はてなキーワード: 「a」とは
異性関係でボロ雑巾になっていて、ここんところとにかく自信を失っていたところの私が、唯一と言っていいほど自信を持っているのが読書感想文だった。そんな中、光属性の例の増潤を見て、ひとしきり笑ってひどい虚しさを覚えた私が、滅びよ人類と思いながら酒を片手に読書感想文に関する増田を勢いで書くのは、必然だったのだろう。あんなにブクマが付くのは完全に想定外だったが。
今でこそ読書感想文は自信があるが、昔は苦手だった。あらすじ書いて、作者が伝えたいことはこれじゃないか、みたいな書評もどきを書いていた。そのころの感想文なんて、「○○は「A」と、言いました。××は「B」と、言いました。でも本当は、BじゃなくてCです。××はうそをつきました。」とか書いてた。あまりにもわからなくて、親に聞いたら「これは感想文じゃない」だ。そのとおりだが、書き方がわからなかった。「感想文なんだから感想を書くんだよ。」そうなんだよな。しょうがないから最後にとってつけたように、「うそをつくのはよくないと思いました。」と書いて、感想文の完成だ。「うそをつくのはよくないと思いました」という嘘をついていた。
覚醒したのは小4。今でも内容までかなりの精度で覚えてるぞ、「カモメがおそう島」、実在するほうの兄が買ったのを、金使いたくなかった私が勝手に借りて読んだ課題図書だ。イースター島奇譚。今思い返せば、確かにいろんな切り口で感想文を書ける。習慣と善悪あたりは、多分大人が評価する子供の切り口ができるだろう。特に「カモメの無垢さ」と「習慣」あたりから、「自ら善悪の判断をつけずに、周りにあわせて他人を攻撃していないか?」「いつも習慣のようにやっていることもカモメにならないために善悪を考え直してみようと思った」みたいな事書いたらよく出来ましたハンコと原稿用紙2,3枚分の厚さの紙ペラが1枚が貰えるだろう。今の私だったら、対カモメの防御兵器になった仮面と絡めて「善悪の判断がつかないカモメから自らを守るのは仮面という盾であった。しかし、現在のインターネットの発達により作られた匿名という仮面は、人を攻撃する武器となり、インターネットカモメを生み出してしまった。さらに言えば、このインターネットカモメから身を守るのも、本音や本名を隠して別の人格を形成するペルソナ、仮面である。」とか書けるな。小学4年生で書いたら呼び出しまったなしだ。
今でこそ、そんなこんなを楽しめるが、当時の私はこの本を復讐譚として読み出してしまったのだ。復讐譚にワクワクし、カモメにもっと、もっとやれと思い、助けに来た船を襲った時はよくやったと思った。主人公はなぜ島民を許してしまったのだ!復讐をメインに添えやがれ!何がめでたしじゃ!と怒ったのだ。あらすじを3行で終わらせ、あとは全部怒った。先生に呼び出されて、「俺はこれ1番好きだよ」って言われた。紙ペラ1枚すら貰えなかったし、先生が読書感想文について何か教えてくれることはなかったが、この先生にはだいぶ救われた。正解じゃなくていいんだ、って気づけた。大人の正解と自分の正解が違うし、先生も大人だけど、先生の正解と大人の正解すらも違うとちゃんと気付けた。自他の境界がつくのは4歳頃と言われているが、私がついたのはこの経験があったタイミングかもしれない。まあ4歳と4年なら1文字しか違わないしええとこやろ。で、この本は「復讐」と見せかけて「ペルソナ」がテーマになるので実質ファイアパンチ。
ちゃんと読書感想文というものに向き合ったのが5年から。それからは賞もらったりもらわなかったり。内容はあんまり記憶にないな。例の技法で、ひーこらやってた課題から、自信をもってこなせる課題にはなってた。
