はてなキーワード: グラデーションとは
いやなに、人には長所と短所っていうのがある。短所がない人間なんていない。
健常者と障害者の境目は曖昧で0か100かではなく、もっとグラデーションであるという事も知っている。
自分も普通に見えてるあの人も100パーセントの健常者なんてものはないのだろう。
例えば部下がその手の人だとしたら、それは仕事だし上司としてあの手この手で工夫して共生を考えると思う。
締め切りを守れないだのタスクを忘れてしまうだの部屋が汚いだのそんなことはどうでも良い。
・どうでもいい自語りをドヤ顔で話す。そんな事誰も聞いちゃいねえという事を長文で話す。誰も聞いてないと拗ねる。
・構ってちゃんムーブをする。上手くいかないと「そんな事言ってると私友達止めちゃいますよ」みたいな事を言う。何でそんな自分に自信があるんだ……。
・被害妄想が激しい。例えば誰かがした何気ない話を自慢された・マウントを取られた・自分が酷く言われた等誤解する。もちろん話をしている方はただの雑談のつもり。
・人にものを与えられない。感謝とか尊敬、人のために何かをするという感情がない。人から何かしてもらっても気付けない。
・行間が読めないので、基本的に読み違える。(結果として前述の自語り・拗ね・誤解が定期的に発生する。)
これらが「発達障害によるもの」なのか、それともそれによって色々不幸に見舞われて歪んでいってしまったのかは分からない。
でもそういう人ばっかりだ。
あえてカッペと言う見下した言い方をするのは
やつらが「自分の価値観以外のパラダイムを認知するための脳の容量がゼロだから」な。
でさあ、
「あっふーん(察し) 相当貧しかったんだ?」みたいな反応が返ってくるわけ。
え?いや親父は慶応卒でいいとこ勤めてて年収はかなりだったよっていうと
もう「嘘だ!」ってブチギレて発狂してくるわけ。
何にキレてるのかさっぱりわからなかったけどなだめながら話を聞くと
「車を買えないならしょうがないが、車を買えるのに買わないということはありえない、認められない」
っていう話らしいのね。
当人も何にキレてるのか整理できてないんじゃないかってぐらいキレてくるんだけど
要するに車マスト価値観を否定されたことに対するショックがすさまじいっぽいわけ。
俺もさすがに
いやなんでそんなに怒るのかわからんし
特に不自由も感じずそれで育ったし(「休日に出かけるときに電車!?みじめじゃないか!」って言われた)
嘘だっていうけど顔も知らないあなたにそんな微妙な嘘をついてなんになるの
っていうんだけどまあ信じないし落ち着かない。
要するに田舎でしか暮らしたことがない人と首都圏で暮らしてる人間の断絶な訳よ。
俺は生涯首都圏だけど、地方で車がマストだし便利なんやろな―っていうのは想像は出来る。
震災後に福島に観光に行ったときはあーレンタカー借りればよかったんだなって思ったし。(まあペーパーだから知らんとこ運転する自信なかったけど)
首都圏だとあなたが日々実感してるような自家用車の有難味が全然感じられないし
駐車場代とかも田舎とは比べ物にならないし、かわりの交通機関も発達してるし、
ライフスタイルにもよるけど自家用車持たない選択も全然あるんですよ
ってことがどうしても認められない。
この「認められない」ってのが重要なんだけど、
単に想像できないって言うのを通り越した「認められない」の気配を感じたのよね。
車が要らないっていうのは別のライフスタイルの示唆をされるという以上に
自分の価値観や人生に対する根本的な否定として受け止めてるんだなって
何度かその種のカッペとやりとりするうちに段々わかってきた。
どっかの砂漠の民に「ラクダは持ってねえし要らないですね」って言ったら
「我々の生活と魂と祖先を根本から否定したな!」ってなるかもしれない。
カッペに自動車要らねえって言ったときのあいつらの激烈な反発はそういう感じの作用が心の中で起きてる。
https://anond.hatelabo.jp/20201017180336
こいつは俺が過去に遭遇した砂漠の民族的カッペよりは知識的には「外の世界」を認識してるんだけど
それでも根っこの部分で自動車に対する心理的な何かがあるよね。
こいつらのそういうぶぶんを察知せずに「自動車のツールとしての便利さ」「環境の違い」だけで話をしようとするとどこまでも荒れるのよ。
カッペが本当に認めてほしいのは自分達の車に対する愛着とその文化なので。
そこを自分で客観化も出来てないので一方的にこっちが察知・洞察して配慮してあげないといけないのがめんどいんだけど。
baikoku_sensei これだから 田舎のゲイは嫌いなんだ! 人口密度低くて ゲイ人口も少なくて 人と接する機会が少ないから コミュニケーション 能力が育ってない!
