はてなキーワード: ロックアウトとは
経済政策が上手く行って上り調子の国であるなら、それがどれほど抑圧的で国民の人権に無関心であっても支持される、というリアリスト様の格好の実例になってたんだけど、そういう国だといざという時に平気で国民に死ねと言うんだなあと言う事もわかりやすく示してくれる。
日本はリアリストの右翼様が一貫してマジョリティであり、政治を支配してきた国である訳で、今は「リベサヨ」がまだうるさく文句が言える状況だから極端な事は起こらないが、マジョリティからは憎まれてだんだん衰退してるのも確かなんで、近いうちには「中共よりも冷酷」って言われる国になるんじゃねえかなと思っている。
https://anond.hatelabo.jp/20200402110034
今も根本的には考えてる事は変わってない。
変異型も入ってきていて、感染者の多数は無症状のキャリアであるということから
多くの人が通勤をしている現状では、いかなる措置も一時的な効果しかないし無駄なあがきとしか思わない。
実際、新規の患者が一番多いのは家庭内感染なので、選手やスタッフを日本国民と接触が最低限しかない様に隔離して開催する分には
五輪をやろうが、やるまいが、そこに大きな違いがあるとは思ってない。だから、どっちでもいい。一番、止めるべきは一般の日本人の移動だ。
その為には、罰則付きのロックダウン以外の有効な手段はない。しかし、今や時は遅くて、めちゃくちゃ効果がある訳ではない。
やるなら、一年前に増田に書いた2020年4月にやってほしかった。
今の緊急事態宣言は、所詮はワクチンを打つ(集団免疫獲得)までの間の時間稼ぎにすぎないのだろうけど、経済的損失とのバランスが取れてないと思う。
ワクチン自体は海外のものを当座は使うにしても、国産の開発は進めたい。EUやアメリカで変異型感染が拡大して輸出規制を強化するかどうかに振り回されるのは困る。
現状ではアンジェスのDNAワクチンが治験500人という状態なので、最終的な承認を得られるまでには数万人必要という事を考えたら
今の感染者数の少なさでは国のサポート抜きでは承認に至るまでは長期の時間がかかる。ウイルスの特性からして、そのうちに日本国内でも変異して
なんかしらの変異型が出回る事は100%確定しているのだから、アンジェス(DNAワクチン)、第一三共(mRNAワクチン)、塩野義(VPLワクチン)と
臨床試験段階にあるワクチンの開発は加速させておくべき。特に臨床試験が十分に出来ない問題は大きい。(まぁ感染拡大すれば自然に解決するけど
日本国内で変異型が誕生する未来に備えて、罰則付きのロックダウンが出来る法的な準備はしておく必要がある。これは不可避でしょう。
通勤している社員がいる以上は無症状キャリアがばらまくウイルスが、完全にゼロになる事はないし、ウイルスが変異するのはだれにも止められない。
家庭内感染して、子供が学校でばらまくし、罰則がないのだから出勤も外出も、どうにも止めようがない。
定額給付は予想通りに貯金に回されて、ほとんど使われなかった。故に今後も必要ないと思う。
その代わり、飲食業界、ホテル業界を潰さないようにすべきだ。もっと雇用を支えている業種への支援を手厚くしてもいいと思う。
5輪関係者をホテルに閉じ込めて、会場や練習場への移送は自衛隊が行うような事をするならホテル業界へのサポートにもなるし
仮にワクチンの入手が十分としても、ワクチンの接種にあたって医師の数が足らない問題は、簡単には解決できない。
日本は一般病床数に対する医師の数が、各国と比べて著しく少ない。病床が多すぎて、医師が過労状態でないと医療が回らないのだ。
一般病床を減らす必要があるし、厚労省はそのつもりでやってたけど、ずいぶんと反発も受けていたし状況は改善されているとは言えない。
自衛隊から医官を狩りだしても100人も出てこないだろうし、インフルエンザの予防接種よりも長期に渡ってワクチン接種のスキームを回す以上は
