はてなキーワード: ポジティブとは
気持ちが落ち込んでる時だけでなく、ホッとした時や考え事してる時なんかにもつい出てしまうため息。
もちろん、それが必ずしも人をいい気分にするわけじゃないってことは理解してるし、できるだけ人前では無駄にため息をつかないように気をつけてる。
「ため息をつくと幸せが逃げるんですよ」
「お前のため息を聞かされるとイヤな気持ちになるからやめろ」と言われた方がまだ納得感あるし、「すみません」って気持ちにもなるけど、こう言われたら逆に腹が立ってしまう。
まず、ため息ごときで逃げる幸せなんて、そもそも求めてないから。
それぐらいで逃げる幸せなんて、たぶん石につまづいても逃げると思う。
むしろ、ため息と一緒に逃げた俺の中古の幸せでよければお前にくれてやるよと思ってる。
ため息で逃げた幸せなら、吸えば取り込めるんじゃね?
何より腹立たしいのは、俺が幸せかどうかを決めるのはお前じゃないってことだ。
人の幸せが逃げるとか逃げないとか、そんなことを赤の他人が言うことじゃないし、言うべきじゃない。
「ため息をつくほど落ち込んでる人を励ましたいだけだ」とか言うのだろうが、そんな中身のないセリフに何の励ましの効果もないし、そうしてポジティブを強要するような人たちには自分の悩み事なんか絶対に話したくない。
「ため息をつくとお前の幸せは逃げる」は言い換えれば「ため息をついたお前は不幸になる」ということだ。
半笑いでこのセリフをホイホイ吐く人たちは人に呪詛をかけているのだという自覚を持ったほうがいい。
と、友人に話したら「他人のたった一言にそこまで全力で打ち返してくるなんて…こわい…」と怯えさせてしまったのでこんなところに吐き出して供養。
先週末、デートした相手にフラれた。お友達以上には見れないと。
自分はよく喋る方だから会話の主導権を握ってしまいがちで、なんでも話したいことを喋る。共通の話題だとか、相手に合わせて話題を選ぶなどあまり気を使いたくない(愚痴などではなく趣味などポジティブで個人的な話題)。というか特に将来的にずっと一緒にいるならば、そんな話題の選別をし続けるなんてまっぴらごめんだ。
さらに知的好奇心が強く、逆に自分の知らない世界の趣味や仕事を持ってる人の話を聞くのも大好きだが、そういう話を聞いて、わからなければズバズバ質問したり自分の知識に置き換えてみたりして自分のテリトリーに入れてしまう。特に仕事の難しさなんて、きっと本質は同じだから職種が違ってもそうやって置き換えてみれば共感もできる。自分も他者も、お互いにそう会話することで世界(知見と言ってもいい)を広げていくのが、自分の中で一番心地の良い人間関係だからだ。それを隠さずに出したまでのこと。
でもそういうのはダメらしい。そういうのは「恋人」には求められていない。
女はうわあ頑張ってるね、私にはわからないやすごいねと言うのが正解なのか。合コンでモテるさしすせそもそんな感じだったな。でもそんな中身のない相手とまったく建設的ではない話をして、いったい何になるというのか逆に聞きたい。
アニメに関心の無い一般市民から見ればラブライブも一括りでアニオタコンテンツと言って良いと思うんだが、一昔前のアニオタ(虚弱体質またはデブでともすれば不潔でコミュニケーション能力もゼロでネットスラング無しでは会話できない上にカバンの中からは去年のカロリーメイトが見つかるようなステレオタイプなオタク像)からするとラブライブのファン層はどうにも清潔過ぎて、『仲間』がそこに居ると期待して手を出すと結構面喰うと思う。とりわけ30代以降の年寄りは。
まあこんなものはライブか二次創作同人誌のオンリー即売会(通称僕ラブ)に行ってみれば一目瞭然なのであえて忠告するような事では無いのだが、大事なのは彼らのメンタリティへの理解だ。
リアルやSNSで話題になった時、決してネガティブな事を口にしてはならない。とにかく「最高」って言っときゃひとまず大丈夫。ツッコミどころがあっても全力でポジティブな解釈をして好意的な事を語っておけば良い。彼らは夢を買うスキルが年寄りと比べて比較にならないぐらい発達しているので、たとえ三文芝居のような表現であっても心の底から感動することが出来てしまうのだ。メタな視点で語るのもあまり好まれない事があるので注意が必要だ。
