はてなキーワード: ライフスタイルとは
「家賃を払い続けることがもったいない」と思ったわけを聞け。何かバイアスかかってる可能性がある。
現在住んでる場所によるが、子供の成長にあわせて、親のライフスタイルにあわせて「いつでも棲家を変えられる」ことに加えて、住まいに対して労力がかからない(管理する手間がない)ので、もったいないとは一概に言い切れない。ただし将来両親とも同時に稼げなくなる可能性があるなら別。今の内に買っておかないと将来身動きできない可能性を考慮してるなら家というかマンション買ったらいい。
生き方というかライフスタイルに共感できる人っていうか…推しとはたぶん違う感覚。リスペクトっていうのかな?
元々はお芝居に魅了された。こんなに奥行きのある声が出せる人がいるんだって。それから「好き!」に正直な生き方が素敵で、こういう人になりたいなって努力してきたつもり。全然近づけてないけど、迷ったとき辛いときは「春菜さんならどうする?」って考えたりもしている(キモくてすいません)好きすぎてパパの小説まで読んでる。
繰り返すけど推しとはちょっと違う。出演作、著作、おすすめのSF全部買い揃えているわけではないし結婚したいとかでもない。一目お会いしてできればお話してサインも欲しいとは思うが。
みんなにはそういう人っていますか?芸能人じゃなくて直接知ってる人、親とか職場の上司がそうだよーって人いるけど、それってすごく貴重な財産だよなー。
就職氷河期なんて命名するから「不景気のせいで就職難の時期があった」というフレームで捉えがちだけど、
あの時代はもっと根本的な価値観・世界観の変化に直面してたような気がする。
まず、70年代末までに明治以来ずっとやってきた西洋キャッチアップ型の近代化=工業化が完了して、
(最後の人口ボーナスの波である団塊ジュニア世代が成人するまでに労働集約型の工業社会を卒業して)
これからは前人未踏の領域で、あたらしい生き方を模索しなきゃならなかった…んだけど、
バブル景気がやってきて、「深刻な話」はふっとび、お祭り騒ぎになっちゃった。
でも流石に、激動の昭和も終わり、冷戦も終わって大きな地政学的な変化が起こり、
経済はグローバル化が進み、モノづくりニッポンの終わりが予測され、世界の工場の地位もアジアの新興国に移っていくようなって、
もう(経済だけでなく生き方全般の)根本的な改革は避けられないかな?と思っていたところで
本質的な改革どころか、生活を「元に戻す」ので一杯いっぱいの状態…
そんな調子で、本来なら80年代初頭から10~20年かけてやるべきだった本質的なライフスタイルの変革(経済含む)を
ズルズルと先延ばししていたが、いよいよ誤魔化し切れなくなったのが90年代の後半で、
(というか、団塊ジュニアが金を払って学校に行く側から「稼ぎ手」なるのが人口ボーナスの最後の波で、
その波がおさまっていくのが90年代後半だとすると、重なるのは必然か?)
オウム真理教が終末思想にもとづいてイロイロ事件を起こしたり、
旧エヴァンゲリオンが社会現象となるほど大ヒットするのも、偶然じゃないでしょ?
いままで怖くて直視することすらできなかった存在論的不安に対応せざるを得ない時代の空気を反映してる…
本来なら、働き方改革だの、ジョブ型 vs メンバーシップ型だの、春の新卒一斉採用の是非だの、
標準家庭だの、第3号被保険者だの(働くお父さんを支える専業主婦)といった問題は、
80年代に本気出して考えておくべきだった。
IT化、情報化、グローバル化に乗り遅れたのも、明治以来の(自分たちの骨身にしみた)工業化社会の延長で
生きていこうとしたせい…。本質的には昭和サラリーマンのまま、マイナーチェンジで乗り切れると思ってたからじゃないの?