毎日60万人という接種人数の維持をすれば、一般の患者にしわ寄せがくるのは避けられないだろうね。来年いっぱいくらいまでかかるのでは。
今政治に求めるのは
というところ。まぁ、こんなのはニュースを追って、自分で調べたりする人なら、みんなそう思ってる様な事だし
政府が認識してないはずはないのだけれど、どうにも邪魔されちゃうからね。これほど正解がみえてる局面でも、それを選ばせようとしない連中が国民の中にもいる。
民間の仕事じゃ愚か者は切り捨てることが出来るが、それが許されん政治家って悲惨な仕事だなぁと思う。
shufuo みんな憲法論をわかってない。罰則付きのロックアウトを可能にする立法が先。それが違憲かどうかは最高裁が判断する。違憲なら憲法改正が必要になる。現状は立法不作為。政府がやりたくないだけ。
さすがshufuo(笑
憲法違反だなんだ昨年は言ってたけど、いざロックダウンの重要性が認識され始め、改憲が必要になればこれ。あと、ロックダウンな。
こんなのに賛同してる当たり、はてな民にとって憲法なんて、まず守る必要のないものなんだなぁ。そんな程度のものなら、さっさと改正しよう。
小森龍邦氏死去、88歳 元衆院議員、部落解放同盟広島県連顧問
解放運動の巨星がまたひとつ墜ちた。私もあと十年生きるか怪しい身である。自分の政治運動に対する考えを少しばかり綴ってみてもいいだろう。
上のニュースの人は、かつて解放同盟の事務方のトップだった方だ。昭和7年に広島県東部の被差別部落に生まれ、中高生の時分から老年に至るまで部落解放運動に携わってこられた。
私が活動していた地域とは遠く離れているが、それでも半年に一度は彼の実家の傍にある、ちんまりとした選挙事務所へ行き、地元産のワインを飲みながら語り合ったものだ。
私などが知己と呼ぶのがおこがましいほど尊敬できる人格の持ち主だった。家族や地域や仲間のためであれば、危険を顧みずに行動する力を持っている。それでいて、思慮深いうえに頭の回転が速く、無謀な策を講じたりはしない。講じるとしたら、背後に確かな計算を持っている。そういう方だった。
それが、こんなに早くにお亡くなりになってしまった。悔しい限りだ。
私の番はいつ来るのだろう。運が良ければ二十年は生きられるかもしれない。運が悪ければ数年後か。その前に、自分の想いを吐き出す機会が欲しい。
さて、表題の意味について。あなた達の政治運動には『迫力』が足りないとは、どういう意味か。
言葉どおりの意味だ。特に、伝統的な分野、例えば労働組合などが挙げられる。昔に比べて弱体化が著しい。
企業ごとの組織率は低下し、労働者の組合加入率も低下し、賃金は下げられ放題、追い出し部屋や希望(半強制)退職の蔓延も放っておかざるを得ない。数十年後には、労働組合というものが事実上消滅していてもおかしくはない。
また、高校や大学など、学校内の自治を求める活動もそうだ。私は元高校教師だが、昔に比べれば、学生たちが自ら声を上げて学校のルールを変革するために動くことは減っている。感覚としてはそうであり、数字においてもそうなっている。悪い意味で、子どもが大人のいいなりになっている。
近年話題になったものだと、#MeToo運動だ。女性がこれまでに男性から受けた、性を主とする嫌がらせを公共の場で告発することをいうようだ。
日本ではそこまで定着しなかったが、本場のアメリカでは著名な人物の一部が職や名誉を失っている。最悪の場合は、裁判により実刑判決を受けることになる。
LGBTの社会運動も、社会の価値観を変革しつつある分野のひとつだ。
大衆消費社会が訪れてそうまで時間も経たない頃から、同性愛者としてのカミングアウトや文学活動、デモ行進や芸能界での活躍、自分たちを侮辱する者に対する訴訟提起(府中青年の家裁判)、ゲイであることを周囲に言いふらした者及びその所属校への糾弾(一橋大学アウティング事件)など、仲間の権利を守るための諸活動を行ってきた。
以前は、映像作品において、同性愛者が精神異常者として描かれるのは当たり前のことだった。子ども向けのアニメなどでもそういった描写があったが、昔に比べればなりを潜めているように思える。批判を恐れて、ゲイやレズビアンの人達を描けなくなっているだけかもしれないが。
