はてなキーワード: はしごとは
https://www.imdb.com/title/tt2930136/
7/10
これは、近年日本で最も人気のあるテレビドラマと言われています。 10のエピソードのシリーズ全体を見た後、私はそれがなぜとても人気があるのか理解しています。
一つは、日本の苦労している給料給付の男性が、自分が望むことを言いたいとは言いたいが、恐れている人を助ける。それは抑圧された声に役立ちます。
第二に、日本でバブル崩壊して以来、失業中の中小企業を大切にしています。彼らは、ナンバーゲームをしたり、資産を蒸発させたりする代わりに、実際に商品を生産する人々です。
急速に変化し、金融中心の社会では、Hanzawaは私たちがかつて失ったものを持ち帰ります。
私はそれがファーストクラスだとは言わないが、それはとても価値のあるものだ。より多くの観察:
それは日本の時代のドラマのようなものです。重要な人々はすべて行進して角を曲がり、その後将軍は支部長です。その後、すべてのトリックと扱い、同盟者。それは、昔や今、日本や中国でも同じです。
それは、ハンザワが自分の誇りを擁護しているサムライドラマのようなものでもあり、彼の将棋に対する忠誠ではなく、彼の父親の人間哲学に対するものであり、バンクーバーにいなくても観客に魅力を感じさせる。
上から下位の給料人には、生存のためだけに人生が苦しいというグループの圧力がたくさんあるようです。あなたは、他の妻と集まらなければならなかった妻のためにさえも、あなたがしていることや、あなたが言うことを細心の注意を払わなければなりません:彼らは調和して見えるという意味で多くの偽善があります。あなたが尊厳と誇りで生き残りたいなら、あなたの達成感はもちろん厳しいでしょう。
ランキングは、会社と妻の間で非常に重要です。さまざまなルールや習慣に従うというプレッシャーがたくさんあります。
したがって、コホートのサポートは、このランキングシステムと戦わなければならないときに非常に強力です。
結婚と仕事の生活は非常に異なっているようです。男性は通常、家での仕事について話しません。カップルの間には多くの秘密(不必要なもの)がたくさんあるように思われます。したがって、彼らは通気できず、多くの病気に発展する可能性があります。泥棒はそのような愛する父親になることができます。したがって、日本では、パンの唯一の養育者であり、自宅でも通気することはできません。彼らが以前に死んだのも不思議ではない。
すべての妻(大和田を除く)は、夫が職場で何をしているのか分からなくても、非常に支持的で理解しています。彼らから学ぶべきことがたくさんあります!
少なくともこのドラマでは、すべての行為は非常に役に立つものです。コホート間の協力を除いて、すべての行動が何か他のものと引き換えにあります。妻の花からのプレゼントでさえ、彼の勤勉のための報酬のようなものでした。無条件の献身と愛はどこにありますか?
詐欺師は1次元でもありません。私は彼らが物語をもっと説得力のあるものにする一方で人間でもあると確信しています。
ハンザワは対立しています。これは日本の伝統的なハーモニーの育成とはまったく反対です。多分日本の伝統に挑戦し、日本の給料人の間で未達成の欲望をたくさん出すので、彼らは皆それを愛しています。
スクリプトの面では、すべてのエピソードで新しい情報が少し驚いています。それは自然にあなたの注意を引くサスペンス映画のように動作し、あなたは放置できません。
日本人は長期的な関係を非常に重視しているようです。コホート、大阪の記者、敵。彼らは、彼らに邪悪で厄介な人々の良い思い出を持ち、それに応じて行動します。だから、それらを混乱させないでください!あなたが彼らに親切なら、彼らはあなたに親切であり、逆もまた同じです。その時点で私は似ています!
