はてなキーワード: 隠岐とは
海なし県に生まれ育ったものだから逆に海へのあこがれが強い子供になった。小学生の頃は無人島にめっちゃ行きたくてサバイバルの本を読みあさったりした。結局行けてないけど。
だから他の県、海に面している県の人と仲良くなるたびに海の話や島の話を聞いてきたのだけど、意外にもみんな自分の県の島のことを全然知らないのだった。もちろん佐渡島や隠岐や伊豆大島みたいな有名どころについてならそれなりに話にはなる。でもそれ以外の島のこととなると何も知らないに近い。俺としてはその県の人しか知らないマイナーな島の話こそが聞きたかったのだが。
小学校社会科の地理で地元のことを勉強するじゃない。そのとき島についても扱うのだろうなと俺はずっと思ってきたのだけど、どうもそうではないようだ。じゃあ自分の県の島のことってどうやって知るというのだろう。海辺に生まれなければ島など身近に感じないのだろうか?
人文学と社会科学か。社会科学のほうが科学なのに怪しさが入り込む余地がある気がしてしまうのも奇妙だが、哲学とかだと論理的な議論はあっても「正しさ」を決めることはできないからかな。
なんとなく「人文学」と書いたけど,「人文科学」と呼ぶこともある.私個人としては別にどっちでもいいかと思うけど.人文系と社会科学系と呼んだりもする(総称は「人文社会系」とか「人文社会科学」とか).「社会科学」は略せないんだよな,「社会学」とかぶっちゃうから.このへんは前増田で参考文献として挙げた隠岐さんの著作が面白かったから読んでほしい.オススメ.
理系でも教授の贔屓やコネはないわけじゃないけど論文数(あるいは引用数)で無能認定する仕組みは馬鹿の排除には有効なんだよ(捏造の動機にもなるけど)。
論文数で無能認定は文系でもよくあることです(ただ,論文をあまり書いていないだけで該博な知識を有してる人なんかは尊敬される.周りは「もっと論文書いて! 読みたい!」って思ってるけどw そういう人がポストを得られていなかったりして業績少ないから仕方ないと思う反面すごいもったいないなと思ったり).ただこれも分野によっては1年に1本書いてりゃまあ標準的,というところもあれば1年に2・3本書くのが当然だろ? という分野もありで,その上分野によっては査読の有無での格付けとかもあまりしないので(そりゃ学振の申請書では査読つきとなしを分けて書くけどね),安易に異分野の人が自分野の基準で無能判定するのは本当に良くないからやらない方がいいと思う.今年は著書1冊書いてるけど論文は書きませんでした,を理系基準で業績ゼロって判定されたら暴動起きますよ.
あと歴史学や文学だと,いちばん大事な仕事は論文執筆じゃなくて史料校訂だ,という感覚もあったりして,そのへんがきちんと評価されるのが望ましいよなぁと.ある平安貴族について論文書いても分析視角がニッチならあまり引用されないかもしれないけど,どこぞのお寺なり旧家なりにしまわれてたその貴族の日記を活字に起こして誤字脱字を訂正して単語の意味を解説して背景情報を補足して(日記って本人にとって当たり前のことは書かれないけど,1,000年経ったらそんなことわからないので),っていう作業をしたらその後平安時代の歴史や文学をやる人に参照されまくる基礎文献になったりする.こういう地道なレファレンス作りや史料校訂がきちんと評価される仕組みであってほしい……
これは技術的問題.色んな言語で発表される紙の本での引用数,どうやって数えたらいいの……? ってやつ.異国の本屋さんで面白そうな学術書があったから手に取ってみたら私の論文が引用されてたとか,異国で買った本をパラパラ読んでたら知り合いの英語論文が引用されてたけどその知り合いはその異国語を読めないから多分存在を知らないだろうなとか,そういうの割とあるあるなので,人文系じゃ誰も被引用数なんて気にしてない.ぶっちゃけ無理ゲーだと思う.
あと,英語の本で引用されて,そのあとその英書が10か国語に翻訳出版されました,という場合は,何回引用されたと数えるべきだと思う? 1回? 11回?