これらの成功している政治(社会)運動には、共通する点がある。
相手の痛いところを突いていることだ。
この方針なくして勝利はない。しかし、近年の伝統的な政治運動の類を見る限り、相手の痛いところを見抜くことができる知性、または攻撃する度胸を欠いているように思う。
特に、組合関係の団体がそうである。昔の労働組合は、使用者と刺し違える覚悟があった。
意図的に給与の支払いを遅らされても、当局側が雇った暴力団に夜道で襲われても、工場を社員寮ごとロックアウトされても、それでも不屈の覚悟で戦い抜いてきた。
それが今では、使用者の言いなりとなり、組織から仲間を追い出すための行為に協力している。情けない限りだ。
話が逸れた。
相手の痛いところを突くことの具体例として、昭和40年頃の話をする。私の高校時代の級友の話である。K君とする。
高校二年の時だった。夏の午後の授業中に、ある教師が教室の窓の向こうにある山を指さして言った。「お前らみてみい、あの山にはよっつが住んどる」(※手の指が四本であるという意味)
その教師は、部落に住んでいる人間を馬鹿にしたのだ。当時はまだ、被差別部落で生活する人々と、それ以外との間に貧富の差があった。馬鹿にされやすかった。
どれだけ悲惨な生活だったか、今の生活と対比しながら述べると、家にトイレはなく(集落で共同のトイレだった)、上水道は通っておらず、生活汚水は外に垂れ流しであり、雨樋や排水溝がないので大雨が降ったら屋内は水びたしになっていた。
家族で食卓を囲んだ光景にいい思い出はない。口に出して述べたくないし、思い出したくもない。
さて、その男の言葉に頭にきたK君は、翌日に地域の仲間(私を含む)を連れて職員室に入っていった。K君が連れてきた解放委員会の男が怒鳴ったのを覚えている。「教頭、どういう教育をしとる!」という大声に、周囲に緊張が張り詰めた。校長までやってきた。
その教師に向けて、「そんなことは言ったらいけんど」と説得しようとしたものの、それ以前の問題だった。その教師は、私達の質疑に対して、最後までしらを切り通したのだ。「そんなことはしていない」と言い張った。
このままではK君の立場が危ういわけだが、私にはどうすればいいかわからない。しかし、協力をしたかった。
また翌日、K君は教室の中で証言者を探すために、級友の前で声を上げた。「このままでは俺は嘘つきになってしまう。証言をしてくれ」と皆に伝えた。が、私ともう一人か二人以外に協力者は出なかった。
次の日だった。今度は、級友一人一人と話をする作戦に切り替えた。校庭に級友を呼び出し、どうして協力してくれないのか、と訴えたのだ。それでも駄目だった。みな、「それは勘弁してくれ」と言うばかりだったという。
さらに次の日、K君は50枚ほどのA6程度の大きさの小紙を持ってきた。それを級友の一人一人に渡して、「これに証言を書いてくれ。後で預かる」とお願いして回ったのだ。
翌週、K君は再び、地域の仲間と、同じ地区の解放委員会の役員を連れて校長室に入っていった。私は外で待っていたが、勝利を確信していた。K君は、20枚以上はあろうかという紙の束を持っていたからである。
その年度の末をもって、その教師は異動になった。県内の一番端にあるエリアに転勤していった。彼はまだ赴任して2年目だったことから、今回の作戦が功を奏したとみていいだろう。
この、K君の動きを間近で見たことが、私が政治運動を志したきっかけだった。
今度は、少し規模の大きい話をしよう。
それから三十年以上が経って、平成の初期だったと記憶している。被差別部落の生活・文化的な環境を改善するという一連の政策が国会での議決を受けてから、長い時が経っていた。
K君の事件をきっかけにして、私は解放委員会に正式に加入し、高校で社会科を教えながら政治運動に身を投じていた。40になる頃に教師を辞めて、今度は別の公職に就いた。