彼の人格や価値観からうっとなるようなマチズモを嗅ぐ人が多いのでしょ。はてなではね。
(twitterで嫌われてる理由とはてなで嫌われてる理由はきっと一緒でない。いまTwitterで燃えてるのは男女論とかそっち系)
むしろなんで未だにはてなにアカウント残してるのかがわからんのよね。
それどころかはてブで批判的に取り上げられると結構感情的に反応するじゃん?それが本当に謎で。
いやいやいや、そらーあなたはてなブックマークでは嫌われるタイプでしょうよ、ていう。
生息域がなんか違うんじゃないの?ってこと。
あなたはきっと人気者なんだろうけど
ここではそうはなりにくいんじゃないの?というだけ。
でも足使って取材してきた記事とかははてブでもちゃんと評価されて賞賛されてたよね。
個人の人格や価値観はここの水には合ってないかもねってだけで。
きっとはてブと全然違う空気のどこかでは曇りなき人気者なんでしょ。
ならそれでいいじゃん。
ブコメで俺がヨッピーを排斥してるとかわけわかんねえこと言われてるけど、俺がいつヨッピー嫌いとか消えろとか書いたんだよ。
俺はそもそもはてな経由以外で彼の記事を読まんし彼になんの感情もねえよ。ほぼ興味が湧かない。ここでは彼の芸風とはてなの反応を分析しただけ。
はてなでは結構彼が批判的に取り扱われることが多くて、彼自身がそれに対してナイーブな反応を示してることが多いから、それならよそで咲いたほうがいいんじゃねーか?つったの。
パナの半自動炊飯器が話題になっている。けれど全然心躍らない。あんなの1か月も使えばそこいらじゅうガビガビになって
調理するのも嫌になるに決まっているように思う。パナのニコボとか外装が貧弱すぎて物欲も刺激されない。ニットなんだったらオーダーで好きな柄着せ替えできたりとか声が声優さんとかオタク心を刺激する要素があるといいのにそんなの全然ない。ちょっと弱くて足りない子をつくってみたとか貧弱すぎる。
他社、たとえばシャープのホットクックとかロボホンとか、尖った人のこだわりが解っているなと思うし、ホットクックは新しい文化ライフスタイルやファン層を作ったと思う。だから儲かるかというとあんまり儲からないのが難しいところであるけれど。
バイクを持つ喜びがネットであまり共有されていないのがもどかしい。
バイクに乗ることについて、よく把握しないまま否定しているような意見まで見るようになり、残念な気分になった。
そこでバイクを所有していく中で感じている喜びを紹介したいと思う。
この感覚をわかってほしいんだよ
うちのバイクは、チョークを引いてセルを回すと、勇ましい排気音を響かせ目を覚ます。そして、これからバイクに乗る楽しさを想像してワクワクが止まらなくなる。
今まで対した趣味など無かったのに、ここまでワクワクすることになるとは...。
なんだか下品な感じがするけれど、愛車はこんなにも格好いいんだ!という自己顕示欲が掻き立てられる。しかし、この誇らしい気分は悪くない。
自転車も自動車も乗り物という点では同じだが、また違う良さがある。
うまく伝えるのは難しいのだけれど…たとえば照明に例えよう。
数年前、生活で必要に迫られ自動車を購入したんだが、購入後、自動車に乗ると蛍光灯が灯るように、一拍おいて心が明るくなった。こんな体験は今までなかったので、自動車はすごい…運転するるだけで毎日新鮮で、修学旅行みたいだな…と思ったものだ。
ところが、バイクを納車したあとの喜びは、もう自分が経験したことのないほどの強烈な喜びを感じる。
駐輪場にとまったバイクを見ると、瞬時に愛おしく感じて多幸感が落ちてくるイメージだ。
そんなに愛おしいバイクが他のバイクよりもかっこいい排気音を奏でたりしたら、どれだけ誇らしい、幸せな気分になれるか!
