はてなキーワード: 体感とは
1991年、高校3年だった私はバブル崩壊のニュースが騒がれていても何も考えていなかったし危機感もなかった。
生まれてから株価や地価が上がり続ける好景気のニュースや、良い時計、良いブランド、良い車、お洒落な都会の暮らしと浪費を煽るTV番組しか見てこなかったので
経済が右肩上がりなのは1+1は2だというのと同じくらい揺るぎない当然の事実だと刷り込まれていた。
だからバブル崩壊なんて聞いても一時的な大騒ぎだと思っていたし歴史の教科書に載るレベルの事が今起きているなんて実感は全くなかった。
もちろん、後から我が身を以て知る事になるのだけど。
大学は都会の人、お金持ち、頭のいい人が行くところという認識。女性の大学進学率は身の回りの体感で2割以下だったと思う。
就活は東京に行くと良い。交通費がもらえるから面接のスケジュールを何社もうまくまとめれば数十万になる(関東は飛行機の距離)
知り合いがクルーザーを貸し切りでコンパしていたらしい。タクシーが捕まらなすぎるから札束を見せて止めるし、もちろんチップも弾むらしい。
あと高校生でも高確率でヴィトンの財布持ってた。コンビニでたむろしているヤカラ系の人たちも、上下スウェットでヴィトンのポーチが定番だった。
金を稼いでブランド物やいいものを買う!時代の空気がそんな感じだったから、流されやすい私も高校生の時はバイト三昧で稼いでは散財していた。
私は広告デザイナーに憧れていた。頭の出来は悪かったけど絵をかくのは好きだったし
弟妹に比べてあまり可愛がられてこなかったので、おしゃれな都会でかっこいい仕事をしている自慢の娘として褒められたかったのだ。
それでデザインの専門学校へ進学した。生活費と学費はバイト三昧でどうにかしたが、絵の課題の物量とバイトの両立は難しくて卒業はギリギリだった。
クラスで一番絵が美味かった友人はデザイン業界には就職できずにパチンコ屋に就職した。
運よく個人のデザイン事務所に就職できた友人は手取り13万で会社に泊まり込むような毎日だと言っていた。
私は朝も夜もバイトしながらの就活がつらく、20社ちょっとで圧迫面接されたタイミングで早々に心折れてしまった。
でも今思えば1994年なら私もまだなんとか職種を選ばなければ就職できたのでは?広告業界はかなり厳しかったけど。
スキルも勉強も微妙な成績で、顔も微妙だからやっぱり厳しかったかな?
ただ、今よりは派遣も幅を利かせてなかったから バイトで頑張って正社員!という流れも現実的で、だからとにかくいろいろバイトしまくろうと考えた。
コンビニ、ビル清掃、ファストフード、新聞配達、アパレル、カラオケ屋、居酒屋、パン工場、食品加工工場、弁当屋、デパート、ラーメン屋、ゲーセン
最低賃金は600~700円の時代。掛け持ちで250時間/月くらい働いて手取り15万以下、賞与も有給も無し。家賃は5.5万円。
新聞やテレビでは「最近の若者は責任感がない」とか、「フリーターという自由な働き方!」とか好き勝手言って
親にもいつまで根無し草でいるつもりなのかと責められた。好きでやってんじゃねーよ。
結局バイトから正社員のルートは3年やってダメで、バイト先の先輩が就職したIT企業に誘われて、やっと正社員として就職できた。
この時の親の喜びようといったらヤバかった。花束送ってきたもんね。
大手の孫請け・曾孫請けくらいなので単価は安いし、すでに炎上している案件を受けることが多かった。
1ヶ月連勤とか、朝方家に帰って9時にまた出社するとか、片道の航空チケットを渡されて「今から飛べ。バグを直すまで戻ってくるな」なんて事もあった(2ヶ月かかった。仕様バグだった)
しかも名前だけ役職だったので、10時間を超えた分は全てサービス残業なのだ。賞与もまともに貰ったことない。
あんなに親が喜んだのに辞めるなんて言えなかったし、若いうちは体力もあったのでなんとかなった。
でも30を超えて疲れが蓄積して部屋の掃除ができなくなり、食事もコンビニばかりで、美容院行ったり化粧品買いに行く時間もなく
そもそも仕様書ができてないから想像で作るしかなかったコードレビューで毎日詰められて、17時以降にも1人月分のスケジュールが割り当てられ
今はなんやかんや縁があって地方都市のホワイト企業で働いて生きている。
この会社でも同年代は絶望的に少ないので、団塊とバブル世代が定年を迎えたら部長・課長のなり手がいない。
初の女性課長代理やらないかと言われているが、バブル世代の後始末を彼らよりずっと安い給料で、課長以上の成果を求めるくせに課長代理止まりなのだ。
断るつもり。
世の中を恨んでいるし、特に団塊とバブル世代の勝ち逃げ組は呪いたいくらいだ。ぜひとも来世はブラック企業で使い潰されて欲しい。無償で!
