はてなキーワード: 交通とは
というようなことが書かれていた.初めて見たので少し驚いたけれど,警察署へ持ってこいというのだから警察を騙った第三者によるものではなさそうだ.
しかし2018年しては全体的に素朴というか,利用目的や第三者への提供の有無のような,集めた個人情報がどう取り扱われるかについての説明があまりにあっさりしている.
ということで少し調べて見た.
ということであった.封筒に入っていた記入票にも同じようなことが書かれており,それ以上の情報はないという感じ.
このところ個人情報を求められる場合,必ず個人情報取り扱い同意書というものがセット出てて来るようになってきた.聞くところによると個人情報保護法というのが背景にあるらしい.
http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/gyoukan/kanri/question02.html
総務省のページを見ると,
保護法は、内閣に置かれる機関や会計検査院を含む国のすべての行政機関を対象としています(第2条第1項)。
同じく行政主体であっても、地方公共団体については、保護法の対象機関ではありません。地域の特性に応じ、別途それぞれの条例によって、個人情報の取扱いに関する規律が定められることになっています。
また、同じく国の機関であっても、立法府である国会、司法府である裁判所については、三権分立の観点からそれぞれ実態に即して自律的に必要な措置を講じることが求められるので、保護法の対象機関には入っていません。
とある.今回は渋谷警察署からの依頼であったので,東京都公安委員会が管理してるってことであってるのかな,地方公共団体だと思うので,保護法の対象機関では無いっぽいです.
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a189150.htm
過去に衆議院でやりとりがあったみたいで,そのような情報が出てきた.きっかけは2015年に起きた警察官による犯罪で,巡回連絡カードが悪用されたことのようだった.
ここでは3点質問されていて,
一点目と二点目の質問については,「各都道府県の個人情報保護条例等に従って行われているものと承知している」というのが回答で,三点目については「一般論としては,刑罰法規に該当するか否かは,個別の事案ごとに判断されるべき」ということだった.
なんだかふんわりしているけれど,回答してるのが内閣総理大臣なんだよね.で,警察庁なら内閣府の国家公安委員会になるけど,巡回連絡カードは警察署がやってるやつだし,そりゃふんわりするのかなという気持ちになる.
じゃあ言われている「各都道府県の個人情報保護条例」ってのがどうなってるのかなって話なんですが,
http://www.johokokai.metro.tokyo.jp/kojinjoho/gaiyo/toriatukai.html
東京都の場合はここにありました.用語定義の実施機関に「警視総監」とあるので間違いなさそう.
このページをざっと見た限り,「犯罪の予防、鎮圧又は捜査、被疑者の逮捕、交通の取締りその他の公共の安全と秩序の維持に係る事務」であっても「個人情報を取り扱う事務の目的を明確にし、目的達成に必要な範囲内で、適法かつ公正な手段により個人情報を収集します。」ということなので(第4条),今回受け取った巡回連絡カードはふんわりとした利用目的と,明確じゃ無い利用範囲ということで,グレーなのでは...? という気持ちになるのですが,専門家じゃ無いのでイマイチ自信はありません.
http://www.metro.tokyo.jp/privatepolicy/index.html
上で参照した東京都のサイトにプライバシーポリシーはサイト全体に関してのものとして普通な気がする.まあ妥当なのでは...? 普通こういう感じだよね...