ある年の冬だった。私が活動していた県の幹部職員が、「同和関係の補助金はすべて凍結する」と、あろうことか県議会で答弁した。
寝耳に水だった。まさか、そんなことはあるまいと考えたが、確かな事実だった。議会答弁はテレビ中継もされていた。
当時、私が所属していた団体の幹部が全員呼び出され、偉い方々から対策を指示された。それぞれの支部からも、来年度の予算について雨後の筍のように質問が寄せられていた。
発砲ふさがりかと思われたが、ふと、K君のことを思い出した。彼はもう立派な社会人であり、解放委員会からも抜けていた。それでも藁にすがる思いで相談に行こうとしたものの、気が乗らない。
彼に迷惑をかけるのでないかという想いもあったが、何よりも私個人の意地だった。同和教育、人権思想を啓もうする活動を担う一員である以上は、自分達の力で解決せねばならないという気概があった。
とはいえ、K君と話をしたかった。結局、正式な相談ではなく、共に食事をしながら今回の件について話し合うという形式を取った。K君は、「ここで折れたら前例になろうが」という話から始まり、諸々の助言をいただいた。今でも感謝している。
後日、県の横暴に対する対抗策がまとまった。開始時期は、一週間後とした。
数万人規模の組織で、ここまでの速度で動くのは無理がある。組織全体の足並みが揃わなくなる恐れがあったが、予算全凍結は目の前だった。
あの時のK君のように、各市町の教育委員会の庁舎に数人で飛び込んだなら、「どうしてこんな卑劣なことをするのか。子どもらが人権意識をもつための活動ができなくなっていいのか」というメッセージを何時間にも渡って、毎日伝え続ける。
庁舎の外には最大100人程度を待機させていた。みなそれぞれ、横断幕と拡声器を使って、スローガンを堂々たる態度で表し、相手方にこちらが本気であることを知らせた。朝方から始まって、日中は休憩を挟みながら、日が沈む頃まで毎日続けた。
場所は関係なかった。公共機関であれば、どこででも実施した。教育委員会だろうと、市役所の入り口だろうと、学校の門前だろうと、警察署の前だろうと、県会議員の自宅の玄関だろうと、場所は関係なかった。
かつて、私たちは基本的人権の享有を受けられなかった。その歴史を繰り返してはならない。私たちは本気だった。
議会での答弁から半年後、私達の本気は伝わった。予算の凍結が撤回されたのだ。
これまでと同じように、これまでと同じだけの金額を子ども達への教育活動、個別学習会や勉強会に使うことができるようになった。
私たちは、相手の痛いところを突いた。突き上げを受けた教育委員会は、通常の業務を行うにあたって支障が出る。日中は、私たちが絶えず抗議をするので、それに対応せざるを得ないからだ。
それが数日であれば持ちこたえるだろうが、何か月にも及ぶとさすがに根を上げる。
「予算の凍結はやめてくれ。現場がもたない」と各市町とその教育委員会は、県の決定に抗議する流れができる。
さらに長い期間に渡って続けば、県としても、予算の凍結の続行と、各市町の疲弊とを天秤にかけざるを得なくなる。
相手の痛いところを突けばいいというものではない。こちらも痛い目を見る覚悟が必要だ。というのも、現実的には、まずはこちらが痛い目を見る可能性が高いからだ。
上記の場合、県による予算凍結の撤回を求めて戦うにあたり、相手方に攻勢をかける必要があったわけだが――初期の段階が一番苦労した。まず、動員をかけても会員は集まりにくかった(当事者意識の欠如)。これがただの動員ではなく、緊急事態を打破するための闘いであることをわかってもらうために熱弁を振るう必要があった。この説得のための活動、すなわち県内の支部巡りに最も時間を要した。
人が集まり、相手方に攻勢をかけることができるようになったとして、最大のリスクがある。警察に通報されることだ。特に、要職にある者が動けなくなるのはまずい。敵にとっての追い風になる。
今回は、そうした事態が起こることはなかった。絶対に暴力行為や脅迫行為をしてはならないと、組織内で固く申し合わせをしていたからだ。
