はてなキーワード: なさげにとは
ようやく涼しくなってきたなあといった気候の中、上野駅公園口改札付近で僕は途方に暮れていた。
街コン、正確に言えばウォーキングコンの受付開始時間は13時、現在時刻は13時25分。
受付場所である上野公園入り口の大きな木の下には既にそれらしき集団は見当たらない。
なるほどなるほど、予定では13時半に移動開始ということになっていたが現実はそう甘くはなかったらしい。
しかしながら僕は既に6000円をこの街コン(20代限定)に支払っている(クレカで)。
確かウォーキングコン最初の目的地は上野公園内の美術館の一つだったはず。まだ間に合うかもしれない。
僕は速足で美術館に向かう(自慢ではないが僕は歩行速度が速い)。
美術館前には男女系合計20人くらいの集団がいた。集団の前には運営スタッフと思しき男がおり、何かを説明している。
これは本当に失礼な話なのだけれど、偏見に塗れた主観なのだけれど、イケメンとか可愛い人が一人もいない。スタッフさんが一番イケメンと言っても良い。
別にかわいい子はいなくてもいいんだけど、イケメンがいないのはいただけないな。
女性の方は9割方小綺麗な感じの恰好をしている。男の子はもうちょっと頑張ってほしい。
せめて収納力の高い柔らかいズボン(わかる人にはわかる)は今日ぐらい我慢してほしかった。
ユニクロのスリムフィットのチノパンとかジーンズにするだけで大分違うと思う。とても安い!
まあ、ウォーキングコンに参加する層はこんなもんでしょうかね。もちろん僕も含めて。
なんだか声をかければ普通に参加出来そうな雰囲気でしたが、カレールウが溶け切っていないカレーみたいな気持ちになったので止めました。
せっかくだから美術館には入ろう。あと性格悪いけどこの集団をちょっとだけ観察しよう。
もう6000円は取り返せないのだから(自らのミスである)。上野まで800円くらい交通費をかけてきたのだ。楽しまなければいけない。
僕には美術が分からぬ。学生時代は美術部であったがそれでも分からぬ。
分からないなりに館内を見学していると、先ほどの集団とちょくちょく出くわした。
集団は2つか3つに分割されているようだった。ちなみにこの時はスタッフのお兄さん何してるんだろう?
彼らはなんだかぎこちなさげに館内を見学している。無理もない、先ほど出会ったばかりなのだ。
若干ステレオタイプなオタク風の男の子、かなり一方的に女の子に向かって話しかけている。
女の子の方は、へぇそうなんですか、へぇー、そうなんですねえ、と相槌を打っている。相手の男性にはどんどん話してほしいタイプの女の子もいるから、もしかしたらいけるかもよ。
そういう頑張る姿素敵です。がんばって。
業務連絡の潤滑油としての世間話に強引にからんで話の腰を折った挙句、まとめサイトで拾った浅ーい知識を組み合わせて見当違いのアドバイスをドヤ顔でぶつけてくる。うわあ、これってリアルブクマカじゃん。
邪魔だから興味なさげに冷たい相槌を打つとわが意を得たりとクソバイスに熱中。で、自分のタスクはほったらかし。それを指摘すると職場を一周うろついてほかのメンバーの報連相に食い込んでく。そんで全体の手が止まって後始末はうちら。
みんなイライラでチームが崩壊しかかっている。まったりした職場だったのに。
最近では彼が近寄ってくるだけで威嚇して追い払うメンバーまで出るようにまでなってしまった。女性陣に嫌われたら終わりだ。
俺も同類だからわからんでもない。俺も外から見ればクソリプマンなんだろう。ユニークな視点でびっくりさせるって気持ちいいもんな!
でもブクマコメントってネットの一覧性(多様な意見)があればこそ。リアルでやってもドン引きだぞ。わかるだろ?わかってくれよ。
ああ、俺もほんの一歩踏み外すだけでこうなるのか…。似た者同士だもんな。もしかして自覚症状がないだけで手遅れだったりするのか?
