はてなキーワード: 阪急とは
秋が深まる中、
なんだか切ない入りね。
そんな感じ。
同時に2個落としってのは滅多にないかしら。
手袋が片方なかったら悲しいわよね。
私以前どっかに落としたときに、
仕方ないかと諦めていたんだけど、
引き返して見に行ったら
誰かが柱に手袋かけて置いててくれたので、
拾った人はもしかしたら、
探しに戻ってくるかも知れないから
あまりよそに移したら困るかも、って
そっと、とりあえずその場近くの安全なところに
置いてたりしてくれる阪急東8番街の奇跡的なことがあるわよね。
世の中まんざらでもないなって思っちゃう。
世の中捨てたものじゃないなって思うわ。
だから、
超ラッキー!
うふふ。
どちらかと言えばもう飽きてきたおにぎり。
葉物が高いのよ葉物が。
白菜も相変わらすだけど、
これじゃあまりに小さいわよね。
顆粒オレンジの元って言うのがあったらいいのになって
小林製薬級に思っちゃいました。
でも、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
◇消費の2極化が進んでいることは確かで、日常消費に関しては特徴がない、良心的でもわかりにくい店は淘汰されていく傾向にある。
通好みの「あそこは材料もよくて腕も確かなんだけど、わかる人だけわかる」店はつぶれていってる。
一方SNSに対応してて情報発信リーダーみたいな人が「あたしここのカレーパン好きなんだよねー」「あたしもあたしも!今日売り切れだった涙」
みたいなことになっているところは残ってる。
◇外食なんかは流通の進歩なんかで昔より良くなっていると感じることもある。
たぶん大阪市内だと世界中でも類をみないくらいの和食・中華・フレンチ・スイーツなど美食めぐりがまあまあお手頃な価格でできる。
靱公園の周辺とか中津界隈とか空堀界隈とか天満とか裏なんばとか泉佐野とか箕面とかそこそこの値段で楽しいとこ沢山ある。
これは女子がグルメ業界に一定のお金を落としているから維持されているのだと思う。
◇紳士服に関していえば困り感が少なくなった。つまり、ワイシャツ・ネクタイに関してはいまでも定期的にそれなりにお金を使う人がいて中級市場が維持されてる。最近ベトナム縫製なんかの品質も上がったし、阪急のヒトヨシとか価格縫製生地デザインがまあまあなのも出てきたし。
ただ、ネクタイに関しては最近買いやすくなったのが危険な香りがする。定価で売れ残るからセール時期でも簡単に買えてしまうのだ。
◇いま困ってるのが靴。ABCマートとジョンロブとかエドワードグリーンとかの間がリーガルとスコッチグレインくらいしかない。
リーガルは名前が通っているが値段の割に品質感がない。コールハーンなんかも最近価格対品質感で釣り合わないなと思うことが増えた。
おい大阪人!
毎朝毎朝ヨーグルトを煮詰めて100倍に濃縮したような臭いを出しやがって!
分かってんだろ!
ここだよここ!▶ https://goo.gl/maps/11TdCiNBdez
毎朝だよ!
毎朝激烈なヨーグルト臭がするんだよ!
看板もないし一体何やってんだよ!
