はてなキーワード: 黒幕とは
シーズン5は、絶対にあるはず。カンバーバッチがシーズン4の撮影時に、「シーズン5までの契約」とうっかりバラして怒られていたと、英国マスコミで報道されていた記憶が。
主観的な予測だけれど、シリーズ5では、シャーロックが、アイリーンとモリーの間で揺れながら、さらにマイクロフトがレディ・スモールウッドに対して、「恋心」を学ぶシリーズになるんじゃないかと思う。「探偵物語」ではなく、「探偵に関する(成長の)物語」と鳴り物入りで登場したSHERLOCKシリーズだけれど、「友情」「家族」ときたら、次は「恋愛」でしょう。シーズン4のエピソード2の終わりで、ジョンからも「恋愛はキミを人として完成させる!」と力説されていたし。で、シーズン4から経た歳月の長さを表現するために、ジョンとメアリーの娘・ロージーが「幼女」に成長していて、彼女の「初恋」と絡めて登場させるんじゃないかと思っている。(「舞台装置としての、娘の成長」という役どころぐらいしか、ロージーに与えられていないんじゃないかと勘繰りたくなるほど、シーズン4ではストーリーに絡まなかったし。)
それにしても、シーズン4のエピソード3、伏線の回収っぷりは素晴らしかった。幼少期の回想シーンで、シャーロックとビクターとの海賊遊びに入れてもらえなかったユーラスが水辺で、手に持った「飛行機」で一人遊びしていたのには、感心した。おもちゃの飛行機は丸みを帯びたデザインで、一見してユーラスの妄想のなかの飛行機との関連を想起しづらいから(彼女の孤独の象徴「飛行機」)。さらには、飛行機のなかで一人だけ目覚めていて恐怖に怯える少女(じつは妄想中のユーラス)に対して、マイクロフトが「街に飛行機が突っ込まないように、少女ごと飛行機を海に墜落させよう。そのために、少女に希望を与え続けるんだ」という態度でいたのは、国家の安全のために・両親の安心のためにユーラスをシェリンフォードに閉じ込めて社会的に抹殺させていたことと相同的だったのも興味深い。ジョンとシャーロックは、少女を救って町も助けようという態度だったけれど、まさにこれはエンディングでの妹ユーラスに対するシャーロックの姿勢だ(ユーラスの孤独を救ってジョンを助けるのも、ユーラスとのコミュニケーションを諦めずにバイオリンの音でつながり、両親と兄を含めたホームズ家の絆を結び直すのも、どちらも飛行機の中の少女に対する態度と相同的になっている)。
それから、シャーロックたちがシェリンフォードを訪れるために船を乗っ取った際に、「僕はシャーロック・ホームズ……海賊だ!」と名乗るけれど、あれは幼少期のシャーロックが考えた「サマラの商人」の別バージョン(バグダッドで死神と出会った商人は、サマラではなくスマトラに逃げ、海賊になって長生きした=自分の人生は自分の意志で選択できる:シーズン4のエピソード1で登場)を継承していて、運命に逆らい覆す覚悟を感じさせる。
ちなみに、このエピソード1の終盤には、黒幕だった秘書「ノーブリー」の名前を唱えることで、いつか傲慢になった自分を戒めて(メアリーを守るという誓いを破ってしまったことを思い出させて)欲しいとシャーロックがハドソン夫人に依頼するシーンがあった。これも、「恋愛」というテーマと共に、未回収だ。ぜひとも、シーズン5で使って欲しいところ。
Murder cannot be hid long.A man's son may, but at the length truth will out.