辛い。そして恐ろしい。
彼はおっぱい星人だ。
そして、私はおっぱいが大きい。
彼は私にとって初めての恋人であった。数回の食事を経て告白、快諾。数回のデートを重ねて接吻、成功。そして私はおっぱいを初めて男性に見せることとなる。
私はおっぱい星人に出会い、おっぱい星人というものを理解するまでの間、明るい気持ちでぶるんというおっぱいと接していたかというと全く違う。薄暗い感情を持って関係を保っていたのだ。おっぱいが大きいことでの負担というものはインターネット上に溢れている。何となく頷けるものが多いし、私自身が経験したことがあるものもある。そして、その重みをずしりと背負っていた。
田舎の中学校から都市部の高校へ進学した私は、「進んでいる」同い年と15-18歳を過ごした。まず、彼女たちには年上の恋人がいた。中学校で気になる男の子と廊下で話していたら、他の子からかわれたことが恥ずかしく、その男の子と話せなくなった私とは違う生き物に思えた。そして彼女たちはおっぱいを盛っていた。驚きの発想だ。やっぱり違う生き物なんだとしか思えなかった。
私は進んでいる女の子の1人と友達になった。彼女もおっぱいが大きかったため、様々な悩みを共有することができた。ただ、彼女は禁忌することなく、それに誇りを持って接していた。違う生き物である、同じおっぱいを持つ彼女はとても輝いているようだった。
時は過ぎる。私は彼に出会った。彼は私に「身長の高い女の子が好きなんだ」と言った。彼の身長も高かく、私も彼に「私も背の高い男の人が好きです」と言った。好意と好意がぶつかりあう始まりだったと思う。その後の展開はお決まりのようで、彼は私を褒めちぎり、まんざらでもない私は小さく頬を緩めたりしながら、恋人になった。
また少し時は過ぎる。いざという時が来た。彼は10分ほどブラジャーと格闘した後、おっぱいと顔を合わせた。私の顔を見て可愛いとだけ言って私を抱きしめた。おっぱいに特別の反応はなく、おっぱいをよく思っていなかった私が安心したのはよく覚えている。
何度めか、その前に3段ホックのブラジャーに負けた彼はありきたりにおっぱいを揉みながら、「おっぱい大きいよね」と初めて感想を述べた後、「何カップなの?」と聞いてきた。あまりの衝撃にうろたえながら、正直にサイズを言った。彼が「そうなんだ」と興味なさげに言うのがなんだか理不尽でならなかった。彼は大きさにこだわりもないと信じ安心していた私と大きさに興味を持っていた彼。盲信を裏切られたような気持ちの私とすでに興味無さげな彼。私たちはこの会話を持ってどこへ向かうのだろうと思った。彼はまだおっぱいを揉んでいた。
彼の家にお邪魔する日があった。彼は読書家であり、私も本を読むので、そこもお互い気に入ってた。文庫本が並べられた本棚にはおっぱいの大きい女の子の写真集が隠されていた。彼は慌てることなく私の手からその女の子を抜き取ったあと、「ごめん」と言った。私は何に対して謝られたのか、分からないままに「ごめん」と何かに対して謝った。
彼はまたおっぱいを揉んでいる。今しかないと私は「大きいおっぱいが好きなんですか?」と聞いた。彼は慌てて手を離し、小さな声で「うん」とだけ発した。よくある喧嘩だ。おっぱいが大きいから私が好きなのか、背が高いところが気に入ってたんじゃないのか、色々責め立てるように言ったと思う。覚えてるのは、背の高い彼のしょぼくれた姿と「でも最高なんだよ…」と答えた声だけだ。恋人である彼の情けない賛辞は私の肩の重さを支えた。
初めて彼におっぱいを揉んでもらいたくなった。
私は新しいおっぱい星人と出会い、おっぱい星人である彼もまた新しいおっぱいと出会うのだろう。
またその日まで。
夫を起こし、予め登録していた陣痛タクシーに9:00ごろに電話。
自宅からタクシーまでは時々うずくまってしまうがなんとか自力歩行。月曜朝なのでマンションのエレベーターホールは忙しそうなリーマンが行き交う。邪魔にならないように気を使いながら移動。
9:15ごろにタクシー乗車。子宮口広がってなかったら帰ってもらうからね〜と言われながら内診してもらう。帰りたくない!もうこのまま産みたい!と思っていると無事五センチ開いており入院決定^_^★
後どのくらいかかりますか?と聞いてみると子宮全開まで12時間、子宮全開から出産まで1.2時間と言われ絶句。
夫は最初所在なさげにしていたが、助産師さんがうまくリードしてくれたおかげでマッサージや飲み物のお世話をしてくれるように。これがすごく助かった〜!