そもそも優れた先行研究を褒めるのにもダメな先行研究をけなすのにも引用をするわけで,ある論文の中でむっちゃ参考にされた文献とけちょんけちょんにされた文献の2つがどちらも引用1回ってことにされちゃうの不公平すぎない? って思うんだけど.それに,自分の専門分野についてあまりにひどい俗説が広く出回ってるときは学術文献じゃなくても引用して批判することがあるので,たとえば日本近代史の人が小林よしのりの『戦争論』を名指しで批判するとかよくある.純粋に引用された数で勝負したら小林よしのりに惨敗するマトモな研究者って大勢いると思うんだよね.
というか,文系だと「他人の書いた文章を研究対象にする」というのがあるので,村上春樹の研究なら当然村上春樹を引用するわけで.さらに学問分野によっては,「文献リストに先行研究と研究対象を一緒くたに並べる」慣行を持つところもあり(これはその分野なら英語圏の査読誌でもそうなってる),たとえば樋口直人『日本型排外主義』という日本の極右を研究した本の文献リストには,日本や欧米の社会学者が書いた真面目な研究文献と桜井誠や櫻井よしこや西尾幹二の本がABC順でごちゃ混ぜに配列されていて,両者は引用の形式面からはまったく判別できない.本文を読めば前者を参考にして後者を分析したり批判したりしてるのがわかるんだけど,機械的に区別することは不可能.なので在特会に関する研究が進めば「桜井誠に引用数で負ける研究者」がたくさん出てくると思うけど(というか現時点での私が負けてる疑惑),この基準どう考えてもおかしいでしょ.文系の業績を考える上で被引用数はマジで無意味だと思う.
id:q-Anomaly 面白かった。一般文芸と一緒になっているから大変なのかな?理系だとわざわざトンデモさんに言及したりしないしね。間違いを指摘するときは論文ではなくて直接メール、もしくは研究会で議論かな。
もちろん文系でも別に公な場で晒し上げるほどじゃない間違いだったら直接本人に言うとかあるのでそのへんは批判する人の性格とか人間関係にも拠るところはあり,一方で理系でもSTAP細胞のときはさんざん批判論文出てたように思うので公開の場で批判する文化は当然あると思うのだけれど,間違いの指摘を必ず公開の場でやるわけじゃないとか言われるとじゃあこれまで理系には透明性のある評価基準があるけど文系にはそれがないからダメとか言ってたのはいったい何だったんだよ……って思うわ.あなたが言ってきたわけじゃないからあなたに言うのは不当なのかもしれないけれど.
id:hogefugapiyox 増田 理系(理論)でも独創的な論文で高く評価されるけど問題自体が超ニッチで引用は増えないことはありうる。そこで論文誌や国際学会のランクが役立つことはある。正しくてもレベルがそぐわないものは査読で落とされるので
これは文系でもあるある.メジャーなテーマを研究していてもつまらん論文しか書いてなければ意味はないしマイナーなテーマでも面白い論文が書ければ就職が決まる.
id:death6coin 参考にしたのと批判したのは別にリストアップする形式がいまから生まれ得るかというと・・・難しそうですね。批判にも論外から一部の点で疑問があるまで程度があるだろうし。
「この論文はこんな資料を発掘してくれたので重要だ.でも発掘した資料の解釈に疑問がある」とか,どっちにリストアップすればいいんだよという話で.
でもって,リストアップの形式については出典をどう示すかという形式が大きく絡んでくるんですわ.たとえば,歴史学なんかだと先行研究と研究対象は別々にリストアップするけど(それでも流石に優れた先行研究とダメダメな先行研究は分けないよな),それは社会学とは違うやり方で出典を表記しているからそういうことが可能なんだという事情もあって,まあこのへんは自分で学術書やら論文やらを読んで出典チェックしたことがないとわかりづらいかもねえ.社会学とか一部の分野で全部ごちゃ混ぜにした文献リストを作るのにも合理的理由があるんですわ.
id:hisawooo 増田に言うんじゃないんだけども、トンデモ論文への直接的な批判するなら一番マトモで普通な手段は編集者宛のレター(つまりは読者からのお便り欄)じゃないかね(理系の話をしてますよ
なるほど,そういう慣習があるのね.言われてみれば文系でletter欄って見ないな.
