これがブコメに上がってて、なかなか的を射た指摘に思えた
ようは未だに日本文化はスピリチュアルに汚染されて、死ぬことによって一種の浄化が行われるっていう社会の妄想があるように感じる
自殺が多いのもこれな
これが賛成派(この中でも本当にアホと思えるのは、「私は死刑を仕方ないと思っているだけで賛成していません」とか言う間抜けな言説で、おまえ死刑を容認してる時点で賛成してるってことじゃないか。論理の破綻に気が付けないほどに脳内深くに死刑があることが自然で当たり前という、やべー思想を深く刻んでるんだけど、こういうこと言っても本人完全に脳が狂っていて悪いやつ殺すのは当たり前って思ってるし、この文章読んでも多分理解は出来ないと思う。)は、社会の枠組みが世界の真理であると錯覚しているというか、主観的になりすぎてて見えないんだろうな。
殺人を容認するのが野蛮。これにはどれだけの人が合意できるのだろうか。
条件付きなら人を殺して良い、ってのにはどれだけの人が合意するのだろうか。
自分の手さえ汚れなければ、条件付きで人を殺すべきだ、殺されて当然だ、殺されるのもしょうが無い、ってのはどれだけの人が合意できるのだろうか。
私刑としての殺人から、社会合意による殺人(死刑のことね)まで、グラデーションはあるだろう。死刑賛成派と死刑反対派もこのグラデーションの中で、どこに居るかにもよるんだろうけど、この手の話題だとそれぞれ相手の立ち位置を、極端に解釈して一方的に叩いてるように見えるんだよな〜
ちなみに、私の意見としては、自分の手さえ汚さなければ殺されるのもしょうが無いってのも、結構野蛮だし普通に死刑は反対。
可逆的なのもあるし、死刑よりも人権のほうが優先されるというイデオロギーがまともだと信じてるしそれが当たり前になってほしい。
監禁するのと死刑にするので死刑にするほうが軽い。みたいなサイコパスじみた感覚の持ち主が日本に多いよな〜って感じるのも、最初に上げたように日本にはびこってるスピ文化のせいで、なんか日本人は死んで目的を達成する、死ぬことで一人前の人生を終えてとにかく良かっためでたいぞ!みたいな心持ちの人が多い気がする。
私は人が死ぬのは人が死ぬ以上でも以下でもないし、死体とか燃やそうが土葬しようが鳥葬しようがどうでもいいし、人が死ぬことに意味づけとかして、死者を祭り上げて死者の栄光で他人を操作しようとしてるやつ見ると吐き気するんだけど、そういうのがまかり通ってるのが現代のこの国の実情で、
死ぬことに特殊な意味付けをしている人が多く、死ぬことで贖罪が行われるという、迷信の影響が色濃く残り続ける限り、(あってもしょうがなーいとか言ってる事象死刑反対派じゃない人も含め)死刑賛成の人が減ることは無いだろうな〜って感じです
お盆とかも止めたほうが良い気がするんだよなー。死者が戻ってくるわけ無いじゃん。やっぱり死を軽く見すぎていると思っていて、こういうと指摘された人はそんなこと無いって顔真っ赤にして否定するだろうけど、はたからみてたらやっぱり死後の世界とか先祖とか、そういうフィクションに多かれ少なかれ影響を受けていて、死を軽んじているふうに見える。