私が若い頃の解放運動だと、警察など介入する余地はなかった。デモ活動やオルグの最中に通報があって警察官が駆け付けたとしても、我々を見て尻込みをするのは当たり前で、あちらの方が逃げ出すこともあった。
それほどまでに、当時の私たちは気迫に満ちた政治(社会)運動をしていた。物事に対する「本気」というものが、警察すら怯えさせるほどに昇華されていた。
時が経ち、平成時代になると、部落に住む人々も豊かになったこともあり、ハングリー精神が見えなくなっていた。集団の気迫はすっかりと消えてしまい、周りから見ると――デモ活動の全てが滑稽なものに映るようになっていた。満たされた人間に政治運動はできない。それだけのことだった。
ところで、予算凍結に対する対抗策の実施にあたり、最大の懸念事項があった。
県と市町との連携だ。もし、予算凍結の議会答弁を打つよりも前に、県議会が各市町に根回しを行い、さらに我々を抑えるための手を考えていたとしたら、負けていた可能性が高い。
逆に言えば、同和対策事業に関する予算の凍結という重大事項について、事前に各市町と連絡調整をしないというミスを県が犯したからこそ、我々は勝利することができたと言っていい。
最後になる。
相手の痛いところを突くこと、その直近の事例としてミャンマーのデモを挙げたい。
アウンサン・スー・チーを頭に据える民主派が勝つにはどうすればいいだろうか?
武力では国軍に勝てない。ならば、「国軍は間違っている」というメッセージを、自国内と国際社会に訴えかけるしかない。
経済面ではゼネラル・ストライキを行い、社会面では民主的な思想や制度について啓もう活動を行い、政治面では大規模デモによって世界に窮状をアピールする。
アメリカがすでにミャンマーへの経済制裁を行っているし、世界的な空気として、国軍より民主派を推す声が大きいのは間違いない。
民主派のやり方というのは、それでいい。とことん大きなデモを打って、自分達の正義をアピールする。
が、その代償として、民主派は多くの命を失っている。つい先ほど、未成年のデモ参加者が銃で撃たれて亡くなったというニュースが飛び込んできた。先日のデモでは50人以上が亡くなったという。
民主派グループの中でも、指導者に近ければ近い者ほど、身体に危険が迫る。国軍にしてみれば、今が正念場である。世界各国からの評価が低下することを気にかけず、民主派の指導者層を徹底的に弾圧し、デモ活動を先導する者を少なくし、事態を膠着状態に陥らせ、軍事政権を持続させるとともに――軟禁しているアウンサンの自然死を狙うメリットの方が大きい。
もし日本が、ミャンマーのように危険な状態だったとして、あなたが立ち上がって戦わねばならなくなった時、どういう心構えで、どういう行動を取るべきだろうか? 相手の痛いところを突くために、どこまでのリスクを背負えるだろうか?
その問題に直面していたのが、私が生まれた時代よりもさらに昔、明治以降の被差別部落に暮らす人々だった。あまりに苦しい生活環境であるがゆえ、生存権を得るために戦わねばならなかった。しかし、どうやって戦えばいいのか?
多くの者が基本的人権を得るために戦い、痛い目に遭いながらも戦いを続け、そして今の、(経済的な意味に限っては)被差別部落問題が解決した現在に至る。
あなたの人生にとって、重大な戦いをせねばならない時がくるはずだ。その時に、どういった行動を取ればいいのか、当日記がその際の助けになれば幸いだ。
40代以下の若い人に向けて、このトピックを書いたつもりだ。あちらへ、こちらへとぶれた文章になって申し訳ない。読み返してみると、まとまりのなさに驚いている。ご容赦いただきたい。
うちの会社、商社系のzoomとかVDIとかHCIとか卸している情報システム子会社なのだけど、
親会社の強い意向により、週三日のオフィスへの出勤が義務付けられている。
そりゃ言いたいことはわかりますよ?ノンバーバルなコミュニケーションを取るにはオフラインはかかせないし、執務室は上司による業務監視が必要なんでしょ?