彼はシェイクスピアの一節を諳んじてみせる。それは、目を眩ませるような不気味な光を放って脳髄に焼き付いた。
「なんという道化か。滑稽極まる、あれは恐ろしい殺人者です、その正体を確かめましょう」
何者か這い回る気配が空間に満ちていた。胸は異様な興奮に高まり、こらえるのがやっとだ。視線を巡らせると化物の姿を探す。目を閉じてあえて視覚を遮断し、聴覚でその動きを捕らえようとした。何の事は無い、敵の正体は「黒く燻った汚れ者達」だった。
空想の中で何度も殺人を犯し、その虚妄に取り憑かれた彼は遂に化物となってしまった。ならば、彼にはいくつかの計画が存在する筈だ。主人公を欺き、傷付ける為にいくつものギミックを用意している。彼の頭脳は怜悧に働いていた。それは自らを克己する試練であるとも言えた。敵は何度も形を変えて手脚や胴体を襲い、猛然と打ち倒そうとする。
誰かに劣っているのではないかという不安、自分が一番だという自己欺瞞の塊だ。誰に見せるのも烏滸がましいようなエゴの塊。恐ろしい叫び声を上げて化物は唸り狂う。耳を塞ごうとした。黒幕は自分が退治される日を心待ちにしていたのだ。その化物に一歩、また一歩と迫る。
「お前は誰かの真似がしてみたかっただけの生き物だ。賞賛が欲しかった。昂然たる讃美者が。貴方は一塊の石ころに過ぎません。ネガティブを継ぎ合わせた物だ。退ければ退ける程、現実が押し寄せてくる。孤立し、千倍にも増大し、人を憎んだ。その成れの果て。」
前川前文部科学次官、頭良いし、確かに嘘ついていないっぽいんだけど、
質疑を聞くと、なぜ問題定義をこの人はしたのだろうという疑問しか残らない。
官僚としての大学行政を管理してきたプライドを掛ける?にしちゃ失うものが多いし。
前川氏「獣医学部の新設を求めている大学として、当時文科省としてはっきり認識していたのはやはり加計学園でございまして、その他に関心を持っているところはあるとは考えていたけれども、明確に獣医学部をつくりたいという意思を伝えてきているところについては、私の認識では加計学園しかいないと考えていた。構造改革特区で要望してきたということが経緯があったし、愛媛県知事からもそういったお話が担当のほうに来ていたこともある。
したがって、獣医学部の問題というのは、ほぼこれは加計学園の問題に絞られると、こういう認識は持っていた。また担当の局においても、また国家戦略特区を担当している内閣府におかれても、暗黙の共通理解として規制改革で設置を認めようとしているのは今治における加計学園の獣医学部だと。こういった暗黙の共通理解はあったというふうに考えている」
ということで、いずれの段階においても、京都産業大や他の学校法人(が新設を望んでいること)は認識していなかったということになる。
新設に向けては、陳情等において声を上げていくことが必要であるはずだから、
私学許認可権を持つ(高等学校以上は文部科学大臣だが)愛媛県知事や関連自治体、文科省に声を上げていくのは当然。
ここで加計学園が現実的に一歩抜けていただけに過ぎないと思わないのかな。
文科省の動きが悪いなり既得権益の受益者層保護のための硬い岩盤規制を感じたら、
特区での新設を目指し、その所轄官庁の内閣府に話を持っていくのは、
ビジネス的には高度なテクだが、当然の展開。内閣府に知り合いがいればだけど、当然そうするわな。
そして前川元次官は自分自身で、加計学園と安倍総理もしくは官邸の最高レベルなる方との間に、
特別な関係があることを思わしめようとした人物というか、組織というか、黒幕の名前を明かす。
前川氏「総理と加計理事長とがご友人だということは、私は8月終わりごろに担当課から説明を受けた際に聞いた覚えがあるが、今ご指摘の(萩生田氏のブログの)写真は10月半ばごろに私は拝見した。これは、私は出席していなかったけれども、獣医師会の皆さま方が大臣のところに要請にみえた際にお持ちになったというふうに理解している。その行政行動の際にお持ちになった、いろいろとたくさん資料があったけども、その資料についてその事後に担当課から私が『このような資料で大臣への要請があった』という報告を受けた。
どうしてこの写真をお持ちになったか、獣医師会の意図は分からないが、写真を見て、総理と加計氏の間柄が極めて親密であると理解した。私以外に文科省の中でどれほどの人間がこの写真を見たかは、私は承知していない」
http://gaiatu.hatenablog.com/entry/2017/05/29/011546
