからそらそうだよね。
無理やり展開とか無駄要素に走らず、メンバーの関係性とか、試合内容の面白さとか試合展開の意外性とか、基本要素で引っ張ってほしいと個人的には思う。
状況次第ではそうもいかないのかもだけど。
男性っぽい設定なのに登場人物を女性中心にして、絵面をきれいにして読みやすくするってのは定番だけど、野球でうまいことやった手腕はもっと評価されて良いと思う。
みんな読んで読んで!
長期安定連載に持ち込んで、百合界のドカベン/大甲子園目指して頑張っていただきたく。
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最近知ったマンガでは群を抜いて面白かった。1 巻が出たのは結構前みたいだけど、今まで気が付かなかったのはなぜだ。。
犬上すくねは名前だけ知ってて、読んだことはない人だったんだけど。これはほんと面白い。
おれは SM カルチャーは詳しくないんだけど、言葉のチョイスがとても良いと思う。
SM の文脈にきっちり乗せつつ、ギャグ/コメディ的にも良い感じで。
もちろん、そこに持っていくまでの流れもうまい。畳み込むところもシンをとらえていてパワフル。
そんで、2 巻ぐらいになってくると、プレイからにじみ出るイチャイチャ感がすごい。
既存のイチャラブがたどり着けなかった場所に、SM という極北ルートからたどり着いた感がある。
あるんだけど、個人的にはどれも今一つ消化不良というか、こなれてない印象があって、絵面はインパクトあるものの滑ってるケースが多くて、プレイによって両者の関係性を新しい視点から表現できてる作品ってあんまない。結局、既存の「スキ」を超えられていないってゆーか。
「蛇沢課長~」はプレイによって、見たことのないレベルでイチャつかせることに成功していて凄いと思う。
画も良いと思う。美々子の表情がサイコー。S モードの表情は本当に良い。見開きまたやってほしい。
S モードの表情が最高なのはもちろん、それ以外もバリエーションがあって楽しい。
服もうまい。固い素材では、腕を上げると肩の外側に大きなしわができるとことかちゃんとしてて。
いや、そんで、この作品ももっと話題になって良いんじゃね?。そう思ったのが、今このレビュー書いてる理由。
出版社にも頑張ってほしいけど、オタクももっと気合入れてサルベージ/プッシュしないと。
ホント、長期で連載続いてほしい。ほとんどタダで読めるので、みんな読んで読んで!
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外で怒鳴ってるおじさんを見ると、理由はどうあれとりあえずハリセンを取り出して「メルシーボクーーー!!」などと叫びながら全力で頭を張り倒したくなるのは僕だけじゃないと思う。
でもホントにやると殴り合いのケンカになったりしそうで、そしたら僕は自分でも驚くほどフィジカルが弱いので、そうなるともう僕には少し距離を取って周囲をフニャフニャと舞い踊るくらいのことしかできない。
回ったり踊ったり傘をクルクル回したりしていると楽しくなってくるので自然と笑顔になるのだけれど、昔から僕の笑顔は目が笑ってなくて怖いらしくてとても不気味だと言われる。
口角あがりまくった能面みたいな感じらしい。
鬼ごっこの鬼をしたら年下の子が漏らしたり、夢に出てきたとか言われて、結局鬼が回ってこなくなって、暇だから鬼を追走するようになったら鬼ごっこ自体開催されなくなったりした。
まあ、そんな顔のおかげか、毎回怒鳴るのをやめるまで続ける気概で気合を入れて挑むけど、まだ失敗したことがない。
とはいえ、中学生のころからやってるけど年に数回くらいなのでまだ通算50回もないと思う。
朝から怒鳴りつけおじさんに遭遇してしまうとたまに会社に遅れるけど、ちょっと遅れますって電話しとけばセーフぐらいの範囲で済んでて助かる。
踊りながら怒鳴りつけおじさんと何度も目が合うと、怒鳴るのを止めるか、たまにこちらに向かって怒鳴ってくる人もいる。
でも怒鳴られても、踊るのが楽しいのでウフフ、オホホと曖昧な返事をしていると皆じきに立ち去ってくれる。
怒鳴られていた人と一緒に「なんだアイツヤベェよ」「ヤバイっすね」と言いながら去ってくれたりするととてもうれしくて背中を見送る口角が余計吊り上がる。
きっとそのあと再開されるお説教では、道端で怒鳴りつけていた先ほどまでほどの熱はこもらないだろうから、もう少し理性的に話し合いや指導ができているといいなといつも思う。
最近なにやら診断も下ったりしたが、どうやら僕は物事の捉え方とか、やるやらないの判断とか、衝動の抑制とか、そういうのがいろいろ多方面にズレているらしい。
とはいえ昔から自分では、どれだけ周囲と自分を幸福にしつつなるべく善良に暮らそうとしても、純粋な気持ちで「人を殺してみたかった」とか言っちゃったり、自分のしでかしたことをものすごく他人事のように淡々と語ったりするタイプの、ヤバイ犯罪者の言動にごくナチュラルに共感できてしまう、かなり紙一重な感じのキチガイであると思っていたのでその辺はさして変化はない。