生理的な影響もあると思う。
バイクを腕に抱きながら寝ると、寝覚めのときに、満たされた気持ちで起床することになる。
おそらくオキシトシンか何かがドバっと分泌されているのではないか。個人の感想だけど。
バイク乗り仲間は百八人までおるぞ
バイクに乗っているといるとライダー同士のネットワークができ、連絡先を交換することになる。
同じ車種に乗るライダーとのオフ会やツーリング先で、素晴らしいバイク乗りネットワークを築いている。一人で楽しむことを期待して買ったバイクで人と繋がれるとは、良い意味で裏切られたので最もすごいと感じた。
バイクに乗るまでは趣味での付き合いなんて皆無だったのに!コミュ障、陰キャの私でも多少の知り合いができた。これもバイクのおかげだ。
私はバイクのおかげで、これだ!というライフスタイルが確立できたと思う。
バイクのメンテナンスを通じ知識や道徳を習得していくことで、機械や道具への理解が深まった気がする。
仕事でもプライベートでも、機械や道具に対する感じ方がかなり変わった。
それから、フィクションで道具がぞんざいに扱われているのを見ると、苦しくなるようになった。道具のことを理解して大切に扱う大切さを知ったと言えるかもしれない。
人の生き方というのは様々だ。バイクに乗るだけが人生ではない。
だが、結婚や子育てだけを生きがいに生きていく、という人には、今まで大した趣味もなく生きてきた私から言わせると、ちょっと待ってほしい、という感じだ。
個人的な感想になってしまうが、買い物ならば、バイクで買い物に行くほうがより楽しい。
ただ買い物に行くというタスクをこなすだけではなく、その道のりを楽しむ満足感。いろいろな景色や道を、風や気温、匂い、そして愛車の熱と鼓動を感じながら走る。そして、自分のテクニックが向上して、自分の愛車がそれに答えてくれたという手ごたえ。バイクに乗るたびに新しいかにかを得られるような期待感。
愛車とのコミュニケーションを通じて感動するたびに、愛おしくて抱きしめたくなる。
バイク乗りの仲間がサーキット沼、林道沼,超ロングライド沼に落ちるたびに、仲間である私もバイクを増車して一緒になって楽しんでいる。
人生の酸いも甘いも噛み分けたはずの中年おじさんが、際限なくバイクにお金を突っ込み何台もバイクを所有してしまうのは何故か?
まず、こんなに楽しい自分のバイクライフのために、警察やバイク屋などがいろいろな安全教室・ライディングレッスンや走行会を行っていることはすごいことだ。
そして今のライディングレッスンの充実ぶりは、質・量共にすばらしい。
ちょうどいいレッスンや走行会がない。やりたくてもどのように調べればいいか分からない、という話も聞かなくなった。昔は本当にひどかったようだが・・・
定期的にお世話になっているレッスンでは、運転テクニックもバイクにまつわる知識についても、自己流では全く実現できないほどクオリティが高い。
金銭の問題はつきまとうが、バイク業界も若いバイク乗りをどんどん増やしていきたい状況なので、基本的に若い人でもなんとかなるように設計されている。最近は大手販売店を中心に、免許取得費用を支援してくれるバイク屋も多い。
バイクに乗る喜びを知らないまま年齢を重ねるのは機会損失につながる。
若い人にはライフプランについてよく考え、勇気を持って人生の方向を選んでほしい。
バイクというのは危ない乗り物なので、転倒やそれによる怪我・後遺障害など、困難な問題が起きてもそこから逃げられないというのはある。
警察の皆様は、ライダーへの安全啓発活動を手厚く行ってほしい。
バイク用品メーカー各社様は、より手頃で安全なヘルメットやプロテクターを開発してほしい。
世の中にはバイクをぶっ壊したり(整備不良)、バイクに加害(爆音マフラーなど違法改造)する人も居るのは事実。まったく理解できない世界だが、私が感じるようなバラ色の状態だけではないんだな…
かつてキチガイジャップが不夜城を誇ってたころ、すでにヨーロッパの国は夕方には店やオフィスを出たら、早々に家族と家で過ごすようにさせた。
日本人がディスコで躍り狂い、家に帰らず、躁鬱の躁期の患者のように毎日を過ごしていたころ、彼らハイテンションエコノミックアニモーが欧州を旅行して呟くには