あれはむしろエスコートマナーや会話のとこでお前のそれ未熟やんてなってるだけだから
異文化コミュニケーションとしてはむしろ圧倒的に「通じ合えてる」方なんだよな。
同じ尺度や同じ欲望の中であなたはまだまだですっていうだけ。まるっきり同じ輪の内側。
ゲイという独自文化や男のチンポと言う強い目的が他の色んな差異を埋めてしまえてるんだ。
Tmr1984 都内乗用車めちゃめちゃ走ってるのに。さてはテメエ東京エアプだな笑
2020/10/18
テメエはまず日本語読めるようになれ。
Yutorigen 都会に住んでて車持ってない側だけど、この価値観と同一だと思われたくはない
あのさあ
俺自身は車に乗らない(必要としてないし車へのフェチズムや憧れも全然ないペーパードライバー)けど
自動車を持つことについて否ともなんとも言ってないよね
「田舎では自動車は必須だろうけど首都圏ではなしという選択も有り得る」ぐらいしか言ってない
俺の文章が偉そうなのは認めるけど何らかの価値観の話なんかしてねーのよ
mayumayu_nimolove 内容がひどくて3行読んでやめた。せめて読ませる文章作らないと誰も読まないよ。
読んどるやん
で、お前はカッペって言う差別用語に拒絶反応を感じたからやめたんだろ?
それはまともな感覚だけどその自分が何に拒絶を感じたのかっていうのを客観的に把握して正直に表現してほしいわけよ
nenesan0102 そういう人いるけど、あまりに想像力がなさすぎて会話が成り立たないよね…。増田大変だったろうな。都心部だと電車、たまにタクシーが一番安い
2020/10/18
この文の主旨は「カッペは自分の文化の外を想像できない」じゃなくて「カッペにとっての自動車はツール以上の精神的な何かだよね」だ
sakuragaoka 東京は自動車の運用が著しく不便な土地なので仕方なく公共交通機関使う場所、と思ってる。保有はしてたけど普段の移動はやっぱり電車が早いし。
そうね
東京で車乗る人は多かれ少なかれ車の所有とか運転体験とかなんかしら趣味性を持って好きっていうのはあるでしょ
そしてそれはたぶん田舎在住者の無いと死んじゃうツールとしての切実さや砂漠のラクダとしての愛着って言うのとは重なる部分はあっても全く異質な部分もあると思う
うん
そのうちにああこいつらにとっての車はなんか侍の刀とか牧畜民族の羊とかそういう市民権や豊穣を象徴する何かなんだなっていう気付きを得た話なんだよね
sangping 要するに都会暮らし自体が不便なんだよな。どう考えたってドアtoドアの車の方が便利だもん。自らの気の毒な境遇を自覚していない都会人の価値観が他者に理解されにくいのは当然だが、当人はその方が幸せなのかも。
ごめんそういう話はしてないし全然興味もないから賛成も反対もしないし勝手にやってくれ
俺自身はそんなに都会のメリット享受してないし田舎暮らしいいなーって思うこと多いよ
人間関係とかうざそーみたいな消極的理由で移住までは出来んけど
differential “俺は生涯首都圏だけど”都民じゃないのか笑(マウント)/うちは使用頻度低いから売ったけど実家(都心)も車持ってたし周囲も車持ってる人多いよ。通勤圏の県住みの人はもっと保有率高いと思う。
土地に対するコンプレックスとか全くないのでそういう感じの(笑)やマウントが全くわからない
それをやる人はかなりそういうコンプレックスがあるのねー、としか…
一番愛着感じてる町は小学生の時住んでた江東区だよ 夢の島(ゴミの島)とかに隣接する人気のない感じが好きで好きで
hyoutenka20 地方民も仕事や大学等で東京に行く人は多く、地方にいても東京マスコミの情報ばかりで東京の生活を認識できてる人が大半
東京の生活は東京に住まずにメディアの情報だけ見ててもやっぱりわからない。(逆も同じ)
なのに地方に居ながら東京の情報を見せられ続けてるとどうなるか?