旧来のクソオタの場合だと歌が下手だとか作画がイケてないとか声優が大根だとかそういうところも含めて作品を味わい尽くすものなのだが、彼らは決してそうではないということは知っておこう。というより普通の人というのは大体そのようなものらしい。俺も最近までよくわかってなかったわ。
俺もラブライブの歴代の監督はクソ中のクソだと確信しているが、決して若いファンの前では言わない事にしている。
若い一般ファン層・イラストを描いている層が相手の時は極力気を付けよう。
ただし小説を描いている層やストーリー性重視の同人誌を描いている層の場合はわりと素直に心情を吐露しても大丈夫だろう。理由はわからないがそのタイプは作品愛と批判的態度が両立するということを知っていて、わりと本音で話し合える事が多い。ただそれでも慎重に絡んだ方が良い。
仲間との関わり合い方さえ間違わなければ面白いコンテンツなのは間違いない。頑張ってくれ。
あと繰り返すが監督はクソだ。特にサンシャインの方。シリーズ3作目となる虹ヶ咲学園では完全に他の所から引っ張って来ていただきたい。
日本のネトウヨや外国人排斥仕草を見せているひとたちも、頭のおかしい人以外は中国の人になんかしたりしないけど、
向こうは残念ながらそうじゃないから
ていうかパンデミックを回避するのは難しいってはっきりいうてるで
たださーウイルスってさー変わるじゃん
感染力がなくなるって言うポジティブな方に変わってくれりゃあいいけど
やめて!!!な方向に変わったりもするよね
アメリカで重症化した患者にエボラと同じ治療したら回復したってアメリカのニュースサイトでみたけど
えっ?!えっ?!ってなるわ
ネガティブ・バイアス(生存本能で悪い情報ほど強く印象に残る/それを利用して視聴率やプレビューを稼ぐ)ってのがあるので、
ニュースを見てると結果的に処理しきれない不要な悪い情報を集めることになるので
[lifehacker]暗いニュースばかりが続いてもポジティブさを保つ方法
https://www.google.co.jp/amp/s/www.lifehacker.jp/amp/2016/01/160116bad_news_stream.html
ただし、もしも世間で話題になっていることを知りてぇな〜ってなったら
まずやることは、ネットで聞くではなく、大手メディアのニュースサイトを見ることだ
なぜって?大手メディアのニュースサイトは記者名が書かれて文責があるからだ
これをしないと『ネットde真実』を患い、
年収のせた方が良いのでは…?
500万稼いでるのってかなりの魅力だと思うけどな
経済的に寄生できる!とかじゃなくて、年収500万に到達できる能力があるってことをポジティブにとらえる人けっこういそう ていうか女性の年収が高いからって萎縮するやつってそもそもロクでもないような…
※ブコメその他がためになったので追記した(2/23 18:23)
※あとこの投稿は「最底辺に落ちれば自信が出るからそうしろ!」とかいうものでは一切無いです。そういうニュアンスが出ちゃってたのは大変申し訳ない。少しでも浮上してるならそれに越したことはないし下がれなんてとんでもない。この投稿は助言でもなんでもなくて、自分はこうだったなぁという糞自分語りに過ぎない(最後のオナニー以外)からそれを踏まえていただければ大変うれしい
自分も自己肯定感はそこそこ低い方で、 増田と同じく学生時代は自分以外の全員がド有能の聖人に見えてたんだけど、増田のもちょっと違う気がするんだよな。
「私と仲良くしてくれる人は何を考えているんだろう、こんなグズに優しくしてくれる聖人たちに何を返せばつりあうだろう」
そう、ここまではほぼ一緒。でも俺の場合はこの次の段階があって、
「こんなに有能な聖人が言ってる事をグズの俺が否定する権限はない」
って理論が発生するんだよな。
少し場面を想像してほしいんだけど、数少ない友人と会話してる時、案の定おれの「俺なんてゴミやし……」とかいう発作が起こるよな? グズの俺と違って友人は有能の聖人だから、まぁ「いやそんなことないよ」とか、たまに「増田の〇〇なとことか凄いじゃん」とか言ってくれる。俺の脊髄は(いやいやそんなことなくて俺はゴミでぇ……)とか反射しそうになるんだけど、"グズの俺が否定する権限はない"ので、お世辞であれその言葉を甘んじて受け入れないと絶対におかしいんだよ。ここで「いやそんなことはない、私はゴミだ」と言える時点でまだそこそこ自己肯定感あるから安心していいと思う。向きはともかく、自分の思考や理論を相手のそれより強いと思えてるから。
