はてなキーワード: グラデーションとは
先日もコーヒー沼増田がいたが、俺もリモートで家コーヒー飲むことが増えたから去年からがっつりやり始めた。
やることは焙煎、挽く、抽出なわけだが、このそれぞれに色んな方法があってこれが沼。
焙煎は浅煎りから深煎り、挽き方も極細から粗挽きまでのグラデーション、抽出はペーパー、ネル、サイフォン、フレンチプレス、エアロプレスと家で出来るのにもバリエーションが多数。
ここに豆の種類が入るから本当沼。
スキー板の購買基準はプリントデザインとブランドイメージで良いと思います。なお、異論は認めます。
鮮やかなブルーカラーと、潔い"RACE"の文字が特徴。S/RACEというモデル名を前面に出しつつ、テールには板の長さや細かいモデル名がわかりやすく表示されている。その反面、"salomon"のメーカーロゴの文字は非常に控えめで、簡潔なモデル形態と相まって非常にスマートなデザインに仕上がっている。しかし、ただスマートなだけでないのがこの板のカッコいいところだ。サロモンレースチームのコンセプトである"Sons of a Blast"のロゴマークがささやかに描かれているほか、20-21モデルではソール面に"SONS OF A BLAST"文字が大きくプリントされている。ゲレンデに吹く風のようにクールな外見と、その内に秘めるアツく激しい情熱が伝わる秀逸なデザインといえるだろう。
・Nordica DOBERMANN
赤黒のカラーリングと、ビンディングの前側に居座るドーベルマンのアイコンがイカツい一台。特に、小回り系の板はデザインのマッチョさがさらに映えており、SLレーシングモデルの"DOBERMANN SL WC"は板のトップに取り付けられたキャップがさらに力強さを際立たせている。ソール面にはトップにノルディカのロゴマークが描かれているほか、モデルによってはテールにドーベルマンのアイコンが描かれている。この板に乗るからには、固く締まったアイスバーンを凶暴にえぐりながらターンしていくような攻撃的な滑りをしていきたいところだ。
雪面で映えるオレンジのベースカラーに、黒もしくは藍色のメーカーロゴがシンプルに描かれる。一見シンプルすぎてつまらないデザインに思われるかもしれないが、ビンディングの前や、テールに記される"FIREBIRD"の文字に、翼をモチーフにしたアイコンがさりげなくデザインされている。削ぎ落したデザインの中にある細やかな工夫と、それに調和する"FIREBIRD"の名前に美しさが光る一台だ。
・ROSSIGNOL HERO MASTER 20-21モデル
14-15モデルから始まったHEROシリーズのデザインを踏襲しながら、さらにカッコよく進化させたデザインとなっている。鮮やかなオレンジ色のグラデーションや、ディスプレイにノイズが混じったような文字のデザインは、他メーカーの製品には中々見られないようなデザインながら、非常に完成度の高いものとなっている。鮮やかながら落ち着いたプリントデザインは、復活した老舗メーカーの新時代を想わせる。
・ROSSIGNOL Super VIRAGE V-LTD/V-TECH
"Super VIRAGE"は、かつて日本市場向けに開発され、日本中のゲレンデを風靡した憧れの名機である。この名機は約20年の時を経て、90年代を思わせるようなデザインをまといついに復活した。テールの"Super VIRAGE"のロゴマークはかつてのモデルを踏襲したものとなっており、ピンク色のベースカラーの上に描かれる濃いブルーの模様は、世界地図となっていて芸が細かい。そして、2021年現在ではかなり異彩を放つデザインにもかかわらず、トップに描かれるロシニョールのロゴマークが、他現行モデルとの統一感をしっかりと醸し出している。非常に賛否両論分かれるデザインであり、クソださく感じるスキーヤーも多いと思われるが、復活した往年の名機にふさわしいようなデザインであることには間違いないだろう。
1979年に誕生したロングセラーモデルの小賀坂Unity。14-15モデルから、白地に大きく"Unity"の文字を描く1979年当初のデザインが復刻し、「中身は毎年改良するが、デザインは極力変更しない」という理念と、本物を追及していく小賀坂の姿勢をひしひしと感じるデザインとなっている。他メーカーと比べて派手さや鮮やかさに欠け、垢抜けない雰囲気を感じてしまうものの、長い時を経てもなお強く流れる不変の小賀坂スピリットを感じるようなデザインであるといえるだろう。