誰もが転送を恐れているようだ。しかし、少なくともあなたはまだ給与計算の下にあり、多国籍企業では、外国人として働くことは特別手当を受け取り、あなたは遠隔地に移され、古代中国のように新しいことを学ばない限り、キャリア進歩のはしごと見なされます。しかし、多くの偉大な文献は、著者がこれらの遠隔地に移されたときに書かれました。
大沢を演奏した香川照之は、ハンザと演奏した酒井正人に比べて優れた俳優です。彼らはKey of Life(2012)とその映画で一緒に仕事をしてきましたが、違いはさらにはっきりしています。 http://www.imdb.com/title/tt2078599/reviews-1
8/10
誰が企業の銀行口座振込がとても面白いかもしれないと思っていたでしょうか? Hanzawaと彼のローン部門は、数百万という総額のローンを承認するために、より高い価格で取引されている。 あなたが何か怪しげなにおいをする前に、口座は破産し、経営幹部はハンザワに対してすべての責任を負わせる。 彼らが推測していないことの1つは、彼の執拗さ、お金を守るスキル、そして彼を追いかける暗い復讐です。 罠はどこからも発射されず、敵は邪悪で狡猾なジャッカルのようなサークルです。 怒りを学ぶ - ハンザワとねじれ、それは二重の払い戻しだ! 殺人も殺人もない - ヌードはありません。 格付けはアジア全域で崩壊する。 非常に中毒性が高い。
前々から気になっている女芸人の立ち位置、バラエティでの振る舞いについてダウンタウンの「朝まではしご酒」でとても象徴的な場面があったので少し書いてみる。
朝まではしご酒はダウンタウン、坂上忍、女性タレント1人の計4人が、色んな芸能人や著名人と一緒にお酒を飲むというロケ番組だ。ダウンタウンと坂上忍はレギュラーだが女性タレントは毎回違う人になる。そしてその回の女性タレントは田中みな実だった。ちなみに自分は坂上忍は嫌いだがダウンタウンはもろ世代でずっとファン、この番組は基本的に好きでよく見ている。
さて、その回のゲストの1組が尼神インターだった。誠子と渚という女性コンビ芸人だ。渚はヤンキーキャラで顔も可愛いが、誠子は以前から自身のブスいじりを武器の1つとしている。ダウンタウンは同じ事務所の大先輩になるが、さほど緊張した様子もなく、ダウンタウンからもかわいい後輩という空気が出ていて会話も弾んでいた。そしてその会話の中では誠子の武器の1つであるブスいじりが何度も行われる。松っちゃんはブスと何度も言うし浜ちゃんも髪の毛を引っ張ってみたりして、誠子も面白リアクションをしていく。
ある会話の流れの中で少し空気が変わる瞬間があった。
誠子「心キレイですよ私」
必死で答える誠子に場は大笑いで盛り上がるが、そこで田中みな実がこんな感じの事を言う。
田中「え、こういうのテレビでいいんですか?」「(乳首キレイとか)そんなの言ったらダメですよ」「女の子がそんな事言ったら…」
場の空気を悪くしないようトボけた感じで言ってるが素直な気持ちという感じだった。
そこで松本はいや、(田中みな実は)バラエティの空気を読まないとダメ、みたいな事を言う。坂上忍も浜田も同調。そして誠子が田中にこう言う。
「アンタがそれを言う事が1番私を傷つけてんねん」
これがまさに、今の女芸人の立ち位置の難しさを象徴していると自分は感じた。
芸人として笑いを取るためにブスいじりを受けて立つ誠子に対し、田中みな実という一般的にかなりきれいな女性から「かわいそう」的な目線を向けられると、誠子としては1番腹が立つわけだ。しかしそれは同時に、ブスいじりで笑いを取るというやり方の危うさをあらわにされる事でもある。暗に「そんな自分を蔑むやり方で笑いを取ってはいけない」という事も言っているから。これ自体は正論であり、理想としては男だろうか女だろうがブスいじりで笑いを取るのは褒められたもんじゃないかもしれない。でもダウンタウンや誠子にしてみれば、ブスを笑いに変える事で俺らは戦ってるんや、これで稼いでるし自らやったるんだ、上っ面でやりたくない、ある種の正直さというプライドすら持っていると思う。