ああもう!本当に大阪人って奴は周りの迷惑というものをまるで考えない。
そしてそこを通る大阪人達のなんと鈍感なこと。
梅田のど真ん中だぞ。
ただただ通り過ぎるだけ。
鈍感、そして無気力。
俺の中の大阪人というのは、ああいった悪に出会うと体が勝手に動き、
殴り、蹴り、話を聞き、同情し、しかし説教し、最後にはみんなで笑って大団円を迎えという、
口うるさいがそこには人の温かみがある、
そんな日本ではない開放感ある異国の住人だった。
それがこの件で一切無くなった。
ゴミが。
今日夕方、阪急オアシスくまた店で試食やってたから買い物がてら食べようかなと手を伸ばしたら
そこの担当者の中年のおばさん藤井(仮名)が物凄い勢いで取り上げて食べさせてくれなかった。
挙句に「これは試食なので貴方買わないんでしょ?」ってムスっとされたわ。
その後他の主婦が試食に興味深そうに覗いてたら満面の笑みでお菓子をどうぞお茶をどうぞってやってた。
何か、接客するにしてもああいう客によって態度を変える店員はどうなんだろうってムカついたわ。
というか試食を縛る法律とかあるんなら出せよって思うし、そもそも阪急オアシスの試食のおばさんってノルマなしだったはずなんだがな。
民間のどこそこって会社がやってる試食のおばさんじゃないんだよ。
本当にイライラした。
あの人クビにならないかな。
それまではくまた店では買わない。
あべの店か昭和町店で買う事にするよ
提案1 百貨店の服屋で「似合う服選んでくれ」とお願いする。(当たり店員とハズレ店員の区別が難しいので、あまりお勧めはしない。ハズレ店員は似合わない服を買わせてくる)
提案2 阪急メンズの「パーソナルスタイリストサービス」のようなサービスを利用する。
http://www.hankyu-dept.co.jp/mens-tokyo/service/
http://www.hankyu-dept.co.jp/mens/blog/05/00193440/?catCode=501001&subCode=502005
https://isetan.mistore.jp/store/shinjuku/info/form/attend.form?rid=4209b30eac104dce870f39881f2e7b17
http://lulustyling.com/index.html
など。
大阪に行く度羨ましく思う。地下鉄網が必要な場所にしっかり整備されているからだ。
中之島辺りはまだ改良の余地があるし今里筋線は無駄だったかもしれないが、なにわ筋線という「本当に必要とされる線路」を具体化できるあたり京都とは違う。
京都市会議員ときたら「東西線の乗客が少ないから太秦天神川から洛西NT~長岡京と延伸し、六地蔵からも延伸して環状化しよう」などと宣うような連中である。
アホだと思いますか?そうアホなんです!
本当に必要なのは西大路・北大路・東大路・京都駅を繋ぐ地下鉄環状線なのに。
京都駅から出て東大路通を上り清水寺や祇園を通る206系統には朝っぱらから外国人観光客が並んでいる。積み残しなど日常茶飯事。
金閣寺・立命館大学方面の205系統も混雑が酷い。西大路通には阪急西院駅、地下鉄西大路御池駅、JR円町駅などがありそこから通学者や観光客が雪崩れ込んでくる。
にもかかわらず交通局は対策をほとんど諦めている状態で、むしろ東大路に至っては四条通のように一車線化する予定らしい。
その四条通は視界に5台のバスが常に映っているような状態でオンシーズンには完全に麻痺する。救いようがない。
京都観光をしたことのある人ならあの不快極まりないバスに恐らく一度は乗ったことがあるだろう。
運転は荒く道路状態は悪く愛想という概念が無い。扉が閉まらないうちに発車することすらある。時刻表っておいしいの?
埼玉生まれ、埼玉育ち。大学と就職は東京。で、転勤で大阪に住んだ。
これがまずあやしすぎる。
元増田の書いた内容で、関東について詳細な記述がろくになさすぎる。
あったとしても比較対象がおかしかったり、首を傾げる内容だったりする。
関東圏については知ったかぶりの知識で語ってる可能性が非常に大きい。
少なくとも、住んでた期間は大阪の方が圧倒的に長そう。
住んでみて、よかったところ、悪かったところ、イメージが変わったところ、ああ、大阪だと思ったところなど多々あったんで、つらつら書いておく。
これもデマカセなんだよね。
住んでみて悪かったところなんて全然あげてない。
あれは全部大阪を褒めてるだけ。
意外に街がきれい
綺麗なところだけ取り上げててアンフェアさがすさまじいよねこれ