逆に自分が否定された時はそもそも自己肯定感が最底辺なのでノーダメージ。ゴミな自分は有能な他の全人類に否定されて当然だし不当でもなんでもない。当たり前の事を当たり前に指摘されただけなので悲しくもならない。でも[ゴミと友人になってくれる有能な聖人]とただの[有能]だと前者のほうが優先順位が高いので先述した友人の言葉が消えるわけではない。仮に消えたら聖人の友人に失礼極まりないのであり得ない。周りに当たるなんて選択肢はどうやっても発生しない。
このマインドを続けてると、基本的に肯定感が正の値になることはあってもマイナスにはならない。ふとした拍子に2とか3くらいゲージが溜まってちょっとウキウキな気分の時だと、理不尽な否定と正当な批判の切り分けなんかも意外にできるようになったりするので、ただでさえ鉄壁の防御力にさらに磨きがかかる。余裕ができると「ほんとにちょっとだけなら"俺の〇〇なとことか凄い"んじゃね……?」とか思えてきたりこなかったりする。
要は、自己肯定感低いアピールは人が多いところでやると時に不快感を撒くことになるから、基本控えめにしてある程度自己評価あるフリでもしてたほうが周りの人を尊重してることになるし、結果的に自己評価を見つめ直すことにも繋がる。理論的に考えればそういう考えに落ち着くのが真っ当じゃね?っていう話ですわよね。
まぁなんというか、自己憐憫って蜜の味なんだよな。だから癖になってるひとも多いと思う。今は夕方一人外で歩いてる時とか、中高の時に毎回テスト最下位で赤点で居残り勉強してた時間とかを思い出して「相変わらず俺ってゴミだなぁ」とか思いながら自己否定オナニーして自己憐憫欲を解消してる。もちろんオナニーは心の上での比喩だけど、めっちゃ気持ちいいからおすすめしたい。
珍しくブコメが色々ためになったので(自己肯定に溢れた感想)、お礼と言うにはおこがましい自分語りだけど返事をさせてもらいたい。
oratansu よく「最底辺に落ちたのであとは上がるだけ」みたいなコメントする人いるけど、それ以上に落ちるかもしれないのによく今が最底辺だと定義できるなあという感想しかない
読み直すと「死ぬこと以外はかすり傷!(ドン!)」とかいうどっかのゴミ自己啓発本と同じ台詞言ってるように見えてめっちゃ恥ずかしい。ごめん。(自己啓発本は悪だって言いたいわけじゃないんだけど、なんというか基本強者の理論だと感じちゃうんだよね)
今の自分の絶対値的なこの場所が最底辺、というよりは"自分=ゴミ"の図式が無条件で成り立っちゃってるから、落ちたところで自動的に認識が再修正されるので特に何も感じない、というほうが正確だろうか。こう書くとより救いがない感じがするな。でも気は楽。弊害は未知数なのでオススメはしない。
fukazawakyoko これ、元増田もそうだけど最底辺感がないんだよな。能力が低くてガチで自己肯定感が低いというより、どっか余裕のある人が考えた自己肯定感の低さって感じ。
あ~やっぱそういう感じ出ちゃってるよなぁ。言い訳させてもらうなら、現状、そこそこ自信というかなんだかんだ俺もそれなりに大手を振って生きてていい(≒他の人間も大した理由があって生きてるわけじゃない)って思えるようになってるから、この立場から何書いても薄っぺらいってのはあるかも。一時期は何言われても「おっ悲しいなぁ(諸行無常)」みたいな感情しか湧かなかったから、這い上がろうという気力も湧かなかったのはホントのところだとは思うけどね。
コメントにも出てきてるけど"余裕"は本当に大事だと思う。これが枯渇してるとホントに何も考えられなくなるし、シンプルに周りにも迷惑がかかる(その迷惑で自分を卑下する必然性もないんだがそう考える余裕も無くなる)。自分の少しの余裕がどこから湧いてきたのか考えると、やっぱカウンセラーとか薬ってことになっちゃうのかなぁ。ラッキーだったのは、「精神科に行って薬まで出された自分は欠陥人間だ……」とか、どうしても先生を信じきれずに(orあってない先生をずっと変えなかったりして)ネットのメンヘラ界隈的な場所ででくだをまいちゃったりすることはなかったって点だろうか。一応心理学専攻で、治療に対してそんなヤバい行為だとは考えてなかったってのもあったし、治療受けるのってどんな感じなだろう……!みたいな好奇心が少し先行してたのも大きい。