あと、在宅勤務だと残業が禁止されたのでさっきまで仕事していたけど完全にサビ残だから給与かすっかすになったので平社員がL1の給与では厳しい。
だが、人事からメールで12月まで在宅勤務週二日の制限を守りつつ、コロナ対策として下記の注意事項を守ってくださいというのは笑ってしまった。
会議はなるべくzoomで行ってください。会議室なら空気入れ替えて。あ、はい
いや、ノンバーバルの建前どこいったよ?苦手な同僚でも話しかけるときは1mは近づくわ。
うちの会社、業績が墜落しそうなコピー機会社に変わってzoomで引っ張ってますってどの口が言ってんの?
オフィス、在宅勤務を組み合わせることで新生活に対応した生活を送ってます、在宅勤務の手当ないけどな。
いやそれでも完全在宅戻そうや。稲作とか楽しいよ?
VDI環境もコロナ前からあったし、東京ロックアウトで一斉に出勤禁止になって最初の週は社内VDIがさすがにやばくて、CYODで作業していたけど
その後は結構頑張ってた。ずっと在宅勤務続けてればよかったのに、技術的には自分の周りの生活には、影響なかったから。
幼稚園の子供もちで臨時休業制度とか利用されている方もいらっしゃったけど、健康のほうがよほど大事だ。
NGにした商社、そして唯々諾々とグループ会社で従ってる上の方のことを死ぬほど恨んでる。
俺は若いからまだいいけど、還暦間近の親も普通に二階に住んでるのですが。
自分が親に移したらどうすんだよ。なぜ感染リスク上げ続ける行動を毎日取らなくちゃいけないの?
zoomもCitrixもあるし、物理的に必要なものは何一つないのに?
もう建前すらきえて、それでも出勤!!出勤!!って言い続ける双日さんは
先日話題になった会食ゴルフ三昧気管支喘息持ちなのにコロナで自宅療養自己中お爺さんばかりなのだろうな。
今はちょうど社内では、GSuiteからOffice365に乗り換えると急に言い出して完全に事前通告不足と移行期間の短さで大混乱だ。
temporaryとして用意したデータ情報移行用のVDIはハードディスク障害起こしてるし。
Gsuiteと弊社の名前でググると、十年以上前に国内でも先鞭をつけ、GoogleAppsScriptで無駄に長時間処理が行えるライセンスだった理由の一つが解けるぐらいには先進的だった。
それを捨てて笑
ロックアウトで人のいないイタリアだったら東武ワールドスクウェアで見れるやで。
誰も免疫を持っていない未知の感染症で、だいたい致死率が数%だけど感染力が非常に強い、という点で共通している。
こういう未知の感染症をワクチンが出来るまで抑え込めたことは今までなかったし、1年やそこらでワクチンができるとも思えない。そんな無理なことをやろうとするからロックアウトしたりして経済活動を止めなきゃいけないことになる。
国民の6割が感染すればいずれ収束するのだから、もう感染を野放しにした方が早いのではないか。その間にだいたい日本で最大60万人死ぬことになるが、スペイン風邪のときも40万人死んで収束した。
数十万人死んでもおそらく国も社会も回っていくし、日本が滅亡するわけでもない。経済活動を止めてマスクだの人工呼吸器だの作るより、火葬場を増やした方がいいのかもしれない。
特定されないようにざっくり書くつもり
とりあえず属性
年齢、性別は伏せさて
遡って前前職の話から。
そこそこの期間続いていたチームの解散があり、異動があったのが去年の秋。メンバーも散り散りになる。
そしたら、業務は問題ないんだけど、いわゆる人間関係がどうにもダメで
分かりやすい○○ハラならいいんだけど、人としてどうにも合わない、受け入れられないっていう日々が続いた。