入院して40分後に破水!音は何もしなかったけどバッシャーと大量の何かが出る感じ。ナースコールを押して破水を確認してもらう。
お産が一気に進むと思うよー!と言われやったーと喜ぶ。破水したため点滴を入れられ、血液検査しれる。血圧測ったりパンツを着替えたりと割と色々される。されるがままでまるで自分が赤ちゃんのよう。
破水後、子宮口七センチに進む。入院して1時間後ぐらい?とにかく体に力を入れないで!赤ちゃん下に降りれなくなるよ!と言われる。こんな痛いのに力緩めるなんて無理〜と思う。ボコボコ殴られてるのに腹筋を緩める感じ?このいきみ逃しがとにかく辛かった...!!
でもまだ声が漏れる感じでじっと耐える。助産師さんの上手上手〜という声とマッサージに励まされる。夫には肛門をとにかく押してもらう。私はテニスボールよりも直接押してもらう方が楽でした。
ネットでは靴の選び方で、
・大きめを買うのは素人
・ややきつめを買ってフィットさせるのがよい
といった記事が多いように思う。
靴屋の店員も、専門店の店員やまじめな店員ほど、きつめを推奨する傾向にあると思う。
オレはちゃんと計測した結果、24.5くらいがちょうどよいらしい。
左足のほうが細い。厚みも少ない。
だけど、実際薦めに従って購入して、足になじんだことなど一度もない。
計測通りの靴を買い、しばらくしてワンサイズ上を買ったらそちらのほうがかなりしっくり来た。
というより、それが今唯一しっくり来ている靴だ。
ただ、そうするとABCマートくらいしか選択肢がないんだよな。
あと、よく「歩きやすい靴。長時間歩いても疲れない」みたいに宣伝しているが、
実際きつくて痛く感じるのは座ってパソコン作業をしている時だからな。
正しい姿勢でしっかり地面に足をつけて座ってるわけじゃない。
狭いワークデスクの下で所在なさげに足をぶらつかせながら仕事をしているんだ。
そんな時でも気にならない靴でなければ、仕事でつかえない。
おまえが今モテているのは、おまえの実力ではない。
おまえが今モテているのは、おまえの奥さんがおまえを育ててくれたおかげだ。
おまえの奥さんが、
男一人で入るにはちょっと恥ずかしい店、に一緒に入ってくれたからだ。
興味のない話にも、ちゃんと相槌を打って聞いてくれたからだ。
お前の粗末なモノにも、ちゃんと気持ち良いフリをしてくれたからだ。
辛い時も、悲しい時も、おまえの隣にそっと寄り添ってくれたからだ。
数年前まで自信なさげに歩いていたお前が、今こうして堂々と街を歩けるのは、
お前の奥さんがそうやって自信をつけてくれたからだ。
もう一度言う。勘違いするな。それはお前の実力ではない。
目の前のおっぱいに手を出す前に、そこんところを良く考えるのだ。
当時、大人も子供も、オカマは差別しても良いものだと思っていた。
それ故、おかまであることは恥ずかしい、愚か、欠陥品、劣っているものとして扱われた。
自分でもそう思っていた。そういう価値観を刷り込まれていたとも言えるだろう。
女性への欲情が理解できなかったので、女体を見て興奮するように練習もした。
現実から逃げたいからそう歪むのかと考え、部活も勉強も励み、大学受験でもまあまあの成功を収めた。
モテない男が、性的カースト底辺の立場から逃げたいから、女性になろうとする心理かとも疑った。
駅まで彼女を送り届けた後、申し訳ないと思いつつも唾を何度も吐いた。帰宅してからは何度も手を洗った。
この辺りは能町みね子先生の本に記載されている感覚と似ているかもしれない。
だが、男性が好きとうわけではなく、ゲイになることはおぞましく感じていた。
それよりも、女性でない不当さを呪って生きていたという方が正確だ。
小さい頃から、寝る前は女の子としての生活を妄想し続けてきた。
当然、オカマには定番だが、母親の服や化粧品を隠れて使用し、その度に鏡に映る不細工な男の子に何度も憤りを感じた。
中学に入ると、160cmより背が伸びなかったらニューハーフになろうと思っていた。
超えてしまったときは悲しかったが、一方で虐げられる立場から逃れてほっとした気持ちもあった。
その頃ちょうど、ドラマ金八先生で性同一性障害が取り上げられた。
家族に悟られてはいけないと、興味なさげに振る舞ったが、何度も何度も見た。
女になりたい男の子が出てきたとき、私は正直、気持ち悪いと思った。
ああ、これが世間の反応なのだろう。田舎では家族に迷惑をかけるし、容姿レベルも並以下な自分はやはりなるべきではない。
そう心に誓った。
ある日、研究室で同輩に訊かれた。
「プライベート、何してるの」
私ははっとした。
暇さえあれば、いつも鏡をみていた。
女性的ではないパーツ、見え方、骨格などを何度もチェックしていた。