だからこそ、読書感想文何を書いたら良いかわからない問題には「正しいテーマなど必要ない」「主役は本じゃない」「自分の誤読を書け」が特効薬だと思ったのだ。だからあんな傲慢な、誰もが自分が言いたいこと、主張したいことがあって、それを書けばいいのだ、のような文章を平気で書いてしまったのだ。「本から受け取ったものなんてない」は想定できた。だから自分語りを勧めた。「書けったってどうやったらいいの」も想定できた。だから「読書感想文こそが訓練」で予防線貼った。方法論がわかれば、あとは訓練次第だと思ったからだ。完全に、「そもそも自分のことすらも書きたくない」を想定していなかった。切実なトラバに気付かされた。それなのに、凄く偉そうなことを返信してしまった上に、結局「書きたくない」ならそう書けばいい、のテクニック論に終始して、書きたくない「気持ち」をないがしろにしてしまったかもしれない。よりにもよって「オチ」などと!「私ならこうする」ばかりで、我が強いは良いとしても、猛省しなければならない。
自分のことすらも書きたくない、の原因は、様々なブコメが大変参考になった。「手が疲れるから書きたくない」「原稿用紙アレルギー」なんかは、もう課題自体をやらないという選択しか出来ないだろう。ただ、「そもそも大人が信頼できないから内心を開陳したくない」が真因の場合、これほど悲しいことはない。とくに小学生からみた周囲の大人なんて、社会のすべてだと思っていてもおかしくない。その大人が信用できないときの辛さ、全てが嫌になっていくだろう。そして、大人の信用できなさなんて、「ウソを付くこと」「ごまかすこと」「言ってることとやってることのズレ」という基本の基本から来てるんじゃないか。そんな子供に、課題がこなせないなら嘘捏造もありやで、なんて、何の役にも立たないアドバイスじゃないか。
私には何が出来るか。何も出来ない。教育には一切関わっていないし、親になる予定が無くなったからこんな文章を書き始めたのだ。このままゆるやかに、一人死んでいくのが私なのだ。自分一人の人生すらまともに面倒見れない私が、救えると思うことすらおこがましいのではないか。
数少ない救いの1つは、私の書いた感想文テクで、「感想を書けばいいんだよ」以外の指導を親御さんたちが出来るようになってくれたら、読書感想文などというくだらない課題に苦しむ子供が少しは書くのが楽になることだ。「内心を開示したくない子を救えなかった」よりも、「正解を求めてしまう子を救えた」と考えよう。いかにも大人っぽい諦念だ。そしてもう1つの救いは、大人を信用できなくなった子供も、大人に開陳したくないだけであり、「何も思っていない」ではないことだ。私はそう信じたい。結局自分を救えるのは、自分しかいないのだ。自分だけは、自分の思いを信じていかなければならない。自分だけは自分を信じていて欲しい。ああ、いかにも大人が言いそうな言葉だ。こうやって言葉で反省して、嘆いてみせることも出来るようになってしまった。明日になれば、私はまた仕事に戻ってせっせと自分の世話に勤しむだろう。そんな仮面をかぶって、生きていくんだろう。
「感想は個々人で勝手に持っている」は真だと信じている。そう思っていないと、やってられない。
私だったら、これには「テーマが「嘘」「ペルソナ」なので実質ファイアパンチ」みたいなコメント書くね。自分すらも茶化さずにはいられない。嫌な人間、架空の兄だ。
そしてこんな長々しい自分語りを読んでくれてありがとう、前2つについたブコメもトラバも全部読んだよ。コロナ禍以降久々の退屈しない週末だった。私は感想文だけじゃなくて、文章書くの好きなんだな。
お前それ「A」の一文字しか省略出来てないやん。わざわざ形を崩して単語としての正確性を失わせておいて、その見返りとしてたった一文字省略出来たとして一体何の意味があるんだ?
俺は引きこもりだしテレワークだし、ECはそれなりにつかってるし毎月クレジットカードの請求は10万超えてちょっとヒエってなってるし、毎月会社での売上も給料の5倍くらいは稼いでるし、副業も本業くらいのお金になってるし、個人でできる範囲の経済活動としては普通に普通だと思うんだけど、twitter見てて経済回せって言ってる人たちって何やって回すつもりなん?