これについて。
FGOのCCCコラボイベントについてのひとつの意見だけれども、「それはないだろ」と思ったので反論を載せておく。
まずはっきりさせておきたいこととして、自分はCCCをプレイしたことはない。だからプレイしたことのある人とは違う感想になって当然だし、キャラの性格やらが変わったという主張については口の挟みようがない。
そしてその点については別に否定するつもりもない。キャラぶれなんて古今東西どこにでもある話だし。
ツッコミを入れたいのは「CCCコラボとして出す意味がないものだった」という点について。
今回のシナリオはむしろコラボイベントでないと書けないシナリオだったのでそこは違うと言いたい。コラボした結果よくなかったという話なら別にそれはそれでいい。
作者のやりたいことは以下の発言に集約されていると思う。
『一度終わった物語のサブヒロインの「その後のイフ」を書けるチャンス』はFGOのような媒体でしかない。
「両儀式」や今回のゲストヒロインのように、本来の物語の中では決して訪れる筈のないヒロインルートを書けるのが、お祭りゲームである『FGO』の最大の強みだと思っています。
(http://www.typemoon.org/bbb/diary/)
『一度終わった物語のサブヒロインの「その後のイフ」を書く』ためにFGOを始めたと言っても過言ではないので、ある意味では今回のCCCイベントもその後のイフが書けるという正にそのためのイベントである。だからこのために始めたと言っても過言ではない。
しかし「CCCという作品のために」FGOを始めたというわけではないので奈須きのこはCCCコラボがしたくてFGOをやった(他の作品やヒロインは二の次)と思われてしまうのはちょっと発言の意図とは違う、というだけの話では。過去の発言を蔑ろにしたんじゃなくて過去の発言が意図しない方向に取られてしまったから訂正したというだけだと思う。
ここからはネタバレにしかならないので見たくない人は自衛してほしい。
まず、今回のシナリオで多くのユーザーにインパクトを与えた「魔神柱快楽堕ち事件」。魔神柱という人間を圧倒しているはずのものが人間に支配されるという立場の逆転を起こした一連の流れは魔神柱をも手玉にとるキアラの凄まじさがよくわかる話だった。
そしてキアラのビーストへの変化はそれまでのビースト達のように強大な力を持っているわけではなかったがその精神性をもってして獣に上り詰めた(もちろん後付けで力を与えられてはいるのだが)といったあたりがますますキアラマジヤバイ。
だが、その壮絶な内容に対して多くのユーザーは違和感はなかったと思う。それはCCC未プレイの自分からすれば周囲の既プレイ勢が「だってキアラだし」と納得していたからであり、既プレイ勢からしたらつまりそういうことなのだろう。あいつならおかしくないという前例があったわけだ。
ではこれが仮に今までに出てきたことのない新キャラだったとしたらどうしよう。なんか見たこともない人間キャラが出てきた。人のよさそうな顔で出てきたけど実は黒幕だった。なんと魔神柱を乗っ取ってビーストになったらしい。人の手では倒しようのない強敵だ。
「はぁ?」と思う。なんかいきなりぽっと出のキャラがチートかましてイベントのラスボスとして出てくるわけだ。
そんなチートキャラをいきなりもってこられたところでなんでそんなに強い奴がそこらへんにいてラスボスやってるんだとなる。伏線がなさすぎてそういうことはありうることだよねとは思っても感覚として納得し辛いのだ。
ところがそれがキアラというキャラであれば、別の作品での積み重ねが既にされているのでぽっと出ではなくなる。なんだかむちゃくちゃな強さも性格もそういうキャラなんだと説明してしまえるし納得できる。
該当のブログでは話の大まかな流れとして「終局特異点から流れ着いた魔神柱ゼパルが海底油田基地セラフィックスの職員を乗っ取った。しかしゼパルは逆に乗っ取った筈の人間に取り込まれてしまい、その人間のせいでこのままではまたしても世界の危機。」と書かれており、ブログ管理者がこの点を今回のシナリオの重要な点として考えているのがわかるが、むしろその重要な点はキアラというキャラクター以外だと説得力が出ず、それでも新しいキャラクターで説得力を持たせようとすると説得力のある描写のためにイベントの本筋とは関係のないところで時間が取られてしまうし、そもそも番外編としては枠が収まらなくなってしまう。