でもカウンセリングや薬ってなんだかんだお金かかるし、1割負担にするのもちょっと抵抗感ある人もいるかも知れないから、こういうのも含めた余裕を考えると俺もまだまだ序の口ってことなんだろうなぁ。保険で色々試せるのおもしれえなぁとか、ビンシャリってこれかよ草、みたいなノリは万人にできるものではない。
Caerleon0327 自分よりできない人を見たり、自分より大変なことになっている事象(例えば、今回の新型コロナパンデミックとか)見て、それと比べて自分の目の前のことはマシだと慰めている
この理論で生きてると、自分よりできない人が他の場面で自分より高い性能を発揮する現場を目撃すると総崩れになるから注意したい。そこで「できないように見えた人にも得意なことがある」なら「できない自分にもなんかいい点がある(≒自分をある程度認めないとその人の優れた点まで否定する事になる)」と考えを反転して良い感じにしてたんだけど(これも自己啓発の謎理論っぽくてキモいな)、まぁこれもある程度の余裕がないと出来ないことだよなぁ。
自信がない状態から立ち上がれるかどうかは周辺環境に左右されまくる、ってのは本当そう思う。そこにつけ込まれると色々厳しい。弱ってる人間につけ込んで追い打ちかけてくるゴミなんて生きてる価値無い、社会に害を振りまく俺以下のゴミじゃん、って思えれば楽なんだけど、そう思えるまでが長いんだよなぁ。これを個人でどうすべきかはちょっとわからない。今の自分はそういう人間の屑を見るとめっちゃイライラする性格と化したからそれに関係する仕事をしてるんだけど、そういう支援もまず最初に人の目に触れないと始められないし……難しい。
aeka そんな言葉遊びしてる次元じゃないんよ。「自分なんてクソで…」などと人様に聞いていただこうなんておこがましいこと思ってるようじゃまだまだ下がいてだな…いやこんなことわざわざ衆目集まるところですみません。
俺もすまん(挨拶)。寧ろそれを伝えたい文章だった。俺の作文力の無さが光る。そう、自分が糞という意思をもってる時点で自分を肯定できてるから、そんな奴らの言うことなんて何の参考にもならない。これはポジティブ思考でもなんでもなく、ただただそれを出来ない自分が沈んでるだけで、良い事はなにもないから安心してほしい(?)。
アドバイスなんて身の程知らずなことは一切できないけど、それこそカウンセラーがダイレクトに助けられる数少ない場面な気がする。先生は仕事だから聞くのは毎日のことで一人が増えても大差ないだろうし、自己開示はただするだけである程度意味がある。今は心療内科もいっぱいいっぱいだから難しいかもしれないけど、それに準じた相談をできる場所は結構あって、意外と人のいない穴場もあったりするからちょっと頭の隅に置いておくのも悪くないかもしれない。
https://www.cinema2d.net/entry/2020/02/18/090626
ボイメンと祭nineって、名古屋が地盤じゃない?もちろん東京にもファンはいるだろうけど。
ところでファンのボイコット運動が起きたとあるが、先月末くらいまでをTwitter検索にかけてみた限りでは、そんな感じはしなかったけどなあ。Twitterやってるのなんてオッサンオバサンだけだよって言われたらそれまでだし、ファンの間でしか分からない言葉とか使われてたらどうしようもないけど。
1年前に行われたらしい特別上映も、どちらかと言えばポジティブな感想に見えた。
どうも何度か上映延期してるみたいで、ファンも「公開されるのか?」みたいになってたし、元々何か大人の事情があったんじゃないの?って気がするがどうか。
ちなみに俺が小学生の頃、通学途中でゲロ吐いた時にお世話になった上級生のお姉さんが、祭nineのメンバーうちの一人の母親らしい。
恋愛における公正とは、執念の順に望みのものをゲットするということです。
みっともない、正しくないものです。
たとえば「相手が幸せであれば自分のものにならなくてもいい」というのは
ライバルを押しのけてもいじましいアピールをしても相手を手に入れたい。
それが恋愛です。
具体的に何が言いたいのかといえば
『5等分の花嫁』のあの勝者は私には面白くないということです。
道徳的です。
姉妹のうちで最も心が清いと言ってよいでしょう。
長い期間片思いというなの執着を燃やし続けたり、
こういう欲望と恐怖と勇気を見せてくれた人に勝ってほしいでしょう?