松本の言う「バラエティの空気」とは女芸人が成功するためのひとつのパターンの話でもある。明石家さんまやダウンタウンのような吉本芸人が作ってきた歴史でもある。それを考えると時代の節目としてなかなか象徴的な場面だったと思えた。今までは単純にブスである事で笑ってもらうというやり方でうまくいく事もあったが、これから先ブスいじりで笑いを取ろうとする女芸人は、かなり頭が良くないと難しいのではとも感じた。
まず先に言っておきたいのだけど、これは単なるオウム返しネタではないです。
それこそ、法規制がなく、処罰もない分だけ男女雇用機会均等法施行当時における職場での女性の扱いよりもひどいんじゃないかと思う。
という部分について言うと
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就職して普通に仕事をしてみたけど、会議なんかで思うのは、女は結局真剣に仕事なんてできないでしょ?って偏見に凝り固まって最初っから接してくる人たちばかりだということだったよ。最初に他社に営業に行った時、そこの担当者が「きれいな方ですね」なんてことをお世辞のつもりか上司に言っていて、「それと仕事になんの関係が?」と思った記憶がある。
他にも仕事中に、男様から上から目線でものをいわれたり、居ない人扱いされたり、お客さん扱いしてはしごを外されたりするのが当たり前。
女性に参政権がなかったり就職が普通でなかった時代よりも、あるいは結婚して退職する腰掛けが普通だった時代よりも、仕事しようという女性には厳しい時代なんじゃないかと思う。
これじゃあ、よほどメンタル強くないと女は総合職で仕事しないんじゃないかなって思ってる。
まあ、普通に何でもできちゃう男様とか、周囲に頼れる人を配置したがる男様とかは女なんて余計なものをむしろ自分の部下から排除する側にまわりそうだなと思った。...役員が集まるところにいると、せっかく総合職に採用しても女は辞めるとか所詮仕事に本気じゃないとか熱く語っているんだけれど、たぶんこういう男様に限って排除しておきながらやる気がないと語っているんだと思った。
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…みたいな意見は前世紀末からゼロ年代にかけて山ほど聞いた話で、あなたの苦痛にはもちろん同情するがそれが「特別な」苦痛だ、という意見には同意しがたい。これは批判ではなく、むしろ逆。
ただし、その苦痛があなたの視野に入っていなかったとすれば、そこには少しだけ問題があると思う。このような苦痛(女性が被ってきた、いわば歴史的苦痛)にこれまで注意を払ってこなかったとすれば、それはまさにあなたのこれまでの人生自体の問題ではないか。「歴史など関係無い。私自身は苦痛を与えていない」と主張するのはもちろん自由だけど、現にその歴史を生き延びた人たちから見れば、そんな風に宣言して苦痛の歴史に無関心であること自体がギルティだということになるだろう。(つまりこれって日韓関係なんかにもまさに同じ事が言えるわけなんだけど。)
少し話がそれたので戻すけど、本来フェミニズムというのは、こういう歴史を分析して、今後いかなる苦痛も(男性→女性だけでなく、女性→男性の苦痛も)再生産しないことを目的として行われるべきものだと思うんだよね。それがフェミニズムの社会的有用性ってものではないのか。上に上げた改変みたいなのには超敏感に反応してきたフェミニストが、子育てに参加する増田の苦痛に無関心だとしたら、それは学問的自殺に等しいと思う。「男は男でなんとかしろ。女である私たちの知ったことではない」的意見は間違っている。それはまさしくただの女性主義、男性主義に囚われたものの考え方だ。いやしくもフェミストを名乗る人が「(強い)男性は自分でなんとかしてください」的な物の考え方をしているとしたら、それは大いに問題なんではないか。