我々には日大のタックルすら想定できないのにこんなやつの存在に会わずに想定できてたまるもんかみたいなところあるので積極的にエビデンスを提示していくべき
主張が矛盾しているかは微妙だが、二つのブコメは繋がっていることが分かる。
前者のブコメで「避けない人」って表現してしまったのが効いてるな。
「ぶつかられた人は避けないから」って前提で主張してしまっている。
前向きに解釈するなら、「避けない結果、ぶつかってしまったケースもあるだろうに、ぶつかってきた人間だけをあげつらうのはフェアじゃない」みたいなことを考えて発言したのかもしれない。
事情を把握していない状態だから、とりあえず(自分の中で)バランスの取れた意見を出したってところだろう。
で、二つ目のブコメで「こんなやつの存在に会わずに想定できてたまるもんか」といいつつ、「積極的にエビデンスを提示していくべき」といっている。
要は「自分はこの問題について無知で無理解だけど、それは周りがエビデンスを提示しないから」って言ってるわけだ。
なので俺の分析結果では、b:id:shikiaraiの件の二つのブコメは矛盾はしていない。
結局、よくも分かりもせず安易に発言したという、ブクマカ界隈では珍しくなくて問題とすら認識されにくいパターンだな。
車でケツピタされるみたいに、ぴったり後ろついてくる変な奴もいるよね。睨むと驚いた顔するのが面白い。弱そうな奴にマウント取る奴は、そいつも弱いから遠慮なくやりかえすといい。喧嘩になんかならないよ。
目の当たりにして目が覚めた。こいつにぴったり張り付いてどこまでも付いていきたい。最高の恐怖を味わわせたい。(キチガイ脳)
むしろ一貫している。
どちらのブコメも、「畜生共には何らかの私刑行為をしたい」っていう精神からくる主張。
ただ、その方法が「自分がやられたら嫌なことを相手にもする」という、ぶつかってくる人間と同レベルの畜生行為って点が気がかりだな。
なので最後に「(キチガイ脳)」とつけて自嘲気味に語ることによって、バランスを取った風にしているわけだな。
ただ、私刑行為の是非について、結局この人物はそういうものを肯定的かつ好意的に見ていることは二つのブコメから容易に読み取れるので、結局は畜生だな。
俺が歩道の端を歩き、向うから並んで歩いてきた三人組とすれ違う直前、その三人組を早足で追い越した女性が接触して通り過ぎていった。きっと、Twitterに『わざとぶつかってくる人」とかPOSTしてるんだぜ。
満員電車・混雑した駅が悪い。駅は入場料を取り、一人ひとりリッツ・カールトンで研修したコンシェルジュサービスを。1人、1回1ビットコインくらい払えば賄える筈。電車も空くね!
ポイントは、「その差異が主張や、是非の原因を変えるほどのものか」という点だな。
それを踏まえると、前者のブコメはポジショニングトーク&被害妄想。
明らかに不適切な発言になるが、少なくとも主張は一貫はしていることになるよな。
或いは後者のブコメに合わせて、前者のブコメが「交通を最適化しない政治が悪い」みたいな主張にしても一貫はしているな。
分析結果としては、「そこまで深く考えてブコメはしていない」ってところ。
こんなにぶつかられたって話は多いのにぶつかる人の話が極端に少なくて本当に実在すんの?って感じ。ぶつかる方は悪気ないからぶつかるんだろうしふつーに発言してそうなもんだが
前者のブコメで「本当に実在すんの?」と書いておいて、十数日後のブコメには「だからいるんだって!!!」って。
「だから」とつけるだけじゃなく、「!!!」とビックリマーク3つもつけて強調している。
「そこまで深く考えてブコメはしていない」ってパターンだとは思うが、それでもブクマカの主張って「解釈によっては、屁理屈をこねれば矛盾してなくてもない」くらいのものが多いんだよ。
ベクトルが異なるだけで、理屈は違うが主張自体は一致しているってケースも多々ある。
なので、ここまで見事に矛盾している主張は、わざとやってるって考えた方が自然なレベル。
でなければ十数日の間によほどのことがあったのか、アカウントは同じだが違う人が書いたのか。
そういえば、元増田は“比較”しているだけで、矛盾を指摘した内容とは限らないことに、ここまで書いてから気づいた。
まあ、目的が何であるにしろ、ネット上のこういうプライベートに片足突っ込んだような、パブリックな場での発言って見てるだけでも時間潰せるよな。
個人的には、こういう指摘をしたときに出てくるブクマカの駄弁の方が、人間の本質が滲み出てて好きなんだよねえ。
政治屋の駄弁を洗練させたみたいで。
これからも、こういう叩き台はどんどん出して欲しい。
ちゃんと人の書いたことをよく読んでいないのかな?それとも、意味を理解できていないのかな?