完全未体験なのによくよく知悉してると勘違いするようになるんだよ。
これはどのジャンルでも恐ろしいことよ。
たとえばオタクって空手と合気道が戦ったときの相性について得々と語れる奴いるのよ。
どっちも自分でやったことすらないんだけど、刃牙とか格闘漫画でよく出てくる構図だから。
空手の打撃はこういう風に合気道にさばかれちゃうって「知って」るわけ。
そんな感じで格闘技とか筋トレに関する事って全く未経験なのに一家言持ってる男は結構いる。
漫画をはじめとしたメディアで変な情報は沢山載るので、それを見てるうちに「ちょっと、いや結構知ってる」って気分になるの。
バーベル触ったこともないくせにウエイトトレーニングのアドバイスしてくる奴マジでいるからね。
もっとすごいのだと、スポーツクラブでどこにも筋肉がない体の奴が明らかにやってる身体の人に何か助言してるのを見かけたりする。
何が言いたいかと言うとメディアの情報では実態を知ることどころか想像力すら養われないし
「何も知らないのに知ったような気になる効果」に自覚的で気を付けない人には小さくない害ですらあるということ。
土地に対するコンプレックスがある人も憧れがある人も、知らないんじゃなくて「中途半端によく知ってる」状態なんだよ。
俺はどの土地が恥ずかしいとかどの車が恥ずかしいとかそういうコンプレックスが全くないけど、それはそもそもあまりにも興味がなくて知識が全くないからなのよ。
そういう格付けとかを気にする奴は土地のランクや車のランクに滅茶苦茶詳しい。
住んだこともない土地や乗ったこともない車についてメディアから大量の情報を取ってる。
summoned 雑に広範に刺さる蔑称を使っておいて、「これはこういう意味で言ってるのでありまともな人には言ってません悪しからず」って面倒臭い注釈で反撃封じる言説は卑怯かつ放置すると本来の蔑称の意味で広まるんだよな
そりゃ俺だってリアルではこんな常識疑われそうな言葉は使わんけど
はてなはジャップだのマイルドヤンキーだの始めいろんな蔑称が常用されて許されてる治安の悪い場所じゃん何を今更って感じ
人の言葉遣いに突っ込むよりも自分の口や自分のいる場所に注意力持った方がいいぞ
kamezo わかりあいたいなら「カッペ」とか言ってケンカを売るようなことをしなければいいのに/それでもわかりあえないこともあるが、それはまた別の問題よな。 コミュニケーション
分かり合いたいなんてどこに書いてんだ
本当に文章の読めない奴が多いよな
俺はこのエントリで「カッペの生態や精神世界はこうなのではないか」という観察所感を発表してるんだから
元々カッペに対して失礼な文章であってこれはカッペと言う言葉を「地方在住者の中の一部の我の強い方々」とかにしても本質は変わらん
つまりこの文章でカッペに語り掛けたり分かり合おうとしたりしてないわけだ
この文章でカッペと分かり合おうとしてるつもりだとか言ってたらそっちの方が傲慢なやべーサイコパスだと思うぞ
HEXAR 増田が都内以外の地域で車を所有している人たちの暮らしや価値観が分からないのはもったいない気がする…相手は決して見下す対象ではないし車があるとどういうところに遊びに行くの?とか聞いてみればいいのに〜
あのさあ
だからさあ
俺は車に乗らんけど車必須な人や車が好きな人や車がラクダな人の生活を否定はしておらんの
というか意味わからんぐらい車好きな叔父とかいてなんか有名らしいオープンカーに乗せてもらったりするの(けどそれの名前も全然覚えられん)
興味はないけど別に車を嫌ってはいないしただ運転には自信がないしそんなに車で出かけたい場所がない生活なだけだよ
誰が「自動車好きの奴うぜーわー 車なんか買う奴バカだわー」とかいう話をしてんだよ
そんな話は一ミリもしてねえわ
ちゃんと読んだうえで俺に突っかかってくる奴(こいつらには何の悪感情も持てない)とかよりはるかにウザいんだわ
お前みたいなのはほんと、ちゃんと人の話を理解する能力付けた方がいいよ?