あと、やっぱり大阪城はいい。高層ビル街の前に立派な天守閣が見えるのは、すごい日本的で、自分が外国人観光客だったら大喜びだ。 やはり東京よりコンパクトにまとまっていて、暮らしやすい。 ああ、やっぱ関西私鉄って存在感あるんだなあと感じた。
「やっぱり」「やはり」「やっぱ」
この辺りの表現って、もともと関西の方に軸足が無いと出てこない視点での語りなんだよねこれ。
なのでこの立ち位置の語りで関東生まれ関東育ちとか、絶対に嘘だと思う。
あったとしても元からかなりの大阪かぶれ、大阪信者だったとかでないと説明がつかない。
で、ちゃんと通りごとに住居表示が変わっているのにちょっと感動した。 「淀橋」を「西新宿」にしてしまった東京なんかよりずっといい。 谷崎潤一郎が好きなオイラは、鵙屋春琴の実家の薬種商がある「道修町」が、いまでも道修町で、製薬会社があったりすることに、ちょっとあがった。
通りごとの表示と、過去と現在の名称変更を比較していたり、比較対象がやはりおかしい。
あと最後の行の自分語りは単なる趣味の話でむりやり大阪を持ち上げてるだけなので、あのエントリ内ではただのノイズ。
やはり東京よりコンパクトにまとまっていて、暮らしやすい。 しかも、街が平らなので、自転車でも楽々。
コンパクトとか耳障りが良い言葉を使ってるだけで、ただ単にスケールが小さいだけじゃねえか。
この理屈を突き詰めると、山奥の小さな村がコンパクト最強伝説だかんな。
したら、埼玉の実家から都内に行くより近いくらいじゃんよ。
ここが一番違和感を覚える。
「じゃんよ」もあやしいけど、「したら」も怪しすぎだろ。
どちらも関東人が使う言葉じゃないので、出身地がさらにあやふやになる。
そもそも、転勤するような年齢の人間が使う言葉ですらねえじゃん。
私鉄が強い なぜ、阪急の梅田駅はあんなに立派なのだ。南海の難波もそうだが、デパートの建物に味があることもあって、ああ、やっぱ関西私鉄って存在感あるんだなあと感じた。 それでも、国鉄時代を知っている年配の人に聞くと、ずいぶんJRになって変わったらしいが。
こんなとこ関東の人が気にするポイントじゃないというか、そんなとこに注目するのは関西モンの特徴というか。
なぜ素直にお国自慢ができないのか。東京人に褒めてもらわないと胸を張れないのか。
ほんとこれな。
何かを褒めるときに、何かを貶す必要はないってどっかのブコメで最近見たが、
まさにこれな。
自分達の住んでるところが素晴らしいって思うなら、純粋にそのことだけを表明すれば良いんだよ。
関西人、特に大阪人と京都人の関東とりわけ東京へのコンプレックスはいつになったら解決するんだよ。
関西からやたらと目のカタキにされるけど、関東人は関西なんて基本アウトオブ眼中なんで
関東から注目してもらいたいが為に関東disを大声で主張し続けてるとしか思えないわ。
埼玉生まれ、埼玉育ち。大学と就職は東京。で、転勤で大阪に住んだ。
住んでみて、よかったところ、悪かったところ、イメージが変わったところ、ああ、大阪だと思ったところなど多々あったんで、つらつら書いておく。
なんだか、ごちゃごちゃしたところや派手派手なところばかりだと思っていた。
関東のテレビで映る道頓堀とか、「ヒョウ柄をきたおばちゃんが自転車で爆走する商店街」のイメージが刷り込まれていたせいかもしれない。
だが、淀屋橋から御堂筋あたりをぶらつくと、ずいぶんきれいな街だとおもった。御堂筋ほどきれいなオフィス街は日本にはそうそうないんじゃないだろうか?
中之島公園のあたりもいいし、靭公園あたりなんか、暮らしたら結構おしゃれそうだ。
あと、やっぱり大阪城はいい。高層ビル街の前に立派な天守閣が見えるのは、すごい日本的で、自分が外国人観光客だったら大喜びだ。
たぶん、金さえあれば、おいしいもの珍しいもの、いくらでも食べられるのが東京なのだろうが、安サラリーマンにはあまり関係ない。
東京だと場所と雰囲気にお金を払っているような店がたまにあるが、そういうのはあんまりなさそうだった。
この辺は、いわゆる〝大阪的”ということだろうか?
で、ちゃんと通りごとに住居表示が変わっているのにちょっと感動した。
「淀橋」を「西新宿」にしてしまった東京なんかよりずっといい。
谷崎潤一郎が好きなオイラは、鵙屋春琴の実家の薬種商がある「道修町」が、いまでも道修町で、製薬会社があったりすることに、ちょっとあがった。
梅田から心斎橋まで自転車で移動しても苦にならん。丸の内から渋谷へ自転車で移動する奴は、あまりいないだろうが。
昼間、スーツで自転車移動しているリーマンも東京都は比べ物にならないくらい多い。
なんとなく、京都とか神戸って、もっと遠いのかと思っていた。なんだろう、東京から宇都宮とか高崎へ行くイメージ?