そういう人を差し置いて、後から来て物語終盤で恋愛感情を自覚した人に余裕綽々でホイホイッともっていってほしくないんです。
5等分で言ったら、
途中から好きとか言い出して、誰が見ても突っ込みたくなる恥さらし状態で
自分でもディスアドバンテージを自覚しながらそれでもがんばるという人とか、
姉妹の中でお姉ちゃんとして常に自分を抑えて大人の振る舞いをしていたのに
ちょこちょことせこい贈り物作戦で好感度稼ごうとして反応に一喜一憂していたり
途中からぶっ壊れて妹達に変装して情勢操作をもくろむという大反則に打って出る人とか、
そういう人の方ががぜん応援したくなるんですよ。
あの勝者の子は何ですか。
見苦しい手や汚い手を一度も打たなかった。
誰に対しても恥ずかしくない振る舞いしかしなかった。
ライバルの姉妹を出し抜いてでもアピールするような心がなかった。
こんな子に勝たせちゃダメでしょ。
男の方も不見識です。
ただただ一番自分のことを支えてくれた、害を及ぼさずに利益を与えてくれた女を選ぶんです。
なんてつまらない男でしょう!
ストーカーやヤンデレ、腹黒属性のあるキャラが必ず勝っていつも正ヒロインになってしまうってのはちょっと…多様性がないと思わんかね
あーもー長々例示つきで書いたのにこういう全然わかってないレスが来るとがっかりしちゃう
ヤンデレとかストーカーとかそんなもんなんにも面白くないんだよ
それらはそういうジャンル、キャラ造形として最初から設計されて宣言されて受容されるっていう退屈なお遊びだよね
ちゃんとまともな社会的人物として生きてきた、普段そんなことしない人として立てられたキャラが、
そこを踏み越えて汚いことや恥ずかしいことをしちゃう、そういう総体がいいんだよっていってるでしょ
というかねえ、ヤンデレだのストーカーだの腹黒だの、人の人格をそういう極端な類型で説明してしまうような創作はあんまり程度高くないと思いますよ
そんなんばっかり読んでるからもう少し解像度の目の細かい話してる人間に向かって「つまりヤンデレやな?」みたいな粗雑なまとめでかえしちゃうんですよ
あなたの脳が粗雑な創作によって型にはめられているってことなんですよそういうのは、もっと危機感持った方がいい
イカちゃんも期待してたんだけどまさに粗雑なヤンデレキャラという第一印象のままフェードアウトしてしまってもう影すらない
ジョバーと化して小学生や大天使にすら負けるし、女子最高の才能とはなんだったのか・・・
kuzudokuzu 残念ながら増田の言い分自体が「俺には執念がある!だから俺の執念を通せ!!」なので、それに気づかない人ぐらいしか「よしやってやろう!」と話に乗ることはない。
2020/02/18
誰が「俺の執念」とか、私個人の話やリアルの話をしてるんですか。
「よしやってやろう!」というのも何をやってやるのかわからないし。
上の雑な人と違って何言ってるのか全く分からない。
大丈夫なのかこの人。
「お話の中ぐらい公正世界を求めたい」はフィクションに対する愚弄である。フィクションは現実的であってもなくても理想的であってもなくてもよいのだ。皆、好きに作るべきだし、私も好きに読むし、君も好きに読め。
こんなの勿論私の趣味・私のお気持ち表明であってこれが世間のルールになるべきとは思いません
ただ自分の趣味をこうやって整理して熱弁したらみんなもその趣味をどう思うかとか自分の趣味はこれであるとか言ってくれるでしょう
これは確かに断りを書き忘れた私の落ち度です
学園ラブコメで言ったらライバルをいじめの対象にして蹴落とすとかそこまで行ったら肯定しません。
また、ジュビロはそもそも恋愛を描いたのではなく「執着が人を不幸にする」という世の真理の方を描いたと思います。