きちんと説得力のある描写をすべきだ、と言うのならコラボイベントという説得力が既に他の作品にある状況を利用しないと、少なくともこの分量ではそんな描写はできないだろう。
同じ機能を持った舞台装置を使えば別にCCCのキャラという舞台装置を使う必要はないだろう、と言われたところでそれならその同じ機能を持った舞台装置とやらをどこから持ってくるのか、という話だ。
正直ここはそれこそ無理に関連づける必要性がないだろう。世の中のコラボイベントを見回せば関連性などを気にしている作品がどれだけあるのか。
別にコラボイベントなんて言ってしまえばそれこそ別にそのイベントがある必要性がそもそもない。でも必要かどうかじゃなくてその物語が書きたいからと書かれたのがFGOのコラボイベントであるように思う。
その物語を書きたいから、ヒロインのイフを書きたいから用意された舞台に必然性がないという話をしたところでどうにもならない。
そしてメルトリリスのイフを、パッションリップのイフを、キアラのイフを書くためにはCCCという作品とのコラボでないとできない。CCCにしかいないキャラクターなんだから。
そして他の登場キャラクターはどこに行ったのか、CCCとのコラボじゃなかったのかという話について。
まあサブヒロインのイフを取り扱いたいのにサブヒロインではないキャラクターを取り上げる意味がない。というかコラボだからとなんでもかんでも制限なくキャラを持ってきたら逆に今度はFGOという作品を使わずCCC続編を作れという話になる。ただでさえ舞台が閉鎖空間でありFGO側としては主人公しかいない状態なのにここでさらにCCCのマスター勢の話まで出してきたらコラボである意味がなくなる。
そしてマスター勢を出してもつりあうようにFGO側のキャラを増やしたなら、全体としてキャラクターが増えすぎてこれもまたコラボイベントという枠に収まらなくなってくるだろう。
コラボでないと成り立たないシナリオなのにキャラクターの設定がおかしい、というならできのよくないシナリオだった、という話で終わるだろう。
だが今回のイベントがコラボでなくても成り立つかと言われたらコラボだからこそ成り立ったイベントであり、コラボでなくても成り立つように修正しようとすればもはや別の話になってしまう程度には再現性が保てないだろう。
シナリオに強引な点があった、キャラクターの性格が変わっていた、という話を安易にコラボでなくてもできるシナリオだったと批判してしまうと、はたから見れば「俺の嫁が他の奴になびいたからクソ」という主張を無理矢理理屈づけているようにしか見えない。
本当にコラボじゃなくてよかったと思っているならコラボじゃなくても成り立つ理由をきちんと説明してほしい。
そしてヒロインのイフを書くならもっと丁寧にやるべきだ、という話ならそれこそコラボである理由云々とは別の話になるので、そこは分けて主張するべきだと思う。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS17H4O_X10C17A5PP8000/
ぶっちゃけ、何が問題がいまいちピンと来ない人が多いと思うので、自分なりに考えをまとめてみたい。
日本における天皇とは憲法にも明記されているとおり、国の象徴である。
そして、その天皇家の血筋を絶やさないために連綿と受け継いできた、不敬な言い方をすればバックアップにあたるのが皇室である。
ここで本質的に重要なのが「血筋」を絶やさないことである以上に「家」を絶やさない、ということ。
なぜ「家」を絶やしてはいけないか、について皆さんにしってもらいたくて、この文章を書いているので、最後まで読んでもらいたい。
そして、その基本的なルールが「万世一系」、つまり男系宮家を維持し続ける、ということだ。
これはざっと分かりやすく言えば、皇室以外の完全な民間出身男性を宮家に迎え入れない、ということ。
そして、その歴史の上にはじめて、現在の民主的な国民国家の象徴として祀り上げられて然るべき「天皇」という存在を国民誰もが(程度の差こそあれ)尊重することができている。
日本の歴史上、天皇家に娘を嫁がせて「外戚」として権勢を奮った人物は多数いるが、「息子」を天皇家の婿に入れた人間はいない。
蘇我・藤原・平・徳川といった、時の最高権力者でさえ、息子を天皇家に婿入りさせようなどとはしなかった。