実家は太くなく、偏差値は55くらい。顔面偏差値は47くらい。コミュ力は中の下。人より強いと感じるのは不本意だが「我慢する事」
理解のある彼くん無し。それでも穴はあるとか言われるだろうが、穴として使う人と人間同士の信頼関係を構築するのは難しく、私には無理だった。
そりゃめちゃくちゃに頑張ったり美人だったり頭良かったり運が良かったり、何かに突き抜けていれば同じ年代でも勝ち組にはなれたかもしれないので、能力も頑張りも見た目もそうでもない自分がダメだったのは自業自得かと思ってた。
でも私のような中くらいより少し下の人間が、中くらいより少し下のままでもそこそこに生きていける時代になったらいいねって思う。
そしてその為には、私達は救われないまま死んでいった方がいいのだとも思う。
体感速度と実際のスピードが紐づいてないんだよ。あと事前情報が経験ベース、つまり思い込みなので間違えてるし欠落してる。
電車が13時にA駅に到着して、待ち合わせのお店が徒歩5分の場所だからと思って13:05には着くって連絡するじゃん。
まず、そもそも徒歩5分じゃない。駅に着いてGoogle mapsで調べたら徒歩10分って書いてある。前回体感5分くらいでついたよな?って記憶を元に会話するから最初から詰む。
その後、走ったら2分くらい短縮できるやろ!って頑張ろうとする。でも、2分も短縮できるレベルで走れない。むしろ3分遅い。
目の前の問題しか考える力がないので、「このまま間に合わない」→「間に合わなかったら怒られる」→「怒られるのやだな」ってマジカルバナナするから論点が「いかに間に合わせるか」から「怒られるかどうか」にシフト。「どうせ怒られるなら急いでも変わらない」で、コンビニの誘惑に負けてさらに5分かかる。
しかもそもそも時間の感覚バグってて、ものすごく遅れてる感覚がない。なんなら、本人も到着時刻見てビビる。
他もそう、化粧はいつも5分(実際は15分)。
○ご飯
朝:なし。昼:たまごチャーハン。ほうれん草味噌汁…夜:カレー。ポテトサラダ。間食:ポップコーン。
○調子
○ A YEAR OF SPRINGS
現代日本で生きづらさを抱えるマイノリティ三人のキャラが交代に主人公を務めるノベルゲーム。
フィクションとしての設定らしいものではなく、本当に今この瞬間にも起こりうる幾つかの悩みについてが主題となっている。
賢しげに感想を書くのが恥ずかしくなる非常に真面目な題材を扱っている。
物語の構造やキャラクタの心情を読み取るというよりは、本当に現代日本にはこのような問題があるのだ、という強いメッセージ性を感じた。
それでも勿論道徳の教科書や啓蒙資料ではなくノベルゲームとして遊べるようにいくつかの工夫がなされている。
全体的に優しい尖っていない雰囲気を出すために、フォント、背景絵、立ち絵に一体感があり、立ち絵での演技もちゃんとしていて、選択肢を選ぶことによる物語の分岐などノベルゲームらしさもきちんとある。
特にメッセージアプリでのやり取りでスタンプ(文章ではなくイラストを送信する仕組み)で感情のやり取りをするところは、ノベルゲームらしさと現代日本らしさがしっかり溶けこんでいた。
間違えないことに血道をあげてきた。
正解したい、とも違う。「正解」がいかなるものかなんて本当はどうでもよく、赤ペンの○がすっすっとテンポよくつきさえすればいい。とにかく死なないために、下手を打たず安全に行くこと。当然、百発百中とはいかない。仮にうっかりペケがついたとしても、正解を求めて努力したそのポーズさえ崩さなければ、許される。そういう世界で、そうやって生きてきた。
いつまで経ってもエントリーシートが書けない。書けないんじゃなくてお前が書かないだけだろ、早くやれ、と発破をかけて鉛筆を手に取る。その辺のノートや裏紙に、各項目、思いつくままに書いてみる。「志望動機」「長所と短所」「自己PR」「活動
歴」。
手をつけてみれば、案外楽しいかもしれないぞ、と思い始める。しばらくして、やっぱ普通に苦しいぞ、と思い始める。
これを出すのか。あと、スーツ用意して、ちゃんとした写真取らないと。めんどくさいな。
まあそう言わず、せっかく書いたんだから出してみりゃいいじゃん。
わかってるけどさ、しないといけないって。待てよ、ほんとにしないといけない?