何千回も見ているので、わかってはいるのだが、ついつい確認してしまう。
鏡の前で6時間くらい過ぎていることもあった。
そこで初めて病的だと気付いたのだ。
なんとかしたかったから精神科にも行き、LGBTの方にも複数会い、ニューハーフとして働いてもみた。
いろんな人がいたし、いろんな経験もできた。
総括して分かったことは、残酷だが容姿が大切であるということだ。
完成されていれば女性として扱われるし、嫌悪感も少なく、自分でもある程度は受け入れられる。
未完成ならばその逆。
この時点で、不細工で大きなパーツを擁した顔である私は、この苦しみから解放されることはないと悟った。
正直、整形手術でそこまで変化はないことは、同僚を見て知っていた。
でも、どうせ死ぬなら。
そうして、私は5度の整形手術を受けた。
想像以上に辛く、ストレスで髪の毛も抜け、体重も6kgほど痩せた。
鏡に映った、お金と時間を失った髪の長いおじさんを見て、「やっぱりね」とつぶやいた。
予防線を張ることができていたという、ちっぽけな自己肯定で、ショックを和らげてみた。
完成品を受け入れた後、これ以上の対抗策が無い絶望と、選ばれなかったという事実に、私は腹をくくるしかないと考えた。
自分にまとわりついたオカマという呪いを解くための唯一の手段。
育ててくれた両親や、支えてくれた友人や兄弟には感謝と申し訳なさでいっぱいだ。が、
私はこれ以上同じ苦しみに縛られ続けるのに疲れてしまったのだ。
紆余曲折あって好き合い始めて早2ヶ月。
その中で誰しもが1度は憧れる事にチャレンジしてみた。
つまり「がんばれ♡」と応援してもらいながら女性乗位でやってもらうあれだ。
勿論現実で伊東ライフックスをするには様々な困難が付きまとうわけだが、いくつかのパターンでやってみた。
## 通常 (がんばれ♡と言ってもらう)
暫く試した後に彼女曰く、「クソだな.....」だそうである。
割とやる気なさげに言われながらだったので、これはこれで良いものだというのが正直な感想だが、これ思いのほか好みが分かれる可能性があるなーとも思った。俺は好き。
## 逆 (がんばれ♡と逆に言う)
逆に俺自身が「がんばる♡」と言いながら腰を振ってみた。悪くない。彼女曰く「天才か」だそうである。
即ち、「がんばれ♡」と言ってもらったあとに「がんばる♡」を繰り返す。
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それは、彼女がそう言った時に始まった。その時、僕と彼女が付き合い始めてからの日は浅かったけど、僕も同じことを思っていた。だから、とても嬉しかった。
「じゃあ、二人で暮らす部屋を探しておくよ」
僕は彼女にそう言った。どんな家がいいか、どんな立地がいいのか、それを彼女と話している時間は楽しかった。そして、条件は揃った。駅から10分以内、2LDK、マンションの二階以上で、バストイレ別で、対面式キッチンで、コンロは絶対にガスコンロで2口以上、そんな条件だった。
僕は忙しい仕事の合間を縫って、コツコツとネット検索をして部屋を探した。探しているうちに、あることに気づいた。僕が検索した条件と近い条件の部屋を、僕が家探しに関係のないウェブブラウズをしている間にも広告表示してくれるのだ。
これは素晴らしい。僕はそう思った。これなら、ずっと効率的に彼女と暮らす部屋を探すことができる。
そうして、僕は常に部屋を探し続けることができるようになり、ついに理想の部屋を見つけることができた。その理想の部屋の情報をプリントアウトし、彼女に連絡を取って会う約束を取り付けた。きっと彼女もこの部屋がいいと言ってくれるはずだ。
だけど、ものごとはあっさりと崩れてしまった。待ち合わせ場所に向かう途中、他の男とキスをする彼女を見かけてしまったのだ。
「本命はあなただったけど、好きな人はこの人だから。残念だわ。さようなら」
その言葉の意味を僕が理解する前に、彼女は他の男と共に去って行ってしまった。
僕はぐしゃぐしゃに泣きながら帰った。そして、少しでも気を紛らわそうとネットを開いた。
そこに出てきたのは、あの理想の部屋の広告だった。駅から徒歩10分だから帰り道も安心で、二人で暮らすには十分広い2LDKで、プライバシーもセキュリティも安心なマンションの3階の部屋で、もちろんバストイレは別で、彼女が喜ぶ対面キッチンで、彼女の料理の腕を生かせる3口コンロ。本当に、理想の部屋だった。
僕は、その広告を見てまた泣いた。そして、恐ろしいことに気づいた。
どんなに気を紛らわしたくても、広告はどこまでも僕を追いかけてくる。どのページを見ても、叶わなかった夢のかけらが僕を攻め立てるように輝いている。
だから僕はアドブロックソフトを入れた。これで、悲しい広告をもう見ないで済む。