「ドイツやフランスでは夕方になるとどこもかしこも閉まってしまう、不便!活気がない!」
というキチガイじみたざれごとであった。
それから数十年、ぶっ壊れたジャップの家庭はぶっ壊れた人間をうみ、ついには自慢の経済もおかしくなり国家も失調している。
人間の正常な生き方ではないような生き方を、国民にさせ続ける国は、いずれ報いをうける。
俺はそう思っている。
夜中まで遊び狂う連中が、国家に少しは居てもいいと思う、しかし、それはあくまで周縁的な生き方、普通ではないライフスタイルであり、そんなものは「推奨」すべきではない。
水商売やヤクザ者が、あぶれ者であるのと同じように、それらはあぶれ者の生き方に過ぎないというのが常識的判断というものであろ。
日本人は、そうやって、経済という魔神の祭壇に、くべてはいけないものや、捧げてはいけない魂まで捧げたから、
どんどん国がおかしくなっているという認識をしてはどうかと思うのだが。
そんなわけで俺は「寝るな」などという論調には賛成できない。
その国家の大半のまっとうな人間は、寝るべきときには寝るべきである。
そういったまっとうな生き方ができない人間の規範を推奨するような記事を書いてる記者はそこらへんの倫理のネジが狂ってるのだと思う。
夜中まで遊び歩く人間を増やさないと維持できない経済というのは、それはなにかが狂ってるので、
「郊外の新興住宅地でベビーカー押しながらでかい公園やらモールやらに集まる」というライフスタイルが嫌すぎるので、もうちょっと多様な子育てのあり方を社会に許容してもらいたい。
大変な状況だと伺いますが、無理に自己のキャリアプランを決定しようとすると、逆にストレスを感じることがあります。どうすれば良いか、具体的な提案をする前に、まずは心の状態から考えてみたいと思います。
鬱気味とお感じの場合、まずは心の健康を優先してください。社内カウンセラーや外部の専門家、信頼できる友人や家族などと話すことで、現状のストレスを少しでも軽減できることがあります。その上で、少しずつ自分のキャリアについて考えていくことが大切です。
その上で、キャリアプランについて具体的に考えるためには、以下のような視点が役立つかもしれません:
現在の業務について:現在の仕事の中で、何が得意で、何が好きなのか、逆に苦手で嫌いなものは何か、考えてみてください。これは、あなたが自分の能力をどう評価しているか、そして何を楽しむかについてのヒントを与えてくれます。
将来の業務について:必ずしも具体的な目標を設定する必要はありませんが、将来、どのような業務を行いたいと思いますか? これは、仕事に対する希望や志向を示しています。
キャリアの可能性:キャリアの幅は広く、自分が適性を持っていると感じる分野へ進むことも可能です。また、業務の中で新たな興味を持ったこと、学びたいことなども含めて考えてみてください。
ライフワークバランス:仕事だけでなく、プライベートの時間や趣味、家庭とのバランスも考慮に入れると良いでしょう。自分のライフスタイルに合わせたキャリアプランを考えることができます。
上記のような視点を持つことで、あなた自身のキャリアについて少し考えやすくなるかもしれません。
また、会社のアンケートの回答として「現状の業務に集中したい」や「自己の健康管理を優先したい」などの意見も有効です。その意見が受け入れられる企業文化がある場合、あなたの現状を理解し、サポートするための取り組みを考えてくれるかもしれません。
忘れないでください、キャリアプランはあくまであなた自身のためのもので、自分が心地良く働き続けるための道筋です。他人と比較するのではなく、自分自身の幸福と健康を優先して考えてみてください。