そりゃあ。どこに職探しに行ったって求められる手順は大して変わらないんだし。いい練習になるんだからさ。大体甘えた贅沢言うなよ。今の生活だってなんも当たり前じゃないんだぞ。
自問自答、全てが苦しい。いま楽をしたい自分と、後で楽したい自分との弁護合戦。きっとどちらにも、ちょっとは正しいところがある。正しさで殴り合って、より強度の強い方が勝ち残るのを待っている。全ては私が間違えないため。
おおむね後者が優勢だが、前者も中々に粘る奴で、延長戦に縺れ込む。このところ、私の気力と体力はほとんどこれに費やされていて、自分の死による試合の強制終了を試みたこともある。
こんな作業はやれば大方は得で、絶対に終わらせられることだ。なのに、どうしてこんなに躊躇うんだろう。(やるべきことに取り組む上で、こんなことを考え始めたらもう終わりなのだが)
ふと立ち止まった時、体の下の方から強烈な感覚が立ち昇ってきた。
間違えたい、という感覚。
このボタン押したら、どうなっちゃうんだろうっていう、小学生の頃のあれ。
性的な文脈で感じる、めちゃくちゃになりたい、戻れなくなりたい、わけがわからなくなりたい。みたいなあれ。
完全に冷静さを欠いていると頭でわかる。頭ではわかるのに、視界の端でチラつくその感覚を体が無視できない。
結局、安全に行かないと死ぬという呪いを、危険を冒すことで解きたいのかもしれない。愚かな選択に全振りすることで、その果てにあるものを確かめたいのかもしれない。運良く生き延びられたら、うっすらとした勝利の感覚すらあるだろう。あるいは、死んでしまったとしても、思うがままに進んだ結果ならきっと解呪はできる。どちらに転んだって、道なりに転ぶだけだろう。
間違えても大丈夫。大丈夫じゃなくても、大丈夫。私は私の間違いに付き合うし、私の愚かさを可愛がる。クズで愚鈍で考えが足りない、周りに生かされてる最低の奴。だから、弁護はしない。しようがない。でも、見放しはしない。更生を期待するでもない。ただ、私は私というそういう人間が生きて、死ぬまでを見届けるだけ。
机の上のESが目に入る。そもそも、この紙切れを出す出さない程度の、全然大した話じゃない。
でも、世に言う「自己肯定感」とはこういうことかもしれないと、ようやく体感した。
そんなこと言って、根が愚かなので明日には気が変わってるかもしれないが、まあ、それもよし。
修行の一環で色々試してみたので、まとめてみる。毎日、下腹部の精力を体感で測った結果なので、長持ちするかとか聞かれても知らない。試しているときに精力を漏らしてないはずなので(スポーツを除く)、それによるずれはないはず。
50日ぐらい修行したので、あと最低50日ぐらいは修行しているはずなので、もう少し色々試してみる予定。何かあったら教えてください。
ゼナ キング活精・・・・・・名前に恥じず、明確に効果を実感できた唯一の栄養ドリンク。値段(1700円前後)も最上位というわけではないのでおすすめ
高麗人参・・・・・・これもわかりやすく精がつく。生は今度届くのでまだ試せてないが、乾燥、冷凍でも問題ない。バナナジュースか棗と煮て飲むのが楽。やる気があれば、参鶏湯とかに入れてた食べる
ユンケルの高いやつ・・・・・・値段相応には良い。ただ、ゼナ キング活精と大差はないのでややコスパが落ちる。ユンケルはカフェイン入ってないやつが便利。
高麗人参系の栄養ドリンクの高いやつ・・・・・・あんまり自信ないけど、効果あった気がする
生姜・・・・・・甘酢づけとか色々な形で食べやすい。自分で料理すると味がきついのが悩み(そこまででもないが)
にんにく・・・・・・ラーメン屋で食べやすいのが良い。生の方が効果は強い
にら・・・・・・効果がある気がするが、生で食べる勇気はない。レバーと一緒に食べれるのが良い
枸杞、棗・・・・・・食べやすいし、お茶に入れればいいから効率が良い。効果はちょっとあるぐらい