オンラインでもちゃんと何千万、何億単位の仕事はそれなりやり取りができて、それらは確かに経済活動だと思うんだけど、まさか個人で飯食べに行く、飲みに行くを経済活動だと思ってへんよね。
そりゃまぁ、そういう人をかき集めることで飲食店は儲かるわけだけど、それはもっとマスな市場マインドというか大衆心理でも儲ける話で、たかだか数千、数万のフォロワーがいる程度のアカウントで何かが変わることはないで。
30人かな
縦横高さ10×10×10の形にワインを並べれば1000個並ぶ
右から左へ1面10×10 100本の「縦グループ」10セットに 右から「1~10」
手前から奥へ1面10×10 100本の「横グループ」10セット 手前から「あ~こ」
下から上に1面10×10 100本の「高さグループ」10セット 下から「A~J」を割り当てる
それぞれ縦 横 高さの3グループ全ての 1セット100本で30セットに1人ずつ割り当てられた30人が一斉にワインを飲む
仮に一番右「1」 一番手前「あ」 一番下「A」 のワインが毒ワインだとすると
縦「1」セット100本 横「あ」セット100本 高さ「A」セット100本を飲んだ3人が死ぬので毒ワイン1本が1回で絞り込める
>>死ぬのは10~20時間後の間のどこかのランダムなタイミング
というのはただのひっかけ
100回中100回 確実に24時間以内に見つけるには 最大20時間を見積もって一回の検証で見つける必要がある
自分がどうしてこんな気持ちになってしまったのか全く分からない。
気持ちの転がるスピードについていけなくなっている。落ち着くために増田を書く。
もともと周囲に腐女子は沢山いた。学生時代は常にクラスで一番おとなしい女子グループに所属していたし、芸大に進学するとそれはそれは沢山いた。だから友達におすすめのカプ本を見せてもらったりしたことはある。でも何を見せてもらっても、どれだけ魅力を熱弁してもらっても、全くテンションが上がらなかった。女の子が出てくる恋愛漫画はいくらでも面白いものが見つかるのに、なんで…といつも思っていた。
オタクな友達に囲まれているのに自分だけがオタクになりきれなくて、疎外感ゆえに八つ当たりして「これ男同士である必要あんの?」とまで思っている時期もあった。
今から2ヶ月ほど前。
旦那がとあるゲームを買ってきた。数年前に発売されたゲームで、自粛要請期間中にやってみようかなと言う。せっかくだから私もやってみることにした。
うん、結構面白い。キャラクターデザインなかなかいいな…と思いながらプレイしていると、一人のメイン登場人物、Aのイベントシーンに目が釘付けになった。
なんだこれ。なんだこれ。えっっこれは……かっこいい……………。
急に画面を直視できなくなった。自分の心臓がものすごいスピードで鳴っているのが分かる。なんかめちゃくちゃ暑くなった。
その日はなかなか眠れなかった。目を閉じると例のイベントシーンが浮かんできて、また暑苦しくなってしまう。
翌日の仕事も全然集中できず普段絶対にしないようなポカミスをした。家に帰るととりあえず例のイベントシーンの動画を見た。昨日に比べると少しはマシになっていたがそれでもまた同じように心臓がドクドクしているのが分かった。
それから数日、一人になった時間を狙ってイベントシーンの動画を繰り返し、繰り返し見た。見ていない間は思い返した。
そのイベントシーンは時間でいうと非常に短いもので、シーンが終わるとロードを経て通常のプレイ画面に戻る。
何度も何度もシーンを思い返すうちに「画面が戻る間、彼は何をしているんだろう」という疑問がわきあがってきた。
気が付くと数年ぶりににピクシブのアプリをダウンロードし、「A」で検索をかけていた。案の定シーンとプレイ画面の狭間の時間に何があったのか想像して描いている方がいた。貴女が神か。ありがとうございますありがとうございますと、いいねをした。
そこからはタグを辿って延々とAのイラストを見続けた。最高。最高すぎる。かっこよすぎる。なんだこれ。男性キャラでこんなにかっこいい人がいるなんて。
タグの中でも特に沢山Aのイラストを描かれている方は、BというキャラとカップリングさせたBL作品も描かれていた。
B?あぁー最近攻略したとこでちょっと出てきたな…と思いつつ、美しいAのイラスト表紙に吸い寄せられて思わずタップしてしまった。
読んだ。感動した。泣いた。なんて美しい愛。なんてピュアな恋。
あまりにも美しいキャラクター達の恋心の発露に、いびきをかいて寝ている旦那の横で声を押し殺して泣いた。
B、何者なんだ。気になる。Bも最初は気づかなかったけれどめちゃくちゃかっこいいじゃないか。
こっそりベッドを抜け出して、ゲーム機を起動させてBがメインで出てくるところまでぶっ通しで攻略した。もう完全に眠気は吹っ飛んでいた。
AとBが会話をするイベントシーンを見て、例の同人を思い出してまた涙ぐんだ。もう私の中でAとBは完全に運命の恋人同士になっていた。
それからというもの暇を見つけてはピクシブでAB作品を探し(もちろん原作のゲームはあれから速攻でクリアした)、ニヤニヤする生活を送っている。
本も買いたいけれど、数年前の作品だからか軒並み完売しておりどれも手に入らない。仕方ない。
とにかくネットでAB作品を見るのが楽しい。読むと、温泉につかったときに「あ゛~~~」と言いたくなる、あの染み渡るような感じがする。ABに自己投影しているというよりは、ABの2人が幸せにしている空気に「あてられる」感じがする。
なるほど、色んな友達が壁や観葉植物になりたいと言っていたのは、こういうことなのかもしれないな。
人生で初めてBLにハマッたことを私はまだ誰にも話していない。
なんだか少し気恥ずかしい。自分でもまだ気持ちの整理ができていない。腐女子の友達にもABに大して興味が無いならば言わないほうがいいのかしらとも思っている。
正確には、セルフリッジの言ったことをトヨタの社長が引用したものらしい。以下のようなもの。
「ボスは私という。
リーダーはわれわれという。
リーダーは黙って失敗を処理する。
ボスはやり方を胸に秘める。
リーダーはやり方を具体的に教える。
ボスはやれと言う。
リーダーはやろうと言う。」
これは、「かくかくの特徴を持つ人を『リーダー』と呼ぼう。しかじかの特徴を持つ人を『ボス』と呼ぼう。そして、『リーダー』の方を高く評価しよう」ということを主張しているのだろう。しかし、この「ボス」と「リーダー」という呼称は、「A」と「B」でもいいし、「つつじ」と「すみれ」でもいい。さらに言えば、そんな呼称などなくてもすむ。なくてもすむ名前は、なくていいのではないか?