そして、この失恋をネタにして乗り越えるために、匿名で無料のコミュニティサイトに向かった。しかし、そのサイトは白紙だった。
調べてみたらアドブロックのせいだとわかった。が、それがわかったとき、なんだか何もかもがどうでもよくなってしまった。
人の話聞き出すだけでとくに何もしないとか完全に虚業じゃん。
キャバクラやホストは「相手に気持ちよく話させる」テクニックを磨いてるけど、
カウンセリングやってる奴でそういう技術がある奴の話なんて全く聞いたことがない。
どいつもこいつも興味なさげに相槌うって「大変ですね―」「ようは勇気がないんでしょ?」と言うだけらしい。
それで1回1万とか取ったりするらしい。
なんだそれ?
救いを求める人間の心につけ込んで何のご利益もない壷や薬を売りつけてんのと何が違うんだ?
詐欺や泥棒と比べればまだマシなだけで他者に貢献する度合いで言えば数多の職業の中で大分下の方だろ。
んでもう一度聞くけど、
新参なのに調子に乗ってオフ会参加しようとしたから、id名とかその人のキャラとか実はよく分かってない。
netcraftさんやらrlee1984さんやらtopisyuさんやら、はてなの有名人なら分かるけど、そういう人らはオフ会でも人気で周りが群がるだろうし、多分奥手で無名な自分が話すチャンスはないと思う。大学のサークルの飲み会とかでもこういう現象あったな。自分が話したい先輩とか、名前知ってる人気者の先輩とかって、絶対もっと積極的な可愛い後輩が囲んでワイワイやるから自分が入る余地ないんだよね。それで、名前の知らないもの同士興味なさげにちょっと会話して、すぐに話が途切れて、二次会には行かずトボトボ一人で帰宅するみたいな感じ。大人数の飲み会っていつもそうだったな。
それで今回はネットのオフ会。はてなやってるって以外なんの共通点もない。しかもさ、相手のプライベートにどこまで踏み込んでいいかが全然分からない。「お仕事何されてるんですか?」とか、「休日は何されてるんですか?」とか、聞いていいの?ネットで公開してる以上の事って聞いちゃダメな気がするんだよな。自分はコミュ障だし、迷惑がられそうな気しかしない。
だからさ、id聞いてピンと来なかったらもうお終いなんだよね。その人がブログやってても知らなかったら失礼だし話題に出来ないと思う。なんか知ってるべき事を知らない場合って何喋っていいかわかんなくなるじゃん。
結局さ、今回のオフ会も有名人の人らと、一部の人付き合いの上手い人らでワイワイやって、無名でコミュ障の自分なんて隅の方であのアウェイなイヤーな気分をまた味わうんだろうなって思ってしまう。それで、多分はてなに対する熱も冷めて、なんか気まずい感じでフェードアウトしていくだろうなって思う。ネットの世界でもリア充と非リア充の線引きが出来ちゃうっていうか、自分の中でなんだけど多分疎外感を感じると思う。
まあ、オフ会は成功して欲しいし、自分は調子乗ったのがいけなかったんだろうね。空気読めなかったっていうか、浮かれてた。冷静に考えて恥ずかしい。黒歴史だね。まあ、こんなことここに書いてるのも迷惑なんだろうし、すみません。
まあ、みんな楽しんできてください。
思うだけならいいこと。
恥ずかしながら、最近まで「自分の嫌いなもの・避けたいもの」を人に向かって吐く癖があった。
「あなたは○○はどう?」と問われた際に「いや~私は○○は苦手なんですよね」と申し訳なさげに言うだけならば
けれど、
私は私のことを語るときに、自分の好きなものより自分の嫌いなものを積極的に使って自分を説明してきてしまった。
それは余りよくないことなのでは…と気付いたのはつい最近のことである。恥ずかしい。
私は何を好きかで自分を語るということに、強烈な恥じらいを持っている。
○○が好きなんだと言ったときに、エーそんなの変!とからかわれたらどうしよう、という恐れが人一倍強かった。
好きな人、好きなもの、好きな音楽、好きな洋服…それらを堂々と好きだ!と主張することがとても恥ずかしかった。
そういうわけで、私は私の苦手なことを人にプレゼンしまくってきた。
苦手なことを主張するときには恥じらいは生じない。
「シェアハウスはできればしたくない、私には向いてないと思うんだ。」
「占いは信じてない、どうしても当たると思えないんだよね。」
などなどなど。
嫌いなもの+それを嫌うに至ったもっともらしい理由 の組み合わせを、友達にバンバン披露していた。
そしてそういった主張の先頭・もしくは末尾には
【まぁほかの人が楽しんでいるのを否定はしないけれど】【私がそう思うだけなんだけどさ、】という文言を添えて、
「私はあなた方が愛していることを認めてないわけじゃないんです!皆違って皆いい!」という意思表示を欠かさなかった。