一時期萌えおじさんになって恋愛を描いてましたが(蛇足と言われてるけどあの村の3姉妹とか好き)、
「行き過ぎた執着で自分も周りも不幸にした悪のおっさん」を描くことのほうがずっと多いです。
設定的にはその通りなんですが
ぶっちゃけ作者から「この子の目はありません」という目配せのような扱いのギャグさがあったのと
マリーを例にすると特定のキャラへの思い入れで言ってると思われそうなので
まぁ押しが強いキャラって、当て馬というか、主人公にガンガンアプローチすることで正ヒロインがやきもち焼いたり、気付いていなかった恋心に気付かせる役割ばっかりなので、まず勝てないってのは哀しくはあるな…。
その問題は原因が3つあると思っていて
1.積極性が強い=「遊び人」「フシダラ」という古来の非難や敵視の目線
3.押しの強さの中で粗密やドラマを作るという複雑なことに挑戦出来なかった技術不足
ですが、
そういう意味では2が本当の敵かなと。
ごめんなさい、truetearsとschooldaysがまじったタワゴトを書いてました。
どっちもしってて全然違うのになんだこれ怖い。
あの漫画の中で最も執着と献身性、純白の狂気を見せてくれたのは千葉県さんだからね、しかたないね
恋愛は執念ではないわ。見た目等の自分の売りのステータスを伸ばし相手の好感度を上がる選択を選ぶのが大前提!突き進むだけの猪では現実でもバウムクーヘン確定よ。/変態仮面は清楚では無い二号ヒロイン選んだな。
恋愛ゲーのあのシステムも一面の正しさを含むかも知れないけど、それ以上にあのはっきりしたステータス主義の結果として「そうか、中スペの自分に恋愛は無理なんだな」と考えて身を引く奥手男性を結構生み出したのではないかと思っています
ステータスを伸ばしてからどうこうっていうのがそのまま役に立つのは恋愛というよりむしろ婚活のような気がしますがボリューム世代で未婚が増加した後の日本ではもう手遅れなかんじ
伝説の藤崎詩織さんのあの振る舞い(デフォステータスでは一緒にいるのが恥ずかしいといって偶然出くわして一緒に下校することすら拒む、ステータスが上がると寄って来るし高ステータス時にデートに誘わず放置してるとキレる、これで問題のある高慢ヒロインではなくメインヒロインという設定)を作った人
恋愛工学創始者並みに恋愛をシニカルに嫌悪しながら見てたのではと思う
お前の攻撃には執念が足りんぞ
あの概念凄く好きです
昔の少年漫画で敵が言ってくることとして相当凄いですよね
お前の攻撃には欲望が足りん、執念が足りん、そういうアドバイスが出てくる世界
その後の無想転生は我執を捨てた境地ですが
読んでみます。
いやそういう話じゃないって言ってるでしょう。
あなたがそんな読解力のないコメントをするのは意外だし残念です。
書き換える前のコメントの方が良かったな。
完全にストーカーの理論やんけ、怖いわ。むしろ恋愛がもたらす煩悩的な執着をしないほうを人は選ぶよね、というメッセージとして作品が成り立ってるのに。自分だって執着するだけの相手選ばないだろ…知らんけど
この人達は「ノーマルな恋愛」を清いものだとかいかぶっていると思います。
ちゃんと読んでないからアレなんですが、あれは恋愛漫画じゃないと思います。
確か宇宙人の妹がハーレム志向を提唱しだしていたとおもいますが
一種の優しい世界としての勝ち負けなしのハーレムで終わればいいんじゃないですか。
そういう風に終わったのかは知らんけど。
五等分の花嫁は読んでないけど、「ただただ一番自分のことを支えてくれた、害を及ぼさずに利益を与えてくれた女」って主人公に一番尽くしてるってことじゃないの?公正さを求めるなら、むしろ選ばれて当然なのでは。
「私の考える」「恋愛における公正」がなんなのかは文頭で説明しましたよね?