いやぁ、そうも言ってられんのよ。だって企業(Amazonとかの問屋さん)が長い休日の間に人々の購買意欲を掻き立てて阿呆な消費者は踊らされて買っちまうんだから。最近ヤマトの手を離れたみたいだけど、人々の休日の過ごし方、人々の欲望の形態が旧態依然とした境地に立ち戻らん限りは、欲望は続くよどこまでもってなるぜ。しかも酪農農家のような第一次産業の人々は掛かりっきりで業務に当る。そうしなくちゃ経済動物か植物が死んでしまうから。お前さんの言うことはつまり、ホワイトカラーとしての意見だろう。だが実際は、各現場(農場か現場、工場プラントにしても、だ)に分け入れば実際は機構としては不眠不休が求められる。お前さんだって困るだろう?正月三が日から数日間肉も牛乳も、野菜も手に入らないってのは。しかもそれだけじゃない。SDMって聞いたことあるかい。定修ってヤツだ。お前さんが車を持っているか知らねぇが、石油なんざ最たる例よ。車両だけじゃねぇ、化繊にさえ及ぶ。そう言う精製プラントは不眠不休で、SDM前にはとにかく余剰量を作って、一定期間プラントを休ませる寸法でいる。その間何をするかって言うと、人間が結果的に(別会社同士が協働して)不眠不休で大々的なメンテナンスをする。まるでお祭りよ。そう言う日夜も関係のない環境の上で社会は成り立っている。お前さんだって嫌だろう。ガソスタはすぐに空になったり、鉄道を使おうにも鉄道のメンテナンスが日勤限定になったからの弊害で3日間使えません、だったりするのは。それを解決するには一つしかない。明治以降の西洋文明を捨て去るしかない。いや、産業革命以来のライフスタイルを捨てなくちゃなんないのさ。その覚悟があるかいって話
かつてキチガイジャップが不夜城を誇ってたころ、すでにヨーロッパの国は夕方には店やオフィスを出たら、早々に家族と家で過ごすようにさせた。
日本人がディスコで躍り狂い、家に帰らず、躁鬱の躁期の患者のように毎日を過ごしていたころ、彼らハイテンションエコノミックアニモーが欧州を旅行して呟くには
「ドイツやフランスでは夕方になるとどこもかしこも閉まってしまう、不便!活気がない!」
というキチガイじみたざれごとであった。
それから数十年、ぶっ壊れたジャップの家庭はぶっ壊れた人間をうみ、ついには自慢の経済もおかしくなり国家も失調している。
人間の正常な生き方ではないような生き方を、国民にさせ続ける国は、いずれ報いをうける。
俺はそう思っている。
夜中まで遊び狂う連中が、国家に少しは居てもいいと思う、しかし、それはあくまで周縁的な生き方、普通ではないライフスタイルであり、そんなものは「推奨」すべきではない。
水商売やヤクザ者が、あぶれ者であるのと同じように、それらはあぶれ者の生き方に過ぎないというのが常識的判断というものであろ。
日本人は、そうやって、経済という魔神の祭壇に、くべてはいけないものや、捧げてはいけない魂まで捧げたから、
どんどん国がおかしくなっているという認識をしてはどうかと思うのだが。
そんなわけで俺は「寝るな」などという論調には賛成できない。
その国家の大半のまっとうな人間は、寝るべきときには寝るべきである。
そういったまっとうな生き方ができない人間の規範を推奨するような記事を書いてる記者はそこらへんの倫理のネジが狂ってるのだと思う。
夜中まで遊び歩く人間を増やさないと維持できない経済というのは、それはなにかが狂ってるので、
体調が悪いときや不安なときは積極的に外に出るようにしている。
会社や店内なら倒れたり意識を失っても少なくとも知らん振りはされないはずだからだ。
独身男性は早死にしやすいというが、これは生活習慣病とかそういうのだけでなく「一命を取り留める可能性」が著しく低いからという点が大きいと思う。「倒れたときに誰にも発見されない」は危険度が高い。うちの親もたまたま一人の時に倒れ、たまたま鍵を持っている家族が帰ってくるのが夜遅く、重い障害が残ってしまった。
これを解決するには倒れたり意識を失ったときに通報する仕組みが必要だが、結局、人間の目に勝るものはない。健康の安全保障体制として結婚というのは実に理に叶っているが結婚する気がないと安全保障が構築できないのは非常に困る。何か上手い手は無いものだろうか。
【追記】
こんなんにブコメ100以上とかはてなも徐々に高齢化してるなと思いました。
出てきた案について検討してみる。
受け入れ年齢は原則60歳~らしいのでまだあと20年ぐらいある。疲労は抜けず、身体は思い通りに動かず、体調不良を自覚してきた中高年の今不安なんですよ!!