で,文系の論文だと本論に入る前に「先行研究の整理」ってやるんですわ.「先行研究Aは基本的に妥当だがこの部分の解釈に問題があり,先行研究Bは古いため近年発見された資料を使っておらず,先行研究Cは優れた研究だがちょっと私のやりたいことについてあまり触れられてなくて,先行研究Dは論外」みたいに整理した上で,じゃあ先行研究A~Cの成果を踏まえて先行研究Cが見落としている角度から先行研究Bが使ってない新資料を使って先行研究Aとは違う解釈します,みたいに自分の論文の意義や新規性をアピールするわけ.なので純粋な参考文献だけの抽出とか無理ゲー.
id:enemyoffreedom 引用数の正しいカウントがやりづらいのは、さすがにその分野の引用慣習に問題ありな気も。他分野や門外漢から見た透明性の確保も今後は必要になっていきそう。まぁそれだけが業績評価を左右するようだと不健全だが
たくさん引用されたから価値がある研究! とかいうローカル基準に基づいてヨソの分野の引用慣習をまるごとdisるならこっちもお前らのそれってPV数狙いのSEO対策でクソ記事垂れ流す互助会みたいなクソ慣習だなって言っていい? つーか文系は査読なしで論文のチェックをしない! 不健全! と文系は批判対象も引用に含めている! 不健全! ってマジどうやれば同じ口で言えるんだよって感じ.クソ論文をきっちり論文中で批判してるから正しいカウントが難しいって話に正しいカウントがやりづらいから問題とか言われるのマジ批判のための批判じゃん.全部ごちゃ混ぜで引用するのにも合理性はあるんですよ.そんなのはその分野の論文なり著書なりを読んで出典チェックしてみればわかりますよ.何度も言うけど英語圏でもこういうやり方なの.本当にこの慣習を是正したかったら理系の皆さんが大好きな英語で全世界に普遍的な問題提起をなさってくださいよろしくお願いしますクソが.
面白いと言ってくれるのはありがたいんだけど,あなた一連の増田をちゃんと読んでる? このトラバツリーの中で,私は何度も自分がオタクだって言ってるよね? だからhttp://b.hatena.ne.jp/entry/372509722/comment/rciみたいな雑括りされても本当に困るんだけど.まあ記事の隅っこで書いてるから気付かなくても仕方ないところはあるけど,そうやって文系とオタクを対立構造にされて困るのは私みたいな文系オタクなんだよ.ほんと勘弁して.
正直私はキズナアイについては興味ないし,どうせならシロちゃんにやらせればよかったんじゃ,とか思うけど,同時にあのくらいの服装が叩かれるとかおかしいよな,とも思うよ.なぜか服装に関してはゴリゴリの保守派になる連中が多くて目眩がしてるよ.色んな変わった服装を好む人への抑圧だろ.ぜんぜんNHKに出ていいよ.それが多様な社会であり自由な社会だよ.
とにかく私は両側にもうウンザリ.ろくに事実関係を調べもせずVTuberについて基本的なことを知りもせずキズナアイを叩く連中にも,ろくに文系について知りもせずどんな研究をしているか理解もしないできないのにクソバイスを垂れ流す連中にもウンザリです.オタク叩きも文系叩きもクソくらえ.どっちも私の敵.ただもう本当にこれ以上関わり合いになりたくないのでここ数日の荒みきった心を『ヤマノススメ』の録画を見ることで癒やしてきます.一連のレイニーブルー展開を鑑みると絶対ここなちゃんはひなたをあおいから寝取ろうとしてるしかすみさんはあおいをひなたから寝取ろうとしてると思うんだよね.
これ面白い。「実際は擁護・反発ツィートが多かった」オタがヒステリックにわめいていたことが可視化されました。千田さん、池内さん、森次さん、宇野ゆうかさんあたりはネットリンチの被害者といっていいよなあ
理不尽な言いがかりに反発したら「ヒステリックにわめいた」ことになるんだ.そんなの私が書いた増田を「なんで発狂してるの」とか「文系は理系と違って感情的」とか言ってきたクソ野郎どもと同じじゃん.
キズナアイ叩きについてはオタクとして腹が立つし社会学叩きについては文系として腹が立つし,とにかくこの騒動に関わった連中全員不快だとしか思わないよ私は.つーか公共放送でへそ出しノースリーブの服着て解説して何が悪いんだか.