これは、現代日本の法規範である皇室典範まで受け継がれており、典範には、女性皇族が皇族以外と結婚した場合、皇室から離脱すると規定している(女性皇族が結婚後も皇室にとどまる女性宮家の創設には皇室典範の改正が必要になる)。
ここで素朴な疑問として「でも、皇室男子が少ない現状、バックアップを増やすのはいいことじゃん」と思う人も多かろう。
一見すれば、昨今の男女同権思想の立場からも、賛同の声が聞かれると思う。
だが、これは現代、日本という国の歴史における今この一点の判断で、安易に変えてしまってもいいルールなのだろうか。
これを分かりやすくするために、大河ドラマ『直虎』を例に出し、女性宮家を認めることのリスクを説明したい。
ことの重大さが伝わりやすくなるよう、ある程度設定を改変するがご了承いただきたい。
ここに、1000年以上、自分たちを「井伊の民」と自覚してきた民と、そしてその領主である井伊家がある。
井伊家は相次ぐ争乱により、直系の跡取り男児は、先代当主直親(三浦春馬)の子、虎松(寺田心)しかいなくなってしまう。
そこで、井伊家では虎松が成人し、当主を名乗れるようになるまで井伊家の血を次ぐ先々代当主の娘・直虎(柴崎コウ)に任せることにした。
ドラマではこの時点で直虎は既に出家し「生涯結婚することはない」という状態であったが、今回は直虎が出家をしていなかった場合を考えよう。
直虎は当主の重責を果たす中で、いつもそばにいてくれた幼馴染で小野家の現当主・政次(高橋一生)との愛を育んでしまった。
しかし、小野家は元々井伊家と敵対していた今川家の家臣。そのまま結婚し、子が生まれれば小野家の第一子となり、井伊家の名字は無くなってしまう。
そこで政次を井伊家に婿入れさせることになり、井伊政次と井伊直虎の子・政虎(仮)が生まれてきた。
さて、ここで、考えてみよう。井伊家の跡取りは虎松か政虎か。
筋から言えば、前領主の子であり本家本流の虎松が跡取りとして正当であるはずだ。
しかし、もう一方の政虎は現当主の嫡子である。井伊の民にとっては「自分たちの象徴」「井伊のアイデンティティ」である直虎の一人息子が政虎なのだ。
これは、井伊という国を真っ二つに割りかねない、致命的な問題なのだ。
井伊の民は、政虎を当主として認めることができるだろうか。
自分たちを「井伊の民」と名乗らしめるのは「井伊家」という一つのストーリーであり、1000年に渡る自分たちのアイデンティティの中心にあるのは井伊の「家」である。
政次は井伊の血筋とは全く関係のない小野家の人間であり、その子・政虎には井伊家の血が入っていたとしても、小野の物語を受け継いだ人間である。
もちろん、婿入りはしていたとしても、人が生き、人が伝え、人が託した物語とは、制度上の言い訳で誤魔化しきれるものではない。
もっと、肌で感じる「何か」のはずだ。
虎松ではなく政虎が当主になるとは、その瞬間1000年の歴史ある「井伊のストーリー」が、「井伊と小野のストーリー」あるいは「井伊のストーリー(小野編)」に変わってしまう、ということだ。
※日本では馴染みがないが、イギリスやフランスの王家では、女系宮家が婿に迎えた男子やその子が王統を継いだ際に「●●朝」の名前が変わる。1000年続いた井伊谷の「井伊朝」が「井伊・小野朝」あるいは「小野朝」に変わる。間違いなく日本の「大和朝」は一つのターニングポイントを迎える。
しかも、小野家にはなんと先代当主を死に至らしめた事件の黒幕という噂もある。
であれば、今回の一連の騒動は、小野による井伊家乗っ取りだと誰もが思うだろう。
さて、今回の例では、井伊の人々の思いも虚しく、最終的に息子への情愛に流された直虎が、自らの子である政虎に井伊家を継がせ、小野家臣団と井伊家臣団は統合されてしまう。
その後、反発した井伊家譜代の家臣団は弾圧を受け、排斥。井伊の民にとって「井伊」という言葉はその土地を意味するだけのものとなってしまった……。
つまるところ、史実通り井伊家が井伊家として徳川末代まで残ったのは、この時の直虎が出家をしており、子を為さず、直系の後継者・虎松を育てたからなのだ。
皇室の女性宮家を認める、というのは近い将来この事態を受け入れる、受け入れてもよいと認めるということである。
認めるか、認めないかの判断を下すのはもちろん、主権者である我々日本国民一人ひとりだ。
女性宮家=民間男性から生まれた子供が、将来天皇になる、というのは、約2000年の間、我々日本人が連綿と受け継ぎ、守り抜いてきた1つの大きなストーリーを終わらせるということに他ならない。
