正確には、セルフリッジの言ったことをトヨタの社長が引用したものらしい。以下のようなもの。
「ボスは私という。
リーダーはわれわれという。
リーダーは黙って失敗を処理する。
ボスはやり方を胸に秘める。
リーダーはやり方を具体的に教える。
ボスはやれと言う。
リーダーはやろうと言う。」
これは、「かくかくの特徴を持つ人を『リーダー』と呼ぼう。しかじかの特徴を持つ人を『ボス』と呼ぼう。そして、『リーダー』の方を高く評価しよう」ということを主張しているのだろう。しかし、この「ボス」と「リーダー」という呼称は、「A」と「B」でもいいし、「つつじ」と「すみれ」でもいい。さらに言えば、そんな呼称などなくてもすむ。なくてもすむ名前は、なくていいのではないか?
もちろん、会社全体で目指していくべき理想的な人物像を提示するときに、それに名前がついているといろいろ便利なのは理解できる。それでもやはり、「ボス」と「リーダー」という語に勝手な定義を与えて、勝手に使っているという気持ち悪さが、その便利を上回る。
これに似たような説得の方法は、いろんな場面で見かけるような気がする。でも、こうした気持ち悪さを持った主張が、はたして、人を説得されてみようという気にさせるのだろうか?
トヨタは急速にダメになりつつあるよ