大手メーカーのマジメなデザインとは違い、特徴的なフィッシュテールとアーティスティックなグラフィック、そして、遊び心あふれる工夫が存分に凝らされたデザインとなっている。年式によってデザインが大きく異なるが、魚の鱗を模した模様や、魚の形が浮き出るトリックアート、飛行機の絵など、どの年式のデザインも非常に美しいものになっている。そして、そのデザインを台無しにしないよう、メーカーロゴやモデル名のロゴはささやかに記されている。また、滑走面に描かれた「魚」の文字を模したマークは秀逸で、文字の一部が欠けているのは、この板の開発に携わったスキーヤーEric Pollard氏の頭文字"EP"をもじっているからである。
レーシングの世界で強い存在感を示すHEADであるが、板のデザインは少し残念に感じるところ。白地に黒でメーカ―ロゴなどを描くシンプルなデザインだが、白い雪面に対して白ベースのカラーなので、非常にデザインが薄味になってしまっている。そして、この薄味デザインは"World Cup Rebels(ワールドカップの反乱者たち)"という名前に対して完全に負けており、どうしても腰砕けな印象を受けてしまう。HEADのアルペンスキーシーンでの活躍は、(反乱者というより、むしろ支配者の気がするけど)決して名前負けしていないものであるが、デザインがその名前をショボく見せてしまうところが非常に残念だ。
私は地方公務員の女だ。関東圏のとある都市の市役所で働いている。
私立の大学で文系科目を修め、リーマンショックの時期に冗談抜きで大手民間企業100社に祈られ、ほうほうの体で公務員になった。だから、私は民間企業を知らない。営業職が何をするのかも、経理に経費を精算をしてもらうまでのやりとりも、接待も海外出張もテレワークも何もかも知らない。
「公務員は9時5時でやる気がない」「公務員はノルマがないヌルい仕事」「公務員は民間では全く役に立たない」という世間の評判に翻弄されながらも、サビ残を厭わず、クレーマーにも笑顔で耐え、上司の無茶振りにも嫌な顔をせず、地獄のような霞ヶ関出向からも生還した。
公務員としてはよくやっている方だと自認しているし、一定の評価ももらっている。しかしながら、私の心の中はいつも「私は民間を知らない」というコンプレックスに苛まれていた。私の苦労は民間の社員の苦労に比べたら大したことはなく、私の仕事っぷりは民間では全く歯が立たないと、信じていた。
そんな私だが、最近、民間企業の同年代の女性社員たちが参加するマーケティング系のワークショップに、縁あって参加した。
私のグループは私を含めて4人の参加者がおり、彼女たちが働く企業は、みんな私が志望しては玉砕した大手企業だった。私はただ1人のノルマを知らない公務員というだけでなく、彼女たちが勤める企業に採用されなかった劣等生でもある。私は初めから彼女たちに対して卑屈な気分になっていた。
グループの女性たちは、みな堂々と社名を名乗り、民間の総合職の女性らしい華やかさだった。グラデーションカラーの髪や、テレワーク中で、と照れ笑いするスウェット姿は、私が普段暮らす役所の中ではついぞ見かけない。彼女たちはzoomの画面越しに自己紹介した私の顔を見て、
と聞いてきた。私は微笑み、
「公務員って聞くとそういうイメージあるよね。でも私は企画部門だよ。経営戦略を立てるところ」
とできるだけ丁寧に答えた。彼女たちはよくわかっていない様子だったが、そうなんだ、と明るく答えた。
ワークショップのテーマは地方創生だった。私の本分である。私はみんなの意見を聞き、地方創生の実態や課題について話すのがいいのかな、と自分の中で役割のあたりをつけ、議論に参加した。
1人の、某携帯キャリアのマーケティング職の女性が口火を切った。
「地方は元気がないから、地方に元気を与えるような、そう、例えば都心の子供と地方のお年寄りを繋ぐサービスはどうかな?」
「もしそうなったら素敵だね。そうしたら、そのサービスで、どんな地方の課題が解決できるのかな?どんな価値が生まれる?」
私が尋ねると、マーケティングの彼女は考え込み、代わりに引き受けたのはインフラ系企業の研究職の女性だった。
