彼はおっぱい星人だ。
そして、私はおっぱいが大きい。
彼は私にとって初めての恋人であった。数回の食事を経て告白、快諾。数回のデートを重ねて接吻、成功。そして私はおっぱいを初めて男性に見せることとなる。
私はおっぱい星人に出会い、おっぱい星人というものを理解するまでの間、明るい気持ちでぶるんというおっぱいと接していたかというと全く違う。薄暗い感情を持って関係を保っていたのだ。おっぱいが大きいことでの負担というものはインターネット上に溢れている。何となく頷けるものが多いし、私自身が経験したことがあるものもある。そして、その重みをずしりと背負っていた。
田舎の中学校から都市部の高校へ進学した私は、「進んでいる」同い年と15-18歳を過ごした。まず、彼女たちには年上の恋人がいた。中学校で気になる男の子と廊下で話していたら、他の子からかわれたことが恥ずかしく、その男の子と話せなくなった私とは違う生き物に思えた。そして彼女たちはおっぱいを盛っていた。驚きの発想だ。やっぱり違う生き物なんだとしか思えなかった。
私は進んでいる女の子の1人と友達になった。彼女もおっぱいが大きかったため、様々な悩みを共有することができた。ただ、彼女は禁忌することなく、それに誇りを持って接していた。違う生き物である、同じおっぱいを持つ彼女はとても輝いているようだった。
時は過ぎる。私は彼に出会った。彼は私に「身長の高い女の子が好きなんだ」と言った。彼の身長も高かく、私も彼に「私も背の高い男の人が好きです」と言った。好意と好意がぶつかりあう始まりだったと思う。その後の展開はお決まりのようで、彼は私を褒めちぎり、まんざらでもない私は小さく頬を緩めたりしながら、恋人になった。
また少し時は過ぎる。いざという時が来た。彼は10分ほどブラジャーと格闘した後、おっぱいと顔を合わせた。私の顔を見て可愛いとだけ言って私を抱きしめた。おっぱいに特別の反応はなく、おっぱいをよく思っていなかった私が安心したのはよく覚えている。
何度めか、その前に3段ホックのブラジャーに負けた彼はありきたりにおっぱいを揉みながら、「おっぱい大きいよね」と初めて感想を述べた後、「何カップなの?」と聞いてきた。あまりの衝撃にうろたえながら、正直にサイズを言った。彼が「そうなんだ」と興味なさげに言うのがなんだか理不尽でならなかった。彼は大きさにこだわりもないと信じ安心していた私と大きさに興味を持っていた彼。盲信を裏切られたような気持ちの私とすでに興味無さげな彼。私たちはこの会話を持ってどこへ向かうのだろうと思った。彼はまだおっぱいを揉んでいた。
彼の家にお邪魔する日があった。彼は読書家であり、私も本を読むので、そこもお互い気に入ってた。文庫本が並べられた本棚にはおっぱいの大きい女の子の写真集が隠されていた。彼は慌てることなく私の手からその女の子を抜き取ったあと、「ごめん」と言った。私は何に対して謝られたのか、分からないままに「ごめん」と何かに対して謝った。
彼はまたおっぱいを揉んでいる。今しかないと私は「大きいおっぱいが好きなんですか?」と聞いた。彼は慌てて手を離し、小さな声で「うん」とだけ発した。よくある喧嘩だ。おっぱいが大きいから私が好きなのか、背が高いところが気に入ってたんじゃないのか、色々責め立てるように言ったと思う。覚えてるのは、背の高い彼のしょぼくれた姿と「でも最高なんだよ…」と答えた声だけだ。恋人である彼の情けない賛辞は私の肩の重さを支えた。
初めて彼におっぱいを揉んでもらいたくなった。
私は新しいおっぱい星人と出会い、おっぱい星人である彼もまた新しいおっぱいと出会うのだろう。
またその日まで。
やあ、みんなたち。 みんなたちは、YouTube好きかい? そうだよな? 好きって言えよ。 そうだよな。僕も好きだよYouTube。 よし、今日はみんなたちにいいことを教えてやろう。 「ジャネ...
なんでエロ規制するのかな