あー、この内容の本だから表現の自由戦士に粗さがしされて叩かれた、ってことなのね(今やっと理解)。回収にならなかったら読みたかったのに。
あなたが文系の学問に敬意なんてさらさら持ってないことはよくわかりました.あなたみたいな人は文系叩きに加わってた方がお似合いですよ.
一章まるまる他人の論なのを擁護するつもりはないけど、なぜ編集も見落としてしまったこの件がいま見つかって話題になったんだろう?っていう話。で、地味な本書がじっくり読まれたのはそのテーマのせいだよね?
勁草書房みたいな文系学術出版では名の知れたところから,現代社会と密接にリンクした論争的なテーマの本を,学術書としてはお手頃な価格で販売しておいて「地味」はねーわ.あれは当初から論争的な書籍として出版されたものでしょ.そういうのを出したら一般読者からも読まれるに決まってる(だからあの価格でも売れたんだよね).
で,それが日本語で学術出版する意義だって私はこの一連の増田で主張してきたわけだけども.日本語で学術論文や学術書を執筆することは研究成果を広く私たちの社会に届けることと同義であり,文系にとってはそれが重要な社会貢献なんだという話を私はしてきたのだけれど,私の増田を「面白い」と言ってた人がそれを真っ向から否定するのには困惑しかないっすわ.あなた,いったいどこを読んでいたの?
ファンタジーに興味のある一般人が中世ヨーロッパについての学術書を読む,小説好きの一般人が文学の研究書を読む,古代文明にロマンを感じる人が考古学の書物に手を伸ばす,そういった行為の延長として「表現の自由に関心を持つ人が表現規制を主張する著書を読む」という行為があるのであって,それは学術書をじっくり読む動機としては極めて真っ当としか言いようがないです.文系の出版を,学問をバカにしないでください.
大勢の素人門外漢相手に、アニメーターとアマチュアのハイブリッドな坂本龍馬である我が申し上げるが
【製作委も一次請けヤオヨロズも、権利関係取扱いに関する、体制、手順の示し合わせ、が不徹底だった】だけの話で、アニメ業界でなくてもたまにあるケース。
請にも委にも不備が共通してたから、権利違反コンテンツとなり、たつきツイートになったわけで
三方一両損でしかない。民事的には。コンプラってのは、旧来の空気読めだの不文律ってのは通用しないからな。
手順書がなかったら、関係各位全員出席による手順書の示し合わせ意識統一会議の機会がなかったら、原発事故現場で早々に行き詰まって詰んじゃうだろがw日本全国がww
ナアナアの暗黙のやり方がだめだっていうなら、ニチアサ3枠もガンダムUCも企画立案やってきた我はどうなるw
門外漢のままだがギャラもらったこともないが、いずれも主席企画者だぞ。いづみ、、三郎、肇だぞ、この我は。いい加減で許されざる存在の権化だ。
…というわけで、けもフレ製作体制の皆様は今後、コンプライアンスの明文化と意識統一会議を徹底しようね時間が余ってるもんならやってみやがれと。
https://twitter.com/elm200/status/914309449279352832
https://twitter.com/WorldKuromaku/status/914475104452710401
https://twitter.com/WorldKuromaku/status/914479721395580928
https://twitter.com/WorldKuromaku/status/914478075001413633
https://twitter.com/WorldKuromaku/status/914475483579977728
https://twitter.com/WorldKuromaku/status/914480294626869248
https://twitter.com/WorldKuromaku/status/914478327880089600
◆
たつきだってもうアラフォー視野だしさ、「ぼく二十歳。今年アニメスタジオ起業しちゃったヒャッハー」とは違うわけでな
さすがに発注最上位を名指しするリスクは社会人的にわかってるはずなのだよ。製作委名称でごまかすのが常識だということは。
「丸の内のJVの現場で元請け側にひどいことされた」つう時に、2chちくり板とかにどうしたって「ハザマだよハザマ、あすこのS課長がよー」とか書きたくなるのが人間だろ。
もしかしたらまだ心が17歳で、すぐキレる、思ったことそのまま書く、たつきなのかもしれんが、中の人にしかわからん。
だからビジネス常識的には「たつきのコンプラ違反を口実に、カドカワミカドに密告し【たつき謀反の疑い】で隠岐に島流し、という線が浮上するわけだよ。
カドカワが製作委の主幹かは関係ない。たつきが実際にカドカワに頭にくる仕打ちを受けたかもしれない。