轢かれたくないなら交通法規をまもりましょうね、または自動車を利用しなければいいし自動車が走っているところに行かなければいいですよね、ということ。
SNS社会の宿命なので、一人ひとりが私刑をしようと思って発言してたりするわけじゃない。
車が発明されたから自動車事故で死ぬ人が増えた、ということと現象としては同じ。
車の便利さを享受する以上交通法規は守りましょう、というのと同様。
ネットが出来て誰でも気軽に発言やコミュニケーションが取れるようになる便利さを手放したくないなら、監視的な社会であることを受け入れて、より倫理的であろうとするか、私刑的にインターネット上であげつらわれることを無視・許容するしかないと思う。
色んな人がそれぞれ勝手に好きなことを言い放つことができる世の中に、もうなってしまったからねー。便利になったもんだよ。
例の監督やコーチのところにわざわざ出かけて行ってたこ殴りにしたりリンチした、ということであれば、それは確実に私刑だし暴行傷害に問われるべきだとは思う。
前置きしておくと、この文は後ろ暗い心持ちから生まれた文です。なので、読んでスッキリ、なんて読後感をお求めの方は別のページへと向かう方が良いでしょう。
この文の目的は、復讐…とまでは行かないけれど、私の知らないところでいいから、あの人に報いがあればいいな、という小さな期待。それと、結局、一体誰が正しかったのか?という答え合わせをしたいという願望です。
だから、もしお読み頂けるようでしたら、叱咤でもなんでもお言葉を頂けると幸いです。
まとめると、全てのタイミングが悪かった、という話です。
部署異動のタイミングで、家族の介護をせざるを得なくなり、やむなく退職を願ったが上司に引き止められ、一ヶ月後、無理がたたって自殺未遂をして辞めることになった、と。
私の昔の職場は、日本でも有名な観光地です。都心としては少し外れたところにあり、昔はそこまで発展はしていなかった場所のようです。ですが施設が出来てからは、大きく様変わりし多くの人で賑わうスポットになった…そんなとある観光施設です。今では交通の便も悪くありませんしね。
観光施設、というと明るく朗らかなイメージがあるかもしれません。実態は日本有数の観光地、という看板を背負えども、小さないざこざが絶えない職場でした。
それと、世の中どこもそうですがここも慢性的な人手不足。なので、応募があると即雇う。なので少し問題がある人でも雇うため、さらに人間関係がこじれるこじれる。
接客の案内部門にいた私は、前々職の経験を生かせるかも、と軽く話していた別部署に急に異動することになり、急遽販売部門に異動になったのです。
まあ、前職の経験もあるし、きっとやっていけるだろう。
そう思ってたんですが、ここで2つ問題がやってきました。
異動先があまりにもギスギスしていて、私はそこに溶け込めなかったんですね。
教わっていない事を聞くとなぜ知らないのか詰問されたり…なんというか、新人を受け入れるだけの余裕も無く仕事が忙しい、という部署でした。
それと私自身、ミスも何回かしたりして…本当に申し訳ない日々でした。ただ、そこから虚偽の失敗の報告を入れられたりするようになり、職場でどんどん孤立していきました。
噂では、職場の圧力が強くて退職していく人が多い、とは聞いていましたが、それを実感するとは、思ってもみませんでした。
そしてもう1つが、そう、介護です。
父方の祖父が急にボケ始め、体も衰え寝たきりに。共に住むのは叔母ですが、私も流石に手伝いに行かねばならなくなりました。
介護って聞くよりも本当に大変でした。
なので、ここでは詳しくは書きませんが、介護士というのは本当に慈悲深い方にしか出来ない仕事だと実感しました。
それと、父が祖父の姿を受け入れられなかったのか荒れるようになり。前から粗暴な人でしたが介護を強制するために暴力を振るうようになったのも困った点でした。
そんなわけで急に介護をせねばならなくなったのですが、仕事の都合があまりにも悪すぎる。
ざっくり早番と遅番の2パターンのシフトで出勤せねばならないのですが、
早番だと始発で家を出て、夕方に帰る。
遅番だと昼頃に家を出て、終電で帰る。
しかも契約社員だからバイトのように選択権がない。なので、どうしても休みたい日3日以外は選ぶ余地もなく、上司の采配次第、という状態でした。
もーこれはあかん、そもそも仕事だけでも体内時計狂いまくりなのにそこに介護なんて無理だ。こんな職場もう辞めたいし、もう無理。
そんなわけで上司に相談をしたところ、その上司の方からのお答えはこうでした。
私だって子育てして仕事して、二足の草鞋を履いてるの。他の人だってそう。でもみんな普通に生活してる。介護ぐらいのこと、どうしてできないの?このくらいのことを普通に出来ないの、本当に心配だよ?