埼玉の南部なんて東京ありきでなりたっているが、大阪、神戸、京都はあの近さでそれぞれ独立して成立している感じがすごい。
ま、実際は相互に通勤しているような人もそれなりにいるんだろうが。
来た当初は、京都が近いことに感動して、二週に一遍くらい、週末は京都に遊びに行ってた。
関東人は、「そうだ、京都、行こう!」って決心して旅行に出かけるところなのに、ちょっくら電車で行けるってのはよい。
なぜ、阪急の梅田駅はあんなに立派なのだ。南海の難波もそうだが、デパートの建物に味があることもあって、ああ、やっぱ関西私鉄って存在感あるんだなあと感じた。
それでも、国鉄時代を知っている年配の人に聞くと、ずいぶんJRになって変わったらしいが。
事前のイメージと寸分たがわず、むしろそれを強化しているのはテレビだ。
関西ローカル番組は、関東人の思い描く大阪を増幅させている感じがある。阪神そんなに好きか?
思うのだが、メディアは大阪を自ら作り出したイメージの枠にはめすぎなんだとおもう。
コテコテで下品で金勘定ばっかりしているのが大阪ってわけでもないし、文化だって東京(江戸)より歴史がある。
もともとは、近松門左衛門をうんだ町なわけだし、「細雪」に出てくる大阪なんて随分お上品だし、コナもんだの吉本芸人だののイメージは、戦後のある時期からメディアが刷り込んできたもんじゃないのかなあ?
なお、個人的には、そういう単純な「コテコテ」でない、「お上品」と「抜け目なさ」が入り混じった「大阪」を体現しているのは、料理研究家の土井善晴センセみたいな感じじゃないかと、最近思っている。
http://anond.hatelabo.jp/20150709224843 の釣り認定について、野暮は承知で、思ったことをいくつか記しておく。
書いているうちに、もっと別のこと書きたくなって、こんなんもエントリしてしまった。
http://anond.hatelabo.jp/20150710214628
つくづく野暮である。
京阪の子会社が作った新京阪線(今の阪急の京都線)の地下線の西院駅 - 大宮駅間は1931年に開業。
鉄道省は、対抗して関西急電と呼ばれる、料金不要の優等列車を設定。1936年には、流線型の車体デザインの52系(流電)を投入。現在の新快速の礎を築いた。京都駅 - 大阪駅間を34分、大阪駅 - 三ノ宮駅間を25分。
大阪市営地下鉄の御堂筋線は、1933年(昭和8年)5月20日:1号線 梅田駅(仮) - 心斎橋駅間 (3.1 km) が開業。
開業当初、御堂筋線はわずか1両編成での運転だったにも関わらず、当時からすべての駅のホームが、将来を見越して 17 m 級車による8両編成に対応するように建設されていた。
さらにいうと、東洋初の東京の銀座線と比べると電車が一回り大きい。
近鉄の前身のひとつの参宮急行電鉄は、大阪 - 伊勢間130km超の長大電車路線を作り、1932年(昭和7年)には、上本町駅 - 宇治山田駅間を2時間1分で走破した。ライバルの鉄道省の準急列車は、3時間、鈍行は5時間かかった。20m級車体で最高時速110km/h、二等客車並のクロスシートが装備された。21世紀初頭の電車と遜色ない性能があった。
阪和線の前身の阪和電気鉄道では、1933年に超特急の運転を開始、阪和天王寺 - 阪和東和歌山間を45分で結んだ。表定速度81.6km/h。まじで速いよ。特急こだま号が登場するまでの日本で最速の鉄道だった。
戦前の話じゃないけど、自動改札機も1970年台には関西私鉄の主な駅にあった。大阪万博から続く未来がそこにあった。国鉄は人がきっぷにはさみを入れていたけどね。
http://anond.hatelabo.jp/20150515014847
どちらに転んでも、多分、僕ら大阪市民は
1年後に実感する何かを得ることはないのだろうと思います。
ずっと悩んでいましたが
それでも僕は都構想に賛成することにしました。
大阪市は大きくなり過ぎた。
都構想は大阪市の力をぶん取り
大阪府にその力を吸い上げる。
大阪市民としては納得いかない。
僕らの税金どこいくのって話。
でも、子育てのため北摂(大阪市以外)へ引っ越したい僕としては