俺の今回の話も「全く予想外なわけわからんキレ方をする異文化の人をなだめながら話を聞きだしてその人の背後の生活や精神世界を探って言語化してみた話」なわけ
お前はレベル3もねえよな
そりゃお前は表面的にはスマートで行儀も悪くないのかもしれない
けどそうやって攻撃的じゃないポジティブな感じの口調で飾ってたって
関心や理解のレベル3未満ならそれは無能だし、会話してて面白くねーし、もっと端的に言えばバカって言うんだよ
カッペみたいな差別語使う俺よりお前みたいな行儀がいいだけの無能の方が対人関係においてはよっぽど無礼だし見るとこなしだと思うのよ
あっ
これは全然違う
「えっ車がなかった…(察し) 貧しかったんだね」っていうのは
そのカッペ氏はほんとにそういう風に察してただけでこっちを気遣うニュアンスの発言だった
煽りだなんてとんでもないしそこまでは普通に和気藹々と会話してたの
カッペ氏が突如猛烈にキレだして険悪になったのは
俺が「全然貧しくはなかったけど自動車は持ってなかった」ことを理解してから
俺が別に貧しくはなかったよってのもただそれだけ言っても信じない(自動車持ってないのに貧しくないなんて!)勢いだったから
作り話では用意しにくいディテール付きでむしろ裕福だったよって言う説明をしたわけ
カッペ氏の様子が激変したのもそういう説明の中で「裕福なのは嘘じゃない」「でも自動車は持ってないらしい」ということを理解してからだった
そのキレるタイミングやキレかたが不思議過ぎたからなんじゃこれって印象に残ったし、なだめながらなんでキレてんのか探っていったのよ
その後似た感じの相手に数回遭遇して仮説を立てて確信を深めていった
…っていうこれもなあ
なんで家が裕福だとか言っただけで煽りだとかマウントだとかに直結するんだ
読解力がない上に発想の貧しい人達だな
dogear1988 この手の摩擦にはグラデーションがあってな。本当に一方的に発狂されたなら同情するが、車や地方の欠点を論った上で自分の文化圏を正当化する人間は都会側にもいるんで、そういう可能性を考慮すると何も言えない。
俺が「貧しくはないけど自家用車はなかった」と説明して、それが事実だと悟った瞬間にカッペ氏はキレた
つーか俺は車について興味も知識も全然ないから利点も欠点も語りようもない
よく積極的自家用車不要派が言う維持費がどうのこうのの話だって、いくらかかるのかとか全く知らねえんだからさ俺は
そういう車文化や土地文化の衝突に何の興味もねえって何度も何度も書いてんじゃん
dogear1988 価値観の押しつけなどへの反発には賛同するんだが、結論や追記で「車への愛着」自体を揶揄してるのはアンフェアじゃないかね。寧ろそこを認めないなら「ライフスタイルとしての尊重」とは言えんのでは。
えっ どこがよ?
そこを揶揄だと思うのはお前の自覚の方が足りてないだけだよ お前は武士やベドウィン族より何か進歩してるつもりなのか?