それは心配の皮を被った、もっとおぞましい何かだと思いました。
私は普通に満たせていない。その言葉がどうしても怖くて、私は辞められませんでした。
心配なのは、私のことではなくて、人手不足な職場の方なんだろうな、とはわかっていても、普通に生活が出来ていない、という言葉がどうしても怖かったのです。
そういって退職は取り下げたものの、結局は、その一ヶ月後に退職をすることになります。
睡眠不足の朦朧とした頭で、祖父の崩れていく姿と、介護を強制するために受けた父の暴力と、職場の陰口の数々と、そして、普通に生活すらできないのだという烙印。
全部が入り混じれば、なんだか、簡単だったのです。
腕に、切れ込みをスルリと入れるくらいは。
あんなにまとまらなかった退職が、腕の傷一つでこんなにスルスルまとまるなんて。
ホッとする反面、ああ、これでついに私は普通の人間にはもうなれないんだ、という諦めがやってきました。
この職場で働くことを夢見てたのに。
なんで、こんなことになっちゃったんだろう。
自殺未遂、だと人に知られると辛いよね?だから、あくまで君からの依願退職って体にしておいてあげるね。
その上司の優しさもなんだか申し訳なくて、何もかも裏切ってしまったようでいたたまれなくて。
そんな失意の中、私は前職を後にしました。
あんなに辛かった職場から離れ、今は穏やかな社員に囲まれた、緩やかな仕事で生計を立てています。
私がその後、父の暴力に耐えかねて、家を出たことで介護人員がいなくなり、仕方なく父も祖父を施設に入れることに了承。叔母の負担も減り、祖父もきちんとした処置を受けることができるようになり、丸く収まりました。
金銭負担がかかるため、父は私を探しているようですが、警察と役所に保護されているため、私の戸籍や住民票を、父は見れません。私は父からすればほぼ失踪したことになっているのです。
あんなに辛かった仕事とも、家族とも縁を切り、今、ようやく穏やかな生活を手にしました。
何も過不足ない日々。けど、ようやくそこへたどり着けたからこそ、今になって昔の日々への怒りや疑念が募ってしまって仕方がないのです。
どうして、私は職場であんなに冷遇されなくてはいけなかったんだろう。
どうして、普通ではないとまで言われなくてはいけなかったんだろう。
あの日々は、自分ばかりを責めてたけど今になって周りも十分におかしかったんじゃないかと思えてきて、腹立たしくて仕方がないんです。
冷静に考えると依願退職にされたのも私のためじゃなくて職場の問題だと思うし。
接客運営を業務委託されてる身だから、クライアントに自殺未遂した社員がいることを知られたくなかっただけじゃねーか、と今になって気づいてそれも腹立たしい。
何もかも捨てた私は、やっぱり、ダメなやつなんでしょうか。
それとも、周りもどこか、おかしかったんでしょうか。
私サイドの話しかしてないから、中立的に見ることは困難だとしても、何かしら他の人の話を聞いてみたいんです。
昔はずっと私が悪いんだと自分を責めていただけだったし、今になっておかしかったのでは?と疑念を持ったので、何が正しくて何がおかしいのか、自分でもわからないんです。
それに、今でも前の職場がやっぱり好きだったから、辞めざるを得ないほどに弱かった自分を今でも時々責めてしまうのが辛いんです。
もっと、日本有数の観光地という稀有な場所で経験を積みたかった。
そう思ってしまうのです。
毎年十数人ほどスタッフが心を病んで退職していく、とは聞いていたけどまさか自分がそれに当てはまるとは思ってもなかった。
時折、東京の街を歩いていると、前職の建物が目に入ることがあります。
その度に、期待を裏切ったこと、職場の悪意、介護への負担、自分への落胆、あの辛い日々の全てをないまぜにした得体の知れない感情が心の中に生まれるのももう嫌なんです。
私、どうやったら楽になれるんでしょう。
私、どうやったら元に、普通に戻れるんでしょう?