大阪府が強くなることの方が魅力を感じる。
広域を発展させることに繋がるんじゃないのかな。
大阪市をなくすっていうのは
「わからんけど(わからんから)否決」が過半数を超えると思います。
「都構想?おもろそうやないかい!」ってノリのいい人は
大阪ではそんなに多くないんじゃないかな。
なので、都構想反対派の方に
住民投票(否決)後のお願い。
阪急電車なんですが、おしい。
すべて新大阪に近いのに、
新大阪には繋がっていないのが、おしい。
阪急乗り入れは、
大昔にあった計画なのですが
なんとか復活して形にしてもらいたいなぁと。
東京ドームとかいう謎単位(http://anond.hatelabo.jp/20150510091631)という記事にはてブがたくさんついており、
そういえば、「<単位>としての東京ドームの誕生」とかいう謎卒論で、単位をもらって大卒の肩書を得たことを思い出し、
おぼろげな記憶ながら内容を抜粋し、Q&Aの形でエントリを書いてみようと思いついた。
A1. 違う。東京ドームの前は、霞が関ビルディングが単位として使われていた。ちなみに、1東京ドーム = 2.48 霞ヶ関ビル。
Q2. いつから単位が、霞が関ビルから東京ドームになったのか?
A2. 次第にとしか言いようがないが、確認できる限りで初出なのは、東京ドームがオープンした1988年3月18日の翌日の読売新聞のコラム
『東京ドームの大きさは、 霞ヶ関ビル何杯分?』。ここでは、約2.5倍と紹介されているが、ほかにも上野動物園と比較されており、
明確に読売グループが新単位を創出し定着させる意図を持っていたことが分かる。
A3 結果的に単位としての東京ドームは、日本国内で受け入れられている以上、ある程度、単位としてのふさわしさを持っているのは事実。
しかし、日本テレビ「ズームイン!!朝!」のテレビ番組表欄を、1985年から2001年までみると、オープン後1年経った1989年でも東京ドームについての
特集が3か月に1度程度ある。そして、1990年には『東京ドームは○○の何個分!?』という特集コーナーが設けられており、
この特集コーナーは毎年1度はあった。また、めざましテレビでも、1995年、1997~2002年に、同種の特集コーナー(おそらくめざまし調査隊)
でこれが取り上げられている。東京ドームは、阪急東宝グループとも因縁浅からぬものがあり、フジテレビは阪急東宝グループと関係が深く…
というのもあるかもしれない。もっとも、関西だと甲子園という単位が通用しているところから考えると、
単に関東のテレビでは、そのころには、東京ドームという単位が定着していたのかもしれない(少なくともメディアの中では)。
また、副都心開発にのってお台場に移転しようとしたフジテレビの社屋を表すのにも、東京ドームという単位が一番適切であったはずである。
Q4 やっぱりそれでも東京ドームは単位として不適切。大きさが分からない
A4 1989年にすでにそれを言った芸能人がおり、石橋貴明が、『とんねるずのみなさんのおかげです』のコーナーの一部で、東京ドーム何杯分とたとえるアシスタントに、
「わからねーよ」と襲い掛かっている(youtubeに昔あったのだけれども消えた)。このように、東京ドームという謎単位は生まれて間もなくから、
その単位のふさわしさを疑問視され続けてきた。もっとも、石橋の発言の後、東京ドームの広さの説明が番組中に挟まれたのは言うまでもない。
いわば、東京ドームという謎単位は、常に疑問がさしはさまれるがゆえに、コンテンツとして消費され続け、<単位>としてメディアに使用され続ける側面も持つ。
定年退職したシニア同士で、あるテーマについて1年程度調査研究した上で、共著で自費出版するスキーム。
★例えば、自分は定年退職したら、不動産の知識を生かして、自分が幼少時に過ごした高層分譲マンション群「阪急南茨木ハイタウン」の歴史、
さらには70年代の関西の民間マンションの歴史について調査して、本にまとめたいと思ってる。
⇒共同研究、共同著作の仲間がいれば、何とか「本」というまとまった形にできると思う。
★また、著作の調査研究の過程で第三者へ取材ヒアリングする必要性も出てくるが、