好奇心に対する歯止めがかなり薄いのだと思う。
やらかしてしまって理由を問われても、自分としては「やってみたくなったから」「気になったから」以上の答えがあまり用意できない。
なのでたまに職質されると、よしよし日本の警察はちゃんと僕のような不審な人物を見抜けているのだな、ととても安心する。
まあ、グロいのとか血とか痛いのとかダメだから、他人に物理的に危害を加える系の方向にはそういかないとは思うのだけれど、人から「優しい」と称され倫理観ブレーキ的なものがあるように見えても、単に自分がしたくないから偶然それはしてないだけみたいなスレスレ感が常にある。
そして、お外で怒鳴りつけるおじさん各位はそうした行為が、奇怪な風体をしたミニマムスローダンスおじさんである僕を呼び寄せるくらいキチガイホイホイであることを自覚して、ちゃんと戒めて欲しいと思う。
要はソニーなりの大企業になると大きな仕事をしなくてはならなくて、職人がひとりでできるひとり分の仕事をしていては回らないわけで。
日本の企業は、昔から製造工場のライン工のメタファーで極力プログラミングを単純作業に落とし込んで、多くの低スキルプログラマーによりスケールする道を選んだ。
一方アメリカをはじめ諸外国は、ある時期からプログラミングに科学、つまりコンピュータサイエンスと数学を持ち込んでスケールさせようとした。
(コンピュータ自体は最初から科学の産物だけど、それをビジネスに展開するときの話ね)
だから日本でのプログラマーの地位は海外に比べて低く、早くマネージメントに上がれといわれ続ける。
日本企業の誤算は、ソフトウェアの進化がハードウェアの進化よりもずっとずっと誰も予想がつかないほど速く、ドラスティックだったことで。
さらに世の中が急速に進化して、サービスの時代になるとフィジカルインタフェース以外は全部ソフトウェアという製品も出てきた。
もはやこうなると多数のライン工プログラマーを抱えたハード屋という構図では圧倒的なアウェイでしかない。
もし大企業が本気で変わる気があるなら、製造工場の考えを全部捨ててゲーム制作プロジェクト、それもAAAタイトルの巨大なプロジェクトのスタイルを他のビジネスにも取り入れるのが良いと思っている。
ベテランプログラマーがひとり分だけの職人仕事をするのは大企業では難しい。でもその才能を生かしたまま映画監督のように大きなプロジェクトチームを率いることはできるはずで、たぶんソニーはそういうことのできる会社だったはずで。
これが男女逆なら、童貞はソープに行け、と言いたくなる事案だと思った。
なんての、男とか女とか、フィジカルに(自分の体で)理解するもんで、それでよくね?
もし理解できなきゃ、それはあなたにまだ「その時」が来ていないだけだ。
あとね、女の性は、中年になると変わるよ。
30代中盤~後半くらいに、子供を産むなら今がチャンスって焦りが体の中から沸いてきて、
それ以降にやっと主体的な性衝動みたいものが沸いてきて、性が楽しめるようになる。
何故かそういう風に出来ている。
(たぶん10~30代くらいまでは雄の性衝動が原動力になって、それ以降は雌の性衝動が原動力となって、
長い期間繁殖できるようにできてるんじゃないかな。人間という種は。)
http://diamond.jp/articles/-/86178
「その後、会社側は再就職の支援として、人材サービス2社を紹介してきた。そのうちの1社は、担当者が説明会にすら顔を見せず、案内のパンフレットが置いてあるだけ。そんな会社は信用ならんと、もう1社に支援を依頼したが、求人内容はどれもパッとしなかった。」
結局、仕事選んでんじゃねえか。
若者には「仕事を選ぶな、奴隷になれ」って口を酸っぱくして言っているのに、
自分は再就職で切羽詰ってるはずなのに貯金が2000万円あるから値踏みする。
「要らない人間としてリストラされた50代」という現実がこの期に及んでも見えていない。
自己責任だと言って責任を個人に集約しようとするくせにいざ自分が自己責任でホッポリ出されたら経営陣に恨み節!
言われた仕事だけやってのんべんだらりと過ごしてたからリストラされてんだろ、自己責任じゃねーか。
貯金と首を切られないと高を括る態度が気を大きくしているだけで、
今を生きる若者と比べて能力もメンタルもフィジカルもない社会ゴミ。
こんなオッサンどもが今の日本の上司なんだから、そりゃ国力落ちますわ。
世のため人のためよりもいかに自分が逃げ切ることだけしか考えてない。
若者の顔を見たら2枚舌使って「奴隷になれ奴隷になれ仕事を選ぶな仕事を選ぶな奴隷になれ奴隷になれ仕事を選ぶな仕事を選ぶな」を呪文のように繰り返す。
こりゃ社会悪くなる一方ですわ。