あなたが言ってるのはあの子が一番性格が清くて善だということです。
あなたも私の話をよく読んでください。
増田は根本的に勘違いしている。これは読者層で違うんだよ。少年漫画なら、控えめな優しい女が勝つ。少女マンガなら、努力する気丈な女が勝つ。例。「恋はつづくよ どこまでも」 / 男の願望と女の願望は違う。
そうでもないです。
少女漫画でも気丈に努力してアピールしてきたハイスペ美人が振られて途中まで「あいつのことなんてどうも思ってないし」とかとぼけたこと言ってた主人公が勝ったりします。同じくそばでジッと主人公を狙ってた男もよく振られます。
「ヒロイン失格」はどうや?イケメンの幼馴染という特別な地位に甘んじて舐めプしてた主人公がノーマークの地味喪女にBSSされたショックをバネに物凄い顔芸を繰り出しながらイケメンに縋り付くパワー系ラブコメ。
あれの作者は主人公もイケメンも偏差値低そうな人間ばっかり自覚的に描くのがすごいですね
アマゾンレビューで主人公が卑しすぎるとか最終巻表紙の笑顔がマジキチすぎるとか怒ってる声多いけどわたしは楽しみました
ただし逆転で捨てられた地味子がベタなメンヘラビッチになるのだけはいらなかったと思うけど
主人公とイケメンのやったことがそれぐらい人を傷つけることだと作者は自覚し認めてるんですよね
同作者の次の漫画がまた主人公も友達もイケメンの先輩(たしか留年)も全員偏差値低そうな感じで笑いました
あれはフィクションでやたら予定調和的に上手く行く「あえてきついことを言って奮起を促す」コミュニケーションが実際は上手くいかんやろみたいな試みですよね。
ただあの子は最初はそんなことしようと思ってなかったけど全然取り付く島がなくてああなったんだし怪我のことも知らされてなかったしあの場のコミュニケーションを間違えたというより最初から上手く行く選択肢が出てなかった感じ。
そしてあの球児のほうは何の誠実さもなく甘やかしてくれるだけの青田買い打算女に励まされて復活するのですが、次の試合ぐらいでメタくそに打たれて敗退することが別の話で示唆されています。
スネイプ先生はしょせん最初から最後まで死者を追い続けてるので自分は何も報われずに死すところまでが美しいんですが、
ハリーが女生徒だったりスネイプ先生が女性だったりしたら一点してキワキワの危険人物になった可能性ありますよね。
そのケースの生の匂いと厄みが増大したスネイプ先生も見てみたかったです。
あそこはあんまりそういう目で見てなかったので「え!?」ってなりましたよね。
潔子先輩が大好きなんですが、それゆえに後日談でもあの中の誰かとくっついたりしないだろうなと思ってたら
え、田中? 一途に頑張れば普通に手が届く存在だったんだ???
言葉 | もともと | 今 |
---|---|---|
バズワード | ネガティブ。曖昧語と似たニュアンス。みんなが意味わからず流行りで使ってて素人も使いだし定義もぐちゃぐちゃになってる様から。例:「AIとかバズワードになってしまって、言葉の一人歩きも甚だしい。」 | ポジティブ。流行っていて共通語として使える言葉。例:「シンくんすげぇ!ツイートするたびバズってバズワードメーカーだわ!!」 |
レガシー | ネガティブ。古くて改修したいけどもう触れないレベルのソースコード。レガシーコード。例:「ちょっとまって、このレガシーの改修が1週間で終わる前提で話し進んでない?」 | ポジティブ。いい意味としての遺産。例:「シンくんやべぇ!すべてのツイートがみんななの中に残ってレガシーとなっていっている! |
あとひとつは?
ハフポスのひろゆきインタビュー↓について、ツイッターやはてブで「こりゃひどいなー」って反応を見たのでそれについて書く。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5e3cb7f5c5b6b70886fd0627
ツイッターで一番見たのがこの反応、「昔のネット(特に2ch)はミソジニーが酷かったから女性も男性のふりしてただけだよ」ってヤツね。
この反応、実体験に即して記事を批判してるように見えて、むしろ記事の論旨を強化してしまってるんだよね。
記事の主張は「新聞等のネット以前のメディアは男性主体だった、でもネットは男女両方を読者として想定している(ただし初期は男性が多かった)」なわけで、()内を否定しても意味無いというか、むしろ大筋の論旨に反してしまう余計な枝葉をそぎ落として、親切にも元の主張を強化してしまってるんだよ。「昔からネットは男女両方が読者だった」ってね。
結構この人は信頼できるだろうと思ってた人もこの反応してて驚いた。そんなに読めないかね、これ。
あとこれは蛇足だけど、記事での主張は「居なかった」ではなく「少なかった」なんだから、個人の実体験だけではそもそも否定できてないんだよね・・・。
専業主婦のくだりとか、「女性は顔がある程度かわいければ、そこそこまともな結婚ができて一生食いっぱぐれない」とか、自分も「うわ、きっつ」って思ったんだけど、ちゃんと日本語を読むとこれに対する大半の批判は成立してないんだよね。