「対象が男であろうが女であろうが無関係に、ジェンダーの生み出す苦痛を分析し、告発する」
それが正しいスタンスだと思う。
子供ができて普通に育児をしてみたが、児童館などの集まりに行って思うのは、男は子育てなんかできないでしょ?という先入観で最初っから接してくる人たちばかりだということだったな。最初に児童館に行った時、そこの保育士が「パパは良く子育て手伝ってくれるの?」なんてことを妻にきいていて、「手伝うってどういうことだよ?」と思った記憶がある。
子供の世話をしていると、女様から上から目線でものをいわれたり、居ない人扱いされたり、お客さん扱いしてはしごを外されたりするのが当たり前。
一人の子育て中の人間としては全く見られていないと感じてたね。
それこそ、法規制がなく、処罰もない分だけ男女雇用機会均等法施行当時における職場での女性の扱いよりもひどいんじゃないかと思う。
これじゃあ、よほどメンタル強くないと男は育児しないんじゃないかなって思ってる。
まあ、普通に何でもできちゃう女様とか、周囲に頼れる人を作れちゃう女様とかは男なんて余計なものをむしろ排除する側にまわりそうだなと思った。...ワーキングマザーが集まるところにいると、旦那が育児に協力的ではないと熱く語っているんだけれど、たぶんこういう女様に限って排除しておきながら手伝いがないと語っているんだと思った。
例えば、って話なんだけれども。
”男らしさ”だとか、”優しい”だとか、”誠実”だとかっていう単語が制限された状態で恋愛を言語化するサービスって―流行らない。いや流行らないだろうけども―それなりに人気を得たりしないだろうか。
実のところ恋愛なんて、大体は何の知見も与えてくれない、性風俗の代替案、もしくはロマンチックラブの証拠づくりにしか過ぎないしょうもないことだと、改めて定義づけることはできないだろうか。
いや実際一部の恋愛は素晴らしいと思うし、セックスや無償の愛というものによるエンパワメントが存在することも知っているけれど、
それはあくまで一部で、世の中で語られている恋愛の話なんて、自分の経験を自分自身が否定したくないあまりの言い訳にしか過ぎないことが多い。
そして一方で、こうやって僕が恋愛を矮小化するのだって、慎重な僕の行動たちを肯定する言い訳でしかないのかもしれない。
僕らは恋愛という関係を強固に言語化するほど性愛の進化が定まっていない。なぜならそもそもで人間が一夫一妻制で進化したのはつい最近のことで、それは性感染症を防ぐためだったり、戦いによる無駄死にを減らすためだといわれているわけだけど、コンドームや社会福祉の登場で、その進化の状況も途上でひっくりかえろうとしている。進化による損失を補うシステムによって、僕たちは僕たちの進化すら否定するような状態になっている。実はポリアモミーやアセクシャルは進化の最先端にいる人たちで、当然淘汰されるのはアセクシャルだけども、それが一定数発生するのであれば、ゴミどもが言っている”本能による”事実上の多夫多妻制などが出来上がるのかもしれない。
ここでいっておかないと、勘違いをされるので表明しておくと、本能に基づくとされる多数の異性との交際に僕は寄与しない。本能によるならばあなたが生まれた時点の一夫一妻を主張するわけで、本能でいろんな異性とヤるという考え方は、性についてなんら思いを巡らさなかったという表明にしかすぎない。そうでないのならばポリアモミーもしくは、進化した人類だからというべだ。そこに違和感を覚えるのであれば、あなたは性欲のために進化の過程にある人間を騙し、所属する団体に打撃を与える行為を行った、ただの加害者に過ぎない。ここでいう加害とは、モノガミーの考えを抑圧した、あるいはそういった洗脳によって客観的に相手をレイプしたということにある。
そうした混迷の中で僕たちは恋愛を言語化することによって、いったい現在なにを恋愛とするのか、という定義づけを求めているのでないかと思う。いやよくわからん。