実際、カドカワはあかhりさとrを使い捨てにしていきなり仕事全部横取りしてクビ切った前科がある(ネットでカミングアウト記事になったことがあるhttp://bizmakoto.jp/makoto/articles/1012/30/news001_4.html)。
だがアニメ・ゲームってそういうことあんのよ。漫画は原作者しか作れんから略奪しにくいが。
ふつう、という言い方は語弊があるが
ふつう、12,1話が一回きりだったら、初回だし目こぼしするだろ。だからヤオヨロズもそう思ってただろ。
おかしいんだよ今回。製作委に、たつき切りたがってる一派がいたような容赦の無さ。
たとえば東eの白いクラさんが子供番組大ヒットの業績を請けて副社長になったのに、
それを面白く思わないオトナ番組エリート部課の連中が、地獄少女とか、昼メロドラマみたいに「今に見てろ…」と物陰からずっと睨んでて
次の子供番組がちょっとだけコケたら鬼の首取ったように「ヒャッハーイエーー!白い蔵さん更迭!鋼鉄ジーグーー!」っって部長降格人事クーデター成功させちゃったような、ああいうの。
つづく
鶴竜じゃないよ。相撲と言えば琴奨菊頑張ってるね。今日は隠岐の海に負けたみたいだけど。
隠岐の海もあれだけ白鵬を追い詰めたりしてるのに、何故ここまで負けが続いてたのか。
ミーハーだから関学の宇良に早く幕内になって欲しいと思うけど、体格的に厳しいのかな。今のところは順調みたいだけど。
タイトルに話を戻すと、増田に私が何かを書く理由は自分の考えを他人に知って欲しいからで間違いない。
括約筋の衰えを書く増田もリアルでは言えないけど誰かには知って欲しいから報告してるんだと思う。
つまり増田は普段は伝えられない考えを共有するための憩いの場と見なせる訳でだけど、
憩いの場にはちょっと馴染まないやたらと高圧的な増田がそこそこいる。
自分の人生はこうやって成功したからこうしろ、とか、恋愛はこうしろ、とか、この考えはダメとか。
子供が「一緒に遊んであげるからこの遊びをしろ 」って強要してるような滑稽さを感じる。
高圧的な内容を書くな、って私が書いたら私も高圧的な増田になる訳だから、そうは書けないんだけども、
もう少し平和的に、私はこうした方がいいと思います、ってちょっと柔らかい口調で書けないかなー、ってよく思う。
日記だし、他の増田も読みたくて勝手に読んでる訳だから、増田が何書くかも個人の自由なんだけど、
http://anond.hatelabo.jp/20141030222244
(URLの貼り付け方、これでいいのかな?)
海士町、高校あるよ。「島留学」なんてのもやってる。
留学に来るのは島外だけでなく県外からもだとか。
http://www.dozen.ed.jp/
観光に行ったのだけど、
すてきなところだったわ。
町に信号は一つしかないの。
必要ないくらいの交通量なんだけど、
子どものために信号を設置したとか(学校の近くにある)。
車はそんなにスピード出してなかった。
灯台の方にいくと、道路を隠岐牛があるいてるんだよ。放し飼い!?
夏前はワカメ取り放題。
絞りワカメ(っていうのかな?)にしてもらったら、めちゃくちゃうまかった。
居酒屋兼旅館の人やGSの人に聞いたら「東京の方がいい」って言ってた。
でも個人的には、惹かれる場所だった。
畑もできそう。魚は釣れる。そしてうまい。
さりげなく図書館が充実してきてる。
日本蜜蜂をやってる人もいる。
農薬使わない自然栽培してる宿屋もある。
感じのいいマスターがやってる喫茶店もある。
で、若者の移住が増えてる。仕事あるそうだ。
これはたぶん補助金も出てるのだろうな。
「島をよくしていこう」っていう若い人が集まってて、好印象でした。
そういう価値観の中で生活するのも、たぶん楽しいと思うのだ。
ということでまた行きたい。
★政府の実施した「地方への移住志向」に関する世論調査によると、
「地方に移住したい」という人は、20~40代が多く、以降50代・60代と減少していくらしい。
その結果を見て政府は「若年層・子育て世代の地方移住」を地方創生の目玉にしたいらしいが、それについて感じたこと。
子持ち世帯に「これは育児にラクですよ」とセールストークすると、みるみる売れていく。
自分は内心、「こんな託児系施設なんて、使うのはせいぜいい数年間なのに、それを理由でマンション決めるってアホだなあ」
と思ってるが、そこは大人なので内心を隠して営業笑いする。
★で、「20~40歳代の移住意欲が高く、50代以降の意欲が低い」のニュースを見て思ったのが、
「子供が小さいうちの頃しか考えられていない、短絡志向だなあ」と思ってしまう。
★子供が未就学のうちは、そりゃ徳島県神山町とか、隠岐の島海士町に移り住むのもいいでしょう。
子供は「伸び伸び」育つでしょう。
でも、「伸び伸び教育」なんて言っていられるのは、せいぜい小学校まで。
そういう人って、子供が高校とか大学に上がった時を想像して、それでも「神山町・海士町がいい」のか?