我々はみんな刀やラクダの代わりの何かに執着して生きてるんだよ
でも現代ではそういうのはだんだん内面的な対象に引っ込んでっているから今回のカッペのように外部的なものに生活や魂や権利概念がこもってる感じの執着のあり方は予測がつきにくかったし面白かったわけ
お前もお前のラクダは何なのかを考えてみるといいよ
memoryalpha しょうもないマウンティングなんて頼まれてもないのに隙を見せてるようなもんだから可愛いもんです。愛でてあげましょう。ただしルサンチマンこじらせてるやつは相手してはいけない(´・ω・`)
違う
自分の生活や魂を根本否定するような異星人に遭遇して驚愕し混乱しキレてた
って、もう何回書いても無駄だなこれ
読めない奴はどう説明したって読めねえんだ
kyo_ju まぁ日本社会の貧困化がさらに進むと、公共交通が死んで自動車保有が必須な状況をいいことに"クルマにかかる金(税・保険その他を含め)を払うために1ヶ月働く"ようなところまで搾取が深刻化するかもしれない。
こういう「元からどんな話題でもそこから何も受け取らず自分の言いたいことを繰り返すだけ」みたいなidの方がよほどムカつかずに見れるよなそういうコオロギみたいで
りーんりーん あべしねー にほんしねー
みたいな
秋も深まってまいりました
俺はあいつ嫌いだったけどよく知ってみると確かに考え方は似てるかもしれない
やり始めると止まらない。凝り性というか、ハマり症というか、1つのゲームを始めると、ある程度自分が納得できるまではプレイし続けてしまう。
色々なジャンルに手を出すが、うまい方ではないので、動画を見て真似たり、攻略情報を検索したり、SNSのゲーム仲間に聞いたりしながらなんとか自分なりのスタイルを見つけてクリアを目指す。
最近のゲームはクリアしても2週目要素があったり、やり込み要素があったりするのでなかなか終わりが見えない。1つのゲームのプレイ時間が数百時間を超えることも良くある。土日は1日8時間ずつ、平日は2-3時間ずつで週に30時間。1ヶ月で120時間。1年で1500時間。3ヶ月に1つハマるゲームがあれば、年4本はやり込みプレイができるし、隙間時間でちょっとしたゲームをやればさらに数十本。
ゲームの良いところは、よく言われるように気軽に達成感が得られることや、自分の成長が感じられるところ、自分の手の動きが画面に溶けて、無心になっていくこと。やり込み仲間を見つけて良さを語り合い、また次の楽しみを見つけていけること。
一番恐ろしいことは、飽きること。やり込みをしながら、画面に溶けた自分の手が段々と身体に戻ってきて、ゲームをしながらスマホ画面を頻繁に見るようになり、飽きていることが実感できるようになる時。特に、そんな状態で次にプレイしたいゲームが見つかっていないとき。昔やっていたものを引っ張り出して少しやっては、何か違うとまた探す。中毒の禁断症状とはこんな感じだろうかと思いながらも、手や頭は次のゲームを探し続ける。
飽きてしまった夕方、カーテンを開けたままの窓から濃い色のグラデーションが見えて、その色の鮮明さに驚きながらも画面の中に次の居場所を探す時。プレイできる時間、制限と自由度、プレイヤー人口、オンラインの賑わい、メタスコアの星の数、SNSの評判と開発者インタビュー、制作会社の実績。秋の夜空の星の数ほど楽しみが増えれば、こんなに恐れなくても済むのに。
二次創作物の判例が出たり、現パロ学パロ女体化の増田が見えたりしたので、このへんの私の感覚を書き散らさせて。
同人誌(漫画・小説ほか)二次創作における「キャラクター」って、突き詰めればリアクション集だと思ってるのですよ。抽象が「キャラクター」という概念なら、具体は「リアクション」。
学園パロディや現代パロディは特に服装を置換してしまうし、小説なら顔立ちは一目瞭然ってわけにはいかない。そういう意味では、原作の服も顔さえも、意外と必須ではないんですよね。名前は元の形が残ったほうがわかりやすいけど、アレンジ名つけちゃうことすらありますし。カタカナ名のキャラを無理やり和名にするとかね。
Aというキャラクターをあるシチュエーションに落とし込むと、どう反応するか? 二次創作中のその反応が、原作から醸成された「キャラクター」の共通イメージから離れていなければ、二次創作として十分成立するように思える。