実際にそう思っていたし、スキを認められなかったらどうしようという恐れを持っている私には、
他社の嗜好を価値観を否定しよう!という気持ちは一切なかった。
そういうことじゃないんだよね。
言わなきゃいいんだ。
嫌っていることなんて積極的に発表すべきことじゃないんだ。
その安心感が欲しくて何度も何度もいろいろな人に私は私の嫌いなものを伝え続けてしまった。
「ああ、そういう理由があるならば仕方がないね」と思ってくれる人ももしかしたらいるかもしれない。
でもだからなんなの。
許せないこと・認められないことを相手にぶつけまくって得られる評価なんて、
「ああ、偏狭な価値観をお持ちなのね」という諦めに近いものじゃあないか。
第一、その物を相手が愛していたとしたらばどうする?
理由があったら相手の好きなものを貶めてもいいの?
「まぁ人は人だからね!あなたがそれを好きでもいいんじゃないの!アハハ!」って言えば
相手は不快にならないの?
…そんな筈ないよね。
何かを嫌ってもいいし、苦手意識を持ってもいいし、認められなくてもいい。
でもそればかり主張していると、許せるものが少ない人間だと思われてしまう。
自分では傷つけるつもりがなかった「悪意のない」鋭利な言葉で人を傷付けてしまう。
なぜ今まで気付かなかったのだろう。
強烈に恥じていると同時に、私の言葉で気分を害してしまった人に対して本当に申し訳なく思う。
予想より遥かに長くなったので二つに分ける。増田は青二才の小説の校正を書くには狭すぎる…
タイトル | 自由にすればいい-唐沢高校新聞部00- |
サークル名 | とある青二才の斜方前進 |
価格 | 600円 |
印刷部数 | 70部 |
ページ数 | 56ページ |
サイズ | A6 |
文字数 | 45文字 |
行数 | 12行 |
前回のコミティア(9/4)を欠席した時に書いた記事
おわびと予告http://d.hatena.ne.jp/TM2501/20120904/1346755726
では今回のコミティア(11/18)で短編三つを収録した同人誌を二冊出す(短編計六つ)
と書いていたが、今回出したのは短編一つを収録した同人誌一冊。
全ページに対して。数えきれず。
同一の人やモノを指すのであれば表記を統一することが一般的。
○登場人物の地の文での表記の統一
(1)神美木うたは地の文で「うた」と表記されていたが下記の箇所のみ表記が異なる。
(2)廣井一真は地の文でp30までは「廣井」と表記されていたが
以降「ヒロ」と「廣井」の表記が混在する。
の三通りの呼称を使っている。
(2)桃売りの青年が神美木うたに呼びかける際
の二通りの呼称を使っている。
(3)廣井一真は会話文中で「俺」を一人称として使うが下記の箇所のみ表記が異なる。
○廣井一真が神美木家で神美木優里に自身の来訪の目的を告げる際、
と神美木優里の幼馴染である唐沢聡理事長を呼び捨てにしているが、これは失礼なのではないか。
○廣井一真と神美木うたが山白様のもとへ登山する際
とあるが、これはその後彼らが赤い旗を見つけて山道から外れたルートを取る時の
つまり、「ボロい山道」を歩いていたはずなのに、いつのまにか「整備された道」を歩いていたことになっていないか。
○この小説の独自ルールとして、神美木うたの会話文には「」(カギ括弧)を用いず、文頭に―(ダッシュ)を用いるというルールがある。
(1)下記の箇所は神美木うたの会話文と推測されるが、「」(カギ括弧)を用いている。
(2)一方、下記の箇所は廣井一真の会話文と推測されるが、文頭に―(ダッシュ)を用いている。
○一般的には…(三点リーダー)、―(ダッシュ)は二文字つなげて使うが、この小説ではすべて一文字で使っている。
○一般的には?(疑問符)・!(感嘆符)後は一字空ける。ただし、その直後に括弧を閉じる場合は空けない。この小説では一字空けたり空けなかったりしている。
○今までの章タイトル(0~5)はすべて太字で強調されているが下記の箇所のみ太字になっていない。
先週あたりから突然目に痛みを感じるようになって、眼科に行ってみたら『強膜炎』と診断された。
それでいくつか目薬を出されて、まめにさしていたんだけど、今日病院行ったら「結構重傷ですねー」とか言われて、大学病院に行くことに。(『ぶどう膜炎』にレベルアップしたらしい)
それだけでも結構修羅場なんだけど、大学病院で何人かの先生に診断を受けたところ、もう点眼薬が効かない状態まで目の炎症が進んでいるとのこと。
先生「ここまで炎症がひどいと、目に注射しないとだめですね。注射すればよくなりますから」
心の修羅場の風速が一気に嵐に変わった。血の気が引いた。
目に注射?!まじ?!まじで?!