あまつさえ、女性宮家が迎え入れた民間男性が外国人だとすればどうなる。イギリス皇太子や、韓国大統領、中国共産党書記長の息子とも結婚することさえ可能なのだ。
その可能性は、日本人として、認めていいのか。受け入れていいのか。
いざその瞬間、女性宮家が婚約者を発表したときに、過去・現在・未来全ての日本人が絶句するような相手でないと、誰が言い切れよう。
少なくとも、その時点から先にある「日本国象徴としての天皇」は、遡ること2000年間の全日本人が知り、崇敬し、仰いだ「天皇」ではない。別の何らかの意味合いを持った「天皇」である。
天皇家が今のかたちで現存しているのは、過去全ての日本人が「天皇家に取って代わる」という最後の一線を踏み越えることのなかった歴史の上に成り立っている。
今朝CCCコラボをクリアしてアルターエゴ達の一連の生き方に感動し、Twitterでシナリオの感想の検索を掛けてみて、一部の既存CCCプレイヤーが今回のコラボのストーリーに対してかなり荒れている事を初めて知った。
「完全な蛇足。メルトリリスに萌えに走った結果がぐだと言う名のきのこ×メルトリリスになった」
ーーあ、物凄い既視感だ!これ、アニメのダンガンロンパ3の時に見た言葉だ!
ダンガンロンパ3では「ゲーム本編、ゲーム前のストーリーに関わる設定をアニメで後付けしねじ込んだ」と言う点で大いに荒れたが(絶望のカリスマである黒幕がそのカリスマ性で絶望に堕とすのではなく洗脳映像で世界を絶望に染め上げるなど演出が不味かったこともあったが)、今回のCCCコラボはそれとは反対に別の世界線の話ではあるがCCC本編の「その後」的なストーリーが描かれている。
つまり改編された部分は違っても「後付け」でストーリーが追加されたという点が同じだ。
反対に、今回のCCCコラボに関しては素晴らしい後付けストーリーだと思っている。
しかし、私が素晴らしい後付けだと思っているストーリーに対して、私がダンガンロンパ3に抱いていたような感想を抱いている人々が少なからず居る。
彼らのネガティヴな感想を眺めて思った言葉たちが、今になって全部過去の自分に跳ね返ってきた。
あの時の自分の姿を鏡で見せ付けられたようで、殴られたような気分になった。
いくら外に向かってこの作品はこうであったのに改悪されて…と呟こうとも、楽しんでる人間にはちっともそんな言葉たちは響かない。CCCコラボの自分がそうだからだ。
アニメのダンガンロンパ3を楽しんでいた人達は、あの時の私に対してきっとこう思っていた事だろう。
万人に満足させる「後付け」の話はやはり難しいのだと思う。どうしてもそこには原作への思い入れだとか、様々な感情が絡み合ってしまうからだ。
その後付けに対し怒っている人間、喜んでいる人間、どちらか一方の受け取り方が正しいのではない。肯定、否定、どっちの作品愛が深い、という話ではない。
人それぞれなんだから、どちらの受け取り方も間違ってないんだ。敵視する必要はないんだ。
正直役者は素晴らしいと思ったし、スカヨハは素子にぴったりだった。
なんで素子が白人なんだよみたいなこと言ってるやつがいることにはホントびっくり。
たけしが良くないみたいなこと言ってる人も多いけど、別にあれはあれでありだと思う。
荒巻が頭脳派じゃなきゃいけないなんてことはないと思うし。ただ日本語を喋る人がいるなら他のメンツも外国語喋ってていいとは思ったけど。
CGの景色も最高だったね。見た目はぜんぜん違うのに攻殻の精神を感じた。見せ方もすごい綺麗だったし。
記憶の真偽が定かでない中で何が自分を自分たらしめるのか→答え:ゴースト
っていう問いと答えがすごいシンプルなテーマでわかりやすいのは良かった。
だったらラストが本当の過去の記憶がわかってよかったねハッピーエンドじゃあおかしいでしょ。
母親が私を見るときの目が似てるみたいなゴーストを想起させるような話はあったけどそれも結局記憶に基づくものだし。
記憶じゃなくてゴーストだっていうのをもっとやってほしかったな。
あと気に入らなかったのは
・芸者ロボが豹変して人を襲うっていうのが怖いのになぜか武装集団が出てくること
・人の心でネットワークってなにそれってなった
アニメでオサレな雰囲気にハマり、先が気になったので今出てる単行本を全部買って読破した。丁度完結していたのもポイントが高かった。