だから、二次創作においては、極端なシチュエーションのほうがぶっちゃけ簡単なんですよねえ。キャラクターごとの反応がイメージしやすいし、共通イメージとの(ロジック的な)距離もひらきやすいから、いわゆる「解釈違い」案件とも距離があけやすかったりもするし。
学園パロや現代パロ、女体化などが延々と流行るのは、それがリアクションを取らせる上で簡単だから。閉じ込めてみた系とかも同じ構造だと思いますよ。
と、このように、少なくとも二次創作で扱う「キャラクター」とは、すなわちリアクションのコードだと私は思っています、という一意見でした。
傍証として、ノベル系ゲームの選択肢システムをあげておきます。あれは、プレイヤーの行動に対して、キャラクターの反応を変えることによって、キャラクターの反応コレクションとして機能しているんですよね。特定のシチュエーションにおける微差へのリアクションが豊かであることが、キャラクターを細かく立体的にすることに寄与する、というわけで、こと人格を描きたい恋愛ものとの相性が良いのだなと思います。
【追記】
>「行動様式の束」って言い方のほうが好き
やはり私個人としては「同人活動的二次創作においては『反応』様式」という言葉のほうがしっくりきます。能動的行動を含む場合、それはオリジナリティ成分の比重が高いと感じるためです。そして、一次創作でやるなら「リアクション集」では足りないんです。
いわゆる同人誌一冊全体を眺めた場合、設定流用という意味での二次成分と、アイデアの発露としてのオリジナリティ成分は混ざり合っていて、ある程度グラデーションを成すと思います(そもそも、作中において能動的行動と受動的反応を峻別することは困難です)。
一方で、例えば与えられたシチュエーション(例・学園、現代)の枠組みそのものを破壊するようなレベルの能動的行動は、学園パロや現代パロを描く二次創作界隈では通常要求されません。言い換えれば、「所詮は反応」でおさまるレベルの簡易な反応様式の描写であっても、二次創作の裾野においては十分主流たりえると思います。
トラバの「関数みたいだな」を受けて式に例えれば、シチュエーション×キャラの計算結果を描写する、と言い換えもできます。そこには
が並走しているため、シチュエーション部に代入するのは手垢のついたもので構わない、むしろ式がシンプルで理解しやすくて良いとさえ言えるわけですね。
また、複数のブコメで「キャラが立つ」という表現が見受けられたので、さらに参考として、公式二次創作物における「キャラ立ち」特化作品『おそ松さん』から、
『おそ松さん』EDテーマ曲 「SIX SAME FACES ~今夜は最高!!!!!!~」楽曲解説
https://togetter.com/li/913575
を参考に挙げます。
このまとめ内に
というくだりがあります(その方法論も面白いんですが、それはまとめ内で読んでください)。この楽曲は、ミクロの「キャラ」が実質的に口調(声や芝居を含む)であり、マクロの「キャラ」が思考・行動様式であることが端的に現れている事例だと考えてます。
さらに関連補足として、初音ミクというキャラクターも考えると面白いですよね。彼女は自身の「キャラクター」としてある種の〈空-くう、empty〉を獲得していると思いますが、その〈空〉っぷりは、(私から見れば)リアクションのコード=反応様式の束がコンセンサスを獲得できないことから来ているように思えます。
PowerPointの図形にグラデーションをどうつけたらいいですかと、持田さんが訊いてきたので彼女の席まで行った。机にはノートパソコンが開かれていて、画面にはとぐろを巻いたうんこが表示されていた。
ここなんですけど、と持田さんは画面上のうんこに指で触れる。段々になっているところにグラデーションを入れて、うんこのきれいな巻き具合を表現したいです。
彼女の席に座って、PowerPointで描いたうんこに垂直方向のグラデーションを設定する。下側の黄土色から上側のこげ茶色に向かうやつだ。持田さんは「おー、それっぽい」といって、かすかに手を叩く。
なんとなくそんな気がしたので、ランチ営業をやっている居酒屋に持田さんを誘って入り、二人ともじゃんぎ丼を注文した。
ほうじ茶をすすりながら、あのうんこは何に使うんですかと聞いてみる。
あれは提案資料のイラストですね、と持田さんもお茶を飲みながら答える。
「ほら、私、もう今月で契約終わりなんで。引き継ぎも終わったし、やることって特にないんですよね」