しかし、定義づけによって、はしごを外されると恐怖している人たちに一応言っておくが、そのサービス自身があなたの恋愛を抑圧することではない。世の中はレールから外れた人間でも生きることを許されたシステムとなっており、現在それを目指して努めているのだから、たとえそうでない恋愛であっても社会はそれを許容してくれる。なんかもっと書きたいことがあってそれがこの話のコアな気がするけど、酒を飲んで面倒になったからここまでにする。
アルピニスト・野口健は、産経新聞の書評で2014年、次のように言った。
https://www.sankei.com/life/news/141018/lif1410180018-n2.html
10年ほど前の出来事だが、僕の元に一人の青年が訪ねてきた。「野口さん、エベレストを単独無酸素で登りたいのです」と。短い時間であったがピン!と感じるものがあった。これまでにも何人もの青年たちが僕に同じような事を伝えに来た。しかし、彼らの多くは僕に宣言した目標のごく一部を達成したところで満足してしまったのか、または就職活動といった現実に背を向ける勇気もなかったのか途中で放り投げてしまう者ばかり。だったら最初から僕に宣言などしなければ良かったのに。
https://www.sankei.com/life/news/141018/lif1410180018-n2.html
栗城氏も三度(みたび)エベレストに挑戦し、いまだに登頂は成し得ていない。前回のエベレストでは遭難し手の指を9本凍傷により切断。登頂できない彼に対し誹謗(ひぼう)中傷は酷(ひど)かった。「下山家」とも罵(ののし)られた。
僕は世の中の応援に対し時に「無責任だなぁ~」と感じる事もある。応援する側の多くは何となく応援している。そして結果がでないと時に梯子(はしご)を外したかのように批判に回る。そんな風潮の中、途中で夢を諦(あきら)めていく若者も多い。
しかし、栗城氏は指の大半を失いながらもエベレスト単独無酸素を諦めていない。今夏、彼は8千メートル峰であるブロードピークに無酸素単独挑戦し見事登頂を果たしたのだ。初めて彼と会った時に「この青年は違う」と感じていたのは間違いではなかった。来年、彼は再びエベレストに向かう。「弱者の勇気」、この彼のメッセージには生きる上でのヒントが多く込められている。
彼が亡くなった今、なにかを成し遂げずに途中で中途半端に放り出して、諦めることができること、ここにこそ、生きるヒントがあるように思う。
諦めずに続けるには、それが好きで好きでたまらないか、よほどの才能が必要だと気がついたのは最近のこと。
責任感が弱く根気がなくて、何事も続かなくて、業績もぱっとしない。やばいと思ったらすぐに逃げる。助けを求める。無理をしない。一人で頑張らない。
そう思うことがかなり多い。
アイマスなんて昔は嫌いだった。しかし9.18事件でうるさい人がいなくなってドハマリしてローソンはしごしてファンタのりんご味を5箱ぐらい買った。ほどなくしてデレマスが始まり、アニデレが始まってうるさい人間が増えてきてそっとアイマスから離れた。ちなみに今はシャニマスしている。やっぱ好きなんすねぇ!
TLで絵を見ただけでヘイトを撒き散らしそうになるのを我慢してミュートする。
親しい友人がにじさんじの沼にハマったので泣く泣くミュートした。
でも、よくよく考えたらVtuberが嫌いなわけではないのだ。好きでもない、嫌いでもない。単純に関心がない。
のじゃおじとげんげんとキズナアイ(何故かこの増田を書くまでキズナアカリだと思ってたが、Google日本語入力がキズナアイだと教えてくれた)ぐらいしかしらないし、別に彼(彼女)らの事が嫌いなわけでもない。
でも、Vtuberファンは「Vtuber好きはネット世界共通!」ぐらいの勢いで迫ってくる。
近い例をあげるならサッカーぐらい関心がない。選手も田中マルクス闘莉王と本田圭佑ぐらいしか知らないのに好きも嫌いもない。
でも、サッカーは熱狂的なファンが熱狂行為をすると「サッカー好きじゃない」となる。別に田中マルクス闘莉王が嫌いなわけでも、本田圭佑が嫌いなわけでもないのに。むしろ本田圭佑はものまねをする芸人のせいで好きな部類にはいる。