「地方のお年寄りはやることもなくてきっと寂しいよ。それに、自分の知っている地域の遊びとかを教えれば、子供も楽しんでくれるし嬉しいんじゃない?そうだ、忙しいワーキングママの代わりに子供の面倒を見てあげられればいいよ!ねえ、そういうの、いいんじゃない?」
「確かに高齢化が進む地域は子供が減ってるから、寂しいと感じる人もいるかもね。共働きのお母さんも仕事に家事にで忙しいもんね。じゃあ、そのサービスは、どうやって収益を出すの?」
私が再び尋ねると、今まで微笑んでいるだけだった自動車メーカーの広報担当の女性が、やや苛立った様子で言った。
「そんなの地方がお金を出すんじゃない?だって、『地域が元気になる』んだよ?」
残りの2人も、私を非難する目つきで見、メーカーの彼女に続いた。
「そうだよ、お年寄りが元気になれば、地方も助かるんじゃない?」
「やってみないとわかんないんだし、まずはこれで話を始めようよ。細かいこと言ってたら、始まらないよ」
みんなの表情には、ありありと「だから公務員は頭が固い」「民間のスピード感が分かっていない」と書いてあった。私は弱々しく笑い、
「地方の自治体も、慈善事業じゃないから、何のために地元のお年寄りと都心の子供を交流させるか分からないと、お金は出せないと思うよ」
と答えるのがやっとだった。
その後、私と彼女たちは噛み合うことなく、それでも私たちのグループは地方のお年寄りと都心の子供をマッチングさせ、zoom上で昔ながらの遊びを教えるプラットフォームを製作する企画書をまとめた。ステークホルダーは、地方のお年寄り、子供、子供の面倒を見てほしい親、そして地域活性化を目指す自治体であり、「地域活性化」を目指す自治体が出資するシステムである。「民間のスピード」に、私は口出しをすることができなかった。
私は民間企業を知らない。就職活動をして、100社から断られたからだ。新卒で市役所に入った。出向していた時期もあるが、それも霞ヶ関でだったので、結局はお役人の仕事しか知らない。根っからの公務員だ。なので、民間企業の社員に激しいコンプレックスを持っている。私の知らない、私なんかには絶対に成し遂げられないことをしている人たちが、羨ましくて恐ろしかった。
だけど、地方の年寄りがzoomで見ず知らずの子供の子守りをするサービスの企画書に、いらすとやのイラストを貼り付けながら、私は一体何に怯え、何に憧れていたんだろう、と思った。公務員はぬるくて、民間企業は厳しい。公務員は劣等、民間企業は優秀。でも、そんなの会社によることだろうし、優秀か否かだって社員によって異なるだろうに。
ワークショップは淡々と進み、私たちの班の企画書は、講師から「このサービスに本当にお金を出せるのか、今度どこかの役所に聞いてごらん」という感想をいただいた。まあその通りなんだけど、と私は内心で下唇を突き出した。それでも、彼女たちは一様に満足げであった。私以外は東京の企業に勤めているので、週末リアルで会うそうである。私に対しても、礼儀正しく「東京まで会いに来ないか」と尋ねてきたが、私は真面目な公務員らしく、緊急事態宣言中を理由に断った。
アセクシャル、とひとまとめにされがちだけど、アロマンティックやらノンセクシャルやらが含まれているのが、日本語の「アセクシャル」。
そして、じゃあ、アセクシャルとアロマンティックとノンセクシャルの3種類があるんですね、という理解ももちろん間違ってて、
しばしば言われるように、(それ以外のセクシャリティも含め)グラデーションとして存在しているし、
一見排他的なセクシャリティも、本人の中では矛盾なく(あるいは矛盾しながらも)両立していたりと、
一言で「ぼくアセクシャル」などと表現できない(が、場合によっては何らか表現するしかなかったりする)のである。
なので、あなたの「アセクシャル」と、彼ら、彼女らの「アセクシャル」は違っていて当然だし、
なんならパートナーが欲しいし子供も欲しい人も、パートナーはいらないけど子供は欲しい人もいる。
いま、例えとして「欲しい人」「欲しくない人」などと2種類に分けたが、実際には、これすらも2種類に分けられるものではない。
そう考えると、性的マジョリティだってグラデーションの中の1つでしかなく、
ただただ多数を占めているというだけで、どちらが特殊というものでもない。
なんなら、「性的マジョリティ」とひとまとめにされている人たちの中にだってグラデーションはあって、
結局、誰一人としてマジョリティなんかではなく、マイノリティの集合でしかないのである。
マイノリティの権利を叫びたいばっかりに、マジョリティとの間に線を引くなどもってのほかだ。
まあつまり、誰一人、自分と同じひとなんかいないし、そこにいるAさんとBさんだって、同じじゃない。
逆に言えば、AさんとBさんが「同じ」なのと同程度には、「自分」と「Aさん」、「自分」と「Bさん」も同じだ。
なので、元増田の
アセクシャルと言っても人それぞれなんですねー
という認識でOKだとは思う。
先月あたり話題になった某大学の食料支援の第2回目が過日あったので申し込んで受けてきた(第1回目は人が多すぎて断念した。友人は3時間並んだらしい)ただ別に自分は明日の飯に食うに困る人間ではないし、野草を食べるとかか1日1食で食いつなぐとかでもない。三食食べるしバイトもある。
ただ例えばヘトヘトになったバイト終わりにコンビニで買うご褒美150円スイーツが買えなくなった。課題で切羽詰まったときも容易に外食やテイクアウトはできない。周りにいる学生の中には本当に食うに困る人も確かにいるが、食料支援を受けた学生の少なくない数は自分と同じ状況だろう。明日に食う困ることも、電気を止められることも、家がなくなることもない。ただ余裕がない。
貧しいってなんだろうか。単に明日食うに困る人が貧しい人で明日心配せずに食える人は皆裕福なのだろうか。黒でも白でもない、極貧でも裕福でもない微妙なグラデーションの中で何と無くお金がないなと思う人はなんなのだろうか。隙間がなくなる、余裕がなくなること、心が金に蝕まれることもきっと貧しさだ。お金がないと一概に心が貧しくなるわけではない。ただ自分は常に金のことを考えてしまう。思考したところで生産性はないのに常に金のことが頭にあるし他人に対しての許容量が確実に減った。この種類の貧しさは食料支援を受けて、人の善意を正面から受けると心が少し和らいだように思う。本当に食うに困るには金の方がいいのかもしれないけれど、こういう貧しさには食料支援もありだと思った。そこを大学が意図しているかはしらないけれど。とりとめない話になってしまったがまぁ増田なので。貧しさってグラデーションがあるし心の余裕につながるのだなと思いました(作文)たくさんかけた。
最後に食料支援をしてくださった企業と地域の方、卒業生の方すべての人に感謝を申し上げます。皆様の善意や思いやりを受け取りました。救われました。学生を忘れないでいてくれてありがとうございます。
私が苦労してるからこうだ、じゃなくて。
脚が動かないor動きにくいと自覚してる上で、車椅子に乗るなら乗る、乗らないなら乗らないってはっきりしろ、ということです。
それ自体には個人の事情もあるでしょうし、本気でやってるのが感じられれば問題はないと思います。
けど現状、少なくともネット上では、
興味本位でしかないだろう、としか感じられない人が多発しているんです。男女ともに。
美醜ではなく、性別移行できていないようにしか見えない人が多いんですよね。
あなたはグラデーショングラデーション言ってますが、あなたこそごっちゃにしていませんか?
並べて綺麗になるものではありますけど、色が分かれてない訳じゃありませんよ?
全部の色混ぜたらぐちゃぐちゃになるだけです。
ご存知かも知れませんが、トランスジェンダーにも種類があるんですよ。
LGBTのTには、GID(性同一性障害者)と性別移行者(性自認との齟齬はない人)と異性装者が含まれていて、
私が問題としているのは、ここでの非GIDの人がGIDを騙って権利を主張していることです。
「女性(−側)〜中性(0)〜男性(+側)」のこの中にいるか、
変動するものか、このパラメータが無い(無性)もしくは+と−両方持ってるもの(両性)と大別できます。
で、性同一性障害、というのは、
性自認と身体のパラメータの+と−が真逆で一致していない状態です。
それの医学上の診断名ですね。
身体のパラメータに合わせて生きてたけど生きづらいです、というところが「障害」となる訳です。
性自認と身体がそれぞれ0のボーダーを超えた反対側にいるんですから、それについてはキッパリ分かれます。離れてる距離に個人差はあるけれど。
私の主張は「性同一性障害だと思うならしっかり専門家の診断を受けてください、性別移行するなら中途半端にしないでください、自称で勝手に変に権利を主張しないでください、当事者が勘違いされて迷惑なので」ということです。
理解されたいならそれにそぐう行動で示すべきでは?
碌に分かってもいないくせして色々攻撃してくれましたけど、ストレス溜まってるんですか?
それともあなたは揚げ足とって小学生みたいな暴言吐いて批判するしか能がないんですか??
どちらにせよ、匿名と言えどあなたのように品のない人がいることにびっくりです。
私についての批判のみで具体的な反論もなく、あなたはただただ唾を吐きかけたいだけに思えますが。
ネットってほんと怖いですね。
Twitterで校正紙の指示がすごいってのを読んで興味を惹かれて行ってみた。
久々の遠出、久々の美術館。
まず着いたら遠目から黒い人だかり。
120分待ち。
ちょっとは並ぶと思ったけど、
こんな状況になる前もでかい箱モノの美術館ってそんな行ったことないからわからん。
交通費払って来てるし、並ぶことを決意。
鍛えてない足は並んでいるだけで疲れたけど、
よい日光浴になった。
120分とかビビらせといて人減らして
(対策で閉まってるっていってもこの人混みで今更…と思わなくもないけれど)
チケット買えたと思ったら、入場までにさらに30分近く並んだ。
時間指定とかでまた待たされるのもヤだし、まあ良いよここまで来たら。
はい、やっと入れた〜。
中混んでそうだな〜と思ったら実際めっちゃ混んでた。
撮影禁止って書いてあるのに、展示室スマホ持った不届きもの多いな〜って最初感じちゃったけど
入ってからずっと年配の女性のインタビューっぽい音声がずっと流れてる。
カタカナ語が多いからなんだろうって思ってたら、石岡さんの声っぽい。
なんとなく情熱感じる。
これもQRコードで文字で読めるらしいから、ちゃんと聞き取ろうと頑張らず
とりあえずBGMにして展示を見ることにする。
(校正紙のに惹かれたのと、見たことないけど聞いたことある映画『落下の王国』の人、というのと
好きな映画『白雪姫と鏡の女王』の衣装の人、ということくらいしか知らないで来てるよ)
元々資生堂の人なのかっていうのも知らなかったけど、
反対とかされたのねじ伏せたのかな? 海外ロケの先駆けか〜はあ〜へ〜
実際のポスター、なんか赤い丸に細かい効果線?が効果的なのかな。
よくわからんけど、力強くて印象的だ。
日の丸とか桜とかいろんな図柄やら伝えたい意図、考えを落とし込んでいって
ポスターの形にしてたことが、たくさんのメモから伝わってきた。
おもろーこういうの見たかったんだよ! ってなった。
まずここで圧倒されたよ。
「鶯は誰にも媚びずホーホケキョ」
って一歩間違えれば意味わからんダサくなりそうな、でも力のある言葉を
ビジュアルで納得させられて格好良く感じる。
キャッチコピーの力も大きいけど、
肌の色が濃い人の美しさ? を全面に出してるの
当時鮮烈だったのでは? 今でも新しく感じるくらい。
むしろ今でも通じるというか、今こそ見たい感じもする。
見比べると仕上がりやっぱ良い。
指示怖いとかTwitterで書かれたの見てたけど、怖さは感じず
的確さ、仕上がりを追求する姿勢に圧倒された。
そんでまたまた圧倒されたのが
否が応でも刺さってくる、図のみでこれでもかと訴えかけてくる…
やば…と思ったらやっぱり説明文にD社と著作権で協議したって書いてあった。
でもわかってただろうにそういうの込みで発表した気概がすごいし、
その完成度もすごいんだこれがまた。
あきらかに校正紙と完成品のポスターで手をはじめ全体の立体感とかが違って
(途中エスカレーターとか乗って階変わってまだまだ見れるのか! と量の多さにびっくり嬉しくなった。
「風姿花伝」っていうのを出版して売り込んでくってのが格好良いなあ。
本も表紙だけでデザインセンスがあふれてることが伝わってくるよ。
企画とか舞台とか演出とか衣装とか色々な分野で活躍してたらしい。
石岡さんという方が自ら仕事を創り出せる、切り拓いていく方だったんだろうなあ。
着物の柄、生地、光沢、色合い惚れ惚れした。写真の見せ方も素敵。
舞台衣装、その舞台を輝かせるための舞台がある間だけのものだけど
こうやってじっくり見られるの嬉しいな。
グラミー賞とかトニー賞とか、詳しくない素人でも聞いたことのある賞を受賞されてることをここで知る。
いろいろ映像とかみてなんか暗幕くぐって次の部屋入ったら
床と壁全面金ピカで金閣寺があった。びっくり!
回り込むとなんか金閣寺割れてる。触れないように金閣寺中入れたよ。楽しい。
準備した人、企画した人大変だっただろうなー
展示の期間の終盤に来たけど、床きれいだった。
カンヌのなんか賞獲得したけど日本では遺族とか色々で公開中止で
流れてた映像ダイジェストだけど、ラブホとか神社の鳥居が沈んでるのとか
色々なんかひっかかったのかもねと思わされた。(実際はどこのせいかはわからんけど)
気づかないタイプだから、説明あるとちゃんと理解が深まった気がして嬉しくなる。
熱出した時に見る夢の不思議の国のアリスと孫悟空混ぜたおとぎ話の大人版みたいな?
シルク・ドゥ・ソレイユの衣装も手がけてたなんて
部屋入るまで知らなかった。
子どものとき、テレビで初めてシルク・ドゥ・ソレイユ見たとき、
あとシルク・ドゥ・ソレイユの現状ニュースで見たから
芸術家っぽかったのにできるんだ! って驚いたけど
変な形なのになんかスタイリッシュで、ポケット開いたらハートとか遊び心あるなあ。
色合いも今見てもなんかお洒落だ。
こんな活躍をされていたなんて!
たくさんの壁があったろうに、尊敬。
衣装は中国の伝統的な形を尊重しつつ、たくさんの人数が揃って舞うときの
色合いの美しさに思わず声が出そうになるくらい感動を覚えた。
(こういった光景は、もうしばらく、きっとこの先かなり長い間見られないんだろうと
思ってなんかまた切なくなってしまった。疲れてきたのか? 急に悲観的になってしまう)
白と黒のグラデーションのドレスとか、裾の色変わるのとか、素敵だった。
職人技見られると、無条件で嬉しくなるよね。
この映画大好きなんだよね。石岡さんの仕事で唯一ちゃんと知ってる作品。
布でこれでもか! と作り込まれていて、
見れて嬉しかった〜! 胸元の布の造形が細かくてすごいんだよ。
きっとここも意見取り入れたり試行錯誤した過程があるんだろうなあって見てた。
映画、面白衣装がたくさんあるけど、なんか納得させられるというか、
世界にあっているというか、むしろ素敵というか、説得力あるのが本当良いよね。
説明文でへーって思うところも多々あった。
高校生でこの色合いの絵! すでに実力とセンス光ってる! ってところも驚いたし、
世界に羽ばたくために当時にすでに英語で書いてたってのもびっくりだし、
叶うよ! というか、この方は、自分で掴み取って叶えたんだな。
はーほんと、格好いい人だな。
この人は人生をかけて時代や世界に向かってデザインし続けてたんだなあ。
筋肉とか赤とかいろんな作品を越えて所々で見られるモチーフを見ると
全体総括ではないけれど、この図がぴったりだったのかもしれない。
と、途中所々ベンチで座りつつ4時間近く展示を見て回ったよ。
ギリギリ楽しめるぐらい粘れた。
予想の4倍くらい展示量と濃い内容で大満足だった。
図録買おうかなって売店行ったら売り切れてた。かなり先の入荷だって。さすが。
石岡さんイメージのパフェがカフェとレストランで提供されていて、
久々に良い物、仕事見れたなあ、と大満足。
法律的に性別に関しては男女の2つしかないのでどうしてそこに引っ張られてしまうのはしょうがないのだけども、性自認というのは単純に男女二つに割りきれると言う問題では無いと思うのよね。本来もっとグラデーションっぽい感じなんだけどもどうしても法的な性別として二分しなければならない故にグラデーション部分が二色に塗りつぶされてしまってる感じ。
法律的には肉体的性別と性自認が完全に異なってる者だけに性別の変更を許可するのが正しいし、そこの基準を緩くしてはならないというのも正しいんだけども、そうすることによって取りこぼされる人が居るというのもきちんと認識しておかないといけない。
マイノリティの中でもマジョリティとマイノリティは存在しうる(マジョリティの中でも同じ事が言える)という認識はコレからの社会をより良くして行くには絶対必要な物だと思う。
特に子供は中性的なものを嫌悪し枠から外れるとはやし立てて、自分が普通であり攻撃される側にならないよう回避する。攻撃される側でなくても見聞きはすると思うので、そんな中で自己認識を抑えつけるうちに忘れてしまい、なんとなく生きづらい人もいると思う。
何を選択するかに関わらず、抑圧されなければ自分が本当は何だったかを思い出すきっかけとして、身近なものへの思い(自分とは関係無いものか、あるいは興味を持ったことがあるか)を引き合いに出しているのかと。
きっと真剣に悩んだしたくさん辛い目にあったのだろうけれど、カジュアルさを厭わないで欲しい。本当は辛い目にあわなくても自分の普通を生きられる方が良かった。抑圧されて忘れてしまわない方が良かった。
抑圧されて別の性として生きられることが楽だということも無い。自分でも否定してしまった分、掘り起こすのは難しいし、時間が経った分、相応の痛みを伴う。無かったことにしてきた生活のすべてが自分への攻撃になる。
自分は本当で、ちょっと興味があった程度の人は本当ではない、そんなのは違う、自分とは違うものだ。もしかしたらそういう気持ちがあるのかもしれない(全然違うかもしれない、ごめん)
そもそも性別がグラデーションな以上、違和感の程度もグラデーションなのだと思う。身体的な治療が必要かどうかも人それぞれだ。程度が強くても治療しない人もいる。自分の性と戸籍上の性が違うことを認識した上で戸籍上の性として生きる人もいる。
そんな中で、社会的な圧力のせいで否定してきた自分がいたことに気付いて救いにいけること、そして違和感を解消して次世代に無理な性別観を押し付けずにいられることは、これからの世界にとって大事なことだと思う。
主張や疑問からは外れているかもしれない。でも、 MtF とは何か、 MtF じゃないものとは何かなんて基準、無いと思うし、無くてもみんな生きられる方が良い
整理したくなっただけなので、そんなこと皆わかっとるわいと思うかもだけど勘弁してね。
ある属性・集団の人間に対して、その属性であることを理由に不当な扱いをすれば差別である。
ある属性・集団の人間に対する偏見を語ることは、その偏見を持たない人からすると白い目で見られる。
例)男は××、老人は××、最近の若いのは××、関西の人は××、東京もんは××、金持ちのボンボンは××、貧乏人は××、高卒は××、院卒は××
偏見を語る対象の属性・集団が被差別を受けている実情・過去がある・被差別属性である
という社会的合意がある場合は社会的に糾弾される。差別的言動であり、差別意識が表出したと見られる。
例)女は××、○○人種は××、etc(あまり具体例だしすぎるのもよくないので)
上記において、その偏見を語る話者が制度を決定する、人を雇用する、採用するなどの権力者の位置に近い場合、
差別意識があるということはその意識が実際の人間・集団に対する意思決定に影響させたと見なされる場合がある。
・一切外部に表出しなくとも、差別意識を内心に持つ時点で差別者であると認識する人
・立場のある人間が差別意識を表出するのは具体的差別に限りなく近い、すなわち差別であると認識する人
・具体的・実際的な差別のみが差別であり、内心の偏見・差別意識の表出は差別そのものではないと認識する人
・その上で、だから表出して良いと認識する人と、表出すべきでないと認識する人
・差別と呼ばれるものは正当な評価であり、糾弾されるようなことではないと認識する人
ぐらいに分かれるのかな?当然グラデーションはあるとして。