高麗人参系の栄養食品・・・・・・効果はあるが、値段(数万〜数十万円と幅はある)の価値があるかは正直わからない。時間があるなら自分で加工した方が良い気がしてきているが、手間は少ないので補給には良いかもしれない
その他栄養ドリンク・・・・・・ないよりは効果がある。高いやつほど効果がある?気はする(特にユンケル系)
生玉ねぎ・・・・・・効果はあるが、腹痛が起きることが多い。ハイリスクハイリターン
はとむぎ+甘草・・・・・・効果がありそうな気はしたが、毎日30分煮詰めて食べるのが本当に辛かった。もう夏だから、真似しても意味ないと思う
ねぎ・・・・・・食べやすいが、めちゃくちゃ効果があるというほどでもない
牡蠣・・・・・・もう時期ハズレだからかもだけど、わかりやすい感じ方はなかった
長芋、山の芋・・・・・・実感できるほどはない。自然薯はよかった記憶があるが、高い
マカとか推している精力ドリンク・・・・・・期待は大きかったが、効果は正直わからなかった
漢方の錠剤・・・・・・これも1万円超えてたわりに本当に効果があるのか?ってなってる
その他・・・・・・ほうれん草や納豆と書いている人もいたけど、そこまで差はない気がした。栄養学的にはそうなのかもしれんが......
生の高麗人参
旬の自然薯
旬の牡蠣
桑の実
榛実
カヤの実
修行の一環で色々試してみたので、まとめてみる。毎日、下腹部の精力を体感で測った結果なので、長持ちするかとか聞かれても知らない。試しているときに精力を漏らしてないはずなので(スポーツを除く)、それによるずれはないはず。
50日ぐらい修行したので、あと最低50日ぐらいは修行しているはずなので、もう少し色々試してみる予定。何かあったら教えてください。
ゼナ キング活精・・・・・・名前に恥じず、明確に効果を実感できた唯一の栄養ドリンク。値段(1700円前後)も最上位というわけではないのでおすすめ
高麗人参・・・・・・これもわかりやすく精がつく。生は今度届くのでまだ試せてないが、乾燥、冷凍でも問題ない。バナナジュースか棗と煮て飲むのが楽。やる気があれば、参鶏湯とかに入れてた食べる
ユンケルの高いやつ・・・・・・値段相応には良い。ただ、ゼナ キング活精と大差はないのでややコスパが落ちる。ユンケルはカフェイン入ってないやつが便利。
高麗人参系の栄養ドリンクの高いやつ・・・・・・あんまり自信ないけど、効果あった気がする
生姜・・・・・・甘酢づけとか色々な形で食べやすい。自分で料理すると味がきついのが悩み(そこまででもないが)
にんにく・・・・・・ラーメン屋で食べやすいのが良い。生の方が効果は強い
にら・・・・・・効果がある気がするが、生で食べる勇気はない。レバーと一緒に食べれるのが良い
枸杞、棗・・・・・・食べやすいし、お茶に入れればいいから効率が良い。効果はちょっとあるぐらい
高麗人参系の栄養食品・・・・・・効果はあるが、値段(数万〜数十万円と幅はある)の価値があるかは正直わからない。時間があるなら自分で加工した方が良い気がしてきているが、手間は少ないので補給には良いかもしれない
その他栄養ドリンク・・・・・・ないよりは効果がある。高いやつほど効果がある?気はする(特にユンケル系)
生玉ねぎ・・・・・・効果はあるが、腹痛が起きることが多い。ハイリスクハイリターン
はとむぎ+甘草・・・・・・効果がありそうな気はしたが、毎日30分煮詰めて食べるのが本当に辛かった。もう夏だから、真似しても意味ないと思う
ねぎ・・・・・・食べやすいが、めちゃくちゃ効果があるというほどでもない
牡蠣・・・・・・もう時期ハズレだからかもだけど、わかりやすい感じ方はなかった
長芋、山の芋・・・・・・実感できるほどはない。自然薯はよかった記憶があるが、高い
マカとか推している精力ドリンク・・・・・・期待は大きかったが、効果は正直わからなかった
漢方の錠剤・・・・・・これも1万円超えてたわりに本当に効果があるのか?ってなってる
その他・・・・・・ほうれん草や納豆と書いている人もいたけど、そこまで差はない気がした。栄養学的にはそうなのかもしれんが......