こいつの下では働けんってことで、今年1月の契約満了で退社になりました。
そして前職
転職のことはずっと頭にはあったけど、履歴書やら経歴書のことを思うとどうにも億劫で、仕事を探すことができなかったというかしなかった。
それでも同じ派遣会社をなんとか使って、2月中から新しい仕事を始める。
規模のある企業なんだけど、既存の同じ派遣会社の人とマンツーマンな感じでの仕事だった。
コロナ初期で勤務時間どうする?みたいな感じになり、これラッキーと時短にさせてもらった。
大人もコロ休みをって強く思ってた。仕事に行くのがコロナ関係なく辛かったから。
出勤を遅らせるとはいえ駅、電車は混んでて、これを越えて辿り着いた先があいつかよってストレスもかなりあった。
それで、来週はどうするかってなったときに「時短にしてるのはお前だけ、入りたてだし長時間働くべき」みたいな同調圧力的なこと言い出してきた、
朝が弱いから開始を早めるのはキツかった、元がちょい早だったし。
とりあえず、同じ時間でとは答えてみたが、なにかが崩れたのはこのタイミングだったかな。
結果、週明けにバックレ決めてやりましたよ。
翌日の夕方に派遣会社の担当を経由して入室のカードを返却して、無事完結となった次第でございます。
思うところとしては、最近話題になったストレスの変化図(https://togetter.com/li/1486245)のスタートが秋頃にあって今日に至ってるっていう自覚はある。
その場しのぎじゃなくて、ちゃんと対処してこなかったことは後悔してるかな。
誰かのことを悪くいいたいのもあるが、結局は自分が悪いのよね。同じこと繰り返したわけだし。
しばらくは生活できる分の蓄え、環境があるのでとりあえずは生き延びていられそうです。
ぼちぼち保険証、ハロワのことを調べないと思ってる今日この頃です。
気になるのは、完全な自己都合だけどこれはコロナ関連で辞めたことになるのか否か。
そんな無職の身分だと幸か不幸か、ロックアウトとかのコロナ騒動はある意味で他人事感がある気がする。
あと、自宅勤務とか
趣味関連が多大な影響を受けてるので完全に表裏一体ではあるのだけど。
ちなみにこれはフィクションってことにしてくだされ
ただ、この先はどうなるんだろうね、自分も世の中も
そろそろ起こりそうなので、起こった後を想像してみる。
たぶん三日くらいで破綻する。
そこをコロナ対策センターにして、医療を提供。普段の満員通勤電車は全力で維持する。
けどどんだけかき集めてもテレワーク+満員電車を維持するのがやっとで、どうしても飲食・宿泊業や夜の街なんかは維持不可能になる気がする。
これはより徹底した形で、操業禁止に限りなく近い形で強い要請をする。
こうすることで東京のストレスをギリギリに抑えて、なんとか乗り切ろうとするのではないか。
地方は乗り切れなくてもそれはそれ。
トリアージで「ここは(田舎だし、高齢者多いから)殺していいな」ってエリア・道府県は既に想定済みじゃないか?公表しないだけで。
帰ってきて検査したら陽性でしたみたいなやつらが毎日数人はいる
であるなら、国境封鎖同様に、都市を閉じるロックアウトというのも無意味ということになるじゃないか
そのくせだ
ソーシャルディスタンスをしましょう、人との距離をなんメートル開けましょうとか
3密がどうやらとか言ってるわけで
であるなら、移動の制限の大枠である国境を閉じる、外国との門を閉じるというのは、有効だろうと思うのだが
WHOもそうだった
専門家の意見に反しながら各国は国境を封鎖し、都市を封鎖している
人との交流をできるだけ少なくしようとしているのが謎だ
マスクの件もそうだが、マスクは無意味とか言いながら専門家がマスクをしてメディア対応していたりする