売り上げ回復の見通しが立たず、会社では契約社員の人の契約を更新しないことにしたらしい。普段一緒に働いていてあまり意識したことはなかったけど、そういえば持田さんは契約社員だった。
「有給なんてあってないようなものだったし。やめるってわかっていて、毎日会社に来て、何にもすることなくて座ってるのって、けっこうきついですよ?」
湯呑みの向こうから持田さんはこちらをちらりと見た。じゃんぎ丼はまだ来ない。
「増田さんはこうやってご飯に誘ってくれたりするからいいけど、他の人たちはあれ何なんですかね? 私がリストラ?されるってわかった途端に態度がぎこちなくなって、最近は話しかけてもこないですし。私はえんがちょ? うんこはそっちだろって思うんですけどね」
ようやくじゃんぎ丼が来て、二人とも食べ始めたので、話はそこでいったん終わった。この店のやつは、甘辛く煮たから揚げの上にフライドガーリックをかけてクリスピー感を増してあるのが好きだ。
食べながら、このあと会社に戻って自分は持田さんのうんこの完成を手伝うのだろうか、他の人に見られたらどう思われるだろうか、などとさもしい考えが浮かんだが、あとで考えようと思った。
店を出ようとしてテーブルから伝票を取ったとき、持田さんは次の仕事が決まっていないだろうなと思った。が、突然おごってあげるのもなんだか不自然で失礼な気もしたので、会計は別々にした。
ちゅうても結構それに近い、ファッションとか芸能とかそういう話は全然飛び交うわけで、この例に限らずそういう近い話題とセクハラとの境界を正確に認知できる人間って、人が思うほど多くない(だからこじれた問題になってる)と思うんよね。
あと、性衝動って言ってもかなりグラデーションがあるというか、ハラスメントまではいかないまでも性的に魅力を感じる人の前で口数が多くなるとか、普段とらない行動をとるとか、何なら単に「気力が湧く」とか、そういう現象でもあるわけで、そこを一律に無にできてる人間なんて存在しないし、じゃあどこからがアウトなのかってなったときに分からなくなる人間ってめっちゃ居ると思うわ。
その方からの敬意を感じるし、好意を感じてくれている部分や尊敬してくれている部分を言葉で直接伝えてきてくれます。
わたしはいわゆるカリスマ性質があるタイプで、男女問わずこういった感じになついてくれる方が多いです。
そういう子を見ていると可愛くて仕方なくなってしまい、男女問わず性的な欲望を感じてしまいます。
いまなついてくれている方は過去に出会ったわたしの信者のなかでも並みはずれてかわいらしく、いじらしくけなげで、従順で、可愛くて仕方ありません。その方を思って自分を慰める日々です。わたしの性別は、その方にとってほぼ確実に性愛対象だと思われます。つまりどうしたいかというと床に誘いたいです。
しかし、世の中においてはいくら好きでも性愛対象と親愛対象はあくまで別という感じ方も存在することを知っています。
わたしの場合性愛も親愛も一直線上のものですからこういう状況になっているわけですが、実際「性愛」と「親愛」が別だと感じる方は、どういった分け方をされているのでしょうか?
仕切りで区切られたようなもので、一度カテゴライズすると、もう二度と変更されることはないでしょうか。
もしくはグラデーションのようなものでしょうか。その場合は、相手から感じる思慕の中に性愛が含まれると見極める方法とはあるものでしょうか。
また、敬意が最大に達すると献身的になるものでしょうか。熱狂的な矢沢ファンのヘテロ男性が「矢沢永吉になら抱かれてもいい」とおっしゃってるのを見たことがありますが、それは矢沢永吉が性愛対象ということではなく、あくまで献身ということですよね。そういった切り口でも、活路があるのかな。
ともあれ、今の状態ではツラいため、本懐を遂げたい思いと、断られることへの恐怖で行ったり来たりしています。
※念のため注意書きしておきますが、その方との関係は仕事上のものや、何らかのコミュニティにおいて上下関係にあるものではありません。社会的にはお互いフラットな関係です。
女が村で子どもたちを育てている間、男たちは森で狩りをしていた。
女は、人間関係を調整するために感情の移り変わりに敏感になった。
男は、獲物を仕留めるための罠を工夫することで、論理的思考力を高めていった。
現代でも脳の深くにその名残がある。臓器・ハードとしての構造の違いこそないが、機能・ソフトは明確に異なる。