★合理的にマンション選びをするなら、託児所付マンションは「割高」だから、子供が小さい数年間だけガマンして、託児所無しを選ぶ方が合理的、
でもそういう判断する人は少ない。
乳児や未就学児と一緒の生活は、まさに「戦争状態」で、パパママに合理的思考の余裕を奪ってしまう。
★「10年先、15年先を見据えて、それでも託児所付マンションを買うべきか?」
「10年先、15年先の子供の進学を考えて、神山町海士町に移住すべきか?」を冷静に考え、
それでもなお「託児所マンション」「神山町・海士町」を選択するのなら文句はないが、
10年後に「こんな筈じゃなかった」と後悔しないように。
★実際問題、神山町なら、頑張れば徳島大学に通えなくもないが、海士町だと事実上下宿しないと大学進学は不可能でしょ?
というか、高校進学もどうなんだろう?
★だから、20代~40代で、子育てに追われて「心神耗弱状態のパパママ」の、
「ああ、東京での育児に疲れたなあ、神山町や海士町に行きたいなあ」という「子育て起因の心神耗弱による気の迷い」に付け込んで、
若年層のド田舎移住を推進する国の政策は、一種の詐欺だと思う。
★ド田舎移住の雑誌とか書籍って、移住した直後については詳報してますが、
「移住して5年後」とか「移住して10年後」をほとんど取り上げないんですね。
子供が3歳の時にド田舎に移住して、最初の2~3年はよくても、15年後の大学進学時に悲惨なことになってるかもしれない。
だがそれは載ってない
★「東京で600万円、700万円稼いでいた人が、東京に疲れて、隠岐の島とか徳島の山間に移住する」的話がある。
「年収は300万円になったが、通勤ラッシュもないし、食べ物は島や山の人がタダで持ってきてくれるから、かえって豊かになりました」的な話」。
・・・ミクロでは豊かになってるが、国家マクロでは、どうなのか?
★国家の税収とか、社会保障負担は、あくまで「金銭化された豊かさ」にしか課税・課金されない。
税収的には、「東京の700万円プレーヤーが、島根県海士町の300万円プレーヤーになってしまう」のは、
だから、国家単位で考えたら、Iターンの支援は、同時に「東京在職時と同額の給与の職場」を用意しとかないと、
そのまま「税収の減少」に直結することになる。
※もっとも、「産める年代の女性が地方シフトする」ことで、「国家全体では出生率が向上する」から、そちらを優先すべきとの話もある。
★別の言い方をすれば、
「住民同士が、物々交換で食べ物を分け合っている、田舎の支えあい社会」
というのは、美しいとも言えるが、キツイ言い方をすれば「脱税し合っている」とも言える。
どの国でもあるいはどの宗教でも、死んだあとどうなるのか? は一大テーマだ。キリスト教は神の国に行くし、仏教は輪廻転生するし、神道は死んだら神様になる(そしてまた人間に戻ったりする)。
http://www.hachimangu.com/cgi/kouwa/kouwa.cgi?mode=one&namber=199&t...