生の高麗人参
旬の自然薯
旬の牡蠣
桑の実
榛実
カヤの実
当方、都内(23区のどこか)在住。梅雨のせいもあってか、都内はもうどこに行ってもマスクをしていない人だらけになった。
都内と一言で言っても装着率については街次第なところはあるのだが、体感的には、半分以上はもうマスクを外していると言ってもいいと思う。
そして先日、ちょっとした用事があって実家(関東の田舎のほう)に帰ったのだが、そちらは9割ぐらいがマスクをしていた。
SNSなんかでそういう話は聞いていたが、自分の目でこうも違うのかというところをまざまざと見せつけられると、色々と考えないではいられない。
これって、感染対策という観点から考えると完全に倒錯してるよね。
人口密度の低い田舎のほうが、都会に比べれば感染リスクは低いはずだ。純粋に感染対策のことだけ考えるなら、田舎よりも都内の人のほうがマスクをつけてなきゃいけない。
障害のある子供の親御さんたち、教育委員会や先生たちの薦めを無視して無理矢理普通の公立校、普通の学級に入れるのはやめろ。
発達障害やら何やらあるが、全国の支援学校、支援学級に在籍している知的障害の割合が1番多いため、主に知的障害の子供について話す。ただし、他の障害種別でも通用する話ではあると思う。
だいたい、文頭で指摘したような、障害がある子を無理やり他の子と同じ環境に入れたがるような親というのは
・自分の子供に障害があることを頭ではわかっていても認めたくない。
・特別支援学校(学級)やそこに通う子供、あるいは障害者それ自体に対する強い偏見がある
・子供のヤバさ(学力の遅れや集団に馴染めないなど)をきちんと把握できてない
のいずれか、あるいはハイブリッドなのだ。テレビ等でよく美談のように語られる中では「普通の学校で学ぶことの方が様々な経験ができる」みたいな、あたかも子供のためを思っているかのような美辞麗句で誤魔化すが、大体はこのどれかに当てはまる。
そもそも、普通の公立校に通うことが本当に障害のある子供のためになっているのだろうか?中には他の子とお互い刺激しあって力を伸ばす子もいるだろうが、ごくごく一握りだと思う。大半は勉強についていけず、お客さん状態(授業中、発言もできずただ終わりまでぼーっと座ってるだけ)になっているのが関の山だ。仮に学習についていけているとしたら、先生や学校の大変な努力と配慮の末に辛うじて成り立っているものだろうし、おそらく長くは続かず、学年が上がり内容が難しくなっていくごとに真綿で首を絞められるが如く状況は厳しくなっていく。
そもそも、そのように学習に大変な配慮を必要とする子が学級にいることで、先生の負担は遥かに増す。私学ならともかく、公立校の教員に「一部の子は見捨ててでも授業の進度を優先する」という選択肢はないに等しい。つまり、理解に困難を抱える子供への授業作りが主となってしまい、授業内で応用的な内容、ハイレベルな適用問題などに取り組むことが難しくなる。また、授業は普通に進めるが、その分ついて来れなかったところは放課後につきっきりで学習するという手もなくはないが、それをするということで先生の負担が増えているというのは火を見るより明らか。そして先生の負担が増えると困るのは誰か、皺寄せが行くのは誰か。その学級の子供である。無理矢理普通級に障害のある子供を入れることにより、巡り巡って自分たちの首を絞めている。自分だけならまだいいが、影響は大なり小なりそのクラスの子供全員に及ぶ。
障害のある子が特別支援学校や特別支援学級に入るプロセスのことを「就学相談」や「就学指導」などといった呼び方をする。
おおまかなプロセスとしては
①幼児期からの発達の様子を見て、幼稚園や保育園などから声がかかる、あるいは小学校入学前にある就学時検診における知能検査などの結果を見て、もしくは小学校、中学校在学中に随時学校や教育委員会から就学指導を薦められる。
③発達検査の結果から、教育委員会の人などがその子にあった判定を下す。
④次年度以降、③で出た判定の進路へ進む。