もちろん例外はある。全員を一列に並べると、男性よりの男性から女性よりの女性へなめらかに変わるグラデーションになっている。
でも大まかな傾向はハッキリしていて、それに従って文化圏も男女で分かれている。
これがブコメに上がってて、なかなか的を射た指摘に思えた
ようは未だに日本文化はスピリチュアルに汚染されて、死ぬことによって一種の浄化が行われるっていう社会の妄想があるように感じる
自殺が多いのもこれな
これが賛成派(この中でも本当にアホと思えるのは、「私は死刑を仕方ないと思っているだけで賛成していません」とか言う間抜けな言説で、おまえ死刑を容認してる時点で賛成してるってことじゃないか。論理の破綻に気が付けないほどに脳内深くに死刑があることが自然で当たり前という、やべー思想を深く刻んでるんだけど、こういうこと言っても本人完全に脳が狂っていて悪いやつ殺すのは当たり前って思ってるし、この文章読んでも多分理解は出来ないと思う。)は、社会の枠組みが世界の真理であると錯覚しているというか、主観的になりすぎてて見えないんだろうな。
殺人を容認するのが野蛮。これにはどれだけの人が合意できるのだろうか。
条件付きなら人を殺して良い、ってのにはどれだけの人が合意するのだろうか。
自分の手さえ汚れなければ、条件付きで人を殺すべきだ、殺されて当然だ、殺されるのもしょうが無い、ってのはどれだけの人が合意できるのだろうか。
私刑としての殺人から、社会合意による殺人(死刑のことね)まで、グラデーションはあるだろう。死刑賛成派と死刑反対派もこのグラデーションの中で、どこに居るかにもよるんだろうけど、この手の話題だとそれぞれ相手の立ち位置を、極端に解釈して一方的に叩いてるように見えるんだよな〜
ちなみに、私の意見としては、自分の手さえ汚さなければ殺されるのもしょうが無いってのも、結構野蛮だし普通に死刑は反対。
可逆的なのもあるし、死刑よりも人権のほうが優先されるというイデオロギーがまともだと信じてるしそれが当たり前になってほしい。
監禁するのと死刑にするので死刑にするほうが軽い。みたいなサイコパスじみた感覚の持ち主が日本に多いよな〜って感じるのも、最初に上げたように日本にはびこってるスピ文化のせいで、なんか日本人は死んで目的を達成する、死ぬことで一人前の人生を終えてとにかく良かっためでたいぞ!みたいな心持ちの人が多い気がする。
私は人が死ぬのは人が死ぬ以上でも以下でもないし、死体とか燃やそうが土葬しようが鳥葬しようがどうでもいいし、人が死ぬことに意味づけとかして、死者を祭り上げて死者の栄光で他人を操作しようとしてるやつ見ると吐き気するんだけど、そういうのがまかり通ってるのが現代のこの国の実情で、
死ぬことに特殊な意味付けをしている人が多く、死ぬことで贖罪が行われるという、迷信の影響が色濃く残り続ける限り、(あってもしょうがなーいとか言ってる事象死刑反対派じゃない人も含め)死刑賛成の人が減ることは無いだろうな〜って感じです
お盆とかも止めたほうが良い気がするんだよなー。死者が戻ってくるわけ無いじゃん。やっぱり死を軽く見すぎていると思っていて、こういうと指摘された人はそんなこと無いって顔真っ赤にして否定するだろうけど、はたからみてたらやっぱり死後の世界とか先祖とか、そういうフィクションに多かれ少なかれ影響を受けていて、死を軽んじているふうに見える。
随分お気楽なんですね、まぁ、作者側でなければその位の認識でしょうね。
「これがこの表現である必然性」「批判されても変えるべきでない理由」を説明できても潰されてしまう可能性
「誠意ある対応」などというものが実際に存在するかどうか、それが空想上のものでないか
誰かを傷付けるとわかっていても表現すべきだと思ったこと、その時に創作者としてどうすべきか
「傷付ける」の程度、グラデーション、あらゆる傷付きが「傷付ける」一つの言葉にまとめられてしまう事に伴う危険
何も考えた事が無いんでしょうね。よく分かります。
あなたが「きちんと」「誠意ある」という、具体的内容に言及せずに正しさを纏える言葉を何故使いたがるか、分かりますか?
その具体的な内容は考えた事が無いし、実際にその場面がどのように動くかも、その細部も考えたくないからですよ。
「きちんと」も「誠意ある」も、細部も具体的な内容も考えず、無根拠に「きちんと」「誠意ある」対応なるものが存在すると(勿論そんな前提は無いにもかかわらず)前提してしまえる言葉なんですよ。