神道では、人間が死ぬと、すべて神になると考えています。これは、私たちの魂は神から頂いた、神の分け霊、分霊と考えるからです。神の分霊なんだから死んで霊界に帰れば神に戻ると考える訳です。
私たちが死ぬと肉体と魂は別々になります。死んでまもない魂は、霊界での初心者、若葉マークの霊であると思います。肉体と魂が離れても実感として分からない時期、まだ死を認められない霊なのです。病気やケガで足を切断した人が、ないはずの足がかゆくなったり、痛くなったりすると聞きますが、そのような、まだ肉体のあった頃の感覚が離れられないでいる時期が若葉マークの霊であろうと思います。肉体の感覚が残っている内は、この世での執着心も残っているのです。
「自分は死んでしまったのか。それではもうこの世にはいられない。神の世界、仏の世界、御先祖様の世界へ還ろう。そして、魂の修行をして、神となって子孫を守っていこう」と決心したならば、執着心も切れて、迷うことなく霊界へ行くことができるのです。
この引用は一例だが、洒落怖あたりをみてもなんとなくこういう意識を持っている日本人は多いように思われる。仏教が入ってくる前の神道だと魂の修行とか言うのはなかったと思うが、その代わり祈祷などで鎮めていたのではないかな。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%A8%E9%9C%8A#cite_note-Yahoopedia-2
憎しみや怨みをもった人の生霊や、非業の死を遂げた人の霊。これが生きている人に災いを与えるとして恐れられている[2]。
霊魂信仰の考え方では、霊魂が肉体の中に安定しているときその人は生きていられる、と考える[2]。怨みや憎しみなどの感情があまりに激しいと、霊魂が肉体から遊離して生霊となり災いを与える、と考える[2]。
ちなみにこの死者が安楽に辿りつけない場合もあるという考えは日本固有ではないが、一神教系だと地獄にいくことがおおいようだ。アミニズムは現世に災いをもたらすらしい。
有名なのは平将門ですよね。生霊といえば源氏物語の御息所。医療や科学が発達していなかった時代に、アミニズムはそれを神様がやったってことで納得していた。一神教の場合も神の試練だと、仏教は功徳が足りないと思っていたのか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E9%9C%8A%E4%BF%A1%E4%BB%B0
政争や戦乱の頻発した古代期を通して、怨霊の存在はよりいっそう強力なものに考えられた。怨霊とは、政争での失脚者や戦乱での敗北者の霊、つまり恨みを残して非業の死をとげた者の霊である。怨霊は、その相手や敵などに災いをもたらす他、社会全体に対する災い(主に疫病の流行)をもたらす。古い例から見ていくと、藤原広嗣、井上内親王、他戸親王、早良親王などは亡霊になったとされる。こうした亡霊を復位させたり、諡号・官位を贈り、その霊を鎮め、神として祀れば、かえって「御霊」として霊は鎮護の神として平穏を与えるという考え方が平安期を通しておこった。これが御霊信仰である。また、その鎮魂のための儀式として御霊会(ごりょうえ)が宮中行事として行われた。記録上、最初に確認できる御霊会は、863年(貞観5年)5月20日に行われた神泉苑で行われたもの(日本三代実録)である。
仏教的にはどちらかと言うと荒神の信仰に近いものかな。阿修羅とか。
靖国神社もそもそもはこの御霊信仰のもと建てられた神社である。
http://www.yasukuni.or.jp/history/index.html
靖国神社は、明治7年(1874)1月27日、明治天皇が初めて招魂社に参拝された折にお詠みになられた「我國の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉かき」の御製からも知ることができるように、国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社です。「靖国」という社号も明治天皇の命名によるもので、「祖国を平安にする」「平和な国家を建設する」という願いが込められています。
前進は明治2年にできているので、戊辰戦争の御霊供養のために建てられた神社であり、その後の日本内の内戦および諸外国との戦争でなくなった人々の供養をしている、ということになっている。
政府のたてまえとしても、靖国神社参拝は御霊供養のため、ということになっており、単純に墓地に行くのとはまた違う意味合いを持っているようだ。そもそもが怨霊を鎮めるためのものなので、死に方(戦死・処刑)に関しては問わない。ところでここって空襲で亡くなった人は入ってるんですかね?それはまた各自か。そもそも神社って系列があるし、霊魂はどこでもいけるしな。