といった流れである。だが、保護者はこのプロセス中いつでもキャンセルができる。保護者が嫌がれば就学指導は中止され、自動的に普通の公立校、普通の学級に行くことになる。また、③で特別支援学校判定が出たとしても「普通の公立校の支援学級ならギリ許すけど特別支援学校はお断り」みたいなパターンもある。というかこのパターンは割とよくある。(普通の学校の支援学級在籍者のうち、体感1〜2割はそれ)
ここで曲者なのは「保護者の意向次第でいつでもやめられる」ということ。冒頭で示したように、自分の子が障害があると認めたくない人や偏見を持っている人は、そもそも就学指導の話を持ちかけられた時点でブチギレる。プロセスの途中でも、他所から変な知識を入れ知恵されて突然やめたりする。そうなるともうお手上げである。冒頭の黒ポチ3つめのパターンも厄介といえば厄介だが、子供のヤバさに気づいてくれたら考え直してくれることがよくある気がする。(まあ気づくまでに何年もかかって、結果勉強の理解は同学年の子より遥かに遅れて取り返しがつかなくなっている事が多いのだが。)
もう一度問うが、無理矢理普通の学校、普通の学級に行かせることが子供のためになっているのだろうか?
就学指導で「貴方の子は特別支援学校判定です」と言われたということは「お前の子はバカなガイジなんだ」と言われてるように捉えるかもしれないが、そうではない。その子は特別支援学校で学ぶことが合っているというだけの話である。それによって何ら人格が貶められることはないし、就学相談に携わる人間は誰もそんなこと思ってない。
環境の面でも大きな違いがある。小学校ではクラスの定員は35人だが、支援学級なら8人、支援学校なら6人である。ちょっと考える頭があれば、これだけで雲泥の差とわかるだろう。さらに、支援学校は担任が2名になる場合もある。また、学校の設備面でも、当然普通学校と比べ遥かに充実している。教員免許も特別支援学校用の免許のため、専門的な知識を身につけた教員ばかりなのである。(当たり前だが、普通の小学校には小学校教員の免許しかない人だって当然いるのだ。)どちらで学ぶことが、子供本人のためになるだろうか、子供本人の成長につながるだろうか。
更に言えば、障害のある子供の将来に関してもやはり特別支援学校にはアドバンテージがある。特別支援学校では「作業学習」という時間があり、職業訓練のような事もする。また、特別支援学校であれば、障害のある人でも就職し給料を稼ぐことのできる職場とのコネクションもある。普通校では作業学習の時間はないし、就職支援でだって特別支援学校の専門性には敵わないだろう。
長くツラツラと書いてしまったが、世の保護者に言いたい。自分の子に障害があり、特別支援学校や特別支援学級で学ぶことを薦められたら、どうかその通りにしてあげてほしい。教育や発達に関してある程度知見を持った人が何人も集まってそういった判断を下しているので、それを無視して無理矢理普通のクラスで学ばせることは、本当に子供のためにならない。親のエゴでしかない。親のエゴで普通学級に入り、理解が難しい授業を一日6時間聞き続ける生活を何年も強要しないでやってほしい。その結果(必ずしもこうなるというわけではないが、一例として)小5小6や中学生になっても九九の3の段も言えなかったり、小3になってもひらがなの50音が読めないような子を生み出さないでやってほしい。その子たちは、その子たちにあった環境で勉強していれば、もっと伸びることができたかもしれないのだ。
親のエゴで普通の学校に通わされ、勉強が十分身に付かず年だけくって卒業していく子供のこれからの人生における苦労を考えると、気の毒としか言いようがない。
https://anond.hatelabo.jp/20230405014333
ナタリーの記事から久しぶりにはてブのコメントを見に行って、この記事を見つけて思い出した。
数年ぶりの生Perfume楽しみにしてた さいたまアリーナ初日、開始から嬉しくて感動で放心していた。
途中のMCで宮城の話があって、最初はうるうるしながら頷いていたけど
とにかく長いMCで、3人ほどの体力がないため立ってるのがとってもしんどかった。
「皆の声を聞きたいからインスタを始めようと思うけどみんなはどう思う?」って話をしてくれたけど
目の前のファンが長時間ずっと棒立ちのまま耳を傾けていることには配慮できないのかな
「見捨てんでね」も個人的にはあ~ちゃんらしくてかわいいなと思うし