なんかまだコメント欄で議論が続いていいるようなのでコメントを。
https://togetter.com/li/1227347
個人の権利を重視する立場と、行使される権利の総量を重視する立場の対立に見える。
交通で例えると、自家用車を所有している人が都心などの混雑が予想される場所に車で出かけることに対して、個人の権利を重視する立場からそのような行為を規制する法律はないなどと擁護する立場と、渋滞することが予想されるのだから公共交通機関を使うことを勧める立場。
当初、2次創作であった漫画を1次創作に変更して商業出版することも別にそのこと自体はとがめられることではない。でも、名前だけ変えればいいんだという認識が広まってしまうと、ファン活動とは言い難い2次創作が広がって、権利元が態度を変えるかもしれない。だから、一旦、2次創作として出した以上は商業出版にするべきではない。
こういう、総量が問題になる件に対処するのに、法律とか権利とかルールって、あまり役に立たない。権利元が、年間に数冊くらいなら2次創作ベースの商業出版があっても許容範囲だと思っていたとして、それを具体的なルールとして文章にすることができない。2次→商業をOKですと明文化してしまうと出版数を制限することができず、2次→商業をNGですと明文化すると年間数冊なら許容範囲なのに過剰な規制になってしまう。
結果、空気を読むとか、ファン活動の矜持とか、学級会みたいな話になる。今回のこの本については、かなり著作権的に白いから、商業出版しても大丈夫なんじゃないかなとは思うけれど、2次から商業に移すことを一律自粛するのも、安全運転に徹するという意味でありうる立場ではある。
モヤモヤするなどといった、個人的な悪感情をTwitterに投稿すること自体、汚い言葉を使わずに抑制的に行えば別にとがめられることではない。でも、その不満の感情がたくさん集まって、作者の目に触れる規模にまで増えると困るから自重しておいたほうがいい。といった風に、総量規制を主張している点か。
あぶなくない?
[追記]
[追記]
あとこれも単純な疑問なんだけど、「今日は飲んで帰りたいなあ」って時はどうしてるの?
[追記]
今現在山手線で10分通勤はいいとして、これまでの人生で電車通学とかしたことないのかしら。おれは学生時代の浅草橋~上野簡のJR通学5年でもう電車通勤はしたくなくなったよ
Pokopon 田舎では、公共交通は中高生の通学か高齢者の通院用。生徒証か診療券がないと乗せて貰えんから、しようがないんだよ。追記:あんたも外国のパスポートがなくバスに乗せてもらえず、百万遍まで自転車で通っただろ。
パスポート?バスに乗せてもらえない?ちょっと分からないですね…
横だけど、
・どこに言っても観光客だらけ
・不注意な歩行者(観光客)、交通ルールお構いなしの自転車、大量の観光バス、大量の路駐、乱暴な運転、慢性的な渋滞、それに伴って路線バスは自転車より(区間によっては徒歩より)遅い、など交通事情が非常に悪い
・人が集まるところはどこでもそうといえばそうだがチンピラみたいなのがたくさんいる
その一方で、日常と非日常が混ざりあったような京都独特の雰囲気とか、街がコンパクトで自転車でどこへでも行きやすいこととか、文化的な刺激が多いこと、学生が多くて街に活気があることなど、他の都市にはないような魅力がたくさんあるのも京都という街なんだ。
・キャッシュオンリー個人店、駅ナカカフェ、コンビニの経験による主観
ニコニコ現金払い!間違いを許してくれるならどこも楽よ。締めは地獄だけど。短期でやったデパートはめんどかったなぁ…。
デビットカード含むカード類はマジで操作がだるい。一番進んでるのはコンビニ。ボタン押してカードスラッシュのみ。超楽。
問題はカフェ。まずレジとカードの決済機器が別。お会計は、レジで計算→カード機械に金額打つ→同僚確認→決済→レジも決済→レシート確認。だる。現金のが楽だし早い。
ただし、1番間違いはないと思う。
これもコンビニは楽。ボタンピ。コンビニでは交通系使ってほしいな〜というクソバイトからの要望。チャージもできるよ。
ただし、駅ナカカフェ、テメーはダメだ。なんで駅ナカなのにレジと一体になってないんだよ。これも金額別打ち。たまにミスって返金対応。店長に報告。しかもチャージできない仕様〜。さすがに変わってるかもしれないけど。
私がやった中では対応してるのコンビニだけ。よく聞き間違える。カードの前に滑舌の準備をお願いします。クイックペイは一発でわかるよ。
ナナ○とかワ○ンとか。非対応の出されて文句言われる率高い。決済は楽。タッチする際には重ねないでくださいね〜というお願い。
apple payとかそういう。アレ、お客さんのほうがだるくない?暗証番号で引っかかる率高し。
駅ナカカフェがだるかっただけかもしれないけど、全部コンビニ仕様にしてくれないとキャッシュレスって進まないんだな〜って思った。偉い人、統廃合お願いします〜
https://www.asahi.com/articles/DA3S13469934.html
https://www.asahi.com/articles/ASL4V5G1BL4VUTIL02X.html
学校長らは、自治体がおこなった災害時の被害想定も疑い、独自の危機管理マニュアルをつくり、実践して、子どもを守らなければならない――
大川小は、市がつくったハザードマップでは津波の浸水予想区域の外にあった。高裁は、たとえそうであっても、学校はその信頼性を検討し、津波を想定した避難計画を立てるべきだったと指摘。市の教育委員会も指導を怠ったと結論づけた。
高裁判決にあるように「ハザードマップの信頼性を疑ってまで避難計画をつくれ」、となったら、学校だけの問題じゃ済まなくないか?