でも、ワールドカップのシーズンになってとーきょーのほうで熱狂したファンの映像がニュースで紹介される度、サッカーが嫌いになるのだ。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってことわざがあるが、なんというか、逆だ。袈裟がにくければそれを着ている坊主が憎い。
自分だけなんだろうか。
(追記)
take-it Twitterだと、興味ないのに強制的にみせられるから、ノイズになってイヤになるんだよな。。。やなことそっとミュート。キーワードでミュートはかなり捗る。
これですね。ノイズもちょっとなら許容できるんですけど、防いでも防いでも入ってくるノイズに疲れてしまう。
GW帰省中にイチローが今年はプレーしないことを話したことを一日中見る羽目になるんだけど、別にイチローが嫌いなわけでもないのにいい加減うっとおしすぎてイチローをみたくなくなった。もう知ってるよ、そんな1時間間隔ぐらいでこぞって同じインタビュー映像を放映する必要あるのかってなってね。まぁ、テレビは自分から離れるしか無いからそう考えるとイチローでミュートできるTwitterはやっぱ便利だな。
自分が興味ないことがうるさいから嫌なのか?って言われたらそれも疑問。
例えば、ラブライブ、ホント好きだったけど、加熱しまくって痛い奴らが現れてから、なんというか、一緒に見られたくないなって思って、ラブライバーやめたし。
多分、興味あることでもうるさかったらイライラするんだと思う。
こち亀で「青いいよね」ってやつがあるけど、ほんとあれぐらい静かに自分の中でコンテンツを楽しみたい。
あと、基本こういう事言わない。増田だから言ってる。ラブライブの時にひどい目にあったので。
基本自分はうるさいと思ってる段階で、熱心な信者がいるのは当たり前の状況なのでそんなこと言ったらまるで穢多非人のように扱われて突撃されるのは目に見えてるから、そっとミュートにするんだ。
冷却ファンの話。
正直おもしろかった。でも、よく考えたらファンで重要視してるの静音性だ。
まさか、静かなファンを求めている自分が静かなファンを求めていたとは…。水冷はなんか、未体験故にするのが怖い。ビビってる。
追記2
増田で言ってよかったよかった
同意してくる人居てよかったし書いてよかった
結構みんなおもってるのかな
友人も私も割とお酒に強く、小洒落た女子会もいいけどたまには酔うまで飲もう!みたいな趣旨で、まだ明るい時間から飲み屋をはしごした。
安いし美味しいし、狭い立ち飲みなので自然と隣り合った人と話せる楽しい。
三軒目で少し年上の女性の二人組と仲良くなり、連絡先を交換しようと言われた。
女子同士で珍しいなと思いつつ、社会人になると新しい友人が出来にくいし、職場に女性が少ないので、自分より人生経験が豊富であろう年上のお姉さんと仲良くなれたらいいなあなんて呑気に考えてLINEを交換した。
別れた後にすぐ連絡があってマメな人だー!と感心すらして、翌日改めて飲みに行こうと誘われた。
ただその誘い方がえらい積極的というか、がっつくというか、ナンパ男並みに押してくる。
文体と顔文字の使い方もちょっと独特で、でもそれは私がオタクとかサブカルかぶれだからそう感じるのであって、普通のOLはこれがスタンダードなのかもしれない……なんて思いながらLINEのやり取りを続ける。
次の予定をめちゃくちゃ近々から聞いてきて
「次の火曜日どうかな(*^^*)」
って週末に知り合って数日しか間空いてないやん?? しかも平日……そして何故か五反田……。そんなすぐ会いたくなるほど話盛り上がりましたっけー?! え、普通の人の距離感ってこんな感じ?? 私がおかしいんか???
「平日は次の日心配なんで週末の空いてる日だと嬉しいです」
みたいに先送りにしようとすると
と食い下がり、謎の5分刻みの飲みのスケジュール。授業? しかも早い時間ということは一日に何回もやってるの??