俺「あ、あの痛くないですかね…」
そうだ、麻酔が効いてるんだから大丈夫だ!と自分に言い聞かせるも、心拍数は上がるばかり。
そらから別室に呼ばれて、ベットに寝かされた。看護婦っぽい人に「どっちの目ですか?」と聞かれたので「症状があるのは右目ですけど…」と自信なさげに答えたが、看護婦さんは先生に確認する様子はなし。確認してくれー!と心の中で悲鳴を上げてたら、先生がきた。注射を打つのは先生らしい。
といわれて、強制的にまぶたを開いておく器具をつけられる。恐ろしいことに注射針が見える程度には視力が残っていた。
(絶対瞳が動く!)(というか、針を直視したら絶対に逃げる!)と恐怖心がピークに達して頃にその時はきた。
先生「上向いててください。目薬さしますね」と目薬を2~3滴。
緊張でガッチガチになりながら必死で下を向いていると、目に何かが刺さるのがわかった。麻酔が効いているのかあんまり痛みはない。下を向いているせいで、視界に注射器が映ることはなかった。
「下向いててくださいな-」と言われながら、たぶん1分ほどで注射は終わった。
その後、ガーゼを渡されて目を押さえながらしばらく寝た後、再度問診・採血をやってその日の治療は終了。
ガーゼが取ってみたら血の涙…をイメージしていたけど、うっすらピンクになってるぐらいで出血の形跡はほとんどなかった。
だた赤いゼリー状の物体がガーゼについてて、注射したところの目の組織に思えて怖かった…
いまのところ注射が効いたのか、痛みはだいたい収まったように思う。
右目の視界は白濁してて失明するかもしれないという不安はあるけれど、目の注射の恐怖を乗り越えられた安心感でなんとかなる気もしてる(何の根拠もないけど)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1135656226
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1144126941
http://www.lovekobe.jp/blog/kiji.php?blog_id=underdog&kiji_cd=32810
http://japan.kyo2.jp/
「今回、電気のメーターを交換させていただくことになりまして、お伺いさせていただきました!」
「え?関西電力さん?」
「いえ。メーターの交換は関西電力さんとやらせていただくんですが、それに先立ちまして、お客様の設備を見せていただく必要がありまして」
「どちらさん?」
でも「悪質」ですね。
全く罪悪感もなさげに応対していたお兄ちゃん。
でも、君の実家にそういう奴が訪ねてきたら、家に上げてやるように勧めるかな?
決して勧めたりはしないやろな。
「おすすめ」してた商品とやらも、自分のお父さんやお母さん、おじいちゃんやおばあちゃんにはおすすめできないやろな。
初めまして。
玄関先に出ると電気代のことを言いはじめ、
「オール電化にするつもりはない」と言うと
「そうじゃなくて・・・」とはぴーeプランのことを話しまじめました。
早々話を打ち切って家の中に入り、
関電のサイトを見てみると、はぴーeプランはオール電化してるおうち対象のサービスではないですか。
事務とかは別会社?(元親会社?)の新生ホームサービスの本社がしてるしw
なんで、あんな嘘をかけるのかな?
労働時間も嘘!!!!
営業トークも嘘!!!!