これからも楽しみな3人なので離れようとは思わないけど
昨日オリックスと巨人の試合を観に行ってきたんだけど、京セラドームなのに巨人ファンの方が多かった(体感で)
平日だし関東から来てる人は少ないだろうからアレは関西にいる巨人ファンの人たちなんだと思う
なんというか、カルチャーショック
私が子供の頃は、大阪住んでて巨人好きって言ったら驚かれるし、「普通阪神やろ!」って言われるのが当たり前
今楽しんでる人は見ないで欲しい。
ただ、寂しくて虚しくて思い出を消化しきれず吐き出したかったので、ここに書かせてください。
発足当初からYouTubeを見てドキドキして、どんどん盛り上がるコンテンツに一喜一憂しながら、新宿の電光掲示板を眺めて次の日のニュースを見て「なんて大きなコンテンツなんだ、楽しい」とすごく心が潤うような日々だった。
推しが可愛くて、ポップで、推しの横にいる2人は少し変だけど3人とも大好きだった。
グッズも沢山買って、毎日眺めた。
誕生日もお祝いした。ライブも行った。キラキラした毎日だった。
話が進むにつれて、推しの死が近くなった。
血を吐いたり、雑に扱われたり、悲しい思いをし始めた。何かある子だとは思ってたけど、まさか物のような扱われ方をするとは思わなかった。
命をかけて戦うこの子を勝たせたいと思って、CDを沢山買った。次こそは、笑って王座に座って欲しいと。
頑張れ、頑張れと。お金でしか応援できないから必死だったけど、死なないで欲しくてとにかく応援した。
勝てたのに、あまり嬉しくなかった。
優勝したあと、米が作られた。
優勝曲ができた後、特に何があるわけでもなかった。
自分が注いだお金が、嬉しいと思える使い方をして貰えないと感じてしまった。
中王区の曲が作られ、悔しくもかっこよくて、もうダメだと思った。
私にとって彼女たちは敵だった。
未だに推しは苦しんだままで、救われてるのかどうかも知らない。
燃え尽きるほどCDを買って、悲しくなるほど還元されなくて、もうダメだと思ってしまった。
本筋の話は辛い。漫画は絵が受け付けず、話もどんどん辛くなり見れなくなった。
他のコンテンツで楽しんでいる友をみて、自分を不健康にしてしまうコンテンツを真っ直ぐ見てはいけないと思った。
アイドルの握手会付きのCDとは違い、2次元は体感出来る還元がされにくい事も理解していたつもりでした。
麻天狼を好きだった方々が「あんまりだ」と去っていった理由もわかりました。
.5舞台も、初期メンバーが好きだったので私はもうターゲット外です。
これ以上忌み嫌いたくないのでコンテンツを見ることを辞めました。
虚無感でいっぱいです。泣きながらアルバムやグッズを駿河屋に送りました。それなりの金額になって返ってきて、虚しかった。
小さなころ、無口ながらいろいろなことを考えていた。
氷とか使わないのに扇風機の風が冷たいのなんでだろう。
とかね。
親や先生に質問することもあったが、自分の中にある疑問が多くてしつこく聞く癖があったので、邪険に扱われてからは図鑑などに当たるのがほとんどだった。
ばあちゃんは聞くだけ聞いてくれてた。
ある夜、確かアニマルプラネットを見ていて、のび太が夜中にトイレに行き、おしっこした後ブルルルっと震える描写があって、弟が大笑いしていた。
あのゾクゾクっとする感じは寒い時に震える感じと似ているな、
つまり寒い時には体を温める為に筋肉を動かすのが効果的だろうな、
とめどなく考えていたら、弟が「なんでブルブルすんだ?」と呟いた。
弟を抱いてるばあちゃんに、考えたことをかいつまんで伝え原因を聞いてみたら、
そうか、やっぱり違う仕組みなのかと仮定を改めようと考えたが、明確な答えを持つのは思春期までかかった。
図鑑と先生と家族以外に、図書館と(ごく偶に)テレビが好奇心の水先案内人になってくれたお陰だった。
アラサーで最近一人暮らしを始めたが、自分が意外と寂しがり屋であることに気づいた。
家に常に一人ぼっちでいるということは、適性がないと意外とつらいものだ。
家族仲がそれほど悪くもなく、それなりに日常会話をしていた家から出てきたからというのもあるかもしれない。
こうなると恋人と同棲なんかをして一緒に過ごしたり、なんなら結婚なんかも考えたいが、これまでの人生でそういった浮いた話とは一切無縁だった。