だって、いざというとき、地域住民も行政のハザードマップに書かれた避難場所を信じて、学校に避難してきてしまうわけだから。
実際、地震直後、50名ほど住民が学校に集まってきているよね。
もしかりに、高裁のいうように、学校が自治体防災担当が示すハザードマップおかしんじゃね?といって学校が独自の避難マニュアルつくってたとしたら、一体どうやって自治体の防災担当と学校は協力するの?
住民は学校に避難しに来る一方、学校は児童連れて別の場所に逃げますが何か?ってことにならない?
そんなことを想像しただけでも、この問題が学校だけの問題じゃないと気がつくはずですが、高裁の方々はもう石頭だな!
多分、第二審に至る経緯としては、第一審は、現場の教職員だけに責任押し付けるの、あんまりだな、ということから、組織としてどうなのよ、というところから始まっているんだと思う。だから、現場の先生方の過失だけではなく、学校の事前防災・防災体制に問題があった、という結論に持っていくストーリーを考えようとしたんだろう。
でも、そこで高裁は、学校組織としてのあるべき理想的な能力を過大に見積もってしまったんじゃない?
ハザードマップ信頼性疑うって、そんなに専門知識もなく簡単にできるの?それぞれの学校がやるべきことなの?
市のハザードマップで大川小は津波の浸水想定区域外だったが、「校長らは市からの情報も、独自の立場から批判的に検討することが要請されていた」として、立地条件などを考慮すれば津波被害が予想できたと述べた。
学校独自に検討しろっていうのがおかしいのに加えて、求められる能力高すぎない?
児童を全力で守るっていう妄想を胸にいただいて高邁な理想を掲げすぎてない?
そんなことが出来るほど、国や自治体は防災に関して教職員研修やっていたの?当時?
というか、そのハザードマップの再検討って、むしろ県の防災担当がやるべきことじゃない?
ハザードマップがその当時の科学的知見に沿って見直されていれば済む話だったんじゃないの?
市は国や県の想定をもとに避難計画をマップに落とし込むのが責務だったんじゃない?
そうやって国や県、市の役割について交通整理をしておかないと、何を根拠に計画作っていいいかわからなくなるじゃない。
計画のすべての根拠となるリスク分析は、国や県の責任でやってくれよ。
そう考えだすと、次の上告審のテーマは、第二審で学校や市の教育委員会だけに責任押し付けたのあんまりだから、
事前防災や学校危機管理計画推進の監督指導・人材育成を怠った国の責任追及だってことになるの?
じゃあ、どうすれば、ということだが。
・避難計画は、行政の知見を前提とし、区域外で災害発生したときの責任はその場の防災管理者の責任ではないことを明確にする。
・学校が行政のハザードマップ疑うときは行政・保護者・住民でリスクコミュニケーションをする
・保護者も避難計画づくりに参画させてフィードバックをもらう。念書をもらえという冷ややかなやり方は責任回避と受け取られるから注意しつつ。
これだけを最低限、しっかりやっておけば、いざ犠牲者がでたとしても「先生のいうことを聞いていたのに」という被害者感情を多少は和らげることができる。