怪しすぎ
「学力がある」とは旧帝早慶一工ないしはそれに順ずる偏差値を有していた者とする。
「学力があるニート」とは要するにフミヒロ氏(参照1、参照2、参照3)のような人物である。
要するに人生において重要とされる時期に外的・内的な要因により大ゴケした連中である。本人は「こんなはずでは」と思っている。一大事である。そして、他人にとっては正直、別に珍しくもない。
多くのエリートが夢想する「汚点のない人生」への夢を挫かれた哀れな人種である。本人もさすがにそれは諦めている場合が多い。同窓会へも行けなくなっている。己の栄誉は既に失われた。
ならば彼らが次に望むものは何か。金である。最低4桁は欲しいと思っている。
だが親は、もっと諦めている場合が多い。どこでもいいから社会復帰してくれ、健康ならばそれでよい、と思っている。
その意識差に彼らは苦しんでいる。元よりそこを妥協できる人種ならばニートにはならず高学歴ワープアになっているはずなのだがそこは親には分からない。
あまり大きな声で言えないのだが、高偏差値ニートは彼の代から成り上がれそうだった、という場合が多い。
そこで私は彼らの夢を叶えるべく少しだけ知恵を絞ってみた。役立てば幸いである。
そのまんま。彼らが籠もっているのはプライドと現実と親の妥協した望みの間で動けなくなっていることにある。
家を出るには金がいる。ニートの家はたとえるなら、共産国家である。私有財産などない。小遣いもあってないようなものである。自室の物すら半分は親の物である。その情けなさが彼らをより卑屈にさせるのであるが、それは今はともかく、金がないと家を出られない。
もちろん仮病である。
代表的なSSRI(参照)とマイナートランキライザー(参照)の名前と薬効、副作用を一通り暗記しよう。wikipediaがあれば3時間も要らないであろう。
次にメンヘラの思考・行動様式を観察・模倣しよう。2chのメンタルヘルス板、メンヘルサロン板が最適である。そこで鬱になった人が投げかけている相談、日常でどう支障をきたしているか、どういう愚痴を言っているか、を徹底的に学ぶのである。3ヶ月も要せずにあなたは彼らの「理解者」となるであろう。
そして通院である。矛盾のないストーリーを雄弁に、しかし鬱々と語ろう。医者は関心なさげにするであろうが、人生の汚点についても延々と苦しげに自分語りをしよう。ひき篭もり始めたあたりからその兆候があったと述べるのがよい。そして診断書をもらおう。驚くべきほど簡単にもらえる。もちろん薬など飲んではいけない。病んでない者には危険である。
ハロワはロクに採用する気もない企業がたくさんいる。とりあえず受けてみて、4つほど落ちよう。面接時には必ず重度の鬱病であることを暴露することを忘れずに。万一受かってしまった場合、採用後鬱を理由に仕事をドタキャンしよう。数回ドタキャンすればハロワで就けるような職場なぞすぐにクビになる。クビになったという事実もかなり大事である。後々、必ず役立つ。
ナマポ申請である。親に見捨てられ、鬱で、仕事もできない。自治体によるが、楽勝である。おめでとう。
ナマポで生き残れとはもちろん言っていない。自力で経済的に成功しないと高学歴ニートは成仏できない。勉強しよう。
士業がよいだろう。東大行くよりはよほど楽である。なんなら国立医学部でもいいだろう。
理系高学歴なら3年24時間フル活用すれば地域を選ばなければ正直なんとでもなる。
高校物理など大卒には遊びであることはエリートニートには周知のことであろう。
ギャンブルや酒をしなければ勉強のための費用など簡単なものだ。勉強は近場の図書館でするといいだろう。
勉強していることは役所の連中には隠しておこう。参考書が見つかったら「しようとしたが鬱でまるで手がつかぬのだ、社会復帰したいのだが」と悲しげに言おう。
医学部の学費だが、長年ニートを養えるような家庭なら大丈夫だ。医学部なら学資ローンや奨学金も楽勝である。安心して偏差値レースに舞い戻るがよい。
以上である。やってみれば分かるが、勉強できる人間であれば驚くほど簡単である。
親と医者と役人と納税者を欺くことになるが、どうせ今のままでは余計社会のお荷物となるであろうし、
長期的に考えれば実利的には誰もが得をする。win-winである。
「医学部に受かるのか」という声が多いが、前提として当エントリの対象者は「勉強しかできぬクズ」であり、そのような方は残念ながら増田の念頭に初めから含まれておりません。