もちろん、会社全体で目指していくべき理想的な人物像を提示するときに、それに名前がついているといろいろ便利なのは理解できる。それでもやはり、「ボス」と「リーダー」という語に勝手な定義を与えて、勝手に使っているという気持ち悪さが、その便利を上回る。
これに似たような説得の方法は、いろんな場面で見かけるような気がする。でも、こうした気持ち悪さを持った主張が、はたして、人を説得されてみようという気にさせるのだろうか?
【m3.com】医療計画、新興感染症への備えが欠落していた - 中川俊男・日医副会長に聞く
https://www.m3.com/open/iryoIshin/article/766054/
厚生労働省の「地域医療構想に関するワーキンググループ」の構成員として議論を主導してきた、日本医師会副会長の中川俊男氏にお聞きした(2020年5月1日にインタビュー)。
――2009年の流行後、2013年には新型インフルエンザ等対策政府行動計画を策定しました。
法整備はしていたものの、その具体化まではしていなかった。また私自身の反省を込めて、地域医療構想の議論をしている際、新興感染症に対する医療提供体制の確保という視点が欠落していました。今後は、都道府県別に、地域の実情を踏まえ、新興感染症への対応を医療計画に含めるべきでしょう。医療計画の現在の「5疾病、5事業」に新興感染症を加えて、「5疾病、6事業」にすべきだと思っています。この点については、横倉(義武)会長とも話をしており、既に非公式に厚生労働省に打診をしており、何らかの機会に、日本医師会として正式に提案したい。
具体的には、新興感染症が発生した時に、病床や医療従事者の確保計画、人工呼吸器やECMOなどの医療機器、マスクをはじめとする個人防護具の備蓄計画などを都道府県ごとに立てる。こうしたことをきちんとやっておかないと、次なる備えができません。
「病床の確保」ですが、その候補となるのが(地域医療構想で具体的対応方針の再検討が求められた)424の公立・公的医療機関等。2019年9月に公表して、大変議論が白熱しましたが、「A」(急性期・高度急性期医療に関係する9領域の全てで「特に診療実績が少ない」とされた病院)に該当するなど、病床稼働率が低い公立・公的医療機関等、特に病棟単位で空いているケースは、そのまま空けておくのも一つの在り方ではないでしょうか。
これまで「空床を置いておくこと自体、もったいない」との議論もありました。しかし今、新型コロナの軽症患者等の宿泊療養に、ビジネスホテルを使っています。常に配管が使えるくらいのメンテナンスをしておけば、いざという時に使えるでしょう。
(略)
――地域医療構想では、「A」に該当した公立・公的医療機関等は、再編統合も視野に入れた具体的対応方針の再検証が求められています。
その時に、新興感染症が発生した時の備えを念頭に置いてもらいたいということです。
今は有事です。坪井会長(編集部注:1996年から2004年まで日本医師会会長を務めた坪井栄孝氏)は、「国民の安全保障」とは何かについて、「有事」は戦争ですが、「平時」は医療だと言っていました。
「国民の安全保障」をもっと踏み込んで「社会保障」について考えると、今は「有事」。「有事」に対する備えは、「平時」の余力、余裕、これが大事で、いざという時に対応できない。「平時」の時に、ギリギリの医療提供体制ではダメだということが、今回明確になりました。
「A.png」が画面上に表示され、隠しタグOneの中に「A.png」と記載される。
「B」というボタンを押したら
「B.png」が画面上に表示され、隠しタグOneの中に「B.png」と記載される。
前にあった画像の上に重なるように表示され、別の隠しタグSubの中に「C.png」と記載される。
「Push」ボタンを押したら、画面上に表示されている画像が「Default.png」でサーバー上に保存する。
ユーザー側が保存できたらDefault.pngファイルを消す(どうやるか不明)
そうだったとして。
1人目がA+Cを実施し保存 2人目がA+Bを実施し保存したとする。
「同時に保存ボタンを押す」というのはあまり考えられないんだけれど
ユーザーのキャッシュ?等を考えるのが一番いい方法だと思うけれど
正直どうやったらいいのか分からない。
ファイルは必ず「Default.png」でサーバー上に保存してからユーザー側に持っていきたい。
どういった手段があるだろうか。
昔、ホッテントリに入ったこの日記を読んで、喜び勇んで英語勉強を始めた俺がいた。
https://anond.hatelabo.jp/20091026215137
まあ結果はお察しだが。若きウェルテルの悩み。
それはともかく、この日記で紹介されていたP-Study Systemというツール、
もうあれからだいぶ時間がたったから、もっといいツールが世の中にはいっぱい出ているのかも知れんが、
俺はまだこのツールを使い続けてる。
テレビを見るとき、真剣に見たい番組は別だが、ながら見でいい番組は、
タイピングモードをやりながら見ていると、気負いなく単語の綴りが覚えられていいのだ。
フリーで配ってくれているソフトなので、感謝こそすれ、文句を言う筋合いなど1mmもないが、
公式ページを見ても、古い辞書からの音声吸出し方法などはのっているものの、
自分で持っている音声データを設定する方法はよく分からなかった。
ということで、同じ悩みを抱えている同志のために
俺が今現在うまくいっている設定をここに書いておく。
まず、「data」フォルダを作成し、その下に「wavvoice」フォルダを作成し、
その下に「cobuild_mp3」フォルダを作成し、その下に「a」~「z」フォルダを作成する。
こんな感じ
data
|- wavvoice
|- cobuild_mp3
|- a
|- b
|- c
・
・
|- z
そして、P-Study Systemを起動して、
音声再生WAVファイルの格納フォルダに上記の「wavvoice」フォルダを設定する。
音声データはmp3データを上記アルファベットのフォルダの下に入れる。
ファイル名の末尾に「_」を入れること。
例えば「English」の音声データの場合、ファイル名を「english_.mp3」か「English_.mp3」として、「e」のフォルダの下に格納する。
ファイル名は間にスベースが入ってもよいので、例えば「be able to」のような熟語も「be able to_.mp3」というファイル名で対応できる。
何故この設定がうまくいくのか、どこにこの仕様が公開されているのかは俺は知らん。
昔どこかの親切な御仁が英語音声の設定ツールを配布していて、それを使ったら
残念ながらそのツールが配布されていたホームページは無くなってしまっている。
便利な世の中になったもので、英語音声ファイルはいろんなところから手に入る。
weblioなんかはかなりの単語、熟語について音声データが用意されているので、
そのままダウンロードして使ってもよいし、google翻訳でも今は発音が出来るので、
それをPC内で録音して使ってもよい。
プログラムが得意な人ならWebから音声ファイルを自動で取得して名前を付けるツールを作ったりするのだろうが、俺には全くその技術がないので、1つずつちまちまと増やしていっている。
少し前に「絵師さんに表紙を頼んだ話」が同人界隈で広く話題になった。
「自分はこういった方法で絵師さんに依頼し、こんな表紙を描いてもらいました!」
謝礼、リテイクの有無等々も含め界隈全体で様々な議論が巻き起こったことで、結果として
あの話が広まったことは全体的な意識向上に繋がったのかなぁなんて思う。
私は趣味で二次創作をしていて時折表紙のご依頼を受けたりしていたので、
これでみんながスムーズにやりとりして素敵な創作物がいっぱい生まれたらいいよね!なんて思っていた。
それでちょっとだけ、私のところにも来る困った依頼者の人が減ったらいいなぁなんて考えてた。
元からそういう御心遣いをされる方はあの一件でより意識を強めた感じがあったけど、
多分、そういう困ったご依頼の方は問題を自分のことだと捉えていないのかな。
ちょっと大変だったのは
・こちらから訊かないと基本的な情報(納期、納品サイズ等)を教えてくれないパターン
・ご自分の中でイメージが固まってないまま依頼されるパターン(小説の内容を相談するのはどうかお友達相手にして欲しい)
・AとBのパターン、どちらがいいですか?と訊ね、「A」と言った数日後に「やっぱりBの要素も....」と言われるパターン(Aと答えた段階で絵描き側の作業は進んでいます)
などなど、
ちゃんとして下さる方のほうが多いしそういう方は本当にきっちりして下さるけど、
私は今までのご依頼全部、お金の類は頂いてないけど、
やりとりのメールを打ちながらこれは最早クライアントとのやりとりのようだな....って仕事してるような気分になったりした。
割と多いのは、本のイメージが依頼の段階であんまり固まっていない方。