退職者個人の名刺で阪急電鉄や茨木市に取材しようとしても門前払いされるのがオチ。
そこで「南茨木ハイタウン史出版組合」みたいな名刺があれば、阪急電鉄もまともに対応する。
★「出版組合」は、いわば一つのテーマ、一つの著作物に対して、何人かが緩やかに参加する「期間限定プロジェクトチーム」。
本来的には出版した時点で、組合の活動は終了(著作権管理の為に10年間は存続させるが)。
NPOみたいに「半永続的、ゴーイングコンサーンな組織」じゃない
★仮に日本の「前期高齢者」(元気な高齢者)1000万人の中で、出版を考えてる人が50万人いて、
彼らが「5人で一つの出版組合を毎年組成し、出版」していったら、
今の日本の出版総点数は9万点程度だから、出版点数が倍増される計算になる。
★言ってはなんだが、「素人が一人だけで書き上げた自費出版」は、「思い込み」や「独りよがり」も多く、質が悪い。
その点、「出版組合方式」で複数のシニアが相互チェックしながら著述をまとめることで、内容の質が高まる。
★ふと思ったが、それなりの歴史がある大規模なマンションなら、区分所有者の有志なり歴代の理事長なりが、
「出版組合方式」で、マンションの歴史を出版してもいいのでは?
その辺の小学校とかでも「小学校50年史」とか発行してるなら、「広尾ガーデンヒルズ30年史」を発行してもいい。
★役所とかが主催する生涯学習が「虚しい」のは、成果物、アウトプットがないからだろうなあ。
「出版」という目標がある出版組合方式なら、目標があってハリが出る
個人的に気になるのは、左右どちら側という点ではなく、
「立つ」あるいは「寄る」を用いる人と、「空ける」を用いる人の意識の違い。
自分は「寄る」を用いるんだけれど、これは、自分がどう振る舞えばよいのかを、
他の人々の行動を模倣する事から決定したから、そういう言葉の選択になっているのかもしれない。
方や「空ける」を用いる人は、他の人々への配慮が必要という、より広い視点で物事を見れていたりするのかな、なんて思ってみたり。
いや、単なる習慣になってる事柄に対し、そんな意識の差なんて関係ないのかも。どうなんですかね。
余談だが、関西では(垂井駅~関ヶ原駅間が境界?)左を空けるのが一般的だが、
つまり、前の人に倣って、となる。
これは、観光客の多い都市だからというのも勿論大きな理由であろうが、
JR・京阪・阪急が左空けを推奨していたが、京都市営地下鉄は右空けを推奨していたというのもあるそうだ(過去の話)。
※参考URLを読む際に混乱しないよう、ここでは「空ける」を用いてみた。
参考:
そのビルディングは立派に天を指して屹立している。
僕は兵庫県の山の方から今夜、大阪の友達に会いに来た童貞である。
昼間、阪急メンズ館という所に立ち寄ってみたのだが、DTには刺激的な場所であった。
カップルたちがそこかしこで男性へのクリスマスプレゼントとおぼしき品を仲良く選んでいる!
なんということだ。
あの男たちは彼女がいるにとどまらず、女から物品を贈られる立場にあるらしい。
どんな男になればその立場を得ることができるのだろう。
物が欲しいのではない。
一緒に物を選ぶ女たちの楽しげな表情。それが僕の網膜に焼き付いてしまったのだ。
あんなかわいい美しい顔をして、自分のために手袋やらマフラーやら下着やらを選んでくれる女がそばにいるという幸せ、彼らはそれを真実分かっているのだろうか!
分かってるんだろうな。
この人に何かを贈り物をしたい、と思わせる魅力的な男たちなのだろう。
まあいい。
★農水省の友人が語るところでは、国内の肉類消費量は、「鶏肉」や「豚肉」は比較的安定してるのに対し、
★私見だが、20年程前は、「贅沢飲食のアイコン」としての牛肉消費があったと思う。
逆に言えば、「あいつに何かおごってやらなきゃ」と言うシーンにおいて、「7割の確率で喜んでもらえそう」だから、
人々は「儀礼的意味合い」も込めて、鶏肉でも豚肉でも魚でもなく、牛肉を消費してたんだと思う。
首都圏で贈答品に三越が、大阪で阪急百が選ばれるのと同じ理屈で、牛肉がご馳走飲食に選ばれた
その結果として「ご馳走飲食プレミアム」のかさ上げ部分が剥げ落ちたのが真因じゃないか?