読み終わった感想としては、すごく面白かった。最初の方のノンビリとした役人的な話から段々と上層部でクーデターの話が出てきたあたりから主人公の周りを巻き込んで話がきな臭くなっていき中々読んでいて先の展開が分からないためワクワクした。最後の展開も政治ゲームを上手く主人公が活躍して乗り切ったドンデン返しとか、意外な人が黒幕だった所とか唸らされた。
アニメは3話まで見て、その後原作に手を伸ばしたが、1クールで終わるペースにはどうも見えない。どう構成し直すんだろうか?大変面白く、各キャラ魅力的なので是非とも削られずにいて欲しい(特にスイツの話が好き)
作画も良いし、ラノベアニメに飽食気味な人とか、攻殻機動隊みたいな政治ゲームが好きな人は是非とも見て欲しい作品である。監督も夏目監督だし、安定だし。是非とも見て欲しい。
いわゆる「怪奇現象が起こる理由」なんだけど、長編になるとそれに原因を提示する必要が出てくるわけで…
・本当に原因不明
・昔そこで殺された人の幽霊が起こしてた
・宇宙人がいた
・キチガイがやってた
・カルト教団がやってた
素直に幽霊原因案で良いじゃんと思うんだが、なぜか科学的な説明を付けたがるゲームが多い
個人的にはちゃんと理由付けしてほしいので「説明なし。海外サイトではこうではないかという説が上がってるぞ」とかいう放り投げは嫌い
理由がないという意味では「キチガイ」と「カルト教団」も好きじゃない
例えば推理小説で密室殺人が出てきたときに「なぜ犯人は密室を作ったのか?」という謎が出てくる。
そのとき「アリバイトリックを使った結果、偶然密室になってしまった」という解が提示されると「おーなるほどね」となる
ところが「犯人がキチガイでなんとなく密室をつくった」「教団の教えで密室を作った」とか言われたら「は?」となってしまう
かといって「ストーリーを進めると地下に巨大な研究施設が!」という展開もおなか一杯な感じがある
ゲームとしてのダンガンロンパ最新作だったV3ですね。えー、やりました。もう結構某所とかで言われてるみたいなんですけど最初に私も同じこと言います。
オチが酷い。
プロローグ、1章〜6章、エピローグといういつもの構成だったんですが正直申し上げますと5章終了ないし6章クロ当てまで進めたらそこでプレー辞めることを推奨します。それ以上進めると「それ以前のダンガンロンパシリーズの記憶」を破壊されます。マジで。書き換える、のがわかりやすいかな〜ゲーム内容的にはな〜...
「V3は新章で別だって言ってたじゃん!」との声、普通にあると思います。私もその情報が事前にあったのでアニメ3でぐちゃぐちゃになった世界とは別!と思い購入しました。"嘘"がテーマであることで物語がどのような発展をみせるのか気になりましたし。単純に偽証システムが見てみたかったのもありますが...
率直に言うと「世界観一新」は"嘘"ですね。ダンガンロンパチームの。だからといってシリーズ経験者にお薦めできるかというとNOですし、しかし新規が入りやすいわけではなく踏みいれれば過去作のネタバレと価値の不法投棄を目の前で行われることになります。端的に言ってお薦めできません。とある人物周りの伏線回収も現状ではずさんだったとしかいえないでしょう。
受け止めかたの問題だ!冷静になれば面白い!とかいう意見に対しては、6章クロ当てからの一連の流れは製作者からの悪意がふんだんに織り交ぜられているために絶望よりも不快感がこみあげてくるものになっていて、肝心の伝えたかったであろうテーマにまで泥を塗る結果になっていた、とだけ言っておきます。私個人としては様々な不可解な状況証拠から"黒幕の台詞は多くが嘘"という結論に達したので全否定するつもりはありませんが、確実な真実への道程を作中で示さず全てをあやふやなままで終わらせた時点で世に出す作品として中の下だったということは変わらないと思います。
では問題のオチ以外、つまりプロローグ〜5章まではどうだったかといいますと、過去作に比類する出来だったのではないかと私は考えます。トリックに一部引っかかりを覚える部分もないとは言い切れないのですが基本的に破綻せず進行しているように感じました。キャラ描写は...その......勿体ないな〜と思わなくもないのですが通信簿があることを踏まえれば5章までは良作の部類だったかと。5章まではね...イヤほんと5章で終わっておまけ要素解放されてたら雑な神ゲー認定してたな......気に入ったキャラ結構いたし.........