納期 報酬の有無 カラー(RGB/CMYK)/モノクロ 人物の数や表紙のイメージ 本の内容 背景の有無 題字等の文字デザインの有無 複数枚の場合は枚数とか。
「表紙描いて欲しい!描いてくれませんか?」
に対して
「うん!いいよ!」
って言うためには、絵描きによって必要な情報の量が違うと思うけど、
でも意外と「表紙描いて欲しい!描いてくれませんか?」でメールが届いたりする。
距離がある相手に対してだったらお互いの信頼関係もないんだからもう少し情報が欲しいところ。
ちなみに情報共有の際、その字書きさんがそのCPをどんなCPだとイメージされているか、
どんな本にしたいと考えているのか教えて下さらないと、
解釈違いの表紙が出来上がるなどの悲劇が起きることもあると思う。
こだわりが強いなら尚更そのあたりは最初の段階で細かく伝えるべきだし、
その時点で「自分には荷が重いな」って思ったら、絵描き側も断れるし。
ちょっと話は逸れるけど、
そもそも絵描きの中には「お任せで!」って言われたほうがのびのび描けるタイプと、
「色々注文つけたら大変になっちゃうよね」「負担を増やしたくないな」って
相手を思って一歩踏み出せなかったりするなら
一度そのあたりを相手に訊いてみるのもありなんじゃないかな~って思ったりする。
少なくとも私の周りに「こんなのがいいな」を言うことを否定する絵描きは一人もいないし、
お任せが得意な方もがっつりイメージ共有が得意な方も、
字書きさんの理想に少しでも近づけたらいいなって思いながら描いてることに変わりはないし。
だけど、
だけどね。
依頼の段階で言ってたことと注文を変えたりするのはちょっとずるい。
最初は「お任せで」って仰ってたのに、やり取りをしているうちに注文がどんどん増えてきた、とか。
ご自身の原稿が進んでなくて、「やっぱりこう変えて欲しい!」とか。
よくない。
そのたびにこちら側は思いっきり軌道修正をすることを余儀なくされたり、
締切が厳しくなったりしちゃう。
やっぱりこれもこれも!!ってなったら大変だよ。
そういう相手には、手直しができない段階で「やっぱりこれも」って言われる可能性を考えて、
友達とかだったら構想段階から一緒に作ったりとかも楽しいと思うんだけど、
そういうことを言ってくる相手に限って友達じゃなかったりする。
どうか
そして一度納得したものに対して簡単に「やっぱりこっちで」って言わないで欲しい。
物事はまた変わってくるのかもしれないけど。
無償での依頼だったら、少しでも気をつけてくれたら嬉しい。
私はもう表紙の依頼をあんまり受けないようにしようと思うけど、
ちょっとでもこまったご依頼の方が気付いてくださったらいいな
子供の頃、両親になにか聞かれて「知らない」っていうのは禁句だった。というのもそこから果てしないマウンティングが始まる。
両親はマウンティングしたいのかも今となっては不明だが、質問に正解すると更に質問を浴びせてきて「わからなくなるまで」聞き続ける。
そして一度「わからない」って言うと、満面の笑みで「おーwwwwwwwwwそうかwwwwwwww○○はXXXを知らないのかーwwwww」
となって長々と話が始まる。
ただ、あまりにも話が長いために最初「A」と言っていた話が「Z」くらいに変わることがある。「ことがある」と書いたが嘘だ。9割以上の確率で変わるから「たまに話が一貫する」ほうが正しい。
どのくらい変わるかというと「手を離せばものは落ちる」と言っていたのが「ものっていうのは常に浮かんでいないとおかしい」位変わる。
だがこれこそが罠だ。
「さっきAって言ってたのにZって言ってる」と指摘すると地獄が始まる。
「Aなんて言っていない!」となってそこから徹底的な精神的な虐待が始まる。そしてガンガンに精神的にメタクソに叩き潰された後で結論が今度は「F」位になる。
これも罠だ。突っ込んではいけない。だが話の整合性が無茶苦茶になる。気持ちが悪くなる。そしてたまらず「今度はFなんだ」と言う。そうすると「Fなんて言うわけがないだろう!今話しているのはPのことだ!」とまたもや激怒。
こうやって文章にしてみるとわかる。あいつは明らかにおかしい。そして自分はそうして何言っても叩き潰されて精神的にとことんまで追い詰められる状態がコンフォートゾーンなのかついついそこに行ってしまう。
そして社会に出てわかった。わからないということが怖い、意見を言うことが怖い。というか周囲の人間は「いつ俺を叩き潰してやろうか」と機会を伺っていると思うようになっていた。
社会に出てわかったのは、学校にいる間は人とかかわらなくても死にはしないからだ。社会に出たら人とかかわらなければならない。だから明らかになる。