えぇ……あれってウェーイwwwな陽キャ連中が身内でウェイウェイするやつやろと思い込んでたのだが、調べてみるとそれはルームシェアであってシェアハウスとは違うことを今更知った(やや言葉遊びに見えるが)。
水回りは共有だが家具家電付き、鍵付きプライベート空間も完備もある、ということでイメージ的にはビジネスホテルに近いと思った。
ビジネスホテル暮らしはそれほど嫌いではないし割と有り寄りの有りな気がするが、安全保障とするにはライフスタイルとコミュ力をどう発揮するかによるものが大きくなりそう。まあ単純接触効果というのもあるし、顔を合わす程度の間柄でも体調不良であることを周囲に知らせられるのは悪くない。しかし一命を取り留められるかは会社や店舗に居ておくのと同レベルな気もする。
システマチックに実現するならやはりこれか。「高齢の親を見守る」デザインと「自分自身を見守る」デザインのサービスが混在しているようだ。
ping型の場合は死活監視間隔をどうするか、trap型の場合は自分が無意識(意識喪失)でも行えるか、が注意点になりそう。
なお心筋梗塞では発症6時間以内の処置が生死を分け、脳梗塞では4時間以内の処置で後遺症をほぼ残さず回復に至れるそうだ。
セコムホームセキュリティのオプションなのでセコムホームセキュリティの契約が必要ぽい。
セコムより月額費用が安いし、自分自身を見守るサービスという設計になってるようで一番現実的かも。
見守る方が訪問指示をする仕組みとなってる。
自分自身を対象にするサービスのようだが、こういうサービスを使わざるを得ない孤独死予備軍が自力でグループ参加者を見つけるのはハードルが高くないだろうか…
転倒検出時の緊急通報は有用そう。見守りサービス(≒人間の目)を除くと現状の最適解かもしれない。
しかし常時心電図を取っている訳ではないので静止状態で心肺停止したり、転倒検出されない微妙な倒れ込み方をしてしまった場合は動作せず救われないらしい。
冬の朝、起きようとしたら脳梗塞や心筋梗塞で倒れ込み誰にも発見されず手遅れにといったあるあるシチュエーション(というか親がなりかけた)を一番恐れているのでそういうのを避けられるようになって欲しい。
https://business.nikkei.com/atcl/NBD/15/special/091900772/
かつてキチガイジャップが不夜城を誇ってたころ、すでにヨーロッパの国は夕方には店やオフィスを出たら、早々に家族と家で過ごすようにさせた。
日本人がディスコで躍り狂い、家に帰らず、躁鬱の躁期の患者のように毎日を過ごしていたころ、彼らハイテンションエコノミックアニモー
「ドイツやフランスでは夕方になるとどこもかしこも閉まってしまう、不便!活気がない!」
というキチガイじみたざれごとであった。
それから数十年、ぶっ壊れたジャップの家庭はぶっ壊れた人間をうみ、ついには自慢の経済もおかしくなり
国家も失調している。夜も寝ないで遊び狂った果てにつくりあげた国家の末路である。
人間の正常な生き方ではないような生き方を、国民にさせ続ける国は、いずれ報いをうける。
俺はそう思っている。
夜中まで遊び狂う連中が、国家に少しは居てもいいと思う、しかし、それはあくまで周縁的な生き方、
普通ではないライフスタイルであり、そんなものは「推奨」すべきではない。
水商売やヤクザ者が、あぶれ者であるのと同じように、それらはあぶれ者の生き方に過ぎないというのが
日本人は、そうやって、経済という魔神の祭壇に、くべてはいけないものや、捧げてはいけない魂まで
捧げたから、どんどん国がおかしくなっているという認識をしてはどうかと思うのだが。
そんなわけで俺は「寝るな」などという論調には賛成できない。その国家の大半のまっとうな人間は、
寝るべきときには寝るべきである。そういったまっとうな生き方ができない人間の規範を推奨するような
記事を書いてる記者はそこらへんの倫理のネジが狂ってるのだと思う。
夜中まで遊び歩く人間を増やさないと維持できない経済というのは、それはなにかが狂ってるので、
いまさらすぎるけどいまさらいまさらなスープストックの雑記事が上がってきたのでなんか考えたこととか書き残そうかと思う。
絵描きの世間ではパトロンサイトからAI作品が排除されて大勝利を唱和しているかと思う。
増田は、うーむ、(デジタル)手書き絵描きの溜飲は下がったけど勝てていない、遅滞成功ぐらいかなと予想する。
今回、(デジタル)手書き絵描き側に阿ったような内容になったのは、ひとえに(デジタル)手書き絵描きがお気持ち駆動する厄介な人間であることと、既存顧客であったから。
