https://medium.com/@0h0n0/e3e429688456(このページ)
はじめに『この文章について、フローチャートの重要性について』
第一章『関係を記述する方法としての「基準」とその基準からの「指定」』
第二章『集合論』
第三章『フローチャート』
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第五章『情報』
第六章『目的』
第七章『アクター』
第九章『社会』
おわりに『この研究の不完全さについて、エクセルの使い方について』
はじめに『この文章について、フローチャートの重要性について』
ベーシックイングリッシュとは、第二次世界大戦後くらいに流行した、英語を850語で言い換えることができるとされる体系だ。
私は「その体系を論理的に説明できれば自然言語を論理的に説明できたことになるんじゃないか、あるいは論理的に説明するヒントくらいは得ることができるんじゃないか」という仮説を立て、ベーシックイングリッシュの研究を始めた。
この文章は、その研究の現在地点の記録だ。少し読んでもらえれば分かるように、論文では無い。論文にするなら説明の形式を根本的に変える必要があるだろう。
この文章では、説明にまず集合論とフローチャートを使う。「集合論」とはただ学校で習うような素朴集合論であり、「フローチャート」とはただ日常で使うようなフローチャートを意味している。
まず第一に『フローチャートは、集合論と並び立つように存在する、論理というものの原理だ』ということについて了解してもらいたい。そうで無ければ、「フローチャート」という概念を使う意味や、フローチャートと集合論を組み合わせて何かと隣り合うことができるような「存在」を説明する意味は、読者に了解されないだろう。
論理を人間の思考の表現だとすれば、脳神経の構造上、何と何が同じかを問題にする集合論だけで無く、何を前提にどういう結果になるかを問題にするフローチャートもまた重要なものになる。
実際の問題としても、「帰納・演繹」という言葉は、ただ「色々なものが集合にまとまる・集合が色々なものに適用される」というだけで無く、「フローチャートが集合にまとまる・集合がフローチャートに適用される」というようなニュアンスも含んでいる。論理や具体的には演繹の弾き出すようなイメージはフローチャートのもので、例えば「その話は何が前提になっているんですか」とか「根拠は何ですか」と聞く時も、思い描かれているのは実はフローチャートだ。
ベーシック・イングリッシュという850語で英語を言い換える体系を研究して、関係の記述についての理論を見出した。 どうせまた叩かれるんだろうが。他に発表する場所も無い。 https...
もはや理論がまとまるたびの恒例行事ではあるんだが、まあそうだろうと思った。 しかし人間の現状肯定のバイアスは凄まじいなというか、正しい理論があればその理論は広まっていか...
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第一章『関係を記述する方法としての「基準」とその基準からの「指定」』 このベーシックイングリッシュの分析においては、「基準」とその基準からの「指定」という概念が、フロー...
第二章『集合論』 以下、集合論、フローチャート、集合論+フローチャートは基本的に図で示す。赤が指定先、青が指定先の否定を表す。 以上だ。ここから先は図で示しているので、...