もう本当に嫌だ。どうすれば楽になるんだろうか・・・
といっても、モルタル実店舗の書店めぐりじゃなくて、ネットでの本の私的買い方のご披露。
🐢
まず最初に、最大手(だよね?)の某「A」サイトで目指す本を検索する(1店目)。大概はヒットするので、おもむろに検索結果を開いて先ず確認するのは出版年月、定価、古書の有無。ここで古書の取扱があって、(送料+価格)が定価以下、品物の評価が「良い」以上、加えて取り扱いの古書店が既に買ったことのある自分的に実績のあるところか、取り扱い点数が万以上で「悪い」評価が1%以下のところであれば注文する。知らない業者の場合はプロフィールを確認して、住所からストリートビューで現地を確認、実店舗があるなら安心材料となる。まあ、最近はネット専業の古書店が増えてて、ストリートビューで見つけると閉店した仏具店だったりして、う〜んとか唸っちゃうようなことが増えてるけど。
「A」サイトでの古書の取り扱いで適当なものが見つからないときには、「日本の古本屋」へ直行(2店目)。検索して、1店目と同じような条件での取り扱いがあるなら注文。知らない業者のときは、やはり実店舗があるなら安心材料となる。「日本の古本屋」では取引の手順ひとつずつが専用のメッセージシステムでやり取りできるので、古書店主との「膝突き合わせて感覚」があって安心感がある。
さて、「日本の古本屋」での取り扱いが無いときには、残念ながら古書での購入を断念。再び「A」に戻って(3店目)新品での購入となる。ただしここで気をつけないといけないのは、ときどき外部業者による取り扱いが優先表示されたりすることだ。発送元と送料を確認、「A」サイトの発送なら安心できるが、発送元が外部業者で、送料がかかっているときには手を触れないようにする。ひどいところになると、千数百円の本に800円も送料とったりするからね。新聞の書評欄やテレビ番組で紹介されたりすると新品が欠品、それと同時に在庫を確保している外部業者が乗り込んできてるみたい。
「A」サイトで古書も新品も買えないときには「紀伊国屋ウェブストア」に向かう(4店目)。取扱量が多くてお客が沢山集まる所為で欠品となりやすい「A」サイトとは違って、こちらには在庫が余裕であったりする(規模の経済の“明るい陰”の部分、とでも云うのか)。ということで、欲しい本は大概この4店目までで入手できる。
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公共図書館とか大学図書館という手もあるし、どちらも近所に揃ってるから使わない手はない――とは思うんだけど、手許に本があるかどうかというのは重要なんだよね、きっと。読みたいときにすぐに読めるかどうか、配架しなおしながら背表紙を眺めて考え事をするとか、そういうのはやはり自宅の本棚じゃないとできないから。
過去にそういうタイプの人達と複数接したことがあって、彼らには似た傾向があるように感じたのでメモ。
ちなみにその人達は、自分と二人きりでいる時は仲が良いのに、みんなの前では自分を小馬鹿にしてくるタイプ。あくまで小馬鹿だから、言われたら嫌だけど、場の雰囲気を壊したくて自分は我慢してきた。でもそれがずっーと続いて、内心は相手に対する不満がどんどん蓄積されてた。
で、いつもみんなの前で小馬鹿にされるので、ごくたまに、後で二人きりになった時に「そういうのは嫌だからやめてほしい」と俺から伝えることがある。
相手の名前を仮に「A」(過去に複数いたので正確にはA達)とする。
Aから言われることは大体同じで、大別すると以下に別れる。
俺が「そういうのって失礼じゃん。不快だ」と指摘しても、Aは「別に失礼じゃない。不快に思うほうがおかしい」とか返してくる
●2.議論に触れず、「お前だって~じゃないか」と相手を責める方向で話をそらしてくる
友達なら互いに迷惑かけることはある。過去に俺がAから問題を指摘された時は、Aに謝罪したり改善したりその言葉に向き合ってきた。
でもAはまったく自分を振り返ろうとはせず、いつも俺を責める話にすりかえようとする。
こちらが怒りを含めた口調になると、「そんなに感情的になるならもう話すのはやめる」と返してくる。怒るのは良くなかったなと、こちらが反省して冷静に話を再開すると、今度は「上から目線で言われてるみたいでムカつくから話したくない」と言ってくる。
●4.極端な話をしだす
俺の指摘に対して「なに?じゃあ友達やめればいいの?」とか返してくる。こちらがそういうわけではないと言うと「じゃあどういうことなの」と聞いてきて、こちらが真剣に応えれば応えるほど、どんどん本筋とそれた会話になる
俺の望みは単純で、こちらが嫌がることをやめてほしいだけ。
それなのに、その希望を表明するだけで、上記のように泥沼のような会話展開になる。
俺はAから「悪かった」とか「これから気をつける」とか言われるだけで、俺はきっと救われる。
でもAからはそうした言葉はないので、ずっと普段は仲良くしつつも、
俺はみんなの前で小馬鹿にされて、たまに怒って上記1~4の話を繰り返すことになる。
でももういい加減に疲れてきた。もう無理なのかも。
「君がいるだけで」米米CLUB
「もう恋なんてしない」槇原敬之
「愛しさと せつなさと 心強さと」篠原涼子 with t.komuro
「Tomorrow never knows」Mr.Children
「LOVE LOVE LOVE」DREAMS COME TRUE
「WOW WAR TONIGHT~時には起こせよムーヴメント」H Jungle With t
「LA・LA・LA LOVE SONG」久保田利伸 with NAOMI CAMPBELL
「YELLOW YELLOW HAPPY」ポケットビスケッツ
「HOWEVER」GLAY
「長い間」Kiroro
「Time goes by」Every Little Thing
「糸」中島みゆき
「Grateful Days」Dragon Ash
「A・RA・SHI」嵐
第一章『関係を記述する方法としての「基準」とその基準からの「指定」』
このベーシックイングリッシュの分析においては、「基準」とその基準からの「指定」という概念が、フローチャートの他に重要なものとして出てくる。なぜか。
それは自然言語においては下の図のような統語法則が使われるからで、そのままでは単語AとBの関係を記述する際に、図の通りで、集合論的にどちらかがどちらかを直接的あるいは間接的に含むという風にしか記述できない。(木構造は、ただ何が何を含んでいるかを表しているという意味で、集合論を線で表したものでしか無い)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E8%A6%81%E9%83%A8#/media/File:Kafka_English_tree.jpg
※この英語の図では動詞が主語を含んでいて、また「monstrous verminous bug」が「a」を含んでいると解釈されているが、事実として『主語が動詞を含んでいて、またaがbugを含んでいる』と解釈するのも意味的には可能な文で、私は後者を採用している。「monstrous verminous bug」は一語として認識されていると考えている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E8%A6%81%E9%83%A8#/media/File:Kafkaj.jpg
※wikipedia「主要部」から引用。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E8%A6%81%E9%83%A8#%E4%B8%BB%E8%A6%81%E9%83%A8%E5%85%88%E5%B0%8E%E5%9E%8B%E8%A8%80%E8%AA%9E%E3%81%A8%E4%B8%BB%E8%A6%81%E9%83%A8%E7%B5%82%E7%AB%AF%E5%9E%8B%E8%A8%80%E8%AA%9E
そこで必要になるのが「基準」とその基準からの「指定」で、ある単語を基準に他の単語を指定するということによって、二つの単語の関係が様々に記述できるようになる。
例えばAとBが隣り合っていることを記述したいとする。記述する方法を自由に設定できるならば、「A B」と記述すれば良い。これなら「右」という単語も「左」という単語も必要無い。
ただ自然言語においては、これではAがBを含んでいるということになってしまう(あるいはBがAを含んでいるということになってしまう)。そこで、Aを基準にすればBが右にあり、Bを基準にすればAが左にある、というような記述方法が必要になる。
(ちなみに「right」や「left」には、前後の他に上下も必要になる。前後と上下が定まって、右や左が生まれる。上下は重力によって生まれていて、重力は自然現象なので、この分析では「right」と「left」は考察の対象外とし、付録の『本文に掲載されていない単語一覧』に掲載している。)