「冷静に考えたら、おごってやるのに、牛肉じゃなくても、いいよね。魚でも豚肉でもいいよね」
と人々が「目を覚ました」?
★あと、変な話だが、「牛丼デフレ競争」と「100円マック」が「牛肉」の「贅沢アイコン」を徹底的に毀損した影響も大きいと思う。
今の若い人(20代)だと、既に中学生の頃から、牛肉は「安物」だった訳だ。
★そういえば、20年前は焼き肉チェーンとかステーキチェーンが人気だったが、
今は「世界の山ちゃん」とか「鳥貴族」のような焼き鳥チェーンの方が、元気がいいなあ
ブロイラーという「鶏肉の準工場生産化」に成功した鶏肉は、食品内で相対的に安くなっている筈。
何だかんだで畜産技術も進化しているから、牛肉も戦前比較では安くなっていると思う。
技術が進化しにくい魚類が、恐らく食品内で相対的に高くなってる
★日本には、まだまだ戦前の感覚が残っていて、「魚は安い、肉は高い」というイメージが残存してる。牛肉のご馳走消費はその名残。
アメリカでは、肉は庶民が食べるもので、魚は健康志向が食べる高級品扱いされてるらしい
ランクをどこが付けてるのか、クチコミで最高・最低のホテルだと評されてるのか、気にはならないけど
安いホテルプランに合わせて高いホテルプランも用意するのって実際どうなんだろう。
安いホテルと言われるホテル・旅館に対して不親切な説明じゃないか。
高いホテルは、朝はビュッフェで夜はコース料理とか懐石だろうし、泊まる部屋からは抜群の夜景とかサービスが充実して、
更に露天風呂とか部屋ごとに温泉が付いてるとかオプションがあるからなのだろうけど、
それはそれとして、同様のオプションが付いている(であろう)安いホテル、格落ちホテルっていうのは何が駄目なんだろうとふと思った。
例えば、朝のビュッフェ。今ではどこのホテル・旅館でも当り前のようにこれがある。
料理だけで言えば、そのホテル・旅館の、当館自慢の腕によりを掛けた品々という風な添え書きなんかもあって、それって
格上ホテルって言われてる所でも同じく使われてる。
HISとか阪急とかのチラシやパンフレットを見たら料理に特別差異があるように見受けられない。
せいぜい松坂牛使ってます、伊勢海老使用してます程度の差だけだ。
サービスの差?
その人、個人差で判断するものだし、旅行会社的に言えば、当社選りすぐりのホテルソムリエないしプロの眼で見て参りました、という塩梅なのが多少違和感を覚える。
充実したサービスなんて、はっきり言ってどこも同じだ。
ルームサービスをしてないホテルなんて聞いたことないし、おしぼりやお茶、朝刊夕刊のサービスがない旅館も中々ない(個人旅館はその限りじゃないが)。
せっかく旅行会社にプランとして組み込んで貰えたから、より力を入れて独自のサービスを行うホテル・旅館も珍しくないというのに、どこか旅行会社には驕りのようなものを感じて止まない。
タイトルで「グレードアップホテル」としたが、「グレードアップホテル」のメリットはただ、高いホテルに泊まれるという、いわばスターバックスでコーヒーを飲んでステータスを得る。
ただそれだけの利点しかないように思う。
問題は、旅行会社が充実したサービスの中に普通のホテルでは味わえない、グレードアップホテルだからこそ味わえるサービスについて高級志向しか記載されていない所にあるだろう。
極上のサービスでもエステ・サロンの無料提供がある、これならグレードアップの意味というか元が取れるオプションと言えそうだが、普通追加料金が掛かるのが現実である。
要は、グレードアップなんて言うけど、実際の所高いホテルに泊まるというステータスを得る事以外、大して普通のホテルと差がないわけだ。