こうしてみると、靖国にA級戦犯が眠っているから参拝してはいけないというのは的外れで、むしろそういう人がいるからこそ供養はせにゃならんということになる。祈る内容は「もうしません」でも「つぎはぜったいかちます」でもなんでもいいわけだが、とりあえずこの観点から反対するのは無理筋だろう。
んで次に気になるのは、別に首相がいかなくてもいいんじゃね?という点である。
多分これは崇徳天皇のせい。
瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ
いろいろとロマンチックなひとだが、気性が激しいともいう。
[要出典]http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%87%E5%BE%B3%E5%A4%A9%E7%9A%87
一方『今鏡』「すべらぎの中第二 八重の潮路」では、「憂き世のあまりにや、御病ひも年に添へて重らせ給ひければ」と寂しい生活の中で悲しさの余り、病気も年々重くなっていったとは記されているものの、自らを配流した者への怒りや恨みといった話はない。また配流先で崇徳院が実際に詠んだ「思ひやれ 都はるかに おきつ波 立ちへだてたる こころぼそさを」(『風雅和歌集』)という歌を見ても、悲嘆の感情はうかがえても怨念を抱いていた様子はない。承久の乱で隠岐国に配流された後鳥羽上皇が、「われこそは にゐじま守よ 隠岐の海の あらきなみかぜ 心してふけ」(『遠島百首』)と怒りに満ちた歌を残しているのとは対照的である。
しっかり子供作ってエンジョイしてんじゃんとは思うが、日によっては荒ぶっていたのかもしれない。どちらかというと彼に対する罪の意識で、後々伝説が作られたような気がするが、なんせ千年前である。確かめるすべはないな。まぁいいや。とりあえず天上人の天皇が荒ぶって怨霊になってしまったので、天皇が御霊鎮魂をするようになったもよう。これが国のトップが御霊慰霊を行うようになった理由だろう。
1. 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
ちらっと調べた限り3がある以上それをひっくり返すのは無理筋だが、いまのところ行くこと自体は1で押し通している。奉納するとなると3に引っかかるのでそれが争点になるようだ。もし私費で奉納とかしてりゃ1があるので反対するほうが悪いが、そうではないのなら違憲判決が出されるのは妥当な所。
しかしそこまできっちりとやってしまうと、天皇制がそもそも違憲、内閣総理大臣を天皇から任命されるのも違憲になってしまうので極めてグレーである。
ただ天皇は戸籍がないので、日本国籍を持ってない。例外として日本国民ということになってはいるが、主権もないしこのへんもグレー。突っ込んではいけない領域である。
このうち1は明確に信教の自由があるので以降といくまいと自由。
2は前述のとおりグレー。
3は参拝が軍国主義につながるというのが主な反対の理由のようだが、参拝は御霊供養のためであり、反省するのも軍国主義を目指すのも当人次第(しかも信教の自由があるのでそれを規定することはできない)ので的外れ。一般的にキリスト教では参拝は神への信仰、仏教は魂は輪廻転生してしまっているので特に意味のない行為(参拝自体は功徳を積むため)で、御霊供養の概念はきちんと説明しないと伝わらないと思われる。4,5も同様。
したがって、問題の争点は政教分離の観点でOKなの?という部分だけだな。ちなみに諸外国がこれに反対するのは内政不干渉の原則に反するが、言うの自体は自由である。
全国でそりゃ移入種が問題になっている。
国内からの移動でも遺伝子攪乱とか、問題が多い。イノシシとか、樹木もね。
さて、国内で人間が手を焼いている生物、主に雑食性小型ほ乳類でいえば、ヌートリア、ミンクにハクビシン、タヌキ、イタチ、マングース、アライグマ、リスもかな、似たようなのが一杯いる。
これに、在来のイタチや、タヌキや、テンが入り乱れて豊富な生態系を気付いている。かといえばそうではない。
なんせ、縄張りがかぶらないのだ。ミンクは北、マングースは南、その他、ちょっと調べて貰えばわかるが、以外に同じ区域に食性を同じにする複数主の外来種が根付くのは困難だ。
まあ、考えてみれば、当然で、資源は繁殖のために目一杯使われる。よそ者なんかに残したりはしない。土着、外来に係わらず、先住の種族が支配しているエリアを奪い取れなければあとから来たものは定着できない。
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ここで、思考実験。
小さな島を用意する。
そんな夢の楽園にとりあえず雑食性の小動物群を全種類25組ずつツガイで放したい。
五年後に島で最も繁栄してるのはどれかな~。