いつまでもシナリオの話しててもしょうがないので学級裁判のシステム周りについての感想にいきたいと思います。
まずは今までのコトダマ論破に「V論破/賛同」が追加されました。R長押しで精神集中すると色つき主張に「ウィークポイント」となる赤い点が浮かび、そこを上手く撃ち抜くとV論破達成となり、得点があがるという本作のアクション成分をアップさせる要素となっています。さらに直後の台詞等も少し変わる...らしいのですが2周めをまだしていないので詳しくはよくわかりません。
次に「コトダマの偽証」。△長押しで選択されていたコトダマを"反対の意味"のコトダマ(=ウソダマ)に変えることができる要素が追加されました。このウソダマを正解となる相手の発言に撃ち込むことで「偽証」が成立し、停滞した議論に開拓の道を示すことが可能となります。もちろんこれも「V偽証」することができます。
ウソダマを使用するにはデメリットがあるものの正解に撃てば帳消しになるので、タイミングがわかれば気軽にでき適度に学級裁判を盛り上げてくれました。まぁだからといってそれでシナリオの大きなルート分岐もなければ事態の核心に迫れるわけでもないので勿体ない使い方してるなとは思いましたが......
「議論スクラム」について。参加者内で意見が2つに割れ、裁判の円滑な進行が阻害されたときに発生します。その時点での各キャラクターの立ち位置や意見が全てわかるうえ、相手の意見とパズルのように合致させまとめて論破できるので爽快感が強く、また台詞間の幅が主人公の味方側キャラへの名前呼びかけで無くなるためテンポが非常に良くなっており臨場感も味わえるというとても面白いものになっていました。過去作でも是非やってみたかったとまで思える要素だったので、ここは評価されていいと思います。ここだけでしか見れない横顔が綺麗に見れるのもポイント。
「パニック議論」に関してはノンストップ議論が3つ並行して行い時折大声で主張する人が現れ他を阻害してくるという、スタンダードながらも場の騒々しさが伝わってくるもので面白さがあったように思います。アクション難易度があがる場面なので、このときに上手くV論破が決まると達成感も得られました。
「発掘イマジネーション」は単なるモノリスなので割愛。あとは「ブレインドライブ」と「理論武装」ですが...どっちも微妙だったな、としか。
「ブレインドライブ」はレースゲームの時点でゲーム性は限られていましたが、スキルを取らないととにかく冗長なだけで単調でした。カジノ版みたいにアイテムが道端に落ちていればアリだったかもしれません。道路脇デザインのネオン街は本編と何の繋がりもないけどお洒落で好きです。繋がりないけど。
「理論武装」はリズムゲーにしては音に併せるとmissするという目押しゲーなのにもかかわらずその目押しゲージをお邪魔の隠しで潰してくるという割と意味不明なものでした。これもスキルをとればマシにはなるのですが、この要素の都合上裁判のクライマックス付近で発生するものなので真相への疾走感の障害にしかなっていなかったなぁと感じます。
「反論ショーダウン・真打」は正直なところ前作のほうがやりやすかったです。これもV斬りを狙えるのですが操作性の都合でとても難しくなっていました。
思いつく限りではこんなところでしょうか。あくまでネタバレ無しなので詳細はありませんが感想としては以上になります。無論これは個人差があるのでこの意見が全て他の人にとって真実とは言えないはずですが、私のなかでは嘘ではないので、この日記に目をとめてくださったかたのひとつの目安になれればと思います。