一緒にいた友達と予定が合わないかも〜みたいに少しはぐらかしていたら
いやいや、怪しすぎて一人で行くの怖いよ……。
もう探るのが面倒になってきてなんの集まりか聞いてみると
「友達の輪が広まってどんどん規模が大きくなった会だから色んな人がいるよ☆ 人脈も広がるし、みんなエネルギッシュですごい元気出るの(≧∀≦)」
と、すごいふんわりした回答。
あっ、私これ知ってる。
マルチや……。
以前、売れない役者の友達からニュースキンの勧誘を受けたことがあってバッサリ関係を絶った。
その子の時もグループではたまにいっしょに遊んだり飲んだりするけど、二人ではあったことないって微妙な距離感なのに、いきなり二人でご飯しようと誘われた。
さらに昔には私ではなく、躁鬱の母が躁状態の時に3回、アムウェイ、ハーバライフ、ザンゴを勝手に始めて失敗している。
それも久しぶりの友人と会ってからだった。
マルチを擁護する人でモノはちゃんとしてる!とか言う人もいるけど、母が捌けずに売れ残ったものを家族で延々と消費し続けた身からしたら大した物ではなかったし、人の不幸を前提としたビジネスモデルの物を使いたいなんて微塵も思わない。
一瞬で心がスッと冷める感覚がした。
飲み屋では楽しかったのに。ただ新しい友達が出来たらいいなって思っただけなのに。同性だからって気を許してはいけないんだな。世知辛い。
ネットで「五反田 マルチ 勧誘」で調べると「モデーア」というマルチの情報が出てきた。5chのスレもある。旧ニューウェイズの団体らしい。手口的におそらくこれだろう。
もう関わる気が失せてシカトに入る。でも、しつこくLINEは送られてくる。多分ほぼ100%マルチの勧誘だろうけど、決定的な証拠もないのにブロックするのはわずかばかりの良心が痛む。
許せサスケ……。もう普通の人生で関わるマルチの限界量をはるかに超えているんだ。
ちなみに宗教勧誘も経験済みだ。私のイラストブログによく遊びに来てくれて仲良くなった同い年の女の子だった。翌日アク禁にした。
私が不用心なだけなのかもしれない。でも、こうやって疑り深くなっていくのは悲しい。
みんなも少しでも怪しい気配を感じたら距離を取ってね。それでもしつこいようなら速攻で逃げて。関わると無駄にエネルギー消費するだけだから。
相手のホームグランドに行ったら複数で全力丸め込もうとしてくるんだ。悪いから一回くらい顔出すか……。とか危ないよ!
上野に限らず、渋谷、恵比寿にコリドー街、色んな飲屋街で女性二人組で声をかけているらしい。今の時期は上京してきた人も狙われてしまいそう。
だから積極的に声かけてくる人と不用意にLINE交換しないでおくれ。まあ、してもいいけど最低でもLINEの名前を本名フルネームで入れない方がいいと思う。私はあだ名だったから大丈夫だけど、LINEでブロックしてもFacebookとかまでつきまとわれたりしたら怖いから。
三浦瑠麗の件。
https://buzzap.jp/news/20180420-lullymiura-law-knowledge/
東京大学大学院法学政治学研究科 総合法政専攻博士課程を修了し、法学博士を取得しているものの、三浦瑠麗さんは農学部出身で自らの肩書きも「国際政治学者」。実は政治学が主分野で、法律についてさほど知識がないのかもしれません。
なんか「法学博士なのに法律の知識がないの?」って言ってる人がそこそこいて、Buzzap! までその認識なのは流石にどうなの、って思ったのでちょっと書いてみる。
まず、日本の大学の多くでは政治学は法学部で教えられている。早稲田大学や明治大学には政治経済学部があるが、東京大学、京都大学、慶應義塾大学、北海道大学、名古屋大学、など有名どころの大学はたいてい法学部の中に政治学科あるいはそれに準ずるものを持っている。
つまり、それらの大学で政治学を専攻した人は、法学について詳しい知識がなくても「法学部卒」になる。学位も「博士(法学)」とかになる。そういうところは学部の内側で法学専攻と政治学専攻に分かれていると思うので、法学部に入学したからといって法律の教育を受けているとは限らない。
なので、「法学」の学位を持っている人が全て法律の専門家とは限らない。ひょっとしたらアメリカ政治の研究者かもしれないし、ドイツ近代史の研究者かもしれない。あるいは政治哲学を講じているかもしれない。そういった人たちが日本の実定法について一般人よりは多少詳しいよね程度の知識しか持っていなかったとして、それはまったく不思議ではない。
学部・学位の名称と専門分野がリンケージしないというのは割と多い。たとえば歴史学・哲学・心理学なんかは多くの大学では文学部で教えられている(社会学なんかもここに入るかな)。結果として、「博士(文学)」(ただし文学のことはよく知らない歴史学者)なんてものが量産される。文学の知識がないのに「博士(文学)」を名乗っているのは別に彼らの責任ではなく、日本の大学と学位授与のシステムがそうなっているんだとしか言いようがないし、三浦瑠麗の「博士(法学)」も同じことだ。
もちろん、デタラメな法知識を知ったかぶってひけらかすのは恥ずかしいことだし、著名人がtwitterでそんなことをやったら炎上するのはしごく当然であり、その点で三浦瑠麗に擁護の余地はまったくない。存分に恥をかくべきだ。
だが、法学博士なのに法律について無知なのか、というような責め方あるいはあげつらい方をするのはおかしい。東大で政治学を専門に学んだ者の学位が「法学」になるのは彼女の責任ではなく単にそういうシステムだというだけの話であり、政治学について多少なりとも学術書を読んだことのある者なら経験的に知っている知識のはずである。そのような責め方は許容することができない。
あと農学部卒なことをあげつらうと小熊英二に返ってくるぞ。彼も学部は農学部出で修士から文系の院に入り、現在ではちゃんとその分野の学者として認知されている。学部まで理系として過ごしても、その後文転して良い業績を挙げているのなら何ら問題はないはずだ。もちろん学部教育というのは専門知のベースになるものであるから、「違う学部だったの? ああ、道理で……」みたいな事例が多々あることは否定しないが、三浦瑠麗憎しのあまり理系から文系に移ってきたという経歴を叩くなら反対する。似たような経歴を持つ別の学者のために。
なんというかもう、お前ら、流れ弾やめーや。
私のブログははてなIDないやつはコメント不許可なのだが、そしたらわざわざID取って嫌がらせコメント送ってくる人がいた。
最新の記事からさかのぼって複数の記事に嫌がらせコメントを書いてきてる。
気合入ってるな。
だいたいこういうことしてくる奴って、
今までは増田で私のことだと特定できないようにぼかした感じで名指ししてくるチキンばっかりだった。
増田は相手が特定できるような書き方をすると、当事者が通報したら無条件でその記事を消せる。
誉めていようが関係ない。個人を特定できる内容、という時点で嫌がらせでなくても通報したら消せる。
わざわざこういう書き方をしてるってことは私以外にも同じような嫌がらせをしてるってことだろうから相手にしてない。
それと比べたら、いちいち手間暇かけてコメント欄に書いてきている点は評価できる。
正体のない増田ではなくID付きの存在としての矜持を持っている点において、今回嫌がらせを書いてきた人間のほうが見どころはある。
というわけで、とりあえずまず拒否ユーザーにID登録してみた。
そうするとこのIDでは次からコメントかけないわけだけど次どうするんだろ。
(1)わざわざ私のために新しいIDを取り続ける
これだと読まずにその都度拒否ユーザーに入れていくだけになる。
(2)ブログやブックマークを作って嫌がらせのIDコールを送りまくってくる
これについては即座に運営に通報するのであんまり効果的ではないかな。
私は数人通報したことがあるので既にテンプレがあり、あまり手間がかからない。
また、この行為をするとIPごと書き込み禁止にできるので私としてはこっちのほうがありがたい。
この人間がネットカフェをはしごするようなアクティブなやつなら話は別だが。
(3)結局お手軽な増田に潜る
インターネットも定額、音楽も漫画もドラマも映画も定額で楽しめるようになって、近所の映画館やCDショップやレンタル店をはしごしていたときより便利になると思った。
でも実際はそうでもなかった。
イメージしていた、どこに住んでいようとありとあらゆる作品に手が届くSFみたいな世界はまだ来ていなかった。
実際は提供されている作品はごく限られていて、しかも各サービスごとに作品が少しずつかぶらないようになっている。
物理的な制約がなくなっても、どうしても私たちのインターネットはいくつもの壁で区切られている。
今提供されているサービスは結局、紙媒体の月間漫画誌とあまり変わらない。
各誌に掲載される好みの作品を読むためには毎月数冊をバラバラに定期購読しなくてはならない。
それを一本化してくれるのが定額配信サービスだと期待したけれど、そうはならなかった。