絵描きがお気持ち駆動することは今更言うまでもないが、トレパクや、絵はグレーセーフでグッズはぶったたくとかガイドラインや二次創作のありかた、検索避け、学級会などなど、感情と(日本の法律で有罪無罪問わず)私刑が先行する人類全体が持つ宿痾をとくに煮詰めたような人種が横行する界隈だ。
そんな(デジタル)手書き絵描きが自分の感情を害するAIを敵視するのは当然で、もちろんお気持ちクレームを多発する。した。
ハッキリ言って商売相手的にはクズの部類に入るが、それでも掴んだ、囲んだ顧客というのは大事だ。未だにみんなTwitterをしていることからもそれはわかるだろう。
だからギャーギャーうるさいものの大事な金ヅルな猿たち側に寄り添ったものの、本音はAI作品を取り扱いたかったと思う。
プラットフォーマーから見て(デジタル)手書き絵描きの反応はある意味予想通りだったが、それでも絵描きたちが容認する可能性もあっただろう。なぜならいわゆるAI絵師は絵描きの進化ツリー(木構造でもないし相互移行できるけど)に(今しばらくは)連なるものだからだ。AIは部分的にも全体的にも絵描きのツールになりえる可能性があるのは明白だろうし、AI絵の今後の発展は確実で不可逆であることもただの一般人でも感じるところだ。絵描きはいつかは向き合わなければならない問題。だからプラットフォーマーは即座に禁止せずしばらく様子見した。しかし結果、総体としての絵描きの感情、お気持ちだけの反対に落胆し、禁止に舵を切った形だ。もちろん審査の負荷や創作性などの表向き(かつ多少なりの事実)の理由もお出ししながら。
プラットフォームを分散させるのは管理が面倒だし人の分散もよくない。が、こうなったからにはpixivやエイシスは今後、AI作品を扱える別のサービスを開始するだろう。AIによる創作は確実に伸びていく分野だからだ。できれば既存サービスに組み込みたかったが、それこそ先行者の悲しみ・デメリット。顧客の属性が厄介に固まったばかりにそれはあきらめるしかなかった。
そして、そんなやっかいな既存顧客が居ない今後のfanboxやskebのような後発の類似サービスはほとんどがAI作品を許容する形でスタートするだろうし、AI禁止を謳う類似の後発サービスが現れたとしてもfanboxやskebなみには成長できないだろう。
AI禁止+AI専門 VS AI許可 のどちらが中期的に勝つかまではわからないが…。
あくまで今回の足並みをそろえたような方針は旧世代の、乗り換えや手札にできず取り残された、しかし金ヅルの老人たち。そんな(デジタル)手書き絵描きの無聊を晴らすためのものだった。日本で老人のための政策を打った場合の若年層の反応を想像してもらいたい。…その政策は勝利なのだろうか。勝利なのだろう。老人には。
改めて書くが、今回の(デジタル)手書き絵描きの大勝利は彼らに理があったからではなく、ただただあらゆるサービスは顧客を定着させることが大儀であり、かつデジタル空間では物理空間よりは比較的サービスの分割がしやすいからだった。
理ではなく金銭的な損得をもって鳴き声がうるさいが金を生むガチョウと今後プラチナを生む可能性があるアヒルの子を同じ柵に入れることをやめただけ。
経営者や業態、進化ツリーの進み具合・将来性などを勘案すれば、うるさい声を無視して進むべきと予測した道に突き進む場合もある。スープストックの場合はその例だったのだろう。お気持ちでギャオンと騒ぐ先細っていく独身女性の声に揺るがず、データと検証から出た客のライフスタイルの変化や世代をまたいだブランドイメージ、立地・戦略的に別サービスに分離できない(切り捨てるなら独身女性側だろうが)飲食という理由などなどをもって離乳食無料を決定したのだろうし、その反応にたいしての声明リリースをおこなったのだろう。
そして結局(デジタル)手書き絵描きも独身女性も哀れな人間であることは変わらない。
(デジタル)手書き絵描きが今、良い気分ならばそれでもいいだろう。将来結構な数の(デジタル)手書き絵描きがAIに流れるのも笑わない。(デジタル)手書き絵描きでなくてもAI絵師でも気質は別に変わらないしね。AI絵師が優れてるとも思わず絵描き全体がやっかいな人種だと思っているので。次の技術で同じお気持ちの絶叫が響くのも確実さね。
そう、増田は今回の騒動で絵描きがどういう人種であるかということを再確認させてもらった。程度しか得るものがなかった。
あるいは広がりゆくAIという腐海にあらがい風の谷という猫の額で生きる旧人類(新人類)の悲劇を観賞している気分にもなれるかもしれない。どっちかっつーと手作り宗教の土鬼か。