自慢っぽくなってしまうかもしれないが、自分はいわゆる「陰キャ」に分類される存在だが、それなりに幸せな人生を送ってきたという自負がある。
細かい病気やけがはしたものの、なんだかんだ今まで健康で生きてきている身体を持っている。
友人は多いわけではないが、心から信頼できると胸を張って言える仲の相手が数人いる。
仕事も中学生のころからあこがれていた業界に入り、出向という形ではあるものの、業界でトップクラスの会社で働き、年収も同年代平均より上。
趣味もオタク的なものだが充実しており、休日は頻繁に出かけている。
しかしこれまでの人生、驚くほど「恋愛」というものに縁がなく、街中で見かけるいわゆる「カップル」などはどういった経緯でそのような関係になったのか想像すら追いつかない。
これで「自分は恋愛には興味がない」などという人間だったら納得がいくかもしれないが、全然そんなことはなく、幼いころから思春期までもそれなりに片思いを重ねて、「恋人がほしいなぁ」などといまだにほざくような人間で、そのすべてを空振り続けてきたのである。
たまにネット上などで見かける、「恋愛経験が無い奴は人気者やほとんど話したことない相手を狙ったり、高望みしすぎる」などという論説については、好きになる相手による話なので、あてはまるときももちろんあったが、クラスカースト的に自分と同格(と言っては相手に失礼かもしれないが)で、それなりに親しく話をするような相手だったこともある。
それでもたったの一度ですら成就するという経験を経ることはなく、現在に至ってしまっている。
もちろんこうなる原因は自分や自分のいる環境に何かしら原因はあることはわかっている。
顔や身長など、体質の自分ではどうにもならない部分や、性格・身だしなみ・ファッション・出会いの場などの努力次第でリカバリーできる要素など、思い当たることはたくさんある。
自分もいろいろ試して改善できないかと奮闘したことがあったが、実を結んだことはない。
どう変えていけばいいかなどという答えは、当然ながら恋愛には存在しないのである。
思えばこれまでの人生、好感を得るだけであればそれなりに経験してきているが、「恋愛対象」に入った経験は無かったかもしれない。
もちろん、体感なので相手の方が内心では入っていたなんてことがある可能性も0ではないが、少なくともそれが伝わってきた経験は0だ。
親切に接する、それなりに楽しく過ごすといったことはあっても、相手からは子供か老人と話しているような気分になっていたことであろう。
そんなだから好きな相手がいつの間にか恋人を作っていた経験も少なくない。
そんな人生を送っているうちに「学校」という「何もしなくても多くの出会いがある場所」を卒業してしまい、社会に出ることになった。
社会人生活の忙しさや、それと引き換えに得る金銭的、社会的な自由さを言い訳に、恋愛のことに目を向けるのを先延ばしにしてしまった。
これはそれなりに後悔している。
そもそも一人暮らしを始めるのが遅かったのもあるが、この年になって急に「寂しい寂しい」言い出してしまっては、気持ち悪いだけである。
そうは言っても寂しいのは事実なので、パートナーを探したいが、周回遅れな現状では、何か行動を起こさなければ出会いがあるわけがない。
こんな時に友人を頼れればいいのだが、残念ながら類は友を呼ぶとでも言うのか、恋愛遍歴でいえば似たり寄ったりなので参考にならない。
結局出会いを探したいのだが、そう思うたびにこれまでの恋愛がかすりもしなかった人生が、「お前に恋愛は無理だ」と鎖のように巻き付き、一歩踏み出すのを妨害してくる。
誰でもいい、どうか背中を押してほしい。
「大丈夫だからやってみろと」という根拠のない励ましでもいい。
「こういう方法で出会いが探せるぞ」という具体的なアドバイスでもいい。
「似た経歴だけど自分はこうして恋愛ができた」という実際のエピソードでもいい。
どうか一歩を踏み出すきっかけを作ってほしい。
強がるのはやめて、「寂しい」「恋愛したい」と声をあげるから、助けてほしい。
これまでの人生での恋愛を取り戻すなんてことは無理でも、これからの人生に希望を作ってほしい。
【追記】