まず「女性は顔がある程度かわいければ、そこそこまともな結婚ができて一生食いっぱぐれない」の方なんだけど、この文の前と後に
前:「日本の男性には「生まれ変わったら女になりたい」っていう人、そこそこ多いと思うんですよね。」
後:「そういう男の人には、女の人の生きにくさは見えていないし、」
って文があるの、つまり「女性は顔がある程度かわいければ・・・」は、ひろゆきの思ってることじゃなくて、「日本の男性に~そこそこ多い」「そういう男の人」の思い込みであって、ひろゆきはそれを客観的に「女の人の生きにくさが見えてないな~」って思ってる立場なの。
わかる?これを「ひろゆきがそう考えている」って読むの日本語が読めてないレベルの誤読なんだけど、やっぱ文章読めない人は読めないんだなーって思った。
次に専業主婦のくだり、専業主婦をラクだと言ってたり、↓のように自分の偏見を吐露する部分はフェミニズム的に批判対象になり得る部分だと思う。
ただ母親を見ているので、「そうは言っても女の人の方がラクだよね」ってのはどこかにある。母親が働いている家庭に育っていたら、その専業主婦のイメージは湧かなかったでしょうね。
ただ、↑の直後に↓の文が来るのね。
他人の経験や本などから学習できる人って少数派で、自分の経験からしか判断しない人はやっぱり多いと思います。そういう意味では、「自分と違う人は見えない」というのが多数派で、それはなかなか変わらないんじゃないかなぁ。
これ、つまりひろゆき自身が「自分の経験からしか判断しない人」であり(少なくともその一面があり)、だから「女の人の生きにくさが見えていない(という事自体は見えている)」、って言ってんの。つまり自分の視点を相対化してんのよね。
だからこそ「母親が働いている家庭に育っていたら、その専業主婦のイメージは湧かなかった」なワケ。前述の偏見は普遍的に正しい話では無く、育った家庭で変わってしまうような一面的な「見え方」でしかない、と。
そもそもこの部分のタイトル「女性の「生きづらさ」が見えない理由」だからね?
こういう自分に見えてる景色を相対化する文を全部すっ飛ばして、「ひろゆきは(素朴に)女性がラクだと信じているんだ」と読み取るの、マジで国語のテストだったら0点だと思う。
(なおこの部分、「自分と違う人は見えない」と普遍化していて、「女性も男性の生きづらさ見えてないよね?」とも読めるようになってるの、強かだな、と思う。ここは反論できればするべき箇所かもしれない)
これまで挙げたような反応は多く見られる一方で、この記事のメインとも言える「今の日本では“フェミニズム”って言葉を使わないほうがいい」理由、つまりフェミニズムがミサンドリーや過激派を「自分達とは違う」と言えない問題については批判側からあんまり反応が見えなかった(少なくとも自分からは)
それそのものが象徴的だよね、あっ、そっか、この人たちはこれからもそこは直すつもりないんだ……って思ったわ。
記事にあることを読めばフェミニズムの現状は「本来の保守がネトウヨを自らから切り離せず、「あれは違う」と言えてないような状況」だとまで言われてる(と読める)のに、そこはもう放置なんだ、って。
まぁ分かるよ。
今後フェミニズムは絶っっっっっっっっっっっっ対に過激派やミサンドリーを批判出来ないだろうし、する気も無いんだろうね、それは今回の記事に関わらず良く分かる。そんなこと絶っっっっっっっっっっっっ対に無理だよね、凄く良く分かる。貴方達には無理だよ。
この記事への・での「フラット」の意味については批判側も擁護側も読めてないのが多かった。
とりわけハフポスの編集者が↓のようなツイートをしてたのは驚きだったね。
フェミニズムに関心がない人の目線から、そこそこフラットに語ることができるひろゆきさんに聞くから、理解できる層が広がるという取り組みのはず。彼の見解で賛同できないものはもちろんあるけど。
記事の中で髙崎さんが「とてもフラットに見ていますよね」って言ってることを批判してる人もだけど、この記事で「フラット」はポジティブな形容じゃないからね?????
読めばわかるけど、フラットと言われて「男女の立ち位置にそんなに違いはないと思ってる」と言うひろゆきに対し、
髙崎さんは「フェミニズムはまず「男と女は立ち位置が違っている」というところから始まっているのですよね」「もともとフラットな関係じゃない」と言ってるの、
つまりひろゆきの「フラット」な現状認識そのものがフェミニズムから見れば間違ってる、と言ってるの、わかる?
だから少なくともこの記事の中で・この記事に言及するときに「フラット」はネガティブな意味で使われてると理解するべきだし、ポジティブな意味で使うのは間違ってるの。
べつに今更なんだけど、マージで文章が読めない日本人って結構(この人は信頼できると思ってた人でも)居るんだなって実感したわ。
(なお、これをここに書いたのはツイッターで書くのは怖いなと思ったから。少なくとも自分自身は論理的な読解だと思ってるけど、そうだったとしてもフェミニズム側からは「敵に与した」としか理解されないんじゃないか、という危惧があった。今のフェミニズムにはそういう怖さがある、と思う)