2020-06-25

例のトヨタのやつ(ボスリーダーの違い)の気持ち悪さについて

正確には、セルフリッジの言ったことをトヨタ社長引用したものらしい。以下のようなもの

ボスは私という。

リーダーはわれわれという。

ボスは失敗の責任を追わせる。

リーダーは黙って失敗を処理する。

ボスはやり方を胸に秘める。

リーダーはやり方を具体的に教える。

ボス仕事苦役に変える。

リーダー仕事ゲームに変える。

ボスはやれと言う。

リーダーはやろうと言う。」

これは、「かくかくの特徴を持つ人を『リーダー』と呼ぼう。しかじかの特徴を持つ人を『ボス』と呼ぼう。そして、『リーダー』の方を高く評価しよう」ということを主張しているのだろう。しかし、この「ボス」と「リーダー」という呼称は、「A」と「B」でもいいし、「つつじ」と「すみれ」でもいい。さらに言えば、そんな呼称などなくてもすむ。なくてもすむ名前は、なくていいのではないか

もちろん、会社全体で目指していくべき理想的人物像を提示するときに、それに名前がついているといろいろ便利なのは理解できる。それでもやはり、「ボス」と「リーダー」という語に勝手定義を与えて、勝手に使っているという気持ち悪さが、その便利を上回る。

これに似たような説得の方法は、いろんな場面で見かけるような気がする。でも、こうした気持ち悪さを持った主張が、はたして、人を説得されてみようという気にさせるのだろうか?

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん